2012年1月10日火曜日

私のダイエット体験 (後編)

私はダイエットを実行して、当初の目的の8キロ減を,、めでたく達成できたのだった。
これでダイエットは終わった、と思った。まあ誰でもそう思うでしょう。それまであまり無理はしてこなかったが、それでもいつもダイエットしていることを意識していた。そんな状態から解放されて、これからは何も考えずに普通に食べてもいいのだ。

ところが、である。普通に好きなように食べ始めると、ただちに体重は増えるのである。少し多めに食べたりすると、1キロくらいはすぐ増えてしまう。しかもこの1キロを元に戻すためには、3日も4日もかかる。
私はここでようやく気が付いた。減った体重を維持するためには、やっぱりダイエットを続けなければならないことを。つまりダイエットに終わりはなかった。がっかりだ。

しかもこの体重を維持するためのダイエットは、減らすときのダイエットよりある意味ずっと難しい。減らすときは、体重が減っていくことが何より励みになった。努力すれば努力した分だけ、結果がはっきり現れる。それがうれしいし楽しい。
ところが体重維持のダイエットには、そういう楽しさがない。時間が経てば気持ちもゆるんでしまう。なるほど世にリバウンドが絶えないわけだ。

では私はどうやってこれを乗り切ったか。
そのころ私は二つのものに出会った。ひとつは例の「レコーディング・ダイエット」、もうひとつが消費カロリー計という器具だ。
「レコーディング・ダイエット」はひところずいぶん話題になり流行した。しかし、今はあまり聞かない。ほとんどすべてのダイエット法が、一時的に流行して消えていくが、これもそのひとつだったということなのか。
私は今もこの「レコーディング」を続けている。食べたものとそのカロリーをメモして、毎食ごとに合計し、さらに一日の合計も出している。だいたいの食べ物は、いちいち本を見なくてもそのカロリー数がわかる。慣れてしまったので、今はそんなに面倒を感じない。
この方法がいいのは、自分がどのくらいのカロリーを摂ったかが、はっきりわかることだ。食べることにブレーキをかけ続けていなくてもよいことになる。
いつもいつも頭の隅で「食べ過ぎないように、食べ過ぎないように」と思い続けているのは、うっとうしいしストレスにもなる。いつ襲ってくるともしれない見えない敵に、おびえている状況にちょっと似ている。しかも、少し食べ過ぎたと思うと自責の念にとらわれてしまう。
食べたカロリーを記録することは、「敵」を見えるようにすることである。無用な警戒をしなくてもいいので気持ちが楽になる。
まだカロリーに余裕があれば、がっつり食べたりもする。反対に食べ過ぎて予定値を超えることがあっても、後で減らせばいいので無駄に自分を責めたり後悔したりしないですむ。

消費カロリー計は、私の持っているのはタニタ製の「カロリズム」というものである。出始めの頃だったと思うが週刊誌の広告で知り、即入手した。
これは。歩数計をもう少し発展させたもので、歩数計のように上下の動きだけではなく、体の3D(上下前後左右)の動きを検知してその消費カロリーを表示してくれる。座っているときでも、人は上半身を動かしているわけだから、その動きによって消費されるエネルギーもカウントしてくれるのだ。
そして、これがいいのは、体重や年齢などから推定して一日の代謝によるカロリーを算定してくれるところである。これを、さっきの運動によるカロリーと合算して、一日の総消費カロリー数が表示される。しかも、消費カロリー量の変化を一日のグラフで見せてくれたりして、なかなか楽しい。

というわけで現在は、摂取したカロリーと消費したカロリーと、毎朝計っている体重を手帳に記入している。もちろん、カロリーがプラスマイナスゼロになるよう心掛けるわけだ。もう習慣化しているので、ダイエットしているという意識はあまりなくなった。
それと運動は大体毎日1時間半くらい自転車で走ってくる。ちなみにこのくらいの散歩で消費できるのは180キロカロリーくらい。御飯一杯分にもならないので、カロリー消費的にはあまり意味はない。

昨年の4月に仕事を辞めて「専業主夫」になった。辞める前から続けていた上のような習慣をそのまま続けていただけだが、すぐにさらに2キロやせた。ストレスがなくなったせいと、自分の生活をコントロールしやすくなったためかもしれない。ダイエット開始時から、二段階にわかれたが合計10キロやせたことになる。
今はあまり我慢している意識はない。お昼は以前書いたように平日はほとんど毎日、自家製激辛ラーメンとライスを食べている。私の計算だと、約1000キロカロリー。心置きなくたべられるのは、本当にしあわせだ。あ、また自慢になっちゃった。

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