2013年4月30日火曜日

フライド・エッグ 『Dr.シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』


今回も前回に続いて成毛滋と角田ヒロ関連のお話。今回は、フライド・エッグのファースト・アルバムについて。

  1971年の2月に成毛滋と角田ヒロの二人は、それまでやっていたジプシー・アイズを発展させてストロロベリー・パスを』結成した。二人は翌月3月にスタジオに入りアルバム『大烏が地球にやって来た日』をレコーディングしている。このアルバムについては前回に述べた。

このアルバムのCDのライナーによると、成毛は、その後、来日したフリーのサウンドに驚愕していきなり渡英、そのためにストロベリー・パスは消滅したとのことである。

フリーは1971年の4月末に来日して、2回公演を行っている。4月30日の一ツ橋共立講堂と、5月1日の大手町サンケイ・ホールである。この内少なくともサンケイ・ホールでは、ストロロベリー・パスが共演している。
早弾きの天才成毛は、全然スタイルの違う間(ま)と余韻が売りのポール・コソフのギターに何を感じたのだろう。
それはともかく成毛の滞英は短いものだったらしいが、アルバム『大烏が地球にやって来た日』が発売された6月には、ストロベリー・パスは、もう活動していなかったことになる。

そしてこの後ストロベリー・パスの二人は、8月に箱根アフロディーテに出演している。箱根アフロディーテは、8月6日と7日の二日間にわたり芦ノ湖畔で開催された野外コンサート。霧の漂う中での幻想的なピンク・フロイドのステージで有名だ。
このときは、ストロベリー・パスではなく「成毛滋&つのだひろ」名義だったようだ。ステージでは、これにベーシストとして高中正義が加わっていた。
高中はこのときまだ18歳の高校生。アマチュア・バンドの若手ギタリストとして注目されていた高中を、成毛が抜擢してベースを弾かせたと言われている。しかし、これ以前に高中は柳田ヒロ・グループですでにベースを弾いていた実績がある。

この前月の1971年7月に日比谷の野音で岡林信康のコンサートが開かれた。この様子は、ライヴ・アルバム『狂い咲き』として発表されている。それまでのはっぴいえんどに代わって岡林のバックを務めているのが柳田ヒロ・グループだった。このときのメンバーはピアノの柳田に、ドラムスが戸叶京助、そしてベースが高中正義というトリオ。メンバー紹介のとき、まだ若かったせいなのだろう岡林に「高中クン」と紹介されている。
 だから成毛の思いつきで高中にベースを弾かせたというのは当たっていない。

ともかく箱根アフロディーテでの共演がきっかけとなり、この3人によってフライド・エッグが結成されたのだった。
フライド・エッグはこの年の10月からスタジオに入り、翌年の1月までかけてアルバムのレコーディングを行った。一枚のアルバムに3ヶ月もかけるのは、当時の日本においては異例の長さだったらしい。これは、ひとえに成毛の凝り性の結果だとか。
こうして出来上がり、1972年4月にリリースされたのが、フライド・エッグのファースト・アルバム『Dr.シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』である。ちなみに、その前月の3月には、スピード・グルー&シンキのセカンドにして怒涛の2枚組『スピード・グルー&シンキ』が発売されている。

以下このアルバムについて。


□ フライド・エッグ『Dr.シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』(1972.4)

『Dr.シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』は、その演奏、録音、構成などの点で完成度の高いアルバムと言われている。それゆえ、当時の日本の「ニュー・ロック」のひとつの到達点とも評価されているという。また、ある面では日本のプログレッシブ・ロックの始祖という位置にもあるらしい。これらはいずれもこのアルバムのCDの田口史人のライナーによる。

しかし、このアルバムには一聴すればわかるのだが、どうしても英米のロックのモノマネっぽい感じがある。
たぶんそのせいなのだろう、その「完成度の高さ」にもかかわらず、実際の評価は今ひとつぱっとしない感じだ。また「日本のニュー・ロックの到達点」というわりには、これまで紹介してきたフード・ブレインや、柳田ヒロの初期ソロや、スピード・グルー&シンキのアルバムよりも高く評価されているようには少なくとも私には見えない。

アルバムとしての全体的な印象は、音の作りがキーボード類中心であることと、シンフォニックなアレンジが目立つこと、そしてその分ハードな曲調の曲がわりと少なめなことだ。
ハード・ロックと言えるのは、2曲目 「ローリング・ダウン・ザ・ブロードウェイ」、4曲目「バーニング・フィーバー」、7曲目「アイム・ゴナ・シー・マイ・ベビー・トゥナイト」、そして8曲目「オケカス」の4曲のみ。
成毛には、ギター中心のハード・サウンドとは別に、もう一方でシンフォニックなサウンドへの志向があるように見える。
ここで思い浮かぶのは、フェリックス・パパラルディだ。この人も、そういう志向を持っていた。彼のプロデュースしたクリームや、メンバーとして参加したマウンテンには、ハードさと共にクラシカルな要素があった。フライド・エッグの曲調の幅はちょうどマウンテンを思わせる。
しかしこのアルバムのシンフォニックな曲では、ギター・サウンドが他の音に埋もれてしまって印象が薄くなってしまっている。また、ハードな曲でも、ストロベリー・パス時代の「イエローZ」や「ファイブ・モア・ペニー」のようにシンプルで切れ味鋭いギターを聴くことはできない。
ファンとしては、ギター・ヒーロー成毛に、もっともっと前面に出てギターを弾きまくって欲しかったのではないだろうか。私もそう思う一人だ。

それでも一聴してとにかくカッコいいサウンドだ。
当時の英米のロックと比較して聴いても引けを取らないと言っている人もいる。
しかし、何度か聴いていると、どうしてもモノマネというかニセモノっぽさが鼻についてくる。二番煎じ的と言ってもいいし、マガイもの感とも言える。ちょうどディズニーやキティやドラえもんといったキャラをコピーした中国の遊園地の着ぐるみを見ているみたいな感じだ。

まずあちこちで曲やフレーズの元ネタが透けて見える。彼らはそれを隠そうともしていない。
たとえば8曲目の「オケカス」。EL&Pを下敷きにしている曲だが、タイトルまで元の「タルカス」を駄洒落的にもじっている。
それから7曲目の「アイム・ゴナ・シー・マイ・ベビー・トゥナイト」。ヴォーカル部分のオルガンのフレーズは、ユーライア・ヒープの「対自核のイントロ部分をほとんどそのまま引用している。
ヒープの「対自核」は、『Dr.シーゲルの…』発売の時点でも大ヒット中だった。だから、当時フライド・エッグのこの曲を聴けば誰でもヒープを思い浮かべたはずだ。
さらに言えば冒頭の1曲目の「ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン」を聴いて、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を思い浮かべない人がいるだろうか。

わかるようにやっているのだから、けっしてパクリとは言えない。かといって茶化しているわけでもないから、パロディというのとも違う。おそらくこれは元ネタとなった曲へのオマージュというかシンパシーの表現なのだと思う。

そのことと関係しているが、このアルバムは曲自体の出来がどれも今ひとつという感じだ。
『Dr.シーゲルの…』のCDのライナーで湯浅学は、このバンドの曲が、英米の有名ロック曲と並べて聴いてもまったく違和感がなかったと書いている。が、私はそうは感じない。やはり、まねごとに終始し、それに満足していて、オリジネーターを越える意欲が感じられない。だからモノマネ感が漂うのだろう。

さらにまたそのことと関係して、ヴォーカルにもあまり魅力がない。
ネイティヴの英語にはかなわないという話ではない。英語で歌うことの必然性が感じられないのだ。だから不自然だし、とってつけたような感じが抜けない。
当時「日本語ロック論争」というのがあった。そこで争われたのは日本人のやるロックは英語か日本語かということだったが、それ以前にそもそも日本人が英語で歌うことに無理があったのだと思う。 

しかしそんなニセモノ感あふれるこのアルバムの中で、とにかくキラキラと光り輝いているのが成毛のギターと角田のドラムスのプレイそのものだ。
前回のストロベリー・パスについての中でも書いたが、成毛には、どこまでもアマチュア的でピュアな英米ロックへの憧れがある。それが、「日本のロックは英米ロックの代用品」という発言になるのだろうし、モノマネで満足してしまう原因でもあるのだろう。しかしその思いは同時にここで聴ける熱いプレイを生み出してもいるのだ。
このアルバムの聴き所は、まさにその辺にあるのだと思う。

以下、各曲について。


1 「ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン(Dr. Siegel's Fried Egg Shooting Machine)」

ヴォーカルはコーラスだし、歓声や掛け声が聞こえ、ギターにはワウが効いていてとにかくにぎやか。構成も2部構成になっているなど、なかなか凝った作りの曲だ。これから始まるアルバムの世界に期待を抱かせる。

ただこの曲を聴けば誰もがビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を思い浮かべるだろう。
メロディーや歓声や拍手のSE、歪んたギターなど明らかに似ている。いったんフェイド・アウトした後で始まるパートは、「ヘイ・ジュード」にもちょっと似ているような…。
ビートルズへのオマージュか。

なお冒頭にちょっとしたギミックがある。空を見て驚く人々の声と、目玉焼きが飛んできて何かにぶつかる音のSEだ。これを聴いてジミ・ヘンドリクスの『アクシス:ボールド・アズ・ラブ』の一曲目「EXP」を思い出した。
「EXP」は、アナウンサーによる宇宙人への短いインタヴューがあって、UFOの飛行音(ギターとスライド・バーで出している)が続く曲だ。
ちょっとしたしゃべりと何かが飛んでいる音でアルバムの幕が開くところが似ている。フライド・エッグの空飛ぶ目玉焼きは、UFOのイメージとダブっているようにも思えてくる。
フライド・エッグのギミックは、元ネタがどうこうというほどのものではない。しかし、成毛がジミ・ヘンのセカンド・アルバム『ボールド・アズ・ラブ』を聴いていなかったはずはないから、多少なりとも「EXP」のアイデアが念頭にあったのかもしれない。

2 「ローリング・ダウン・ザ・ブロードウェイ(Rolling Down the Broadway)」

リフから始まるブリティッシュ風の粘っこいヘヴィ・ロック。
ヴォーカル部分のリフは、マウンテンの「クロスローダー (Crossroader)」(1971年のサード・アルバム『悪の華(Flowers of Evil)』に収録)のリフに似ている。

ギター・ソロは、なかなか熱いのだが、サイド・ギターやコーラスがかぶさってきて邪魔。もっと前に出てきて弾いてほしかった。

3 「アイ・ラブ・ユー(I love you)」

角田作のベタで切ないラヴ・バラード。ピアノ、ストリングスに管まで入るアレンジは、ロックというよりポップス。「メリー・ジェーン…」の二番煎じで、それ以上のものではない。

4 「バーニング・フィーバー(Burning Fever)」

痛快ヘヴィ・ロック。カッコいい。

イントロ部分は、レッド・ツェッペリンの「アウト・オン・ザ・タイルズ (Out on the Tiles)」(1970年の『レッド・ツェッペリンⅢ』に収録)のイントロを発展させた感じ。そういえばギターとベースのトーンやフレーズも全体にツェッペリン風に聴こえる。

フィル・インのギターは鋭いのだが、ギター・ソロは今ひとつ印象に残らない。もっと前に出てきてくれ。

ネットで見ていたらこの曲の元ネタはジェフ・ベックの「迷信」と指摘している方がいた。しかし、私にはまったくそんな風には聴こえない。「迷信」のようなファンキーな感じはこの曲にはない。
確認してみたら、「迷信」が元ネタというのはあり得ない話だった。本家スティーヴィー・ワンダーの「迷信(Superstition)」が収録されたアルバム『トーキング・ブック』のリリースが、1972年10月。さらにこの曲のジェフ・ベックによるカヴァーが収録されたアルバム『ベック・ボガート & アピス』のリリースが1973年2月。
つまり、フライド・エッグのこの曲が発表された時点では、どちらもまだ世に出ていなかったのだ。

5 「プラスティック・ファンタジー(Plastic Fantasy)」

誰も指摘しないけれど、これってキング・クリムゾンの「エピタフ」なんじゃないのか。
重苦しい雰囲気に加えて、ドラムスのフレーズや、アコースティック・ギターのアルペジオ、そしてメロトロンのように鳴り続けるオルガンなどどれも「エピタフ」を思わせる。
次作の『グッドバイ・フライド・エッグ』には、さらにもっと「エピタフ」にそっくりの「アウト・トゥー・ザ・シー(OUT TO THE SEA)」という曲もあるが、やはりこちらも「エピタフ」だ。ちなみに、どちらも高中正義作曲。

いったんブレイクして前半が終わる。その後オルゴールのようなピアノから始まる後半は一転してメジャーな展開。こういうシリアス調から明るいコーラスの牧歌的な曲調への展開は、まるでムーディー・ブルースのようだ。

5 「15秒間の分裂症的安息日 (15 Seconds of schizophrenic Sabbath)」

宗教音楽風アカペラのコーラス。つなぎの小曲。あまり効果を挙げていないような気もするが。

7 「アイム・ゴナ・シー・マイ・ベビー・トゥナイト(I'm gonna see my baby tonight)」

ヴォーカル部分のオルガンのフレーズは、ユーライア・ヒープの「対自核(Look at Yourself)」のイントロ部分のオルガンとほとんど同じ。その他、オルガンを中心に据えたサウンドや、ハイ・トーンのバック・コーラスなど完全にユーライア・ヒープを下敷きにしている。

この前年1971年の秋に発売されたヒープのサード・アルバムからシングル・カットされた「対自核」は日本でも大ヒット。フライド・エッグのこのアルバムが発売された1972年4月の時点の洋楽チャートでも、この曲はベスト10に入っている(たとえばTBSラジオ ポップス・ベストテンの1972430日付では、第4位)。
だから上にも書いたがフライド・エッグのこの曲を聴けば、当時誰もがヒープの「対自核」を思い浮かべたはず。

ギター・ソロは怒涛のオルガン・サウンドに埋もれ気味。で、ちょっと物足りない。

8 「オケカス(Oke-kus)」

タイトルからしてFL&Pの「タルカス」をもじっているわけだ。
本家「タルカス」の冒頭は、オルガンとベースとドラムスとが緊密に絡むパーツが、目まぐるしく入れ替わりながら畳み掛けてきて、めくるめくような快感を生んでいる。しかし、ここでのフライド・エッグは、なかなかいいところまで迫っているものの、このパーツのパターンが少な過ぎて畳み掛けてくるまでに到っていない。
 やはり桶(オケ)は樽(タル)より小さかった。
ただし中盤のシンセサイザーのバックでぐいぐい迫ってくる高中のベースはグッド。

9 「サムデイ(Someday)」

角田作のロッカ・バラード。ピアノ、ストリングス、管が入るのは3曲目の「アイ・ラブ・ユー」と同じ。で、「メリー・ジェーン…」の二番煎じであることも同じ。

10 「ガイド・ミー・トゥー・ザ・クワイエットネス(Guide me to the quietness)」

めりはりを強調したキーボードがメインの壮大な曲。ただどうにも曲そのものに魅力がなくて、大仰で冗長に聴こえてしまう。

〔フード・ブレインのDNA関連記事〕

2013年4月23日火曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「特製らーめん」+「ネギ」 2013

用事があって水戸に出かけた。そのついでに「つけ麺 坊主」に寄る。2週間ぶりの訪問で、今月はこれで3回目。
平日11時25分に入店。先客はなし。時間からみて、私が本日の一番乗りらしい。後客は2人。

本日の私のメニューは、「特製らーめん」と「白めし」と「ビール」。ここまではいつものとおりだが、これに加えて、トッピングに「ネギ」を選ぶ。食券4枚を掴んで、カウンターの一番奥の指定席へ。食券を渡しながら「麺とめしは普通盛りで」と御主人にお願いする。

あと30分ほどで昼時だというのに、店の中には他にお客もいなくてゆるゆるとのんびりした時間が流れている。
前回までで激辛メニューの制覇は完了。また何かやってみたいと思って考えたのが、今回から始めたトッピング全制覇シリーズ。毎回私の定番の「特製らーめん」に何かトッピングを一品という組み合わせで、このお店のトッピングを一通り全部食べてみようというわけだ。まだ私が一度も頼んだことのないトッピングもいくつかある。楽しみだ。

さてまず別盛りで「ネギ」が、続いて「特製らーめん」が到着。
このお店のトッピングの中で、私がいちばんリーズナブルだと思っているのが、何を隠そうこの「ネギ」なのだ。
このお店の「ネギ」は、「白めし」と同じお茶碗に入って出てくる。こんもりとかなり大量だ。ネギ一本分はゆうにあると思われる。これを熱くて辛いラーメンにドバっと投入して大汗をかきかき食べれば、風邪などいっぺんに回復してしまいそうである。
ただし、その日一日は、周囲にネギ臭を発し続けることになるから注意が必要だ。
それからつけ麺系のときに頼まないほうがいいと思う。かなり大量なので、それでなくても冷めがちなつけ麺のつけ汁の温度がどんどん下がってしまうからだ。

さて本日の「特製らーめん」。ずいぶんお久しぶりです。
脂の浮いた赤いスープを覆うように具材のもやしと豚バラ肉がどんぶりから盛り上がり、その上に刻みネギ(これは本来かかっている分)が散らしてある。相変わらずりっぱなお姿。

まずレンゲですくってスープを飲む。熱ッ。いつもより脂多め、塩気珍しくやや濃いめ。で、もちろん旨い。立て続けにすくってはスープだけ飲み続けてしまう。旨い、熱い、そして少し辛い。ここで口直しに一口、二口食べるご飯がこれまた最高に旨い。

スープが少し減ってきたところで、ネギともやしと豚バラ肉の山をくずす。そしてどんぶりの中央を小さな池状に少し広げる。ここから箸を突っ込んで、底の方から麺を引っぱり出して食べる。麺は熱々だ。その熱さが口の中の辛さと反応して小爆発が起きる。熱ッ、辛ッー。
ここで鼻水のスイッチが入ったようだ。
もちもちとした麺の歯応えがたまらない。今度は麺ばかりを食べ続ける。やっと落ち着いてきたところで、中央の穴付近に、それまでじっと待機していた別盛りのネギを投入。麺と絡めながら食べる。香りのアクセントはもちろんとして、ネギの食感がいい。麺のもちもち感に、ネギのシャリシャリという食感が絶妙の取り合わせだ。
ネギをどんどん追加投入しながらいつまでも麺を食べ続ける。三分の一くらい食べたところで、我に返り、今度は具材のもやしや豚肉と麺を絡めながら食べ進めていく。もやしもシャキシャキしていい感じだ。

麺プラス具材からスープへ、スープからご飯へ、そして鼻水をかんで汗を拭く。このサイクルがどんどん加速して、至福の時間へと突入していく。
気が付けばどんぶりを抱えて最後のスープを飲み干し、無事完食。いつものことながらかなりの満腹状態。そして、当然満足状態だ。

12時が近づいているが、お客はなかなか来ない。この人気店にもこんな日があるのだなあ。12時10分前に、OL二人が来店。「麺、少なめで」と慣れた調子で注文している。常連らしい。
急に店内はこの二人のおしゃべりの声でにぎやかになった。
それではこちらはごちそうさま。カウンターを拭いて外へ出る。
うららかな春の日差しがまぶしい。満腹のお腹を抱えて、いつものように千波湖を一周して帰った。

2013年4月21日日曜日

ストロベリー・パス 『大烏が地球にやって来た日』

少し間があいてしまったが、今回はフード・ブレインのDNAシリーズの第4回ということで角田ヒロについて。
フード・ブレインの解散後、メンバー4人のうちキーボードの柳田ヒロはソロ活動に入る。ギターの陳信輝とベースの加部正義は、陳のソロ・アルバムを作った後、新バンド、スピード・グルー&シンキを結成している。この3人のアルバムについては、前回までで述べてきた。
そして今回から取り上げるのが、フード・ブレインの残る一人、ドラマー角田ヒロがその後に参加したストロベリー・パスとフライド・エッグのアルバムだ。

フード・ブレインの後、1971年に角田はギタリストの成毛滋とストロベリー・パスを結成する。ストロベリー・パスはアルバムを1枚作った後、1972年にベーシストを加えたトリオ編成となってフライド・エッグへと発展。フライド・エッグはアルバムを2枚発表して1972年に解散している。
 ストロベリー・パスとフライド・エッグ。この二つのバンドは、成毛滋の音楽的志向がより強く反映されたグループと思われる。だから、いくら角田が参加しているとはいえ、フード・ブレインとの関わりの中で取り上げることに、さほど意味はない気もするのだが、そこはまあ御容赦を…。

角田ヒロが成毛滋とストロベリー・パスを結成したのは、フード・ブレイン解散後の1971年2月のことだった。しかし、じつはそれ以前、フード・ブレインのメンバーであった頃からすでに、角田はストロベリー・パスの前身バンドを成毛と結成して活動していたのだった。
そのバンドはジプシー・アイズという。メンバーはギターが成毛滋、ヴォーカルとギター(またはベース)が柳譲治(のちの柳ジョージ)、ドラムスが角田ヒロのトリオ編成だった。
このバンド名は、もちろんジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの曲「ジプシー・アイズ(Gypsy Eyes)」(1968年のアルバム『エレクトリック・レディランドElectric Ladyland)』に収録)にちなんだものだろう。
結成されたのは、1970年6月のこと。フード・プレインのステージ・デヴューがこの前月の1970年5月だから、角田はこの両方のバンドにふたまたをかけていたことになる。さらに、彼はこの二つの他、渡辺貞夫カルテットにも在籍していたから、三つのバンドをかけもちしていたことになる。なんともエネルギッシュというか、働き者というか。

ジプシー・アイズの三人のうち柳譲治もまた、ゴールデン・カップスとのかけもちだったため角田よりもさらに忙しかった。前々回紹介したように、柳は旧知の陳信輝のソロ・アルバム(1971年1月発表)にも大々的に参加していた。そんなわけでジプシー・アイズのスケジュールに参加できないこともしばしばだったらしい。
そのため1971年の2月に、ジプシー・アイズは柳抜きで、成毛と角田のふたりのユニット、ストロベリー・パスへと発展することになる。
なおこの間に、角田はフード・ブレイン仲間の柳田ヒロの初ソロ・アルバム『ミルク・タイム』(1970年11月発表)のセッションにも参加している。

ストロベリー・パスは1971年3月にスタジオ録音を行い、6月にアルバム『大烏が地球にやって来た日』を発表している。
6月といえば、奇しくもフード・ブレインの二分の一に当たる陳信輝と加部正義が結成したスピード・グルー&シンキのファースト・アルバム『イヴ』が発表された月でもある。

じつはこの二つのアルバムにおける二人のギタリストのプレイが、じつに好対照というか好一対というふうに私には感じられる。
『イヴ』での陳信輝が前回も書いたようにダークで重くてジミー・ペイジ風だとすれば、『大烏が地球に…』での成毛滋は、まるでジェフ・ベックだ。成毛のギターは、明快でブライトで才気にあふれている。70年代初頭、成毛滋が日本のギター小僧たちの憧れの星だったことを思い出す。

そして成毛のギターを聴いていて感じるのは、当時全盛期を迎えていた英米のロックへの強い憧憬だ。
『大烏が地球に…』のライナーで田口史人が引用しているように、成毛は日本のロックは「あくまで本物を伝えるための代用品でしかない」と語っていた。ここで言う「本物」とは、もちろん英米のロックのことである。だから成毛は自分自身についても英米ロックのいわば伝道師と考えていたわけだ。つまり自分を英米のロック・ヒーロー達と対等なミュージシャンとしてではなく、むしろアマチュアのフォロワーに近い存在として意識していたわけだ。

成毛の曲には臆面もなく本場英米ロックの「いいとこ取り」をしているようなところが見受けられる。後のフライド・エッグのアルバムで、この傾向がさらに強くなる。というか完全に元ネタのパクリみたいな曲まであったりする。このことは、成毛のどこまでもアマチュア的な英米ロックへの憧れに由来しているものと思われる。
だから彼の音楽には、ロック少年たちが本場のロックを聴いて感じるカッコよさが凝縮され再現されているのだ。ストロベリー・パスやフライド・エッグのまさにその部分に日本のロック少年たちは共感したのだと思う。

なお『大烏が地球に…』のアルバムのジャケットのクレジットでは、角田ヒロの表記は「つのだ・ひろ」となっている。この後さらに「つのだ☆ひろ」と変わっていくわけだが、ここでは便宜上これまでどおり角田ヒロでいくことにする。
角田ヒロのドラムスは、パワー・スタイルだが、スピード感もあってなかなかよい。これまで紹介してきたドラマーたち、陳信輝のソロ・アルバム・セッションの野木信一やスピード・グルー&シンキのジョーイ・スミスなどに比べると段違いのレベルだ。
このアルバム『大烏が地球に…』では、成毛のギター・ソロの場面でドラムスがスリリングに絡んでいくところがひとつの聴き所になっている。

それからこの『大烏が地球に…』から角田は、ヴォーカルも担当し、曲も提供するようになる。
角田のヴォーカルは声質はちょっとジミ・ヘンに似ていてソウルフルだが、うまいというほどでもなくまあそれなり。曲作りではいきなりあの「メリー・ジェーン」を書いて作曲家としての道に大きな一歩を踏み出している。

以下、アルバムについて。


□ ストロベリー・パス『大烏が地球にやって来た日』(1,9716

漫画家石森章太郎(当時は石ノ森ではなかった)の大烏のイラストをあしらったジャケットは、なかなか印象的。ただしアルバム・タイトルと同題のプログレ曲は収録されているものの、ジャケットの烏は視覚的インパクトを狙っただけでそれ以上の意味は、たぶんないものと思われる。

内容的にはとにかく曲調が多彩なアルバムだ。1曲目がフリー風、3曲目がプロコル・ハルム風、ラスト曲がピンク・フロイド風と、当時の英米のロックの美味しいところをいいとこ取りしている感じ。
大ヒット曲のバラード「メリー・ジェーン…」もあるが、何といってもこのアルバムの白眉は、2曲目の「イエローZ」と4曲目の「ファイヴ・モア・ペニー」だろう。どちらのギター・ソロでも成毛滋の最高のプレイが聴ける。

なお1曲目「アイ・ガッタ・シー・マイ・ジプシー・ウーマン」のみヴォーカルが柳譲治。つまりここでジプシー・アイズが再現されているわけだ。なぜこれを冒頭に持ってきたのか。ジプシー・アイズへのオマージュなのか、決別なのか。それとも1枚のアルバムも残さなかったこのバンドのメモリアルなのか。

以下、各曲についての感想。

1. 「アイ・ガッタ・シー・マイ・ジプシー・ウーマン(I Gotta See My Gypsy Woman)」

おずおずとミディアム・テンポで始まるこの曲は、曲調もギター・ソロも抑制が効いていてフリーのように渋い。他バンドを恐れさせたというジプシー・アイズのスーパー・プレイは、エンディングでわずかに聴けるだけだ。
柳譲治のヴォーカルがエグい。
陳信輝のソロ・アルバムで聴けるヴォーカルより、はるかにクリアに録られている。がそれゆえよけいこの人のヴォーカルの貧弱さが露呈している。この人のエグさは演歌向きだ。レイニー・ウッドで演歌(風ポップス)でブレイクしたのも納得。

2. 「イエローZ Woman Called Yellow Z)」

ジェフ・ベックのような硬質なリフがカッコいい。
曲の中盤の長いギター・ソロがとにかく素晴らしい。空間を埋め尽くしていくようなフレーズの勢いに、思わず引き込まれてしまう。成毛の生涯を通じての最高の名演。
角田ヒロのドラムミングはアグレッシヴなパワー・スタイル。ドンドコ、ドンドコとタムタム中心なのが独特だが、これはギターのトーンと対抗するためか。

3. 「ザ・セカンド・フェイト (The Second Fate)」

一転してメロウで翳りのあるプロコル・ハルムのようなオルガン中心のミディアム曲。はっきり言ってあんまり聴き所なし。

4. 「ファイヴ・モア・ペニー (Five More Pennies)」

ブギっぽい曲だがブレイクしてからのギター・ソロ前半は、ジミー・ペイジばりの無伴奏ソロ。線が細くてネバリがない分ペイジには及ばない。しかし、ドラムスとベースが入ってのソロ後半は角田のドラムスに煽られての切れ味鋭いパワフルギターが聴ける
ここでも角田はタムタム中心のドンドコとしたドラム。あまり知的ではないが、切れがいいから許す。

5. 45秒間の分裂症的安息日(Maximum Speed Of Moji Bird)」

成毛によるバロック風のオルガン・ソロ。次曲のイントロ的な小曲。成毛の多才ぶりを確認。

6. 「リーブ・ミー・ウーマン (Leave Me Woman)」

コンパクトなハード・ロック・ナンバー。途中のオルガン・ソロが地味だからというわけでもないが、曲そのものが平凡で今ひとつ印象は薄い。

7. 「メリー・ジェーン・オン・マイ・マインド(Mary Jane On My Mind)」

言わずと知れた大ヒット曲。このアルバムの中ではまったく異質で、この曲だけ完全に浮いている。
バラードだからというのではなく、作りがまったく歌謡曲だからだ。ストリングスや女性コーラスが入るアレンジもそうだし、成毛の泣きのギターも歌謡曲仕様でいかにも安っぽい。
完全にシングル前提の曲で、多少なりともアルバムの経費を回収しようとする会社の意図が見え見え(?)。これがぴったり当たったわけだけど。

8. 「球状の幻影 (Spherical Illusion)」

前後をバンド・サウンドによるテーマで挟まれたちょうどツエッペリンの「モービー・ディック」のような構成のドラム・ソロ曲。
角田のドラムスは、肉体派に見えて意外と手数も多くてキレもある。ところどころでよろめく感じもしないではないが。

9. 「大烏が地球にやってきた日 (When The Raven Has Come To The Earth)」

風の音のSE、アコースティック・ギター、フルートで静かに始まり、烏の羽音や雷鳴を挟みながらバンド・サウンドになって盛り上がっていく曲。ほとんどピンク・フロイドの世界。それ以上のものではないのが残念。

2013年4月18日木曜日

極太スパゲッティの快楽

<太麺2.2ミリ業務用を買った>

ついに思い切ってスパゲッティを通販で買った。ものは「ボルカノ・ローマン・スパゲッチ」の.2ミリ。業務用の4キロ袋だ。
配達してくれたクロネコ・ヤマトの方は、これが入ったダンボールの箱を渡してくれるとき、「重いですよ」とわざわざ声をかけてくれた。なるほど、4キロのスパゲッティはずっしりと重かった。

なんでこんなものを買ったのか。太麺のスパゲッティが食べたかったのだ。2.2ミリの太麺のスパゲッティは、ふつうのスーパーでは売っていない。置いてあるのは、1.4ミリからせいぜい1.7ミリまで。ようやく輸入食品のお店で見つけたが、また買いに行くのもたいへんだ。なにせ、田舎に住んでいるもんで。

太麺のそれも炒めたスパゲッティを食べたいと思っていた。その背景には、個人的に興味を寄せているスパゲッティをめぐる三つの事柄がある。今回は、その三つのスパゲッティの話題を御紹介しよう。


<ナポリタンの復権>

昨年2012年あたりからナポリタンのブームが続いているらしい。つい先日も読売新聞でナポリタンの話題が載っていた。鉄製のステーキ皿にナポリタンを乗せて供するメニューが人気で、女性にも受けているというのだった。

その他でもナポリタンのブームはじわじわと広がっている。この記事にもあるように、近頃はナポリタンを定番のメニューにする店が増えている。洋食屋、喫茶店はもちろん居酒屋などでも出すところがでてきたらしい。
またナポリタンを看板メニューとするジャンク系のスパゲッティ(路スパと言うらしい)のチェーン店も増加しているという。
さらにカップ麺や冷凍食品でも、ナポリタンが売れていて、新製品も出ているとのことだ。

年配の人が懐かしい味としてナポリタンを食べるだけではなく、若い人たちにも目新しいメニューとして受けているらしい。どうりで、ナポリタンをめぐるいろいろな話題を目にする機会が増えてきたと思った。

まさにナポリタンの復権である。
私が高校生だった1970年代、スパゲッティといえば、ミート・ソースとナポリタンの2種類しかなかった。私は断然ミート・ソース派だった。これに、たっぷり粉チーズとタバスコをかけて食べたものだ。高校生の私にはけっこうな御馳走だった。
しかし、80年代からイタめしのブームが広まって、本格的なパスタ料理が一般にも普及していった。それからこっち、ナポリタンは長いことさげすまれ、不遇の時代をかこってきたように思う。本場イタリアのパスタ料理を、遠く離れた極東の地で、わけもわからないまま安直化したマガイモノとして馬鹿にされてきたのだった。
 
本場では、茹でたてのパスタにソースを和えて食べる。ナポリタンのように麺を茹で置きしたりしないし、それを炒めたりもしない。さらにはアメリカ生まれのケチャップを味付けに使ったりなんてこともけっしてしない。
ケチャップについてついでに言うと、アメリカではケチャップは食べ物にかけるものであって、加熱して料理に使うというのは一般的でないらしい。

先日、本格的なナポリタンの作り方をテレビで紹介していた。麺は太麺を使う。これをいったん茹でてから、冷蔵庫でわざわざ一晩ねかすのだという。こうすると、モチモチ感が増すらしいのだ。本場のパスタのアルデンテとは、もう目指している方向がまったく違っているのだ。
こうしてナポリタンは、今や、まったく日本独自の料理として、新しく価値を与えられ復活してきたわけなのだ。


<あんかけスパゲッティ>

あんかけスパゲッティというものがある。名古屋めしのひとつである。名古屋特有の食べ物としてメジャーな味噌煮込みうどん、味噌カツ、ひつまぶし、天むすなどには、もうそれほどの興味はない。しかし名古屋めしでも、もうちょっとB級な台湾ラーメンとか、手羽先唐揚げとか、このあんかけスパゲッティなんかは、ぜひ一度食べてみたいと思っていた。
このうちあんかけスパゲッティは、2,3年前にやっと食べることができた。東京の新橋にあるパスタ・デ・ココまでわざわざ食べに行ったのだ。パスタ・デ・ココは、カレー・チェーンのCoCo壱番屋が別展開しているあんかけスパゲッティ専門のチェーン店である。何しろCoCo壱番屋は名古屋が発祥だからね。
このチェーンも含めて、以前は東京にもあんかけスパゲッティの専門店がいくつもあったようだ。しかし、そのほとんどが閉店して、現在ではここ新橋に唯一一店舗が残っているだけだという。

あんかけスパゲッティとは、炒めた太麺のスパゲッティに、トマト・ベースの餡状のソースをかけたものである。この餡状のソースは、あくまでトマト味がベースであることと、大量の胡椒が使われていてかなり辛味が効いていることが特徴である。
ウィキペディアによると、この料理はミート・ソースを名古屋人好みの味に仕立てようとしてできたと言われているとのこと。

さらに具材がタマネギ、ピーマンなど野菜のものは「カントリー」、ウインナー等の肉類のものは「ミラネーゼ」、野菜と肉の両方を使ったものは「ミラカン」と呼ばれているという。
名古屋ではたくさんのお店で出しているのに、ちゃんと一定の定義が確立されており、調理法と名称も固定化している。そんなところからも、かなり食文化として成熟し、地域に定着している感じがある。

それからあんかけスパゲッティのもうひとつのj特徴として、その盛り付けの量が多いということもあるらしい。なので名古屋ではあんかけスパゲッティは、もっぱら若者や男性の食べ物とされている。

 では、味の方はどうなのか。
まあ、それなりに美味しい。しかしパスタ・デ・ココに限って言うと、辛さも今ひとつだし、分量も少なめでちょっと物足りなかった。
これはたらふく食べて満足し、それを何度か繰り返しているうちにやみつきになりそうな味ではある。でも、東京で専門店が次々閉店して一軒きりになってしまったのも何となくわかる。

というわけで私が食べに行ったのは一回きり。でもその後、自分の家でトマト味のスープなどが残ると、それにとろみをつけ胡椒を大量に投入して、スパゲッティにかけて食べたりしている。

なおちょっとややこしいが、名古屋めしにはもうひとつイタリアン・スパゲッティというものがある。これは熱した鉄皿に溶き卵をしいて、その上にナポリタンをのせるものだ。溶き卵は次第に固まって、ナポリタンの底部と一体になる。
前項で紹介した最近はやっている鉄皿乗せナポリタンのルーツは、この辺りにあるらしい。


<B級グルメの名店「ジャポネ」のこと>

有楽町の首都高の高架下、そのいちばん京橋よりの銀座インズ3の一画に「ジャポネ」という店がある。カウンターだけの小さな店なのだが、これがB級グルメ界でカルト的な人気を誇るスパゲッティの店なのだ。
私もB級グルメ好き&スパゲッティ好きなので、その人気を聞きつけて何度か足を運んでいる。
店にはつねに長蛇の列が出来ていて、その人気ぶりが窺われる。並んでいるのはほとんどサラリーマンだ。

この店のスパゲッティは本格パスタとは無縁の、茹で置き麺を炒めた純和式スパゲッティだ。
メニューはとにかく多彩。醤油、塩、明太子、梅のりなどの和風から、ザーサイ入りの中華風(メニュー名「チャイナ」)、カレーをかけたインド風(同「インディアン))、そしてもちろんナポリタンもある。

この店の売りはとにかく安いことと、量が多いこと。
標準のレギュラー・サイズで、値段は500円か550円ほど。安いでしょ。
麺の量は、レギュラー(350g)、ジャンボ(550g)、横綱(750g)の3段階。メニュー上ではここまでだが、さらにこの上に親方(950g)、理事長(1050g)というのがあるという。
なお、この麺のグラム数には諸説がある。ネット上でファンによって紹介されているグラム数には、数十グラムの違いがあるのだ。しかし、いずれにせよなかなかものすごい量であることはまちがいない。
ネットで見ていたら、全メニューで理事長を制覇したなどという、まさにフード・ファイターのような猛者もいて驚かされる。

カウンターに座ると調理しているのはすぐ目の前。コンロの熱でこちらまで熱いくらい。中華なべに油をしいて熱し具材と茹で置きしてある大量の麺を手づかみで投入して炒める。
ちなみにこの店の一番人気のメニューで私も何度か食べた「ジャリコ」の場合、その具材には、小松菜、トマト、しその葉、豚肉、タマネギ、しいたけ、えびが入っている。はっきりいってこれらの量は麺に比べるとほんの少量。十分炒めてから、仕上げにしょう油を回しかけると、じゅうじゅうと音がして出来上がりだ。

これらを2~3人分ずつ豪快に炒めては、皿に盛り付ける。何しろ行列が出来ているわけだから、次から次に何時間も炒め続けるわけで、なかなか大変な商売だなと感心する。

それで味の方はというと、はっきりいってびっくりするほど美味しいものではない。炒められて香ばしい醤油の香りと、太い麺のモチモチした食感、そしてとにかく満腹になれた満足感がこのお店の醍醐味だ。まさにジャンクな旨さ。
かなり油っぽいので食べていると口の中がギトギト、口の周りがベタベタになり、体調によっては食後ちょっと胃にもたれることもある。
B級グルメというものが、だいたいみんなそうであるように、ジャポネのスパゲッティもそんなにたいそうなものではない。しかし、このジャンクな旨さが人々を引き付けるのもよくわかる。それで私も何回か足を運んでしまったのである。

ところで私は、カウンターから作っている様子を見るたびに、これなら自分で作れる、いつか自分で作って見ようと思っていたのだった。


<極太スパゲティの快楽>

ナポリタン、あんかけスパゲッティ、そしてジャポネ。この三つのジャンクなスパゲッティには三つの共通項がある。
その1は、麺が太いことだ。どれも、2.2ミリを使っているらしい。
その2は、あらかじめ茹でておいたスパゲッティを炒めていること。油はかなり多めだ。これが旨さの秘訣らしい。
そしてその3は、盛りが大盛だということだ。そのために圧倒的に男性に支持されているわけだ。
 麺が太くてモチモチで、油ギトギトで、大盛。つまりこれらは、まぎれもないジャンク・フードであり、イタリアの本格パスタとは一線を画しているものなのだ。

私が、極太の麺を探したあげく通販で買ったスパゲッティは、「ボルカノ・ローマン・スパゲッチ」の.2ミリ。茹で時間は13分。
ボルカノ・ブランドでスパゲッティを作っている富山県砺波市の日本製麻株式会社の製品だ。この会社のパスタの特徴は、原料にデュラムセモリナ粉に加えて強力小麦粉を配合してあること。
この「ローマン」の原料表示を見ると、強力粉がセモリナ粉よりも前に書いてある。ということは、強力粉の比率の方がセモリナ粉よりも多いのかもしれない。このことからも本場イタリアのパスタのアルデンテ感ではなく、日本のうどんに近いモチモチとした食感を目指していることがわかる。

さっそくこの極太麺で炒めスパゲッティを作って食べてみた。
麺の量は乾麺で250gにした。これは茹でると600gになる。ジャポネのジャンボ(550g)と横綱(750g)の間くらいの量だ。
13分という茹で時間はけっこう長いが、出来上がりを待つ楽しい時間だ。
茹で上がるとフライパンで炒める。フライパンには、先に炒めておいた具材がそのまま入っている。具材は基本的にありあわせのものを使っている。タマネギ、ピーマン、キャベツなどは定番だろうが、長ネギやブロッコリーなんかを入れたこともある。
そして油は思い切ってかなり多めに入れた。大さじ2杯くらい。オリーブ・オイルとかバターなんかを使うとパスタになってしまうから、ここは当然、サラダ・オイルだ。

ケチャップでナポリタンも作ってみたが、いちばん気に入っているのはしょうゆ味だ。塩と胡椒を加えた上で、最後にしょう油を回しかける。和えるのではなく、じゅうじゅうと香ばしくしっかり炒めて出来上がり。
なお前に作った野菜炒めなどが残っていたら、これも麺と一緒に混ぜて炒め直すと美味しい。炒め物の味は、塩味、しょうゆ味、味噌炒め、中華風など何であってもかまわない。あのジャポネの何でもありのメニューを想起せよ。
これまで実際、白菜の旨煮や回鍋肉(ホイコーロー)を混ぜてみたが、最高に美味しかった。

極太炒めスパゲッティは、作っているときにとてもおおらかな気持になれる。本格パスタを作っているときは、麺の茹で加減やら、茹で上がりにジャストなタイミングで和えられるようにソースに気を配ったりで、かなり神経質にならざるをえなかった。
しかし、炒めスパの場合は、茹で時間もかなりルーズでいいし、具材もあり合わせでOK。残った炒め物を投入しても可。とにかくそれで美味しくできるのである。だから、作っているときからゆったりした気分でいられるのだ。

出来上がったスパゲッティを大皿に盛る。山盛りのスパゲッティというのは、なかなか見事な景色だ。熱々の麺をふうふうしながら食べ始める。このモチモチ感からは、パスタ料理とはまったく違う世界が広がっている。どんどんのめり込んでいくような快楽の世界だ。
そして、この油としょう油の香り。炭水化物と塩気と油の合体こそやっぱりジャンク・フードの旨さの真髄だ。まあアンチ・ヘルシーだけど。
しょうゆ味ではあるが、粉チーズとタバスコをたっぷりかけて、ハフハフと食べ進む。麺だからすいすいとお腹に入っていく。さすがに、最後の頃はペースが落ちるが、なんなく食べ終えてしまう。このときの満腹感には、この上ない幸福感がある。

今日は具材にあれを入れようかな、とか、きのう残ったあのおかずを一緒に炒めたら美味しいんじゃないかな、などと毎日楽しんでいる。こうして4キロのスパゲッティはみるみる減っていくのであった。

2013年4月10日水曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「つけめん」と「おやじめし」 2013

ひたちなか市に出かけるついでに水戸で途中下車して「つけ麺 坊主」を訪ねた。一週間ぶりの訪問、4月になってこれで2回目。なかなかいいペースだ。
前回水戸に来たとき満開だった桜は、この土日に吹き荒れた春の嵐ですっかり散ってしまっていた。

平日の11時5分入店。先客1人(早いなあ)。後客は2人。
券売機に向い、今日は「つけめん」と「おやじめし」と「ビール」にする。席は券売機のすぐわき、カウンターのいちばん端に座った。御主人に「麺は大盛、めしは普通盛で」とお願いする。

この間から思いついた「激辛」以上の全メニュー制覇シリーズの流れで今回は「つけめん」を選んだ。
次回に「特製らーめん」を食べて全制覇達成の予定だった。しかし、よく考えてみると今年の1月にすでに一回「特製らーめん」は食べている。だから順番にこだわらないことにし、ちょうど「今年になってから」といういい形でくくれるので、今回をもって全制覇完了ということにした。
他の人にはまったく意味のないこだわりだろうけど、やっている当人としては、張り合いがあってちょっと楽しい。それに、ふつうだとどうしてもいつも同じものを頼みがちになるので、たまにこういうことをやって見ると、めったに食べなくなってしまったメニューの美味しさをあらためて発見したりなんてこともある。

一応、制覇した「激辛」以上のメニューを振り返ってみる。
辛い方から次のようになっている。カッコ内の辛さの表示はメニューに記載のもの。

・極辛麻婆つけめん (超極辛、2月・8月限定)
・極辛麻婆らーめん (超極辛、2月・8月限定)
・特製麻婆つけめん (極辛)
・特製麻婆らーめん (極辛)
・特製つけめん (超激辛)
・特製らーめん (超激辛)
・麻婆辣麺 (激辛)
・つけめん (激辛)
・麻婆めし(激辛)
・おやじめし(辛いよ!)

「麻婆めし」は麺類ではないので当初念頭になかったが、結果的には食べていた。「おやじめし」の「辛いよ!」というのは、メニューの表示どおり。激辛ではないけどオマケとして挙げておく。

ところで、これより下のランクの辛さのメニューは、ほとんど食べたことがない。たしか「らーめん」(やや辛)を一度食べたきりだ。
やはりこのお店の旨さは辛さあってのものだと思う。だから辛くないメニューは食べる気になれない。辛さだけを弱くして味のバランスがちゃんととれるのだろうか。ちょっと疑問だ。食べた事がないのでなんとも言えないけれど。

ちなみにこのお店の辛さランキングでは、「つけめん」(激辛)の下が「味噌つけめん」(やや辛)で、さらにその下が「坊主つけめん」(ちょい辛)となっている。最近店内に貼り出された人気ランキングを見てみると、人気の第一位は、この「坊主つけめん」なのだった。そういうもんなのだなあ。

そうこうしているうちに、「つけめん」と「おやじめし」が到着。
「つけめん」を食べるのは相当久しぶり。どうしてももっと辛い方のメニューを頼んでしまうからだ。
「つけめん」の構成内容は、このお店の通常期の最上級メニューである「特製麻婆つけめん」とほぼ同じ。海苔が乗っていないだけだ。
スープの中の具材は、もやしと豚バラ肉。これに麻婆豆腐がかかり、その上に刻みネギと赤い粉末(魚粉+唐辛子?)がトッピングされている。
そして当然辛さは「特製麻婆…」よりぐっと控えめ。たぶん何分の一かになっている。しかしそれだけではなく、もしかすると具材とトッピングの量も「特製麻婆…」より少なめなのかもしれない。あるいは、単に麺を大盛で頼んだので、器が大きい分、具材が少なく見えただけかもしれないが。

見た目はつけ汁の水面が器の中でけっこう広めだ。「特製」のときはたしか水面の上にトッピングが盛り上がっていたような気がするのだが。
で、まず辛さが物足りないことはわかっているので、カウンター上のツボから唐辛子を大盛でひとすくいして投入する。そしてつけ汁に軽く混ぜる。
そこへ麺を4,5本すくって浸し、口へ運ぶ。むせるので、スルスルとはすすらない。もちもちでプリプリとした麺のアルデンテな歯応えがいい。これが何といっても、つけめん系メニューの醍醐味だ。

つけ汁は今日もやはり味噌の風味を強く感じる。で、旨い。以前はこんなに味噌を感じたっけかなあ。本来は温かいスープと麺が一体となったラーメンが好きなのだが、つけめん系のこの濃厚な味噌の風味も、けっこう病みつきになりそうだ。
しばらく麺だけを食べ続ける。だんだんすすってもむせなくなる。

一方「おやじめし」である。これは、皿にもったご飯に麻婆豆腐とそれから野菜炒めを合いがけしたものである。
麻婆豆腐だけをかけたものが前回食べた「麻婆めし」だ。その麻婆豆腐を半量にして、その代わりに野菜炒めをかけてある。野菜炒めの中身は、キャベツとニンジンとニラと豚バラだ。これで、「麻婆めし」より100円高くなるのは、ちょっとアン・リーズナブル感がなきにしもあらず。
野菜炒めは、塩ベースの何のこともない炒め物である。そうなのではあるが、しかしなぜかときたま食べたくなる。麻婆豆腐との合いがけというのがいいのだろうか。
なぜこれが「おやじめし」という名前なのかはわからない。野菜不足のおやじ世代のための野菜増量メニューという意味なのだろうか。それとも、「おやじ」を自称するここの御主人のまかないからできたのだろうか。

さて麺をすすり込み、ときどき豆腐をつつく。麺をつけ汁にひたし引き上げると、ときどきもやしや豚肉も一緒についてくる。
そして今度は「おやじめし」へ。豆腐や麻婆の餡と一緒にご飯をレンゲですくい、次は野菜炒めをのせてご飯を食べる。この野菜炒めの旨みは何でつけているのだろう。美味しい。
味が次々に変化するので、どんどん食べ続ける。勢いが止まらない。辛さは追加で投入した唐辛子の分だけ辛いといった程度。鼻水もあまり出ないし、汗もほとんどかかない。そこが、物足りないのだが。

「おやじめし」は、麻婆豆腐と野菜炒めのかかった部分だけ先に食べ終える。皿には、汚れていない白いご飯が三分の一ほど残っている。ほぼ同時にめんを完食。つけ汁をたっぷり麺に絡めるようにして食べたので、残っているつけ汁は少なめ。
今度は残った白いご飯をレンゲで少しずつすくい、残ったつけ汁にちょこっと浸しては食べる。ちょうどスープ・カレーを食べる要領だ。これがまた美味しいい。つけ汁は冷たい麺のせいですっかり冷めてしまっていたのだが、温かいご飯に触れて、また旨さと辛さが復活するのだ。そして、あっという間にご飯も完食。
最後にほんのちょっと残ったつけ汁をポットの熱いスープでわって美味しく完食した。
かなり満腹。辛さはまあまあだった。
というわけで、今日もごごちそうさま。

その日は、ひたちなかの海浜公園へ足を延ばした。
大量のスイセンと大量のチューリップを見て、またまた満腹になってしまった。