2012年1月5日木曜日

柳家喬太郎の「純情日記」

正月休みも明けてうちの奥さんも今日から出勤。「専業主夫」の私には、また淡々と家事にいそしむ静かな時間が戻ってきた。
さて今日は落語のお話。

昨日ネットの動画で柳家喬太郎の「純情日記 横浜篇」を久しぶりに聴いた。私はほぼ毎日CDで落語を聴いているが、ネットで観ることはあまりしない。昨日は正月でちょっと暇だったのだ。
喬太郎のこの映像を観るのはこれで確か三回目。飽きるどころか、またまた楽しませてもらった。2000年の真打昇進披露時の映像で、以前は(社)落語協会のホームページのアーカイブズとして公開されている。

喬太郎は現役の噺家の中で私が一番好きな噺家だ。私が言うまでもなく、たぶん世間的にも今一番人気がある噺家ではないか。柳家小三治、桂歌丸といった老大家はもちろん、立川志の輔、立川談春ら「実力派」よりもその人気はたぶん上だと思う。まあどうでもいいことだけど。

喬太郎は、舞台に登場すると。まずいきなり客の気持ちをぐっと引き寄せて掴んでしまう。あくまでひょうきんに見えるが、たぶん計算もしているのだろう。それでもそこには人を引き付けるオーラのようなものが感じられる。

そして彼のこの話の何よりの魅力は、主人公「オレ」の「純情」ぶりだ。
バイト先で好きになった女の子をドキドキしながら電話で誘って、横浜の街でデートし、山下公園で「コクる」という、書いているだけで気恥ずかしいような単純な話である。喬太郎はうまく誇張しながら「純情」男のオタオタぶりを爆笑の中に描く。しかし可笑しいだけではないのだ。好きになった女の子を前にした男は、みなこんな風に自信を無くし、卑下し、小心になってしまうものだ。老若を問わず男の客の九割くらい(?)は、そんな主人公に共感を抱くに違いない。
人間の心理に対するこの噺家の観察眼の鋭さを感じないではいられない。

それからついでに書いておくと、この話の冒頭が私は好きだ。古典落語として有名な「黄金餅」という話が始まるのだが、そこへ主人公の現代の若者言葉が割って入る。これは友人の噺家の卵が一人で落語の練習をしているところへ、主人公が勝手に入ってきて声をかける場面である。だが、その事情がわかるまでの間、江戸の言葉と現代語のせりふが交錯してじつにシュールな空間が作り出されている。
なお、今回遅まきながらなぜここで語られるのが「黄金餅」なのかということにやっと気がついた。落語ファンのみなさんならとっくに判っていたでしょうね。

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