2012年3月28日水曜日

坊主風「極辛麻婆らーめん」の自作レシピ

月に一回くらいしか訪問できないが、水戸のラーメン屋「つけ麺 坊主」は、私のお気に入りのお店である(もう何回も書いたけど)。
先月(2012年2月)この店に行ったときには、ついに「極辛麻婆らーめん」を食べることができた。前から食べたい食べたいと思っていたが、期間限定のために果たせず、私にとっての「幻のラーメン」だったのだ。
そのときの仔細は、このブログ上でも紹介しておいた。この店のメニューの中ではお値段も最高峰だが、たしかに旨さも辛さも最高峰だった。
しかし、このメニューは一年の内、2月と8月だけの超期間限定メニューなのだった。この次は8月まで食べられない。食べられないとなると、やはり食べたい気持ちがつのってくる。

そこで、以前「特製らーめん」を自作したときのように自分で作ってみようと思い立ち、いろいろ工夫してみた。以下、そんなつもりで考えたレシピを紹介してみよう。
念のために最初に言っておくと、これは「坊主」さんの「極辛麻婆らーめん」を再現したものではない(そんなことできるわけないしね)。せいぜいが「それ風」のお気軽メニューという程度のもの。本物は、8月まで待って「つけ麺 坊主」で食べてください。私もそうします。

このレシピでは、麺は自分で打っている。これは別に「坊主」の麺を再現するためではない。まあ私の趣味の問題。でもやはり「坊主」の麺のようなコシはだせない。なので生麺を買ってきてもよい。
スープのベースは、粉末とか顆粒状の各種のスープの素を調合したお手軽なもの。鶏がらを何時間も煮込むというような本格的なものではない。そういうレシピを知りたい方は、別のホーム・ページを当たってみてほしい。
なおこのラーメンは当然「激辛」だ(そもそも「極辛」を目指しているんだから)。辛い成分を減らせば、「ふつう」の味になると思うかもしれないが、これがそうはならない。
豆板醤やラー油など、辛さとその他の味が一体となった調味料を使っていることもあるし、唐辛子そのものも辛さと旨みをあわせて持っている食材なので(だから煮物に入れるわけだ)、辛さだけを取り除くことはできないのだ。多少減らし加減にすることはできるかもしれないけど。別に考えた「ふつう」のラーメンのレシピは、こちらを参照
したがって出来上がりはかなり辛い。「つけ麺 坊主」のメニューでいうと「特製らーめん」(店内辛さランキング第3位)をスープまで完食できるくらいの人以上でないと、たぶんこれも無理だと思う。

1 麺を作る

 *以下で紹介している麺は無かん水の卵麺だが、その後かん水を使ったより本格的な麺も作るようになった。興味のある方は次のページを参照されたい。「ラーメンの手打ち麺のレシピ

〔道具〕

手打ちで作るので、当然それなりの道具が必要。
私の作り方は、パスタ・マシンではなく、手で切る切り麺なので、のし板、麺棒、駒板、そば切り包丁を使っている。
私は場合、のし板と麺棒はお菓子作り用のものを流用。駒板と包丁は蕎麦打ち用のもの。こね鉢は、大きいボールで代用している。
ちなみにこの内、駒板だけは、合羽橋の専門店で買った本格的なものだ(ちょっと自慢)。

〔材料〕 

この麺は「かん水」の代わりに卵を使う卵麺だ。だからいわゆるラーメンの麺とはちょっと違うが、それなりの美味しさがある。
いろいろやってみたが、一応落ち着いたのが次の配合。味よりも作りやすさ優先でこうなった感じ。

<一人前 出来上がり生緬150g>

・強力粉 50g
・薄力粉 50g
・塩 2~3gくらい
・卵 M1個

*強力粉は、私の場合パン作り用のものを手元に常備しているのでそれを使っている。
*強力粉と薄力粉は、あわせて中力粉に置き換えてもよいが、中力粉がうちの近所ではやや手に入りにくいので。

〔手順1 生地を作る〕

① 大きいボールに材料を全部入れる。
② スプーンで混ぜ合わせる。
ボールの表面にこびりつくのでスプーンではがしながら混ぜる。
③ ある程度混ざったら今度は手でこねる。
湿っている部分と粉のままの部分ができるので、指で混ぜ合わせたり、押し付けたりして一つの塊にまとめる。
④ まとまったらボールの底で手のひらを使い平らに延ばす。
それを二つに折り、また平らに延ばす。これを2,3分繰り返す。
*かなり少量なので、卵の大きさの違いにより日によって硬かったり柔らかかったりの差が大きい。が、まああまり気にしないことにしている。それなりにちゃんと出来上がるので。
⑤ 最後に一つにまとめて、乾かないようにビニールの袋に入れる。このまま2~3時間おいておく。
*熟成のためとのこと。しばらくおいておくと、水分が全体にまわって滑らかな感じになる。

〔手順2 麺を切る〕

⑥ 片栗粉を打ち粉にして、のし板と麺棒で生地を薄く延ばす。
ある程度平らになったら、麺棒に巻きつけて転がし、さらに延ばす。固めのときはかなり大変だが、慣れれば何とかできるようになる。
生地がだいたい30センチ四方になれば、厚みも2ミリ以下になり終了。
⑦ 生地を二つに折る。間に打ち粉をたっぷり振りかける。それをまな板に移し、さらに上から打ち粉を振る。
⑧ 駒板を当て、蕎麦切り庖丁でできるだけ細く切っていく。
*私は慣れてきたので、けっこう細く切れるようになった。それでも、茹でるとまだ太麺だ。
⑨ 切り終わったら切断面に粉がまわるように手でよくほぐす。
生地が柔らかいと切断面がまたくっついてしまうので、ていねいにほぐす必要がある。切る前に打ち粉を振るのは、これがくっつかないようにするため。
こうしてほぐす過程で、おのずと麺は縮れ麺になる。

2 スープを作る

〔材料〕

私の場合、スープのベースには、a)鶏ガラスープ、b)豚骨白湯スープ、c味覇(ウェイパー)を使う場合の3パターンがあるのだが、ここではとりあえず鶏ガラスープの場合について書いておく。
一応ダブル・スープなので、これに和風だしを加えている。
本物の「坊主」のスープは、鶏ガラに野菜と、煮干のような魚介系のだしを少し加えて長時間煮込んでいるらしい(たぶん)。

<一人前 出来上がり500cc>

・水 500cc
・和風だしの素(いりこだしの素、昆布だしの素、かつおだしの素を自分でミックス) 小さじ 1弱
・ニンニク 1/2
・鷹の爪 1/2
・豆板醤 大さじ 1/2~1
・鶏ガラスープ(顆粒) 大さじ 1
・豚骨白湯スープ(顆粒) 小さじ 1
・唐辛子粉 韓国産   大さじ 1
       国産一味 大さじ 1
       国産七味 大さじ 1
<具材>
・野菜(もやし、キャベツ、白菜など) 合計200グラム
・麻婆豆腐(市販の麻婆豆腐の素で作ったものの1/3量に自分で豆板醤を増量)
<トッピング>
・ラード 大さじ 1
・ラー油(ゴマ油ベース) 大さじ 1
・魚粉 大さじ 1/2
・山椒の粉 10振り
・海苔 あれば適量

*唐辛子は、国産のものだけだと辛さがストレート過ぎてしまう。韓国産は旨みと甘みがあって豊かな辛さがあるが、これだけにすると辛さが物足りない。そのためミックスして使っている。
*魚粉は、原料を粉末にした市販の和風だしの素。
私の使っているのは、鰹、宗田鰹、鯖、鰯の粉末をミックスし紙パックにいれたもの。本来はティー・バックのように使うものだが、袋から出して使っている。

〔手順〕

 ① 水500ccに、鷹の爪とニンニクと豆板醤を入れて煮立てる。
② 煮立ったら和風だしの素、各種スープの素を加える。
スープの素は風味がとぶのであまり煮すぎない。
 ③ ひと煮立ちしたら、野菜と唐辛子粉を同時に入れて、1~2分煮れば出来上がり。煮すぎない方が歯ごたえがあって美味しい。
*白菜の芯など固めの部分がある場合は、それだけ先に入れておく。

3 麺を茹でて盛り付ける

〔手順〕

① 上のスープ作りと並行して麻婆豆腐を小なべて温めておく。
② 上のスープ作りと並行して鍋に麺を茹でるためのお湯(1500cc以上)を沸かしておく。
③ スープの出来上がりを見計らって麺を湯に投入する。
④ 茹で時間は2分半から3分。
⑤ 茹で上がりを見計らって、丼に湯をはり温めておく。温まったら湯を捨て、丼にラードとラー油を先に入れておく。
ラードが溶け、ラー油はさらさらになって、スープと混ざりやすくなる。
⑥ 茹で上がった麺をザルにあけ手早く湯きりをして丼に入れる。
 ⑦ 麺の上にスープと野菜をかけ入れる。
*スープを雪平鍋でつくるとかけやすい。
 ⑧ その上に麻婆豆腐をかける。
 ⑨ 最後に魚粉と山椒を振って出来上がり。

4 おまけ

さてこれで出来上がったたわけだ。激辛のラーメンと麻婆豆腐という取り合わせはほんとに絶妙。
私の場合、これとライスがセットになる。私にとってライスは、ラーメンの一部と言ってもいい。
ラードなどを加えているので、スープを飲んだ後、ライスを一口食べると口の中がさっぱりする。もちろんご飯もおいしい。
また、ラーメンのトッピングとして海苔があるときは、しばらくスープに浸しておいた後、これをライスの上にのせて食べる。たっぷりスープの旨みを吸ってぐだぐだになった海苔は、ご飯と一緒に食べるとまた格別な旨さだ。
こうして作る自家製「極辛麻婆らーめん」に、自分としては十分に満足している。でもそれはそれとして、やっぱり本家「つけ麺 坊主」の本物を食べたい。早く8月になってくれ。

2012年3月26日月曜日

展覧会「抽象と形態」(川村記念美術館)を観る

久しぶりに美術館に行って展覧会を観てきた。
観たのは千葉県佐倉市の川村記念美術館で開かれている「抽象と形態」展。作家によるギャラリー・トークがあるという3月25日に行ってみた。

川村記念美術館は、佐倉市の郊外に位置している。辺鄙な片田舎の細い道を行くと、忽然と姿を現すというロケーションにまずびっくり。
この美術館は豊かな自然に囲まれた環境も素晴らしく、建物も立派。「美術館に出かけてみよう」というときに抱く期待感を、建物に入る前にもう十分に満足させてくれる。
私は今回が2回目の訪問。

開かれている展覧会は「抽象と形態:何処までも顕れないもの」。このタイトル、いろいろ企画者の思いがこもっているのだろうけど、あまりにも大まか過ぎて、何も言っていないのと同じなのでは。それにキャッチーでもないしね。
内容は7人の現代作家の作品展。この7人の作家の作品とあわせて、モネ、ピカソ、ブラック、ヴォルス、モランディ、サム・フランシスなどなど、「20世紀美術に多大な影響を与えた芸術家」の作品を展示し、両者を対比させて共通するものを示すというのが「ミソ」というか見所らしい。
しかしモネ、ピカソらのそれぞれの作品がいずれも1,2点で、それも小品(所蔵品からという制約もあったのだろうが)では「対比」がちょっと中途半端。いっそ、そんな小細工はやめて7人の現代作家の展覧会としたほうが、よっぽどすっきりしたのでは?よい作家がそろっているのだし……。

ギャラリー・トークの時間になると、たくさんの人が集まってきたのでちょっと驚く。
私は元来、アーティスト自身のトークにはそれほど期待していない。さらに言えば、作家の言葉を聞いて作品の理解の参考にしようとするのは基本的に間違っていると思っている。観客は作品と向き合うことによってしか作品を理解できないのだから。
だいたい作家が自分の作品を客観的な意味で理解しているとはかぎらないし、そもそも自分が描くということについて理路整然と説明できるものでもないだろう。
作家のトークというのは、作品理解とは切り離して、その作家の人となり、考え方について知る機会なのだと思う。
だから作家の皆さんには、自分の作品の「解説」(今回もけっこうあったけど)よりも、むしろ自分の技法と制作している場での思いを語ってほしい。

その点で作品もよかったけど野沢二郎氏の話は、具体的で面白かった。
スキージを使い肉体的、感覚的な作業の結果として画面が出来上がると話していたが、それでは「水面」のイメージというのは、どのようにそこに現れてくるのか、質問が許されるのなら尋ねてみたかった。
赤塚祐二氏の作品は、旧作(カナリア・シリーズ)3点の方が造形的なダイナミズムが圧倒的で私は好きだ。
彼の話では、描くにあたって「自分が面白いと感じることが大事」という言葉に作家としてのリアルな実感が感じられてよかった。
吉川民仁氏の展示は、最初、同じ人が描いたとは思えないくらい作風がまちまち。このセレクションでは作者は損をしていると思う。力がある人なのだから近作一本で勝負した方がすっきりしてよかったのでは?
トークはちょっと難しかった。

 今回の展覧会は、作家のセレクションもよく考えられていて、なかなかよい展覧会だと思った。
常設展示では、ルイス、ロスコ、ニューマン、ステラなどアメリカ現代美術のコレクションがやはり充実していて見ごたえがあった。

2012年3月24日土曜日

ジョアン・ジルベルトのサード・アルバムを聴いた

 またまた久しぶりにCDを買った。最近やっとCD化されたジョアン・ジルベルトのサード・アルバムだ。
CDを買うのは、じつに久しぶり。以前ここで紹介したエマーソン・レイク&パーマーのライヴに続いて今年になってから2枚目だ。
「隠居」する前は、たまに東京に行くとユニオンとタワ・レコをまわって、毎回10枚くらいは買っていたのだが……。しかし、吟味してじっくり聴くのも楽しいものだよ。

ジョアン・ジルベルトは、ブラジルの歌手、ギタリストで、言うまでもなくボサ・ノヴァの創始者。そのジョアンの初期のオデオン・レコード時代のアルバムが、ここ何年か順番にCD化されている。リマスターで高音質は当然として、さらにボーナス・トラックがてんこ盛り(正直ちょっとわずらわしいくらい)の仕様だ。
ファースト・アルバム『想いあふれて』とセカンド『愛と微笑みと花』がこれまですでに発売されているが、この度サード・アルバムの『ジョアン・ジルベルト』がついに発売された。これでめでたく「初期3部作」と呼ばれている名盤3枚が出そろったことになる。
この3作をまとめた内容の『ジョアン・ジルベルトの伝説』が以前出ていた(現在は廃盤)。これも一応持ってはいるのだが、やっぱり本来の形がいいよね。
今回CD化された3枚目『ジョアン・ジルベルト』のLP発売は1961年。なんと今から50年も前のアルバムだ(もしかして50周年記念のCD化なのかな?)。しかし、これは驚くべきことだけど、まったく古臭さを感じさせない。超コンテンポラリー・ミュージックだ。
いくつか有名曲も入っているが、中でも「Saudade da Bahia(バイーアの郷愁)」や「Insensatez (お馬鹿さん)」などはやっぱり心を打つ名曲。ジョアンの本来の魅力を満喫できる名盤だと思う。

たしか1990年代に何度目かのブラジル・ブームがあった。
ボサ・ノヴァの旧譜がたくさん復刻されて、それをきっかけに私もずいぶん聴きあさったものだ。
ボサ・ノヴァからサンバ、MPB(ブラジリアン・ポピュラー・ミュージック)へと、わくわくしながら興味はどんどん広がっていった。ブラジルのポピュラー音楽はじつに奥が深い。カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、ジョイスからマリーザ・モンチまで、いいアーティストがたくさんいる。それぞれに好きなのだが、やっぱり最後はいつもジョアン・ジルベルトに還ってくることになる。

余談だけど、ちょうどブラジル音楽をさかんに聴いていた頃、水戸にブラジル料理の店があって、そこでブラジルの肉料理<シェラスコ>を食べたことがある。これは長い串に刺して焼いたいろいろな肉(牛が中心で豚、鶏もあり)の塊を、順にウェイターが串ごと客席にもってきて目の前で削ぎ切りにして取り分けてくれるという料理だ。
次から次へと串刺しの肉が運ばれてくる。ストップしない限り、料理は終わらない。どれもこれもいかにも旨そうなので、ついつい食べ過ぎてしまうことになる。結局死ぬほど満腹になって遠いブラジルを体感したのだった。

ジョアン・ジルベルトのアルバムは一応だいたい持っている。まあ寡作の人だから、そんなにたいした枚数ではない(でもこの内の何枚かは、ジョアン・ファンの知人Nさんが譲ってくれたものだ。Nさんどうもありがとう)。それらの中で最高傑作はやっぱり世評のとおり初期の3作だろう。
その後、年を経るにつれてジョアンのヴォーカルは、だんだんとぼそぼそとめりはりがなくなっていく感じがある。これは歳を重ねたことによる「味」というより、私にはどうしても「衰え」としか聴こえない。
たとえば、2000年のアルバム『ジョアン 声とギター』で、デヴュー曲の「シェガ・ジ・サウダージ(想いあふれて)」をセルフ・カヴァーしている。これを40年前のオリジナルのヴァージョン(ファースト・アルバム収録)と比べてみると、もう圧倒的にオリジナル版の輝きが違う。
「初期3部作」で聴ける若いジョアンの歌と演奏は、みずみずしくはつらつとしている。ボサ・ノヴァに特有のつぶやくような歌い方ではあるが、めりはりが効いていて、何より声にはりとつやがあってきらきらと輝いている。
ここで念のために言っておくと、ボサ・ノヴァの特徴のように誤解されているアストラッド・ジルベルト(ジョアンの元の妻)のような不安定な歌い方は、ジョアンにはまったくない。アストラッドは素人なのだから問題外だ。

1959年から61年にかけて3部作を吹き込んだ後、ジョアンはブラジルを離れアメリカに渡った。アメリカでは63年に例の大ヒット作『ゲッツ/ジルベルト』を吹き込むことになる。もうこの時点で、ジョアンの歌はブラジル時代とは微妙に変化している。
もっともこのアルバムには、そもそもミス・マッチ感がある。クール・サウンドが定評のスタン・ゲッツのサックスは、ジョアンやアントニオ・カルロス・ジョビンによるさらにクールなボサ・ノヴァ・タッチの前では、何だかひどく大仰でウェットに響いてしまうのだ。ジョアンもこのとき、「ゲッツはボサ・ノヴァをわかっていない」と言ったとか。

この後70年に発表した『彼女はカリオカ』とか73年の『三月の水』(いいアルバムだ)あたりからは、本来のボサ・ノヴァから離れていく。
ボサ・ノヴァの創始者であるジョアンは、自身ではまったくそのことにこだわらない。ボサ・ノヴァ以前の古い曲から、同時代の若いミュージシャンの曲まで取り上げて、心の赴くままに歌い続けている。しかもなお彼の歌の世界は、ワン・アンド・オンリーなものである。ジョアン・ジルベルトは、まるでブラジルのボブ・ディランだ。

それでもなお彼の「初期三部作」は特別の意味を持つ。それが、やがてボサ・ノヴァから離れていくジョアンにとっての純粋ボサ・ノヴァ・アルバムだからではない。そうではなくて彼の全キャリア(今も続いているわけではあるが)の中でも、彼の歌と演奏がもっとも輝いているアルバムだからである。

2012年3月22日木曜日

「つけ麺 坊主」訪問 観梅編

またまた一ヶ月ぶりの「つけ麺 坊主」訪問。
前回は2月の末だった。本当はその間に一度訪ねたことがあったのだ。しかもその日は昼過ぎにわざわざ店の前まで行って開店していることを確認しておいたのだった。その後、用件を済ませ、夕方いよいよ店に突撃してみたら、なんと「本日の営業は終了」とのこと。ありゃあ、スープ切れか、ついてないなあ。そういえば以前にもそんなことがあったっけな。

今日は行ってみたら無事開店していた(不定休だから休業の可能性があった)。平日、11時開店の5分後に入店。先客3人、母と子供2人の家族連れ。
入り口の自動ドアはなぜか開放したまま。春めいているとはいえ、ちょっと涼しい。しかし、食べ始めるとこれでちょうどよくなるはず。

自動ドアで思い出すのは、おととしの夏、私が「坊主」に通い始めた頃のことだ。あの夏はとくに暑かった。しかしこの店は、ドアを完全オープン、当然エアコンはなし。店主のこだわりなのか、別の事情からなのか。とにかくこの状態で、激辛を食べるわけだ。サウナで熱いものを食べるのと同じ。もうめちゃくちゃの汗まみれになる。エアコン嫌いの私には、これがすっきりしてこの上なく気持ちいいのだ。すっかり病みつきになって、連日のように通い始めたというわけだ。

先月食べた「極辛麻婆らーめん」か、もしくはその兄弟分の「極辛麻婆つけめん」があればいいなと思っていたのだが、期間限定のためやっぱりだめ。店内の貼紙をあらためてよくよく見てみると、販売しているのは2月と8月だけという限定だった。8月まで待つしかないか。
というわけでいつものように「特製らーめん」(辛さ順位3位)にした。そして、いつものように「白めし」と「ビール」も。めしと麺の量は「ふつう」でお願いする。

順番待ちなしですぐに作り始めてもらったので、あっという間にカウンター上に「特製らーめん」登場。前回は別のものを頼んだので、お久しぶり。相変わらずいい「顔」をしている。
まずレンゲで10回くらいすくってスープを味わう。そして「白めし」を口へ運ぶ。今日はとくに表面の脂が美味しい。甘くて旨くてそれほどしつこくなくて、もちろん臭みもない。
家で作るときは(何度も書いているけど家で作る私のラーメンは、「坊主」インスパイアなのだ)、チューブで売っているラードを入れている。しかし、どうしてもこういう旨みはでない。まあ当然だけど。

そして具にいく。もやしのシャキシャキ感が程よい。豚バラも意外に多くてうれしい。
いよいよ次に麺だ。家で作っているラーメンは、最近は麺も自分で打っている。自分ではそれなりに満足しているが、しかし、久しぶりに食べるプロの麺はやっぱり美味しい。「坊主」の麺はどこの製麺所かは不明。中太のストレート麺で、コシがけっこうあって私の好みのタイプ。
店内に麺の量の表示があって、普通盛りが350グラム、大盛りが450グラムとなっている。ちなみに大盛りにしても普通盛りと値段は変わらない。ネット上のこの店のレヴューを見ていると、実際の麺の量は、この表示より少ないんじゃないかと書いている人が何人かいた。
じつは私も最初同じことを感じたのだが、自分で麺を打ってみて納得した。これは茹で上がった状態の重さなのだ。生緬は、茹でるとだいたい1.5倍くらいに重量が増える。だkら、普通盛りの350グラムは、生緬では約230グラムということになる。
麺1玉がだいたい150グラムとすると、普通盛りは1.5玉分なのだろう。大盛りは、生緬でちょうど2玉分ということになる。

さて今回は「極辛」を食べるつもりで勢いがついているので、ここでカウンターの壷の唐辛子をスプーン山盛り1杯分すくって丼に投入。これでかなりいい感じ(?)になった。
いつものように①麺、②具、③スープ、④めしをぐるぐる巡り、この回転数がだんだん上がってくる。その合間で、汗をぬぐい、鼻水をかみ、かなり忙しい。
だいたい20分くらいで完食。もちろんスープも「完飲」。至福の時間だった。また来ます

その後、覚悟を決めて花粉の中へ。腹ごなしに歩いて千波湖に向かう。湖畔を通り抜け、偕楽園に行って梅を観てきた。梅の花は七、八分咲きといったところか。人出はまあまあ。でもシーズンでこれでは、やっぱり少ないかも。

2012年3月17日土曜日

ボブ・ディランのアルバム5選

いよいよ最後の大ネタ、ボブ・ディランのアルバム5選である。

高校生の頃、ずいぶんディランを聴いた。1970年代の初め頃だから後追いである。さかのぼってフォーク・ロック期からカントリー・ロック期、そして、『セルフ・ポートレイト』とか『ディラン』とか『パット・ギャレット……』とかの「わけのわからん」期までをも聴いていた。
さらに厚い『ボブ・ディラン全詩集』も買って一生懸命に読んだものだ。ディランの詩は難しくてよく分らなかったけど。

映画『ドント・ルック・バック』の画面に登場するサングラスをかけ、タバコを吸いまくる若いディランの姿にはしびれた。異様にギラギラしていて、オーラを放出し続けていた。その容姿はまさに「ロック」だった。
けれど、その後のフォーク・ロック期のディランのサウンドは、全然ロックじゃなかった。レッド・ツェッペリンやディープパープルを聴いていた耳にはロックとは聴こえなかったのだ。

しかしロック少年はディランの存在自体に引き付けられたのだと思う。あのとっつきにくいしゃがれ声、語尾を引きずるようにして歌うクセのあるヴォーカル、そしていくつかの曲での平坦なメロディー。これのどこがいいのか説明するのは難しい。しかしハマると抗しがたい魅力があって、ヤミつきになってしまう。

そして1970年代の<復活>からは、リアル・タイムで注目し、アルバムが出るたびに繰り返し聴いた。そして、ついには1978年の武道館公演で、ディランの姿を目の当たりにしたのだった。
しかし、ディランはこの頃からまた曲がり角を曲がり、長い低迷期に入ってしまう。今の彼は私からずいぶん遠いところに行ってしまった。評判の高い近作も一応聴いてみたが、私の心を動かすものではなかった。

以下今回もかなり極私的なアルバム5選である。その前に、世間的な評価はたぶんこうなんだろうなというベスト5を挙げておく(余計なお世話だろうけど)。

<一般的にはたぶんこうだろうと想定されるベスト5>

・『時代は変わる』
・『追憶のハイウェイ61』
・『ブロンド・オン・ブロンド』
・『血の轍』
・『モダン・タイムズ』(?)
*順位なし。発表年代順。

<私の選ぶボブ・ディランのアルバム極私的5選>

第1位 『ブラッド・オン・ザ・トラックス(血の轍)』
第2位 『プラネット・ウェイヴズ』
第3位 『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』
第4位 『ハード・レイン(激しい雨)』
第5位 『ボブ・ディラン』
<次点> 『ボブ・ディランズ・グレーテスト・ヒッツ Vol.Ⅱ』
<次点の次点>『ニュー・モーニング(新しい夜明け)』

<アルバム5選の概要>

第1位を除いて、比較的マイナーなアルバムが並んでしまった。べつに奇をてらったわけでも、へそ曲がりだからでも、判官びいきだからでもない。私が素直に好きだと言えるアルバムだ。
なお1978年の『ストリート・リーガル』以降のアルバムは、世評の高い近作も含めて私はまったく評価していないので、当然ここにも出てこない。

<各アルバムについてのコメント>

第1位 『ブラッド・オン・ザ・トラックス(血の轍)』

誰もが認めるディランの最高傑作。私も何も言うことはない。
1974年の<復活>から始まる70年代中期のディランは、アルバム製作やライヴ活動に精力的に取り組んで、気力の充実していた時期だ。音楽的にみてもこの頃がディランの第二のピークだったと思う。その頂点で作られたのが、このアルバムというわけだ。
 
音がすっきりとクリアーで、リアルにディランの声が迫ってくるアルバムだ。
この頃のディランは、私生活の上では妻のサラとの別れがあり、つらい時期だったらしい。その事を歌った曲も収められている。しかし、ここで聴けるディランの声は明確で確信に満ちていて、しかも深い。

第2位 『プラネット・ウェイヴズ』

発売されたときは待望のザ・バンドとの初共演盤ということで話題になった。ところが、現在では人気も評価もなぜかかなり低い悲しいアルバム。だが私は大好きな一枚だ。名盤だと思う。

このアルバムには落ち着いたいい曲がそろっている。
とりわけ「ゴーイング・ゴーイング・ゴーン」、「フォーエヴァー・ヤング」(A面のヴァージョン)、「ダージ(悲しみの歌)」などの翳りを帯びた切々としたディランの歌声は、しみじみと胸に迫ってくる。それまでのディランの歌には感じられなかったものだ。

ザ・バンドは、「共演者」というよりはやはりバック・バンド。でも、『ブラッド・オン・ザ・トラックス』なんかよりは、歌と演奏に一体感がある。
ザ・バンドの演奏は、一曲目の「オン・ザ・ナイト・ライク・ディス(こんな夜に)」(アコーディオンがじつにいい味)に典型的にうかがわれるように、タイトではないが独特のノリと、ふくらみと味わいのある音で、それなりに彼らの個性を発揮している。

第3位 『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』

フォーク・ロックのスタイルが確立したとされる『追憶のハイウェイ61』のひとつ前に発表され、過渡期のアルバムと言われているが、私は全然そうは思わない。電化された伴奏の曲とそうでない曲とが混在しているが、そんなスタイルを超えて、ディランのヴォーカルはどれもロックだ。

ロックに革命をもたらしたと言われる名盤ではあるが、音の構造はいわゆるロックではない。歌の伴奏に電気楽器を使ったというだけのこと。バンドのサウンドが一体となってリフを決めたりしないし、ギターが前面に出てソロをとるということもない。
むしろディランのヴォーカルが何よりロックなのだ。迷いのない自信に満ちたヴォーカルは、圧倒的なビート感を持っている。
ザ・バーズがカヴァーしてフォーク・ロックのはしりといわれる「ミスター・タンブリンマン」のオリジナル・ヴァージョンが、このアルバムに収録されている。伴奏は、アコースティックなフォーク・スタイルだが、むしろこちらの方がザ・バーズの演奏よりもよっぽどロックを感じる。

第4位 『ハード・レイン(激しい雨)』

1975年から76年にかけて行われた米国ツアー<ローリング・サンダー・レヴュー>のライヴ録音。このツアーの録音は、その後<ブートレッグ・シリーズVol.>として、拡大版が出たために先発のこの『ハード・レイン』の方は、存在価値が薄いと思われあまり顧みられなくなってしまったようだ。

<ローリング・サンダー・レヴュー>は、ディランを中心にたくさんの出演者が入れ替わり立ち代り出てくるというトータルで4時間にも及ぶショウだったという。だからこのアルバムに、そのショウのダイジェストを求めるのはそもそも無理がある。これは独自のアルバムとして聴くべきだ。
すなわちこれは1970年代のディラン充実期のエレクトリック・サウンドがコンパクトに聴けるという意味で意義のあるアルバムなのだ。ラフでかつワイルドな勢いのある歌と演奏が詰まっている。

古い曲、たとえば「ワン・トゥー・メニー・モーニング」や「アイ・スリュウ・イット・オール・アウェイ」などが印象深い名曲としてよみがえっている。また、近作の「オー・シスター」は『ディザイア(欲望)』のオリジナル・テイクよりもずっとよい。

第5位 『ボブ・ディラン』

記念すべきディランのファースト・アルバム。だが、全13曲中ディランのオリジナルは2曲のみで、残り11曲は他人の曲。ということもあるのだろう、非常に軽視されているアルバムだ。
しかし、みんなは誤解している。このアルバムは、2枚目以降のディランの世界とはまったく別の特別の輝き持った名盤なのだ。

ここでのディランの声はすでにロックしている。「フィキシン・トゥー・ダイ」や「ハイウェイ51」や「ゴスペル・プラウ」といった曲を聴けば、すぐにその意味が理解されるはず。力強い声、勢いのある歌い方。ロック的なビート感で、ディランはパワフルに唸り、シャウトしている。
じわじわと熱っぽく迫るラスト・ナンバー「シー・ザット・マイ・グレイヴ・ケプト・クリーン」もよい。ディランのヴォーカルの力はすごい。

ちょっとふっくら顔のあんちゃんみたいなアルバム・ジャケットに、けっしてだまされてはいけない。

<次点> 『ボブ・ディランズ・グレーテスト・ヒッツ Vol.Ⅱ』

1971年発売のベスト・アルバム。名前に反してシングル・ヒットはあんまり入っていない渋い内容。
まず活動時期を縦横無尽に行き来してピック・アップした選曲がシュール。シリアスなフォーク期、アグレッシブなフォーク・ロック期、マイルドでスイートなカントリー期の歌が並んでいる。そして、それらの曲の意味がありそうでたぶんない配列もシュール。この曲順はやっぱりランダムでしょ?だけど、まあどんな風に並べてもディランの魅力はちゃんと伝わってくる。もしかすると、そこがねらいなのかも。

それよりも何よりも、全21曲中6曲の初収録曲がどれもよい。レオン・ラッセルとの「ワッチ・ザ・リヴァー・フロー(川の流れを見つめて)」と「…マスター・ピース」、初期のライヴ「明日は遠く」、ハッピー・トラウムとの「アイシャルビー・リリースト」他2曲など、どれも味わい深い。
ワイト島でのザ・バンドを従えてのライヴ「マイティ・クイン」も好きな演奏なので入っていてうれしい(『セルフ・ポートレイト』に収録されているけど)。
これらが主に入っているLPのD面はよく聴いた。

<次点の次点>『ニュー・モーニング(新しい夜明け)』

 これも『プラネット・ウェイヴズ』同様に、出たときは絶賛されたのに、今はまったく顧みられることがなくなってしまったアルバム。でも、なかなか充実したよいアルバムだと思う。少なくとも『ディザイア(欲望)』よりは、いいと思うよ。

2012年3月13日火曜日

坂本龍一のアルバム5選

私のブログ名のしっぽにつけている「BTTB」は、坂本龍一のアルバム『BTTB』のタイトルを引用したものである。「BTTB」とは、バック・トゥー・ザ・ベイシック(Back To The Basic) の略で、「原点回帰」という意味である。
私も「隠居」の身となったので、あらためてまた一からやり直したいという思いを込めて、この言葉をブログ名につけた次第だ
じつは「BTTB」には、個人的にもうひとつ別の意味も掛けてあるのだが、そっちの方は内緒。

ちなみに私は坂本のアルバム『BTTB』は持っていない。マキシ・シングル『ウラBTTB』の方は持っているけど。そこで、今回はアルバム・タイトルを拝借させていただいたお礼(無断だけど)ということで、坂本龍一に敬意を表しつつ、彼のアルバムのベスト5を選んでみた。

私は坂本龍一のあまり良いファンではない。しかし、坂本がサブカルのヒーローだった80年代、彼はやはりずっと気になる存在ではあった。
しかし、当時から感じていたことだが、彼のアルバムはどれも詰めが甘い。部分的に(場合によるとアルバム丸ごとが)中途半端なところがあって、どのアルバムもバランスが悪いのだった。

坂本龍一という人は、自己顕示欲が旺盛なのではないかと思われる。何かコンプレックスがあるのかもしれない。言動もそうだし、自分の顔をアルバムのジャケットにしたりすることからもそんな感じがする。平たく言えばカッコツケ、エエカッコシイである。
そういう人は自分を突き放せない。自己顕示に振り回されて本当の自分が見えなくなってしまう。そのためにアルバムをプロデュースする際にも、客観的に見ることが出来なくなって足をすくわれてしまうのではないか。うがちすぎかな。セルフ・プロデュースには向いていない人なのだ。
だから、どんなにプロデュース能力に優れているにせよ、自分のアルバムのプロデュースは他人にまかせればよいのだ。実際、他者から与えられた制約の中で、この人はフルに能力を発揮しているように見える。

以下今回はとりわけ極私的なアルバム5選である。

<坂本龍一のアルバム5選>

第1位 『エスペラント』
第2位 『テクノデリック』(YMO)
第3位 『B- UNIT
第4位 『Coda』
第5位 『ジ・エンド・オブ・エイジア』(坂本龍一+ダンスリー)
<次点> 『未来派野郎』のB面

<アルバム5選の概要>

結果的に「ふつう」のソロ・アルバムは、あんまり入らなかった。そういうのではなくて、依頼を受けてとか、コラボとか他者からの制約を受けながら作ったアルバムが中心になった。
私は坂本の「あまりよいファンではない」とさっき書いたばかりだけれど、『左腕の夢』も『音楽図鑑』も挙げず、さらに80年代中期以降のアルバムについては一顧だにしないでおいて、こういうセレクションをするということは、ようするに私が世間で言うような坂本ファンではないということなのかもしれない。
でも、この5枚と1/2で聴ける坂本龍一は、間違いなくいいよ。

<各アルバムについてのコメント>

第1位 『エスペラント』

坂本龍一のアルバムの中で、もっとも現代音楽寄りの作品。全編にわたり、非ポップで、アヴァンギャルドな音が響き続ける。坂本の研ぎ澄まされた美意識が全面展開された傑作だ。
これは依頼を受け前衛舞踏のための音楽として作られたものという。特殊な限定の中で、よけいなことは考えず、ひたすら鋭角的な音の世界を作っていったことがよい結果となったのだと思う。
硬質な音による隙間の多いミニマルな音世界は、一見クールだが、ケチャやガムランなど東南アジアのエスニック・ミュージックをなぞっているような部分もある。そういうところは、『テクノデリック』(YMO)や『戦場のメリー・クリスマス』のサウンド・トラックとも類似している。そうした、エスノ的熱っぽさをはらんでいるために、機械的な冷たさはない。

第2位 『テクノデリック』(YMO)

 これまでになくダークな1曲目「ピュア・ジャム」からどんどん引き込まれていく。次の「ノイエ・タンツ」以降のサンプリング音によるリズム・トラックにびっくり。それはいまだかつて聴いたことのない音だった。とくに坂本の「京城音楽」におけるサンプリングした人の声によるパーカッシブなビートはクールで見事だ。
 ただし例によってユーモアを半端なまま放り出してしまった「体操」みたいなダメ曲もある。

YMOの音楽は、BGMとして好きだ。が、私にとってはそれ以上のものではない。ただし、アルバム『BGM』と『テクノデリック』だけは別。私はYMOのファンではないが、この2枚のアルバムのファンではある。
この2枚を評価するのは私だけではないようだ。中村とうようも『ミュージック・マガジン』誌上で、次のように語っていたのが印象に残っている。「今回のアルバム(『テクノデリック』)は音楽的にはこれまでで最高、売り上げは最低になるだろう」。たぶんその通りの売り上げだったのではないか、ミーハーにこびなかったから。

YMOというのは、非常に胡散臭いバンドというのが私の印象だ。もしかすると胡散臭いのはバンドそのものではなくて、その「売り方」ということかもしれないが。だが「フェイク」を気取っていたこのバンド、じつは冗談抜きの本当の「フェイク」(いんちき)だったのではないかという気もする。ファッションや、能書きも含めてね。
初期のワールド・ツアーなんかかなりアヤシイ。ロンドンで2回、パリで1回、ニューヨーク周辺で5回、ライブ・ハウスみたいなところで演奏したとのこと。これで「ツアー」?要するに日本国内で売るための話題作りでしょ。

しかし、細野も坂本も根はマジメな人たちだったのだと思う(高橋については知らない)。大衆路線にがまんできず、ついシリアスにミュージシャン・シップを発揮してしまったのが、『BGM』と『テクノデリック』だったのだろう。
このあと次作『浮気な僕ら』で、すぐにまた売れ線に復帰してしまったのは残念だった。

第3位 『B- UNIT

 やる気満々の攻撃的アヴァン・サウンド。全体に当時のパンク/ニュー・ウェイブ、とりわけダブやインダストリアルの影響が濃厚だが、煮え切らない面もある。坂本の叙情性がたぶん邪魔するのだ。
1曲目「Differencia」の痙攣的なビートと7曲目「Not The 6 O'clock News」のラジオのサンプリング音を切り刻んだ変態的音響がたまらない。
この時の坂本は今いずこ……。

第4位 『Coda』

これは『戦場のメリー・クリスマス~オリジナル・サウンド・トラック』の曲を、曲順をそのままにソロ・ピアノ版にアレンジして演奏したアルバムである。

大島渚の映画『戦場のメリー・クリスマス』は、何とも変な映画だった。ストーリーのバランスがまず悪い。坂本はサウンド・トラックばかりではなく、出演もしているのだが、当然、演技は素人で台詞も棒読みに近い。「怪演」とか「存在感がある」とまでもいかないレベルの演技なのだが、そこを逆手に取った大島監督の演出によって、変に印象に残るキャラクターにはなっていた。
このほか、デヴィッド・ボウイとか北野武とか、癖のある人たちが出ているのだが、その起用がそんなに効果的とも思われないキャスティングだった。
 ただ、映画館に鳴り響く冒頭のテーマ曲「メリー・クリスマス ミスター・ローレンス」は素晴らしく印象的だった。

 オリジナルのサウンド・トラック盤は、曲がどうしてもそれぞれの場面と一体になっている。それに比べて、『Coda』ではより純粋に坂本の音楽の魅力に触れることができる。

第5位 『ジ・エンド・オブ・エイジア』(坂本龍一+ダンスリー)

ダンスリーは西洋中世音楽を演奏するグループ。このアルバムも全体を中世音楽的なおだやかなテイストで満たされている。坂本は、プロデュースと楽曲提供(12曲中の5曲)と一部の演奏に参加という形で関わっている。
この音楽の「成分内訳」の内、坂本の音楽がどのくらいの割合を占めるのかは、正直言ってよくわからない。
 だがここで聴ける音楽は心地よい。坂本のソロ作品中のライトでbGM的な曲に通じる感じもある。しかしこちらは坂本の作品に常に漂うけれん味がなくてすっきりしている。そしてすなおに彼の持ち味が引き出されているような感じがある。

<次点> 『未来派野郎』のB面

LPのB面、CDの5曲目以降がいい。イタリアの20世紀初頭の美術運動「未来派」をテーマとしたサンプリングとサウンド・コラージュの怒涛の波状攻撃。アヴァンな瞬間が快感だ。
でもなぜ今「未来派」なのかはよくわからない。たぶん例によって流行(はや)りだからでしょう。もしかしたら美術コンプレックスもあるのかな。

2012年3月10日土曜日

ビートルズのアルバム5選 その2

 ビートルズのアルバム5選の2回目。私の5選は次の通りで、このうち第1位と2位について前回コメントした。今回は、第3位から。

1 『アビイ・ロード』
2 『ザ・ビートルズ』(通称『ホワイト・アルバム)
3 『ゲット・バック』(未発表アルバム)
4 『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』
5 『ザ・ビートルズ1962年〜1966年』 (通称『赤盤』)
〃 『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』 (通称『青盤』)

第3位 『ゲット・バック』(未発表アルバム)

シンプルなスタジオ・ライヴによって原点に回帰しようというポールの意図で始まったビートルズの<ゲット・バック・セッション>は、結局だらだらとまとまりのないままに終わってしまう。
このときの音源からグリン・ジョンズがプロデュースしてまとめたのが、このアルバム『ゲット・バック』だ。アルバム・ジャケットは、原点回帰というコンセプトを反映して、ファースト・アルバムと同じ場所、同じ構図で撮られたメンバーの写真だった。これがその後、ベスト・アルバム『青盤』のジャケットに流用されたことは周知の通り。
 しかし『ゲット・バック』は事前の宣伝用のアセテート盤が出回ったにもかかわらず、メンバーのOKが出ないまま、お蔵入りして幻のアルバムとなる。が、このアルバムはブートレッグとして比較的容易に入手可能だ。私の持っているのは、ジャケットも再現され、ボーナス・トラックに<ルーフトップ・コンサート>の音源が収録されているもの。

その後この音源は、フィル・スペクターに預けられ、バック・コーラスやオーケストラが加えられるなど、ゴテゴテといじくりまわされて『レット・イット・ビー』となったのだった。
『レット・イット・ビー』をリアルタイムで聴いたビートルズ・ファンはみんな、私と同様その中途半端さにとまどったと思う。基本的にラフな作りなのに、装飾過多でもあり、どうにも煮え切らない感じだった。

その原型である『ゲット・バック』は、もっとずっとすっきりしている。収録されているナンバーはだいたい『レット・イット・ビー』と同じだが(テイクは違う)、ポールの当初の意図どおり、スタジオでのセッションの生な感じが生き生きと伝わってくる。彼らがそこにいて、音楽を楽しんでいるのがわかる。映画『レット・イット・ビー』で描かれているメンバーのギクシャクした関係は、このアルバムにはない。
「ラストダンスを私に」をイントロにして強引に始まる「ドント・レット・ミー・ダウン」とか、即興(たぶん)で延々と歌詞を繰り出す「ディグ・イット」(ロング・バージョン)など、わきあいあいとした仲間うちのノリが楽しい。

スタジオできっちりと練りあげたアルバムではない。だから本来のアルバムの系列に位置するアルバムというより、ファンにうれしい企画モノに近い。ちょうどストーンズでいえば『ジャミング・ウィズ・エドワード』、ディランでいえば『ベースメント・テープス』、キング・クリムゾンでいえば『アース・バウンド』、エマーソン・レイク&パーマーでいえば『展覧会の絵』みたいな。
 
 2003年の『レット・イット・ビー…ネイキッド』は、ポールの発案によるものとのことで、てっきり『ゲット・バック』の復活かと思ったら、そうではなかった。私はブートの『ゲット・バック』を後生大事にして生きていくとしよう。

第4位 『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』

いわずと知れたロックの名盤。ロック名盤ベスト100のナンバー1の座の常連アルバムである。

しかし、昔々、私たちロック少年の間では、あんまり評判が良くなかった。なぜならロックの名盤と言われている割には、「ロック度」が低かったからである。
レッド・ツェッペリンやキング・クリムゾンなんかにどっぷりとはまっている少年(私)の耳には、何とも物足りない音だったのだ。ロックぽいギター・サウンドが聴けるのは、タイトル曲の「サージェント・ペパーズ……」だけ。次作アルバムに入っている「バッく・イン・ザUSSR」とか「バースデイ」みたいな曲をもっと聴きたかった。

しかし、これは要するに「ロックの精神を持ったポップス・アルバム」と考えれば良いのだと思う。それも極上の。
ロック史上初のコンセプト・アルバムとしても評価が高いが、私的にはそんなことより何より、このアルバムの全体として持っているまったりとした味わいが好きだ。
「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」とか「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」とか「ホエン・アイム・シックスティー・フォー」などなど、(一筋縄ではいかない解釈の幅をはらみつつも)のどかでのんびりした世界が今は心地よい。
ラストの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」は、ジョンの曲の中でも一二を争う名曲(ポールのパートもあるけど)。生きていることの不安と、世界への批判がシュールに、そして感覚的に描かれていて少年の私を共感させた。

そして、ジャケットも含めビートルズの4人が、一体となって作った幸せな最後の一枚としても愛着を感じる。

第5位 『ザ・ビートルズ1962年〜1966年』 (通称『赤盤』)
〃  『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』 (通称『青盤』)

アルバム5選のうち、4枚を後期から選んだので、どうしても前期ビートルズのヒット・ソングの数々を聴くために、コンピレーション・アルバムを選んで最後の一枚にしたかった。
私の希望としては前期のヒット曲がひととおりそろっていて、なおかつアルバムには入っていない後期のシングル曲、「レディ・マドンナ」、「ヘイ・ジュード」、「ジョンとヨーコのバラード」、それに「ゲット・バック」と「レット・イット・ビー」のシングル・バージョンは入っていてほしい。

2000年に出た『1』がこの条件にかなり近い。しかし、英米でチャート1位になった曲を集めるというコンセプトだからしょうがないとはいえ、「プリーズ・プリーズ・ミー」も「オール・マイ・ラヴィング」も「キャント・バイ・ミー・ラヴ」も「アンド・アイ・ラヴ・ハー」も入っていないのではねえ……。
さらにさらに「ノルウェイの森」も「ミッシェル」も「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」も「フール・オン・ザ・ヒル」も入っていないとなると、ビートルズのベストとは言いがたい。ということで『1』はボツ。

それでは、それまで別売されていたCD2枚が、リマスターを機会にめでたく合体して2枚組の1アイテムになった(LPは最初から2枚組だったが)『パスト・マスターズ』はどうか。
後期のシングル曲、シングル・バージョンを聴くという条件にはぴったりなのだが、いかんせんこれはビートルズのアルバムを全部持っている人のための選曲。つまり前期のシングル曲でも、アルバムに入っているものは収録されていないのだった。
とくに痛いのは、変則の実質的ベスト盤『マジカル・ミステリー・ツアー』のB面に収録されているという理由で、シングル「ハロー・グッドバイ」、「ストロベリー・フィールズ・…」、「オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ」などなどが入っていないこと。

その他、コンピレーションとしては『オールディーズ』とか『ヘイ・ジュード』とかも、ものすごく愛着はあるのだけれど、ここでの私の条件は満たせない。しかしこの条件に、そもそも無理があったのかも……。ということで、結局、変則技、同率5位にして、この2枚のベスト・アルバム選ばせてもらった。
結論から見れば、当然の選択と思えるかもしれないが一応、以上のような煩悶の結果だったのである。

<次点というかおまけ>
やっぱり第5位までに、『リボルバー』を選ぶべきだったかなあ。それと『ラバー・ソウル』も。『ホワイト・アルバム』なんかより、アルバムとしてのできはいいし。『ゲット・バック』も未発表アルバムだしなあ……。というように、迷いは続くのでした。