2012年3月2日金曜日

ジャニス・ジョプリンの魅力の本質

 ホイットニー・ヒューストンが亡くなって、彼女の死を惜しむ声がちまたにあふれている。あちこちで特集が組まれ、その歌声を頻繁に耳にするようになった。
 私はホイットニーに何の思い入れもない。CDも一枚も持っていない。映画『ボディー・ガード』も観ているけれど、あれってそんなにたいした映画だった?急に「名画」になっちゃったけど…。
あらためて言う必要もないけど、歌がうまい人である。彼女が十代の頃吹き込んだ曲を聴いたけど、もう完全に「うまさ」が完成しているのには驚かされる。
さてしかし、今回はホイットニーの話ではなくて、ホイットニーの「うまさ」を聴いてあらためて思った「うまさ」と「魅力」とは別物と言うお話。

ジャニス・ジョプリンって何であんなに人気があるんだろう。と私が言うと、ある知人が「歌がうまいからだろ」とこともなげに答えた。わかってないなあ。そんな紋切り型の言葉で済んでしまうような話をしたいんじゃないんだよ。
そのときの私はジャニスの歌が「うまい」のは当然として、それに加えてある何かしらの魅力があって、それが彼女の人気の秘密であろうと思っていた。その魅力とは何かという話のつもりだった。
彼女の場合、美人でもないしスタイルが良いわけでもない。どう見ても田舎のお姉ちゃんだ。外見にスター性はない。人気を集める要素は歌以外にないのだが…。
しかし、そもそもジャニスの歌は「うまい」のかと今の私は思っている。

ジャニスはCDのボックスも出たけれど、買う気にはならなかった。ジャニスのアルバムで持っているのは、二枚きり。
ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーの『チープ・スリルス』と、ソロ遺作『パール』だ。『パール』は、<レガシー・エディション>という2枚組みで、おまけの一枚は例の<フェスティバル・エクスプレス・ツアー>からのライヴ音源収録というもの。

ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーは、演奏が下手ということで現在ではほとんど省みられることのない悲しいバンドである。このバンドの名前が、かろうじて後世に残ったのは、ひとえにボーカリストであったジャニスのおかげといえる。
しかし、その擬似ライヴ盤『チープ・スリルス』で聴ける彼らの演奏には、なかなか捨てがい魅力がある。60年代末のロックの空気感が初々しく新鮮だ。駄曲もあるけど、「サマー・タイム」とそれからじわじわと熱っぽい「タートル・ブルース」がいい。

そして『パール』は、やはりロックの名盤だ。「ムーヴ・オーヴァー」、「ミー・アンド・ボギー・マギー」、そして「トラスト・ミー」といい曲がそろっている。ボーカル・トラックなしの曲(インスト)でジャニスの不在を印象付けたり、反対にアカペラの曲で声の生の存在感を伝えたりといった趣向も的を射ている。
ただバックの演奏はビッグ・ブラザー…と違って、テクニックはあるけどソツがなさ過ぎていてちと味気ない。

さてジャニスの歌について。ホイットニーをうまいと言うのなら、つまり、声量があって、歌唱テクニックがあって、表現力があるのが「うまい」と言うのなら、ジャニスはけっしてうまい歌手とは言えないだろう。ジャニスの声はパワフルだが声量がたっぷりあるとは言えず、張り上げるとかすれたりしゃがれてしまう。強く歌うところは、ノー・テクニックのスクリームと化す。
それからジャニスの歌は、いつも、ゼロが全開のどちらかという感じだ。その間の引きの部分、つまりちょっと力を抜いて歌う部分が、もちろんないわけではないが、少ない。まるで石川さゆりみたい。そうすると、何だかどの歌も同じに聴こえてしまうのだ。私がジャニス・ジョプリンのCDを全部揃えようという気にならないのは、ひとえにこの理由による。

しかし、このジャニスの「うまくなさ」が、彼女の魅力の本質なのだと思う。声を全開にしたときの後先(あとさき)考えない喉をつぶしそうな全力感。そして全開でなく抑え気味に歌うパートでの、ノー・テクニックの不安定さと、それゆえの生々しさ。「サマー・タイム」や「ミー・アンド・ボギー・マギー」が好例だ。
そこには弱さをさらけだした、痛々しい人間の生な存在感がある。そこが「うまさ」を超えた彼女の魅力なんだと思う。

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