2014年9月27日土曜日

ブランドXの夏


今年の夏も暑かった。そんな暑い日々に毎日聴いていたのがブランドXだった。
8月のあたまに、再結成CSNYのフヌケた音を聴いていた反動もあって、何だか気分がシャッキリするような音が聴きたかったのだ。ブランドXは、ひんやりして気持ちよかった。

もっともブランドXを聴く直接のきっかけは、例によって『レコード・コレクターズ』誌だった。
同誌20149月号で目にしたのがブランドXのアルバム再発の記事。初期6作品が、あらたにSHM-CD化され、紙ジャケ(これは2回目)で再発されるとのことだ。誌面の見開き2ページを使って、その6作品が紹介されていた。
私は高音質化の再発には興味がないので、買い直す気にはならなかったのだが、この記事を目にして、久しぶりにブランドXのCDを引っ張り出して聴いてみる気になったのだ。

ちなみに私にとってのブランドXは、アルバムで言うと最初の4枚まで。すなわち次の4枚だ。

第1作 「異常行為(Unorthodox Behaviour)」(76年)
第2作 「モロカン・ロール(Moroccan Roll)」(77年)
第3作 「ライヴストック(Livestock)」(77年)
第4作 「マスクス(Masques)」(78年)。

ブランドXが、本当に神がかっていたのはここまでだった。これは私だけでなく、大方のファンが認めるところだろう。5枚目以降は、「ふつう」の技巧派バンドになってしまった。
面白いのは、アルバムのデザインもこの変化をそのまま反映していること。4作目までは、それなりに個性的で印象深いデザインなのだが、5枚目以降はかなりひどいものになっている。

■英国的フュージョン?

ブランドXは、言うまでもなく超絶技巧派集団だ。しかし、このバンドの良さは、その超テクニカルな音が、あくまで英国的なこと。英国的なヒネリとウイットがあって、クールであると同時に叙情的で何とも言えない陰影がある。
そんな彼らの特徴をもっともよく表しているのが、第1作の「異常行為(Unorthodox Behaviour)」(現在の邦題は「アンオーソドックス・ビヘイヴィアー」)だろう。

このアルバムは、当時アメリカで流行っていたクロスオーヴァー/フュージョンに対する英国からの回答、なんて言われたものだ。しかし、ここで聴ける音は、アメリカのそれとは決定的に違っていた。
アメリカの超絶技巧派のミュージシャンの大半は、「思想」を持っていない。つまり、その音楽を通して表現したいコトが感じられない。ようするに、言葉は悪いが「音楽バカ」なのだ。だから、たちまち安易な商業主義音楽に成り下がってしまった、とも言える。
中には、チック・コリアのように、一時はフリー・ジャズをやっていて「思想」がありそうに見えたのに、結局は確信犯的にリターン・トゥ・フォーエヴァーのような金儲け主義に走った人もいる。

これに対し、ブランドXの音には、知的なセンスが感じられた。いわばプログレ的フュージョン。異様にねじくれたフレーズもそうだし、とくに第1作1曲目の「ニュークリア・バーン(Nuclear Burn)」に特徴的な異常な熱のようなものもそれを感じさせた。ブログを見ていたらこの「異常な熱のようなもの」を、「怨念がこもったような音」と表現している方がいた(「ノブりんのブログ」)。こう表現したくなる気持ち、すごくよくわかる。

もっとも、ブランドXに「思想」があったのは、最初のほんの一時期のことだった。4作目の『マスクス』あたりから、ポリシーなき「思想的」漂流が始まり、以後、先にも書いたとおり、「ふつう」の技巧派バンドになってしまったからだ。そうなるとアメリカ産のフュージョンと違いがなくなってしまう。でも、とにかく初期4作の知的で翳りのある音世界の輝きは永遠のものだ。

■ブランドXのユーモア感覚

音そのものとは関係ないが、彼らの英国的なユーモア感覚は、その曲名のセンスにも現れている。たとえば、第1作の中の「Enthanasia Waltz(安楽死のワルツ)」とか、「Born Ugly」(醜く生まれる)なんかかなりヒネくれている。
このファースト・アルバム録音前の発掘音源集(ジョン・ピール・セッション?)である『ミッシング・ピリオド(Missing Period)』(97年)というアルバムが出ている。ここでは、その後のアルバムに収められた曲の原曲が演奏されているのだが、その曲名がかなり可笑しい。
たとえば上の「Born Ugly」の原曲は「Dead Pretty」(可愛く死ぬ、もしくは、とても可愛い)。それから第2作収録の「Why Should I Lend You Mine」の原曲は、「 Why Won't You Lend Me Yours?」といった具合(つまり「僕」と「君」が入れ替わっている)。
さらに「Miserable Virgin(ミゼラブル・ヴァージン)」というのもあって、これはもちろん名曲「Malaga Virgen(マラガ・ヴィルゲン)」のもじりというか駄シャレだ。マラガ・ヴィルゲンというのは、たしかスペインのマラガ産の白ワインのことだったと思うど。この「ミゼラブル・ヴァージン」のヴァージンには、ヴァージン・レコードがかけてあるらしい。
こんな言葉遊びもいかにも英国的だ。

■『ライヴストック』の思い出

初期の4枚のアルバムの中でも、彼らの最高傑作は3作目の『ライヴストック』だろう。私にとってもこのアルバムは、もっとも印象深いアルバムだ。
かつて、学生時代に朝から晩まで、文字通り一日中、音楽を聴いていた時期があった。その頃もっとも頻繁に聴いたのが、ジェネシスの『フォックス・トロット』だった。このアルバムの思い出については、別に記事を書いたことがある。
そして、その次によく聴いたのが、この『ライヴストック』だった。当時はLPの時代。A面を聴いては、ひっくり返してB面へ。そして聴き終わるとまたA面へ。これを一日中、際限なく繰り返したものだ。
『フォックス・トロット』と『ライヴストック』は、音楽的にはだいぶ傾向が異なる。しかし、あらためて考えてみると、聴いている者を作品の世界にディープに引きずり込むという、いわば麻薬的な魅力を持つという点では共通している気もする。あと、ドラマーが、どちらもフィル・コリンズという点も共通しているわけだけど。

■『ライヴストック』はオリジナル・アルバム

しかしこの『ライヴストック』は、ブランドXの代表作でありながら、じつは音作りの点で、彼らの作品全体の中では、むしろ例外的な作品と言える。このアルバムの印象は、とにかく静か。陰影を強調したクールでデリケートな音の世界が、ゆるやかに展開されている。ひとことで言うと、青白い炎がメラメラと燃えているような感じだ。
先行する第1作と第2作にも、そして『ライヴストック』の次作の第4作にもこの感じはない。『ライヴストック』の音は、これらの中で一番知的でクールなのだ。強いて言うなら、同時期に作られた第2作『モロカン・ロール』の内のいくつかの曲に、これに近い感触がある。

この音の違いは、他の3枚がスタジオ作であるのに対し、『ライヴストック』がライヴ録音だからということでもないようだ。後年になって発売されたブランドXの当時のライヴ音源(『タイム・ライン』とか『トリロジー』など)を聴いても、その音はアグレッシヴで、同じライヴなのに『ライヴストック』の印象とは全然異なっている。

この『ライヴストック』独特の音について、うまく言い当てているのは立川芳雄の次のような一文だ。

一つ一つの楽器の音はクリアーで、音圧が低めなせいもあって居丈高な感じがしない。そしてキラキラした高音が強調されており、深くかけられたエコーが奇妙な非現実感を醸し出す。
数あるブランドXの作品のなかで、こうした特長的な音像を持っているのは本作(『ライヴストック』)と『モロカン・ロール』だけ…。
立川芳雄『・プログレッシヴ・ロックの名盤100』(2010年リットーミュージック)

『モロカン・ロール』の音も同じ、というのは同意しかねるけれども、『ライヴストック』の音の特徴と、それがブランドXのアルバムの中でレアであるということを、ちゃんと言っている点は貴重だ。
結局、このアルバムはブランドXのアルバムの中で先にも書いたように例外的なアルバムなのだが、そのことによってこのバンドの良さがもっとも良く現れたアルバムとも言えるだろう。
その辺について『ライヴストック』のライナーは、次のように説明している。

コリンズが参加している3曲(御隠居による注 「Ish」、「安楽死のワルツ(Enthanasia Waltz)」、「アイシス・モーニングⅰ,ⅱ」)が比較的クールな印象のトラックということもあり、後年に発表されたライヴ・アルバムに比べると押しの強さに欠ける嫌いもあるのだが、(中略)あえて引きの曲を中心に据えたことで、彼らの多面的な個性がより浮き上がってくる内容に仕上がっていると言えるだろう。(中略)
ブランドXというバンドの特質がもっとも活かされるスタイル(中略)で制作されたのが本作…。
鮎沢裕之『ライヴストック』2006年紙ジャケ盤ライナー

回りくどい言いまわしだけれども、言いたいことはわかる。クールな曲を中心にした選曲は、特定の意図によっているということだ。
さっき触れたレアな音作りといい、このかなり意図的な選曲といい、結局『ライヴストック』は、彼らのライヴをありのままに記録したのではなく、むしろライヴの音源を素材にし、加工して、新たな作品として再構成されたオリジナル・アルバムと言えるだろう。

■『ライヴストック』の音

『ライヴストック』は、まずそのジャケットから印象的だ。
いかにもイギリス的な田園風景の中に停車している透明な車。その車の開いたドア(どこでもドアの車版)からのぞく、スリムでセクシーな脚。このアルバムのクールでしかも官能的な音の世界が、じつにうまく視覚化されている。
しかしこの美脚の印象がいくら強力だったからとはいえ、まさかその後に、脚フェチ・ジャケ路線として引き継がれていくことになろうとは…。もちろんアルバム『ドク・ゼイ・ハート?(Do They Hurt? )』(80年)と、『Xコミュニケーション(Xcommunication)』(92年)のことなのだが、どちらもビジュアル・センスがどうしようもなく劣悪なのが悲しい。

『ライヴストック』でもっとも印象的なのは、アルバムのオープニングだ。
冒頭の曲は「ナイトメア・パトロール(Nightmare Patrol)」だが、メイン・パートのエレピのソロが始まるまでの曲のイントロ部分が素敵だ。真っ暗な夜空から、たくさんの星くずがキラキラと輝きながらゆっくり舞い降りてくるような印象。
この部分については、ブログ「Office Chipmunk」の筆者の方の次のような形容に私も同感だ。

オープニング「Nightmare Patroll」のフェード・インからテーマが決まるまでの神秘的な演奏は、 SOFT MACHINE の名曲「Facelift」にも似た法悦の瞬間がある。
ChipmunkOffice Chipmunk」(ブログ)

このアルバムの全体に漂っている浮遊感や、透明で硬質で翳りのある叙情性を、このオープニングはみごとに象徴していると言えるだろう。
オープニング曲に続いて、フィル・コリンズ参加の曲が続いている。すなわち「Ish」、「安楽死のワルツ(Enthanasia Waltz)」、「アイシス・モーニングⅰ,ⅱ」の3曲だ。いずれも一見地味で控えめでクールな音だ。間()を生かした、侘び寂びとも幽玄とも言える世界が紡がれていく。しかし、その奥で、透明な青い炎がメラメラと燃えている。この感じが麻薬的だ。

そしてアルバムのエンディングが「マラガ・ヴィルゲン(Malaga Virgen)」。それまでの3曲で抑えに抑えていたものが一気に噴出するような、素晴らしい疾走感だ。快感だ。この快感を堪能したくて、何度も何度もこのアルバムを聴いていたような気がする。
それにしても、このアルバム、曲数は少ないが、じつによく練られた作品構成になっていると思う。

このアルバムにすっかりヤラれた私は、ものすごく期待してこの次の第4作「マスクス(Masques)」(78年)を買ったのだった。しかし、魔法はもう消えかけていた。相変わらずテクニカルだけれど、英国的な翳りや繊細さは薄れ、なんだかスッキリしてドライな感じになっていた。曲によっては、リターン・トゥー・フォーエヴァーに限りなく近い音に聴こえた。
以後のブランドXは、このアメリカ寄り路線をどんどん推し進めていったのだった。残念だ。


2014年9月25日木曜日

東京散歩 「目黒川沿いを歩く」 茶屋坂から中目黒を通って目黒天空庭園まで


9月の晴れたある日、私は恵比寿ガーデンプレイスの広場の木製のベンチに座っていた。平日の昼下がり。広場は閑散としていた。鳩がベンチの間をひょこひょこと歩き回る。それを私は所在無く目で追っていた。

久しぶりの東京だった。お昼少し前に上野に着いて、銀座で所用を済ませる。あとは、ここ恵比寿ガーデンプレイスの東京都写真美術館で、展覧会を見て午後を過ごす予定だった。
お目当ての展覧会は、『フィオナ・タン まなざしの詩学』展。
しかし、当てが外れた。私には、さっぱり面白くなくて、あっという間に見終わってしまったのだ。館内では他にもふたつ展覧会をやっていて、これも見てみたのだが、どちらもつまらなかった。というわけで、すっかり時間をもて余してしまったというわけだ。
時刻は午後2時過ぎ。今日はこの後、5時に新宿で知り合いと会う約束をしている。さて、それまでどう過ごすか…。

こういうときは、やっぱり散歩だ。いつも持ち歩いている小ぶりな東京の地図帳を開いて眺めてみた。するとガーデンプレイスから、山手線の向こう側に少し行くと、目黒川が流れているのに気がついた。そうだ、今日は目黒川沿いを歩いてみよう。以前から、一度ゆっくり歩いてみたいと思っていたのだ。よしよし、ちょうどよい機会だ。

■アメリカ橋から茶屋坂を下る

ガーデンプレイスの入り口から、アメリカ橋(正式には恵比寿南橋)を渡って山手線(とその他の線路いろいろ)を越える。
数年前まで、この橋を渡った先は目黒三田通りにぶつかる三叉路のようになっていたと思うのだが…。いつの間にかまっすぐに茶屋坂に降りて行く道ができていて、十字路の交差点になっている。
ちょっと気になって帰ってから調べたら2010年の地図ではまだ三叉路なのだが、2011年の地図から十字路になっていた。変わったのは、ごく最近のことのようだ。

その初めて通る道をまっすぐ進んでいく。左右の建物が軒並み新しくて、こぎれいで、それが逆にちょっと不思議な感じがする。
歩いていくと、防衛省の艦艇装備研究所の前を通る。以前ガーデンプレイスのホテル・ウェスティンに泊まったことがある。そのとき、上階から見下ろすと、ごちゃごちゃした住宅街の中でこの研究所の長い長い一直線の屋根が異様に目についた。この長い屋根の下には水路があって、船とか、もしかすると魚雷なんかのテストをしているんじゃないのだろうか(あくまで想像)。そんなことを考えながら、研究所の柵の前を通り過ぎる。

このあたりから坂は切通しのようになって、下りの勾配がきつくなる。坂の真正面に、ごみ処理場(目黒清掃工場)の巨大な煙突がそびえている。
この道は、本当は新茶屋坂といい、本家()の茶屋坂は左手奥の方にあるとのことだ。そのあたりが例の落語「目黒のさんま」の舞台になったというのは有名な話。茶屋坂の「茶屋」とは、あの落語の中に出てくる茶屋のことらしい。

茶屋坂と言えば思い出すのは、80年代の末にこのあたりにあったギャラリーのことだ。それはハイネケン・ギャラリー・バー茶屋坂といった。ハイネケンが運営する現代美術のギャラリーだ。バブルの余韻がまだ残っていた当時、ハイネケンも、そんな形で現代美術のサポートをしていたのだった。期間限定の仮設の建物で、ごく短期間しか存在しなかったが、私はその間に何度かそこに足を運んだ。いろいろ思い出もある。
その頃まだガーデンプレイスはできていなくて、当然、動く歩道もなかった。恵比寿の駅からずいぶん歩いて、住宅街の中のそのギャラリーにたどり着いた記憶がある。

茶屋坂を下りながら、あのギャラリーはどのあたりだったのか思い出そうとしたが、まったく見当もつかなかった。思えば、今からもう25年も前、遠い昔の話だ。あの頃、あそこで作品を発表していた若いアーティストたちは、今頃どこでどうしているのだろう。「兵(つわもの)どもが夢の跡」、なんて言葉が浮かんで消えた。
そうこうしているうちに、坂を下りきり、ごみ処理場の脇を抜けると目黒川にかかる中里橋のたもとにたどり着いた。

■目黒川沿いの散歩

地図によると、この中里橋から左に曲がり、目黒川沿いに少し下ると目黒区美術館があるらしい。この美術館には何度か来たことがあるが、いつも目黒駅から歩いたので、目黒川のこちら寄りはまったく未知の領域だった。
今日は茶屋坂から右折して、目黒川の上流の方向に歩いていくことにする。
 
目黒川は、武蔵野台地を水源としていて、世田谷区の三宿と池尻の境界辺りで、北沢川と烏山川が合流したところが起点となっている。そこから南東へ向い、中目黒駅の脇をとおり、五反田駅の北側を流れて、天王洲アイルのところで東京湾に注いでいる。全長は7.82キロメートル。河口付近は古くは「品川」と呼ばれており、これがそもそも品川という地名の由来となったのだとか。

つまり由緒ある川なのだ。しかし、その実際はというと…、なんとも悲しく貧相な都会の川だった。両岸がコンクリートの高い壁になっていて、その間の底の方を、よどんだように水が流れている。先日歩いた学習院下から江戸川橋あたりの神田川の様子に似ている。ただし、こちらは水が汚い。白濁していて、ちょっと臭いもある。都会の川ってこんなもんなんだろうな、と思う。
目黒川沿いには遊歩道が整備され、桜並木が続いていて、都内有数の桜の名所として知られている。とくに近年、桜の季節には、大変な賑わいになるらしい。川面の上に大きく張り出した枝で桜が満開になっている様子は、たしかに見事だろう。でもその下の水がこれでは、かなり興ざめだ。
そんなことを思いながら川の左岸の遊歩道を歩き始める。

遊歩道とはいっても、建物の裏手と、川に挟まれた、ちょっと裏ぶれた感じの通りだ。しばらく行くと右側の眺望が開けた。中目黒公園だ。
さらに進んでいくと、アート・コーヒーの本社ビルにぶつかる。アート・コーヒーが川にはみ出しているような感じだが、じつはここからがくんと目黒川の川幅が狭くなっているのだった。
現在この辺りは川の側に工事現場を囲むような高い壁が立っていて川の様子がわからない。工事の壁とアート・コーヒーの間の狭っ苦しい空間を抜けていく。

そこを通り抜けると相変わらず路地裏っぽい雰囲気だ。のどが渇いてきたので、道端の自販機でジュースを買う。それを飲みながら立ったままひと休みする。ふと下の川面に目をやると、あれっ、水がきれいになっている。水量はごくごく少ないのだが、水は透明だ。
少し行くと、道は駒沢通りにぶつかる。ここを右に行けば代官山だ。そっちに行ってみたい気もあったのだが、今日はこのまま目黒川沿いに歩いてみることにしよう。

歩道橋を渡って駒沢通りを越える。そしてまた川沿いの道に入る。道の入り口のあたりは、やっぱり裏ぶれた感じだ。しかし、道の先の方に東横線の高架の線路と、そのちょっと左に中目黒の駅が見えてくる。この辺からこの道も、中目黒のオシャレ・エリアに突入することになる。
たしかに、道の雰囲気が変わってきた。遊歩道沿いの建物の一階に、いかにも気が利いたオープン・カフェや、おしゃれなブティックのようなお店を、ちらほらと見かけるようになる。
オープン・カフェには、外人さんの姿がやけに目につく。雑談しながら、ひどくのんびりと食べたり飲んだりしている。そしてそんなお店を巡って歩いているらしい人の姿も見かける。若い人ばかりではなく、私と同じくらいのオヤジやオバサンもけっこう歩いている。

小ぶりな川幅の川に、これまでよりも短い間隔で次々に小さな橋が架かっている。何と言ったらいいか、手頃で、人なつっこい雰囲気の界隈だ。ちょっと気取っていてオシャレであると同時に、気軽なご近所の商店街の裏通りといった感じもする。その辺が、この街の人気の秘密だろうか。

そんなことを考えながら歩き続けていたら、だいぶくたびれてきた。歩き始めてから、そろそろ1時間になる。
やがて、歩いている道は、山手通りにぶつかった。目黒川は通りの下をくぐってさらにその先に続いている。しかし、この大きな通りを渡る道がない。しかたないので、いったん右折し、少し先にある横断歩道を渡った。そして、また川のところまで戻り側道を歩き始める。
するとすぐ眼前に、巨大な建築物が現れた。目黒天空庭園だ。私は唐突に自分が散歩の終点にたどり着いたことを知った。

■天空庭園にて

目黒天空庭園は、コンクリートの高い壁に周囲を覆われた上から見ると楕円形の建造物。外壁の高さは、2,30メートルはありそうだ。まるで、城壁に囲まれた西洋のお城にそっくり。市街地の真ん中に、忽然と現れたこの建物の姿は、かなりのインパクトだ。ともかく異様というしかない。
その高い壁の上のほうにわずかに、樹木の緑がのぞいている。なるほどあそこに庭園があるらしい。それにしても、このネーミング!目黒天空庭園とは、よくもつけたものだ。何か重々しでシュールなイメージが、私の中でかってに頭をもたげてきて、わくわくしてくる。

目黒川に面した建物の南側は、ちょっとした広場になっていて、その正面に建物の入り口らしきものがあった。
正式な入り口というよりも、何となく裏口っぽいかまえだ。異様な建築物の体内に吸い込まれるように、そこから中に入っていく。中は薄暗くて、本当にここから入っていいのかと少し不安になる。奥の方が明るい。そこを目指して、おそるおそる進んでいく。
そこには、大きな窓があった。ガラス越しに見えたのは何と中庭。城壁の内側には、壁に囲われた天井のない緑の広場があったのだ。なんてシュールな光景だろう。まるでSFみたいだ。私は古いSF映画の『メトロポリス』を思い出した。
そのわきにエレベーターがあり、これに乗って上の庭園に上がった。

目黒天空庭園の正体は、首都高速道路の3号渋谷線(高架)と中央環状線(地下)を結ぶ大橋ジャンクション。この屋上を緑地化してドーナツのような楕円形の庭園にしてあるのだ。
庭園の総延長は約400メートル。ゆるやかに傾斜していて、芝生と樹木といろんな草花が植えられている。開園は2013年の3月だから、まだ1年半。比較的新しい施設だ。
わくわくしながら上に上がってみると、そこは、まあふつうの庭園だった。外壁側と中庭側のへりには安全のためのフェンスがあり、その手前に植え込みを作ってフェンスを目立たなくしてある。だから、あまり高いところにある庭園という感じはしない。ふつうのビルの屋上庭園という感じだ。銀座三越や新宿伊勢丹の屋上とそんなに変わらない。全体に勾配をつけているのが工夫といえば言えるかもしれない。
まあここは富士山と同じだ。富士山は、よく登るものではなくて、遠くから眺めるものと言われているからだ。ここも下から見上げたときが、一番ステキだった。

庭園を一応ひとめぐりして、隣接していて空中でつながっているマンションに入り、そこのエレベーターで地上に降りた。出口は玉川通りに面している。この通りを右に行けば渋谷、左に行くと三軒茶屋だ。目黒川は、この玉川通りの下をくぐってその先まで続いている。しかし、ここから先は暗渠になっている。ほんの数百メートル先が、目黒川の基点のはずだったが、地下を流れているのでは行ってもしょうがない。というわけで今回の散歩はここで終了だ。
その後は玉川通りを三軒茶屋の方に少し歩き、池尻大橋の駅から田園都市線に乗って渋谷に出た。
今回の散歩は、私にしてはわりと行き当たりばったり。その分、ワクワク感があって楽しかった。


2014年9月22日月曜日

散歩の途中でかつサンドを作って食べる


9月の天気のよいある日、水戸に出かけた。
水戸に出るのはずいぶん久しぶりのこと。今日は、夏の暑さのせいで、春以来すっかりごぶさたしていた千波湖をひとまわり散歩してみたかった。
ちょうどお昼時なので、食べるものを持っていって、千波湖のほとりで食べることにする。この頃、散歩に出かけたときのお昼は、お店に入るのではなく、野外で食べるのがマイ・ブームなのだ。

水戸駅の南口側の駅ビル(エクセルみなみ)の中のスーパー(みなみマーケット)に入って、何か美味しそうなものはないかと物色する。やっぱり揚げ物コーナー(ニュークイック)に惹かれる。よし、今日はここでとんかつを買って、パンにはさみ、かつサンドにして食べよう。
そこで思い切ってロースとんかつ(306円)を購入。ついでに、ポテト・コロッケ(62円)と、あじフライ(133円)も買う。合計501円なり。ここで大事なのは、いっしょに小袋のソースをもらうのを忘れないこと。それからレジで、箸ももらっておこう。

かつサンドのパンを買いに、駅の通路をはさんだ反対側にあるパン屋(ハース・ブラウン)に入る。ちょうど、食パンを半斤で売っていた。「香麦」という名前で、4枚に切ってある(93円)。これで、準備完了。

駅の南口から桜川のほとりに出て土手の上をぶらぶら歩いていく。のどかな風景だ。途中、美都里(みどり)橋のたもとにあるローソンで缶ビール2本を購入。何で駅ビルでなくてコンビニで買うかというと、ちゃんとわけがある。コンビニのビールは、買って持ち帰ったころちょうどよい冷たさになるように、強めに冷やしてあると聞いたからだ。たしかにそんな気がする。

さらに土手を歩いて千波大橋をくぐり、ほどなく千波湖に到着。いつものように湖畔の道を右に歩いていく。つまり、左回り。
すっきりと晴れた青空が湖面に映ってさわやかだ。白鳥さんが遊歩道の上で、日向ぼっこをしている。いかにものんびりとしていて、いい風情だ。この感じが、千波湖のいちばんよいところだと思う。

しばらく歩くと、桜川にかかる芳流橋のちょっと手前の湖岸に東屋(あずまや)がある。湖に面した東屋には、さいわい誰も座っていない。ここで、お昼を食べる心づもりをしていたのだ。
4人用の席と卓を独り占めだ。買ってきたものをテーブルの上に並べる。とりあえず、缶ビールをプシュっと開けて一人で乾杯。十分に冷たくて美味しい。ほんの2,3歩で水辺という最高のロケーションで飲むビールは格別。
まずはあじフライを取り出し、これを肴にして、ビールをぐびぐびやる。このあじフライは、肉厚でしかもふわっとしていて、冷めてもかなり美味しい。なかなかの逸品だ。
むしゃむしゃとあじフライを食べ終え、一本目のビールも飲み終える。平日の昼日中(ひるひなか)、こうして青空の下でビールを飲めるシアワセ…。

次は、いよいよ本日のメインのかつサンドだ。
食パンを1枚取り出す。薄くてふわふわ。その上にとんかつを取り出してのせる。とんかつが大きくて、パンからはみ出してしまう。このはみ出し具合に何ともわくわくしてしまう。正方形に近い食パンに、とりあえずとんかつを縦方向にしてのせる。とんかつの下の端を、パンの下のへりに合わせる。つまりパンの上の方に、とんかつがはみ出すようにする。
これに、小袋のソースをかける。一つでは足りなくて、二つかける。ポイントは、途中でとんかつをひっくり返して、両面にソースをかけること。こうすると、ソースが接着剤になってパンととんかつに一体感が出る。ここで本当はマスタードも欲しいところだがあきらめる。野外で食べるとは、そういうことだ。
この上にもう一枚パンをのせれば、かつサンド完成。左右の手の指を全部使って両手でしっかり持つ。これで準備よし。

まずパンの上方からはみ出している部分のとんかつをかじる。衣がさくさく。中身の肉は、厚くてしっとりとして柔らかい。美味いなあ。穏やかな湖面を眺めながら、かつサンドをむしゃむしゃとかじる。パンととんかつとソースの美味しさが三位一体となって口の中を満たす。ときどき2本目のビールをぐびりとやって、口中をリセット。またまたむしゃむしゃと頬を膨らませてしまう。
ゼイタクな気分だ。こんなにゼイタクなランチは、久しぶり。
ときどき、湖畔の道を通る人たちが脇からのぞいていくが、全然気にならない。

無我夢中のうちにかつサンドを食べ終えている。まだお腹には、十分余裕がある。今度は、一応予備のつもりで買っておいたコロッケを、コロッケ・サンドにして食べることにする。大食いでしょうか。
食パンの上にコロッケをのせる。コロッケは、思ったよりも大きくて、ほぼ食パンと同じくらいの大きさ。そこへ小袋のソースをかけて、もう一枚のパンではさんで完成。コロッケは厚みもあって、かつサンドと張り合うくらいのヴォリューム感だ。
そこへガブリとかじりつく。このコロッケは、カレー味でも、ひき肉入りでもないプレーンのポテト・コロッケ。やっぱりコロッケといえばこれでしょう。甘くて旨い。ジャガイモの甘さが、ソースの味で引き立っている。それがパンの甘みと絶妙の取り合わせだ。またまたむしゃむしゃ、ぐびり、むしゃむしゃ…。
それにしても、水戸駅ビルの揚げ物コーナー(ニュークイック)は、じつにレベルが高い。きょう買ったものは、どれもすごく美味しかった。また何か買ってみたい。

無事に食べ終える。お腹はさすがに満腹。
満足感に浸りながら、ゆらゆらとゆれる湖面の遠くの方を、しばらくぼんやりと眺めていた。
やがて一段落すると、ゴミをまとめ、散歩を再開。ゆっくり千波湖の周りを一周する。いつもはもっと歩くのだが、久しぶりの散歩なので、今日はこれくらいにする。そのまま駅まで戻って家に帰った。ささやかだけれど、大満足の小散歩だった。


2014年9月16日火曜日

ザ・ポップ・グループの『ウィ・アー・タイム』が再発されるらしい


9月に入ってようやく秋の気配を感じるようになった。
それにしても今年の夏も暑かった。暑い上に、私の場合は身内の入院などもあって身辺が落ち着かなかった。そのためなかなか精神的に集中できず、このブログも更新できないままになってしまった。

■最近の『レコ・コレ』誌の特集についてあれこれ

そんな暑い夏に届けられた『レコード・コレクターズ』誌。毎号楽しみにしているのだが、特集がどれも今ひとつ。暑さを忘れる役には立ってくれなかった。
20149月号のメイン特集は、「日本の女性アイドル・ソング・ベスト100」。取り上げられている曲は、リアル・タイムで聴いていたから、いろいろと思い出もある。しかし、この手の特集は、いつもそうなのだが、どれもこれもあまりに褒めちぎリ過ぎ。そこがどうにもシラケてしまうのだ。結果的に時代を反映してはいても、創造性とか表現という点では、そんなたいそうなものじゃないでしょう。

この号の第2特集がピンク・フロイドの『対』。
『対』は、ロジャー・ウォーターズ脱退後のギルモア期の作品。この時期のピンク・フロイドは、過去の遺産で食っているナツメロ・バンドだ。私にとっては、もうピンク・フロイドではない。なので、この特集にも興味なし。

続く10月号の特集は、ポール・マッカートニー&ウイングスの『ヴィーナス・アンド・マース』と『アット・ザ・スピード・オブ・サウンド』。これってポールのアルバムの中では、言わずと知れた「凡作」と「駄作」。だからこそのセット扱い(リマスター発売も、この特集も)ということか?いずれにせよ読む気が起こらない。

10月号のもうひとつの特集が、オールマン・ブラザーズ・バンドの『1971 フィルモア・イースト・レコーディングス』。これは久々のヒットだ。
これまで、いろいろな形で発表されてきたこのときのオールマンズのフィルモア・イースト音源。この特集では、演奏そのものについてだけでなく、これまでのさまざまなエディションについても触れられていて、この雑誌らしい、まさにかゆいところに手が届くような内容になっている。
まあこの6枚組は、高価なせいもあるけど、あまりにも資料的な感じがして買う気になれないけどね。

ちなみに次号予告によると11月号の特集は、またもや「女性アイドル・ポップス・ベスト100」で、今度は80年代編とか。もういいかげんにしてくれよ。


■ザ・ポップ・グループの再発

10月号のページの中で、特集よりも記事よりも、私の目を釘付けにしたのは、ある小さな広告だった。それは、ザ・ポップ・グループのアルバム『We Are Time』の再発のお知らせ。
We Are Time』は、ザ・ポップ・グループのサード・アルバムにあたるが、オリジナル・アルバムではなく、ライヴ、デモ、アウト・テイクを編集したレア音源集だ。そのためかアルバムとしては、たぶん過小評価されていると思う。しかし、ここに収められているライヴ音源など、当時の私には衝撃的だった。
それが、リマスターされて紙ジャケ化されるとは。後年になって『Idealists In Distress From Bristol』というライヴ音源もCD化されたが、やはり『We Are Time』の音の破壊力は格別だ。また、じっくり聴いてみたいな。

これとあわせて『Cabinet of Curiosities』という、レア音源集も出るとのこと。これも買いだな。ただ、輸入盤で『Curiosities という2枚組も出てるのだが、これとどう違うのだろう。曲をセレクトして1枚にしたのだろうか。よくわからん。

それにしても、ザ・ポップ・グループがらみの再発が、しぶとく続いている。
ちなみに去年の私の最大の収穫は、リップ・リグ&パニックの三枚のアルバムの再発だった。リップ・リグは、ザ・ポップ・グループの残党が結成したグループのひとつ。彼らのアルバムは、それまで長いこと廃盤状態だったのだ。
こうした再発の動きは、ロックの歴史におけるザ・ポップ・グループの評価が深く静かに続いているという背景があるだろう。たしかにすごいグループだった。彼らのヒリヒリするような音は、今聴いても、いやむしろ今だからこそ、最高にリアルだ。