2012年1月30日月曜日

レッド・ツェッペリンの陰鬱

以前に書いたように、今年の私の音楽生活はレッド・ツェッペリンから始まった。その後いろいろ聴いては、またツェッペリンに戻ってヘビー・ローテーションとなる。結局今月はツェッペリン月間となってしまった。
ツェッペリン「存命」時に、リアルタイムで聴いていた青少年たちの中に、オヤジとなった今もなお日常的に聴いている人っているんだろうか?

当時のロック少年たちは、顔を合わせるとすぐに「このバンドのアルバムで一番いいのはどれか」談義を始めるのが常だった。
ツェッペリンに関しては、4枚目のノン・タイトルの通称『フォー・シンボルズ』が最高傑作だというのが大方の意見だった。その次が2枚目の『レッド・ツェッペリンⅡ』。ついでに言うと3枚目の『レッド・ツェッペリンⅢ』は、当時は「駄作」ということになっていた(そのアコースティカルな音ゆえに)。
私は大勢の意見に反して、1枚目『レッド・ツェッペリン』と3枚目が好きだった。ちなみに、私の高校時代には、まだ4枚目までしか発表されていなかった。
その後に出た5枚目の『ハウス・オブ・ザ・ホーリー』も大好きなアルバムで、結局ツェッペリンは奇数枚目がよいというのが私見である。そして、ツェッペリンのピークはこの頃まで。この時期のライブを収めたアルバム『ザ・ソング・リメインズ・ザ・セイム』と、新旧セッションからなる次作『フィジカル・グラフィティー』までが、ぎりぎりツェッペリンのマジックが輝いていた時期だろう。
その後、9枚目のアルバムを発表した後、ドラムスのジョン・ボーナムが死に、それを理由にバンドは解散した。しかし、ほんとはそのずっと前にツェッペリンは、もう私の中では終わっていたのだった。

ところで、「ヘヴィメタル(つまり重い金属)」という音楽のジャンル名の語源て、てっきり「レッド・ツェッペリン(鉛の飛行船ツェッペリン号)」だと思っていたら、どうやらそうじゃないらしいね。
「ヘヴィメタル」のあのラウドで暗くて陰湿な音が、ツエッペリン・サウンドとの関係を連想させて、そうとばかり思い込んでしまっていた。

今回ツェッペリンをじっくり聴いてみて、あらためて感じたのは、その音の「ラウドで暗くて陰湿な」ことである。とくに、1枚目から3枚目くらいまでのアルバムの音が。
当時、つまり1960年代末から、70年代初めの音楽の世界の中で、こんな音はかなり特異であった。
ギターの音の人工的でメタリックなゆがんだ音色、それと「老婆の金切り声」系高音ボーカル(その後ロック界ではひとつの定型となるボーカル・スタイル)なども特徴的だが、他で聴けないわけではない。しかし、それによって作り出される、ダークで陰湿でひしゃげた音世界はかなり独特だ。

ブルースをやっても黒人音楽としてのブルースの持つ暗さとは別種の陰鬱さがある。たとえば、1枚目の3曲目、ウィリー・ディクスンのブルース「ユー・シュック・ミー」。
曲中「…オール・ナイト・ローン」という歌詞とともに下降していくスライド・ギターのフレーズにのって、こちらの気持ちも滅入りそうだ。
同じこの曲を、ジェフ・ベック・グループも取り上げているので(彼らの1枚目で)、比較して聴くと、ツェッペリンの非ブルース的な暗さがよくわかる。
2枚目の「レモン・ソング」(ハウリン・ウルフの「キリング・フロア」)なんかも、独自に隠微で原曲より暗い。

それとツェッペリンに特徴的なのは、音色だけでなく彼らのビート感もまた人工的ということだ。つまり肉体的でないビート感覚。これはたぶん意外に思う人も多いに違いない。
たとえば「コミュニケーション・ブレイクダウン」のイントロのリフである。リズムは立てノリで、いわゆるグルーブというものがない。これでは踊れない。肉体ではなく頭の中で刻んでいるリズムといった感じ。「アイム・ゴナ・リーブ・ユー」のサビのリフなども同様だ。
初期の彼らのライブ映像を観ると、体でリズムを取るということをしていない。ジミー・ペイジは、棒立ちのまま手だけでリフを刻んでいる。その後のバンドが体でリズムをとりながら弾いたり歌ったりしている姿を見慣れた目には、かなり異様に映る。

誤解しないで欲しい。つまり、この暗くて人工的でいびつな音世界。この唯一無二のツェッペリン・サウンドこそが、つまりカッコよくて最高だったのだ。

初期のツェッペリンは、ジミー・ペイジのワンマン・バンドだった。ペイジが、ヤードバーズから独立してツェッペリンを結成したとき、バンドのサウンドとして目指していたのは、よく知られているように、かつてヤードバーズの同僚だったジェフ・ベックのグループの音だった。
ツェッペリンの1枚目の音は、その前年に出たジェフ・ベック・グループの1枚目の音にかなり近い。というか、ほとんどマネといっていい。
この第1期のジェフ・ベック・グループのライブをブートレグで聴くと、ロッド・スチュワートのボーカルが、ワイルドに炸裂していて、ときどきツェッペリンと区別がつかなくなる瞬間がある。
しかし、ベックのグループとツェッペリンとは、決定的に音の感触が違う。ツッペリンの方がゆがんでいて暗いのである。それは、たぶんジミー・ペイジの戦略であると同時に、彼の鬱屈がそこに反映されているからだ。

ヤードバーズに在籍した三人のギタリスト、エリック・クラプトンとジェフ・ベックとジミー・ペイジを、「三大ギタリスト」という。このうち、クラプトンとベックは、天才肌のプレイヤーである。これに対しペイジは、たぶん努力型であると同時に「はったりをきめる」のが得意な人なのだと思う。
ギターのソロも、クラプトンやベックは流麗で、ひらめきと開放感があるのに、ペイジにはそれがない。たとえば誰もがコピーした「ハートブレイカー」の間奏のギターソロ。文句なくカッコいい早弾きだ。けれど、手癖だけで弾いていてけっして流麗ではない。

ツェッペリンのダークな音色には、ペイジの鬱屈と野心が反映されている。しかしそこには同時にその鬱屈を破壊するようなエネルギーがあった。そのエネルギーがたぶんあの時代の若者の心と共鳴したのだと思う。
日本においても同様だ。鬱屈した青少年(私もその中の一人だった)は、ツェッペリンの陰鬱な音と踊れないビートに共感し夢中になったのだった。
こんな音楽が、大きなセールスを記録したというのも考えてみれば、大変な時代だったよね。

その後ペイジは5枚目で「更正」して、前向きで肯定的な世界観の「ザ・ソング・リメインズ・ザ・セイム」を作る。明るい方へ抜けていく解放感が感動的だったし、続く「レイン・ソング」も、硬質な叙情が心にしみた。
しかし結果的に観ると、まあそれで終わってしまったということなのかもしれない。

2012年1月23日月曜日

ビートルたちのソロ・アルバム

 今日は、ビートルズ解散後のメンバーそれぞれのソロ・アルバムのお話。

この間、ドキュメンタリー映像『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』が発売されたのを機に、ジョージ・ハリソンの話題があちこちから聞こえてきた。この映像は観ていないんだけれど、それがきっかけで、何となくこのタイトルのもとになった、ジョージの同題名のソロ・アルバムを引っ張り出して聴いてみた。それから結局他のジョージのソロ・アルバムも久しぶりに一通り聴いてしまった。
私の持っているのは、ファーストの『ワンダー・ウォール』から6枚目の『エクストラ・テクスチャー』までと、順番を飛ばして8枚目の『ジョージ・ハリソン』と11枚目の『クラウド・ナイン』。『リヴィング・イン・ザ…』は、4thアルバムにあたる。
結局、3枚目の『オール・シングス・マスト・パス』が、やはりダントツによくて、あとはどれも今ひとつだった。この感想は結局昔から変わっていなかった。
『オール・シングス・マスト・パス』は、レコード3枚組だった。それが豪華な箱に入っていて、そのアートワークもすてきだった。高くてなかなか買えなかったが、やっと手に入れたときはうれしかった。そして何度も繰り返し聴いた。
声域の狭いジョージの声を活かしたゆるやかで優しいメロディーと、フィル・スペクターのサウンド・プロダクションが化学反応を起こしてマジックがうまれていた。
しかしそのマジックは、結局このアルバム1回きりのことだった。期待して聴いたけど、あとのアルバムは、まあどれも「ふつう」と言うしかない。本秀康さんすいません。
先年、『オール・シングス…』のボックス仕様のCDが発売されたが、レコードの忠実な再現ではなかった。箱の写真がカラーになっていたり、レコード袋が全然別物だったりで、がっかりさせられた。それまで持っていたプラ・ケース版はもうお役ごめんかと思っていたが、そのモノクロのジャケット写真ゆえにやっぱり捨てられない。
忠実にLP時のものを再現した仕様のCD版(もちろんCDでも3枚組)を出してほしい。1万円(ひぇー大金だ)くらい出してもいいな。
 ジョージのアルバムを、強いてもう一枚挙げるとすれば、『コンサート・フォー・バングラデシュ』だな、変則だけど。

 ジョン・レノンのソロ・アルバムは、一応全部持っている(ヨーコとの最初の3枚は除く)。何しろビートルズ・ファンなので。
でも結局『ジョンの魂』だけが、飛び抜けて良い、というか別格。『ジョンの魂』は、ジョンのというより、ロックの歴史に残る名盤だ。べつに私が言わなくても、もうすでにそういうことになっている。いい曲が入っているとか、演奏がいいとか、そういうレベルの話ではなくて、シンプルに研ぎ澄まされたストイックな「裸の音楽衝動」がそこにはある。
ちなみに私の考える「裸の音楽衝動」ベスト3は、このアルバムと、プリンスの『パレード』と、パブリック・イメージ・リミテッドの『フラワーズ・オブ・ロマンス』だ。わかってもらえるかな。
とにかく残りのジョンのソロ・アルバムは、やっぱりまあ「ふつう」と言うしかない。名曲といわれる「イマジン」だって、歌詞は素晴らしいかもしれないけど、メロディーは凡庸でしょ。
強いてもう一枚挙げるなら『ロックン・ロール』かな。結局ジョン・レノンに関しては、ビートルズ時代の曲のほうが私は好きだな。

ポール・マッカートニーのソロ・アルバムは、1枚目の『マッカートニー』から8枚目の『ロンドン・タウン』まで持っている。ソロ名義からウイングスになって、その全盛期の終わりくらいまで。
ポールは優れたソングライターで、私もその意味でかなり好きな人だ。しかし、いい曲は作れても、いいアルバムが作れるとは限らない。ポールのアルバムは、どれもいい曲もあれば、だめな曲もある。
そんなポールのソロの唯一の例外にして、最高傑作は、2枚目の『ラム』でしょう。どの曲もいいし、アルバム全体の構成もバランスもいい。これも、ずいぶん聴いた。高校一年の私の頭の中では、いつもこのアルバムの「トゥー・メニー・ピープル」や「ラム・オン」や「ディア・ボーイ」や「ハート・オブ・ザ・カントリー」がぐるぐるまわっていたものだ。
強いてもう1枚挙げるなら『バンド・オン・ザ・ラン』かな。ポールも今はずいぶん遠くに行ってしまった。

リンゴ・スターのソロ・アルバムも一応何枚かは持っている。ビートルズ・ファンなので。人柄のよさゆえ、アルバムには、豪華ゲストが参加している。でもほとんど聴かない。まあこの人はアルバムの人じゃないよね。
しかし、あまりほめている人を知らないけど、リンゴのドラマーとしてのセンスは特筆すべきだと私は思っている。ビートルズ時代の曲においてもそのプレイは光っていたが、とくにジョンのソロ『ジョンの魂』におけるドラミングは素晴らしい。

2012年1月20日金曜日

ランキングはロック・マニアの性癖

 悠々自適ライフではあるのだが、たまたま頼まれごとを引き受けてしまい、来週半ばまでちょっと忙しくしている。久しぶりの頭脳労働。
そのため「日記」と銘打ってはいるけれど、少し更新に間が空きますので、このブログの更新を楽しみにしているみなさま(はたしてそんな人いるんだろうか)、しばしご容赦を。
というわけで、今日は小ネタで。

他の「マニア」は知らないが、少なくともロックのマニアは、何でもランク付けするのが大好きだ。プログレバンド・ベスト5とか、ギタリスト・トップ10、とか、ビートルズのアルバム・ベスト3とかいう具合。私も、このブログをはじめてから、すでに何回かそういう言い方を使ってしまっている

高校生の頃、なけなしの小遣いで買えるレコード(その頃は、まだLPレコードの時代だった)は、月にせいぜい1枚。昼飯をパン一個くらいで我慢すると、何とか2ヶ月で3枚買えた。
それに対して、欲しいレコードは星の数ほどあった。1970年代の初頭である。今振り返ると、ロックの歴史に残る名盤が毎月ぞろぞろと発売されていた時代だった。
そこで欲しいレコードをリストアップする。そして、その中で買う優先順位を、ああでもないこうでもないと検討するのだ。『ミュージック・ライフ』や『ニュー・ミュージック・マガジン(当時はまだ「ニュー」がついていた)』の新譜紹介の記事を目を皿のようにして読み、友人から情報をきいたり、すでにその候補のLPを持っているやつがいれば借りて聴いて、必死で優先順位を決めていた。
リスト内での順位争いはかなり厳しく、しかも競争相手が次々に新たに加わってくるのである。万年2番で、ついに買わずじまいになったのもあった。フーやキンクスやジェスロ・タルなんかまでは、なかなか行き着けなかった。

そして、リストを見事勝ち抜いたレコードを買うわけだ。レコードを買ったときのうれしさ。学校帰りに買って、大事に抱えて帰る(何しろ30センチ×30センチだからね)。家についてそっと袋から出してターンテーブルに乗せるときのわくわく感。
持っているレコードの数も少ないから、ほんとになめるように聴いた。あの頃聴いたギターのフレーズは、すみずみまで全部口で言える(弾けないけど)。ジョージ・ハリソン、クラプトン、ジミー・ペイジ、テリー・キャス、マーク・ファーナー…。

大人になってから、あの頃のリストにあったもののほとんどをCDで手に入れた。何だかトラウマになった心の空洞を埋めていくような感じがした。しかし、悲しいことに聴くときの集中力は、なめるように聴いたあの頃にはかなわない。それにあんまり枚数が増えすぎちゃって…。

必死で作るランキング。多かれ少なかれ誰もが同じような道を通ってきたのではないか。そのせいで、ロック・マニアはランクづけをしないではいられなくなってしまったのではないか。ちょっと強引かな。
そして、このランク付けの性癖は、ロック内に留まらず人生で出会うさまざまなものにも及ぶことになる。

ロック・マニア(たぶん)のジョン・キューザックが製作し主演した映画『ハイ・フィデリティ』は、そんなマニアとしての私のツボにはまる映画だった。
中古レコード屋のオーナーの三十男が、失恋をきっかけにこれまでに経験した自分の「辛かった別れトップ5」をリストアップ。そして、その5人の別れた相手を順に訪ねて、自分のどこがダメだったのかをきくというお話。
自分の失恋もランキングしてしまうというマニア気質が笑いどころだが、共感もしてしまう。ロック・マニアには、ぜひ一見をお勧めする。

2012年1月16日月曜日

「情けない」ロックバンド

私の「情けない」ロックバンド・トップ3。

第3位はイエス。
第2位はジェネシス。
オールドロックファンなら、だんだん何のことか判って来たでしょう。

複雑に入り組んだ音空間を構築し、その中を軽々と疾走していたイエスの爽快感。それが、あのバグルスと合体して、気の抜けたポップ・サウンドに走るなんて。
そして、暗くて重苦しいイギリスの湿った霧の中に、人間の深淵を描いて見せたジェネシス。それが、あんな薄っぺらいクズのようなポップ・ソングのバンドになるとは。
ピンクフロイドとか、ロッド・ステュアートを4位、5位にしてもいいかな。

これはつまり、初めの頃は、志の高いミュージシャンシップあふれる素晴らしい音楽をやっていたのに、やがてお金に目がくらんで、悪魔に魂を売り、売れ線の音楽に走っちゃった人たちのランキングです。

そして、「栄光」の第1位は、シカゴ。

お金に目がくらむのは人として仕方ないことでしょう。誰もそうなんだから。誰にもその変節を攻めることはできない。
しかし、それまでの志が高かっただけに、聴いている方としては、とにかく残念なのだ。恨み言のひとつも言いたくなる。

ただし、シカゴだけは重罪だ。だって、「反体制」を売り物にしてたのに、それが体制側に寝返って、金持ちになったわけで…。
自由を抑圧する既成の価値観に対する疑い、若者を圧迫する政治権力に対する反発と抗議。シカゴのごく初期のアルバムは、そんなアグレッシブなエネルギーにあふれていた。
それが、やがて甘ったるいラブソング路線に転向し金儲けに走ったのだった。たぶんメンバーたちも、自分たちのこの変わり身に平気ではいられなかったでしょ。モラルが崩壊して、退廃がやってくる。私の大好きだったシカゴのギタリスト テリー・キャスは、その頃にロシアン・ルーレットで頭を吹き飛ばして死んだ。退廃の果てと言う感じだ。

今になってあの頃の「反体制」は、たんなる売るためのイメージだったのさ、とメンバーは言っているらしい。自分たちの変節の見苦しい言い訳としか聞こえない。が、仮にそのとおりだったとしても罪は重い。あの頃の彼らの姿勢に共感して、希望を託して聴いていた若者がたくさんいたのだから。

シカゴのファーストアルバム『シカゴ・トランジット・オーソリティ』は、デビューアルバムにして2枚組というボリュームで人を驚かせた。もう言いたいことがいっぱいという感じ。
時代認識に対する疑いを歌った「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」、時代の不安を音にしたかのような「フリー・フォーム・ギター」、現実に対する違和感「サウス・カリフォルニア・パープルズ」、そして体制側の弾圧に対する抗議「1958829日シカゴ、民主党大会」と「流血の日」と「解放」。

やっぱりこれらは今聴いても、その思いが瑞々しく伝わってきて熱い気持ちになる。たぶんこの時は、この人たちも本気だったんだろうな。だから許してあげよう。その後が、どんなに無様なことになってしまったとしても。こんな音楽を残してくれたことに感謝。まあ、あとはよしなに。

2012年1月13日金曜日

質素倹約と資本主義(!)

「無駄遣いしてはいけません」と言われて育ってきた。「ものは大切にしなさい」と言われて育ってきた。そして「まだ使えるものを捨ててはもったいない」とも言われてきた。
日本人なら誰もみんなそんなふうに言われながら大人になったはずだ。今だってたぶんそうなんでしょう?
他の国のことは知らないけど、ともかくこういう質素倹約の姿勢が「日本の美徳」であることは間違いない。

そんなふうにして培われた私の心の中の価値観。それを逆なでするものがある。他でもない。われわれがその中で生きているところの「資本主義の論理」というやつだ。
「資本主義の論理」は「お金をどんどん使いましょう」と呼びかけてくる。お金を使い、物を買い、それを捨ててまた別の物を買うのが「良いこと」なのだ。そうすれば世の中にお金が回って、景気がよくなり、みんなの給料が増えて幸せになるというわけ。これが「資本主義の論理」である。私がわざわざ言う必要もないけど。

でもこれって質素倹約とどう両立するわけ?そもそも両立するものなの?
「資本主義」側は何とかこの「もったいない」という心の防壁を打ち崩し、日本の人々にお金を使わせよう使わせようとやっきになってきた。まだ使えるものをどうやって捨てさせて、新しいものを買わせるか。
そのキーワードが少し前までは、「地球に優しい」であり、今は「省エネ」だ。より「地球に優しい(CO2排出が少ない)」からとか、「省エネ」だからという口実を与えて、まだ使えるものを捨てる抵抗感(もったいないと思う気持ち)を乗り越えさせようとしているわけだ。
でも、大きい目で見てみよう。いくらCO2の少ない車でも、省エネの製品でも、それを生産するときに莫大なエネルギーを使っているわけだ。それに、だいたいこれまで以上に量産して世の中に出回ったら(現実にそうなっているけど)、結局トータルのCO2やエネルギー消費は増えてるんじゃないの。

資本主義の描く人間の幸福とは、お金があって、何でも必要なものが買える生活である。しかし、資本主義というフォースのダークサイドがそこに口をあけて待ち構えているのだ。
それは、「拝金主義」と「物質主義」だ。
本来生活に必要なものを買うためのものだったはずのお金。それがだんだんお金を手に入れることそのものが目的化していく。稼いでいくらお金が手に入っても満足できなくなる。もっともっと欲しいと思う。
そして「物質主義」。本来精神的なものであるはずの幸福を、物の豊かさで手に入れようとすること。高価なもの、高級なものを買えば幸せになれると思ってしまう。そしてそういう物を買うことそのものが目的になり、やっと買ってもまた次の物が欲しくなる。
これじゃ無限に続く飢餓地獄である。そんなところに、幸せはない。でも、少なくともバブルの頃まで、日本人はみんなこんなふうだった。戦後の早い時期に、日本の人はみんなこのフォースの暗黒面に踏み迷ってしまったのだった。そして、結果あちこちにそのほころびが見えているのが今の日本だ。

程よい生活が大事だ。それはたぶん誰もわかっていることである。しかし、資本主義のタチの悪いところは、収入が増加していくなかで、ほどほどの豊かさの段階と、それ以上の必要のない過剰な豊かさの段階がシームレスにつながっていて、その一線が当事者には判らないことである。振り返ってみてはじめて判る。
『三丁目の夕日』の時代の日本を振り返って、あの頃は幸せだったと思う。あのくらいで十分だったと思う人だっているかもしれない。でも、あの時はわからなかったのだ。もう十分幸せなことに気づかず、もっともっと豊かになりたいと思って、みんながんばっちゃったのだ。

仕事を辞め「専業主夫」となって、まったく無収入の身の上となった。
いやおうなく質素倹約の日常である。でもみじめということはない。どうしようもなく染み付いていた資本主義的な幸福感から解放されたせいでもある。
この間、歩いているときに、はいていたスニーカーの甲の部分と底が分解した。こんなになるまではいたことに、とても満足感を覚えた。
昔から踊らされたくないとは思ってきた。もうお金がないのであんまり踊れないけど。やっぱり「省エネ」だからといって、みだりに家電の買い替えはしないつもりだ。

2012年1月12日木曜日

「つけ麺 坊主」訪問

用事があって久しぶりに水戸に出かけたので、お気に入りのラーメン屋「つけ麺 坊主」に寄ってきた。今回は、その探訪記。

正月をはさんだせいもあるけど、「坊主」にいくのはほぼ一ヵ月半ぶり。勤め人時代は、毎日のように通っていたときもあったのにね。

水戸駅北口近くのJTBの角を千波大橋のほうに曲がって歩いていく。店はこの通りを少しいったところにある。
歩きにくい狭い歩道を進むうちに、もう私の気持ちはわくわくしてくる。今日はどんな出来具合かな…。久しぶりのせいもあるけど、毎日通っていた頃も、店に近づいていくにつれ、このわくわく感がいつもあった。
やがて店の前に立ててある2,3本ののぼりが見えてくる。店の名前とか「超激辛」なんて文字が染め抜いてある。と同時に私はもう券売機用のお金を用意し始める。

問題は席が空いているかどうか。ここに来るときは、12時から1時の間は避けることにしている。席待ちで並んでいる場合があるからだ。
この日は12時15分前。ちょっと半端な時間だ。自動ドアが開いて中をのぞくと、券売機に並んでいる人がいたが、席は空いているようだ。L字型のカウンター席のみの店で、席数は12席。
券売機でいつものように「特製ラーメン」と「白めし」と「ビール」のボタンを押す。つけ麺の店だけど、私は大体いつもつけ麺ではなくラーメンを頼む。「白めし」つまりライスは、私にとってはラーメンに必須のつきもの。それとビールもね。

席について食券をカウンターに置くと、御主人が麺の量とライスの量を訊いてくるので、どちらも「ふつうで」とお願いする。大盛りでも値段は変わらないのだが、そして私も食べきれないわけではないのだが、「ふつう」にしている。大盛りにすると、麺と具のバランスが崩れるし、食べるのに時間がかかるので、最後の頃、麺が延びたり冷めたりして美味しく味わえないのだ。おいしく食べ終えるには、やはり標準(デフォルト)の量がいいと思う。

ここのカウンターの色は赤である。もちろん唐辛子のイメージ。客は私を入れて8人、7割の入りということになる。ただし、私以外は全員スーツの男性。いつもは、もっといろいろな客層がいるのだが。
サラリーマンのみなさんのあいだに、セーターを着たおやじ(私)が一人。このおやじは、早速運ばれてきた中ビンのスーパードライを、昼間だというのにぐびぐびと飲み始めるのであった。

カウンターの中は、スープの寸胴、ガスコンロ、雪平、麺を茹でる大鍋、流し場がコンパクトに配置され、これを御主人がひとりで切り盛りしている。
ここの御主人の動きが、きびきびしてじつに気持ちいいのだ。注文を受けて麺を鍋に投入すると、シャカシャカシャカと箸できっちりほぐす。茹で上がると,テボでの水切りも力を入れて全身を使う。つけ麺の場合はここで流水で麺を締めるわけだが、このときの洗い方も勢いがある。
また使った鍋や食器の洗い方も、きっちりしていて小気味よい。そんな風だから、店の中は当然きちんとしていて清潔である。
とにかくどの動きにも、手を抜かない本気と真剣さがあらわれている。そんな御主人の様子を見るのが、私のこの店の楽しみの一つなのだ。

やがて、出来上がったラーメンのどんぶりが、どんと目の前に置かれる。赤いスープの上に、もやしと豚のバラ肉が見え、その上に刻みネギが散らしてある。
さてここからは、無我夢中の時間の始まりだ。ビールはこのときまでに飲み終えてある。
スープをレンゲですくう。やっぱり辛くてうまい。用心したのに、やはり少しむせてしまう。以前紹介した自分で作っているナンチャッテ・ラーメンと比較するべく、2口,3口はじっくりと味わう。今回はとくに脂がうまいと感じる。バラ肉の脂の旨みがかなり出ているようだ。やっぱり、私の使っているチューブのラードではこうはいかない。しかし客観的な吟味は、これでおしまい。

麺をすすり、もやしを口に運び、スープを飲んでいるうちに、だんだん気持ちに弾みと勢いがついてくる。麺はあいかわらずもちもちとコシがあって美味しく、もやしはしゃきしゃき感がほどよい。スープは激辛だが、旨みが豊かで私にはそれが味わえるくらいのちょうどよい辛さ。

熱いし、辛いし、旨いしで、ハフハフしながら食べることにどんどん熱中し、没頭してしまう。文字通り無我夢中である。
私は熱くて辛いものを食べると鼻水が人一倍多量に出るたちらしい。この店にはそのような人のために、カウンター上にティッシュの箱が用意してある。
「無我夢中」中の私は、何度も何度もこのティッシュでひんぱんに鼻をかみ、頭と顔面と首筋に噴出する汗をハンカチでひんぱんにぬぐい、そしてときどきラーメンの「口直し」にライスの茶碗に持ち替える。かなり、忙しい状態である。そして、心は無心だ、何も考えていない。

やがて時が経ち、どんぶりを両手でかかえスープの最後の一滴を飲み干すことになる。そして、コップの水を一息で飲みきるころ、やっと私はわれに帰る。こっちの世界に戻ってくるのだ。
ああおいしかった。この上ない満足感と、満腹感。そして、大量の鼻水と汗が排出されたせいで、体がすっきりした感じになっている。

さてラーメン屋に長居は禁物。食器をカウンターの上段に返し、自分が食べた後をふきんできれいに拭く(これはこの店のルール)。最後にティッシュで鼻をかむと、「ごちそうさま」と言って席を立つ。体はまだ熱いので、上着は着ないで抱えたまま。外はかなり寒かったが、幸せな気分だった。
「つけ麺 坊主」は本当にいい店です。
次回はいつになるやら

その後の「つけ麺 坊主」訪問記は下のラベル表示欄の〔「つけ麺 坊主」訪問〕をクリックしてご覧ください。

2012年1月10日火曜日

私のダイエット体験 (後編)

私はダイエットを実行して、当初の目的の8キロ減を,、めでたく達成できたのだった。
これでダイエットは終わった、と思った。まあ誰でもそう思うでしょう。それまであまり無理はしてこなかったが、それでもいつもダイエットしていることを意識していた。そんな状態から解放されて、これからは何も考えずに普通に食べてもいいのだ。

ところが、である。普通に好きなように食べ始めると、ただちに体重は増えるのである。少し多めに食べたりすると、1キロくらいはすぐ増えてしまう。しかもこの1キロを元に戻すためには、3日も4日もかかる。
私はここでようやく気が付いた。減った体重を維持するためには、やっぱりダイエットを続けなければならないことを。つまりダイエットに終わりはなかった。がっかりだ。

しかもこの体重を維持するためのダイエットは、減らすときのダイエットよりある意味ずっと難しい。減らすときは、体重が減っていくことが何より励みになった。努力すれば努力した分だけ、結果がはっきり現れる。それがうれしいし楽しい。
ところが体重維持のダイエットには、そういう楽しさがない。時間が経てば気持ちもゆるんでしまう。なるほど世にリバウンドが絶えないわけだ。

では私はどうやってこれを乗り切ったか。
そのころ私は二つのものに出会った。ひとつは例の「レコーディング・ダイエット」、もうひとつが消費カロリー計という器具だ。
「レコーディング・ダイエット」はひところずいぶん話題になり流行した。しかし、今はあまり聞かない。ほとんどすべてのダイエット法が、一時的に流行して消えていくが、これもそのひとつだったということなのか。
私は今もこの「レコーディング」を続けている。食べたものとそのカロリーをメモして、毎食ごとに合計し、さらに一日の合計も出している。だいたいの食べ物は、いちいち本を見なくてもそのカロリー数がわかる。慣れてしまったので、今はそんなに面倒を感じない。
この方法がいいのは、自分がどのくらいのカロリーを摂ったかが、はっきりわかることだ。食べることにブレーキをかけ続けていなくてもよいことになる。
いつもいつも頭の隅で「食べ過ぎないように、食べ過ぎないように」と思い続けているのは、うっとうしいしストレスにもなる。いつ襲ってくるともしれない見えない敵に、おびえている状況にちょっと似ている。しかも、少し食べ過ぎたと思うと自責の念にとらわれてしまう。
食べたカロリーを記録することは、「敵」を見えるようにすることである。無用な警戒をしなくてもいいので気持ちが楽になる。
まだカロリーに余裕があれば、がっつり食べたりもする。反対に食べ過ぎて予定値を超えることがあっても、後で減らせばいいので無駄に自分を責めたり後悔したりしないですむ。

消費カロリー計は、私の持っているのはタニタ製の「カロリズム」というものである。出始めの頃だったと思うが週刊誌の広告で知り、即入手した。
これは。歩数計をもう少し発展させたもので、歩数計のように上下の動きだけではなく、体の3D(上下前後左右)の動きを検知してその消費カロリーを表示してくれる。座っているときでも、人は上半身を動かしているわけだから、その動きによって消費されるエネルギーもカウントしてくれるのだ。
そして、これがいいのは、体重や年齢などから推定して一日の代謝によるカロリーを算定してくれるところである。これを、さっきの運動によるカロリーと合算して、一日の総消費カロリー数が表示される。しかも、消費カロリー量の変化を一日のグラフで見せてくれたりして、なかなか楽しい。

というわけで現在は、摂取したカロリーと消費したカロリーと、毎朝計っている体重を手帳に記入している。もちろん、カロリーがプラスマイナスゼロになるよう心掛けるわけだ。もう習慣化しているので、ダイエットしているという意識はあまりなくなった。
それと運動は大体毎日1時間半くらい自転車で走ってくる。ちなみにこのくらいの散歩で消費できるのは180キロカロリーくらい。御飯一杯分にもならないので、カロリー消費的にはあまり意味はない。

昨年の4月に仕事を辞めて「専業主夫」になった。辞める前から続けていた上のような習慣をそのまま続けていただけだが、すぐにさらに2キロやせた。ストレスがなくなったせいと、自分の生活をコントロールしやすくなったためかもしれない。ダイエット開始時から、二段階にわかれたが合計10キロやせたことになる。
今はあまり我慢している意識はない。お昼は以前書いたように平日はほとんど毎日、自家製激辛ラーメンとライスを食べている。私の計算だと、約1000キロカロリー。心置きなくたべられるのは、本当にしあわせだ。あ、また自慢になっちゃった。

2012年1月9日月曜日

私のダイエット体験 (前編)

自慢するけど私はダイエットに成功した人です。始める前にくらべると10キロほどやせた。今日はその体験を少し書いてみよう。

始める前の私は、たんに太っていたというよりも、毎年毎年どんどん太り続けていた。
前の年に買ったズボンが、次の年にはかなりきつくなり、その次の年には完全にはけなくなった。次々にズボンを買い、それが次々にはけなくなっていく。
そこでついに意を決してダイエットをすることにした。今から数年前、私が40歳代後半の頃のことである。そのときは、始めて4ヶ月で8キロほど減らすのに成功した。

始める前ネットでダイエット関係の情報を見てみた。するとあるわあるわ、いろいろの方法と体験談があり、しかもそのうちのいくつかは食い違っていたり、ときにまったく正反対のことを言っていたりで、わけがわからない。
ただとにかく次のような根本原理はよくわかった。すなわち、人が太るのは、消費カロリーより摂取カロリーが多いため。だから摂取するカロリーを消費カロリーより少なくすれば、体にたまっている脂肪が消費されてやせるというわけだ。なんだ簡単じゃないの。

 結局とりあえず次の四つを実行してみた。
①ヘルシア緑茶を飲む(一日一本)
②ところてんを食べる(一日一パック、その分食事を減らす)
③お昼は盛りそばにする。
④一日一万歩歩く(ことを目標にする)。
⑤毎朝体重を量る。
 
 なあーんだと思うでしょうね。そしてたしかに、これだけではなかなかそう簡単に体重は減らない。人間の体はよくできていて、なるべく現状を維持しようと抵抗するものらしい(そんなら太る方にも抵抗してほしいものだ)。
 私のイメージとしては、おぼれかけている人が助けに行った人に、夢中でしがみついてくる感じ。この「おぼれかけている人」というのがつまり太っている体そのものだ。そういう場合、助けに行った人は蹴飛ばしてでも何でも、とにかくいったん突き放す必要があるらしい。そうしないと自分も一緒におぼれてしまうから。
 そこで、私も太った体を蹴飛ばしたのだ。ときどき食事を抜いたり、ヘルシア緑茶やところてんだけで一食分を済ませたりなどなど。ダイエット法では当然よくないとされている。が、このくらいして私の場合やっと減量に向かうスイッチが入ったのだった。

 やってみてわかったのだが、食事を抜くというのは、身体的には別にどうということもない。それよりもむしろ精神的にこたえる。食べないとさみしいし、物足りないし、みじめな気持ちになるし、少しいらいらしたりする。しかしまあ最初の頃だったから、やせることに対するモチベーションがとにかく高かったので、何とか耐えることができた。

しかしいったんスイッチがはいると、あとはそこまでしなくてもどんどん減っていく。体重計に乗るのが楽しみになる。心がけていてその結果がはっきりと数字で見えるのは楽しいものだ。
ただところてんを食べるのはすぐやめた。体の中で大量の水分を吸うとのことで、たしかに便秘になってしまったからだ。
ヘルシア緑茶に、はたしてやせる効果があったかどうかはよくわからない。ただ、ヘルシアの値段は、普通のペットボトルの倍くらいする。そんな高いものをせっかく飲んでいるのだから、あまり食べ過ぎないようにしよう、といつも心にかけていた(ちょっとせこい話だけど)。つまり、ヘルシアのおかげで食べ過ぎのセーブをつねに意識するようにはなった。

このとき身をもって感じたのは、あまりにも我慢が必要なことは誰だって結局続かないということ。ひと月、ふた月と時間が経つと当然モチベーションは下がってくる。なるべく我慢しなくていいようにもっていくことを考えた。
私のダイエット法を一言で言えば、いつも少なめ少なめに食べるというだけのこと。三食食べていると毎回少なくても、我慢している感じはしない。しかもそれでもときどきは、思いっきり好きなだけ食べて一息つくのである。
当時の一日のメニューはざっとこんな感じ。朝は御飯一杯と味噌汁をきちんと食べ、おかずは2~3品程度。お昼は盛りそばのみ。夕食はお酒を飲みながらおかずを普通に食べるが、お米は食べない。
それから歩くことはつねに心がけたが、エネルギー消費的にはほとんど意味はない。ただ、体を動かすことで、多少なりとも気持ちが晴れて、その分だけ食べることを考えなくなるという効果はあったかもしれない。

そんな調子で6キロくらいまでは順調に減っていった。が、このあたりで減少は止まってしまうのである。バランスがとれたのかもしれない。
これでいいかとも思ったのだが、ちょうどその頃、ひどい風邪をひいてしまった。高熱が出て3日間ほとんど何も食べられなかった。やっぱり栄養状態が悪かったせいで重症になったのかと少し後悔もした。それでもとにかく回復し、久しぶりに体重を計ったら病前よりも2キロほど減っていたのである。
その後様子を見ながら、さっきのような食生活に戻ったが、体重は減ったままで、結局つごう8キロ減の状態で安定したのだった。これぞネットでも誰も書いていなかった「風邪ダイエット(?)」である。

こうして当初目的としていた8キロ減を達成したのであった。体は軽くなり、足取りは軽やかで、上りの階段も苦もなく駆け上がっていける。久しぶりに会った人からは、異口同音に「やせたね」と言われ(中には病気のせいかと心配してくれる人までいた)、昔の服も着られるようになった。見た目だけでなく、コレステロール値や中性脂肪も通常圏内に下がった。めでたし、めでたし…。

しかし、これで終わったわけではなかった。じつはここからがある意味本当のダイエット生活の始まりだったのである。
長くなったので以下次回へつづく。

2012年1月7日土曜日

「坊主」風激辛ラーメンのレシピ

私の大好きな水戸のラーメン屋「つけ麺 坊主」。そこのメニュー「特製ラーメン」を自分なりに再現しようと試みたレシピ。これを考えたきっかけについては前回書いた

①スープ……「坊主」のスープは鶏ベースで、これに野菜と、煮干のような魚介系のだしを少し加えて煮込んでいるらしい(たぶん)。鶏ガラは、かなり長時間(8~12時間?)かけて煮込んでいるもよう(たぶん)。
これと同じことはとても出来ないので、私の場合は、前回書いたようにネットで見かけたタモリさんのレシピにならって、粉末や顆粒のだしを使うというナンチャッテ・レシピでスープを作っている。しかしこの配合には苦心した。

一食分の水500ccに、以下のもの(一応ダブルスープのつもり)を加えている。

〔動物系〕 鶏ガラスープ(顆粒) 小さじ2~3、白湯豚骨スープ(顆粒) 小さじ1、ガーリック・パウダー 小さじ1/2

〔魚介系〕 いりこだしの素、こんぶだしの素、かつおだしの素以上の三種を自分でミックスした粉末を小さじ1

上記の粉末や顆粒のだしはたいてい塩分を含んでいるので、加えていくとスープ全体がどんどんしょっぱくなってしまう。そこで、魚介系のだしについては塩分無添加のものを探して使っている。
動物系のスープは塩分無添加のものが見つからないので、普通のものを使っている。もっと加えたいのだが、しょっぱ過ぎてしまうので、この分量になっている(本当はもっと入れたい)。
なお塩気はもうこれで十分なので、ふつうスープに加えるいわゆる「かえし」、つまり、味噌とかしょうゆとか塩とかは必要ない。
鶏ガラスープに代えてチキンコンソメにしたり、白湯豚骨スープの代わりに中華あじの素(ビーフベース)などを使ったりすることもある。バランスが難しいが、それぞれそれなりの美味しさがある

しかしいずれにせよ鶏ガラを長時間煮込んでいる本物の「坊主」のスープは、やっぱり風味が豊かで、旨みに奥行きとふくらみがあり、当たりまえだがまったくかなわない。

②麺……「坊主」のは中太でコシのあるストレート麺。自家製ではなく、製麺所から仕入れているものと思われるが、ラーメン本などを見ても(ほかの店は製麺所名を出しているのに)どこから仕入れているのか明かしていない。
まるでスパゲティのようにも見えるので、実際にスパゲティで作ってみたが、やっぱりラーメンにはならなかった(当然だ)。

それで、スーパーで売っているつけ麺用の太い生麺を使っている。東洋水産(「マルちゃん」ブランド)の「つけ麺専用中華麺」というもの。ちなみに袋にあの「大勝軒」の山岸一雄監修と銘打ってある。特別なものではなく、私の近所のどのスーパーにも置いてあって簡単に入手可能。

ところでこの麺にスープは付いていない。スーパーにこの在庫がいつもたくさん並んでいる様子を見るにつけ、自分でつけ麺を作って食べる人が本当にこんなにいるのかと不思議になる。

③辛味味……「坊主」のスープは赤い。唐辛子の色であることは間違いないが、唐辛子を大量に入れただけでは、あの深みと旨みのある辛さにはならない。
とりあえず見てわかるのはスープの表面にさらに色の付いた辛味オイルが浮かんでいること。また細片が見えるので唐辛子はパウダーではなく荒挽きのようだ。
試行錯誤の末に取りあえずたどり着いたのが以下のような配合。

〔鷹の爪〕 1/2本。これを半分にちぎって種ごと投入。
荒挽きの唐辛子粉を大量に入れると、粉っぽくなって食感が悪くなるので、一部を鷹の爪に置き換えてみた。

〔豆板醤(とうばんじゃん)〕 大さじ1/2
旨みを出すために入れている。入れ過ぎると、この風味が前面に出てきてしまうのでこれでも控えめ。コチジャンも使ってみたが合わなかった。

〔唐辛子粉〕 韓国産唐辛子大さじ1~2、一味唐辛子大さじ1~2。
この量にびっくりしないでください。私は辛さに対してかなり耐性があるが、普通の人にはとんでもない量だろう。
思い返すと、私は「坊主」に何人か知人を連れて行ったことがあっだが、みんな完食できなくてギブアップしていたっけ。
韓国産唐辛子は、(意外なことに)あまり辛くない。だいたい日本産の一味の半分くらいの辛さ。その代わりにふくよかな旨みがある。たしかにキムチは韓国唐辛子でないと出来ないわけだ。
しかし、韓国産唐辛子だけだとマイルド過ぎるので、辛味にシャープさを出すため一味とブレンドしている。

〔ラー油〕 大さじ1。
「坊主」の辛味オイルの正体は不明。自家製か?
「坊主」のラーメンには、かすかにゴマの風味を感じる。ラー油がごま油ベースなのか、あるいはスープに練りゴマが加えてあるのかと思い、どちらも試してみたが、ちょっと違う感じだった。

〔さんしょ粉〕 ビン10振り。仕上げに。
舌にくる唐辛子とはちょっと違うビリッとした辛さを再現しようとした。

〔七味〕 七味(一味ではなく) 大さじ1。仕上げに。
これは「坊主」の再現ではなくて、風味をさらに足したいと思った。

④その他……以下のようなもの。

〔油〕 よくラーメン屋で目にするのは背脂だが、手軽なものが入手できないのでチューブ入りのラードを加えている。ラー油にさらにラードが入ると、コクが出るのはもちろんとして、重要なのは辛さと旨みと塩気がマイルドに溶け合う感じになること。

〔魚粉〕 最近のラーメン屋の流行で、魚介系の風味を増すために、仕上げによく魚粉が振りかけてある。「坊主」でも一部メニューで使われている。
この魚粉を手に入れたくてだいぶ苦労した。この用途専用のものは売っていないようで、煮干の粉末など使ってみたが今ひとつ。
しかし、魚介の細粉をティーバックのように紙の袋に入れたものを見つけた。これを煮出してから取り出し、本格的な和風のだしをとるためのものだ。中身はいろいろあるが、鰹節といりこ(いわしの煮干)と昆布の粉末をミックスしたものを買って、紙の袋から出して振りかけている。

〔野菜〕 これは具として入れるのだが、かなり大量に投入するので、スープに旨みを付け加える役割も果たしている。季節によって変るが、長ネギ、キャベツ、白菜、もやしなど。

〔ライス〕 私にとってラーメンには御飯が付きもの。量が足りないからではなく、あくまでラーメンをよりよく味わうためである。「坊主」は、麺の量が大盛りでも値段はふつう盛りと同じなので、大盛りを頼む人が多い。だが、私はあえてふつう盛りにして、べつにライス(「坊主」では「白めし」と言う)を頼んでいる。

⑤トッピング……次のようなものを良くのせている。

〔海苔〕 ラーメン屋のトッピングの海苔はけっこう高い。なので、家で食べるときは、ぜいたくしようと思って海苔をのせている。しばらくスープに浸してほっておき、十分にスープがしみた頃あいをみて御飯にのせて食べるのである。

〔刻みネギ〕 「坊主」でトッピングのネギを頼むと御飯茶碗にたっぷり捌盛で出てくる。どんぶりの上にどばっとあけるとラーメンが見えなくなるくらい多量だ。これを少しずつ麺と混ぜながら食べるのが最高。これを家でも再現している。ただし半日は口からネギ臭が消えない。

〔ゆず〕 たまたま今ゆずがあるので刻んでネギと一緒に薬味にしている。「坊主」の期間限定だった「極辛」ラーメンにゆずが入っていてそのセンスに感心したことがある。

以上。一応長々と書いてはみたものの、このレシピで作ってみようという人ってはたしているのだろうか。
とにかく辛過ぎには注意。大変なことになっても、私のせいじゃないからね。
なお、「坊主」で実際にこんなふうに作っているわけではないと思うので、そこはくれぐれも誤解なきよう。一応念のため。

その後、坊主の幻のメニュー「極辛麻婆らーめん」の再現も試みてみたので、興味のある方はそちらもどうぞ。
またその後、麺も自分で作るようになった。作り方は次のページを参照されたい。「ラーメンの手打ち麺のレシピ

2012年1月6日金曜日

「坊主」風激辛ラーメンのレシピ 序章

「専業主夫」の私は、一日三回食事を作っている。外食したり、外で買ってきたお弁当を食べたりということはめったにない。さらに言うと御飯は保温しないでそのつど炊き、前回の食事の残りをそのまま(つまり二食続けて同じメニューを)食べるということもしない。
そのため料理をしたり片づけをしたりで、一日合計3時間以上は台所に立っていることになる。が、まあこれも趣味だからね。というわけで、今回はレシピの紹介。

 勤め人をしていた頃、ひところはほとんど毎日のように通っていたラーメン屋がある。JR水戸駅の北口から歩いて四、五分のところにある「つけ麺 坊主」だ。
「激辛」が売りで、辛い物好きの私は完全にこの店にハマった。唐辛子で地獄のように赤いスープと、激辛のマーボー、そしてそれだけで食べてもうまい中太のストレート麺。味と体裁は東京の「蒙古タンメン中本」のそれにかなり近い(「坊主」の主人は気を悪くするだろうけど)。しかし、「中本」よりうまいと言う声もある。

さて仕事を辞めて、水戸にも行かなくなり、「坊主」のラーメンともすっかり御無沙汰になってしまった。
でもやっぱり食べたい。そこであの味を何とか自宅で再現しようと苦難の道が始まったのだった。今から数ヶ月前のことである。と言っても、スープは、ネットで見かけたタモリさんのレシピにならって粉末や顆粒のだしで作ることにした。つまり「ナンチャッテ」スープ。
結果、何とか満足のいくものが出来るようになり毎日お昼に飽きずに食べている。

しかし、正直に言うと、月に一回くらい水戸に出た折に、「坊主」に寄るのだが、やっぱり本家本元の味は段違い(まあこっちは「ナンチャッテ」なんだから当然だけど)。そのたびに私の味との落差に打ちひしがれつつ、「もうちょっとあそこの味をこうしよう」などと反省しながら帰ってくるのであった。

というわけで、長くなってしまったので、以下レシピは次回ということに。

2012年1月5日木曜日

柳家喬太郎の「純情日記」

正月休みも明けてうちの奥さんも今日から出勤。「専業主夫」の私には、また淡々と家事にいそしむ静かな時間が戻ってきた。
さて今日は落語のお話。

昨日ネットの動画で柳家喬太郎の「純情日記 横浜篇」を久しぶりに聴いた。私はほぼ毎日CDで落語を聴いているが、ネットで観ることはあまりしない。昨日は正月でちょっと暇だったのだ。
喬太郎のこの映像を観るのはこれで確か三回目。飽きるどころか、またまた楽しませてもらった。2000年の真打昇進披露時の映像で、以前は(社)落語協会のホームページのアーカイブズとして公開されている。

喬太郎は現役の噺家の中で私が一番好きな噺家だ。私が言うまでもなく、たぶん世間的にも今一番人気がある噺家ではないか。柳家小三治、桂歌丸といった老大家はもちろん、立川志の輔、立川談春ら「実力派」よりもその人気はたぶん上だと思う。まあどうでもいいことだけど。

喬太郎は、舞台に登場すると。まずいきなり客の気持ちをぐっと引き寄せて掴んでしまう。あくまでひょうきんに見えるが、たぶん計算もしているのだろう。それでもそこには人を引き付けるオーラのようなものが感じられる。

そして彼のこの話の何よりの魅力は、主人公「オレ」の「純情」ぶりだ。
バイト先で好きになった女の子をドキドキしながら電話で誘って、横浜の街でデートし、山下公園で「コクる」という、書いているだけで気恥ずかしいような単純な話である。喬太郎はうまく誇張しながら「純情」男のオタオタぶりを爆笑の中に描く。しかし可笑しいだけではないのだ。好きになった女の子を前にした男は、みなこんな風に自信を無くし、卑下し、小心になってしまうものだ。老若を問わず男の客の九割くらい(?)は、そんな主人公に共感を抱くに違いない。
人間の心理に対するこの噺家の観察眼の鋭さを感じないではいられない。

それからついでに書いておくと、この話の冒頭が私は好きだ。古典落語として有名な「黄金餅」という話が始まるのだが、そこへ主人公の現代の若者言葉が割って入る。これは友人の噺家の卵が一人で落語の練習をしているところへ、主人公が勝手に入ってきて声をかける場面である。だが、その事情がわかるまでの間、江戸の言葉と現代語のせりふが交錯してじつにシュールな空間が作り出されている。
なお、今回遅まきながらなぜここで語られるのが「黄金餅」なのかということにやっと気がついた。落語ファンのみなさんならとっくに判っていたでしょうね。

2012年1月4日水曜日

新年はレッドツェッペリンから

新年の私の音楽生活はレッドツェッペリンから始まった。

私のリスニング・スペースはキッチンである。流し台とガスレンジが並んでいて、その向き合いに食器戸棚がある。その戸棚の側にミニコンポがセットしてある。
年末から年始にかけて、ツェッペリンのCDが、ターンテーブルで回り続けた。おせちを作ったり、お雑煮を作ったり、お皿を洗ったりしながら「コミュニケーション・ブレイクダウン」や「イミグラント・ソング」や「ブラックドッグ」を聴いていた。

ツェッペリンは、私のロック体験の原点のひとつだ。そして依然として私の好きなバンドベスト5のひとつでもある(あとの四つについてはおいおい書いていきます)。意図したわけではなかったのだが、年の初めにBTTB(バック・トゥ・ザ・ベイシック)したわけで、今年はなんだか良い年になりそうな気がする。

ツェッペリンは現在もけっこう人気があるようだ。なにしろヘヴィ・メタルというジャンルの始祖なわけだからね。
ところで古いファンとして、最近のツェッペリンをめぐる論評の中で違和感を感じる点がひとつある。それはドラマーのジョン・ボーナムに対する評価の高さだ。このバンドの音を支える立役者であり、名ドラマーだみたいなことを最近のライターは口をそろえて書いている。

このバンドが現役だった頃、ボーナムのドラムをほめている人なんか私の周りには一人もいなかった。あのドタバタしたドラミングが「巧い」わけ?
「モービーディック」における例の悪評高い彼のドラムソロ(&うなり声)を聴くまでもなく、あるいはまた『狂熱のライブ』の能天気な爆走シーンを観るまでもなく、ボーナムという人は、音はデカいがセンスはない肉体派ドラマーだよね。凡庸ではないかもしれないが、ドラマーとしてはまあせいぜい「ふつう」程度というのが私の見方だ。
ツッペリンの音の個性の一部とはなっているが、音全体を支えているというのは言い過ぎでしょう。ただし、誤解しないでほしいが私はこのドタバタドラムを否定はしない。それどころかあまりにも長い間聴き続けてきたために、愛着を感じている。これがあるからツェッペリンのサウンドなのだと。

ツェッペリンについてはまだまだ書きたいことがあるのだが、とりあえず今日はこのへんで。
まあ、こんな調子でこれから自分の感じたことを正直に書いていきたいと思っている。

2012年1月2日月曜日

ブログ始めます

早期退職してはや9ヶ月。日々感じたこと、映画の感想、ロックについて思うこと、散歩しながら考えたことなど綴ってみたいと思います。