2012年11月30日金曜日

公園日記 「水戸市七ッ洞公園」

11月も終わりに近いある日、水戸市の七ツ洞公園に散歩に出かけた。
七ツ洞公園は、かなりユニークというかヘンテコな公園だ。園内に何ともおかしな珍風景、オモシロ景観が展開されている。
この公園はイギリスの設計事務所によって設計されたイギリス式の庭園とのこと。だから谷の上下の端にある建物(パヴィリオンというらしい)をはじめ、園内のあちこちには、西洋風の構築物が設置してある。谷の隣には「秘密の花苑(はなぞの)」という花壇なんてのもある。
日本のごく普通の田舎の風景の中に、いきなり昔の西洋風の建物が場違いにあるところが何とも突飛でヘンテコなのだ。

七ツ洞公園は,水戸市の北西部、那珂市に接するあたりにある。このあたりは那珂川の両岸に広がる平地を見下ろすように那珂台地のへりが川と平行して続いている。この台地に深く切れ込んだ谷のような地形を生かして作られているのがこの公園だ。
このあたりには横穴式の古墳が七つあったとのことで、それが「七ツ洞」の地名の由来とか。このうち四つの横穴が現在は池に水没しているそうで、水が少なくなると見えるらしい。
広さは約8ヘクタール。細長い谷には、湧き水をダムでせき止めて大小五つの池が並んでいる。この池を囲むようにして両側に森がある。水と緑が豊かな公園だ。

けっして山奥ではないが、公共交通機関によるアクセスはかなり不便。最寄りのバス停からは20~30分は歩かなくてはならない。そういう意味ではかなりへんぴな場所と言える。そんなところに、さっき紹介したようにいきなり場違いの西洋風の庭園が現れるのだから面白い。
今年はこの公園にまつわる大きな話題があった。今年の4月に公開された映画『テルマエ・ロマエ』という映画のロケ地として使われたのだ。
私は見ていないが、この映画は古代ローマのお風呂の設計者が古代ローマと現代日本との間をタイプ・スリップして往復するという話とのこと。その古代ローマのシーンのいくつかが、この公園でロケされたのだ。イギリス式のはずだが、古代ローマのシーンとして使えたわけだ。

この日もいつものように台地の側から公園に入っていった。
例によって人影はほとんど見えない。『テルマエ・ロマエ』の効果で、最近は来園者が増えていると聴いたが、あまりそんな実感はない。まあ今日は平日だしね。
この公園は池の周りを周回するようには出来ていない。南北に並んでいる池の東側のほとりに沿ってずっと木道が続いている。そこを歩いていきながら、それぞれのダムのところで対岸に渡り、また引き返すのが私なりの歩き方だ。渡ったその先に、何がしかのオブジェが建っている。

ダムは谷の上流から順に、「ダムA」、「ダムB」…「ダムD」と名前がつけられている。いかにもお役所式の工夫のないネーミングだねえ。
「ダムA」は、自然の岩が崩れて流れをせき止めたような雰囲気(実際にせき止めているわけではない)になっている。次の「ダムB」は水の中の島に両岸から木の橋を掛けたもの。だから、これも本当はダムではない。
「ダムC」は土の堤。「ダムD」は土手だけど一応、石造りの橋のような様子になっている。つまり上流から下ってくるに連れて、ダムの造りが、太古から近代へと時代を下ってくるようになっている。なかなか凝った趣向だ。それに連れて、池も大きくなってくる。

木道を歩いていって「ダムA」を飛び石のように渡る。その先には、森の中にちょっと奥まって石の門のようなものがある(「フォーリー」と言うらしい)。ところどころ門の石が崩れている。去年の地震で崩れたのか、廃墟を演出するためにもともとそんな風に作ってあるのかは私には判別がつかない。
また木道に戻って下っていく。落ち葉が木道の上にたくさん散っている。次に「ダムB」を渡る。中の島には東屋がある。床にタイルで模様が作ってあり、これが西洋風ということなんだろうな。
またまた木道に戻る。森が池にせまり、木々の下に木道が続いている。自然を満喫だ。池もだんだん大きくなってくる。
「ダムC」に出ると視界が開ける。上流の側にも下流の側にも水面が開け木々の緑が移り込んでいる。左右には森が迫っている。
樹木で囲まれた閉じた空間の底に水があり、その上には空の青だけ。この静かで閉じている感じがとてもいい。まるで、別世界。この公園の中でここが私の一番気に入っている場所だ。穏やかで静かな時間が過ぎていく。

またまた木道に戻る。今度は石の橋の「ダムD」を渡る、今度は引き返さずに向こう岸の東屋のわきから通じている山道に入る。池のほとりの細い道を辿りながら谷の一番下の「ダムE」まで歩いていった。
いつ見てもここにある丸屋根のパビリオンの姿は唐突感があるなあ。そこから少し西側の坂を上がっていくと「秘密の花苑」だ。
 上から見ると円形で十字に通路がある完全に幾何学的な形の西洋式花壇だ。こんな田舎の一画にあるのが何とも「秘密」っぽい、とは言えるだろう。今の季節は花がちょっと寂しい。

ここをささっと抜けて突き当たりの左の出口を抜けると、道は林の中の細道に続いている。ちょっと寂しい気分になる。こんなディープな道を歩く人なんているんだろうか。たぶん月に一人いるかいないかくらいじゃないのかな。
林を抜けると子供の広場がある。遊具が少し置いてある小さな広場だ。この広場と駐車場の間が野原になっている。本当に何もない原っぱで、端の方にちらほらベンチがあるだけ。意図してのことなのかはわからないが、この「何にもない」感がなかなかよい。
誰もいないこの野原を雑草と落ち葉をがさがさと踏みながらぐるっと一周する。

ここからまた池の方に降りていき、森の中の展望台からまた木道に戻った。今度は、上流の方へ戻っていく。
もう一度「ダムA」を渡って向こう岸に渡る。そして、池の向こう側の山道のような道に入る。湧き水で湿った地面に板をおいただけのなかなかワイルドな道だ。板はところどころ腐食してボロボロになっていてあぶなっかしい。
やがて出発した台地の上に帰ってきた。一時間弱のミニ散歩だった。そのヘンテコさも含めて自然が豊かでとてもよい公園だと思う。

2012年11月28日水曜日

キング・クリムゾン『太陽と戦慄』への道のり(第1回)

<40周年記念エディションを買うまでの私の道のり>

「デビュー40周年」ということで、今、世間を賑わせているのは、当然ユーミンだろう。記念のベスト盤の広告を、新聞の全面を3頁も使って出していたのにはさすがに驚いた。そんなお金をかけなくても、このベスト盤は飛ぶように売れるだろうに…。

それはさておき、ロック・オヤジの間で今話題のもう一つの「デビュー40周年記念盤」と言えば、何と言ってもキング・クリムゾンの『太陽と戦慄』の40周年記念エディションだ。今月の『レコード・コレクターズ』誌(2012年12月号)も、なかなか力のこもった特集を組んで紹介している。
この記念エディションは、つごう3種が発売されている。
まず、これまでにすでに出ている他のアルバムと同様の仕様のCD+DVD版。それからCD2枚組版。そして、破格の15枚組ボックス・セットだ。
クリムゾン・ファンのみなさんは、これにどう対応したのだろうか。

私は、はじめはいっさい買わないつもりだった。昨年、隠居生活に入ったとき、これからはもうデモとか、別テイクとか、リマスターとか、リミックスとかにはいっさい手を出すまいと心に決めたからだ。
しかし、今号の『レコ・コレ』誌の特集を見ているうちに、もぞもぞと食指が動き始めた。で、とうとうCD+DVD版を買ってしまった。価格は5千円弱。今年買ったCDの中では、一番高い買い物になってしまった。
しかもどうせ買うなら、これまでに持っている他のアルバムの40周年記念エディションとおそろいの、ディスク・ユニオン特製のボックス(アルバム・ジャケットをデザインしたもの)つきで買いたい。私は、このボックスつきで『宮殿』と『アイランズ』と『レッド』を持っている。『太陽と戦慄』だけ、箱なしというわけにはいくまい。というわけで、電車賃までかけて、新宿に出かけていって買ってきたのだった。

<今回の40周年記念エディションの「キモ」>

私にとっての今回の40周年記念エディションの「キモ」は二つだ。
ひとつは、1972年10月17日にドイツ、ブレーメンのスタジオで収録された3曲の演奏の映像。これが今回初公開されたのだ。
この内の一曲「ラークス・タングー…(パート1)」のみが、加工されて音楽番組「ビート・クラブ」で放映された。この映像は、「ビート・クラブ」のオムニバスを手に入れて見たが、狂人めいたミューアの姿が強烈に印象に残っている。この曲の加工前の映像を含む3曲の映像が今回はじめて世に出たというわけだ。

二つめのキモは、ボックス・セットに収録されている1972年のいくつかの未発表ライヴ音源だ。これまでまったく未発表だったものや、配信のみで未CD化だった音源が含まれている。

私の持っている「ビート・クラブ」は、VHS版なのでもう見ることができない。狂人ミューアをまた見たいし、このときの他の曲の映像もあるならぜひそれも見てみたい。買わないつもりの今回のCD+DVD版を買う気になったのは、ひとえにDVDの方に収録されているこの映像のためだった。

未発表ライヴ音源も気になったのだが、これはボックス・セットを買わないと聴けない。価格は22000円なり。うーむっ。15枚組と思えばそんなに高いとも言えないが、やっぱりあきらめた。

<40周年記念ボックスの概要>

このボックス・セットの概要については、今号の『レコ・コレ』誌の特集で、要領よく説明されている。
15枚のディスクの内容は二つに大別される。ライヴ音源とスタジオ音源だ。
『太陽と戦慄』が録音されたのは1973年の1月から2月にかけてのこと。その録音に先立つ前年の10月から12月にかけて、前月からリハーサルを始めたばかりの新生クリムゾンは、このアルバム用の曲をライヴの場で演奏しながらシェイプ・アップしていったのだった。このボックス・セットのディスク1から9までの9枚は、この時期のライヴ演奏を辿っているのだ。
残りのディスク10から15までの6枚は、アルバム録音時のデモ、別テイク、各種マスター等のスタジオ音源を集めている。
ボックスの原題に「コンプリート・レコーディングズ」とあるように、ライヴとスタジオ音源を合わせて『太陽と戦慄』制作に関係する音源を洗いざらい集めたというわけだ。

スタジオ音源の方は、あまり興味はない。しょせん資料的なものだろう。問題は、ライヴ音源だ。この頃のライヴは、アルバム収録曲に加えて、毎回長い即興曲を演奏している。即興だから、そのつど異なった展開になる。だからクリムゾンのブートは珍重されるのだ。

このボックス・セットのライヴ音源の内容は以下の通り。

〔ディスク 1 & 2〕  
Oct 131972  Live at the Zoom Club ( Frankfurt *『コレクターズ・キング・クリムゾン』として既発
〔ディスク 3〕  
Oct 171972  Live in the studio ( Bremen
*『コレクターズ・キング・クリムゾン』として既発
〔ディスク 4 & 5〕  
Nov 101972  Live at the Technical College ( Hull
*ダウンロードのみで流通
〔ディスク 6
Nov 131972  Live at the Civic Hall ( Guildford
*『コレクターズ・キング・クリムゾン』として既
〔ディスク 7
Nov 251972  Live at New Theatre ( Oxford *ダウンロードのみで流通
〔ディスク 8〕 
Dec 11972  Live at Greens Playhouse Glasgow,
*未発表音源
〔ディスク 9〕 
Dec 151972  Live at the Guildhall ( Portsmouth
*未発表音源

以上である。私の持っているアルバムを引っ張り出してこのリストと照合してみた。
『コレクターズ・キング・クリムゾン』のシリーズは、ディシプリン期以降は別として、その前までは当然全部持っている。だから、ディスク1、2のズーム・クラブ(フランクフルト)と、ディスク3のビート・クラブ(ブレーメン)、それにディスク6のギルドフォード公演はそれで聴ける。
それから手元のブートレグをひっくり返してみたところ、ディスク7から9までのオックスフォード、グラスゴー、ポーツマスでの公演の音源は、ちゃんとすでに持っていた。すっかり忘れていたのだ。長い間クリムゾンのファンをやっていたかいがあったなあ。
ボックスの方が多少音は良いだろうが、『コレクターズ・キング・クリムゾン』のシリーズと同様どうせブートレグから起こしたものだろうから、私の持っているものと格段に違うはずはない。

結局、持っていないのはディスク4、5のハルのテクニカル・カレッジでの演奏のみだということがわかった。これは悔しいが、これだけのためにボックスを買うほどでもないだろう。と、あきらめがついたのだった。

というわけで、手元のCDを順番に聴きながら、『太陽と戦慄』に到るクリムゾンの道を辿るというボックスの趣旨を疑似体験してみることにした。
その内容については、次回に書くことにしよう。

2012年11月22日木曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「特製らーめん」 紅葉編

ついこの間まで暑い暑いと言っていたら、たちまち秋を通り越してり初冬になってしまった感じだ。二、三日前には、木枯らし一号が吹いたと発表されている。
そんな11月の下旬に、久しぶりに水戸に出かけた。当然久しぶりに「つけ麺 坊主」さんを訪問。前回から一ヶ月弱ぶり、今月になってから初めての訪問だ。ずっと食べたいと思っていたのだったが、なかなか出かける機会がなくて…。

平日の午前11時10分に入店。先客2人。開店は11時なのに相変わらず早い人がいるんだなあ。まあ自分もその一人なんだけど。さらに、私に続いてすぐもう一人入店(後客は結局6人)。
今日も私の定番の「特製らーめん」にする。さらに思いつきでトッピングに「バター」。そしていつものように「白めし」と「ビール」。

先客二人はカウンターの一番奥に座っていたので、私は反対の端、手前の一番右側に座る。黄金の蛙ちゃんの置物の前だ。麺とめしはいつものように普通盛りでお願いする。

先客の分の調理が佳境らしくて、いつもはすぐに出てくるビールが今日はなかなか出てこない。ま、べつにいいんだけれど。
店内のエアコンは暖房になっている。この間までは冷房で、扇風機もがんがん回っていたのに。季節が巡るのは早い。
厨房の鍋から立ち上る湯気が白い。夏の間は、たしかあんなに湯気は白く見えなかったと思う。

男女二人組みの先客は、杏仁豆腐も頼んでいた。ここのメニューでは「親父の杏仁豆腐」(甘さ控えめ)となっていて150円。御主人は、奥の冷蔵庫からタッパーをもってきて、へらのようなものでそっとすくっては器に盛り付けている。
これを注文している人をごくごくたまに見かける。そのたびに必ず思うのだが、こういうめったにないオーダー(失礼)のために、つねに仕込んだものをスタンバイさせておくのは、ロスもあってけっこう大変だろう。商売はやっぱり大変だ。
やっとビール登場。寒けりゃ寒いで、やっぱりうまい。

その後で私の注文の製作に入り、程なく「特製らーめん」が目の前に登場。久しぶりの御対面だ。今回は、まん中のもやしと豚肉の山の隣に大きなバターのキューブもごろりとのっている。豪華感がある。
取るものもとりあえず、例によって、レンゲでスープをひとすくい。あつッ。しかし、ひるむことなく、立て続けで、二口、三口…五口。今日の味はちょっと様子が違うぞ。
まず辛さが立っている。いつもょり直線的な辛さだ。そして、いつもより塩気も多い。といっても一般のお店のラーメンよりはまだまだ塩分は薄いが。そして、味噌分を感じる。これまでも入っていたのだろうが、辛さと旨さの陰に隠れていた。その代わりに甘さと旨さは若干弱い感じ。これを補う点で、バターのトッピングは大正解だった。
やはり、当たりまえのことだけど、日によって微妙に味は違っているのだなあ。でも、これはこれでよい。とくに辛さが強いのはよい。

スープとご飯を交互にけっこうな量を食べて、やっと人心地がつく。それからおもむろにトッピングと麺をほぐしにかかる。巨大なサイコロ状のバター(一辺が25ミリはありそうだ)は、なかなか溶けないが、これはあえてほおっておく。
ほぐれにくい麺を、何とかほぐしつつ、引っ張り出してすする。熱い。いつもより熱く感じるのは、こちらが冷えているからか。熱いにもかかわらず、麺はもちもちとしっかり歯応えがあった。相変わらず美味しい。これが食べている間に、どんどんのびて柔らかくなっていく。ラーメンの宿命だ。具材は食べずにしばらく麺だけを食べる。
バターは溶けて少しずつスープの面に広がっていく。そのあたりから麺をすくって食べ、次にどんぶりの反対側のバターがまだ及んでいないあたりからすくって食べる。これを交互に繰り返す。味の変化が楽しい。

いつものようにしきりに鼻水が出始める。フーフーしながら麺、具材、麺…と口に運び、ときどきレゲでスープをすくう。スープを飲んだら丼を持ち替えて、ご飯をもぐもぐ。その合い間、合い間にティッシュで鼻をかむ。とにかく忙しい。
体も温まってきた。ときどき客の出入りで背中側の自動ドアがあいて、冷たい外気が入ってくる。これが今は気持ちよく感じる。

忙しくなってくるにつれ、どんどん食べることに没入していき、いつものように「無我の境地」に突入。今回は辛さが直線的なので、いつもより辛さが強い感じで、しかもいつまでもそれが持続している。没入の深さはこの辛さの度合いに比例しているようにも感じる。

やがてご飯とラーメンをスープまで完食。
ごちそうさまでした。カウンターの上をきれいに拭いて立ち上がる。身も心も満足。幸せな気分だ。

その後今日は水戸の紅葉の名所を巡った。県立歴史館の銀杏並木と、その近くにあるもみじ谷。紅葉は今ひとつ。それでも、珍しく人出はあった。ちょっと冷たい空気が、きりっとして気持ちよかった。

2012年11月17日土曜日

ツェッペリンのブルース・ルーツについてのメモ

The Early Blues Roots of Led Zeppelin』というアルバムがある。私は数年前にタワー・レコードで見つけて手に入れた。
ジャケットがデジパックで、ブックレットつき、しかもアナログ盤風のピクチャー盤。なかなか気が利いたつくりにもかかわらず、輸入盤とはいえ価格が1000円以下と、かなりお得感があった。

これはツェッペリンに影響を与えたブルースのオリジナル曲を集めたコンピレーション盤だ。
ツェッペリンの音楽の最も重要なルーツが、ブルースであることは言うまでもない。同様の企画のアルバムは、他にも『ツェッペリン・クラシック』など何種かあるようだ。が、私はこれしか持っていない。

いくつかあるブルース・ルーツのコンピ盤の中で、このアルバムのユニークなところは、タイトルに「Early Blues」とあるように、初期の古典的なブルース、つまり戦前の南部ブルース、あるいはカントリー・ブルースの曲だけを集めたものであることだろう。
付属のブックレットの解説によると、これらはすべて1920年代から40年代にかけて録音されたものだという。14人のブルース・マンによる17曲。スタイル的には、アコースティックな弾き語りの曲が中心。

その代わり戦後のシカゴ・ブルースやシティ・ブルースなど、電化楽器とバンド・スタイルで演奏するブルースは入っていない。
だからツェッペリンのブルースのカヴァーの中では最も有名と思われるマディ・ウォーターズ「ユー・シュック・ミー (You Shook Me)」とか、オーティス・ラッシュの「君から離れられない (I Can't Quit You Baby)」とか、「レモン・ソング(The Lemon Song)」の原曲、ハウリン・ウルフの「Killing Floor」なんかはこれには入っていない。

曲目は次のとおり。

The Early Blues Roots of Led Zeppelin

1. When the Levee BreaksMemphis Minnie
2. Sugar Mama
Sonny Boy Williamson
3. Jesus Gonna Make Up My Dying Bed
Josh White
4. Nobody's Fault But Mine
Blind Willie Johnson
5. Traveling Riverside Blues
Robert Johnson
6. Girl I Love She Got Long Curly Hair
Sleepy John Estes
7. Shake 'Em on Down
Bukka White
8. I Want Some of Your Pie
Blind Boy Fuller
9. Gallis Pole
Leadbelly
10. My Mama Don't Allow Me
Arthur "Big Boy" Crudup
11. My Baby I've Been You Slave
Sonny Boy Williamson
12. Fixin' to Die
Bukka White
13. Boogie Chillen
John Lee Hooker
14. Lone Wolf Blues
Oscar Wood
15. Got the Bottle Up and Gone
Sonny Boy Williamson
16. Truckin' Little Woman
Big Bill Broonzy
17. Going Down Slow
St. Louis Jimmy Oden

タイトルを見ただけでどの曲の原曲かわかってしまうものもあれば、そうでないものもある。
で、ツェッペリン・ファンである私としては当然ワクワクしながら聴き始めたわけだ。たしかにあの曲の原曲はこれだったのかという驚きもいくつかはあった。しかし、大半の曲は、ツェッペリンとの関係がさっぱりわからない。
このアルバムのブックレットの英語のライナー・ノートは、4ページもあるのに、各曲についての情報はほとんどないに等しい。
そこでネットでこのアルバムについて調べてみた。ツェッペリン・マニアの誰かが詳細に説明してくれているのではないかと期待したのだが、私には探し当てられなかった。
このアルバムを持っている何人かの方の記事を見ても、ツェッペリンとの曲の関連がわかっている人はいないようだった。

そこでしかたなく自分なりに調べたメモが今回のこの記事である。
参考にしたのは、主に『レコード・コレクターズ』誌1996年2月号のツェッペリン特集に掲載された小出斉氏の「ブルースから曲のイメージを、ファンクから音の骨格を アメリカ黒人音楽との関わりを徹底検証」という文章だ。
他にこのアルバムのブックレットのパット・ハリソン(Pat Harrison)という人の解説(前述のように曲についての情報量は少ない)など。あとは、自分なりに曲を聴いたり、ネットで当たったりしてみた。
ツェッペリン関係の書籍を読めば、この辺についての情報があるのかもしれないが、とりあえず私は持っていないので…。

さてちょっと調べてみると、このアルバムに収録されている曲は、三つに大別できることがわかってきた。

① 単独のカヴァー曲…まずひとつめは、ツェッペリンが単独の曲としてカヴァーした曲の原曲。

② メドレーの中に登場する曲…二つめは、ツッペリンのライヴにおける呼び物のひとつであった「胸いっぱいの愛を」の曲間のメドレーの中で演奏された曲(初期には「ハウ・メニー・モア・タイムズ」の曲間にメドレーがあった)。

③ ツェッペリンの曲の素材になった曲…そして三つめが、丸ごとのカヴァーとしてではなく、ツェッペリンの曲の部分的な素材として使われたり、あるいはインスピレーションの元となった曲。

ただし①のカヴァーや②のライヴでの演奏においても、原曲に忠実であることはむしろ少ない。
歌詞を変えたり、新たに付け加えたりといったことがしばしばある。曲調がかなり変えられていることもある。その上、弾き語り中心の素朴な原曲に対し、ツッペリンの曲は、こったアレンジがほどこされ、爆音リフが前面に出ているから相当印象は変わっている。
だからライヴの「胸いっぱいの愛を メドレー」などで、演奏されていても、私のようなブルース初心者には元の曲を判別できないことが多い。
なお彼らの場合、原曲があっても、作曲のクレジットにそれを示さず、自作である事にしたり、トラディッショナルと表示していろいろなトラブルを引き起こしてきたことは御承知のとおりだ。

収録曲を上の区分にしたがって分けてみると次のようになる。

① 単独カヴァー曲

1. When the Levee Breaks
  「レヴィー・ブレイク (When The Levee Breaks)」の原曲
2. Sugar Mama
  ツェペリン版は未発表
3. Jesus Gonna Make Up My Dying Bed
  「死にかけて (In My Time of Dying)」の原曲
4. Nobody's Fault But Mine
  「俺の罪 (Nobody's Fault but Mine)」の原曲
5. Traveling Riverside Blues
BBCのセッションでカヴァー
また「レモン・ソング(The Lemon Song)」の素材でもある
6. Girl I Love She Got Long Curly Hair
BBCのセッションでカヴァー
9. Gallis Pole
「ギャロウズ・ポウル (Gallows Pole)」の原曲

② メドレーの中に登場する曲

12. Fixin' to Die
ライヴ「胸いっぱいの愛を メドレー」で演奏
13. Boogie Chillen
ライヴ「胸いっぱいの愛をメドレー」で演奏
初期の「ハウ・メニー・モア・タイムズ メドレー」でも演奏
15. Got the Bottle Up and Gone
ライヴ「胸いっぱいの愛をメドレー」で演奏
初期の「ハウ・メニー・モア・タイムズ メドレー」でも演奏
16. Truckin' Little Woman
ライヴ「胸いっぱいの愛をメドレー」の中で演奏
17. Going Down SlowSt. Louis Jimmy Oden
「胸いっぱいの愛をメドレー」の中で演奏

③ ツェッペリンの曲の素材になった曲

7. Shake 'Em on Down
「ハッツ・オフ・トゥ・ロイ・ハーパー (Hats off to Roy Harper)」の素材
また「カスタード・パイ (Custard Pie)」の素材でもある
8. I Want Some of Your Pie
「カスタード・パイ (Custard Pie)」の素材
14. Lone Wolf Blues
「ハッツ・オフ・トゥ・ロイ・ハーパー (Hats off to Roy Harper)」の素材

以下の2曲は関連がわらなかった。残念。

10. My Mama Don't Allow Me
11. My Baby I've Been You Slave

以下、収録曲順に簡単にコメントを付す。

1. When the Levee BreaksMemphis Minnie

「レヴィー・ブレイク (When The Levee Breaks)」の原曲
ただし小出斉氏によれば、原曲にない歌詞でサビ部分を作っているとのこと。

2. Sugar Mama
Sonny Boy Williamson

ライナー・ノートでパット・ハリソンは、ライヴで演奏している曲と書いているが、それは確認できなかった。
この曲はツッペリンが1969年にロンドンのモーガンスタジオで録音したカヴァー曲の原曲だ。
ツェッペリンのこの演奏は未だに未発表のレア音源。でもユー・チューブで簡単に聴くことができる。

3. Jesus Gonna Make Up My Dying Bed
Josh White

「死にかけて (In My Time of Dying)」の原曲。
小出斉氏によるとツェッペリン版は、曲のアレンジ、歌詞も原曲とは大幅に違うとのこと。
ウィキペディアの解説では、ツェッペリン版の曲タイトルは、原曲からではなく、ボブ・ディランがこの曲をカヴァーしたときのタイトル「In My Time of Dying」(ファースト・アルバムに収録)に倣ったと指摘している。
だからおそらく曲そのものも、ツェッペリンはこのディラン版を下敷きにしているのではないだろうか。

4. Nobody's Fault But MineBlind Willie Johnson

「俺の罪 (Nobody's Fault but Mine)」の原曲。
ただし歌詞は変えてあるとのこと(小出斉氏)。

5. Traveling Riverside Blues
Robert Johnson

ライナーでパット・ハリソンが書いているとおり、ツェッペリンがカヴァーしてBBCのセッションで演奏している。1969年6月24日録音。
現在『最終楽章(コーダ)』と『BBCライヴ』で聴くことができる。
小出斉氏によると、この曲の歌詞中の「You can sdueeze my lemont…」というフレーズが、「レモン・ソング(The Lemon Song)」で引用されており、曲のタイトルにもなったとのこと。

6. Girl I Love She Got Long Curly Hair
Sleepy John Estes

ツェッペリンがBBCのセッションでカヴァーしている曲。1969年6月16日録音。
『BBCライヴ』の曲目表記では、「ザ・ガール・アイ・ラヴ(The Girl I Love She Got Long Black Wavy Hair)」となっている。つまり原曲の「Long Curly Hair」が、「Long Black Wavy Hair」と変わっているが同じ曲である。

7. Shake 'Em on Down
Bukka White

一聴してすぐ「ハッツ・オフ・トゥ・ロイ・ハーパー (Hats off to Roy Harper)」の原曲とわかる。
ツェッペリンのこの曲は、タイトルからしてロイ・ハーパーの曲が元ネタと思いたくなるが、じつはブルースが原曲だったとはちょっと意外。ただし、歌詞はだいぶ違っているようだ。
ツェッペリン版は、ギターもヴォーカルも異常に歪みまくっていて原曲とだいぶ印象が違う。しかし小出斉氏によると、ペイジとプラントはこのブッカ版をかなり参考にしていると指摘している。
また小出氏によるとCD『ツェッペリン・クラシックス』の解説では、この曲を「カスタード・パイ (Custard Pie)」の原曲としているとのこと(ただし同氏はあまり賛同していない様子)。

8. I Want Some of Your Pie
Blind Boy Fuller

「カスタード・パイ (Custard Pie)」の元ネタのひとつらしい。
ウィキペディアによると、「カスタード・パイ」は、この曲の他、ブッカ・ホワイトの「Shake'Em On Down」、ブラウニー・マギーの「Custard Pie Blues」など複数の古典的なブルース・ナンバーが元となっているとのことだ。

9. Gallis Pole
Leadbelly

「ギャロウズ・ポウル (Gallows Pole)」の原曲。
ただし、あるネット上の記述によると、この曲の原曲は「The Maid Freed from the Gallows」という民謡で、これをレッドベリーが上記のタイトルで最初に録音したものという。
だから曲のクレジットに例によって「トラディッショナル」とあるのは、この曲の場合は正しいということになる。

10. My Mama Don't Allow Me
Arthur "Big Boy" Crudup

不明。
関係あるかどうかわからないが、最初のフレーズが「Boogie Chillen」と同じ。この一節だけ引用されていたら、二つの曲の区別はつかないと思うのだが。
それから「カスタード・パイ」の歌詞に「My Mama Allow Me」とあるのだが関係ないかな。

11. My Baby I've Been You Slave
Sonny Boy Williamson

不明。

12. Fixin' to Die
Bukka White

ライヴの「胸いっぱいの愛を(Whole Lotta Love)メドレー」の中で演奏されている曲。
『BBCライヴ』で聴ける。ただし、ほんの一節。

13. Boogie Chillen
John Lee Hooker

ライヴの「胸いっぱいの愛をメドレー」の中でほとんどつねに演奏されている曲。
『BBCライヴ』と『永遠の詩』でも聴くことができる。
『レッド・ツェッペリン DVD』の1970年1月9日のロイヤル・アルバート・ホール公演の映像を見ると、バンド初期の「ハウ・メニー・モア・タイムズ (How Many More Times)」から始まるメドレーの中でも、すでにこの曲をやっていたことがわかる。

14. Lone Wolf Blues
Oscar Wood

ライナー・ノートのパット・ハリソンによると、この曲は「ハッツ・オフ・トゥ・ロイ・ハーパー (Hats off to Roy Harper)」に似ているとのこと。
あるブログでも「ハッツ・オフ…」の元になった曲として、先のブッカ・ホワイトの「Shake 'Em on Down」とともに、この曲を挙げていた。
しかし私にはスライド・ギターのすべり具合以外はあんまり似ているように聴こえないのだが…。

15. Got the Bottle Up and Gone
Sonny Boy Williamson

 ライヴの「胸いっぱいの愛を メドレー」の中で演奏されている曲。
また『レッド・ツェッペリン DVD』の1970年1月9日のロイヤル・アルバート・ホール公演の「ハウ・メニー・モア・タイムズ」から始まるメドレーでも聴くことができる。「Boogie Chillen'」の次に、ほんの一節だけなのだが。
71年4月1日のBBC収録用のコンサートのライヴの「胸いっぱいの愛を メドレー」の中でも演奏されているように聴こえる。ただし下の「Truckin' Little Woman」と合体していて、その最初の一節の歌詞が「Bottle Up and Gone」と聴こえるのだが…。

16. Truckin' Little WomanBig Bill Broonzy

ライナー・ノートでパット・ハリソンは、単にライヴでやっている曲とだけ述べていたが、「胸いっぱいの愛をメドレー」の中で演奏されている曲。
『BBCライヴ』のディスク2に収録された、71年4月1日のロンドン、パリス・シアターでのライヴにおける「胸いっぱいの愛をメドレー」の中でも演奏されていた。しかしCD化の際に、この曲のパートは編集でカットされてしまった(放送時にはそのままだったのに)。このときのライヴの完全版のブートレグが手元にあったので確認できた。

17. Going Down Slow
St. Louis Jimmy Oden

ライヴの「胸いっぱいの愛をメドレー」の中で演奏されている曲。
1972年6月25日のLA公演の「胸いっぱいの愛を メドレー」で聴ける。この公演は『伝説のライヴ』に収録されているもの。
メドレーの終盤「Hello, Mary Lou」に続いて始まるこの曲のパートは、かなり長尺の演奏。ペイジの稲妻ギター・ソロもたっぷり堪能できる。最後はいつのまにか「The Shape I'm In」に変わって、エンディングの「胸いっぱいの愛を」に戻っていく。
この他、未聴だが、1973年3月17日のミュンヘン公演のブートレグに、この曲名をタイトルにしたものがある。セット・リストには単独でこの曲名が見あたらないので、たぶんメドレーの中で演奏されているのじゃないかと思う。

コメントは以上。こんなことを調べながら、このアルバムを何回も聴いていたら、とてもいい気分になった。古いブルースもなかなかいいもんだな。プラントとペイジの気持がわかるような気もする。

2012年11月15日木曜日

実食「一汁無菜」 辛子明太子でご飯

久しぶりの「一汁無菜」実食シリーズだ。今年(2012年)の6月に3回ほど「実食「一汁無菜」~でご飯」と題してブログを書いた。あれっきりになっていて、すっかり間があいてしまっていた。その間、いろいろ「無菜」食を試してきてはいたのだが、ブログにアップするまでにはいたらなかった。

久しぶりの再開なので、今回はちょっとぜいたくをしてみた。辛子明太子である。「ぜいたく」というほどでもないかな。
私は辛子明太子が大好物だ。だが大好きなわりには食べる機会はあんまりない。一年に何回食べているんだろう。この前食べたのがいつだったか思い出せない。
「日本の食卓に欠かせない一品」などと言われるが、よそのお宅の食卓には、そんなにひんぱんに登場しているのだろうか。

辛子明太子は、「すけとうだら」という魚の卵を加工したものだ。すけとうだらの卵を塩漬けにしたものがたらこで、このたらこをさらに唐辛子を主にした調味液に入れて二次漬けすると辛子明太子になる。
ちなみに本場の博多では、「明太子」とは「たらこ」のことで、これを辛子に漬けたから「辛子明太子」というのだそうだ。だから「明太子」と「辛子明太子」はあくまで別物で、ちゃんと区別して呼んでいるとか。以下ここでは、本場に敬意を表してちょっとわずらわしいが、いちいち「辛子明太子」と書くことにする。
さてこの食べ物のルーツは朝鮮半島らしく、だから最初に伝わった福岡が本場になったらしい。日本で一般に食べられるようになったのは明治時代以降のことで、江戸時代にはなかったものとのこと。

日本人は辛子明太子が好きだ。たとえば2011年5月実施の「好きなごはんのお供ランキング」(gooランキング)の堂々の第1位は、ほかでもないこの辛子明太子だった。
ちなみに、このランキングでは、第2位が納豆、第3位が卵、第4位が漬物で、以下5位、肉そぼろ、6位、ふりかけ、7位、その他、8位、梅干し、9位、なめ茸、10位、食べるラー油、と続いている。どれもこうして書いているだけで美味しそうだ。

今回実食するために買ってきたのは、本場のメーカー品などではなくて近所のスーパーで普通に売っていたものだ。
魚売り場のとなりのふだんなら通り過ぎてしまうコーナーに並んでいた。思ったよりも広いスペースをとって辛子明太子のコーナーがある。みんなそんなに食べていたんだなあ、とあらためて感心する。
パック入りの辛子明太子を手にとって値段を確認すると、やっぱりけっこういいお値段だ。ちょっとひるんでしまう。
その隣を見ると、形はくずれているが量の多いパックが並んでいた。手にとると分量は倍くらいだが、値段はだいたい同じだ。つまり「完形品」の半分の値段。で、当然こちらを買う。
これは「切れ子」と呼ばれているもので、製造の過程でたらこが傷ついたり、端が切れてしまったものだ。まあ味は同じなんだろう、たぶん。

さて久しぶりなのでこの試みの趣旨とルールを確認しておく。
〔趣旨〕  ご飯と味噌汁と、いわゆる「ご飯のお供」一品のみで食事をする。「ご飯のお供」は、ささやかなのでおかずとしては「一汁一菜」の「一菜」にはあたらない。それで、名付けて「一汁無菜」というわけだ。
このような究極のシンプル・メニューをたらふく食べ、その美味しさをとことん味わい尽くす。そうすることによって、お腹だけでなく心までも満足させたいのだ。

〔ルール〕 
① 食べるのは、ご飯と味噌汁と「ご飯のお供」を一品。それ以外のおかずはなし。
② 「ご飯のお供」は一回に一種類のみ。二種類以上を取り合わせたりしない(お互いの味が邪魔をしあってしまうので)。
③ ご飯は1.5合(私がおいしく食べられるちょうどよい量)。
④ 味噌汁は一杯のみで、おかわりはなし。

今回のメニュー紹介。
お米は米作りをしている親戚からいただいた今年の新米。銘柄はたぶんコシヒカリだと思う。
味噌汁は、味噌が「無添加・円熟こうじみそ」という名前のもの。長野県下諏訪町のひかり味噌製。いわゆる信州味噌で米味噌。ネーミングはたいそうだが、特別なものではなくて近所のスーパーで安売りしていた。けっこう美味しくて気に入っている。
今日の味噌汁の具材は長ネギと油揚げ。
辛子明太子は先ほど書いたように近所のスーパーで売っていたもの。商品名は「辛子めんたい子」。111グラム入りで330円だ。原産国がロシアとアメリカ。「製造者」という表示はなくて「加工者」がそのスーパーの名前になっている。でもこのスーパーで漬け込んだはずはないだろうけど…。この表示の仕方は、よくわからない。

食べる前にやはりちょっと気になるのは、辛子明太子の塩分だ。
冷蔵庫の普及しない昔は、保存の目的でかなり塩分が多かったという。1980年代には塩分の割合が、約10~12%だったらしいが、低塩化が進んで現在の平均値は約4~6%程度という。一般的な一食分の辛子明太子の量は50グラムとのことなので、その場合の塩分は2~3グラムということになる。
味噌汁一杯分の塩分が約1グラムだから明太子と合わせると3~4グラム。一日の塩分摂取量の基準は、男性だと10グラム未満とされている。一食分はその三分の一だから、だいたい許容範囲ということだ。

ちなみに塩分について調べていたら、辛子明太子が栄養豊富だということもわかった。主な成分は、水分、タンパク質、脂質だが、ビタミンB12、ビタミンE、ビタミンD、ビタミンB1などのビタミン群が多く含まれていて、貧血や動脈硬化、老化、冷え性、風邪などの予防によいといわれ、さらに夏バテや眼精疲労などにも効果があるともいわれているという。
何とも素晴らしい食品ではないか。個人的には何となく「嗜好性」の強い食べ物という印象があったので、ちょっと驚いた。

それではいよいよ実食だ。
 辛子明太子は、塩分の計算のとき一食分50グラムが一般的と書いてあったが、とりあえず小さなお皿に30グラムほど取り分けてみる。
ご飯と味噌汁を器に盛りつける。ご飯は、いつものように1.5合を四杯で食べる予定。テーブルの上に、ご飯の茶碗と汁椀と、白い小皿にのった辛子明太子の赤。なかなか美味しそうな景色だ。
それでは味噌汁から。熱いので一口、二口、三口と少しずつすする。ちょっとしょっぱかったかな。この味噌はまだ買ったばかりなので塩梅がうまくいかないのだ。
ご飯を一口、二口。口の中に残るみそ汁の味で、もりもり食べられる。やはり新米はおいしい。またみそ汁をすすり、ご飯を三口、四口。あれ、味噌汁の味で、お茶碗の半分ほども食べてしまっていた。このままいくらでも食べられそうだ。そのうち味噌汁だけの食事にもチャレンジしてみようかな。

しかし今回の趣旨は辛子明太子。辛子明太子を、ほんの少し箸でつまんでご飯の上にのせる。そしてご飯と一緒に口へ運んだ。けっこうな塩気があって、唾液が出てきてご飯がどんどんなくなっていく。
ご飯はすぐに二杯目へ。できるだけ少しの量の辛子明太子を箸でつまむ。しかし、辛子明太子というのは例の袋状の薄い皮がなかなか厄介だ。意外と丈夫で箸ではうまく切れない。しかも中身の粒々は、この皮にわりとしっかりくっついている。
それでも何とか辛子明太子をご飯の上になすりつけるようにのせては、次々と口に運ぶ。
辛子明太子の魚卵独特のねっとり感と新米のご飯のねっとり感とが一体となる。すいすいご飯がすすんでいく。あっというまに二杯目も完食。

しかし、ご飯はすすむのだが、何だか物足りない。辛子明太子を食べている満足感が薄い。塩分とねっとり感があるので少量でもご飯が食べられてしまうわけだが、辛子明太子の本来の風味が薄まっている感じ。たしかにお腹はふくれつつあるのだが、これでは満足できない。
そこで、なるべく少しずつのせるという方針を転換する。小皿の辛子明太子は、三分の二ほど減っている。最初30グラムだったから20グラムほど食べた事になる。
ここにさらに30グラムほど追加をする。そして、ご飯三杯目からはもうちょっと盛大にご飯にのせることにする。
こうすると口の中一杯に辛子明太子の風味が広がる。当然それなりにしょっぱい。そんなにしょっぱくなくてもご飯は食べられるのだが、主役は辛子明太子と割り切ることにする。
ただし辛子明太子だけだと、今度はしょっぱ過ぎてしまって、本来の美味しさがかえってわからないだろう。ご飯と一緒になることでほどよく味が薄められ、美味しさが引き出されるのだ。
 というわけで、めでたくご飯四杯を完食した。

結局辛子明太子は合計60グラムを食べた事になる。今回は塩分には目をつぶろう。
以前、塩辛を食べたときには、30グラムで足りた。塩分の割合はどちらも約5%。塩辛の場合は、噛んでもイカが口の中に長く残り、旨味を放出し続けた。しかし、辛子明太子の場合はそれがなく、ご飯と一体になってどんどん胃に消えていくので塩辛よりも量が必要だったのだろう。もっとも、もっと高価な本場ものの辛子明太子なら旨さも違うだろうから、もうちょっと少量でも満足できるのかもしれない。
いずれにせよ「おかず力」というのは塩気だけの問題ではないということをあらためて知った。
でもとにかく今回も一応満足。

2012年11月6日火曜日

公園日記 「笠松運動公園」

11月の初めの秋晴れの一日、笠松運動公園に散歩に出かけた。
この公園は名前に「運動」とつくことからもわかるように、各種のスポーツ施設が集合しているところだ。陸上競技場や体育館やテニスコートや野球場、その他いろいろある。
ここは今から38年前の1974年、茨城県で国体が開かれたときにそのメイン会場として作られたものだ。その後、2002年に全国高校総体が開かれた際に、さらに拡張して屋内プール(兼アイススケート場)も作られている。

 さすがに県営の施設だけあってかなり広い。面積は約33ヘクタール。つい比較したくなるけど、やっぱり東京ディズニーランドには負ける。ディズニーランドのだいたい五分の三の広さ。
 茨城県のひたちなか市、那珂市、那珂郡東海村にまたがって位置している。

基本的にはスポーツ施設なのだが、敷地内には緑も多く、小さいながらいくつかの広場や公園が設けてあり楽しい散歩ができる。
園内には四つの「ヘルス・ロード」」というのが設定してある。これは、散歩というよりウォーキングのコースだ。距離は、Aコースが2km、Bコースが1.3km、Cコースが0.8km、それと周回コースが4kmといった具合。
それぞれのコースに設定された路面に線が引いてあり、これを辿って歩いていくわけだ。わりやすいし、途中ところどころにスタート地点からの距離が表示されている。けっこうこの線に沿って歩いている人を見かける。

私はあんまりこの線にはこだわらないで、気ままに歩いている。この日もいきなりコースを逆行。陸上競技場の前からまず補助競技場の裏手に歩いていく。今日は何かの催しがあるらしく、中学生の姿が補助競技場の中に見える。
公園の敷地の端を体育館の裏手の方へ進んでいく。敷地の周辺付近は、道の両脇に並木のように木が植えてあって、緑の中を歩いていく感じがなかなか気持ちよい。とくに体育館の裏手は小さな林があって静かだ。
その先のテニスコートの裏手には、「児童スポーツ広場」という小さな野原があって風景がちょっとだけ開ける。この変化もなかなかよい。

テニスコートをぐるりと回ると地下道の入り口がある。
この公園は、一般道を挟んで東西に二つのエリアに分かれている。この地下道はそれを結ぶ通路なのだ。これを通って東側のエリアに入る。
こちら側には野球場が2面と「水の広場」というのがある。
ここまで歩いてきた西側はわりと立派な施設が多いのだが、こちらの野球場は、それと対照的にごく素朴な仕様だ。誰もいないいがらんとした野球場は、のどかで何となく間が抜けている。
その周囲をぐるっと散歩する。この辺は東海村で敷地の外ものどかな景色が続いている。

「水の広場」は、水が流れる浅いプールのような池を中心にした子供向けの広場。しかし今、水はない。震災の影響なのだろう。プールの周囲のタイルのように規則正しく敷かれた敷石の間からは、規則正しく雑草が伸びている。
あるはずのところに水がなく、雑草が盛大にはびこっている様子は、打ち捨てられたような感じで、ちょっと寂しい。それでも、いつも幼児を連れた家族の姿が何組か見られる。

地下道を通ってもとのエリアに戻る。
テニスコートの向かいにある木立の中の「子供の広場」に入っていく。お決まりの遊具の他に、県産品なのだろうか、大きな石がごろごろ転がっていたりする。
ここを抜けるとその先が「日本庭園」。木立の中になかなか立派な池があって、その周囲にあまり手入れはされていないが、たしかに庭園風に回遊路が設けてある。池を渡る飛び石があったり、木道があったり、ほとりには水面を眺めるベンチ代わりの石が置かれている。
この池には鯉が100匹いるとのことだが、本当なのだろうか。
ここは、この公園の真空地帯だ。歩いている人に出会ったことがない。静かでいい場所だ。遠くから競技場の中学生たちの声援の声が聞こえてくる。

「日本庭園」の木立の間を抜けると、ぱあっと視界が開ける。公園の南側のエリアが広がっている。
そこへ向う前に駐車場の横を通って「中央広場」をぐるっと巡ってみる。文字通りこの公園の中央にあるけっこうな広さの公園なのだが、今はまるで廃墟のようだ。池の水は涸れ、中央の大きな噴水は止まっている。周囲の敷石はところどころはがれていたりする。
体育館やプールが震災の被害を受け、未だに使用できない状態(体育館は今月再開予定)だ。こんなところまで手が回らないということなのだろう。

そこから隣の「花壇広場」抜けて、投てき場のわきを南のエリアに向って歩いていく。明るく開けた草原のような風景だ。なだらかな草地の谷があってその底には葦の生えた池がある。その向こうの高台の上に屋内プールの近代的で巨大な建物がそびえている。
ここまで樹木の中を歩いてきたので、この明るさと開放感をよけいに強く感じる。このコントラストが私は気に入っている。

このエリアの西側、駐車場に隣接するところは「自由広場」というかなりの広さのただの草原がある。けっこうな背丈の草が一面をおおい、一部には湿地のようなところもある。「広場」といっているものの、何かに使っているとは思えないワイルドさだ。
ここをがさがさと歩いて横切るのが気持いい。まあけっこう靴は汚れるが…。もちろん誰も他に歩いている人はいない。

 草原から出てメインの陸上競技場のわきに戻ってくる。
競技場の前の敷地のはずれに変電施設がある。そのわきに「県の木園」(園内マップでは「県木園」)というのがある。これがじつにナゾの一画だ。入り口に看板があり、それらしく道があるのだが、歩いているうちに道はなくなりがさ藪の中に紛れ込んでしまう。結局くもの巣だらけになって入り口に引き返すことになる。いったいあれは、どういう場所なのだろう。

とにかくこうして園内を一巡りして元のところに戻った。約1時間の気持のよい散歩だった。樹木あり草原あり起伏ありと歩いていくと景色に変化があって、そこがなかなか楽しい散歩コースだ。