2013年7月25日木曜日

「つけ麺 坊主」のトッピング・メニュー

私の大好きな水戸のラーメン店「つけ麺 坊主」さん。このお店には、つけ麺系、らーめん系、ご飯系の各種メニューに加えて7種類のトッピングがある。
今回、私の定番の「特製らーめん」と組み合わせて、このトッピングをあらためて一通り食べてみた。そのときの様子はそのつどレポートしてアップしてきたが、ここに各トッピングの特徴と私の感想を簡単にまとめてみた。
なお以下の順番は、券売機のトッピングの列のボタンの順番(左から右へ)になっている。


■ 「ネギ」 (100円)

刻みネギがラーメンのどんぶりとは別の器に別盛りで出てくる。このネギの器は、「白めし」と同じお茶碗で、これにこんもり盛ってある。かなり大量。そのままラーメンのどんぶりにあけると、どんぶりの表面がすっかりネギで覆われてしまうくらいたっぷりだ。これで100円は、とってもリーズナブルだと思う。

この大量のネギを一気に投入するか、少しずつ入れながら食べるかはお好み次第。いずれにせよネギの強い香りが、個性の強いスープの絶妙のアクセントになる。
さらに、ネギの食感がいい。麺のもちもち感と、ネギのシャリシャリという食感が素晴らしくよい取り合わせだ。

これだけのネギを熱くて辛いラーメンに入れて大汗をかきかき食べれば、風邪などいっぺんに回復してしまいそうである。ただし、その日一日は、周囲にネギ臭を発し続けることになるから注意が必要だ。
それからこのトッピングは、つけ麺系のときにはあまりお勧めしない。それでなくても冷めがちなつけ麺のつけ汁の温度が、大量のネギのためにどんどん下がってしまうからだ。

■ 「バター」 (100円)

トッピングの「バター」は、一辺が2~2.5センチくらいはありそうな立派なサイコロ型をしている。私がいつも頼む「特製らーめん」は、どんぶり中央にもやしと豚肉と刻みネギの小山がこんもりと盛り上がっている。サイコロ型のバターは、この山のかたわらのスープの上にごろんと転がって出てくる。

これをスープに沈めて急いで溶かそうなどとは思わず、そのまま放置して自然に溶けるのに任せることをお勧めする。
バターを無視して、いつものようにスープと麺ともやしと豚肉を食べていくのだ。そうしているうちに、じわじわと溶け出してきたバターが絡んでくる。すると濃厚で豊かな風味が口の中に広がって、ワン・ランク上の味になるのだ。舌が油分でコーティングされるせいか、辛さもマイルドになる。何とも言えないぜいたくで幸せな気分になることができる。

もったいないからバターが溶けたスープは最後まで飲み干すしかない。このときばかりは、カロリーのことを忘れなくちゃだめ。


■ 「コーン」 (100円)

トッピングの「コーン」は、缶詰のコーンがラーメンのどんぶりの上に盛られて出てくる。「バター」のときと同様、どんぶり中央の具材の山のわきに、黄色い小山がこんもりとできている。コーンの鮮やかな黄色が白い刻みネギや赤いスープにとてもよく映える。コーンは小さい缶詰の二分の一の量を使用しているが、けっこうな量だ。

コーンの食べ方はなかなか難しい。麺を食べるときにいっしょに食べようと思っても、一回に絡んでくるのはせいぜい2,3粒くらい。結局、麺を食べる合い間に、スープとコーンをレンゲでいっしょにすくって食べることになる。
しかしコーンとはもともとそういうものなのだろう。コーンは、スープに甘さとコクを付け加えるし、またその歯応えがいいアクセントになっている。

ラーメンを食べ進んでいくと、最後の頃には麺と具材があらかた片付いてスープだけが残ることになる。このときそのスープの中にころころコーンが残っていると、「御馳走感」がぐんとアップするのだ。コーンのおかげで最後の最後までスープを楽しむことができる。当然、スープは飲み干し、コーンも一粒残らず食べてしまうことになる。


■ 「味付玉子」 (100円)

味付玉子はラーメン店の定番のトッピングだ。茹でた玉子を調味液につけたもので、玉子の表面が調味液で茶色っぽく染まっているものが多い。しかしこのお店の玉子は独特で、白い表面に唐辛子のような赤い粒々がちらほらついている。おそらく激辛が売りの店ならではのこだわりで、玉子をつけておく調味液も激辛なのだと思われる。

この玉子が、ラーメンの場合はどんぶりに、つけ麺の場合はつけ汁の方ではなく麺の皿にのって来る。半分にカットされたりはせず、丸のままである。黄身はかなりユルい状態の半熟で、箸で割ると中身がどろりと流れ出る。だから割るときには注意が必要。

味付玉子というものはラーメンを食べ進めていく途中の箸休めみたいなものである。ところがこれまで紹介してきた「ネギ」や「バター」や「コーン」はそうではない。これらのトッピングは、ラーメンそのもと一体となリ、それを引き立てる。あるいは新しい味を付け加えて豊かにしてくれる。
しかし味付玉子にはそういうラーメンとの一体感はない。ラーメンに乗ってはいても、結局あくまで単独のものとして味わうことになる
私はそういう意味での箸休めを必要としないので、味付玉子にはそれほどの愛着は感じない。だからめったに頼むこともない。このへんはお好みだろう。

ただ味付玉子にも楽しい点がある。これをいつ食べるか、頃合いを見計らうのが楽しいのだ。食べ方も迷う。まるかじりするのか、黄身の流出をおそれず箸で割ってみるのか。
今回は終盤近くになって箸で割ってみた。あまり食べた事がなく事前に想定していなかったため、ユルい黄身が全部スープの中に流れ出してしまった。でもまあそれで正解。溶け出した黄身の辺りのスープを絡めて麺を食べる。濃厚な味になってとても美味しかった。ほんの少ししかなかったけど。
残った白身を食べたが玉子のつけ液の辛さはほとんど感じない。スープが辛いので感じなかったんだろう。


■ 「生玉子」 (50円)

このお店の「生玉子」は、玉子が小鉢に入って出てくる。玉子はカラがついたままでまだ割ってない状態。これを自分で割ってラーメンに落とすわけである。
このお店の他のトッピングが、だいたい100円の中で、この「生玉子」の50円は、何だかお得な感じがする。

生玉子の食べ方は味付玉子と同じで、難しくもあり、またそこが楽しくもある。つまり、いつ入れるか、それをどう食べるか、という問題がある。
ちなみに私はなるべく早い段階で玉子を割り入れ、その後放置。なるべくスープの熱で加熱したいのだ。そして最後の頃に、そっと箸でつついて崩す。すると熱でちょっとだけトロっとなっている。それをスープの中に少しだけ広げて、麺と絡めて食べるのだ。
マイルドでかつ豊かな味になる。しかし、この旨さをたっぷり味わうには玉子一個では全然足りない。せめて三個くらいはないとね。というわけで、個人的にはあまり頼もうという気にはならないのだ。

この場合も玉子が溶けているスープは最後まで飲み干したくなる。でもまあほどほどに。


■ 「納豆」 (50円)

「納豆」をラーメンのトッピングにするというのは、水戸近辺だけのことなんだろうか。そういえば水戸駅のホームの立ち食いそば屋にも「納豆そば」というのがあったな。
でも納豆はあの独特の風味と、それからネバネバの食感が強烈なので、どんな食べ物と合わせても納豆が前面に出てきてしまう。
ただし納豆はカレーとかスープ・カレーには意外によく合う。トッピングにしているところも少なくないようだ。スパイシーな料理には合うのだろう。

このお店の「納豆」は小鉢に入って出てくる。薬味の刻みネギを盛った小皿もいっしょだ。納豆は市販の白いパックからあけたもので、パックに添付されていた辛子とタレの小袋が、刻みネギの小皿に一緒に乗せてある。
この小鉢の中でお好みに味付けしながらよく混ぜ、それをラーメンに入れるという方式だ。
ちなみに「納豆」も「生玉子」と並んで50円で、わりとお得感がある。

私の場合、納豆は最初からではなく、後半に入って一段落したところで投入してみた。あえて全体には混ぜないで、ちょっと広げるくらいにする。そしてその濃度の濃いあたりから麺をすくう。けっこう納豆が麺に絡んでくる。
食べてみるとなかなかいい。意外な美味しさだ。納豆の個性はたしかに強烈だが、このお店のスープと麺の存在感も十分それと張り合っている。納豆のクセのある味が、スープに奥行きを与えている感じだ。

食べ進んで麺と具材を完食。残ったスープの中に、けっこうまだ納豆が残っている この納豆混じりで少し粘度を増したスープが、ご飯とすごくよく合った。麺とご飯とで二度楽しめた感じだった。


■ 「のり」 100円

トッピングの「のり」は、どんぶりのヘリからややはみ出す感じで乗っている。海苔は3枚。少しずつずらして重なっている。
100円で海苔3枚は高いか安いか。枚数は正直物足りない。しかし、海苔にはピンからキリまであるわけで、高いものは相当高い。ここの御主人のことだから、よい海苔を吟味してあるのだろう。

ラーメンにおける海苔の食べ方というのも、なかなか難しい。
スープの中でとろとろになるまで放置して最後にスープに混ぜる手もある。そうなる前にスープをたっぷり吸わせてからご飯に乗せて食べるのもいい。しかし、多くの人は麺と一緒に食べるのだろうな。
今回は麺ともやしを帯のように海苔で挟んで食べてみた。海苔の風味が口の中に広がって美味しい。スープや麺の味に負けていない。やっぱり良い海苔なんだなあ。
もう一度海苔で挟んで食べる。美味しい。で、さらにもう一度。そうやって立て続けに三回食べたらもう海苔はなくなってしまった。やっぱり3枚では寂しいかな。


■ 「白めし」 (100円)

トッピングではないけれど最後に「白めし」について。
これはようするに普通のご飯のことである。当初は辛い「赤めし」というのがあったので、これに対して「白めし」と命名したらしい。しかし、その後「赤めし」がなくなって、「白めし」だけが残ったというわけだ。
普通盛でもけっこうな量があるが、さらにお願いすれば無料で大盛にもしてくれる。これで100円はすごく安い。ラーメン屋さんのご飯の相場は、だいたい150円から200円くらいではないだろうか。

私にとってラーメンを食べるときには、ご飯は必須である。ラーメンを食べているとき、その合い間にご飯を口に入れると、脂っこくなっている口の中がすっきりとリセットされる。そうするとまたあらためて白紙の状態でラーメンの美味しさを味わうことが出来るのである。
そして、もちろんこのようにラーメンの合い間に食べるご飯というのがものすごく美味しいのである。さっぱりとして甘さを感じる。ご飯てこんなに甘いものだったんだ、とあらためて気がつく。こんなに美味しいご飯の食べ方って、他になかなかないのでは。
なお当たりまえかもしれないが11時の開店直後に入店して頼んだご飯は、炊き立てなのでさらに美味しい。


■■おまけ

今回あらためてトッピングを全部食べてみた結果、私のベスト3は次のとおり。

1位 「ネギ」
2位 「バター」
3位 「コーン」

何だか券売機の順番どおりとなってしまったが、それは偶然。

それからやってみたい組み合わせがいくつかある。

「生玉子」と「納豆」
   *スープの味が劇的に変わるのでは。それにどちらも50円だし。
「ネギ」と「納豆」
*どちらも強烈な香り。激辛のスープと合体するとどんなことになるのだろう。

2013年7月23日火曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「特製らーめん」+「のり」 2013

水戸に所用があって出かけたので、例によって「つけ麺 坊主」さんに寄った。
7月になってから3回目。前回より一週間ぶりの訪問。やっぱり夏は坊主さんの激辛で汗をかくに限る。

月曜日だけど無事に開店していた。平日の午前11時30分入店。なんと先客なし。後客も1人。珍しく空いている日だった。
さて今日はいよいよトッピング全種制覇チャレンジの最終回だ。券売機で「特製らーめん」と「白めし」と「ビール」のボタンを押し、そして最終回のトッピングは「のり」だ。

カウンターの一番奥に座る。いつものように「麺とめしは普通盛で」と御主人にお願いする。
この一番奥の席は落ち着くなあ。扇風機がガンガン回っている。おや、店内に流れているのは、いつものオールディーズではなくて今日はレゲエだ。空いているし、のんびり度アップ。
すぐにビール到着。ぐびぐびと飲む。何しろいちばん客だから、すぐにラーメンが来てしまう。その前に飲み終えたい。ラーメンを食べながらビールを飲むのはイヤなのだ。

まもなく「特製らーめん」到着。
トッピングの「のり」は、どんぶりのふちからややはみ出す感じで乗っている。海苔は3枚。少しずつずらして重なっている。
「のり」はこれまでに一度だけ頼んだことがあった。そのとき、ちょっと少ないなあと思ったことを思い出す。100円で海苔3枚は高いか安いか。
以前他の店でトッピングの海苔を頼んだら、どんぶりのヘリの半周以上にわたって、海苔が壁状に立ち並んでいた。視覚的にもかなりのインパクト。あの値段いくらだったかな。
しかし、海苔にはピンからキリまである。高いものは相当高い。ここの御主人のことだから、よい海苔を吟味してあるのだろう。

海苔には手を触れず、まず例によってスープだ。どんぶり中央のもやしの山のわきにのぞいている赤いスープを、レンゲですくって飲む。今日は、脂とコクと甘さ、そして味噌の塩梅、すべてベスト・バランスだ。お見事。拍手だ。そしてちょっぴり辛い。
しばらくスープだけを飲み続ける。鼻水がもう出始める。
スープの合い間に食べるご飯が今日も最高に美味しい。

人心地がついたところで今度はどんぶり中央のもやしと豚肉の山をくずしてならす。ここで今回も、カウンター上のツボから唐辛子をひとすくい投入。海苔がスープの水分でクルルンとたわんできたが、まだ手はつけない。
 どんぶりの底の方から麺をすくって食べる。今日も当然旨い。熱さで口の中が少し辛い。最初、麺だけを食べ続ける。ある程度食べたところで、今度は麺と具材も一緒に食べ始める。

さて海苔をどうするか、だ。
ラーメンにおける海苔の食べ方は、皆さんどうしているのだろう。とろとろになるまで放置して最後にスープに混ぜる手もある。そうなる前にスープをたっぷり吸わせてからご飯に乗せて食べるのもいい。しかし、多くの人は麺と一緒に食べるのだろうな。
そこで今回は麺ともやしを帯のように海苔で挟んで食べてみた。うん、海苔の風味が口の中に広がって美味しい。やっぱり良い海苔なんだなあ。スープや麺の味に負けていない。もう一度海苔で挟んで食べる。美味しい。で、さらにもう一度。そうやって立て続けに三回食べたらもう海苔はなくなってしまった。やっぱり3枚では寂しいかな。

そんなことに気をとられていたら、どんぶりの中が、具材とスープばかりになってしまった。ここからはご飯と並行して食べる。旨いうまい。そうして、無事スープまで完食。満腹だ。
今日は体調がいいのか、唐辛子を投入したのに辛さでヒイヒイということにはならなかった。大汗もかかなかったし。これでは、ちょっと物足りない。来月の極辛月間に期待しよう。
まあとにかくトッピング全種制覇はめでたく今日で完了。ご馳走様でした。

店を出るとけっこう暑い。しかし、気分が良いので散歩することにする。
今日は水戸の台地の北側の崖の下を歩いてみることにする。
五軒小学校の下からスタートして、湧水を辿りながら八幡宮下から祇園寺下を通って保和苑へ。苑内を散策してからまた崖下を歩き滝坂まで行って、そこから台地の上へ上がる。その後曝井(さらしい)と愛宕山古墳を見て帰った。大汗をかいて、満腹のお腹もだいぶこなれた。いい散歩だった。

2013年7月17日水曜日

矢野顕子 『ごはんができたよ』

ごはんができたよ』は、矢野顕子の6枚目のアルバム。1980年10月リリース。個人的には矢野顕子の最高傑作だと思っている。
このアルバムは、これまで紹介してきた1982年の『愛がなくちゃね。』、81年の『ただいま。』と並んで、私が勝手にそう呼んでいる矢野顕子の「テクノ3部作」の最初の一枚である。

矢野顕子にとってテクノ3部作の時期は、言い換えると「坂本龍一」期ということになる。デヴュー以来の「矢野誠」期を終了した矢野は、1978年の『ト・キ・メ・キ』ツアー、79年の渡辺香津美のKYLYNや坂本龍一のカクトウギ・セッションへの参加を通じて、YMOのメンバーとの親交を深めていく。そうして79年10月からYMOの第1回ワールド・ツアーにサポート・メンバーとして参加することになるわけだ。
こうした坂本龍一およびYMOメンバーとの交流が、1090年から始まる矢野顕子と坂本龍一との共同プロジェクト、すなわち「坂本龍一」期の活動へと発展していくことになる。その成果として生み出されたのが、テクノ3部作なのだ。

私がいちばん好きな矢野顕子は、このテクノ3部作の頃の彼女だ。そしておそらくこの頃が、矢野にとっても音楽的なひとつのピークだったのではないだろうか。
なぜならまず矢野顕子の個性的なスタイルの音楽が、坂本龍一の作り出すサウンドによって、大きく花開いたのがこの時期だと思うからだ。坂本龍一のテクノ・マナーとニュー・ウェーヴ志向によって、矢野の音楽の自由さと奔放さが、きちんと形を与えられパワー・アップしたように見える。
たとえばその結果として、「春咲小紅」のようなヒット・チューンが生まれたし、あるいは反対に過激なまでの実験作が作られることにもなったのだと思う。プロデューサーとしての坂本龍一はこの時期本当にトンがった存在だった。
また同時に、日常的で等身大の視点から語られる彼女独自の温かい詞の世界も、この3枚のアルバムでそのスタイルを確立したように見える。

 テクノ3部作の最初の一枚である『ごはんができたよ』は、そんなこれまでとは違う新しい矢野顕子の登場を告げるエポック・メイキングな作品であった。LP2枚組の大作であり、内容的にも充実した意欲作である。一般的にも、矢野の代表作の一つに数えられている。
このアルバムが作られた1980年はとにかく彼女にとって大忙しの年だった。
前年1979年10月から11月にかけて行われたYMOの第1回ワールド・ツアーに参加。12月には中野サンプラザで「凱旋公演」もあった。
年が明けて80年の3月から産休に入り、5月に坂本龍一との間にできた長女美雨を出産。そして10月から11月にかけてYMOの第2回ワールド・ツアーに再び参加しているのだ。
『ごはんができたよ』の発売は10月だから。その制作はYMOの2度のワールド・ツアーと産休の合い間を縫って行われたことになる。しかも2枚組大作で充実作なのである。多忙の中でというより、むしろ怒涛のような勢いに乗って作ったとしか思われない。そんな勢いの良さがこのアルバムには感じられる。

テクノ3部作を全面的にバック・アップしていたのはYMOだ。ちょうどこの頃は、YMOの音楽がポップ・サウンドから『BGM』そして『テクノデリック』へと先鋭化していった時期に当たっている。これと並行するように、矢野のアルバムも『ただいま。』から『愛がなくちゃね。』へと実験色、ニュー・ウェーヴ色を強めている。
だからテクノ3部作の中で音的な興味でみれば『ただいま。』や『愛がなくちゃね。』あたりが刺激的だ。しかし、どれが好きかと言われれば、やはりこの『ごはんができたよ』ということになる。もっとも私がこのアルバムを好きなのは、アルバム全体の出来がどうこうと言うよりも、いくつかのの心に沁みる決定的な名曲があるからなのだが。

その曲とは「ひとつだけ」と「また会おね」とアルバム・タイトル曲の「ごはんができたよ」だ。
これらの曲では、等身大の日常感覚による易しい言葉で、生活や人間や社会について温かく語られている。まさに矢野顕子の音楽を特徴付ける独特の詞の世界だ。このような詞作の方法を確立したのも、このアルバムからである。むしろこちらの方がテクノ/ニュー・ウェーヴ的な音の採用より重要かもしれない。
このような矢野独特の詞の世界を持つ曲として、次作の『ただいま。』では「ただいま」や「いつか王子様が」が、また次々作の『愛がなくちゃね。』では「愛がなくちゃね」や「女たちよ 男たちよ」や「どんなときも どんなときも どんなときも」が、とりわけ印象的だ。その独特の詞の世界に、カラフルなテクノ・サウンドがうまくマッチしている。
本当はもっともっとそんな矢野顕子の詞の世界に浸りたいのだが、なかなか彼女は歌ってくれない。例のわらべ歌や童謡や児童詩や古い歌謡曲のカヴァーなんかをやっているからだ。彼女の曲のうち自作の詞は、全体の半分くらいしかないらしい。そんな不満があるから、彼女の童謡のカヴァーとかは一般的には定評があるけれど、私はあまり好きではない。

さてそんな矢野独自の詞の世界の中で、ラヴ・ソング系の原点がこのアルバム『ごはんができたよ』の「ひとつだけ」だ。そして、もうひとつ「母性の包容力」系の原点にして最高傑作が、同じくこのアルバムのタイトル曲「ごはんができたよ」だと思う。
「ごはんができたよ」は、湯浅学に言わせると、次のアルバム収録曲「ただいま」と並んで「家庭のにおいもの」なんてくくられている(『レコード・コレクターズ』199611月号p.82)。しかし、これは幸せな子供時代を懐かしむだけの歌ではない。母性による救済をテーマにした曲である。

「ごはんができたよ」の詞の内容は前半と後半に分かれている。前半は幸福な子供時代の回想だ。「ごはんができたよ」というお母さんの声で一日が終わる。楽しいいこと、悲しいこと、いろいろあったけれど、夜になればもうおしまい。誰の上にも静かに夜がやってくる、というノスタルジックな『3丁目の夕日』の世界だ。
そして後半は大人になった今の話。寂しいことや悲しいことがいっぱいある。それでもやっぱりみんなの上に、誰の上にも、静かに夜が来る。
最後の「つらいことばかりあるなら、泣きたいことばかりなら 帰っておいで」という一節は、本当に心に沁みてホロリとなる。温かく包み込んでくれる世界がそこにある。

この歌のクレジットには、新約聖書の「マタイによる福音書」(第544 - 46節)に対しての謝辞がある。
聖書のこの部分には「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さる」という一節がある。「ごはんができたよ」の歌詞の次の部分は、この聖書のイメージを引用しているわけだ。

義なるものの上にも不義なる者の上にも
静かに夜は来る みんなの上に来る
いい人の上にも 悪い人の上にも
静かに夜は来る みんなの上に来る
(「ごはんができたよ」)

ちなみに聖書のこの部分には、有名な「汝の敵を愛せ」という言葉が出てくる。天の父は、よい者にも悪い者にも公平だ。だからその天の父の子となるために、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と説いているのだ。
この聖書の内容を思い合わせると、この歌のもう一つの側面が見えてくる。つらいことがあったら帰っておいで、という母性による癒しを歌った歌ではあるけれど、同時に自分を苦しめるものをも愛しなさい、愛することによって乗り越えなさい、という励ましの歌でもあるのではないかと思うのだ。


以下各曲についてのコメント。

1 ひとつだけ 

矢野顕子の全キャリアを通じての代表曲だろう。
愛らしく、そして一途で無垢で切ないラヴ・ソングだ。

その後、数々のカヴァー・ヴァージョンがあるが、その中ではやはり2006年の忌野清志郎とのデュエットによるセルフ・カヴァーが印象的。

2 ぼんぼんぼん(LES PETIT BONBON)

「ひとつだけ」と連続して始まるこの曲、一見ポップで可愛らしい。しかし、歌詞の内容や、ハモリのコーラスには、ダークで妖しい雰囲気が漂っている。シンセの間奏も地下に吸い込まれそうで不穏な雰囲気。魔女の世界に飲み込まれてしまいそう。

3 COLOURED WATER

内省的な曲。

4 在広東少年

広東の少年のナイーブさによって、素朴な感性を失ってしまった自分に気づくという内容。内省的であると同時に、日本の現代社会に対する批評も併せ持っていることになる。

しかし、かつてのこの広東少年も、その後、日本と同様の文化的生活に汚染されて、この歌の「わたし」と同様、今は眼は見えなくなり耳は壊れてしまったことだろうな。

この曲は矢野も参加した渡辺香津美率いるKYLYNの『KYLYN LIVE』(1979年)ですでに演奏されていた。そのライヴ・ヴァージョンでは、シン・ドラムが鳴りまくっていたが、『ごはんができたよ』ではそれも控えめ。その他のアレンジはほとんど同じだ。
『ごはんができたよ』の制作をはさむようにしてYMOの第1回と第2回のワールド・ツアーが行われ、矢野顕子もサポート・メンバーとしてこれに参加。そしてどちらのツアーでも、この「在広東少年」が演奏されている。
第1回ワールド・ツアーでのこの曲は、テンポ・アップしてかなりハードな演奏だ。社会批評の面が強く出ているような印象だ(私の聴いたのは『フェイカー・ホリック』収録のもの)。
第2回ワールド・ツアーでは、ハードな点はそのままだが、バックに坂本の弾く東洋的な音階のフレーズを付け加えたアレンジになっていた(『ライヴ・アット・武道館1980』収録のヴァージョン)。

5 HIGH TIME

作詞のフラン・ペイン(Fran Payne)は、リトル・フィートのキーボード奏者ビル・ペインの奥さんとのこと。リトル・フィートといえば、矢野のファースト・アルバムのときのご縁があるが、でもあのセッションのときにはキーボードは必要なかったからビル・ペインはいなかったはずだよね。

6 DOGS AWAITING

平坦なテクノ・ビートにのって呪文のようにつぶやく不気味なヴォコーダー・ヴォイス。呪術的空間がどこまでも続く。坂本好みのアヴァンな曲。

7 TONG POO

YMOのデヴュー・アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』(1978年)収録の曲「TONG POO」に、矢野が歌詞をつけてカヴァーしたもの。
シン・ドラムによってビートを強調したダイナミックなアレンジになっている上に、原曲にあったスカスカの中間部を省いたために、全然違う印象の曲になっている。

8 青い山脈

デヴュー・アルバムの「丘を越えて」につながる古い歌謡曲(どちらも藤山一郎)のカヴァー曲。

9 げんこつやまのおにぎりさま

これも童謡シリーズの一曲。いくつかの童謡をもとにした組曲仕立てになっている。例によって歌詞はどうでもよいようなものだが、いつものような弾き語りではなくバンド演奏なので聴かせる。
ひばり児童合唱団+テクノ+アコースティックによる演奏は、壮大でスリリングで手に汗握る展開だ。

ギター・ソロで鮎川誠(シーナ&ザ・ロケッツ)が好演。とくに中盤で曲調が一変、不穏なパートでのソロはツボを得ていてニクイ。

10 ごきげんわにさん (作詞: 作曲:小森昭宏)

前曲に連続して始まる。中川李枝子作詞のこれも童謡風の曲。坂本龍一とのピアノ連弾が小粋で微笑ましい。

11 また会おね

これもこのアルバム中の名曲のひとつだと思う。力強く、そして希望をつなぎつつも離れていく。泣かせる切ないさよならの歌。

12 てはつたえる→てつだえる

内容的には前の曲に続いていている。遠くで思う「あなた」の歌。
谷川俊太郎の詩にインスパイアされた曲とのことだが、たぶんそのせいで詞も曲も今ひとつ迫ってこない。

13 ごはんができたよ

じぃーんとくる名曲。上記の本文参照。

14 YOU'RE THE ONE

曲に添えられている「全世界の子どもたちに」という献辞からもわかるように、子供への愛がテーマの曲。崇高。

「つけ麺 坊主」訪問 「特製らーめん」+「納豆」 2013

梅雨が明けたらいきなり猛暑の日々が続いている。そんな暑いある日、水戸駅に用事があって水戸へ出かけたので、ついでに例によって「つけ麺 坊主」さんに寄った。
7月になってから2回目。前回より一週間ぶりの訪問。めちゃくちゃ暑い日に、熱くて辛いラーメンを大汗かきかき食べるのは最高。いよいよ「坊主の季節」が到来だ。

平日の午前11時15分入店。先客2人。珍しいことに、どちらも単独の女性客。ここのラーメンが大好きだけど、混雑時に男性客と肩を接して食べるのはいやなので、空いている時間を選んで来たんじゃないかな。そんな感じで、のんびりと食べている。後客は7人だった。

券売機で「特製らーめん」と「白めし」と「ビール」。そして今日のトッピングは、うーむ「納豆」だ。
カウンターの一番奥に座る。「麺とめしは普通盛で」と御主人にお願いする。
このところ続けてきた、トッピング全種制覇チャレンジもいよいよ大詰めが近い。こんなことでもなければ絶対に自分では頼まないであろう「納豆」の番となった。残すはあとひとつ「海苔」のみ。

べつに納豆がきらいなわけではない。特別に好きなわけでもなくて、まあ普通に好き。ともかくあの独特の風味とネバネバの食感が強烈なので、どんな食べ物と合わせてもたいていは納豆が圧倒的に前面に出てきてしまう。だから、トッピングとしてはなるべく避けたいのが本音だ。
しかし、このお店の御主人が、これもトッピングとして「あり」ときっちり判断してメニューに入れたわけだから、それなりの味になるにちがいない。どんなことになるのだろう。

今まで頼んだことがなかったので知らなかったけど、納豆の値段は50円だ。安い。前回の「生玉子」も50円だったけど、その他のトッピングがどれも100円だから、かなりお得感がある。
御主人は奥から市販の納豆の白いパックを持ってきて、中身を小さな器にあけていた。そしてそのパックについていた辛子とタレのビニールの小袋を、薬味の刻みネギと一緒に別の小皿に乗せた。
そしてそれが私の前に到着。なるほどこういうシステムなんだ。すると、まもなく「白めし」も続いて到着する。あれっ。ラーメンは、まだのようだから、これはご飯に納豆をかけて先に食べててもいいよ、ということなのか。いやいや、そんなはずはない。ご飯を頼んだのは、私の個人的なつごうなのだから。
取りあえず納豆に辛子とタレを入れて混ぜながら待つ。

やがて「特製らーめん」到着。
 どんぶり中央にりっぱなしもやの山。その山とどんぶりの縁との間にわずかにのぞく赤いスープを、レンゲですくって味わう。今日の調子はどうかな。脂とコク強めで、塩気は前回ほど強くはないが、味噌味がかなり濃い感じ。でも塩気は十分許容範囲。よかった。前回はちょっとしょっぱ過ぎて、スープを全部飲めなかったのだ。

例によって、しばらくスープだけ飲み続ける。その合い間に、ご飯を口に運ぶ。このご飯がさっぱりして最高に美味しい。こんなに美味しいご飯(の食べ方)はめったにない。
一段落したところで、もやしと豚肉からなる中央の山をならす。ここで、カウンター上の小さなツボから唐辛子をひとすくいして投入する。納豆は、まだしばらく器に待機。
 どんぶりの底の方から麺をすくって食べる。相変わらずもちもちの食感だ。今度は、麺だけを食べ続ける。ときどき、スープ。
やはり、追加投入した分だけ、唐辛子がきっちり辛い。ティッシュで鼻水をひんぱんにかみ、噴出す汗をハンカチで拭きつつ食べる。快感だ。

一応麺にも満足したところで、いよいよ納豆を投入だ。全体には混ぜないで、ちょっと広げるくらいにする。そしてそのあたりから麺をすくう。けっこう納豆が麺に絡んでくる。
食べてみるとなかなかいい感じだ。たしかに美味しい。納豆の個性は強烈だが、ここのスープと麺もかなりの存在感を持っているから負けていない。ちょうどよい具合だ。納豆のクセのある味が、スープに奥行きを作り出している。
たしかに納豆はスパイシーな料理、たとえばカレーとかスープ・カレーに意外によく合っていたことを思い出した。

予想外の展開に驚きながら、旨い旨いと食べ進み、麺と具材を完食する。
スープがまだある スープの中には、けっこう納豆が残っている 麺に絡むといっても、どうしても残ってしまうものだ。私はつねにスープまで完食する方針だからいいけれど、スープを残す人はもったいないことになる。 
この納豆混じりで少し粘度を増したスープをレンゲですくいつつ、残ったご飯を食べる。これがまたよく合う。思わず弾みがついてあっという間にスープとご飯を同時に完食してしまった。

予想外なほど納豆とここのラーメンは合っていた。これなら、たまに食べてもいいなあと思う。
いよいよ次回はトッピング・チャレンジも完結だ。そして、何より来月8月は「極辛」メニューの限定月間。楽しみだ。体調を整えておかなければ。では、ごちそうさまでした。

外は猛暑。熱中症に注意とテレビでうるさく言っているので、今日も散歩はしないで、まっすぐ家に帰った。

7

2013年7月6日土曜日

矢野顕子 『ただいま。』

『ただいま』は矢野顕子の7枚目のアルバム。1981年5月リリース。私の大好きな矢野顕子「テクノ3部作」の1枚だ。
前回の『愛がなくちゃね。』についての記事にも書いたとおり、私が勝手に矢野顕子の「テクノ3部作」と呼んでいるのは、1980年の『ごはんができたよ』、81年のこの『ただいま。』、そして82年の『愛がなくちゃね。』の3枚のことだ。
この時期は、別の言い方をすると矢野顕子の「坂本龍一期」であり、また彼女のニュー・ウェーヴ時代とも言える。

この3枚のアルバムはいずれも矢野と坂本龍一の共同プロデュースによるものであり、バックの演奏にはYMOのメンバーが参加している。
折しもこの『ただいま。』が作られた1981年は、YMOにとっては『BGM』と『テクノデリック』を発表した年である。つまりYMOが音楽的に行き着くとこまで行き着いた時期に当たる。その余波もあって、『ただいま。』は音的には「テクノ3部作」の中でももっともYMO的なアルバムと言えるかもしれない。
たとえばタイトル・チューン「ただいま」やヒット曲「春咲小紅」で聴けるピコピコ音はテクノ・ポップの典型だし、ニュー・ウェーヴ色の強いVET」や「いらないもん」、あるいは「ASHKENAZY WHO?」などはかなり実験的で、『BGM』や『テクノデリック』で聴けるYMOのサウンドにかなり近いものだ。これらも含めて、坂本龍一の音作りのアイデアが満載といった感じ。

しかしもちろん矢野顕子独特の歌詞の世界もちゃんと用意されている。今回は「ただいま」や「いつか王子様が」がそれ。等身大の日常の感覚が温かく歌われている。カラフルなテクノ・サウンドが、この歌の世界にピッタリだ。でも、アルバム・ジャケットの湯村輝彦のイラストとはちょっとイメージが違うのだけれど…。

全体としては、鋭いセンスのしかも愛らしいという印象のアルバムだ。


以下、各曲についてのコメント。

1 ただいま

ポップでカラフル、いっけん楽しそうな曲。でも、よく聴くと内容はものすごく孤独で寂しい一人暮らしの歌だ。だから、ワンワン、ニャンニャンの騒ぎが、かえって何だかもの悲しくも聴こえる。その寂しさが軽快なテクノ・サウンドで救われている感じだ。

作詞は糸井重里。私にとって糸井重里という人は、バブル前後にひたすら消費促進の旗振りをしたウサンくさい人物だ。しかし、都会の生活を切り取ったこの曲での糸井の手際は、さすがにうまい。しかもその詩の感触が、矢野顕子の作る詞の世界と近いのにも驚いた。

2 いつか王子様が

女の子の心の中を描いた健気で愛らしい曲。理想と違う現実の私。でも、自己卑下の淵に沈み込むのではなく、自分が誰かの「小さな日だまり」になれること、そして自分が「本当はすなおでやさしいヒト」なのだという自信はちゃんと持っている。だから、からっとしていて温かくて前向きだ。まさに少女時代の矢野顕子自身を思わせる。
テクノ・サウンドと児童合唱団のコーラスも、愛らしいこの世界にぴったり合っている。

3 VET

前曲から曲調は一転、高橋幸宏のドラムスの痙攣的なビートがつんのめるように突進する。ニュー・ウェーヴ魂が炸裂だ。
タイトルの「VET」は、獣医(veterinarian)のことだとか。私は最近まで知らなかった。
言葉遊びのように動物の名前が飛び出す。土屋昌巳のデヴィット・バーン(トーキング・ヘッズ)~エイドリアン・ブリューばりのネジれたギターは、なるほど動物の咆哮のイメージだったわけね。
矢野顕子のパワーが全開。で、気持イイ。

4 ASHKENAZY WHO?

またまた曲調が変わってクラシカルなイントロから始まる。
鍵盤の音でメカニカルにビートを刻みながら、ストリングス音をからめつつ展開されるピアノを巡るシュールな世界。坂本のクラシカルなセンスが光る。
 アシュケナージは、ピアノ界の権威の象徴か。

5 いらないもん

出た。無調、無ビートのアブストラクト曲。当然、非ポップ。つぶやくようなヴォーカルに、さまざまなサウンドがコラージュされている。
作曲は一応大貫妙子とクレジットされているが、大貫が作ったであろう曲は解体されて跡形もなくなってしまったと思われる。
 しかし、矢野のヴォーカルは、心の中から湧き出してくるようであくまでナチュラル。さすがだ。矢野の歌の奔放さを、制約なしに解放して見たかったのではないのかな。

6 たいようのおなら ・ おとうさん ・おとうさん ・ ぼくがおとなになったら ・ せんせい ・ おかあさんのおひげ ・ もし一億円あったら ・ いぬ ・ ぼくはなきみそ

子供の詩に曲をつけてピアノで弾き語りをしたもの。詩は灰谷健次郎編の児童詩集『たいようのおなら』から。
はっきり言って私はこの手の曲が苦手。子供の詩は大人の視点とは違っていて、たしかに面白い。たしかに面白いのだが、しかし、何回も繰り返し聴くものでもないような気がする。で、CDで聴くようになってからは、いつもスキップしている。

7 I Sing

坂本龍一作曲。坂本のソロ・アルバムに入っていてもおかしくなさそうなライトでポップな曲。

8 春咲小紅

ごぞんじ矢野顕子最大のシングル・ヒット。カネボウ化粧品のキャンペーン・ソングとして作られ、作詞が糸井重里、編曲がYMOと、とにかく金がかかっている。バブリー感が漂っているのはそのせいか。キャッチーでテクノ音と東洋音階のサウンドを取り入れていて悪い曲ではないが、紋切り型の表現で終わっているのは、万人受けするように作られたCM曲だからなのだろう。

9 ROSE GARDEN

ちょっと沖縄風のテクノ&エスノ・サウンド。次作でのジャパンとの共作の予告なのか。このアルバム世界の大団円にふさわしい賑々しくもシンボリックな一曲。


矢野顕子 『愛がなくちゃね。』

愛がなくちゃね。』は矢野顕子の8枚目のアルバム。1982年6月リリース。私の大好きな矢野顕子「テクノ3部作」のラストを飾る名作だ。
私が勝手にそう呼んでいる矢野顕子の「テクノ3部作」とは、1980年の『ごはんができたよ』、81年の『ただいま。』、そして82年のこの『愛がなくちゃね。』の3枚のことをいう。
この時期は、言い方を代えると矢野顕子の「坂本龍一期」ということになる。パートナーであった坂本龍一色がもっとも強く出ていた時期で、矢野顕子のニュー・ウェーヴ時代にあたっている。

 このアルバム『愛がなくちゃね。』でも前2作同様、矢野の自由奔放な音楽性と、坂本のテクノ/ニュー・ウェーヴ志向がうまい具合に融合して、色彩豊かな音楽の世界を作り出している。
音楽的な面でのいろいろな実験に満ちていて、サウンドのテクノ化もさらに進行している。
YMOは、この前年1981年に『BGM』と『テクノデリック』という2枚の実験性の強いアルバムを発表していた。彼らの実験精神の勢いが、矢野の前作『ただいま。』(1,981年)とこの『愛がなくちゃね』にも強く及んでいる。たとえば「Another Wedding Song」は、加工されたしゃべりが中心の曲で、ほとんどYMO的なアイデアと言ってもよい曲だ。

しかしその一方で、このアルバムでは矢野独特の優しくて温かい詞の世界もさらに深化を見せている。タイトル・ソング「愛がなくちゃね」や「女たちよ 男たちよ」や「どんなときも どんなときも どんなときも」などがその好例だ。

また例によって毎回アルバムに入っている古い曲のカヴァーや子供の詩に曲をつけたものもある。いつもならこれが私にはちょっと苦手なのだが、このアルバムに限っては、よい出来になっている。「悲しくてやりきれない」(フォーク・クルセダーズのカヴァー)と「みちでバッタリ」(12歳の子供の詩)の2曲がそれだが、どちらもなかなかの名曲だ。

というわけでアルバム全体としてみると、この『愛がなくちゃね。』は、「テクノ3部作」の中では一番よいアルバムではないかと私は思っている。

それから『愛がなくちゃね。』で注目されるのは、いつものYMOメンバーに加えて、ジャパンのリズム隊(ミック・カーンとスティーヴ・ジャンセン)を迎えてのロンドン録音が含まれていることだ。それも、単に参加しているだけではなく、このリズム隊二人の個性が、矢野の音楽の展開にちゃんとうまく生かされている。後期ジャパンの音が大好きな私としては、とてもうれしい。
ジャパンはこの前年の1981年に、スタジオ・ラスト作『錻力の太鼓(Tin Drum)』を発表し、独自のオリエンタルでエスノ&テクノなサウンドを極めたところだった。
『愛がなくちゃね。』でも、ミック・カーンのフレット・レス・ベースによるあの唯一無二のベース・プレイが随所で聴ける。とりわけ「女たちよ 男たちよ」でのポリリズミックな演奏は、まさに後期ジャパンの陰鬱なサウンドを、そのまま明るくしたような感じだ。

どの曲がジャパン参加曲なのかは、クレジット上では明記されていない。演奏では少なくとも、「愛がなくちゃね」、「What's Got In Your Eyes」、「女たちよ 男たちよ」、「Sleep On My Baby」の4曲でジャパン・サウンドが聴ける。
あと、デヴィッド・シルヴィアンもヴォーカルで1曲に参加している。

またロンドン録音に参加したギタリストもなかなかユニーク。デヴィッド・ローズは、ピーター・ガブリエルのセッション&ツアー・メンバーとして有名だ。もう一人のロビー・マッキントッシュについてはよく知らないが、一時プリテンダーズにいたことがある人らしい。

この録音へのジャパン勢の参加は言うまでもなく坂本龍一の縁によるものだ。
坂本はまずジャパンの1980年のアルバム『孤独な影(Gentlemen Take Polaroids)で、「Taking Islands In Africa(テイキング・アイランズ・イン・アフリカ)」という曲をシルヴィアンと共作し演奏にも参加していた。
『愛がなくちゃね。』を作った1982年にジャパンは解散するが、この年から坂本とシルヴィアンはコラボ活動を開始している。1982年にシングル「Bamboo Music/Bamboo Houses」を制作。また翌年1983年には、「Forbidden Colours(禁じられた色彩)」を発表している。
この「禁じられた色彩」は、大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』のテーマ曲のヴォーカル・バージョン。映画の最後で、この曲が流れ、暗鬱なシルヴィアンの声が映画館中に響き渡った瞬間は忘れ難い思い出だ。坂本はこの映画の音楽を担当し、またみずから出演もしている(デヴィッド・ボウイと共演)。
以後この二人のコラボレーションは、断続的に続けられ何枚かのシングルを制作している。


以下各曲についてのコメント。

1 愛がなくちゃね

いきなりのジャパン参加曲。ミック・カーンのうねるベースが最高。ジャパンのリズム隊が独特のしなやかに跳ねるリズムを作り出している。バックのたどたどしいコーラスも彼らか。
歌詞は矢野ワールド全開だ。あくまで等身大の日常感覚をもとに愛について語っている。また「みんな 毎日 おなじこと話す 同じ服きて 同じテレビみて」なんて鋭いい一言も。

2 悲しくてやりきれない

フォーク・クルセダーズの曲のカヴァー。一連の昔の曲カヴァー・シリーズの一曲。カヴァー曲は苦手だが、この曲はよい。
もともとのサトウハチローの詞がとてもよい。そしてその詞のやりきれない悲しさに、放心気味の矢野のヴォーカルと愛想のないぶっきらぼうなテクノ・ビートがよく似合っている。間奏のギター・ソロも内省的でよい。

3 What's Got In Your Eyes

ジャパン参加。うねるビートに乗ってじわじわと盛り上がる。

4 おいしい生活

西武百貨店のCMソング。身の回りの小さな、でも個人的には大切なものを並べた詞。この詞は糸井重里との共作だが、等身大の日常感覚はいかにも矢野的だ。ものの名前の突飛な取り合わせが、なかなか巧み。この辺のセンスは、コピー・ライター糸井によるものかもしれない。
しかし、あの「大」西武百貨店が、こうしてささやかでつましい生活のイメージを提示しつつ物欲を刺激していたのだと思うと、かなわないなあとあらためて思う。

5 みちでバッタリ

岡真史の詩集『ぼくは12歳』の詩に曲をつけた高橋悠治のアルバム『ぼくは12歳』(歌は中山千夏)からのカヴァー。
すごくシンボリックで深い詩と、オリエンタルなサウンド・アレンジが印象的。一転してラストのバンド・サウンドになってのスキャット部分の盛り上がりも、詞の内容に見合っているような感じで納得。

6 女たちよ 男たちよ

この曲はまさにジャパン後期サウンドと矢野ミュージックの合体だ。ミック・カーンのうねるベースとシンセも絡んでの躍動的なポリリズム。
内容は男女関係というより、人間関係一般についての歌。しかし、それをいかにも矢野らしい日常目線から描いている。「知らなければならないことより 知らなくても いいことばかり/なんで こうなるの?」なるほど、そのとおり。

7 あいするひとよ

このアルバム中でもっともテクノな曲。どこまでもフラットで無機的なシンセ・サウンドとリズムが続く。まるでYMOのようだ。オリエンタルなフレーズにのっての文語調の詞も、意味を剥ぎ取られてクールに響く。

8 Sleep On My Baby

坂本龍一&カクトウギ・セッション『サマー・ナーヴス』(1979)収録の曲の再演。
『サマー・ナーヴス』では、ゆったりとしたスカっぽいリズムのあっさりとした曲だった。そのせいで、あんまり印象に残っていない。
この再演版は、テンポ・アップしてタイトなアレンジ。ジャパンのリズム隊参加(コーラスもか)により、しなやかに跳ねる特徴的なサウンドに生まれ変わっている。ここでもベースのミック・カーンが大活躍。独特のうねりを作り出している。

9 Another Wedding Song

加工した声のコラージュを単純な曲にのせた、まあ実験作(?)のようなもの。これもいかにもこの時期のYMO的なアイデアだ。話している内容は矢野、坂本に糸井を交えての結婚談義らしい。
ちなみにこの年1982年に矢野顕子と坂本龍一は、正式に結婚している。この二人の間には、すでに2年前に長女美雨が生まれていたのではあるが。この結婚を記念してのテレながらの一曲というところか。

10 どんなときも どんなときも どんなときも

詞を糸井重里と共作したオリンパスのCMソング(CMで歌っていたのは鈴木慶一とのこと)。
曲は前半と後半に分かれていて、前半がたぶんCMに使われていた部分なのだろう。繰り返される「すこしだけ 君は僕のもの」という詞には、何となくコピー・ライターっぽいセンスを感じる。
ところが「どんなときも どんなときも…君は すてきだよ」と繰り返される後半が、がぜんよい。この切ない詞に導かれて演奏は盛り上がり揺らぐようなスライド・ギターとともにゆっくりとフェイド・アウトしていく。

11 Good Night

高橋悠治作曲。寄り添うような矢野とデヴィッド・シルヴィアンとのデュエット。ピアノとのユニゾンが麗しい。至福感に満ちた静かなひと時だ。

2013年7月4日木曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「特製らーめん」+「生玉子」 2013

梅雨空が続く7月上旬のある日、用事があって久々に水戸に出かけたので、ついでに「つけ麺 坊主」さんに寄る。
前回訪問からほぼ一ヶ月ぶり。なかなか来られませんなあ。ほんとはその間に一回来たんだけど、あいにくの店休日だった。

平日の11時40分入店。先客は7人(後客も7人だった)。
券売機に向う。今日もいつものとおり「特製らーめん」と「白めし」と「ビール」。そしてトッピングに「生玉子」。
カウンター手前のいちばん右の端が空いていたのでそこに座る。落ち着ける席だ。御主人に麺とめしは普通盛りで、とお願いする。

早々にビール到着。さっそく、ぐびりッ。今日はかなり蒸し暑い日なので、ビールが格別うまい。先客7人のうち6人は学生さんのグループ。ちょうどこの6人の注文が出来上がったところだった。これならそんなに待たなくてもすみそうだ。

ほどなく玉子の入った小鉢が先に届いた。玉子は割ってない状態。なるほどトッピングの「生玉子」は、こういうふうに出てくるのか。
今日「生玉子」を頼んだのは、私が個人的に継続中のトッピング全種制覇シリーズの一環だ。この店で「生玉子」を頼むのはこれが初めて。こんなチャレンジをしていなければ、頼むこともなかっただろう。
ちなみにこのお店の他のトッピングが、全て100円の中で、唯一この「生玉子」だけは50円だ。

やがて「特製らーめん」到着。一ヶ月の御無沙汰でした。今日もどんぶり中央のもやしと刻みネギの山がこんもりと高い。
さて生玉子をどうするか。取りあえず割ってどんぶりの隅っこの方に落としておくことにする。

いつものとおりレンゲでスープをすくって味わう。今日はどんな塩梅かな。このときが、いちばんわくわくする瞬間だ。
 おッ。今日はいつもとちょっと様子が違うぞ。けっこうしょっぱい。脂とコクはいつものとおり。甘さはちょっと弱め。辛さはまあ普通。しかし、塩味がかなり立っているので、他の要素がその陰に隠れてしまいそうなほど。
もっとも、もともとこのお店の塩加減は控えめなので、今日くらいでちょうど他のラーメン屋さんと同じくらいなのではあるが。

いつもの私の手順どおり、しばらくスープだけ飲み続ける。しょっぱいので、ときどき合間に食べるご飯が進む。ご飯が美味しい。でも、やはり塩味のせいで、いつものように延々とスープだけ飲み続けられない。

そこで、今度はもやしとネギの山を崩してならし、さらにその中央に小さな池を作る。生玉子はまだ崩さないでほっておく。
その池の底から麺を引き出して食べる。熱いっ。熱いとやっぱり辛い。ひいひい言いながら、今度は麺ばかり食べ続ける。しなやかさがいいなあ。
しかしあんまり麺ばかり食べていると、具材のもやしと豚肉だけが残って最後は野菜炒めを食べているような状態になってしまう。前回がそうだった。そこで、今回は反省して途中から、麺と具材をミックスしながら食べていくことにする。麺、具材、スープ、ご飯のサイクルが快調に続く。

この段階ですでに、鼻水は連続して湧き出し、汗も気持ちよく噴出している。これがいいのだ。もうちょっと辛くしておけばよかったかな。

そろそろ生玉子を何とかしなければ。箸でつついて割ってみる。ちょっととろっとしているみたいだけど、スープの熱ではやはりそれほど火は通らない。スープの中に玉子を少しだけ広げて、麺と絡めて食べてみる。なるほどマイルドでかつ豊かな味になる。麺とはあくまで別個のものとして食べる味玉よりも、いいかもしれない。しかし、この旨さをたっぷり味わうには玉子一個では少な過ぎるだろう。

こうして楽しみつつ麺と具材を完食する。スープもかなり飲んだが、しょっぱいのでいつものように飲み干せなかった。玉子が溶けているのにちょっともったいない。
このお店のスープの美味しさを隅ずみまで味わうには、やっぱりいつものような控えめの塩加減が大事なんだな、とあらためて強く思った。次回に期待したい。
そういえば、来月はもう8月。極辛メニューの限定月間ではないか。楽しみだあ。では、ごちそうさま。

今日は午後から雷雨との予報なので、珍しく散歩なしでまっすぐ家に帰った。