2013年7月6日土曜日

矢野顕子 『愛がなくちゃね。』

愛がなくちゃね。』は矢野顕子の8枚目のアルバム。1982年6月リリース。私の大好きな矢野顕子「テクノ3部作」のラストを飾る名作だ。
私が勝手にそう呼んでいる矢野顕子の「テクノ3部作」とは、1980年の『ごはんができたよ』、81年の『ただいま。』、そして82年のこの『愛がなくちゃね。』の3枚のことをいう。
この時期は、言い方を代えると矢野顕子の「坂本龍一期」ということになる。パートナーであった坂本龍一色がもっとも強く出ていた時期で、矢野顕子のニュー・ウェーヴ時代にあたっている。

 このアルバム『愛がなくちゃね。』でも前2作同様、矢野の自由奔放な音楽性と、坂本のテクノ/ニュー・ウェーヴ志向がうまい具合に融合して、色彩豊かな音楽の世界を作り出している。
音楽的な面でのいろいろな実験に満ちていて、サウンドのテクノ化もさらに進行している。
YMOは、この前年1981年に『BGM』と『テクノデリック』という2枚の実験性の強いアルバムを発表していた。彼らの実験精神の勢いが、矢野の前作『ただいま。』(1,981年)とこの『愛がなくちゃね』にも強く及んでいる。たとえば「Another Wedding Song」は、加工されたしゃべりが中心の曲で、ほとんどYMO的なアイデアと言ってもよい曲だ。

しかしその一方で、このアルバムでは矢野独特の優しくて温かい詞の世界もさらに深化を見せている。タイトル・ソング「愛がなくちゃね」や「女たちよ 男たちよ」や「どんなときも どんなときも どんなときも」などがその好例だ。

また例によって毎回アルバムに入っている古い曲のカヴァーや子供の詩に曲をつけたものもある。いつもならこれが私にはちょっと苦手なのだが、このアルバムに限っては、よい出来になっている。「悲しくてやりきれない」(フォーク・クルセダーズのカヴァー)と「みちでバッタリ」(12歳の子供の詩)の2曲がそれだが、どちらもなかなかの名曲だ。

というわけでアルバム全体としてみると、この『愛がなくちゃね。』は、「テクノ3部作」の中では一番よいアルバムではないかと私は思っている。

それから『愛がなくちゃね。』で注目されるのは、いつものYMOメンバーに加えて、ジャパンのリズム隊(ミック・カーンとスティーヴ・ジャンセン)を迎えてのロンドン録音が含まれていることだ。それも、単に参加しているだけではなく、このリズム隊二人の個性が、矢野の音楽の展開にちゃんとうまく生かされている。後期ジャパンの音が大好きな私としては、とてもうれしい。
ジャパンはこの前年の1981年に、スタジオ・ラスト作『錻力の太鼓(Tin Drum)』を発表し、独自のオリエンタルでエスノ&テクノなサウンドを極めたところだった。
『愛がなくちゃね。』でも、ミック・カーンのフレット・レス・ベースによるあの唯一無二のベース・プレイが随所で聴ける。とりわけ「女たちよ 男たちよ」でのポリリズミックな演奏は、まさに後期ジャパンの陰鬱なサウンドを、そのまま明るくしたような感じだ。

どの曲がジャパン参加曲なのかは、クレジット上では明記されていない。演奏では少なくとも、「愛がなくちゃね」、「What's Got In Your Eyes」、「女たちよ 男たちよ」、「Sleep On My Baby」の4曲でジャパン・サウンドが聴ける。
あと、デヴィッド・シルヴィアンもヴォーカルで1曲に参加している。

またロンドン録音に参加したギタリストもなかなかユニーク。デヴィッド・ローズは、ピーター・ガブリエルのセッション&ツアー・メンバーとして有名だ。もう一人のロビー・マッキントッシュについてはよく知らないが、一時プリテンダーズにいたことがある人らしい。

この録音へのジャパン勢の参加は言うまでもなく坂本龍一の縁によるものだ。
坂本はまずジャパンの1980年のアルバム『孤独な影(Gentlemen Take Polaroids)で、「Taking Islands In Africa(テイキング・アイランズ・イン・アフリカ)」という曲をシルヴィアンと共作し演奏にも参加していた。
『愛がなくちゃね。』を作った1982年にジャパンは解散するが、この年から坂本とシルヴィアンはコラボ活動を開始している。1982年にシングル「Bamboo Music/Bamboo Houses」を制作。また翌年1983年には、「Forbidden Colours(禁じられた色彩)」を発表している。
この「禁じられた色彩」は、大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』のテーマ曲のヴォーカル・バージョン。映画の最後で、この曲が流れ、暗鬱なシルヴィアンの声が映画館中に響き渡った瞬間は忘れ難い思い出だ。坂本はこの映画の音楽を担当し、またみずから出演もしている(デヴィッド・ボウイと共演)。
以後この二人のコラボレーションは、断続的に続けられ何枚かのシングルを制作している。


以下各曲についてのコメント。

1 愛がなくちゃね

いきなりのジャパン参加曲。ミック・カーンのうねるベースが最高。ジャパンのリズム隊が独特のしなやかに跳ねるリズムを作り出している。バックのたどたどしいコーラスも彼らか。
歌詞は矢野ワールド全開だ。あくまで等身大の日常感覚をもとに愛について語っている。また「みんな 毎日 おなじこと話す 同じ服きて 同じテレビみて」なんて鋭いい一言も。

2 悲しくてやりきれない

フォーク・クルセダーズの曲のカヴァー。一連の昔の曲カヴァー・シリーズの一曲。カヴァー曲は苦手だが、この曲はよい。
もともとのサトウハチローの詞がとてもよい。そしてその詞のやりきれない悲しさに、放心気味の矢野のヴォーカルと愛想のないぶっきらぼうなテクノ・ビートがよく似合っている。間奏のギター・ソロも内省的でよい。

3 What's Got In Your Eyes

ジャパン参加。うねるビートに乗ってじわじわと盛り上がる。

4 おいしい生活

西武百貨店のCMソング。身の回りの小さな、でも個人的には大切なものを並べた詞。この詞は糸井重里との共作だが、等身大の日常感覚はいかにも矢野的だ。ものの名前の突飛な取り合わせが、なかなか巧み。この辺のセンスは、コピー・ライター糸井によるものかもしれない。
しかし、あの「大」西武百貨店が、こうしてささやかでつましい生活のイメージを提示しつつ物欲を刺激していたのだと思うと、かなわないなあとあらためて思う。

5 みちでバッタリ

岡真史の詩集『ぼくは12歳』の詩に曲をつけた高橋悠治のアルバム『ぼくは12歳』(歌は中山千夏)からのカヴァー。
すごくシンボリックで深い詩と、オリエンタルなサウンド・アレンジが印象的。一転してラストのバンド・サウンドになってのスキャット部分の盛り上がりも、詞の内容に見合っているような感じで納得。

6 女たちよ 男たちよ

この曲はまさにジャパン後期サウンドと矢野ミュージックの合体だ。ミック・カーンのうねるベースとシンセも絡んでの躍動的なポリリズム。
内容は男女関係というより、人間関係一般についての歌。しかし、それをいかにも矢野らしい日常目線から描いている。「知らなければならないことより 知らなくても いいことばかり/なんで こうなるの?」なるほど、そのとおり。

7 あいするひとよ

このアルバム中でもっともテクノな曲。どこまでもフラットで無機的なシンセ・サウンドとリズムが続く。まるでYMOのようだ。オリエンタルなフレーズにのっての文語調の詞も、意味を剥ぎ取られてクールに響く。

8 Sleep On My Baby

坂本龍一&カクトウギ・セッション『サマー・ナーヴス』(1979)収録の曲の再演。
『サマー・ナーヴス』では、ゆったりとしたスカっぽいリズムのあっさりとした曲だった。そのせいで、あんまり印象に残っていない。
この再演版は、テンポ・アップしてタイトなアレンジ。ジャパンのリズム隊参加(コーラスもか)により、しなやかに跳ねる特徴的なサウンドに生まれ変わっている。ここでもベースのミック・カーンが大活躍。独特のうねりを作り出している。

9 Another Wedding Song

加工した声のコラージュを単純な曲にのせた、まあ実験作(?)のようなもの。これもいかにもこの時期のYMO的なアイデアだ。話している内容は矢野、坂本に糸井を交えての結婚談義らしい。
ちなみにこの年1982年に矢野顕子と坂本龍一は、正式に結婚している。この二人の間には、すでに2年前に長女美雨が生まれていたのではあるが。この結婚を記念してのテレながらの一曲というところか。

10 どんなときも どんなときも どんなときも

詞を糸井重里と共作したオリンパスのCMソング(CMで歌っていたのは鈴木慶一とのこと)。
曲は前半と後半に分かれていて、前半がたぶんCMに使われていた部分なのだろう。繰り返される「すこしだけ 君は僕のもの」という詞には、何となくコピー・ライターっぽいセンスを感じる。
ところが「どんなときも どんなときも…君は すてきだよ」と繰り返される後半が、がぜんよい。この切ない詞に導かれて演奏は盛り上がり揺らぐようなスライド・ギターとともにゆっくりとフェイド・アウトしていく。

11 Good Night

高橋悠治作曲。寄り添うような矢野とデヴィッド・シルヴィアンとのデュエット。ピアノとのユニゾンが麗しい。至福感に満ちた静かなひと時だ。

1 件のコメント:

  1. 急に懐かしくなってAmazonでこのCDを買いました。
    届くのが待ちきれなくてYouTubeで聴きながら読んでます。
    大好きなアルバムでしたが、解説を読んで
    「うんうん、なるほど。そうだったのか!」と思うことだらけ。
    ありがとうございました。
    とても楽しかったです♪

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