2013年9月26日木曜日

クロスビー、スティルス&ナッシュの関連アルバム


クロスビー、スティルス&ナッシュの関連アルバムが紙ジャケ化されるという。『レコード・コレクターズ』誌の今月号(2013年10月号)に、「クロスビー、スティルス&ナッシュ 紙ジャケットCDコレクション」と銘打って広告が載っていた。

全9タイトルで、2013年9月25日(水)同時発売。各2500円也。どれも初紙ジャケット化で、例によって初回生産限定とのこと。
 9タイトルの内訳は、CS&N名義が2枚、スティルスのソロ(マナサス含む)が4枚、クロスビーとナッシュのソロが各1枚、そしてクロスビー&ナッシュ名義1枚。詳細は以下のとおり。

・クロスビー、スティルス&ナッシュ 『クロスビー、スティルス&ナッシュ』
・クロスビ-、スティルス&ナッシュ 『CSN』
・デイヴィッド・クロスビー 『イフ・アイ・クッド・オンリー・リメンバー・マイ・ネーム』
・スティヴン・スティルス 『スティヴン・スティルス』 
・スティヴン・スティルス 『スティヴン・スティルス 2』
・スティヴン・スティルス マナサス 『マナサス』
・スティヴン・スティルス マナサス 『ダウン・ザ・ロード』
・グラハム・ナッシュ 『ソングス・フォー・ビギナーズ』
・グラハム・ナッシュ デイヴィッド・クロスビー 『グラハム・ナッシュ デイヴィッド・クロスビー』

広告には9枚のアルバムのジャケット写真がずらりと並んでいる。ページの約三分の一の小さな広告だ。しかしCSN&Yのファンとしては、やっぱり心がざわつく。一応どれも手元にはあるのだが、紙ジャケと聞くと…。
同時発売で、その発売日はもうすぐ。どうしようかなあ。
昔の私なら、即オトナ買いということになったかもしれない。しかし今は隠居の身だ。すでに手元にあるアイテムにはもう手を出すまい、と心に決めたはずだったのだが…。

ウェブで確認したら、その後、発売日が変更になっていた。スティルス関連の4枚のみが予定どおり9月25日発売で、残りの5枚は11月6日に延期になったようだ。発売が2期に分かれると、たぶん勢いで買うオトナ買いの人は減るんじゃないのかな。それとも資金繰りのめどがついて、逆に増えるのか。
ともかくこれであせらなくてもよいことになった。だんだん気持が落ち着いてくる。

冷静になってよく考えてみると、今回のラインナップはイマイチな感じがしないではない。たしかに初期CS&N関連のアルバムを網羅してはいる。しかし、別の見方をすれば、CSN&Y関連アルバムから、肝心のCSN&Yとニール・ヤングのソロ作を除いた残りということにもなる。
CSN&Y名義では『デや・ヴ』と『4ウェイ・ストリート』があり、またこの時期のニール・ヤングのソロ作としては『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』(1970)とか『ハーヴェスト』(1972)なんかがある。オリジナルCSN&Y関連のアルバムのいちばん美味しいところだ。
こう考えてしまうと今回紙ジャケ化されるCS&N関連9作には「残りもの」感が漂うのだ。こうして頭を冷やしたところで、勢いだけのオトナ買いなど考えないことにして、一枚一枚じっくり吟味してみることにする。
どうでもいいことだけれど、このあいだの新聞の運勢欄によると今週の私の運勢は、「仕分けをすると吉。必要か否かを見極めて」とのこと。さあCDを聴きながら仕分けだ。


□ クロスビ-、スティルス&ナッシュ 『クロスビー、スティルス&ナッシュ』

オリジナルCSNYの原点であり、文句なしの名盤。これは、何をおいても買わなければ。
斬新で力強いコーラス・ハーモニーとメロディアスなフレーズは、今聴いても新鮮で瑞々しい。微妙な翳りのある繊細なサウンドは、折しも内省化へ向おうとする時代の曲がり角にぴったりと寄り添っていたのだった。


□ クロスビー、スティルス&ナッシュ 『CSN』

今回のラインナップの中で、あきらかに異質なのがこの『CSN』。他のアルバムは1969年(CS&Nのデヴューアルバム)から、1973年(マナサスのセカンド)までのもので、オリジナルCS&N関連作と一応言える。けれども、この『CSN』だけは、その少し後の再編CS&Nによるものだから別ものだ。これでは強引なセット販売だ。

内容的にも今ひとつ。当人たちは以前と同じことをやっているつもりなのだろうけれど、いかんせん時代の方が彼らを置いてきぼりにしてしまっていたのだった。


□ スティヴン・スティルス 『スティヴン・スティルス』

CSN&Yの『デジャ・ヴ』と同じ1970年に発表されたスティルスのファースト・ソロ・アルバム。フォーキーな印象の『デジャ・ヴ』とは違って、こちらはブルースやゴスペルやソウルなど黒人音楽風味がやや強い。
ジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトン、リンゴ・スターなどなどゲスト陣が異常に豪華でにぎにぎしい。だが、この人たちのプレイを期待すると、ちょっと肩透かし。しかしそれ以前に、曲そのものがどれも小粒で魅力がない。聴きものは「愛の賛歌(Love the one youre with)」と「ブラック・クイーン」くらい。

スティルスの最高傑作という人もいるが、私には全然そうは思えない。器用な人が、グループの束縛から離れ自分の思うようにやりたくてソロ・アルバムを作ると、たいていちまちまとしたつまらないものができる。ポール・マッカートニーの『マッカートニー』がその好例。ステテルスのこのアルバムも、ある意味でそんな感じがする。


□ スティヴン・スティルス 『スティヴン・スティルス 2』

クラプトンがまた参加してはいるものの、ゲスト陣は前作よりも地味。しかし、メンフィス・ホーンを加えたり、曲のつくりにメリハリをつけたりして、音そのものは前作よりもカラフルな感じだ。
聴きものは「今日があるさ(Nothin' To Do But Today)」とか、フォーキーで渋い「ノウ・ユー・ゴット・トゥ・ラン」と「ワード・ゲーム」あたりだ。
しかし、例によって駄曲も多い。とくに「リラクシング・タウン」とか「マリアンヌ」みたいな能天気なロックン・ロールには、何のとりえもなし。それから「オープン・シークレット」のラテン・リズムに乗ってのひどくお粗末なピアノ・ソロは、いったいどういうつもりなんだろう。全体としては凡作。


□ スティヴン・スティルス マナサス 『マナサス』

60年代から70年代へというロックの曲がり角で、たしかにスティーヴン・スティルスは、光り輝く存在だった。でも結局70年代の半ばを待たずに、この人の時代も終わってしまう。
今振り返ればあきらかなことだが、当時ライヴァル関係にあったニール・ヤングとば、アーティストとしてのスケールが全然違ったのだ。スティルスは、器用なマルチ・プレイヤーだし、音楽センスもよい。しかし「思想」がなかったのだ。だからどこまでいってもミュージシャンでしかなく、アーティストにはなれなかったということなのだろう。

そんなスティルスの「旬」の時代の最後の輝きがこのアルバム。前2作のソロ作とは打って変わって、地に足の着いた充実した内容のアルバムになっている。スティルス・バンドにフライング・ブリトー・ブラザーズが合体して、スティルスのワンマン体制に歯止めがかかったのが吉と出たのではないだろうか。
主にブルース、カントリーなど南部サウンドをベースにしたアメリカン・ロックが展開されているが、CSN&Yを発展させたような音も聴ける。ただ難点は、LPで2枚組というヴォリュームが長過ぎるということか。これを1枚に圧縮したらさぞかし名盤になったと思う。


□ スティヴン・スティルス/マナサス 『ダウン・ザ・ロード』

マナサスの2枚目。私の言うことを聞いてか(?)シングル・アルバムになった。前作と同じようなことをやっているのだが、しかし、演奏に前作のような精彩さがなくて、フツーのアルバムになってしまった。


□ デイヴィッド・クロスビー 『イフ・アイ・クッド・オンリー・リメンバー・マイ・ネーム』

クロスビーの風貌はまるで孤高の仙人のようだ。そして彼の曲もそんな風貌にぴったり見合っている。独特のコード感覚とハーモニーには、崇高な感じさえ漂っている。
CS&NやCSN&Yで聴けるこの人の曲の数々。「グウィニヴィア(Guinnevere)」、「ロング・タイム・ゴーン」、「カット・マイ・ヘアー(Almost Cut My Hair)」、「デジャ・ヴ(Deja Vu)」、「トライアド~リー・ショア(TriadThe Lee Shore)」などなど。どれも本当に素晴らしい。

そんなこの人の独特な歌の世界にたっぷり浸りたくて、このソロ作を聴いたのだったが…。結果は薄味でちょっとがっかり。きりきりと張りつめたような緊張感がなくて、全体にもっとゆったりした印象だった。
しかし随所で、例の独特のコーラス・ハーモニーが聴ける。最後の曲のアカペラのコーラスには、中世の教会音楽のような響きがあり、クロスビーのハーモニー感覚の原点を垣間見る思いがする。
サウンド的には、グレイトフル・デッドの面々が参加していることもあって、一見クールながら、ところどころでじわじわと熱っぽく盛り上がる。そんな面での聴きどころは、2曲目の「Cowboy Movie」(ギターはガルシアとニール・ヤングか)と、これに続く「Tamalpais High (At About 3)」だろう。

この人はその孤高さの漂う風貌にもかかわらず、むしろ誰かと一緒にやった方が、自分の持ち味を最高に発揮し、真価をあらわす人なのかもしれない。
でもとにかくこれは深い精神性を感じさせる名盤だ。


□ グラハム・ナッシュ 『ソングス・フォー・ビギナーズ』

グレアム・ナッシュという人は、よく言えば素朴で素直、悪く言えば単純で能天気。頑固なところもあって素朴な正義感から、反戦ソングやプロテスト・ソングも歌っている。でも単純な人の頑固さって、ただのワガママのようにも見える。だから底が浅く聴こえてしまう。
ナッシュの曲は、CSN&Yのアルバムのピリピリした緊張感の中に、息抜きのようにあしらってあるくらいでちょうどよいのだと思う。どこまで行ってもこれでもかと素朴で素直で甘ったるいこのアルバム。通して聴くとなるとやっぱり飽きてしまう。


□ グラハム・ナッシュ&デイヴィッド・クロスビー 『グラハム・ナッシュ/デイヴィッド・クロスビー』

これはあまり高く評価されているのを聞いたことないけれど、私的には、オリジナルCSN&Y関連のアルバムの中では、間違いなく名盤のひとつだと思う。

それぞれのファースト・ソロ作の後に、このデュオ作が作られている。そのためクロスビーの「ウォール・ソング」やナッシュの「イミグレーション・マン」など、それぞれのソロ作のアウト・テイクと思われる曲もある。
しかしこのアルバムのために書かれたクロスビーの曲がいい。「ホール・クロス」、「ホエア・ウィル・アイ・ビー?」、「ページ43」、「ゲームス」とどれも素晴らしい。ピーンと張りつめた緊張感と硬質で透明な叙情が心を打つ。
そしてまたこのアルバムでは、ナッシュの曲もなかなかよいのだ。ソロ作のときのような能天気さはなく、多くの曲が孤独な状況を歌った翳りのあるしっとりと落ち着いた曲だ。

このアルバムは窓が抜いてある変形ジャケだった。紙ジャケなら当然再現してあるのだろうから、これは買いだな。


というわけで、仕分け作業終了。私はどのアルバムの紙ジャケを発注するでしょう?答えはあえて書かないことにする。まあこれでオトナ買いからはまぬがれた。

ところで紙ジャケというなら、やはり本命のCSN&Yの2枚、『デジャ・ヴ』と『4ウェイ・ストリート』を出して欲しいな。
『デジャ・ヴ』は以前に出たような雑な作りではなく、文字は箔押し、集合写真は別刷りの貼り込みで再現して欲しい。
『4ウェイ・ストリート』は、私的にはディスク1のボー・トラ4曲抜きでお願いしたい。ディスク1のラストは、やっぱりスティルスの「Love the one youre with」で締めて欲しいから。よろしく。

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2013年9月21日土曜日

ザ・バンド 『ロック・オブ・エイジズ』の完全版を検討する


ザ・バンドの『ロック・オブ・エイジズ』の拡大版(r完全版?)が発売される。タイトルは『ライヴ・アット・アカデミー・オブ・ミュージック1971』。これにサブ・タイトルとして『ロック・オブ・エイジズ・コンサート』がつく。雑誌の広告では、『ロック・オブ・エイジズ・コンサート』の方がメイン・タイトル的に扱われていたが、ジャケット写真ではこちらの字の方が小さい。
例によってCD2枚組の通常版と、通常版にさらにCD2枚とDVD1枚を加えた5枚組のデラックス・エディションの2種が出る。

『ロック・オブ・エイジズ』は、私の大好きなアルバムだ。個人的には、このアルバムがザ・バンドのベストだと思う。つまり名盤の誉れ高いファーストやセカンド・アルバムよりも、こちらの方が優れていると思っている。
その拡大版が出るとなれば、やはり落ち着いてはいられない。すごく気になる。どんな中身なのか知りたい。
『レコード・コレクターズ』誌の予告によると、次号(201311月号)のメインの特集が、ザ・バンドの『ロック・オブ・エイジズ』とのこと。これを見れば、内容が詳しくわかるだろう。
しかし、広告ページをよく見ると、アルバムの発売は9月25日。あれ、もうすぐじゃないの。次号の『レコ・コレ』誌を待ってたら間に合わない。そこで、何とか発売前に自前で検討することにした次第だ。


<オリジナル版『ロック・オブ・エイジズ』について>

その前に、オリジナル版『ロック・オブ・エイジズ』について、おさらいしておこう。
1968年のデヴュー・アルバム『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』と1969年のセカンド・アルバム『ザ・バンド』によって、ザ・バンドはいきなり高い評価を得た。たしかにこの2枚は神がかったところがある名盤だ。しかし、続く1970年のアルバム『ステージ・フライト』と1971年の『カフーツ』は、憑き物が落ちたような感じで、世間の評価も今ひとつだった。
そんな折に起死回生をかけて企画されたのが、ライヴ・バンドとしての本領を記録したライヴ・アルバムの制作だった。

そして1971年の年末、12月28日から31日の大晦日までの4日間、ニューヨークのアカデミーオブ・ミュージックを会場として4回の連続コンサートが開かれたのだった。最終日は、ニューイヤーズ・イヴ・コンサートと銘打たれているが、途中で観客と共に年を越してニューイヤーにまたがる年越しライヴとなった。

この4回のコンサートの特徴は、約半数の曲に新たにホーン・セクションのパートが加わっていること。
コンサートの構成は、第1部と第2部にわかれていて、第1部はザ・バンドのみの演奏。第2部からはホーン・セクションが加わっている。新たに加えられたホーン・パートのアレンジは、ニューオリンズR&B界の大立者アラン・トゥーサンが担当している。演奏はニューヨークの5人のホーン・プレイヤーたちが参加。ホーンの分厚い音が加わって、ザ・バンドの曲は強靭にうねるグルーブ感を増している。
それから、最終日のアンコールの後、サプライズ・ゲストとしてボブ・ディランが登場したのも話題となった。ディランとバンドは、ここで4曲共演している。

この4回のコンサートからベスト・トラック17曲を選曲し、曲順など新たに構成しなおして、LP2枚組に収めたのが『ロック・オブ・エイジズ』だ。ロックのライヴ・アルバムとしてはもとより、ロック・アルバムの名盤の一つに数えられていることは、あらためて言う必要もないだろう。

なおごく最近知ったのだが、このアルバムのタイトルであるロック・オブ・エイジズとは、もともとキリストを指す言葉なのだという。聖書では「ちとせの岩」と訳されていて、永遠のよりどころとしてのキリストという意味とのことだ。アルバムのタイトルは、これに永遠のロックという意味を重ねているわけだ。

さてCDの時代になり、2001年にこのアルバムのリマスター版が出た。これは、LPと同様のCD2枚組だったが、その内容は大きく違っていてびっくり。LP2枚分の本編は、ディスク1にそっくりそのまま収められている。残りのディスク2が、何と丸ごと未発表音源のボーナス・ディスクだったのだ。
未発表音源は全部で10曲。4回のコンサートの中から、本編に入らなかった残りの曲目のベスト・トラックが収められている。アルバムの内ジャケ写真には載っていたのに、本編には収められなかったディランとの共演4曲も含まれている。

私の手元にあるCDは、2004年の紙ジャケ・リイシュー版で、中身は2001年のリマスター・ヴァージョンと同じだ。添付されているライナーの宇田和弘の解説によると、このコンサートで演奏された曲目数は、全部で29曲だという。リマスター版は、本編が17曲とボーナス・ディスクが10曲だから、合計で27曲。あと2曲足りない。その2曲とは「ストロベリー・ワイン」と「スモーク・シグナル」だ。
ボーナス・ディスクの収録時間にはまだ十分余裕があったのに、何でこの2曲だけ入れなかったのだろう。そんなに出来が悪かったのか。

この内「スモーク・シグナル」は、200510月に発売された、『ザ・バンド・ボックス~ミュージカル・ヒストリー』のディスク4に収録されている。残るはあと1曲「ストロベリー・ワイン」のみとなったが、長くそんな状態が続いていたのだ。
それが、何と今回の『ライヴ・アット・アカデミー・オブ・ミュージック1971』に初収録されているのだ。なるほどこれなら完全版と言えるかも。まっ、その話は後で。


<『ライヴ・アット・アカデミー・オブ・ミュージック1971』を曲目から検討する>

今回発売される『ライヴ・アット・アカデミー・オブ・ミュージック1971~デラックス・エディション』は、CD+DVDの5枚組。一応、その内容を紹介しておこう。

ディスク1と2(CD)は、4回のコンサートのベスト・トラック29曲を収録。「ロック・オブ・エイジズの完全版」と銘打たれている。
ディスク3と4(CD)は、12月31日のニューイヤーズ・イヴ・コンサートをノーカットで完全収録したもの。
ディスク5(DVD)は、ディスク1&2の内の25曲の5.1サラウンド・ミックスと、さらに2曲(「キング・ハーヴェスト」と「WS.ウォルコット・メディシン・ショウ」、どちらも12月30日)の演奏シーンの映像が収録されている。
なおディスク1と2は、2枚組の通常版として単独でも発売されるらしい。

発売元のホームページで、それぞれの収録曲目の内訳をざっと見てみた。曲目表には、その曲の収録日と、これまで未発表だった音源には印がついている。それを見ながら私なりに感じたことをコメントしてみる。


□□ディスク1&2  ロック・オブ・エイジズの完全版

ディスク1と2は、4回のコンサートのベスト・トラックを収録したもの。このコンサートで演奏された曲目数は全部で29曲。広告の文字は「ロック・オブ・エイジズの完全版!全29曲収録!」と高らかに謳い上げている。
たしかにこれまで唯一未発表だった「ストロベリー・ワイン」もちゃんと収録されている。
しかし、未発表マークがついているのはこの1曲だけ。つまり残りの28曲はすべて既発表のヴァージョンということになる。つまり、リマスター版の『ロック・オブ・エイジズ』の27曲とボックス・セット『ミュージカル・ヒストリー』の1曲が、そのまま収録されているということだ。
しかも、この29曲がセット・リストどおりに並べられてコンサートを再現するようになっているわけではない。この曲の配列には、どのような意図があるのだろう。要するにリマスター版の『ロック・オブ・エイジズ』本編とボーナス・ディスクの曲に、ただ2曲追加してシャッフルしたような感じだ。

これなら私としてはリマスター版の方を取る。オリジナル版の『ロック・オブ・エイジズ』の構成は、実によく練られていて完成度が高いからだ。コンサートのセット・リストが再現されるのでない限り、2曲増えたとはいえ、ごちゃごちゃにシャッフルされた形で聴こうとは思わない。
というわけで、ディスク1&2は、完全版とはいえ、何だかとても魅力度の低い内容だ。


□□ディスク3&4  ニューイヤーズ・イヴ・コンサート(完全収録盤)

ディスク3と4は大晦日のニューイヤーズ・イヴ・コンサートをノーカットで収録したものだ。これは、やっぱり聴いてみたい。当日のセット・リストどおりに聴けるのは魅力だ。結局このデラックス・エディションのキモは、このディスク3と4にある。

2枚のディスクの内容の振り分けもよい。ディスク3にはコンサートの第1部(ホーン・セクションなし)の11曲が収められ、ディスク4には第2部(ホーン・セクションが参加)とアンコール2曲とその後に登場したディランとの4曲が収められている。
ただ宇田和弘によると(2004年リマスター盤ライナー)、第1部の曲は全部で12曲だったはずなのだが、ここで演奏されているのは11曲。「ストロベリー・ワイン」が入っていないのだ。
ノーカットのはずだから、この最終日には演奏されなかったのだろう。もしかして前日までのコンサートで納得がいく演奏が出来なかったので、この曲をセット・リストからはずしたのだろうか。そうだとしたら、最後までこの曲の録音が日の目を見なかったのも説明がつくのだが…。

ところでこの曲目表を見て、ひとつ驚いたことがある。
オリジナル版の『ロック・オブ・エイジズ』の「チェスト・フ;イーヴァー」が、この最終日の録音ではなかったことだ。あのアルバムでは、ガース・ハドソンの長いオルガン・ソロ「ジェネティック・メソッド」の途中で、「蛍の光」のメロディーになり、めでたく新年を迎える。そしてオルガン・ソロから連続して「チェスト・フィーヴァー」が始まっていた。まさにこのアルバムのハイライトの一つと言ってもよいだろう。
だから当然誰もがこの「チェスト・フィーヴァー」は大晦日の(と言うか厳密には年が明けてからの)演奏と思っていた。ところが、そうではなかったのだ。ディスク4の曲目表では、この曲にこれまで未発表というマークがついている。ディスク2のこの曲のデータを見ると、12月28日になっている。つまり、『ロック・オブ・エイジズ』では、大晦日の「ジェネティック・メソッド」の後に、28日の「チェスト・フィーヴァー」を編集でつないでいたことになる。

これと関連するが、ニューイヤーズ・イヴ・コンサートの曲目には、意外とこれまで未発表の表示が多い。ディランとの4曲を除いてこの最終日に演奏された曲は23曲。この内これまで未発表だったのが16曲もある。つまり、『ロック・オブ・エイジズ』に使用されたトラックは7曲だったことになる。
これまで『ロック・オブ・エイジズ』の17曲の大半は大晦日の録音と言われていたが、じつはその比率は半分以下だったことになる。まあそれでも他の日よりはたしかに多いのだが。
未採用となったテイクが多いこの日の演奏。はたしてアルバム全体としての出来はどうなのだろう。実際に、聴いてみないとわからないな。


□□ディスク5  5.1サラウンド・サウンドと映像クリップ

.1サラウンドを聴くシステムは持ってないので、自分には関係ないディスク。映像も2曲のみではねえ。


□□このセット全体について

セットの全体の印象としては、何とも中途半端な構成だということになる。ディスク1&2の29曲と、ディスク3&4の27曲の内、なんと11曲が同一音源でダブっているというのが、どうにもすっきりしない。

ディスク1&2は、曲目数は完全版でも、曲順をシャッフルしたのが失敗。これはディスク1にオリジナル『ロック・オブ・エイジズ』をそのまま収録し、ディスク2にボーナス・トラックとして残り12曲を収録、つまり2001年リマスター版のボーナスディスクに2曲追加した形で、『ロック・オブ・エイジズ』完全版として単独で発売すべきだったのではないだろうか。フアンなら2001年版を持っていても必ず買うはず。

ディスク3&4も、単独のライヴ作品として出してほしかった。すっきりしないセット販売にしたのは、金儲けのため?14700円も出さないと聴けないとは。この間出たディランの『アナザー・セルフ・ポートレイト』の売り方を思い出す(ワイト島ライヴが売りだが、デラックス・エディションを買わないと聴けない)。

今回のセットがマニア向けと言うなら、私にさらにいいアイデアがある。4回のコンサートをそれぞれ2枚のCDにコンプリートに収め8枚組のセットにするのだ。これぞ本当の完全版。ジャズの世界では、よくあるやり方だ。私なら買うよ。

というわけで今回の『ライヴ・アット・アカデミー・オブ・ミュージック1971』も私は買わないことにする。例によってディスク3&4だけ、知人にダビングしてもらおう。

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2013年9月16日月曜日

私は『アナザー・セルフ・ポートレイト』を買わない


<『アナザー・セルフ・ポートレイト』発注中止>

ボブ・ディランのブートレッグ・シリーズ第10集が発売される。
この話を聞きつけて、私の心も当然色めきたった。しかし、タイトルを聞いてがっかり。『アナザー・セルフ・ポートレイト』。つまりオリジナル・アルバムの『セルフ・ポートレイト』関連の音源らしかったからだ。
ディランのブートレッグ・シリーズは、ずっと買ってきた。ただし第8集の『テル・テイル・サインズ(Tell Tale Signs)』だけはもちろんパス。ディランもピークをとっくに過ぎた1989年から2006年までの音源では聴く気になれない。
今回のブートレッグ・シリーズもやっぱりパスかなと思った。だってあの駄作の関連音源ではね。

今号の『レコード・コレクターズ』誌(201310月号)は、その『アナザー・セルフ・ポートレイト』の特集だ。
この特集で、今回のブートレッグ・シリーズの中身がよくわかった。ふたつのエディションがあって、レア・トラックを2枚のディスクに収めたのがスタンダード・エディション。注目は、この2枚に、さらにディスクを2枚加えた4枚組のデラックス・エディションだ。追加の2枚のうち1枚は、オリジナル『セルフ・ポートレイト』のリマスター。そしてもう一枚が、何とワイト島フェスのライヴの完全版だったのだ。

1969年のワイト島フェスティヴァルにディランはザ・バンドを従えて出演している。このときのライヴ音源のうち4曲が、『セルフ・ポートレイト』に収録されていた。『セルフ・ポートレイト』はもっぱらこの4曲だけを聴いていたものだ。この4曲がこのアルバムの救いと言える。中でも「マイティ・クイン」は、パワフルでとくに好きだった。
それで、このワイト島のブートレッグをずっと探していた。出てはいるらしいのだが、でも手に入れることは出来なかった。それが、ここにきてついにオフィシャル化されるとは。
ディスク1と2のレア・トラック集の中にも、多少気になる曲はある。ハッピー・トラウムとか、ジョージ・ハリソンとかのセッションだ。しかしこれはまあ、聴けなくてもあきらめられる。ディスク4のオリジナル『セルフ・ポートレイト』のリマスターは、もちろんいらない。しかし、ディスク3のワイト島ライヴ完全版。これは欲しい。

興奮した私は、さっそくこのデラックス・エディションをアマゾンで発注しかけたのだった。しかし、よくよく見ると値段が高い。やけに高い。2枚組のスタンダード・エディションが3990円。ところが、これに2枚追加した4枚組のデラックス・エディションは、19800円もする。豪華ブックレットがつくとはいえ、2枚組が4枚組になっただけで、何で値段が5倍になるのか。ファンの足元を見ているとしか思えない。

何とか発注を思い留まり、とりあえず手元にあるオリジナル版の『セルフ・ポートレイト』を聴き直してみることにした。プレーヤーにかけるのは、ずいぶんと久しぶりのこと。そして、流れてくる音を聴いているうちに、私の心はどんどん冷めていった。やっぱりこりゃ何度聴いても駄作だ。すっかり冷静に戻った私は、ファンを馬鹿にしている値段のこともあるし、結局発注を取りやめることにした。


<『セルフ・ポートレイト』は駄作ではないか>

ディランの『セルフ・ポートレイト』は、1970年の発売時にさんざん酷評され、またその後も現在に到るまで一般的な評価がきわめて低いアルバムだ。その理由は一聴すればすぐわかる。これは何ともヘンテコなアルバムなのだ。
今回の特集のメインの記事で、北中正和がうまいことを言っていた。『ナッシュヴィル・スカイライン』と『セルフ・ポートレイト』の制作は、ディランがあえてしてみせた「奇行」だというのだ。つまりヘンなオコナイ。
この2枚のアルバムは、ディランが 「周囲から押しつけられた(時代の代弁者としての)イメージをはぐらかして、自分自身をとりもどしたいという切実な欲求にかられて」 した「奇行」というわけだ(北中「“シンガー”としての活動を試みた『セルフ・ポートレイト』前後のディラン」)。一般的にもそう言われているし、私もまったく同感。
このことはこの特集の鈴木カツの文章中の「ディランはこの2作を振り返って、“遊びだった”と語ることが多い。」という記述とも符合している。

ただし北中は上の指摘のあと、次のようにこれらのアルバムを擁護するのだ。「しかし、いくらはぐらかしても、音楽への興味を誠実に反映することまでは止められなかった。この時期の彼の音楽が、表面的な軽さや調子のよさとうらはらに、深くせつない情感を秘めているのはそういうわけだ。」(同前)。この点に関しては、私はあまり同意できないのだが。

それよりももっと納得できないのは、この特集のもう一つのメイン原稿である鈴木カツの「酷評された“自画像”―43年目の真実」の方だ。

鈴木カツは『セルフ・ポートレイト』の酷評の中でも、もっとも有名なグリール・マーカスの批評を何とか否定しようとしているように見える。
マーカスが当時『ローリング・ストーン』誌に掲載した『セルフ・ポートレイト』についてのレヴューは、「このクソは何だ?(What is this shit?)」という一文から始まっている。つまりこのアルバムは「クソ」だというわけだ。過激だが、気持はよくわかる。

鈴木は、『セルフ・ポートレイト』を酷評したグリール・マーカスを、『追憶のハイウェイ』をけなしたことで有名な『シング・アウト!』誌の編集長アーウィン・シルバーとあえてひとくくりにしている。どちらも自分が持つディランのイメージにそぐわないディランを否定しようとした点で共通しているというのだ。
たしかにアーウィン・シルバーは、フォーク・シンガーとしてのディランのイメージに固執するあまり、フォーク・ロック化に拒絶反応を示した。しかし、彼は間違っていた。今ではむしろディランの全キャリアの中で、フォーク・ロック期の活動こそが、もっとも評価も人気度も高い。それはたとえば『レコ・コレ』誌のディラン・ベスト・ソング100のランキングを見ても明らかだ。時間の経過が、シルバーの誤りを証明したのだ。

鈴木は、シルバーと同様にグリール・マーカスの評価も間違っていたことにしたいようだ。そうすることによって『セルフ・ポートレイト』を擁護したいのだ。
たしかにマーカスは自分が持つディランのイメージにそぐわないために、『セルフ・ポートレイト』を酷評したには違いない。しかし、彼が仮に間違っていたとしたところで、そのアルバムそのものの良し悪しとは関係ない。『セルフ・ポートレイト』はどう転んでも『追憶のハイウェイ』のような名盤ではないのだ。これも時間の経過が証明している。その意味では、マーカスの評価は、やはり正しかったとも言えるだろう。

鈴木カツは、現在ウェブ上にあふれている『セルフ・ポートレイト』は駄作だとするコメントを、マーカスの評価に「準じた」ものという言い方をしている。これもちょっとだけひっかかる。ここでいう「準じた」という意味はよくわからない。まさか、そういうコメントが多いのは、マーカスの「クソ発言」のせいだと言っているのではないだろう。それらの駄作コメントは、それぞれが自分の耳で聴いて感じたすなおな感想のはずだろうから、わざわざマーカスの名を引き合いに出す必要はないのではないか。

1970年にリアルタイムで『セルフ・ポートレイト』を購入した鈴木カツは、「素直に心地よい楽しいアルバム」と感じたという。ちょっとびっくりだ。少なくとも私の周りには、当時そんな奇特な人は一人もいなかった。また実際今回の特集の筆者達の中でも、オリジナル版の『セルフ・ポートレイト』を手放しで褒めているのは唯一鈴木カツだけだ。しかし鈴木がそう感じたのならしょうがない。感じ方は、人それぞれだからね。
しかし、鈴木はこのアルバムを酷評したのは批評家たちだけで、フツーのディラン・ファンは自分と同じようにこのアルバムを受け入れたというのだ。その根拠として、このアルバムが300万枚という枚数を売り上げたことと、全米4位、英国1位というチャート・ランクを記録したことを挙げている。
売り上げ枚数やチャートのランクは、発売前の人気度や期待度などにも左右される。だからそれだけで、ファンに肯定的に支持されたと言ってしまうのは、ちょっと強引過ぎるだろう。

結局『セルフ・ポートレイト』というアルバムは、繰り返しになるが、ディランが周囲から押しつけられた時代の代弁者としてのイメージをはぐらかすために、わざとやってみせたヘンなコトであり、大好きなアイドルたちの曲をカヴァーした「お遊び」なのだ。それでも、楽しめるものになっているならまだいい。しかし、このアルバムはディランと切り離して白紙で聴いても、出来の悪いポップ・アルバムでしかない。まともにとりあうようなものではないし、そんなものに付き合っているヒマは、少なくとも私にはない。

それにしてもワイト島のライヴは聴きたいなあ。
そうだ、デラックス・エディションを必ず買うはずの私の知人に、ディスク3だけダビングしてもらうことにしよおっと。

<おまけ>

こうして『アナザー・セルフ・ポートレイト』の危機は無事に切り抜けることができた。
しかし、今号の『レコ・コレ』誌の広告&記事&次号予告によると、さらにその後に次の攻撃が控えていることがわかった。それは、ザ・バンド『ライヴ・アット・アカデミー・オブ・ミュージック1971 ロック・オブ・エイジズ・コンサート~デラックス・エディション』と、BB&A『ライヴ・イン・ジャパン~40周年記念盤』だ。さらに個人的には、CS&Nの紙ジャケ・コレクション全9枚なんてのもある。
こうして次々に襲いかかってくる危機の数々…。はたして、どうやって迎え撃つべきか。煩悶の日々はまだしばらく続きそうだ。

つづく(?)

2013年9月14日土曜日

シンプル&豊潤 炒めタマネギの炒めスパゲッティのレシピ


このところ炒めスパゲッティにこっている。茹でた極太の麺をフライパンで炒めるという昔ながらの調理法。イタリアンのパスタ料理なんてものではけっしてなくて、あくまで日本独自のB級の料理だ。
今回は、シンプルに炒めタマネギのみを加えて作る炒めスパゲッティのレシピだ。シンプルだけど炒めタマネギと太麺スパの美味しさを最大限に楽しめる。


<前説① 炒めタマネギの豊かな旨さ>

これまでナポリタンと和風スパゲッティについて、自分なりのレシピを考えた。あれやこれやと美味しくなりそうな材料を組み合わせて工夫してみた。
しかし、そもそも炒めスパゲッティの旨さの根本は、太麺のモチモチした食感と、それを材料とともに油で炒めた香ばしさにある。今回は、あえてシンプルに徹して、この旨さを最大限に引き出してみようと考えた。

ここで頭に浮かんだのは、タマネギ。炒めタメネギの美味しさに私が目覚めたのはつい最近のこと。アメ色になるまで炒めると美味しいとは聞いていたけれど、これほど甘くなるとは、と、びっくり。以来,手間を惜しまないことにしている。
タマネギをじっくり炒めると、甘さだけでなく旨みも凝縮される。これを太麺のスパゲッティとあわせたらどんなに美味しいだろうと思った。

大量のタマネギを薄切りにしてフライパンで炒める。とにかく焦げやすいので、付きっきりでずっと混ぜている必要がある。5分…、10分…、15分…。かなり腕もくたびれてくる。しかし、タマネギはしだいに水分が飛んでかさが減リ、それにつれてだんだんキツネ色から茶色へと色が濃くなっていく。そして野菜とは思えない濃厚な香り。
こうしてじっくり炒めていると、タマネギが愛おしくなってくる。この旨さだけを味わいたいという気持ちに自然になってくる。もう他のものは何も入れたくない。ニンニクもコショウもコンソメもバターもいらない。この味だけでいい。

ネットで調べてみると炒めタマネギを使ったスパゲッティのレシピはたくさんあった。たいていは、炒めタマネギに加えてもう一品、食材を加えている。ベーコンとか、トマトとか、ツナとか…。どれもいかにも美味しそう。さらに私の思いつきでは、バジルとか、ゆかりとか、塩昆布といった個性的な食材をタマネギと組み合わせてもなかなかよさそうな感じがする。
しかし今回はあえてタマネギだけにしてみようと思う。愛しいタマネギの美味しさを、最高に味わうために。


<前説② 茹で汁の効用>

実際に作ってみると、材料はシンプルなのだが、手間がかかる上に、作り方が意外と難しい。とくに炒めたタマネギと茹でたスパゲッティをあわせて炒めるときに、うまく絡んでくれない。炒めタマネギにかなり粘り気があるからだ。
その上に具材の水分が少ないので、出来上がりがパサパサで油ギトギトな感じになってしまう。麺を炒めるときに茹で汁を加えたら、多少は改善されたけれども、今ひとつだった。

そこで麺を入れる前に先に茹で汁をフライパンに入れてタマネギと混ぜ合わせてみた。こうすると粘り気のあるタマネギもよくほぐれて、麺とよく絡んだ。そして何より驚いたのは、油分が乳化してソース状になり、出来上がりがしっとりと滑らかでクリーミーな食感になったことだ。
オイルベースのパスタの場合、茹で汁を加えてソースを乳化させる、とは聞いていたが、なるほどそのとおり。茹で汁はエライ。


■■ 炒めタマネギの炒めスパゲッティのレシピ ■■

〔材料〕(1~2人前)

スパゲッティ 250g
*2.2ミリのものが絶対にお勧めだ。デュラムセモリナに加えて強力粉が配合されており、モチモチ感がある。炒めスパゲッティには最適だ。
スーパーでは手に入りにくいので、私は通販で取り寄せている。

タマネギ  600グラム

[調味料等]
・サラダ・オイル  大さじ3
・塩  約5グラム

〔作り方〕

1 タマネギを厚さ1ミリくらいの薄切りにする。

2 フライパンを火にかけ、サラダ・オイル大さじ3を入れてタマネギを炒める。強火~中火で焦がさないように混ぜ続ける。粘りが出て、薄いアメ色になればOK。
*時間の目安は約20分。
*この段階でタマネギの重さは水分が飛んで150~200グラムくらいになっているはず。

3 お湯を沸かして麺を茹でる
*茹でるお湯は麺の10倍と言われている。なので、ここでは、2500ccのお湯で茹でる。
*茹で時間は2.2ミリの麺の場合、麺を入れて再沸騰してから13分。製品によってはもっと長い時間を指定しているものもあるが、経験によるとそれらも13分で十分だ。

4 茹で上がりの時間が近づいたら、塩5グラムと麺の茹で汁150~200ccをフライパンに入れ、炒めておいたタマネギとよく混ぜながら煮立たせる。
*麺と絡みやすいようにタマネギをよくほぐすようにする。
    *茹で汁を加えるのは、炒めタマネギをほぐすためと、炒めタマネギの油分を乳化させて、出来上がりをクリーミーにするため。

5 茹で上がった麺をザルに取り、フライパンに投入。麺とタマネギを混ぜ合わせながら2~3分炒める。
最後に味を確認して必要があれば塩で調整して出来上がり。


お皿に盛っていただく。
炒めることによってタマネギの旨さが凝縮されている。その旨さと甘さは濃厚でクリーミー。とても豊かな美味しさのスパゲッティになる。
ためしに粉チーズやタバスコをかけてみたが、かえって味を邪魔する感じ。トッピングなどはいっさい不要だ。


〔関連記事〕

2013年9月12日木曜日

森高千里 メタ・アイドル期の名曲「夜の煙突」


森高千里の初期の曲に「夜の煙突」というのがある。とても好きな曲だ。一部では「森高の隠れた名曲」とも言われているらしいが、私も同感。シングル・カットはされなかったようだ。しかし、森高のライヴでは盛り上がる曲として長く歌われていたようなので、きっとファンの間ではおなじみの曲なのかもしれない。

曲そのものがまずよい。タイトなロック・サウンドとシンプルで印象的な詞。そしてこの曲のPVがまたとても素敵だ。飛び跳ねながら歌う森高千里のキュートな魅力が全編にあふれている。メタ・アイドルとして注目を浴びて一気に人気が急上昇した1980年代末の森高の勢いとオーラが、画面から伝わってくる。


<メタ・アイドルとして森高千里>

1987年にごくふつうのアイドルとしてデヴューした森高千里が、メタ・アイドルへと変身したのは、思えばデヴュー翌年1988年のシングル「ザ・ミーハー」からだった。
この曲から自分で詞を書くようになり、まもなく超ミニのコスプレを売り物にするようになる。森高の詞はとにかくベタでシロウト風。「お嬢様じゃないの わたしただのミーハー / だからすごくカルイ…」(「ザ・ミーハー」)という調子だ。シロウトであることに開き直っている。
このヘンなアイドルぶりが、メタ・アイドルとして話題になり一躍世間から注目されるようになる。メタ・アイドルとは、アイドルであることを対象化し、アイドルとは何かを問いかけるアイドルというくらいの意味だ。
この路線はたぶん森高当人の意思によるものではなくて、周囲の誰かが仕掛けた販売戦略だったと私はみている。普通に美人だけど個性的なところはない。で、歌はヘタ。このどこにでもいそうな、ぱっとしないアイドルを、なんとか売り出すための思い切った戦略だったのだと思う。そして、この目論見は見事に当たったのだ。

「ザ・ミーハー」の翌年1899年に、アルバム『非実力派宣言』が発売される。アイドル的衣装をデフォルメしたコスプレのジャケット写真といい、「非実力派」を堂々と謳うタイトルといい、まさにメタ・アイドルであることを高らかに宣言したアルバムだった。
当時私の愛読していたロック雑誌『ニュー・ミュージック・マガジン』でも、このアルバムを機に森高の特集が組まれた。ロックは自己批評的な音楽だ。たとえばオリジネーターたちのロックがマンネリ化し商業化すれば、パンクやニュー・ウエーヴが登場してリセットする動きが起こる。ロック側の人たちは、森高千里の登場に、まさに日本の歌謡曲/ポップスにおける自己批評を見ようとしていたのではないかと推測する。

でも結局、森高はその後、ふつうの歌手へと戻っていくのだ。ベタな自作詞の歌(「私がオバさんになっても」みたいな)を歌う点がちょっとだけ変わっているふつうの歌手へと。メタ・アイドルは結局一時のキャラだったに過ぎない。メタ・アイドル期の人気を、みごとに次のステージへの踏み台にしたと言えるだろう。そしてそれとともに超ミニのコスプレもしなくなった。まあよくある話だ。
その後、森高の作詞能力も、さすがにしだいに上達していったものと思われる。「雨」の詞なんかは、かなりよいと思う。しかし、女の本音をベタに歌って人気を博してしまったものだから、方向転換はできなかったのだろう。


<「夜の煙突」という曲>

『ニュー・ミュージック・マガジン』の森高特集に刺激を受けて、私も『非実力は宣言』を買ったくちだ。ほとんどの曲が森高の自作詞で、中には作曲までしているのもある。で、このアルバムは全然つまらなかった。しかし、唯一印象的だったのが「夜の煙突」だったのだ。

とんかちたたいて働いた
あとのたのしみは
ポッケにかくれている君とデート

はしごをのぼる途中で
ふりかえると僕の家の灯りが見える

雲がかくれた
ズックをすてた
(「夜の煙突」)

曲は完全にロック。歌詞はまったくこれだけで、これが繰り返される。シンプルでリズミカルですごく詩的だ。
「ポッケにかくれている君とデート」をどう解釈するか。この「君」を女の子ではなくて、何かモノと深読みすることも出来るのかもしれない。でも、働くことを「とんかちたたいて」と寓話化しているわけだから、「ポッケの彼女」も同様におとぎ話的表現と理解しておこう。
何だかわけのわからない衝動に駆られて、夜の煙突のはしごをどんどん上っていく主人公。自分の家の灯りが、そしてその下にあるはずの日常が、どんどん下に遠くなる。裸足になる気持ちよさ。雲がはれた夜空の中にいる快感。日常から解き放たれた開放感と知らないところに向っていくわくわく感、高揚感が素敵だ。

森高の詞とは全然調子が違うので、不思議に思ってクレジットを確認したらカーネーションの曲のカヴァーだった。
カーネーションは1984年にインディーズ・デヴューした直枝政太郎を中心とするバンド。メジャー・デヴューは1988年で徳間ジャパンから。そして、その翌年1989年にはもう森高のこの『非実力派宣言』の制作に、演奏と曲作りで参加しているのだ。デヴューしたてのバンドとしては、この起用は大抜擢だったと言えるのではなかろうか。

「夜の煙突」は、カーネーションのインディーズ・デヴュー曲。しかし、記録的に()売れなかったという。この曲を森高にカヴァーさせるというアイデアは、当然、直枝によるものだろう。マイナー時代にずっと歌っていて、いちばん受けそうだからデヴュー・シングルに選んだはずなのに、まったく売れなかったこの曲。直枝政太郎としては、愛着のあるこの曲に何とかもう一度チャンスを与えたたかったに違いない。
そしてこの願いは見事にかなった。森高にとっても、そしてカーネーションにとっても、この「夜の煙突」は、コンサートでの定番曲、そして代表曲のひとつになったからだ。


<「夜の煙突」のヴィデオ・クリップ>

森高千里の人気が社会現象のようになった頃、テレビで森高の曲のヴィデオ・クリップ(当時はPVではなくこ、う呼んでいた)の特集があった。私はそれを録画して何回も見ていた。その中に「ザ・ストレス」とか「17才」とかシングル曲のクリップに混じって、どういうわけかシングル・カットされていない「夜の煙突」のクリップがあった。そしてこれが最高に良かったのだ。

このヴィデオ・クリップは、タイトル・クレジットが「森高千里withカーネーション」となっている。テレビ局のようなちょっと広めのスタジオ。背景の壁は三日月の浮かぶ夜空、その前にはシルエットの大きな煙突というセットになっている。床には最初スモークがたかれている。
バックの演奏はカーネーション。メンバーの内、直枝政太郎だけが、なぜかちょんまげに着流しのサムライ姿。この格好でギターを弾いている。エンディングでは、刀を抜いたりなんかしている。
曲の途中で演奏とは別に、直枝がこのセットの煙突のはしごをサムライ姿のままで上っていくシルエットの映像も何回か挟まれている。
森高は3種類の衣装で登場。いずれの場合も超ミニであることと、黒のストッキングをはいていて、手には黒い手袋をしている点が共通している。メイクが、リップの赤を強調していてちょっと大人っぽい。この3種の衣装で歌っている映像が曲中でシャッフルされている。
このヴィデオ・クリップは、全体としてはかなり雑な作りだ。直枝のサムライ姿も意味不明だし、しかもあまり効果を上げていない。途中に挟まる煙突を上っていくシーンも、いいかげんでせっかくの歌詞のイメージをぶち壊している。そして、森高の三種の映像の切り替えもかなり雑。それでも、このクリップは、ひとえに森高の放つ圧倒的な魅力によってそれなりに成立してしまっている。

森高はたてに飛び跳ねながら歌っている。カチッとした振り付けではない。ただ、いくつかゆるく決まっている動作はある。たとえば歌いだす前に、両腕を下からすくい上げるようにしてから肩の辺りで手を振っている。「ポッケにかくれている君とデート」のとき、カメラのレンズに向かって指を差し、指先をグルグルと回す。「はしごをのぼる途中で/ふりかえると…」のところでは、右手をゆっくりとまっすぐ上に上げ、ちょっと後ろを振り返る動作をする。また、「雲がかくれた/ズックをすてた」のところは、ディスコで流行ったモンキー・ダンス(両手を前に出して交互に上下に振る)だ。
でもどれも形がきっちり決まっているわけではない。また飛び跳ね方も、ステップも成り行き的というかランダム。この歌の森高の動きは、専門家による振り付けがされているわけではなく、森高自身がかってに体を動かしているのではないだろうか。あるいはそう見えるように振り付けされているのか。そうだとしたら逆にすごいけど。

ともかく森高の歌いながらのこの動きがいい。
こういうときロック系の人たちであれば、おそらく99パーセントの人は、無意識に黒人音楽的なノリ方で体を動かしてしまうはずだ。無意識のようだけど、あの動きは学習したものだ。だから黒人以外の人にとっては、体本来の動かし方ではないと思う。
では、そうではないノリとはどういうものか。私の知っている範囲では、最初期のレッド・ツェッペリンとか、あるいはトーキング・ヘッズのディヴィッド・バーンの身のこなしなんかは自由な体本来の動かし方で、そこがとてもリアルで良かった。

「夜の煙突」の間奏で、森高は「イェイ、イェイ、イェイ、…、イェーイ」と合いの手()を叫ぶ。しかしこれはただそう言っているだけで全然バックの演奏にはまっていない。たぶん森高はロックとは無縁の人なのだと思う。だから体を動かすにもロック的な型がないのだ。そんな既成の型にはまっていないゆえに、森高の動きには、内発的で体の中から自然にあふれているような生き生きとした魅力がある。その自然な感じが、この歌のテーマである開放感と高揚感にじつにぴったりと合っている。そこがじつに気持ちよい。それに魅かれて何度も私はこのクリップを見返してしまったのだった。
曲の作者であり、森高のカヴァーを仕掛けた直枝もここまでの効果を予想していたのだろうか。

その後の森高のライヴの映像を見ると、この曲を歌うときの振りは、このヴィデオ・クリップにおける成り行きで出来たような振り付けを再現しているような感じがする。型としてなぞっているせいだろう、そこにはもうヴィデオ・クリップにおけるような生き生きとした感じはないのだった。

なおカーネーションはその後、ライヴの最後でこの曲をやるのがパターンになったようだ。1997年のライヴでのこの曲の映像をユー・チューヴで見た。分厚い音でヘヴィーにグルーブしている。森高版の軽快さとはまったく異なっているが、これはこれでなかなか良い。
途中「雲がかくれた/ズックをすてた」のところで、バック・ヴォーカルの女性がモンキー・ダンスをしていた。森高の振りをまねしたのだ。やっぱりカーネーションとしては、森高のヴァージョンを意識しているのだろう。もしかして、このヘヴィーなアレンジも、森高版との違いを強調するためだったりして…。なことないか。


2013年9月7日土曜日

ジャンクの真髄 和風炒めスパゲッティのレシピ


ナポリタンと同じように茹でた太めの麺をフライパンで炒めて作るジャンクフード系のスパゲッティだ。この系統のスパゲッティは、何といっても銀座のB級グルメの名店ジャポネが有名。今回は、ジャポネを念頭に置きつつ、独自のレシピを工夫してみた。
ジャンクフードの旨さの真髄は、何といっても炭水化物と油と焦げたしょう油風味の三位一体。今回はこれに、たっぷりの野菜と、いくつかの和風の食材をアクセントに加えて、ジャンクで、かつゴージャス(?)に仕上げてみた。

■■ 和風炒めスパゲッティのレシピ ■■

〔材料〕(1~2人前)

スパゲッティ 250g
*2.2ミリのものが絶対にお勧めだ。デュラムセモリナに加えて強力粉が配合されており、モチモチ感がある。炒めスパゲッティには最適だ。
スーパーでは手に入りにくいので、私は通販で取り寄せている。

[具材]

・魚肉ソーセージ 1本
*普通のソーセージやハムなど何でもよいが、ここでは「和風ジャンク」ということであえて魚肉を。安いしね。

・ニンニク 1片

・野菜  合計約300グラム
*何でもよい。定番のタマネギ、ピーマン、ニンジン、キノコ、キャベツなどの他、変わったところではナス、キュウリ、ゴーヤ、モロヘイヤなどそのときにあるものを私は入れている。だいじなのは、じっくり炒めること。

[調味料等]

・サラダ・オイル  大さじ1
・鷹の爪  1本
・塩・コショウ  適宜
・だしの素  小さじ1/
・塩昆布  10グラムくらい
・ゆかり  小さじ1/
・干しエビ  10グラムくらい
(桜エビなら最高だが、高いので小エビ(オキアミ)でもとりあえず可)
・バター  適宜
・しょう油  大さじ1/2くらい
<トッピング>
・白ゴマ  適宜
・刻み海苔  適宜

〔作り方〕

1 ニンニクは千切りまたはみじん切り、鷹の爪は輪切り、その他の具材はそれぞれ適当な大きさに切っておく。

2 お湯を沸かして麺を茹でる
*茹でるお湯は麺の10倍と言われている。なので、ここでは、2500ccのお湯で茹でる。
*茹で時間は2.2ミリの麺の場合、麺を入れて再沸騰してから13分。製品によってはもっと長い時間を指定しているものもあるが、経験によるとそれらも13分で十分だ。

3 麺を茹で始めると同時に、フライパンを火にかけ温める。
温まったら、サラダ・オイル大さじ1を入れて鷹の爪と具材を炒め始める。麺が茹で上がるまで並行して約10分間、弱火でじっくり炒め続ける。 
*火が通りやすいものは、途中から入れるが全体的になるべく長めに炒めるようにする。
*長く炒めていると素材の歯応えは失われるが、旨みが出て、その旨さが麺と絡んで一体となる。

4 茹で上がりの時間が近づいたら、具材に塩、コショウ、だしの素、塩昆布、ゆかり、干しエビを加える。


5 茹で上がった麺をザルに取り、具材を炒めているフライパンに投入。しょう油とバターを加えて、麺と具材をよく混ぜ合わせながら2~3分炒める。しょう油が少し焦げるくらいにする。
  最後に味を確認して必要があれば調整して出来上がり

  お皿に盛って白ゴマと刻み海苔をたっぷりかけていただく。

昆布の旨みとシソの風味とエビの香ばしさが、しょう油の焦げた香りに包まれてたまらない。さっぱりだけどこってり(?)で奥深い味のジャンク系スパの出来上がりだ。

*アクセントに加える和風食材としては、他に明太子とか梅肉とかちりめんじゃこなども考えられる。いずれも味や食感に個性があるので、取り合わせがやや難しい。単独で使った方が無難だ。というわけで今回は、一応お休みということにした。各自、ご検討を。


〔追記〕

このレシピを公開した後、念のためジャポネの味と比較してみようと銀座まで行って食べてきた。食べたのは、「ジャリコ」の大盛。しょう油味で、具材としてエビ、肉、トマト、小松菜、タマネギなどが入っている炒めスパだ。
このお店の調理はかなり大雑把な感じだから、味の出来不出来の幅がかなり大きいことは前から知っていた。しかし、この日はどうやらいちばん出来の悪い日に当たってしまったようだ。麺はやわやわで、味はしょっぱ過ぎ。少なくとも今までここまでのことはなかった。
結論。私のレシピのとおり作った方が、よっぽど美味しいよ。



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