2013年9月12日木曜日

森高千里 メタ・アイドル期の名曲「夜の煙突」


森高千里の初期の曲に「夜の煙突」というのがある。とても好きな曲だ。一部では「森高の隠れた名曲」とも言われているらしいが、私も同感。シングル・カットはされなかったようだ。しかし、森高のライヴでは盛り上がる曲として長く歌われていたようなので、きっとファンの間ではおなじみの曲なのかもしれない。

曲そのものがまずよい。タイトなロック・サウンドとシンプルで印象的な詞。そしてこの曲のPVがまたとても素敵だ。飛び跳ねながら歌う森高千里のキュートな魅力が全編にあふれている。メタ・アイドルとして注目を浴びて一気に人気が急上昇した1980年代末の森高の勢いとオーラが、画面から伝わってくる。


<メタ・アイドルとして森高千里>

1987年にごくふつうのアイドルとしてデヴューした森高千里が、メタ・アイドルへと変身したのは、思えばデヴュー翌年1988年のシングル「ザ・ミーハー」からだった。
この曲から自分で詞を書くようになり、まもなく超ミニのコスプレを売り物にするようになる。森高の詞はとにかくベタでシロウト風。「お嬢様じゃないの わたしただのミーハー / だからすごくカルイ…」(「ザ・ミーハー」)という調子だ。シロウトであることに開き直っている。
このヘンなアイドルぶりが、メタ・アイドルとして話題になり一躍世間から注目されるようになる。メタ・アイドルとは、アイドルであることを対象化し、アイドルとは何かを問いかけるアイドルというくらいの意味だ。
この路線はたぶん森高当人の意思によるものではなくて、周囲の誰かが仕掛けた販売戦略だったと私はみている。普通に美人だけど個性的なところはない。で、歌はヘタ。このどこにでもいそうな、ぱっとしないアイドルを、なんとか売り出すための思い切った戦略だったのだと思う。そして、この目論見は見事に当たったのだ。

「ザ・ミーハー」の翌年1899年に、アルバム『非実力派宣言』が発売される。アイドル的衣装をデフォルメしたコスプレのジャケット写真といい、「非実力派」を堂々と謳うタイトルといい、まさにメタ・アイドルであることを高らかに宣言したアルバムだった。
当時私の愛読していたロック雑誌『ニュー・ミュージック・マガジン』でも、このアルバムを機に森高の特集が組まれた。ロックは自己批評的な音楽だ。たとえばオリジネーターたちのロックがマンネリ化し商業化すれば、パンクやニュー・ウエーヴが登場してリセットする動きが起こる。ロック側の人たちは、森高千里の登場に、まさに日本の歌謡曲/ポップスにおける自己批評を見ようとしていたのではないかと推測する。

でも結局、森高はその後、ふつうの歌手へと戻っていくのだ。ベタな自作詞の歌(「私がオバさんになっても」みたいな)を歌う点がちょっとだけ変わっているふつうの歌手へと。メタ・アイドルは結局一時のキャラだったに過ぎない。メタ・アイドル期の人気を、みごとに次のステージへの踏み台にしたと言えるだろう。そしてそれとともに超ミニのコスプレもしなくなった。まあよくある話だ。
その後、森高の作詞能力も、さすがにしだいに上達していったものと思われる。「雨」の詞なんかは、かなりよいと思う。しかし、女の本音をベタに歌って人気を博してしまったものだから、方向転換はできなかったのだろう。


<「夜の煙突」という曲>

『ニュー・ミュージック・マガジン』の森高特集に刺激を受けて、私も『非実力は宣言』を買ったくちだ。ほとんどの曲が森高の自作詞で、中には作曲までしているのもある。で、このアルバムは全然つまらなかった。しかし、唯一印象的だったのが「夜の煙突」だったのだ。

とんかちたたいて働いた
あとのたのしみは
ポッケにかくれている君とデート

はしごをのぼる途中で
ふりかえると僕の家の灯りが見える

雲がかくれた
ズックをすてた
(「夜の煙突」)

曲は完全にロック。歌詞はまったくこれだけで、これが繰り返される。シンプルでリズミカルですごく詩的だ。
「ポッケにかくれている君とデート」をどう解釈するか。この「君」を女の子ではなくて、何かモノと深読みすることも出来るのかもしれない。でも、働くことを「とんかちたたいて」と寓話化しているわけだから、「ポッケの彼女」も同様におとぎ話的表現と理解しておこう。
何だかわけのわからない衝動に駆られて、夜の煙突のはしごをどんどん上っていく主人公。自分の家の灯りが、そしてその下にあるはずの日常が、どんどん下に遠くなる。裸足になる気持ちよさ。雲がはれた夜空の中にいる快感。日常から解き放たれた開放感と知らないところに向っていくわくわく感、高揚感が素敵だ。

森高の詞とは全然調子が違うので、不思議に思ってクレジットを確認したらカーネーションの曲のカヴァーだった。
カーネーションは1984年にインディーズ・デヴューした直枝政太郎を中心とするバンド。メジャー・デヴューは1988年で徳間ジャパンから。そして、その翌年1989年にはもう森高のこの『非実力派宣言』の制作に、演奏と曲作りで参加しているのだ。デヴューしたてのバンドとしては、この起用は大抜擢だったと言えるのではなかろうか。

「夜の煙突」は、カーネーションのインディーズ・デヴュー曲。しかし、記録的に()売れなかったという。この曲を森高にカヴァーさせるというアイデアは、当然、直枝によるものだろう。マイナー時代にずっと歌っていて、いちばん受けそうだからデヴュー・シングルに選んだはずなのに、まったく売れなかったこの曲。直枝政太郎としては、愛着のあるこの曲に何とかもう一度チャンスを与えたたかったに違いない。
そしてこの願いは見事にかなった。森高にとっても、そしてカーネーションにとっても、この「夜の煙突」は、コンサートでの定番曲、そして代表曲のひとつになったからだ。


<「夜の煙突」のヴィデオ・クリップ>

森高千里の人気が社会現象のようになった頃、テレビで森高の曲のヴィデオ・クリップ(当時はPVではなくこ、う呼んでいた)の特集があった。私はそれを録画して何回も見ていた。その中に「ザ・ストレス」とか「17才」とかシングル曲のクリップに混じって、どういうわけかシングル・カットされていない「夜の煙突」のクリップがあった。そしてこれが最高に良かったのだ。

このヴィデオ・クリップは、タイトル・クレジットが「森高千里withカーネーション」となっている。テレビ局のようなちょっと広めのスタジオ。背景の壁は三日月の浮かぶ夜空、その前にはシルエットの大きな煙突というセットになっている。床には最初スモークがたかれている。
バックの演奏はカーネーション。メンバーの内、直枝政太郎だけが、なぜかちょんまげに着流しのサムライ姿。この格好でギターを弾いている。エンディングでは、刀を抜いたりなんかしている。
曲の途中で演奏とは別に、直枝がこのセットの煙突のはしごをサムライ姿のままで上っていくシルエットの映像も何回か挟まれている。
森高は3種類の衣装で登場。いずれの場合も超ミニであることと、黒のストッキングをはいていて、手には黒い手袋をしている点が共通している。メイクが、リップの赤を強調していてちょっと大人っぽい。この3種の衣装で歌っている映像が曲中でシャッフルされている。
このヴィデオ・クリップは、全体としてはかなり雑な作りだ。直枝のサムライ姿も意味不明だし、しかもあまり効果を上げていない。途中に挟まる煙突を上っていくシーンも、いいかげんでせっかくの歌詞のイメージをぶち壊している。そして、森高の三種の映像の切り替えもかなり雑。それでも、このクリップは、ひとえに森高の放つ圧倒的な魅力によってそれなりに成立してしまっている。

森高はたてに飛び跳ねながら歌っている。カチッとした振り付けではない。ただ、いくつかゆるく決まっている動作はある。たとえば歌いだす前に、両腕を下からすくい上げるようにしてから肩の辺りで手を振っている。「ポッケにかくれている君とデート」のとき、カメラのレンズに向かって指を差し、指先をグルグルと回す。「はしごをのぼる途中で/ふりかえると…」のところでは、右手をゆっくりとまっすぐ上に上げ、ちょっと後ろを振り返る動作をする。また、「雲がかくれた/ズックをすてた」のところは、ディスコで流行ったモンキー・ダンス(両手を前に出して交互に上下に振る)だ。
でもどれも形がきっちり決まっているわけではない。また飛び跳ね方も、ステップも成り行き的というかランダム。この歌の森高の動きは、専門家による振り付けがされているわけではなく、森高自身がかってに体を動かしているのではないだろうか。あるいはそう見えるように振り付けされているのか。そうだとしたら逆にすごいけど。

ともかく森高の歌いながらのこの動きがいい。
こういうときロック系の人たちであれば、おそらく99パーセントの人は、無意識に黒人音楽的なノリ方で体を動かしてしまうはずだ。無意識のようだけど、あの動きは学習したものだ。だから黒人以外の人にとっては、体本来の動かし方ではないと思う。
では、そうではないノリとはどういうものか。私の知っている範囲では、最初期のレッド・ツェッペリンとか、あるいはトーキング・ヘッズのディヴィッド・バーンの身のこなしなんかは自由な体本来の動かし方で、そこがとてもリアルで良かった。

「夜の煙突」の間奏で、森高は「イェイ、イェイ、イェイ、…、イェーイ」と合いの手()を叫ぶ。しかしこれはただそう言っているだけで全然バックの演奏にはまっていない。たぶん森高はロックとは無縁の人なのだと思う。だから体を動かすにもロック的な型がないのだ。そんな既成の型にはまっていないゆえに、森高の動きには、内発的で体の中から自然にあふれているような生き生きとした魅力がある。その自然な感じが、この歌のテーマである開放感と高揚感にじつにぴったりと合っている。そこがじつに気持ちよい。それに魅かれて何度も私はこのクリップを見返してしまったのだった。
曲の作者であり、森高のカヴァーを仕掛けた直枝もここまでの効果を予想していたのだろうか。

その後の森高のライヴの映像を見ると、この曲を歌うときの振りは、このヴィデオ・クリップにおける成り行きで出来たような振り付けを再現しているような感じがする。型としてなぞっているせいだろう、そこにはもうヴィデオ・クリップにおけるような生き生きとした感じはないのだった。

なおカーネーションはその後、ライヴの最後でこの曲をやるのがパターンになったようだ。1997年のライヴでのこの曲の映像をユー・チューヴで見た。分厚い音でヘヴィーにグルーブしている。森高版の軽快さとはまったく異なっているが、これはこれでなかなか良い。
途中「雲がかくれた/ズックをすてた」のところで、バック・ヴォーカルの女性がモンキー・ダンスをしていた。森高の振りをまねしたのだ。やっぱりカーネーションとしては、森高のヴァージョンを意識しているのだろう。もしかして、このヘヴィーなアレンジも、森高版との違いを強調するためだったりして…。なことないか。


1 件のコメント:

  1. 名曲を解説して頂きありがとうございます。
    なんとも言えない感覚を説明するのはむずかいけど、ズバリだと思いました

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