2012年8月29日水曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「極辛麻婆」月間その4

「極辛麻婆つけめん」の二杯目の巻

前回のお盆明けの訪問から一週間後に再び「つけ麺 坊主」を訪問。「極辛」メニュー解禁月間である8月に入って四度目の訪問だ。
そろそろ8月も終わってしまう。終わってしまうと「極辛麻婆」メニューはまた半年間封印される。
それと前回は、悔しい「敗北」を喫している。あのときは「極辛麻婆らーめん」(麺普通盛+麻婆大盛)を頼んだのだったが、最後に残ったほんの少しのスープが、満腹でどうしても完食できなかったのだ。何とかこのリベンジもしたい。
そんなこんなで、一週間後の訪問となったわけだ。

あいかわらずの猛暑の中、お店に向って歩いていく。お店の前ま来ると、どういうわけか入り口の自動ドアの扉が、ずっと以前のように今日は開放されたままだ。いいぞ。今日も大汗をかいてすっきりしよう。
日曜日の午前11時10分入店。先客6人。このうち4人は夫婦と小さな子供2人の家族連れ。後客は2人。
今回のチョイスは、「極辛麻婆つけめん」。ただし、麺は「特大盛」(100円)と「麻婆大盛」(100円)にする。その代わりいつもの「白めし」はなし。前回敗北した「極辛麻婆らーめん」よりもさらに辛く、麺量も多くしてリベンジを果たそうというつもりだ。というか本当のところは、「極辛スープ」をとことん味わい尽くしてやろうという趣向なんだけど。
そしてもう書く必要もないけど「ビール」のボタンも押す。

食券を持ってカウンターの一番奥の席に座る。
すぐに到着したビールをぐびっと一杯。暑い昼間のビールは最高だ。
4人連れ家族の注文の準備にこれから入るところのようだ。私も含めて後口の客が続いて来たので、厨房は日曜日の昼前らしからぬあわただしい雰囲気。どうやら自分の番が来るまでしばらく時間がかかりそうだったが、こちらはかえって望むところだ。

カウンターの前に麺量についての表示が貼ってある。
「普通盛」が350グラム、「大盛」が450グラム(無料)。そして私の注文した「特大盛」は600グラム(100円)となっている。もちろんこの量については事前に知ってはいたが、この表示を見てあらためて食べきれるかちょっと不安になる。
ちなみに麺量のランクはこの上にさらに「デカ盛」というのもある。これが1000グラム。一度は食べてみたいものだ。
「特大盛」は以前に一度すでに食べたことがある。べつにそんなにたいへんな量ではなかった覚えがある。ときどき頼む「大盛」の三割増しと思えば何でもない。
ところで、ここの麺量の表示は、茹で上がり後の重量だ。この点に注意しなければならない。表示量よりも実際は少ないと誤解している人もいるようなので。
一般的に使われている麺量は、生麺状態のグラム数だ。生麺は茹でると五割ほど重量が増す。だから「坊主」の場合は、茹でて増えた分を割り引く必要がある。私の頼んだ「特大盛」600グラムは、生麺換算だと400グラムということになる。まあこれでも、けっこうあるけれども…。

 先客の家族連れの頼んだものが出来上がったようだ。前に置かれたラーメンを見て、「これ辛いの?」と言っている小さい子の声が聞こえてくる。まだ幼児だというのにこの店の辛さを知っているとは恐るべし、とおかしくなってしまった。
そうこうしているうちに、厨房では私の「極辛麻婆」の準備が始まったようだ。急ぎのせいか雪平にベースのスープを入れるととりあえず火にかけている。そしてそこにいろいろな具材をちょこちょこと入れていく。何を入れているのか気になるところだが、カウンター越しだとよく見えない。それに、ジロジロ見るのはやはりちょっと気が引ける。

ところで、前回「いばナビ拉麺部長」さんのブログで「極辛麻婆らーめん」の辛さの素が「朝天辣椒」という調味料であることを知ったと書いた。
私は早速ネットでこれを入手して、自分で作っているラーメンに使ってみたのだ。しかし、「坊主」のラーメンに近づいた感じはあんまりしなかった。
「朝天辣椒」というのは、固形の具材がたくさん入った一種の「食べるラー油」のようなものだ。具材としてニンニクの細片と、細い糸状に切った唐辛子が入っている。しかしこのような具材の姿を、坊主のラーメンでは見かけない。何か手を加えているのだろうか?
「朝天辣椒」には、「激辛」と書いてあるけれども、私にはそんなにびっくりするような辛さでもなかった。「坊主」の味を目指している私のラーメンにはもともと大量の唐辛子が入っているので、総体的にはあまり関係ということもある。

やがて待つこと20分ほどで、つけ汁登場。通常のつけ麺のつけ汁の器より当然大きい。中央に唐辛子&魚粉の赤い小山。これを目の当たりにし、そして赤い水面下でそれを押し上げているであろう麻婆豆腐の塊たちを想像するにつけ、わくわくして期待が高まる。
次いで「特大盛」の麺が登場。見るからに食べでがありそう。
ラーメンであれば、ここでまずスープを二口、三口となるわけだが、つけ麺だからそうはいかない。
考えてみると、つけ麺というのは、最初から最後まで麺をつけ汁に絡めて食べるだけなわけだ。まあ途中で具材を食べることはあるにせよ、ラーメンのように食べる過程での変化が少なく単調だ。
そこで、麺も多いことだし途中でダレたり、飽きたりしないように、つけ汁はなるべく混ぜないことにする。その方が味が均一にならないで、ひとすすりごとに味が変化すると思ったからだ。

つけ汁が冷めるので麺はあまりゆっくり浸さないのが、私の通常の流儀だ。しかし、今回はつけ汁を味わいつくすのが目的なので特別。麺をひとすくいごとにじっくりつけ汁に浸して食べる。旨いなあ。
ほどよい辛さだ。具材には手をつけないまま、しばらくはひたすら麺を食べ続ける。快調に食べ進むうちに、やっぱり刺すような辛さがじわじわと口の中に広がってきた。体勢を立て直すべく(?)、ここでもやしや豚肉を食べる。そして、麻婆豆腐の塊を口に運ぶ。前回はこの豆腐が辛さを癒してくれた。ところが今回は、それ自体の熱さが口の中の辛さを倍加させたのだ。ハフハフッ。刺激的。
例によって、鼻水は出っ放しなのだが、汗はそれほどでもない。熱いスープごと飲み、かつ食べるラーメンとはだいぶ違う。お腹のふくらみ具合も、スープがない分かなり楽だ。
麺はさすがに「特大盛」だけあって、食べても食べて減らない。それが安心感があってうれしい。

鼻水をかみながらどんどん食べていく。つけ汁は、最初トッピングされていた魚粉&唐辛子パウダーが汁に溶けてだんだんに粘度が増し、麺にねっとりとよく絡んでくる。そのせいもあって辛さはどんどんアップしていく。しかし食べるスピードは落ちなかった。
そしてとうとう麺がなくなり、それとほぼ同時につけ汁もあらかたなくなった。そこに、ポットからスープを少し注いでひとすすり。そしたら、スープの熱さで、またもや口中の辛さが最後の爆発。それでも何回かで飲み干した。
ああおいしかった。「極辛麻婆つけめん」をすみからすみまで堪能した感じ。大満足だ。 まだ、お腹には若干の余地があるのだが…。
汁まで飲んで満腹になるラーメンのときよりもかなり楽。
しかし、あのラーメンを食べ終えた後の気分、すなわち鼻水だけでなく頭から顔面からとにかく全身から汗を噴出して体が浄化されたような、あのハイな気分にはなれなかった。そこが、ちょっとだけ残念。

ふたたび炎天下の街に出る。今回は偕楽園から千波湖をぐるっと回って帰った。店内でかかなかった分の大汗を、結局、その後、歩きながらかいたのだった。


2012年8月21日火曜日

大予想 ボブ・ディラン・ベスト・ソングズ10

<今号のレコ・コレ誌は読むところなし>

「レコード・コレクターズ」誌の今月号(2012年9月号)は、私的には全然読むところがなかった。
特集はA&Mレーベル。A&Mと言えばカーペンターズとかのポップス・レーベルでしょ。ロックじゃないので私には興味なし。
200枚のアルバムのうち気になったのは、ハンブル・パイとポリスとスティングくらい。ポリスだって、こんなレーベルにいなければ、もっと別の展開があったのでは。
もう一つの特集がミレニウム。こんなものロックじゃない。70年代に切実な思いでロックを聴いていたロック少年には、ミレニウムもビーチ・ボーイズも、そしてついでにエルヴィス・プレスリーも全然ロックなんかじゃなかった。で、やっぱり興味なし。

 というわけで、残念ながら読むところのなかった今月号。ただ唯一私の注意を引き付けたのが、次号の予告だった。
次号の特集はストーンズに続いて、ボブ・ディランのベスト・ソングズ100。よし、それなら私も再びベスト10予想にチャレンジしてみよう。でも、ディランはちょっと手強そうだな。
というようなわけで、以下はそのお話。ゴタクはいいからベスト10の結論だけ知りたいというせっかちな人は、文末の方だけご覧ください。

<予想の大枠を決める>

予想するのはストーンズのときと同じく上位のベスト10曲。
この予想の前提としてまず間違いなく言えることが一つある。それは、1970年代の後半以降の曲はベスト10には入らないだろうということだ。
いくら50年のキャリアを誇るとはいえ、ディランの絶頂期は70年代の半ばまでである。彼の代表曲はほぼすべて62年のデヴューから、この時期までの間に生み出されたと言ってよい。この事情はストーンズとまったく同じ。
具体的には1978年の『ストリート・リーガル』(Street Legal)以降の曲は絶対入らないはずだ。このアルバムの一つ前のスタジオ作は、ライヴの『激しい雨』(Hard Rainをはさんで、『欲望』(Desire、)ということになる。『欲望』の発表が1976年だから、デヴュー以後、キャリアの最初の14年間で、ディランの代表作のほとんどは作られたことになる。

<ディランの主要アルバムはこれだ>

さてそれでは、この14年間に作られた曲の中からどのようにベスト・ソングズを選ぶか。その方法として思いついたのは、この間のディランの主要アルバムを順に一枚ずつ検討しながら、代表曲と思われるものをピックアップするというやり方だ。

その主要アルバムとは何か。この14年間に出したアルバムから、まず2枚のライヴ・アルバム(『偉大なる復活』と『激しい雨』)を除き、2枚のベスト・アルバム(『グレーテスト・ヒット』と『同 第2集』)を除き、サントラ盤1枚(『ビリー・ザ・キッド』)を除く。
さらに2枚のボンクラ・アルバム(『セルフ・ポートレイト』と『ディラン』)と、ついでに『地下室』も除いてしまう。
さあこれで残ったのが、以下のとおり掛け値なしにディランの主要アルバムと言えるものだ。

『ボブ・ディラン』(Bob Dylan1962
『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』(The Freewheelin' Bob Dylan1963
『時代は変る』(The Times They Are a-Changin1964
『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』(Another Side of Bob Dylan1964
『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』(Bringing It All Back Home1965
『追憶のハイウェイ61』(Highway 61 Revisited1965
『ブロンド・オン・ブロンド』(Blonde on Blonde1966
『ジョン・ウェズリー・ハーディング』(John Wesley Harding1967
『ナッシュヴィル・スカイライン』(Nashville Skyline1969
『新しい夜明け』(New Morning1970
『プラネット・ウェイヴズ』(Planet Waves1974
『血の轍』(Blood on the Tracks1975
『欲望』(Desire1976

全部で13枚。そこで1枚につき、だいたい1曲弱平均で選んでいけば、ベスト・ソングズ10曲が自動的に選べるのではないかと踏んだわけだ。

<主要アルバムごとに代表曲を検討していく>

で、順に検討を始めた。だいたいこんな感じ。

*『ボブ・ディラン』
 記念すべきデヴュー・アルバム。検討を始めていきなりだけど、このアルバムには代表曲はなし。何しろほとんど他人の曲ばかりだからね。 
でも、このアルバム、演奏スタイルはフォークだけど、次作以降のアルバムとは全然違ってロック魂にあふれている。名曲ではないが名演奏。個人的には好きなアルバムだ。

*『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』
当然文句なしで次の2曲がベスト10に入るはず。

・「風に吹かれて(Blowin' in the Wind)」
・「はげしい雨が降るA Hard Rain's a-Gonna Fall)」

*『時代は変る』
 このアルバムではやっぱり文句なしでこの曲。

・「時代は変るThe Times They Are a-Changin')」

*『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』
うーん。このアルバムからは代表曲なし。

*『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』
言わずと知れた名盤だけど、この中でディランのオールタイムのベスト・ソングということになると、次の2曲くらいだろうな。

・「サブタレニアン・ホームシック・ブルース(Subterranean Homesick Blues)」
・「ミスター・タンブリン・マンMr. Tambourine Man)」

「サブタレニアン…」は、歌詞を書いた紙をどんどん捨てていく例の映像が、当時のディランのイメージを集約していて、その意味でも代表曲と言えるだろう。
本当は「シー・ビロングズ・トゥ・ミー(She Belongs to Me)」や「ラヴ・マイナス・ゼロ/ノー・リミット(Love Minus Zero/No Limit)」なんかも個人的に好きなんだけれど、ベスト10入りは無理だろうな。

*『追憶のハイウェイ61
 このアルバムも名盤だが、ディランのベスト10ソングということになると、この1曲だけかな。
タイトル・ソング「追憶のハイウェイ61」はどうしようかと迷ったが、ベスト10にはたぶん入らないだろう。

・「ライク・ア・ローリング・ストーン(Like a Rolling Stone)」

*『ブロンド・オン・ブロンド』(Blonde on Blonde1966
このアルバムはディランの代表作ということになっているけど、曲単位で見ていくとベスト10に入りそうなのは、とりあえずこの1曲くらいか。

・「メンフィス・ブルース・アゲイン(Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again)」

他には「雨の日の女(Rainy Day Women #12 & 35)」とか女の如くJust Like a Woman)」なんかもあるけど、どっちもヘンテコな曲だからなあ。とりあえずノミネート見送り。

*『ジョン・ウェズリー・ハーディング』
このアルバムの曲はみんな微妙だ。強いて挙げるならこの曲か(ジミ・ヘンのおかげ)。

・「見張塔からずっとAll Along the Watchtower)」

*『ナッシュヴィル・スカイライン』
このアルバムも前作同様どれも微妙。「レイ・レディ・レイ(Lay Lady Lay)」あたりは、その後もライヴでよくやっているけど、やっぱりヘンテコな曲なのでとりあえずパスすることに。

*『新しい夜明け』
異常に評価の低いアルバムだけど、たしかに曲単位で見ていくと、これはという曲がない。ジョージ・ハリソンがらみの「イフ・ナット・フォー・ユー(If Not for You)」あたりが、もしかすると入るのかなあ。
個人的には「新しい夜明け(New Morning)」が好きなんだけれども、とりあえずどちらもパス。

このアルバムの後に出た『グレーテスト・ヒット第2集』(Bob Dylan's Greatest Hits Vol. II1971)とサントラの『ビリー・ザ・キッド』(Pat Garrett & Billy the Kid1973)は、主要アルバムからはずしてしまったけれど、これらのアルバムにしか入っていない名曲があるのを思い出した。一応以下の3曲は、ベスト・ソング候補にやっぱり挙げておくべきだろう。

・「マスターピース(When I Paint My Masterpiece)」
・「アイ・シャル・ビー・リリーストI Shall Be Released)」
・「天国への扉Knockin' on Heaven's Door)」

本当は『グレーテスト・ヒット第2集』に入っているレオン・ラッセルとの「川の流れを見つめて(Watching the River Flow)」も大好きなのだけどね。

*『プラネット・ウェイヴズ』
これも異様に評価が低いアルバム。良いアルバムなのだが、たしかにベスト10クラスの曲はないかも。
強いて挙げるなら「いつまでも若く(Forever Young)」のスロー・バージョンあたりか。でもパスしよう。
個人的に好きなのは、ザ・バンドならではのグルーヴが生かされた「こんな夜に(On A Night Like This)」だ。

*『血の轍』
ディランの最高傑作。でも、ベスト10クラスの曲はあるかな。
挙げるとすれば、「ブルーにこんがらがってTangled Up in Blue)」と「愚かな風(Idiot Wind)」あたりだろうけど、ベスト10入りまでは無理のような気が…。

*『欲望』
これもなかなか味わい深いアルバムではある。アルバムとしての代表曲は、「コーヒーもう一杯(One More Cup of Coffee (Valley Below))」 と「オー,シスター(Oh, Sister)」あたりだろうが、ベスト10には入りそうもない。

あれあれ、ということは1970年代のスタジオアルバムからは、ベスト10曲は1曲もないということになってしまった。良いアルバムはあるのだが…。

<私の選んだベスト・ソングズ(発表年代順)>

以上の結果選んだ予想曲は次の11曲だ。

「風に吹かれて(Blowin' in the Wind)」
「はげしい雨が降るA Hard Rain's a-Gonna Fall
「時代は変るThe Times They Are a-Changin')」
「サブタレニアン・ホームシック・ブルース(Subterranean Homesick Blues)」
「ミスター・タンブリン・マンMr. Tambourine Man)」
    「ライク・ア・ローリング・ストーン(Like a Rolling Stone)」
「メンフィス・ブルース・アゲイン(Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again)」
「見張塔からずっとAll Along the Watchtower)」
「マスターピース(When I Paint My Masterpiece)」
「アイ・シャル・ビー・リリーストI Shall Be Released)」
「天国への扉Knockin' on Heaven's Door)」

<私の選んだボブ・ディラン・ベスト・ソングズ10>

さてこれに私なりに順位をつけた予想最終結果は以下の通りだ。

第1位 「ライク・ア・ローリング・ストーン(Like a Rolling Stone)」

*やっぱりディランのベスト・ソングと言えば何をおいてもこれでしょう。

第2位 「風に吹かれて(Blowin' in the Wind)」
第3位 「はげしい雨が降るA Hard Rain's a-Gonna Fall
第4位 「時代は変るThe Times They Are a-Changin')」

    *この辺には初期フォーク期の代表曲が並ぶのではないかと思う。やっぱり何と言ってもディランの曲としては印象が強いし、しかもその後、長い間歌い続けられてきたからだ。

第5位 「サブタレニアン・ホームシック・ブルース(Subterranean Homesick Blues)」
第6位 「ミスター・タンブリン・マンMr. Tambourine Man)」
第7位 「メンフィス・ブルース・アゲイン(Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again)」

    *次にこの辺にはフォーク・ロック期の曲が来るのではないか。
ただしこの時期の曲は曲単位での名曲というのが少ないので、票が分散して順位がもっと下がるかもしれない。
でもこの3曲は、この時期のシュールでしかもパワフルなディランの歌の世界を示す代表曲だと思う。

第8位 「アイ・シャル・ビー・リリーストI Shall Be Released)」
第9位 「マスターピース(When I Paint My Masterpiece)」
第10位 「天国への扉Knockin' on Heaven's Door)」
次 点 「見張塔からずっとAll Along the Watchtower)」

    *この辺はディランの文句なしの名曲群だ。どれも、他のアーティストのカヴァー・ヴァージョンが頭に浮かんでくる。

さて以上が私の予想だ。果たして当たっているのかどうか。
レコ・コレ誌の次号発売を楽しみに待つことにしよう。

9/10 追記>
1曲忘れていた。「くよくよするなよ(Don't Think Twice, It's All Right)」だ。『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』に入っている曲だが、『偉大なる復活』でのライヴ・バージョンも印象的だった。
もしかすると10位以内に入ってくるかもしれない。

<関連記事>
 はたしてこの予想がどのくらい当たっているのか。その結果については、下記の記事で発表。

2012年8月20日月曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「極辛麻婆」月間その3

「極辛麻婆らーめん」の二杯目の巻

お盆明けに「つけ麺 坊主」を訪問した。「極辛」メニュー解禁月間である8月に入って三度目の訪問だ。
隠居の身とはいえ、お盆はそれなりに忙しい。のんびりラーメンを食べに出かけているわけにもなかなかいかない。しかし、うかうかしていると8月も、すぐに終わってしまう。ということでお盆明けそうそうに出かけた次第。
残暑とはいえ夏真っ盛りのような猛暑日だった。今日も「極辛」メニューを食べて大汗をかいてすっきりするぞ、と意気が上がる。前回訪問時に、お盆の休店期間を確認しておいたので、今日は間違いなくやっているはず。

日曜日の午前11時10分入店。先客が3人(後客8人)。
前回は「極辛麻婆つけめん」だったので、今回は迷わず再度前々回に食べた「極辛麻婆らーめん」にする。しかし、まったく同じでも何だし、「麻婆大盛」(100円)のボタンも押す。そしてもう言うまでもないけど「ビール」と「白めし」。
食券を持って、カウンターの両端がふさがっていたので中ほどに座る。「麺とめしは普通盛りで」とご主人にお願いした。

すぐにビール到着。グビリとやる。暑い中歩いてきて、この一杯は最高だ。ま、暑くないときも飲んでるけど。
今日は何となく、店内に置いてあるラーメン本を手にしてみる。「坊主」さんの載っているページを見ると次のような説明が目に付いた。スープは鶏がらとカツオだしと香味野菜を8時間煮込んで、これに大量の一味唐辛子とラー油を加えているとのこと。それはわかる。それはわかるんだけど、同じことやっても、ここの味は出ないんだろうなあ、とも思う。

ところで、先日以下のブログに、「極辛麻婆らーめん」についての記事を見つけた。とても興味深い内容だ。
「いばナビ拉麺部長のときどき日誌」
http://ameblo.jp/ibarakiramen/entry-11324319278.html
この方の記事によると、「極辛麻婆らーめん」は、このお店のレギュラー・メニューの中でもっとも辛い「特製麻婆つけ麺」の4~5倍は辛いという。なるほど、私も食べた感じでこれには納得する。
それからもう一つ興味深かったのは、この辛さの素が「朝天辣椒」という調味料だという記述。そのまま引用すると「その朝天辣椒を使い、3種類の朝天辣椒をブレンドした特製朝天辣椒をレンゲ一杯スープと一緒に煮込みます!!」というのだ。
そうだったのか。私はさっそくこの「朝天辣椒」をネットで発注した。自宅でも「坊主」風のラーメンを作って食べているので、使ってみたいと思っているところだ。参考になりました。

そうこうしているうちに、やはり他のレギュラー・メニューよりいくつもの余分な手間を経て、無事「極辛麻婆らーめん」完成。「麻婆大盛」でお願いしたので、前回のときより丼の上はかなり満員状態だ。
どんぶり中央に盛り上がっているトッピングの小山(というか大山)。頭に赤い唐辛子&魚粉をいただき、本体はネギともやしと豚肉と麻婆豆腐その他からなるこの小山(または大山)。これをくずしたいのだが、くずそうにもその余地がどんぶり上にない。
仕方なくどんぶりのふちの方でレンゲにスープをすくって飲み始める。そんなに辛いわけではない。麻婆の汁とミックスされていい感じ。5、6口すくって飲んで、ご飯を食べる。さあ今日もいよいよこの至福のひと時が始まったぞ。

それから、もやしを食べ、豚肉を食べ、麻婆豆腐を食べる。開店直後の麻婆豆腐は、直方体をした塊がまだ崩れていなくてでかくてうれしい。それから麺を底の方から引っ張り出して食べる。
最初たいしたことはないと感じていたスープの辛さがだんだん強くなってくる。これは前回までと同様なのだが、今回はこの辛くなり方が、これまでよりかなり早い。辛いはずの麻婆豆腐とその汁が、口の中の辛さを逆に癒してくれる感じ。
そして中盤にさしかかるだいぶ前に何と私はいつにないひーひー状態に陥ってしまったのだ。とめどなく出てくる鼻水。そして顔面はもちろん頭皮全体から噴出す汗の流れ。
どうやら私の体調が万全ではなかったらしい。そのためにいつもより辛さを強く感じてしまうようだ。思えば、お盆の間、ちょっと不摂生してたからなあ。

夢中で食べ続けるのだがスピードが上がらない。しかも、辛いだけなら何とかなるのだが、いつになく満腹になってしまったのだ。この満腹感が辛さに関係あるのかどうかはわからない。
それでもご飯と麺は何とか完食した。かなりお腹が苦しい。
そこからスープを何口かすくって飲む。どんぶりの底で、スープの「水深」が1センチほどにまで減ったのだが、そこからがもうどうにも進まなくなってしまった。ギブアップ。
このお店で、スープまで完食できなかったのは、まったく初めての体験。負けた。負けた。少なからぬ敗北感に襲われる。しかも辛さのためではなく、満腹のために完食できなかったのが何とも悔しい。こんなことなら麻婆大盛にしなければよかった。とちょっと後悔。

食べ終えてもなかなか汗と鼻水は収まらなかった。
入店前は、もしかして、8月中の訪問は今回が最後になるかと思っていた。しかし、こうなったからには、もう一度来なくては。今月の間に再度訪問してリベンジを果たすことを心に誓って、店を出たのだった。
炎天下の街に出る。超満腹のお腹をかかえて、そろそろと歩く。いつものように千波湖を一周して帰った。

2012年8月17日金曜日

「須田国太郎展」

「須田国太郎展」(茨城県近代美術館)を観てきた。
考えてみると洋画の展覧会に足を運ぶのは、ずいぶん久しぶりのこと。「洋画」というものに、もうあんまり興味を持てないのだ。しかし、今回は特別だった。
私は以前からこの須田国太郎という洋画家に少なからぬ関心を持っていたのだ。作品に触れたことはそれほど多くないが、この画家の画集は手に入れて図版でだいたいの作品は知っていた。
数年前に須田の回顧展が中央で開かれたが、観に行く機会を逸してしまった。
そうしたら、今回、没後50年ということで、再度、回顧展が企画された。しかもそれが地元水戸に巡回すると聞いて、期待して待っていたのだ。

なぜ私が須田国太郎に興味を感じるのか。
理由のひとつは、彼がかなりデビューの遅い画家である点だ。どうでもいいような理由ではある。
須田は留学から帰ると、高校の講師をしながら制作に励み帝展に応募するがみごとに落選。これが32歳のとき。その後、東京銀座の資生堂画廊で初めての個展を開いたのが、なんと41歳のときだった。
十代や二十代で逝く夭折の画家がもてはやされる日本の近代美術の歴史の中で、須田のこの「遅咲き」ぶりは、いぶし銀のような鈍い輝きを放っている。しかも、周囲とは隔絶したようなあの暗い作風での開花だったのだから。

しかし、私が須田国太郎に興味を感じる本当の理由はもうひとつ別にある。それは、この画家が西欧の油彩画(つまり「本場」の油彩画)をちゃんと見据えた上で、物まねでない「日本固有の油彩画」を生み出そうとした点だ。
この点について語る前にまず私なりの「洋画」観について語る必要がある。
先日の国立新美術館「『具体』展」の感想にも書いたことだが、私は「日本の洋画」というものが、いまだに西欧絵画の模倣の枠内にあると思っている。「洋画」は日本の中で、ガラパゴス的展開は遂げたが、世界にはまったく通用しない奥の細道に入り込んでしまっている。
近代以降日本の独自の美術と言えるのは、1950年代以降の現代美術からだろう。海外において日展の大家の作品は値無しだが、奈良や村上の作品に何億の値がつくことが、このことを如実に示しているとも言える。
須田は京大で美学・美術史を学び、その後渡欧して現地で「本場」の作品にじかに接している。そのようにして深く西欧の絵画を理解したうえで、単なる物まねでない「日本固有の油彩画」を創り出そうとしたのだった。
総体としては、未だに西欧の物まねの域を出ていない「洋画」の中で、はたして須田の「日本固有の油彩画」は実現したのだろうか。そこがずっと気になっていた。

展示作品は約120点。時代別、テーマ別に並んだ作品を見ていくと、描いているテーマの特異性はとりあえずおいておくとして、暗い色彩と装飾的なマチエール(塗ったり削ったりの繰り返しで生まれる)の実現の方に、もっぱら須田の関心は収束していったように見える。
それが「日本固有の油彩画」というものについての須田の結論であったのだろうか。このような表現法こそが、「日本の風土に根を下ろした日本固有の油彩画」(須田自身の言葉)なのだろうか。

そうなのかもしれない。そうなのかもしれないがが、私は手放しで共感することはできなかった。
須田のこのような作風は、厚塗りによって油彩画に接近してきた現代日本画のそれに結果的に限りなく近い。単純化と様式化による装飾性が、写実とミックスされている。日本的な美意識と西欧的な理性の混交。たしかに西欧の模倣の域は脱しているのかもしれない。
ただしかし、決定的に言えるのは現代的でないということだ。ということは、つまり東西を越えた普遍性には到っていないということではないのか。
須田国太郎の生き方、画家としての姿勢、そして「絵との格闘」の軌跡には共感する。しかし彼の作品は、良い意味でも、そしてまた悪い意味でも「日本固有」と言わざるを得ないようである。

平日とはいえ会場はかなり空いていた。やはり、一般的にはマイナーな画家なのだな、とあらためて思った。

2012年8月15日水曜日

「北斎展」

『北斎展』(いわき市立美術館)を観てきた。
べつに葛飾北斎に特別の関心があったわけではない。と言うか私はそもそも浮世絵というものにさほど興味がわかない人なのだ。
私の知人に日本美術なら古代から近代まで何でも大好きという人がいる。ところが、ただ唯一、浮世絵だけは例外というのだ。その気持、私にも何となくわかる。わたくし的に言うと、浮世絵のあの何とも感情移入のしようのない感じ、ということはつまり共感の持ちようがないというところがちょっと苦手なのだ。

いきなりの浮世絵批判みたいなことになってしまった。
もう少し言わせてもらうと、北斎と言えば日本人なら誰もが知っているいわば手垢のついた存在である。私だって興味がないとはいえ、一応はその作品について知ってはいるつもりだ。だからなおのこと、あらためて作品を見ようなどという気にはなかなかならない。
というわけで、まったく期待度ゼロの状態で(なら何で観に行くんだ、と言われそうだけど)、会場に足を踏み入れたわけなのだった。

ところがところが…である。結果的には、つい見入ってしまうような作品にも何点か出会い、いろいろな発見もあったりで、思いのほか良い展覧会だったのだ。
会場に入って最初のあたりは、「まあこんなもんだろう」と、流していた。しかし、だんだん進んでいくにつれ、「おっ」とうならされるような作品があり、さらにいくつかの作品には思わず引き込まれてしまった。
何に驚いたのか。何がそんなに良かったのか。簡単に言ってしまえば、その「異常」とも言える造形のセンスだ。
北斎といえば日本を代表す美術家である。先ほども触れたように、日本人で北斎を知らない人はいない。しかし、目の当たりにした彼の作品に見られる美意識は、とても日本のスタンダードな美意識とは言えないものだ。それはもっと「異常」だ。

『富嶽三十六景』や『諸国瀧廻り』といったシリーズにとくに顕著に見られるのだが、遠近の歪んだ空間の表現や、写実的な描写(たとえば風景)と様式的な表現(たとえば水面の波)との混合や、波や滝の水しぶきの抽象的とも見える表現法などなど…。有名な『富嶽三十六景』の内の「神奈川沖浪裏」、「遠江山中」(手前にのこぎり男)、「尾州不二見原」(手前に桶屋)などみんなそうだ。
そしてとくに『諸国瀧廻り』の落下する水の表現の奇矯なこと。
これらは、日本のスタンダードというより、かなりクセの強い独自のものだ。そしてそのどれもが、現代のわれわれの意表をついてきて魅力的だ。

こうした表現法は、当時の浮世絵購買層の注目を集め、購買意欲を刺激するために、ウケをねらい、どぎつさを強調し、極端な誇張をエスカレートさせていった結果なのであろう、たぶん。その先で行き着いたのが、この強烈で異常で奇矯な表現の数々であったのだろう、たぶん。しかし、それは日本の美を越えて、ワールドワイドの近代意識に通用する普遍的な美だったというわけだ。

北斎は数々の奇行で知られる人物らしい。
生涯に93回も引越しをしたとか、食事は自分では作らずすべて買ってきたものですまし、食べ終わるとその包装やいれものをそのまま放置するので室内はゴミだらけだったとか、絵が売れてそれなりの画料を得ていたのに金額も確認せずに集金の商人に与えてしまうので、つねに貧乏だったとか…。どれも何となくウソ臭いが、むしろ作品の奇矯さから、そんな風変わりな作者像が形作られていったのではなかろうかという気もする。

 最後に展示について。今回の展示数は全部で170点。すごいヴォリュームだ。しかし、同じような大きさのものが延々と並んでいると、最初から最後まで集中力を持続させることはほとんど不可能だ。個人的には100点くらいが限度。ところが、今回の場合、後のほうに行くにつれ作品のテンションが上がってくる感じ。なので、前半でくたびれて後半を流してしまっては何とももったいない。会場構成に何か工夫はないものなのだろうか。

2012年8月7日火曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「極辛麻婆」月間その2

「極辛麻婆つけめん」の巻

前回訪問から中三日おいて「つけ麺 坊主」訪問。
「極辛」メニュー解禁月間である8月に入って二度目の訪問だ。年に二回しかない機会なので、こちらも気合が入る。
少し雲がかかっているがむしむしと湿度が高いこの日、「極辛」メニューで大汗をかいてすっきりしようとお店に向った。前回訪問時に、次の休店日を確認しておいたので、今日は間違いなくやっているはず。

平日午前11時15分入店。開店直後というのに、先客がもう5人もいる。
券売機に向う。前回は「極辛麻婆らーめん」だった。もう一度食べたい気持もあったのだが、ちょっと迷ってもうひとつの「極辛」メニューである「極辛麻婆つけめん」のボタンを押す。そして私なりのこだわりで、「麻婆大盛」(100円)のボタンも。さらにいつもどおり「ビール」と「白めし」。
食券を持って今回はカウンターの中ほどへ。「麺は大盛り、めしは普通盛りで」とご主人にお願いする。つまり「極辛麻婆つけめん」は、プラス麻婆大盛り、麺大盛りということになる。

ビール到着。さっそくグビリとやって一息つく。厨房は先客の注文を作り始めたばかりだ。先客の麺が茹で上がるまで、次の私の分の麺は投入しない。つまり後追いで並行して茹でるということをしない。こだわりなのか、たまたま段取りの都合なのかはわからないが、たぶんこだわりのような気がする。で、いつもよりちょっと時間がかかりそうだったが、全然気にならない。

店内の先客の中に二入連れのオヤジがいた。この内の一人が食べ終わった後、券売機のところに行き、追加で何かのボタンを押している。それをご主人に渡して頼んだのは、「味玉」(つまり味つき玉子、煮玉子)だった。食後に単品で玉子を頼む人をはじめて見た。
小椀に入った「味玉」を受け取ると、二人は箸でそれを二つに割って何やら吟味している様子。相当なマニアか、あるいはラーメン・ライターまたはブロガーなのかもしれない。この店のファンとしては高評価が下されることを祈るばかりだ。
ちなみにこのお店の「味玉」は、玉子を漬け込む汁にも唐辛子が入っている。徹底しているのだ。

やはり前回同様、特製メニューはいつもより段取りが多いようだったが、無事「極辛麻婆つけめん」のつけ汁登場。その姿は、基本的に前回食べたに「極辛麻婆らーめん」をぎゅっと縮小したものだ。ただ、大盛りでお願いしたので、この店の通常のつけ麺のつけ汁の器よりも一回り大きい器に入っている。これがうれしい。

盛大に器の中央にかかっている魚粉の山。唐辛子と見紛うほどに赤いと思っていたら、これにも唐辛子がミックスしてあることが今回わかった。トッピングの周囲にわずかに見えるスープの表面には厚く油の層が張っている。ラー油と脂だ。そしてその下には「極」赤のスープが潜んでいる。
ゆっくりトッピングを崩しながら拡げ、その下の方の具材をほぐす。豚肉、もやし、ニラ、メンマといった顔ぶれは「極辛麻婆らーめん」と同じ。柚子の風味もかすかに。くわえて大盛りにしただけあって、底のさらに底の方まで麻婆豆腐がごろごろしている。開店直後のせいか豆腐の塊が大きい。これも何だかうれしい。

一般的な話だが、つけ麺は、同等のラーメンより具材やトッピングが少ないのが私にはさびしく感じられる。そこで、このお店で麻婆系のメニューを頼む場合は、「麻婆大盛」にすることにしている。こうすると、つけ麺のもう一つの不満点、すなわち汁が食べているうちにどんどん冷めてしまうという問題も、多少ではあるが改善できる。

つづいて、麺と「白めし」到着。つけ汁の器の表面にいったん拡げたトッピングと具材を箸で少し寄せてスープの池を作り、すくった麺をここにくぐらせてから食べ始める。
この麺が旨い。いい具合のアルデンテだ。いったん冷水でしめたこの歯応えは、つけ麺でないと味わえない。いつもここで頼んでいるラーメン系のメニューではこうはいかないのだ。つけ麺でも「あつもり」にすると、やはりこの歯応えはなくなってしまう(なので、私は「あつもり)にはしない)。

スープの辛さはそれほどでもない。するすると麺を口に運ぶ。ときどき、麺と一緒に具材も食べる。ただしご飯は食べない。これはラーメンのときとは別の食べ方があるのだ。
しかし、中盤過ぎたあたりでじわじわと辛さが効いてきた。この感じは「極辛麻婆らーめん」のときと同じだ。辛さに関しては前回以上かもしれない。

同等の辛さのラーメンとつけ麺は、辛さの順位ではつけ麺の方が上位にくる。つけ麺のつけ汁の方がラーメンのスープより濃縮してあるからだ。このお店のメニューで言うと「特製つけ麺」が辛さランキング第2位で、同じ内容の「特製らーめん」が第3位なのはこの理由による。当然「極辛麻婆つけめん」も「極辛麻婆らーめん」より辛さでは上に位置することになるはずだ。
しかし、私の実感ではむしろラーメンのほうがつけ麺より辛い。つけ麺の場合、スープは麺に絡まる少しの量しか口に入らないし、しかも麺が冷たいのですぐ冷めてしまう。これに対し、ラーメンのスープはレンゲですくってそれなりの量を一度に口に入れるし、しかもいつまでも熱々だからだ。

しかしこの「極辛麻婆つけめん」の汁は、がんがん口の中を攻撃してくる。鼻水が止まらない。麺が残り少なくなってきたところで、とうとう大事にとっておいたご飯と交互に食べ始めた。ご飯が口直しになっておいしい。これで少し持ち直し、やがて麺と具材ほとんど完食。
さて、ここから次のお楽しみが始まるのだ。レンゲでご飯を少しずつすくっては、残ったスープにちょっとだけ浸して食べる。ちょうど、スープカレーを食べるときの要領だ。こうするとスープの辛さと旨さをそのまま味わえる。かなり辛いがご飯の甘さと交じり合って、麺のときとはまた違う旨さを堪能できる。しかし、麺と一緒に早めにご飯を食べ始めてしまったせいで、早々にご飯も完食してしまう。

そして、いよいよ残った汁をカウンター上のポットに入っているガラスープでスープ割りだ。ここは、辛いけれどあまり薄め過ぎないように少しだけ入れる。汗を拭き拭き、鼻水をかみながら、少しずつ飲む。一口飲んでは立ち止まり、立ち止まっては一口飲む。体内がすっきりと浄化され気分はちょっとだけハイになって、やがて完食。口の中が焼けるように熱い。汗と鼻水が収まるのにしばらく時間がかかる。
今回もガツンとくる辛さだった。大満足アンド大満腹。
気がつくと外はいつの間にか雨。ごちそうさまでした。店を出ると、もやっとした外気に包まれたが、火照った体には雨が気持ちいい。辛さの余韻を味わいながら雨の街を歩いていった。今日も胃にはちょっとばかり効いたけど。

2012年8月3日金曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「極辛麻婆」月間その1

「極辛麻婆らーめん」の巻

いよいよ8月。8月と言えば「つけ麺 坊主」の幻のメニュー「極辛麻婆らーめん」と「極辛麻婆つけめん」が解禁となる月だ。この二つは一年の内、2月と8月の二ヶ月間だけの期間限定メニューなのだ。というわけで8月に入って早々、さっそく「つけ麺 坊主」を訪れた。
前回訪問からはまだ一週間。月に一回か、それ以下しか訪問できていないのに、今回のこの間隔の短さからも、私の意気込みはおわかりいただけよう。

夏本番の炎天下を駅から店に向う。平日の開店直後の11時5分に入店。券売機の「極辛麻婆らーめん」のボタンのランプがちゃんと点いている。迷わず食券購入。ついでにこれも迷わず「ビール」と「白めし」も。
食券を持ってカウンター奥の端の席に座る。エアコンは頭上なので苦手な冷気は直接当たらないが、壁の扇風機の風はかなり強力。でもいずれこれがありがたくなるのだろう。
ご主人にいつもどおり、「麺とめしは、ふつう盛りで」とお願いする。

さて店内には先客が1人(後客6人)。カウンターの反対側の端に座っている。この先客がなんと私と同様、「極辛麻婆らーめん」を頼んでいたのだ。ご主人が二人前を一緒に作っている。
この先客の様子をそれとなく窺うと、私と同じ年配のオヤジだ。8月に入って早々のこの日、開店直後に来店するとは、私と同じようなことを考えている人が他にもいるんだなあとちょっと驚く。

ビール到着。例によってグビリとやりながら店内を見回す。昼前からビールを飲んでいるのは、やっぱり多少気がひける。しかし私の少し後に来店した女性客(単独で妙齢)も、何とビールを頼んで飲み始める。豪傑だ。まあ外はこの暑さだしね(私の場合、暑くなくても飲んでるけど)。
カウンターの中のご主人の動きを見ていると、やはり特製メニューだけあって、いつもより段取りが多いようだ。麺の茹で鍋投入前の段階で、スープの方でだいぶ手間がかかっている。それを見ているだけで期待もふくらんでこようというものだ。

そして、ついにカウンターに「極辛麻婆らーめん」登場。 この2月にお目にかかって以来だが、そのお姿は変わらない。
どんぶりの上に具材とトッピングが豪快に盛り上がって山をなしている。具材はもやしと豚バラ。その上に麻婆豆腐と刻みネギがのり、さらに多めに魚粉が振りかけてある。そして、どんぶりのふちには、最高位のメニューであることを示す(?)海苔が一片。さて問題はスープの色だ。他のメニューでも見たことがないくらい赤い。ドス(?)赤い。もちろん唐辛子の赤だ。これはすごいことになりそう。

この「極辛麻婆らーめん」は、私の定番メニューである「特製らーめん」がスープ、具材、体裁等の点でベースになっていると思われる。というか、このお店のラーメン系列の最上位メニューである「特製ラーメン」のさらに上位に位置するメニューとして設定されたというべきかもしれない。
「極辛麻婆らーめん」が「特製らーめん」と違うのは、私の気がついた限りでは、次のような点だ。
① 具材のもやしと豚バラに加えて、ニラとメンマが加えられている。
② トッピングに刻みネギに加えて、ネーミングのとおり麻婆豆腐とそれから大量の魚粉と海苔(1枚)が加えられている。
③ スープに柚子が加えられている。
④ そしてとにかく唐辛子が多い。

いつものようにスープをレンゲですくっておそるおそる飲む。うん、おいしい。いつもの「特製らーめん」のスープとさほど変わらない。二口、三口、四口…。少し辛いかもしれないがそんなでもない。そして、ご飯を三口。
それから慎重に具材とトッピングの山を崩し始める。同時に底の方の麺もなるべくほぐすようにする。
私は辛さランク上位のメニューしか食べたことがないので知らなかったが、このお店の辛くない方のメニューにはメンマや、ニラや、柚子が具材になっているものがあるらしい。ということは「極辛麻婆らーめん」の具材は、このお店のオールスターキャストが総出演ということなのだろうか。

食べながらだんだん何も考えなくなっていく。麺をすすり、もやしと肉と麻婆豆腐をハフハフと食べ、スープをふうふうしながら飲む。ときどき休憩がてらご飯を一口、二口。いつもなら、このサイクルがどんどん加速していくわけなのだが…。
最初はさほどでもないと見くびっていた辛さが、しだいにその正体を現わしてきたのだ。辛さが目の前に立ちはだかって、口中を攻撃してくる。こちらはときどき少しの間、立ち止まらざるを得ない。
でも、ただ辛いだけではなくて、その辛さがちゃんと旨さと一体になっている。たとえ「特製らーめん」に、カウンターに置いてある辛さ増加用の一味をスプーンで山盛りいれても、こうはならないだろう。

夏も本番となって、体が暑さに慣れてきているせいか、汗は思ったほどかかない。しかし、その代わり鼻水がとめどなく流れ出る。カウンター上に置いてあるティッシュで鼻をかみ続ける。
やがて、どんぶりに口をつけて最後の一滴までスープを飲み干して完食。すっきりと爽快な気分だ。
前回(2月)のときもそうだったが、やっぱり辛さのジャブがちょっと胃に効いている感じ。しかし、久しぶりにガツンと手ごたえのある辛い食べ物を食べたという満足感を味わった。

帰りがけに極辛完食記念のお店の名入りの真っ赤(唐辛子色)なタオルをご主人からいただいた。
ごちそうさまでした。また来ます。