2015年9月11日金曜日

キース・ジャレットのマラソン・セッション


■キース・ジャレットのソロ・コンサート事件

近年のキース・ジャレットの大きな話題と言えば、どうしてもソロ・コンサートの中断事件を挙げないわけにはいかない。
たとえば昨年(2014年)の大阪公演。キース・ジャレットは観客の咳に気分を害して演奏を数度中断、ついにはそのままコンサートを終了してしまい騒ぎになった。本人いわく、観客の咳で演奏への集中が妨げられたからだという。しかもこのようなトラブルは、これが初めてではなくて、2005年の来日時や2010年のパリ公演でも起こしている。また、この大阪のすぐ後のパリ公演でも、同じことが起きたらしい。

その場の状況はわからない。しかし、話だけ聞くとこのトラブルは、ミュージシャン側のエゴとしか思われない。観客のせいにしているけれど、ようするに演奏する側の集中力が衰えたことが原因なのではないのか?だって彼の若い頃のソロ・コンサートでは、全然そんな問題は起きなかったでしょ。

そんなわけで、近年のキースのコンサート会場には、主催者側による「静かに聴くように」という注意書きが貼り出され、観客も非常な緊張を強いられるらしい。観客にそんな思いまでさせないと集中できないというのなら、そもそもコンサート活動はもう無理なんじゃないのか。しかし、それでも彼の演奏を聴きに行く人がいるのだから驚いてしまう。私だったら、そんな場所に行くのは絶対にご免だ。

80年代以降のキース・ジャレット

しかしさいわいなことに、私は現在のキース・ジャレットには全然興味がない。今、ジャズ・ファンの間では、キース・ジャレットという人は、どういう位置付けなのだろう。もちろん「名ピアニスト」であり、ジャズの「巨匠」ではあるのだろうけど…。
そう言えば2011年にポール・モチアンが亡くなったときのこと、私がたまたま目にした訃報の略歴は、モチアンがビル・エヴァンス・トリオのドラマーを務めたことには触れていたが、キース・ジャレットのグループにいたことは省かれていた。キースとの付き合いの方が長かったのにね。
してみると客観的にみてもキースの評価は下降気味なのではなかろうか。べつにコンサート事件が足を引っ張っているわけでもないのだろうが。

私は70年代からキース・ジャレットを聴き始め、ソロやアメリカン・カルテット、ヨーロピアン・カルテットのアルバムを聴いてきた。しかし、1983年のスタンダーズから全然興味が無くなってしまった。
これまでのキースのキャリアの中で、一般的にはむしろ、このスタンダーズの評価と人気が圧倒的に高いようだ。これは、ゲイリー・ピーコックと、ジャック・ディジョネットと共に、スタンダード曲を演奏するというコンセプトのトリオだ。
私もその評判を聞きつけて、来日コンサートに行ってみたことがある。しかし、高度に洗練されてはいるけれども、全然スリルや面白みのない演奏だった。アルバムで聴いてもそう思う。
だいたいこのトリオは、それぞれピークを過ぎたミュージシャンの再利用として、マンフレート・アイヒャー(ECM)が仕掛けた苦肉の策なのではないか、というのが当時も、そして今も変わらない私の考えだ。ちょうどかつての人気歌手が、オリジナル曲ではなくて、他人の曲のカヴァーを集めたアルバムを出すのに似ている。

ただしスタンダーズ結成に先立つ1977年、このメンバーが初顔合わせしたゲイリー・ピーコックのソロ・アルバム『テイルズ・オブ・アナザー(Tales of Another)』は、とてもよいアルバムだ。魅力的なソロがあり、スリリングなインタープレイもあって、ちゃんとしたジャズをやっている。この路線で進んでいってくれればよかったのにね。

キース・ジャレットは1996年に慢性疲労症候群を発症し、98年まで闘病生活を送っている。その後、回復して復帰したわけだが、復帰後の作品の一般的評価は、以前ほどではないようだ。私も復帰作でベストセラーとなった『メロディ・アット・ナイト・ウィズ・ユー(The Melody at Night with You)』を買ってみたが、この人らしいひらめきのない平板でつまらないアルバムだった。以来、私はこの人の新作を聴く気になれないでいる。

■キース・ジャレットの時代とソロ・ピアノ

かつてキース・ジャレットが一世を風靡していた時代があった。1970年代の中盤から後半にかけてのことだ。私の手元にあるスイングジャーナル誌の臨時増刊「ジャズ・レコード百科’79」の表紙は、キース・ジャレットの顔だった。70年代のジャズを象徴する存在として扱われていたわけだ。
あの頃のジャズ界におけるキースの勢いと存在感は、現在では想像もつかないほどだった。ジャズ評論家たちは口をそろえて彼の作品を絶賛したし、ジャズ・ファンの間での人気も絶大だった。1978年にはジャズのピアニストとしては異例の日本武道館での単独公演を行い、ピアノ・ソロのコンサートで12000人を動員した。

その勢いのすごさは、たとえば彼のソロ・アルバムの組枚数ひとつを見てもわかる。最初のソロ・アルバム『フェイシング・ユー』(1971)は当然(?LPレコード1枚のシングル・アルバムだった。ところがその2年後の『ソロ・コンサート」(1973)が、いきなりのLP3枚組。その2年後の『ケルン・コンサート』(1975)がLP2枚組。さらにその翌年の『サン・ベア・コンサート』(1976)は、何と怒涛のLP10枚組ときた。
よっぽどの自信がなければこんな出し方はできない。しかも、これらのアルバムは、たしかに大いに売れたのだ。『ケルン・コンサート』は、ジャズ・アルバムとしては大ヒットを記録し、巨大ボックス『サン・ベア・コンサート』もけっこう売れたらしい。

私にとっては、ソロ2作目の『ソロ・コンサート(Solo Concerts:Bremen and Lausanne)』のLP3枚組というヴォリュームと美麗なボックスが衝撃的で、つい手を出してしまった。
前代未聞の10枚組『サン・ベア・コンサート(Sun Bear Concerts )』も欲しかったのだが、さすがにこれには手が届かなかった。ちなみにこれを買えなかったことがトラウマとなり、その30年後、CD6枚組となっていた『サン・ベア…』のボックスを中古店で見つけた私は、思わず買ってしまったのだった。

キースがもてはやされていた70年代は、ちょうど私の青年期にぴったりと重なっている。ロック少年ではあったが、少しばかり背伸びしてジャズもかじっていた私にとって、キース・ジャレットは光り輝く存在だった。前述のように、なけなしの金で『ソロ・コンサート』 3枚組ボックスを買って聴いたりもした。
しかし、今振り返ってみると、そんな時代の風潮に、私も少しばかり乗せられていたような気もしている。夢中になっていた自分が今は何だが少し恥ずかしい。

今では彼のソロ・アルバムを面と向かって聴く気には、なかなかなれない。せっかく買った『サン・ベア・コンサート』も、手に入れただけで満足して、しまい込んだままだ。
あの耽美的で、ナルシスティックな音の世界に入っていくのが何となくおっくうなのだ。かといってぼんやり耳を傾けると、どれも同じに聴こえてしまう。
かつて脚本家の山田太一が『サン・ベア・コンサート』を聴いて次のように述べていたのを思い出す。「即興がきり拓く音楽の領域は、それほど広いものではない」、むしろ「綿密に構築し、書き直しを重ねた譜面」の演奏にこそ、即興とは「別の自由感」があるというのだ(雑誌『カイエ』1979年1月号)。なるほど、即興演奏は完全に自由とはいえ、その世界が無限に広がっていくわけではない。一歩引いて俯瞰してみれば、そのテクスチャーがどれも似たように見えてしまうのも、やむを得ないということだ。

というわけでキースのソロ・ピアノのアルバムは、もうたまにBGMとして聴くだけだ。コンサートで観客にも集中を要求する彼が知ったら、きっと怒るだろうな()
ソロ・ピアノでは、何といっても第1作目の『フェイシング・ユー(Facing You)』(1971)がよい。1曲1曲がコンパクトで、瑞々しく、しかもジャズ心に溢れているからだ。

■キース・ジャレットのマラソン・セッション

そんな私が今キース・ジャレットのアルバムを一通り聴き返している。やはりキースの絶頂期は70年代ということになる。それも時代を初期に遡ればさかのぼるほど面白い、というのが私の感想だ。
70年代のキースの代表作は、ソロなら『ケルン・コンサート(The Köln Concert )』(1975,)、グループならアメリカン・カルテットによる『生と死の幻想(Death and the Flower)』 (1974)と、『残氓(The Survivor's Suite)』(1976)、ヨーロピアン・カルテットによる『マイ・ソング(My Song )』(1977)ということになっている。
しかし、これらはどれも大仰過ぎる感じだ(『マイ・ソング』はとりあえず別)。肩肘張っていて重厚で長大。

それよりも今聴きなおして私が面白いと感じるのは、もっと初期の作品だ。
インパルスでの初期2枚『Fort Yawuh 』(1973)、『宝島(Treasure Island)』 (1974)や、その前のコロンビアでの唯一の作品『エクスペクテイションズ(Expectations 』(1972)も良い。軽快で伸び伸びしている
しかしその前のアトランティックでの最後のマラソン・セッションから生まれた3枚がさらに面白い。その3枚とは、『流星(The Mourning of a Star)』、『誕生(Birth)』、『エル・ジュイシオ(El Juicio)』(いずれも1971)だ。

キース・ジャレットのマラソン・セッションはあまり有名ではない。マラソン・セッションと言えば、何といてもマイルス・デイヴィスだ。1956年、当時コロンビアに移籍したかったマイルスは、それまで所属していたプレステッジとの残りの契約を果たすため、2日間でアルバム4枚分の録音をしたのだった。

キースの場合は、19717月の891516日の4日間にわたってセッションを行っている。この録音からは、今のところ3枚のアルバムが作られている。
どうしてセッションがマラソンになったのかは調べてないのでわからない。マイルス同様、それまで所属していたアトランティックとの契約を、消化して縁を切るためだったのかもしれない。

789日は、ピアノ・トリオによるセッションで、メンバーは、デヴュー・アルバム以来のチャーリー・ヘイデン(ベース)とポール・モチアン(ドラムス)。この両日の録音が『流星』に収録されている。
1516日は、上のトリオにデューイ・レッドマン(サックス)が加わったカルテットによるセッション。キースとレッドマンは、このときが初顔合わせだった。このメンバーがそのまま後のアメリカン・カルテットになるわけだが、そのきっかけとなったのがこのセッションだったことになる。このときの録音が『誕生』に収録されている。
この4日間のセッションのうちアルバム未収録だった曲を収めたのが少し後になって発売された『エル・ジュイシオ』だ。ただし、まだ未収録曲は残っているらしい。

これらのアルバムは、普通のキース・ファンからはあきらかに嫌われている。その気持ちはよくわかる。その後のアルバムのような洗練された感じがないからだ。グダグダとわけのわからないことをやっている。そのためこれらのアルバムはずいぶん邪険に扱われてきた。長く再発されなかったし、今は二束三文で投げ売り状態だ。
ここには、叙情的な曲もあるが、8ビートのフォーク・ロック調の曲や、フリー・ジャズっぽい曲、さらに前衛的で奇怪な演奏もある。これ以後のアルバムでもフリーの要素はずっと続いていくわけだが、じょじょにもっと整理され洗練されていく。
ところがまだこの時点では、いろいろな要素が雑然と同居しているだけだ。この状態を「ごった煮」と評している人がいたが、私としてはもっと強く「混沌」とでも呼びたい。生々しくどろどろとした表現欲求が、方向が定まらないまま噴出しているように見える。そして、まさにそこが私にとっては何とも言えない魅力なのだ。

キース・ジャレットは、そもそもビル・エヴァンスとオーネット・コールマンになりたかったのだ。だからビル・エヴァンス・トリオにいたポール・モチアンと、オーネット・コールマンのカルテットにいたチャーリー・ヘイデンをパートナーに選んで、トリオを組んだのだろう。
その後、71年のマラソン・セッションの際に招集し、その後アメリカン・カルテットのメンバーとなるサックスのデューイ・レッドマンもまたヘイデンと同様、オーネット・コールマンのカルテットにいた人だ。
またこのセッションでは、オーネットに捧げた「ピース・フォー・オーネット」という曲(2ヴァージョンある)も演奏されていて、これは『エル・ジュイシオ』に収録されている。

ポール・モチアンとチャーリー・ヘイデンを呼んで作られたキースの初リーダー作『人生の二つの扉(Life Between the Exit Signs)』(1967)には、まさにビル・エヴァンスを思わせるリリシズムと、オーネットを思わせるフリーな演奏が唐突に併置されている。結局そうした2面性がその後の彼の70年代のアルバムのすべてに通底していくことになる。

マラソン・セッションの面白さは、そうしたキースのいくつもの音楽的な方向性が、洗いざらい吐き出されているところにある。彼の頭の中の混沌が、混沌のままさらけ出されている。リリカルで洗練されたピアノ・トリオ演奏もあれば、フォーク・ロックぽい曲や、ゴスペル調の土臭い演奏もあり、さらにオーネット風の完全フリーの曲、またヴォーカルも聴こえる異様な現代音楽風の演奏もある。
興味があること、試してみたいと思っていたことに、果敢にチャレンジして、すべてやってみましたという感じだ。実験精神が横溢している。もちろん、そのすべてが成功しているわけではない。しかしその自由な感じが魅力的なのだ。
その代わり、このセッションから生まれた3枚のアルバムは、どれもアルバムとして統一感が無いし、バランスも悪い。はっきり言ってどれもいまひとつの出来だ。でもそれはしょうがない。

ところで、こうしたキースのチャレンジの遠い背景には、マイルス・グループでの体験があったのかもしれない。
前年の1970年の6月、キース・ジャレットは~マイルス・デイヴィスに請われて、マイルス・グループに参加する。
当初はチック・コリアがピアノを担当していたので、キースはオルガンを弾いていた。その後まもなくチックが抜けたため、キースがエレクトリック・ピアノを担当することになる。マイルスのアルバム『ライヴ・イヴル(Live=Evil)』などでは、キースのアグレッシヴなプレイを聴くことができる。
キースがマイルスのグループを去るのは、1971年の末だから、71年夏のマラソン・セッションの時点では、まだマイルス・グループのメンバーでもあったことになる。マラソン・セッションにおけるキースの実験的な試みの背景には、彼のマイルス・グループ体験、および独自の道を突き進むマイルスという巨人からの影響があったことは当然考えられることだ。
それにしても、マイルスは、キースのどこを見込んで、自分のバンドに招いたのだろうか。

キース・ジャレットの音楽は、その後、さまざまな可能性が刈り込まれ、きれいに整理され、どんどん洗練されていく。叙情性と前衛性は、一つの演奏の中で有機的に融合されることになる。そのついでに、彼の曲はどんどん重厚化し長大化してもいく。
今聴くとキースの生なましく、また得体の知れない人間的な魅力は、圧倒的に彼の初期の作品にあると思うのだ。



2015年8月31日月曜日

だし汁茶漬けの世界


■だし汁茶漬けが美味しい

とくにお茶漬けが好きというわけではない。
でもどういうわけか、ときどき無性に食べたくなる時がある。あなたもそうじゃないですか。
それで、スーパーでたまに永谷園のお茶漬けが安売りされているのを見かけると、つい買い込んでしまうのだ。でも、それがなかなか減らない。そんなにひんぱんに食べたくなるわけでもないからだ。

やっぱり美味しいのはインスタントのお茶漬けだ。本式のお茶漬けを作ってみたこともある。ご飯に梅干しとか塩鮭をほぐしたのをのせて、その上から熱いお茶をかけた。けれども、さっぱり美味しいと思わない。全体としての味が薄くて物足りない感じ。
ただし、お店で食べるお茶漬は美味しい。ひつまぶしの最後のお茶漬けとか、天ぷら屋さんで食べた天ぷら茶漬けとか、飲み会のしめに出てくるお茶漬けなんかだ。あんなお茶漬けなら自分で作って食べたいなあと思っていた。

思い立ってちょっと調べてみたら、そういう外で食べていたお茶漬けは、ジャンル的には「だし汁茶漬け」というらしい。お茶漬けとは呼んでいるけれど、お茶ではなく、だし汁をご飯にかけたものなのだ。そういうことか。
さっそく自分でいろいろ試してみたら、ちゃんと美味しいお茶漬けができたのだった。ネットで紹介されているレシピでは、たいていしょう油が加えられているけれども、私は入れない。だしと塩のみのシンプルなもの。これが、永谷園よりも美味しい。シンプルな方が、薬味やトッピングの美味しさが引き立ち、奥深い味の世界が広がるのだ。

□お茶漬けのだし汁のレシピ
2杯分)
〔材料〕
  ・水 150cc
  ・本だし 小さじ1/2
  ・塩 ひとつまみ(2グラム)
〔作り方〕
水に本だしと塩を加えて、煮立たせれば出来上がり。

このだし汁を、大きめの茶わんに盛ったご飯にかければよい。

■お茶漬けの薬味とトッピング

ここで楽しいのが、これに添える薬味やトッピングの工夫。
あまりおおげさな具はいらない。ちょっとしたものでよい、というかかえってその方がよいのだ。たとえば、私の好きなのは次のようなもの。

□だし汁茶漬けが美味しくなる薬味&トッピング10種
・山葵…チューブが手軽。溶けやすくてgood
・生姜…これもチューブでOK
・胡麻…見た目的には白胡麻か
・刻みネギ…ほんのちょっとで十分刺激的
・鰹ぶし…安い粉っぽいものの方がかえってよい
・梅干し…これはやっぱり高いものが美味しい
・海苔…揉んで散らす。どうせ溶けるので刻む必要なし
・天かす…油分でコクがでる。イカ風味の「天華」がオススメ
・塩昆布…深いうま味が広がる
・干し海老…安いオキアミでもご馳走になる

この他に、まだ試していないが、いずれ食べてみたいと思っているのが、次のようなもの。いかにも美味しそうでしょ。
・三つ葉
・しらす
・じゃこ
・とろろ昆布
・焼きたらこ

■不味い(または不味そうな)お茶漬け

試してみたけれど美味しくなかったものもある。
北大路魯山人が「意想外に美味いもの」と書いていることで有名なのが納豆のお茶漬け。大先生はそうおっしゃるが、これはやっぱり美味しくなかった。納豆はそのまま食べるにかぎる。

また贅沢なお茶漬けと言えば、お刺身の茶漬け。鯛とかまぐろとか。これも美味しくなさそう。
その他、漬物、佃煮、塩から、明太子などもあんまり私の食欲をそそらない。こういうものは、せっかくの本来の美味しさが、だし汁やお茶で、洗い流されてしまうのがいやなのだ。やっぱり温かいご飯にのせてそのまま食べたい。

それからよく紹介されているのが焼きおにぎりのお茶漬け。お店でもときどき見かける。
これも試しに作ってみた。
焼きおにぎりは、すごく手間がかかる。握ったご飯を、フライパンやオーブントースターでひっくり返しながら焼く。最後にしょう油をつけてちょっと焦がす。これをお茶碗に置いて、だし汁をかけて出来上がり。見た目はとても気が利いていて、ちょっと豪華な感じもある。これをほぐしながら食べるわけだ(せっかくまとめたのにね)。 
食べてみると、たしかに香ばしさはあるが、それほどの味でもない。とてもかかった手間には見合わない。やっぱり、焼きおにぎりは、アツアツをそのまま食べるにかぎると思った。
そしてお茶漬は、シンプルにかぎる。


2015年8月29日土曜日

バインミーが食べたくて (レシピ付)


■バインミーが食べたい

この夏、ベトナムのホーチミンを訪れた。
ホーチミンは活気にあふれていて、しかもどこまでものんびりとしている。ちょうど昔の日本を思わせるところがあって、何だか懐かしい気持ちになった。
美味しいものもいろいろ食べた。中でも、本場のバインミーを食べることができたのはうれしかった。

バインミーとは、ベトナム名物のサンドイッチのこと。長さ20センチほどのベトナム風のフランスパンに切り込みを入れ、肉や野菜をたっぷりとはさんだものだ。路上の屋台や食堂やカフェなど、それこそ街中どこでも売られている。ちゃんとした料理というより、いわゆるファストフード、B級グルメであり、ベトナムの人たちが昔から日常的に食べているソウルフードとも言えるものだ。

もともとサンドイッチ好きで、フランスパン好きの私としては、前々からこれが気になっていたのだ。
旅行の間に、二つのお店の計7種類のバインミーを食べることができた。そしてそのどれもがじつに美味しかった。
日本に帰ってきてから、あのバインミーをまた食べたいと思った。何とか、自分で作れないものか。いろいろ調べてみたら、私と同じ思いを持っている人がたくさんいることがわかった。そういう人たちの記事と、自分が実際に食べた経験をもとに、自分なりに作ってみた。けっこう美味しいものができた。
(レシピにだけ興味のある方は、スキップして文末をご覧ください)

■バインミーについて

「バインミー」とは、本来ベトナム語でパンのこと。正確には「バインミー・ティット」(ティットは「肉」の意味)のように、うしろに具を示す言葉がつくという。
バインミーが普通のサンドイッチと大きく違っている点は、まずパンの食感が軽くてサクサクとしていること。そして具材の量が多くて、しかも多種多様な食材が取り合わされていることだ。
中でも特徴的なのは、日本でいう紅白なます(大根と人参のなます)が入っていることと、パクチーなどの香草や、ヌックマム(ベトナムの魚醤)などの調味料によって独特のエスニック風味が醸し出されていることだ。これらによってファストフードとは思われない複雑で奥深い味わいが生み出される。一度食べて病みつきになる人が多いらしいが、その気持ちはよくわかる。

■バインミーの基本形とヴァリエーション

バインミーのレシピにはかなり自由度があって、お店によってかなりまちまち、よく言えば個性的だ。一応、基本形は次のようになる。
ベトナム風のフランスパンの横に切り込みを入れ、バターとパテ(レバーペースト)を塗る。これに、メインの具材(ハムや肉など)と、紅白なますと、生野菜(キュウリ、たまねぎ、レタス等)と、そして香草(パクチーなど)をはさむ。仕上げにヌックマム等の調味料を振って出来上がり。
お店では、作り置きしてある場合もあるが、たいていは注文するとそのつど、目の前でチャッチャッチャッと作ってくれる。

メインの具材の定番は、ハム、卵焼き、サバ缶詰などらしいが、さらにさまざまなヴァリエーションがあって、たとえば ソーセージ、ミートボール、ローストしたポークやビーフやチキン、肉のフレーク、スモークサーモン、イワシ、白身魚、さらには豆腐やもつ煮込みまで、じつにさまざま。なお、レバーペーストに加えてチーズをはさむ店もあるらしい。まさに何でもありといった感じだ。
そしてそれぞれの具材により、取り合わせる野菜や調味料も変わるとのこと。

■バインミーの美味しさ

ベトナムでバインミーを食べた人が、バインミーはどこで食べても外れがなかった と書いていた。なるほどそうだろうと思う。不味いバインミーなんて存在しないのだ(たぶん)。
なぜかというと、バインミーの味は、いろいろな美味しさを組み合わせて成り立っているからだ。

人間の味覚は、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の五つといわれる。バインミーには、みごとにこの五つの味が全部含まれている。たとえば甘味と酸味はなます、塩味はヌックマム、苦味はパクチー、うま味は肉やパテといった具合だ。また唐辛子やチリソースによって辛味が加わる場合もある。
そしてまたこうしたさまざまな味や食感が絶妙のバランスで取り合わされている。たとえばバターやパテやハムの脂っこくて濃厚なコクに対して、なますのさっぱりとした甘酸っぱさや、生野菜のみずみずしさが、ちょうどよい対比になっている。
また、食感的にも、パテやハムのねっとり感に対して、なますのパリパリ感や生野菜のシャキシャキ感がうまくバランスをとっている。
 もうこれだけで美味しいに決まっているのだが、さらにこれに、香草とヌックマムがアクセントに加わって、奥深い味わいを作り出しているのだ。
これなら、どこで食べても美味しいはず。外れがないのも当たり前のような気がしてくるでしょ。

■フランスパンの違い

ガイドブックの紹介文やいろいろなレシピには、バインミーに使われるパンのことをただ「フランスパン」と書いてある。しかし、バインミーのパンは、日本で私たちが食べているフランスパンとはかなり違うものだ。美味しいとか美味しくないとかの問題ではなくて、まったくの別種のパンとしか思われない。

バインミーのパンには米粉が入っているという。そのせいなのか、このパンは空気を多く含んでいて、サクサクと軽い食感が特徴だ。日本のフランスパンは、もっと密度が濃く、もっちりとしている。
バインミーのパンは、密度がスカスカなので、切れ目を入れて開いて、かなりたっぷり具をはさんでも、ちゃんと閉じることができる。具の厚みをパンの生地が吸収してしまうのだ。バインミーの断面を見ると、まるでパンの中心を繰り抜いて詰め込んだように、具がきれいに真ん中に収まっている。
日本のフランスパンは、少し具が多いと、閉じたときにバクハツしてしまう。つまり、上と下のつながっている部分が破れてしまうのだ。ちなみにウィキペディアのクックブックのレシピでは、具を収めるために、パンの中身を少し削り取れと書いてある。

この軽くてサクサクのベトナム風フランスパンが手に入らない以上、日本で本場のバインミーを再現するのは残念ながら無理というものだ。

■自分流のレシピを考える

何でもありとは言え、それでもバインミーであるための最低限の要素とはいったい何だろう。私見では、それはパンと、パテと、なますだ。
パンについては上に書いたとおり。「バインミーの味はパテで決まる」とも言われているらしいが、このこってりしたパテとなますの酸味が、バインミーの美味しさの骨格を形作っているものと思われる。あとは、これにいろいろな具材を足して、香草と調味料で味をしているわけだ。

上にも書いたようにベトナムのフランスパンが手に入らない以上、完全な再現はできないわけだが、なんとか基本を押さえつつ自分なりのバインミーを作ってみようといろいろ試してみた。

・パンについて…パンは、パン屋さんの本格的なフランスパンでは、皮が厚くて硬いし、中身も密度が高過ぎてとてもバインミーには向かないと思う。
そこで思いついたのが、スーパーで売っているフランスパンだ。うちの近所のスーパーでは、ヤマザキと神戸屋とトップバリューのものがあった。いずれも、本格的なフランスパンよりソフトで密度が粗くて軽い。その分ベトナムのフランスパンに近いとも言えるわけだ。ただし、サクサクとした食感はないのだが。
なお作る前にアルミはくで包んでオーブントースターで温める(10分くらい)と、パンがやわらかくなって、具をはさみやすくなる。実際に本場でも、具をはさむ前にパンを火であぶったりすることがあるらしい。

・塗るものについて…マーガリンとレバーペーストを使った。
レバーペーストは、近所のスーパーで売っていた「ジェンセン デラックスレバーパテ」。ちょっと高いけれど、何しろ「バインミーの味はパテで決まる」と言われているわけだし…。パンに塗る時もかなりたっぷりと塗った。

・はさむもの①メインの具材について…ハムやフランクフルトを使ってみた。フランクフルトはそのままではなく、削ぎ切りにした。
いずれも高級品ではなくて、お手頃品(?)。メインの具材についてはあまりこだわるつもりはない。バインミーの美味しさのキモは、パテとなますだから、あとはそれなりで良いと考えたのだ。
まだ試していないが、魚肉ソーセージなんかでも美味しそうだ。

・はさむもの②なますについて…なますは普通に紅白なますを作った。ただし、はさんだ後、仕上げにヌックナムなどのしょっぱい調味料をかけるわけだから、なますそのものの塩味はごく控えめ。ちなみに甘酢の成分は、酢2に対して砂糖1で、塩0。
このなますをかなり大量にはさんだ。

・はさむもの③生野菜と香草について…なますを多めにしたので、生野菜と香草は少なめ。
ただし、パクチーはぜひ使いたいところだが、残念ながら手軽には入手できない。そこで、間に合わせとして思いついたのが、スパイスとして売っている粉末のコリアンダー(パクチー)を振りかけること。
そして香草がない分、生野菜は香草の代わりにもなりそうな、細ネギ、タマネギ、カイワレなど、香りの強いものを選んだ。細ネギとタマネギは、実際に本場のバインミーにも使われている。
これらの野菜をはさんだ上に、スパイスのコリアンダーを振りかけるわけだ。生のパクチーにはかなわないが、ほんの少しベトナムに近づいた気分にはなれる。

・調味料について…バインミーに使われる調味料は二つに大別されるようだ。ヌックマムなど塩味をつける基本の調味料と、スパイシーな唐辛子系の調味料だ。
ネットのレシピを見ていると、じつにいろいろなものが使われている。基本の調味料のどれかとひとつとスパイシーな調味料のどれかひとつの計2種を仕上げにかけるわけだ。
基本の調味料としては、ヌックマム、ナンプラー(タイの魚醤)、シーズニングソース(タイの大豆系の醤油)、マヨネーズなど。スパイシーな調味料としては、チリソース、スイートチリソース(タイの甘いチリソース)、シラチャ—ソース(タイのチリソース)などがある。
ヌックマム以外は、マヨネーズを除いてみんなタイの調味料なんだけど、ベトナムのバインミーでも使われているのだろうか?ただし、マヨネーズは私が現地で食べたバインミーに使われていたような気がする。
それで結局私は、基本の調味料として、ナンプラーとシーズニングソースを、スパイシー系として、スイートチリソースとシラチャーソースを交互に組み合わせて使っている。どれもそれなりに美味しい。シーズニングソースとシラチャーソースは、近所で売っていなかったので、今回通販で購入した。

こうして出来上がったバインミーを両手で持ち、かぶりとかぶりつく。何とも言えない快感だ。具がはみ出さないように両手でしっかり持ち、ぱくぱくモグモグ食べていると、いつのまにか何もかも忘れて夢中になっている。バインミーには、そんな魔法のような魅力がある。

■私流バインミーのレシピ(まとめ)

以上をレシピの形にまとめてみる。

〔材料〕
・フランスパン(スーパーで売っているもの)
・バターまたはマーガリン
・パテ(レバーペーストなど)
・メインの具材(ハム、フランクフルト、魚肉ソーセージなど)
・紅白なます(他のレシピを見て作っておく。塩味は控えめ)
・生野菜(細ネギ、タマネギ、カイワレなど)
・香草(あればパクチー、なければコリアンダー・パウダーで 代用)
・基本の調味料(ヌックマム、ナンプラー、シーズニングソース、マヨネーズなど)
・スパイシーな調味料(チリソース、スイートチリソース、シラチャ—ソースなど)

〔作り方〕
紅白なますを作っておく。塩味は控えめに。
パンの横に切り込みを入れ、アルミはくで包んでオーブントースターで温める(10分くらい)
パンが温まったら、開いてバター(またはマーガリン)と、パテを塗る。
そこにメインの具材(ハムなど)、紅白なます、生野菜、香草(またはコリアンダー・パウダー)をのせる。
その上から基本の調味料(ナンプラーなど)とスパイシー調味料(シラチャーソースなど)をかけ、パンを閉じて出来上がり。



2015年2月15日日曜日

ジョニ・ミッチェルの二つの箱


前回、ジェームス・テイラーとジョニ・ミッチェルについて書いた。その折ネットを見ていたら、ジョニ・ミッチェルのボックス・セットがふたつも出ていることを知った。どちらもなかなかすごいシロモノだ。
ひとつは「Joni Mitchell the Studio Albums 1968-1979」というCD10枚組。もうひとつが「Joni Mitchell / Love Has Many Faces: A Quartet, A Ballet, Waiting To Be Danced」というCD4枚組の箱だ。

Joni Mitchell the Studio Albums 1968-1979」は、68年のデビュー・アルバム『ジョニ・ミッチェル』から、79年の『ミンガス』まで、ワーナー時代のスタジオ・アルバム全10作を収めた何とも壮大なボックスだ。2012年に発売されたようだ。驚いたのはその値段で、何とアマゾン価格で4312円。1枚当たり400円とちょっと。これじゃあ、ほとんどタダみたいなものではないか。
私は74年の『コート・アンド・スパーク』以降のアルバムは全部持っているけれど、初期のアルバムについては71年の『ブルー』しか手元にない。持っていないのは4枚。4枚のためにこのボックスを買うべきか?紙ジャケだし。

アマゾンのこのボックスのページからたどっていくと、こういう類のボックスが他のアーティストについてもいろいろ出ていることがわかった。タイトルは「Original Album Classics」とか、「Original Album Series」とか、「The Studio Albums」となっていて、それぞれのアーティストのオリジナル・アルバムをひと箱にまとめたものだ。特徴は、とにかく廉価なこと。しかも一応、紙ジャケ仕様。そのかわり、紙ジャケの造りは簡素(粗悪?)で、ブックレットやパンフの類はいっさいなし。
どうやらこういう形の売り方が昨今の流れらしい。CDの売り上げがどうしようもなく落ち込んできたので、旧譜を二束三文でたたき売ってしまおうという魂胆らしい。そう思うと何だか悲しい気持ちになってしまった。そしたら、ジョニの10枚組に対する気持ちもすっかり冷めてしまったのだった。

もう一つの方のボックス「Joni Mitchell / Love Has Many Faces: A Quartet, A Ballet, Waiting To Be Danced」は、アンソロジーだ。発売されたのは昨年(2014年)の11月。今のところ国内発売の話はないようだ。
何度も書いてきたように、私はもう箱は買わない、と心に誓ったのだが、このボックスにはちょっとドキドキしてしまった。『レコード・コレクターズ』誌のアルバム評で激賞されていたからだ(20152月号「リイシュー・アルバム・ガイド/海外盤」)。
内容は「ジョニ自身が2年の歳月をかけて選曲し、構成を手掛け、絵画を寄せた」ものとのこと。詳しいことは各自で検索してください。とても興味深い。
「アルバム・ガイド」の評者の宮子和眞は、このボックスを「才能の閃きに圧倒されるのと同時に心の奥が癒されて優しい気持ちになる」といきなりほめちぎっている。さらに「新曲や未発表曲はひとつもない編集盤なのに4枚のCDがすべてニュー・アルバムのように聞こえる」というのだ。そして最後には「極上の一作」という決めの一言が添えられている。
そそられるなあ。癒されたいなあ。しかしちょっと高いなあ。アマゾン価格で5017円。何と上の10枚組よりこっちの方が高いではないの。でも、最近のディランのバカ高い値段設定よりは、よっぽどリーズナブルなのだがなあ。
と、悩んでいる今日この頃。さて、私はこの箱を買うのでしょうか。


2015年2月13日金曜日

変わらないジェームス、変わり続けるジョニ


ジェームス・テイラーとジョニ・ミッチェルは、かつて恋人同士だった。1970年前後。二人のそれぞれのキャリアのごく初期の頃のことだ。
二人の関係は、その頃に作られたいくつかのアルバムに刻まれている。たとえば1971年のジェームス・テイラーのサード・アルバム『マッド・スライド・スリム』では、「強きものは愛」、「きみの友だち」、「遠い昔」の3曲で、ジョニ・ミッチェルによるバック・コーラスが聴ける。中でも、「遠い昔」のジョニの歌声は、可憐で情感にあふれていて、とてもとても印象的だ。
また同じく1971年のジョニ・ミッチェルの4枚目のアルバム『ブルー』では、「オール・アイ・ウォント」など3曲にジェームス・テイラーがギターで参加している。コード・カッティング中心のジョニに対し、ジェームスのギターは、絶妙なピッキングでサウンドに奥行とふくらみを与えている。とりわけ「オール・アイ・ウォント」での、ジョニのヴォーカル&ギターとの軽妙な絡みは何とも素適だ。
二人はこうして互いのアルバムに客演したほか、ジョイントでツアーも行っている。その様子を伝える貴重な記録が、『The Circle Game 』というライヴ・アルバムだ。名義は「Joni Mitchell & James Taylor」となっている。このアルバムは、ジャケットも音の編集もかなり雑な造りなので、私はずっとブートレグだと思っていたのだが、最近アマゾンで入手可能なことを知った。ということはオフィシャル盤なのか?
中身は197010月、ロンドンのロイヤル・アルバートホールでのコンサートから収録したもの。二人のみの演奏によるアコースティック・ライヴで、各々のソロ&デュオの計11曲が収録されている。初々しい二人のいかにも仲睦ましい様子が伝わってくる。

ところで、私も隠居生活に入ってまもなく4年。思い切って仕事を辞めて、本当に良かったと思っている。いやなことから解放されて、楽しい毎日だ。もちろん、ビンボーと引き換えなんだけどね。しかしそんな私でも、ときどき癒されたい気分になることがある。人生って、やっかいなもんだな。

そんなときに聴きたくなるのが、ジェ-ムス・テイラーだ。ジェームス・テイラーの『マッド・スライド・スリム』。世評の高いセカンド・アルバムの『スイート・ベイビー・ジェームス』ではなくて、私は断然このサード・アルバムが好きだ。
高校生の時にこのアルバムを手に入れて、すっかり夢中になり、毎日毎日、繰り返し聴いたものだ。あの頃もこのアルバムを聴いては癒されていたことを思い出す。

ハード・ロックばかり聴いていたロック少年が、何でいきなりこんな穏やかな音楽に引き込まれてしまったのか。それはジェームス・テイラーの歌声に漂う「陰り」のせいだ。そして孤独で内省的で呟くような歌い方にも。それはこの人独特のものだった。
孤独感という点では、当時のニール・ヤングにも共通するものがあった。しかし、ニールの孤独の表現が、より直接的だったのに対し、ジェームス・テイラーのそれはもっとソフィスティケートされていた。そしてそのぶんだけ、ジェームスの孤独とあきらめは、底深いもののように感じられたのだ。
彼とキャロル・キングの登場で、いきなり「シンガー・ソングライター」というジャンルが確立した。しかし、ジェームス・テイラーのような陰りを抱えた「シンガ―・ソングライター」は彼の前にも、そして後ろにもいなかった。彼の音楽は、まさにワン・アンド・オンリーのものだったのだ。

後で知ったことだったが、彼の陰りのある歌は、個人的な絶望の果てに辿りついたものだったのだという。しかし、彼のそんな個人的な歌の世界が、まさに時代とシンクロしたのだ。1960年代から70年代へという時代の変わりめの気分を、幸か不幸か彼の歌が見事に代弁してしまったのだった。一躍彼は時代の寵児になる。

しかし私のジェームス・テイラーは、『マッド・スライド・スリム』で終わってしまった。どういうわけか次のアルバムが出ても買わなかった。
先年、ある友人にこう言われた。「『マッド・スライド・スリム』がそんなに好きだったんなら、悪いことは言わないから、ワーナー時代の6枚は絶対持っておいた方がいいよ。つまり『スイート・ベイビー・ジェームス』から『イン・ザ・ポケット』までね」
で、私はこの友人のアドヴァイスに素直に従った。紙ジャケの再発盤で、6枚をそろえたのだ。

ジェームス・テイラーの歌の世界は、どこまで行っても不変だ。不変のまま繰り返されている。プロデューサーが変わろうが、バックのミュージシャンが変わろうが、私にはどのアルバムもほとんど同じにしか聴こえない。結婚して家庭を持って明るくなったとも言われるが、私にはそうは聴こえない。
そして悲しいことに時代の方は変わっていったのだ。一時(いっとき)、時代を代弁していた彼の歌は、たちまち時代に置き去られて孤立することになる。繰り返される彼の歌の世界は、私にも色あせて見えた。さらに、孤立しているだけならいいのだが、私には彼の音楽が何となくAORの流れに飲み込まれてしまったようにも見えた。

これに引き換え、その後のジョニ・ミッチェルの歩みは目を見張るばかりだ。ジェームスと別れた彼女は、フォーク・シンガーから脱して70年代の後半に、次のような7枚のアルバムを作った。

『コート・アンド・スパーク』(1974
『マイルズ・オブ・アイルズ』(1974
『夏草の誘い』(1975
『逃避行』(1976
『ドンファンのじゃじゃ馬娘』(1977
『ミンガス』(1979
『シャドウズ・アンド・ライト』(1980

どれも良いアルバムだ。ソング・ライティングだけでなく、サウンド・プロダクションにもジョニの神経が細かく行き届いている。そして何より1枚ごとに果敢に変わっていこうとするジョニの凛々しい姿勢が素晴らしい。ジャズやワールド・ミュージックも取り入れるなど実験的であるが、同時にしっとりとしていて、ちゃんとポップでもある。『ドンファンのじゃじゃ馬娘』や『ミンガス』にいたっては、ほとんどプログレッシヴと言ってもいいくらいだ。だから当然売れなかったらしいが。
ここには時代に左右されない自分独自の世界を作り出そうとする強い意志がある。「自立」はしばしば孤独と裏腹だ。ジョニの音楽の姿勢には、そんな孤独を乗り越えた人が持つであろうタフネスを感じてしまう。

これらのアルバムの中で私がとくに好きなのは、『夏草の誘い』、『逃避行』、『シャドウズ・アンド・ライト』の3枚だ。これと初期の『ブルー』は、今もときどき聴いている。
『シャドウズ・アンド・ライト』は、ライヴだが、ウェザー・リポートやパット・メセニーグループの面々がなかなか良い演奏を聴かせている。この時期のウェザー・リポートは、初期のアヴァンな方向性から一転、「哲学」なき漂流を続けていた。だがここでは、ジョニの「哲学」の手足になることで、見事によみがえったものと思われる。

変わらないジェームスと変わり続けるジョニ。時代と見事に交錯した『マッド・スライド・スリム』でのジェームスの輝き。そして、変わり続けることで時代を大きく超越したジョニの孤高の精神。どちらもロックだ。そして、どちらも愛おしい。


2015年1月31日土曜日

本場のブルースとイギリスのブルース、そしてクリームのこと


今年も友人のI君から年賀状が届いた。彼は古くからの友だちで、学生時代の私のロック仲間だ。
彼の年賀状には、音楽生活に関する近況が添えてある。今年の年賀状によると、昨年の彼は古いロックからどんどんさかのぼってブルースを聴くようになり、ブルースの3大キングを経て、ついにはロバート・ジョンソンに行きついたとのことだった。

これを読んで私も久々にブルースが聴きたくなった。そこでCD棚の奥から手持ちのブルースのCDを引っ張り出してきたのだった。しかし久しぶりに聴くブルースの音は、何だか今ひとつ耳にしっくりこない。粗野なヴォーカルと、ペケペケと鳴るギターの音色が何ともなじめない感じ。
ロックの源流とはいえ、ブルースはロックそのものとは明らかに大きな隔たりがある。そう感じる人は少なくないだろう。

私も含めてロック・ファンの少なくない数の人たちは、ブルース・コンプレックスを抱いているのではないだろうか。あこがれのロック・ヒーローたちがリスペクトしてやまないブルースという音楽。興味をひかれて実際にブルースを聴いてみると、どこがいいのかよくわからない。そこで、自分にはブルースの良さがわからないというコンプレックスを抱くようになるわけだ。

それでもこの正月は、ひととおり自分の手元にあるブルースのアルバムを順繰りに聴いてみた。耳が慣れてくると、それなりに面白くなってくる。自分の好みに合うものと、合わないものがわかってくる。
I君がたどり着いたロバート・ジョンソンの良さは、じつは私にはわからない。クラプトンやキース・リチャードもこの人を敬愛していることはよく知られているが、私には縁がないようだ。
私がいいなと感じるのは、巨匠では、エルモア・ジェイムスや、ジョン・リー・フッカーや、ハウリン・ウルフたち。たしかにロックの根っこはここにつながっているような感じだ。もうちょっと新しい世代では、オーティス・ラッシュと、そして何といってもフレディ・キングがいい。このへんはもうほとんど、ロックと地続きと言ってもいい。

そんなわけでブルースを聴いていたら、イギリスのバンドがカヴァーしている曲がいくつも出てくる。フレディ・キングの「ハイダウェイ」とか、ハウリン・ウルフの「スプーンフル」、「シッティン・オン・トップ・オブ・ザ・ワールド」、「キリング・フロア」(ツェッペリンの「レモン・ソング」)などだ。

それでついでにイギリスのブルース・バンドのCDも引っ張り出して聴いてみた。フリートウッド・マックとか、チキン・シャックとか、サヴォイ・ブラウンとかだ。この三つは、ブリティッシュ・ブルースの3大バンドと言われているらしい。それと、ジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズ。
これらのバンドのやっていることは、やっぱり本家米国のブルースとはかなり感触が違う。カヴァー曲をオリジナルと聴き比べるとその違いは明らかだ。本家のブルースが持っている乾いた感じがない。ブリティッシュ・ブルースは、もっとセンチメンタルで、ウエットだ。そしてまさにそこが魅力なのだ。
ブルース・ギタリストで、ブルースに関するライターとしても知られる小出斉は、ブリティッシュ・ブルースから聴き始めて、しだいに本場のブルースにはまっていったと、どこかに書いていた。しかし、同じようにブリティッシュ・ブルースを聴いていても、結局私のように本場米国のブルースには行かなかった(行けなかった)人も多いはず。ブリティッシュ・ブルースは本場のブルースとは異質であり、ブリティッシュ・ブルースなりの独自の魅力を持っている。ロック・ファンの多くは、まさにそちらの方に強くひかれていたからだ。

ブルース・ブレイカーズつながりで、ついでにクリームのアルバムも聴きたくなった。あらためて聴いてみると、やはりクリームはいい。すごいバンドだったことを、今更ながら痛感した。
ブルースのカヴァーをよくやっているとは思っていた。思ってはいたけれども、あらためてカヴァー曲を原曲と聴き比べてみると、その違いに驚く。
それまでのブリティッシュ・ブルース・バンドは、原曲をなぞるように演奏していた。クラプトンが参加していたブルース・ブレイカーズの「ハイダウェイ」(フレディ・キング)なんかもそうだった(ギターのソロ・パートは別だが)。
ところが、クリームの場合は、カヴァーといっても、ほとんど彼らのオリジナルと言ってもよいくらいに改変されている。「スプーンフル」、「シッティン・オン・トップ・オブ・ザ・ワールド」、そして「クロスロード」など、どれも斬新な解釈と、クールでダークなセンスが光っている。これはまさにロックだ。ブリティッシュ・ブルースと、ブルース・ロックの境界はこのあたりにあるんじゃないかと思う。

クリームの「カヴァー」曲の中でも素晴らしいのはクラプトンの「クロスロード」だ。
クラプトンのオールタイム・ベスト・ワンと言えば、私は断然この曲だ。「ホワイト・ルーム」や、「サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ」や、「レイラ」や、「アイ・ショット・ザ・シェリフ」や、「ティアーズ・イン・ヘヴン」もある(以下省略)。けれども、やはり最高なのはこの曲に尽きる。
でも、この曲のオリジナルであるロバート・ジョンソンの「クロス・ローズ・プルース」(2テイクある)は、クラプトン版とは全然違っている。これを聴いても、うっかりするとクラプトンの原曲とは気付かないくらいだ。そこには、クラプトンの「クロスロード」で特徴的なあのリフもない。
「クロスロード」と言えば、本場のブルースを聴いているときに、いくつか気がついたことがある。
ジョン・リー・フッカーに、「ダスティー・ロード」という曲がある。ヴォーカルのフレーズが「クロスロード」にちょっと似ていて、歌詞も少し共通している。全体にせわしなく、たたみかけるような曲調で、クラプトンの「クロスロード」のアレンジには、もしかするとこの曲からの影響が少しばかり反映されているのでは…と思った。
それからハウリン・ウルフの「ダウン・イン・ザ・ボトム」のリフが、クラプトンの「クロスロード」のリフと似ている。正確に言うと、クラプトンのリフの前(まえ)半分を繰り返しているような感じなのだ。
クラプトンは、ウルフ・バンドのギタリストであるヒューバート・サムリンの影響を受けている。当然この曲もよく知っていたわけで、「クロスロード」のリフのアイデアは、こんなところから得た可能性もわりと高いんじゃないか思われる。
でももちろん「クロスロード」が最高なのは、リフだけでなく、そのギター・ソロの素晴らしさによるんだけれど。

オシャレ系音楽から始まった(前回の記事参照)今年の新年は、いきなりブルースに飛んで、結局クリームに落ち着いたわけだ。はたして今年の私の音楽生活は、どんな展開になることやら。


2015年1月22日木曜日

私の好きな「オシャレ」音楽


私はロック・ファンとしては「硬派」だ。「硬派」のロック・ファンとは、どういうことかと言うと、ロックの中でもとりわけプログレッシヴで、アヴァンギャルドで、アグレッシヴなものを好むのだ。ひとことで言えばシリアスなロックが好き。ポップなものも嫌いではないが、イギリス的なねじれたセンスのポップが好きだ。そういうわけでロックでも、安直でお気楽(きらく)で能天気なのはノー・グッド。
しかし、そんな「硬派」な私でも、ときおり「オシャレ」で気の利いた音楽が聴きたくなることもある。そういうときに私が聴くのが、シャーデーと、スティーリー・ダンと、ホール&オーツだ。それぞれCDを数枚ずつ持っている。
じつは、この寒かった年末年始(2014年から15年にかけての)に、もっぱら聴いていたのが、この三つのグループだった。そこで、今回は私の好きな「オシャレ」音楽についてのお話。

ところでこの3組の共通点を強いて挙げるとするなら、いずれも音作りに関して完璧主義ということになるだろうか。そしてジャジーだったり、ソウルっぽかったりするが、とにかく高度に洗練されていること。オシャレだけれども、けっしてお気楽ではない。
この完璧主義がピークに達しているのが、シャーデーなら『ラヴ・デラックス(Love Deluxe)』(1992)、スティーリー・ダンなら『彩(エイジャAja)』(1977)、ホール&オーツなら『プライベート・アイズ(Private Eyes)』(1981)あたりということになる。これらは、いずれも名盤であると同時に、それぞれの代表作ということになっている。

でも私の好きなのは、じつはそういうアルバムではなくて(一応持ってはいるのだけど)そこに至る少し手前の時期のアルバムなのだ。完璧になる前の、まだちょっとユルさのある音がいい。
シャーデーは、1984年に『ダイアモンド・ライフ(Diamond Life)』でデヴュー。いきなり独自のジャジーで洗練されたサウンドを確立した。その後『プロミス(Promise)』(1985)、『ストロンガー・ザン・プライド(Stronger Than Pride)』(1988)と、さらに洗練の度を高めていく。そして4年間のブランクをおいて発表した『ラヴ・デラックス(Love Deluxe)』(1992)は、まさにダイアモンドの結晶のようなアルバムだった。確信に満ちたサウンドが、美しく屹立していた。
面白いのは、アルバム・ジャケットの雰囲気も、こうしたサウンドの進化を何となく反映していること。どのアルバムもヴォーカルのシャーデー・アデュの美しいポートレイトなのだが、ファーストの『ダイアモンド・ライフ』のジャケットでは、まだどこか媚を売るようなメイクだった。それが、アルバムを重ねるごとに、どんどん自立&自律した女性へと存在感を増していく。
そして『ラヴ・デラックス』では、黒く硬質なひと固まりのオブジェと化したヌードで登場している。さらにその後に出たベスト・アルバム『Best Of Sade』(1994)では、ジャケットいっぱいにクローズアップされたアデュの顔が、悠然とまっすぐこちらを見つめているのだった。
私はフェミニストのつもりだし、自立した女性は好きだが音的には、完璧な『ラヴ・デラックス』よりも、もう少し穏やかな音を好む。アルバムでいうと、セカンドの『プロミス』あたり。スモーキーなアデュのヴォーカルが漂わす、はかなげな風情が何ともたまらない。

スティーリー・ダンの二人(フェイゲン&ベッカー)も完璧主義だ。職人的、もしくは病的といってもいいくらいに。そのこだわりが頂点を極めたのが、1977年の『彩(エイジャ)』ということになる。
当時、愛読していた『ミュージック・マガジン』誌上でも、このアルバムは大きな話題になった。超一流のスタジオ・ミュージシャンをぜいたくに起用した演奏の完璧さと、細部までこだわり抜いた精緻な音作りが絶賛されていた。以後、『彩(エイジャ)』はロック史に輝く名盤という定評を得ることになる。私にとっても発売と同時に購入して繰り返し聴いた思い出深いアルバムだ。
しかし、今はほとんど聴かない。なるほど演奏もサウンドも完璧かもしれない。だが、肝心の曲そのものに魅力がないのだ。スティーリー・ダンの曲と言えば、「ドゥ・イット・アゲイン(Do It Again)」(73)とか「リキの電話番号(Rikki Don't Lose That Number)」(74)が印象深い。けれども、『彩(エイジャ)』には、これに匹敵するような名曲が一曲も入っていないのだった。

というわけで私的には1974年のサード・アルバム『プレッツェル・ロジック(当時は副題が「さわやか革命」)』あたりが好きだ。のちにドゥービー・ブラザースに入るジェフ・バクスターがまだバンド・メンバーだった頃の作品だ。この人の豪快でおおらかなギター・プレイが、このアルバムにほんの少しだけ泥臭くてのどかな雰囲気を付け加えていた。そこがよいのだ。

ダリル・ホール&ジョン・オーツは、言うまでもなく80年代のオシャレ音楽界を席巻したグループである。そんな彼らのサウンドのピークを記録したのが、3枚のセルフ・プロデュース作、すなわち『モダン・ヴォイス(Voice)』(1980)、『プライベート・アイズ(Private Eyes)』(81)、そして『H2OH2O)』(82)ということになる。いずれも完璧なサウンドによる怒涛の勢いのヒット曲が並んでいる。ほとんど「産業ロック」とも呼べそうなのだが、その手前で何とか踏みとどまっている感じだ。それはこの人たちが完全な商業ベースではなくて、その根っこにかろうじてロック・スピリットを持っていたからではないかとも思う(とくにダリル・ホールの方。彼はクリムゾンのロバート・フリップとも共演している)。

しかし、やっぱり私が好きなのは、ちょっとくつろいだ感じのある彼らの初期のアルバムだ。中でもセカンド・アルバム『アバンダンド・ランチョネット(Abandoned Luncheonette)』(1973)がいい。ジャケットは、郊外の打ち捨てられたレストラン(つまりこれがアバンダンド・ランチョネット)。タイトル・ソングは、過去を回想しながら人生の機微を歌ったものらしい。しかし、ジャケットに写る都市の郊外のひなびた情景に、私はのどかな空気感を感じてしまう。そして、このアルバム全体の音にもまた、こののどかさを感じてしまうのだ。そこが気にいっている。

私の「オシャレ」音楽について、はこれでおしまい。
ここからはおまけ。今回の記事を書くにあたってネットを見ていたら、面白い話を見つけたので紹介しよう。
ひとつは「シャーデーの白いドレスの行方」(ブログ『STRONGER THAN PARADISE 踊るシャーデー鑑賞記』) 。アデュがライヴで着ていた白いドレスが、何とシニード・オコナーに受け継がれたという話。しかも、シニードは、例の事件の時、まさにこのドレスを着ていたというのだ。
そしてもう一つ、「ダリル・ホール&ジョン・オーツ Abandoned Luncheonetteの逸話」(ブログ『Entertainment Everyday ONE』)。これは、アルバム『アバンダンド・ランチョネット』に写っている件の廃屋となった実在のレストランをめぐる話だ。ホール&オーツのファンがここに立ち寄っては、記念に破片をもぎ取っていき、ついには消滅してしまったという。
どちらも興味深くてぐいぐい読ませる。文章もうまい。ネットの音楽についての記事と言えば、表面的な感想に終始したつまらないものが大半だが、その中で珍しく良質な読み物に出会えてうれしくなった。

えっ、おまえのこの記事も「表面的な感想に終始」してるだろうっ…て。その通りでした、すみません。