2015年2月15日日曜日

ジョニ・ミッチェルの二つの箱


前回、ジェームス・テイラーとジョニ・ミッチェルについて書いた。その折ネットを見ていたら、ジョニ・ミッチェルのボックス・セットがふたつも出ていることを知った。どちらもなかなかすごいシロモノだ。
ひとつは「Joni Mitchell the Studio Albums 1968-1979」というCD10枚組。もうひとつが「Joni Mitchell / Love Has Many Faces: A Quartet, A Ballet, Waiting To Be Danced」というCD4枚組の箱だ。

Joni Mitchell the Studio Albums 1968-1979」は、68年のデビュー・アルバム『ジョニ・ミッチェル』から、79年の『ミンガス』まで、ワーナー時代のスタジオ・アルバム全10作を収めた何とも壮大なボックスだ。2012年に発売されたようだ。驚いたのはその値段で、何とアマゾン価格で4312円。1枚当たり400円とちょっと。これじゃあ、ほとんどタダみたいなものではないか。
私は74年の『コート・アンド・スパーク』以降のアルバムは全部持っているけれど、初期のアルバムについては71年の『ブルー』しか手元にない。持っていないのは4枚。4枚のためにこのボックスを買うべきか?紙ジャケだし。

アマゾンのこのボックスのページからたどっていくと、こういう類のボックスが他のアーティストについてもいろいろ出ていることがわかった。タイトルは「Original Album Classics」とか、「Original Album Series」とか、「The Studio Albums」となっていて、それぞれのアーティストのオリジナル・アルバムをひと箱にまとめたものだ。特徴は、とにかく廉価なこと。しかも一応、紙ジャケ仕様。そのかわり、紙ジャケの造りは簡素(粗悪?)で、ブックレットやパンフの類はいっさいなし。
どうやらこういう形の売り方が昨今の流れらしい。CDの売り上げがどうしようもなく落ち込んできたので、旧譜を二束三文でたたき売ってしまおうという魂胆らしい。そう思うと何だか悲しい気持ちになってしまった。そしたら、ジョニの10枚組に対する気持ちもすっかり冷めてしまったのだった。

もう一つの方のボックス「Joni Mitchell / Love Has Many Faces: A Quartet, A Ballet, Waiting To Be Danced」は、アンソロジーだ。発売されたのは昨年(2014年)の11月。今のところ国内発売の話はないようだ。
何度も書いてきたように、私はもう箱は買わない、と心に誓ったのだが、このボックスにはちょっとドキドキしてしまった。『レコード・コレクターズ』誌のアルバム評で激賞されていたからだ(20152月号「リイシュー・アルバム・ガイド/海外盤」)。
内容は「ジョニ自身が2年の歳月をかけて選曲し、構成を手掛け、絵画を寄せた」ものとのこと。詳しいことは各自で検索してください。とても興味深い。
「アルバム・ガイド」の評者の宮子和眞は、このボックスを「才能の閃きに圧倒されるのと同時に心の奥が癒されて優しい気持ちになる」といきなりほめちぎっている。さらに「新曲や未発表曲はひとつもない編集盤なのに4枚のCDがすべてニュー・アルバムのように聞こえる」というのだ。そして最後には「極上の一作」という決めの一言が添えられている。
そそられるなあ。癒されたいなあ。しかしちょっと高いなあ。アマゾン価格で5017円。何と上の10枚組よりこっちの方が高いではないの。でも、最近のディランのバカ高い値段設定よりは、よっぽどリーズナブルなのだがなあ。
と、悩んでいる今日この頃。さて、私はこの箱を買うのでしょうか。


2015年2月13日金曜日

変わらないジェームス、変わり続けるジョニ


ジェームス・テイラーとジョニ・ミッチェルは、かつて恋人同士だった。1970年前後。二人のそれぞれのキャリアのごく初期の頃のことだ。
二人の関係は、その頃に作られたいくつかのアルバムに刻まれている。たとえば1971年のジェームス・テイラーのサード・アルバム『マッド・スライド・スリム』では、「強きものは愛」、「きみの友だち」、「遠い昔」の3曲で、ジョニ・ミッチェルによるバック・コーラスが聴ける。中でも、「遠い昔」のジョニの歌声は、可憐で情感にあふれていて、とてもとても印象的だ。
また同じく1971年のジョニ・ミッチェルの4枚目のアルバム『ブルー』では、「オール・アイ・ウォント」など3曲にジェームス・テイラーがギターで参加している。コード・カッティング中心のジョニに対し、ジェームスのギターは、絶妙なピッキングでサウンドに奥行とふくらみを与えている。とりわけ「オール・アイ・ウォント」での、ジョニのヴォーカル&ギターとの軽妙な絡みは何とも素適だ。
二人はこうして互いのアルバムに客演したほか、ジョイントでツアーも行っている。その様子を伝える貴重な記録が、『The Circle Game 』というライヴ・アルバムだ。名義は「Joni Mitchell & James Taylor」となっている。このアルバムは、ジャケットも音の編集もかなり雑な造りなので、私はずっとブートレグだと思っていたのだが、最近アマゾンで入手可能なことを知った。ということはオフィシャル盤なのか?
中身は197010月、ロンドンのロイヤル・アルバートホールでのコンサートから収録したもの。二人のみの演奏によるアコースティック・ライヴで、各々のソロ&デュオの計11曲が収録されている。初々しい二人のいかにも仲睦ましい様子が伝わってくる。

ところで、私も隠居生活に入ってまもなく4年。思い切って仕事を辞めて、本当に良かったと思っている。いやなことから解放されて、楽しい毎日だ。もちろん、ビンボーと引き換えなんだけどね。しかしそんな私でも、ときどき癒されたい気分になることがある。人生って、やっかいなもんだな。

そんなときに聴きたくなるのが、ジェ-ムス・テイラーだ。ジェームス・テイラーの『マッド・スライド・スリム』。世評の高いセカンド・アルバムの『スイート・ベイビー・ジェームス』ではなくて、私は断然このサード・アルバムが好きだ。
高校生の時にこのアルバムを手に入れて、すっかり夢中になり、毎日毎日、繰り返し聴いたものだ。あの頃もこのアルバムを聴いては癒されていたことを思い出す。

ハード・ロックばかり聴いていたロック少年が、何でいきなりこんな穏やかな音楽に引き込まれてしまったのか。それはジェームス・テイラーの歌声に漂う「陰り」のせいだ。そして孤独で内省的で呟くような歌い方にも。それはこの人独特のものだった。
孤独感という点では、当時のニール・ヤングにも共通するものがあった。しかし、ニールの孤独の表現が、より直接的だったのに対し、ジェームス・テイラーのそれはもっとソフィスティケートされていた。そしてそのぶんだけ、ジェームスの孤独とあきらめは、底深いもののように感じられたのだ。
彼とキャロル・キングの登場で、いきなり「シンガー・ソングライター」というジャンルが確立した。しかし、ジェームス・テイラーのような陰りを抱えた「シンガ―・ソングライター」は彼の前にも、そして後ろにもいなかった。彼の音楽は、まさにワン・アンド・オンリーのものだったのだ。

後で知ったことだったが、彼の陰りのある歌は、個人的な絶望の果てに辿りついたものだったのだという。しかし、彼のそんな個人的な歌の世界が、まさに時代とシンクロしたのだ。1960年代から70年代へという時代の変わりめの気分を、幸か不幸か彼の歌が見事に代弁してしまったのだった。一躍彼は時代の寵児になる。

しかし私のジェームス・テイラーは、『マッド・スライド・スリム』で終わってしまった。どういうわけか次のアルバムが出ても買わなかった。
先年、ある友人にこう言われた。「『マッド・スライド・スリム』がそんなに好きだったんなら、悪いことは言わないから、ワーナー時代の6枚は絶対持っておいた方がいいよ。つまり『スイート・ベイビー・ジェームス』から『イン・ザ・ポケット』までね」
で、私はこの友人のアドヴァイスに素直に従った。紙ジャケの再発盤で、6枚をそろえたのだ。

ジェームス・テイラーの歌の世界は、どこまで行っても不変だ。不変のまま繰り返されている。プロデューサーが変わろうが、バックのミュージシャンが変わろうが、私にはどのアルバムもほとんど同じにしか聴こえない。結婚して家庭を持って明るくなったとも言われるが、私にはそうは聴こえない。
そして悲しいことに時代の方は変わっていったのだ。一時(いっとき)、時代を代弁していた彼の歌は、たちまち時代に置き去られて孤立することになる。繰り返される彼の歌の世界は、私にも色あせて見えた。さらに、孤立しているだけならいいのだが、私には彼の音楽が何となくAORの流れに飲み込まれてしまったようにも見えた。

これに引き換え、その後のジョニ・ミッチェルの歩みは目を見張るばかりだ。ジェームスと別れた彼女は、フォーク・シンガーから脱して70年代の後半に、次のような7枚のアルバムを作った。

『コート・アンド・スパーク』(1974
『マイルズ・オブ・アイルズ』(1974
『夏草の誘い』(1975
『逃避行』(1976
『ドンファンのじゃじゃ馬娘』(1977
『ミンガス』(1979
『シャドウズ・アンド・ライト』(1980

どれも良いアルバムだ。ソング・ライティングだけでなく、サウンド・プロダクションにもジョニの神経が細かく行き届いている。そして何より1枚ごとに果敢に変わっていこうとするジョニの凛々しい姿勢が素晴らしい。ジャズやワールド・ミュージックも取り入れるなど実験的であるが、同時にしっとりとしていて、ちゃんとポップでもある。『ドンファンのじゃじゃ馬娘』や『ミンガス』にいたっては、ほとんどプログレッシヴと言ってもいいくらいだ。だから当然売れなかったらしいが。
ここには時代に左右されない自分独自の世界を作り出そうとする強い意志がある。「自立」はしばしば孤独と裏腹だ。ジョニの音楽の姿勢には、そんな孤独を乗り越えた人が持つであろうタフネスを感じてしまう。

これらのアルバムの中で私がとくに好きなのは、『夏草の誘い』、『逃避行』、『シャドウズ・アンド・ライト』の3枚だ。これと初期の『ブルー』は、今もときどき聴いている。
『シャドウズ・アンド・ライト』は、ライヴだが、ウェザー・リポートやパット・メセニーグループの面々がなかなか良い演奏を聴かせている。この時期のウェザー・リポートは、初期のアヴァンな方向性から一転、「哲学」なき漂流を続けていた。だがここでは、ジョニの「哲学」の手足になることで、見事によみがえったものと思われる。

変わらないジェームスと変わり続けるジョニ。時代と見事に交錯した『マッド・スライド・スリム』でのジェームスの輝き。そして、変わり続けることで時代を大きく超越したジョニの孤高の精神。どちらもロックだ。そして、どちらも愛おしい。