2014年3月31日月曜日

安全地帯 「じれったい」とアルバム『月に濡れたふたり』


 
玉置浩二の新しいアルバムが出るのにちなんで、この間(20143月)ラジオで、安全地帯と玉置浩二の曲のリクエスト特集をやっていた。何となく耳を傾けていただけだったのだが、次々にかかる昔の曲を聴いているうちに、何だかすっかり懐かしい気分になってしまった。

バンドとしての安全地帯に、特別の思い入れがあるわけではない。彼らが活躍した80年代には、まだ「Jポップ」という便利な言葉はなかった。そうなると、安全地帯はロックというよりは、どちらかといえば歌謡曲に近い所にいる人たちに見えた。自分たちの主張や表現のために音楽をやっている感じもなかった。
そういうこともあって愛着はないのだが、ただ彼らの曲の中には、いくつか好きな曲があった。たとえば「ワインレッドの心」とか「熱視線」、そして何といっても「じれったい」だ。

「じれったい」は特別に好きな曲だ。この曲のどこがそんなにいいのか。歌詞をあらためてながめてみる。何がじれったいのだろう。要するに、恋の駆け引きで、男が女にじらされ、思い通りにならなくてじれったいらしい。みんなそんな内容の歌として聴いているのだろうな。
しかし、私には全然そんなふうには聴こえないのだ。玉置浩二のどうしようもなく熱っぽくて、いても立ってもいられないようなせつない歌い方が、チャラい歌の内容をはるかに越えて、もっともっと深い人間の心の奥底へと私を連れて行く。

これはもっと究極の「じれったさ」を歌った歌だ。この曲には、官能や性愛のその先にある、せつない純愛が歌われている。
純愛は性愛の手前にあると思われがちだ。しかし、ここでは体がひとつになって満たされたのに、それでも心はひとつになれないもどかしさ。心がひとつになれなくて、なお、相手を求め続けずにはいられないせつなさが歌われている、ように感じてしまう。いわば究極のじれったさであり、それはまた人間の究極の孤独のあり様と言ってもよい。

作詞は松井五郎。松井は作詞家だが、ウィキペディアによるとこの曲を書いた1980年代後半は、6人目の安全地帯メンバーとも言われ、安全地帯専属作詞家的な状態だったとのことだ。
だからこの曲も、当然玉置浩二が歌うことを前提にして書かれている。つまり、いっけんチャラい内容ではあるけれども、玉置の歌唱がそれをふくらませていけるような含みを、あちこちにしかけているように見える。

たとえばリフレイン部分のフレーズ。

じれったい こころをとかして
じれったい からだをとかして
もっと もっと 知りたい

ここには官能が満たされたその先で、相手の存在を求め続けるせつない響きがある。
「もっと 知りたい」という言い回しが絶妙だ。もっともっとあなたのことを知って、あなたとひとつになりたいのに、という思いが伝わってくる。

性愛は満たされればそのつど終わる。しかし、相手を求め続ける気持ちはいつまでも終わらない。それが次のような一節だ。

終わらない ふたりのつづきを
終わらない 夜までつづけて
ずっと夢を見せて

そして、この後に先ほどのリフレインの「とかして」が「燃やして」とかわって、熱っぽく激しさを増し、この歌は終わるのだった。

(じれったい) こころを燃やして
(じれったい) からだを燃やして
もっと もっと 知りたい

サウンド的には、ブラスやバック・コーラスがうまく官能性をあおっている。

繰り返すが、この歌は、官能と、その先にある純愛のせつなさと孤独の歌に聴こえる。それは、ひとえに玉置浩二のヴォーカルの力による。この人のヴォーカルは、うまいとよく言われるけれど、むしろ個性が強力なのだと思う。この人のような、むせかえるような官能を感じさせるヴォーカリストは、日本ではあんまり見かけない。
官能性ということで言えば、曲調は全然違うけれど、黒人のソウル系の人たちが放射しているセクシーなアピールを連想させる。その意味で、玉置のヴォーカルはソウルフルとも言えるだろう。

私の見るところ安全地帯には、この「じれったい」に至る曲の系譜がある。「ワインレッドの心」(83年)から始まって、「熱視線」(85年)、「プルシアンブルーの肖像」(86年)、「好きさ」(86年)ときて、「じれったい」(87年)に至るわけだ。
ついでに言うと、この後に、玉置のソロ曲だが「キ・ツ・イ」が続いている。いずれも官能とその先のもどかしくてせつない純愛が歌われていると思う。

当時「じれったい」があまりにも良かったので、アルバムも聴いてみた。歌謡曲の人たちのアルバムというのは、たいてい水増ししたものだ。私も彼らのアルバムに対してはそういうイメージを持っていたから、それまで手を出さなかったのだ。

「じれったい」の収録されているアルバムは『安全地帯Ⅵ 月に濡れたふたり』(1988年)。聴いてみると、これがなかなか良かった。
これに味をしめて、この前後のアルバムもひと通り聴いてみた。しかし、結局、この『安全地帯Ⅵ 月に濡れたふたり』だけがダントツに良かったのだった。あとはアルバムとしては今ひとつだが、『安全地帯Ⅷ 太陽』(1991年)に、よい曲が少しあった。私の手元に残したのは、この2枚だけだ。

『Ⅵ 月に濡れた…』の前作で、安全地帯絶頂期の3枚組大作『安全地帯Ⅴ』(1986年)も、また『月に濡れた…』のあと、活動休止を挟んで作られた『安全地帯Ⅶ 夢の都』(1990年)も、私には全然面白くなかった。で、みんな処分してしまった。
それにしても、安全地帯はアマチュア時代に、レッド・ツェッペリンや、オールマン・ブラザーズ・バンドや、ドゥービー・ブラザーズなどの曲をもっぱら演奏していたという。しかし、そういう痕跡がきれいになくなっていて、一番影響を感じさせるのは井上陽水だ。井上陽水、恐るべしというべきか。

ともかく『月に濡れたふたり』は、安全地帯の最高傑作だと思う。ただし日本のポップスのアルバムがすべてそうであるように、すみからすみまで良いというわけではない。いい曲も多いが、そうでない曲もある。

まず「I Love Youからはじめよう」から「悲しきコヨーテ」と続くオープニング2曲が素敵だ。
「悲しきコヨーテ」は、バービーボーイズの杏子との官能ヴォイス・デュオや、打ち込みビートにシュールなストリングスを絡めたYMO的(あるいはビートルズ的)展開など、魅力がいっぱい。
その後、感情過多でつまらない「Juliet」をはさんで、いよいよ「じれったい」が来る。アルバム収録のリミックス・ヴァージョンには、打ち込みビートとコーラスがループして、イコライジングされたシャウトがかぶさる間奏部分があるのだが、これはまあ余計だ。

この後、坂本九に捧げた「星空におちた涙」と児童合唱団をフィーチャーした「夢のポケット」が続くのだが、これはかなりつまらない。官能のヴォーカリスト玉置には全然「らしくない」曲で、いかにもとってつけた感じ。
その他シニカルなジャズ・ビート曲「No Problem」と、タイトなブラスが魅力的な「Shade Mind」も好きな曲だ。
最後の「月に濡れたふたり」と「Too Late Too Late」は。まあふつう。

もう一枚の『太陽』は、アルバムとしては今ひとつだが、良い曲が何曲かある。
良い曲というのは、「1991年からの警告」、「太陽」、「俺はどこか狂っているのかもしれない」、「SEK'K'EN=GO」の4曲だ。
1991年からの警告」は核戦争の始まりを描いたせつなく悲しい曲。アルバムのタイトル曲「太陽」は、アラビックな旋律を取り入れた意欲作で、やっぱりせつない。「俺はどこか狂っているのかもしれない」と「SEK'K'EN=GO」は、ビートが効いたシニカル・ソングの2連発。この4曲を聴きたくてこのアルバムを手元に残したのだった。

他に「エネルギー」は、官能の先の純愛という点で「じれったい」につながる曲なのだが、いかんせん曲のクオリティーが低い。あとの曲はどれも魅力なし。

どうでもいいことだけど玉置浩二という人は、御承知のように性懲りもなく結婚と離婚を繰り返している。もしかすると、「じれったい」に歌われているような性愛の先の純愛を、この人はまさに実際に追い求め続けている人なのかもしれないな。


2014年3月21日金曜日

ローリング・ストーンズ 『ラヴ・ユー・ライヴ(LOVE YOU LIVE)』


■ストーンズの来日

先日、ローリング・ストーンズの来日公演があった(2014年、2月末から3月の初め)。私もいっぱしのストーンズ・ファンのつもりではあるが、彼らの来日には全然興味がなかった。
その前の来日のときもそうだったが、今回も彼らの来日の話題が、一般のニュースやバラエティ番組でもさかんに取り上げられていた。ストーンズの存在も、ずいぶん大衆化したものだ。
しかし、どの番組も取り上げるポイントはだいたい同じ。メンバーが高齢なこと(ミックは70歳)と、そのわりに元気だったこと(広いステージの上を走り回っていたとか)のふたつだ。音楽については一言もなし。彼らの音楽そのものが大衆化した、というわけでは全然ないのだ。

私がまったく興味を感じない理由は、今のストーンズが、昔のストーンズとはまったく別物だからだ。21世紀になってからのストーンズのライヴは、サポート・メンバーを大量動員し、セットも巨大化して、バンドの演奏というより一大プロジェクトと化している。私はこれを「ストーンズのユーミン化」と呼んでいる(笑)。音は完璧だが、昔のような「熱さ」やスリルはもう望むべくもない
高いお金を出してそれを見に行くよりは、家で彼らの昔のアルバムを聴いている方がよっぽど楽しい。


■祝初紙ジャケ化

話は変わって、私にとって昨年の大きな収穫のひとつが、ストーンズの『ラヴ・ユー・ライヴ』の紙ジャケ盤だった。年末にひっそりと(?)発売されたので、もう少しで見逃すところだった。
このアルバムは、たぶんこれが初めての紙ジャケ化なのではないだろうか。ストーンズ・レーベルの主要なアルバムは、何回も繰り返し紙ジャケ化されているのに、どういうわけかこのアルバムだけは、そこからもれていたのだった。
だから今回の発売は、私にとっては「やっと」という感じ。すでにこのアルバムは手元に2枚あるのだけれど、また買ってしまった。
そこで今回は、あらためてこのアルバムについて、感想や、聴いていて気がついたことなどを書いてみることにする。


■私にとっての『ラヴ・ユー・ライヴ』

ネットでこのアルバムについてのレヴューを見ていたら、このアルバムがストーンズの最高傑作と書いている人がいた。人の感じ方はそれぞれだから、どう思おうと勝手だけれど、いくら何でもこれは言い過ぎでしょう。他にもっと良いアルバムはある。
しかし、このアルバムが、ストーンズのライヴ・アルバムの中での最高傑作というのならわかる。たしかにずっと長い間この言い方は正しかったと思う。

だが近年になってちょっと微妙なことになっている。というのも、配信のみではあるがオフィシャル・ブートレグ・シリーズが出たし、また72年ツアーの映像で、長いことお蔵入りしていた『レディース&ジェントルメン』も、正式に発売されたからだ。
つまり多くの人がストーンズのピークと考えているミック・テイラー在籍時の723年のライヴ音源が、陽の目を見つつあるのだ。残念ながらプレスCD化されていないけれど。もし、これらがCD化されれば、『ラヴ・ユー・ライヴ』は、ライヴの最高作の座から降りなければならなくなるだろう。

だがそういう近年の事情は別にしても、ライヴの最高傑作と言われるわりに、『ラヴ・ユー・ライヴ』がずっと冷遇されてきたのはたしかだ。リマスターも他のアルバムより遅かったし、紙ジャケ化もされないままだった。結局、世間的には、大して評価されていないということなのだろう。

私は『スティッキー・フィンガーズ』(71年)と『イグザイル・オン・メイン・ストリート』(72年)ですっかりストーンズにノック・アウトされたクチだ。ところが、その後がいけなかった。続く『山羊の頭のスープ』(73年)と『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』(74年)という凡作の2連発で、心底がっかり。以後のストーンズには、興味がなくなってしまった。
そんな私を、再び呼び戻してくれたのが、この『ラヴ・ユー・ライヴ』(77年)だったのだ。そのきっかけとなったのが、愛読していた『ニュー・ミュージック・マガジン』誌に掲載された中村とうようの紹介記事だ。タイトルは忘れもしない「ローリング・ストーンズは前人未到の境地を行く」(!)。『ラヴ・ユー・ライヴ』の紹介記事で、彼らの音楽が「味わい深い」境地に達したとして、このアルバムを絶賛していた。
中村とうようの文章は、ときどき大げさ過ぎるところがある。「ほんとかいな」と半信半疑で聴いてみたら、本当によかったのだ。ずいぶん繰り返し聴いたものだ。ついでに、スルーしていた前作の『ブラック・アンド・ブルー』も手に入れたりした。

『ラヴ・ユー・ライヴ』は私の個人的なストーンズ・アルバム・ランキングで、堂々第4位にランクインしている。ちなみに、この上には『ベガーズ・バンケット』と『スティッキー・フィンガーズ』と『イグザイル・オン・メイン・ストリート』が並んでいる。

ストーンズの黄金期は、1968年のシングル「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」とアルバム『ベガーズ・バンケット』から始まる10年間だ。私にとって『ラヴ・ユー・ライヴ』は、この10年間の最後の輝きを伝えるものと言える。と同時に、この10年の間に突き詰めた米南部志向から、また別の方向へ向おうとする彼らの転換の記録でもある。


1970年代中盤のストーンズ

『ラヴ・ユー・ライヴ』に収録されている音源は、1976年のヨーロッパ・ツアーのうち65日から7日にかけて行われたパリ公演のものが中心だ。これに一部、同ツアーの他の場所での公演や、前年の75年のアメリカ・ツアーからの音源、さらに翌77年に、トロントのエル・モカンボ・クラブで追加収録された音源が加えられている。

この時期、ストーンズは、音楽性の上で何度目かの大きな曲がり角にいた。
角を曲がることになった大きな原因は、何といってもミック・テイラーの脱退だ。72年から73年にかけてのツアーで、ストーンズはライヴのピークを極める。それにはミック・テイラーの貢献が大きい。
そのテイラーが、74年の末に突然バンドを脱退してしまう。制作中だったアルバム『ブラック・アンド・ブルー』のセッションは、そのまま後任のギタリストのオーディションも兼ねることになる。メディアが、これを称して「グレート・ギタリスト・ハント」と呼んだのは有名な話だ。
その結果、周知のとおりロン・ウッドが選ばれたわけだ。ロン・ウッドは、75年の北米ツアーから参加、76年の2月にストーンズの正式メンバーになっている。

ロン・ウッドの参加は、私にとって半分は「納得」で、半分は「意外」という感じだった。というのは、彼がキース・リチャードに似たタイプのギタリストだったからだ。
それまでウッドのいたフェイシズは、ほとんど小ストーンズといってもよいバンドだった。ウッドのギター・スタイルは、キース・リチャードのそれと同じように聴こえた。だから、彼がストーンズに入ったと聴いて、なるほど順当だなと思ったのだ。
しかし、そうなるとストーンズには同じタイプのギタリストが二人並ぶことになる。いわば「ふたりキース・リチャード状態」。これでいいんだろうか。その点が意外でもあったのだ。実際、『ラヴ・ユー・ライヴ』の中には、ところどころで今どっちがソロを弾いているのかわからなくなる瞬間がある。

こうして、ギタリストが交代し、それまでとはまったく違う新しいライヴ・サウンドを打ち出したのが、『ラヴ・ユー・ライヴ』に収録された、75年と76年のツアーだったわけだ。


■『ラヴ・ユー・ライヴ』の音楽性

756年のツアーの音は、723年ツアーに比べると、具体的には次の3点で大きく変わっている。

① ギタリストの交代  これは上に書いたように、ミック・テイラーからロン・ウッドに代わったことだ。テイラーの華麗で滑らかなスタイルと違って、ウッドのギターは控えめで言葉少な。このため曲の印象はだいぶ違っている。ただし、一部の曲でウッドは、テイラーのフレーズをなぞっているよう部分もある。

② ブラス・セクションがなくなったこと  723年ツアーで、ぶ厚いサウンドを作り出していたブラス・セクションがなくなった。その代わりに、キース・リチャードのサイド・ギターと、ビリー・プレストンのピアノ、そしてオリー・ブラウンのパーカッションの比重が高くなっている。が、当然全体の音の質感は変わっている。

③ 米南部志向からの転換  60年代の末から取り組んできた米南部サウンドから、都会的なソウル・ファンク志向の曲も演奏されている。しかし、それとバランスをとるかのように、『ラヴ・ユー・ライヴ』では、ブルースとロックン・ロールのカヴァーを追加録音して収録したサイドを設けてもいる。

このような違いを前提にしてストーンズが、このツアーで打ち出した新たなサウンドを私なりに一言で表現すれば、それはラフでワイルドな音のゆるくて太い束(たば)ということになる。ミック・テイラー期のツアーもラフでワイルドではあったが、ブラスも加わった厚い音が、しなやかでスリリングなアンサンブルを聴かせていた。
これに対して『ラヴ・ユー・ライヴ』は、いろいろな音が同時に鳴っている、ゆるくて太い音の束なのだ。特定の楽器が単独で前に出ることはあまりない。ロン・ウッドのギターも目立たない。バンド全体として鳴り続け、ゆるやかにうねっているのだ。
そこへサポート・メンバーによる、ピアノとパーカッションが加わったこともあり、リズムが細分化して、ところどころでポリリズミックなニュアンスも感じ取れる。
このアルバムはミックスの段階で、かなり大幅な編集とオーヴァー・ダブをしているという。だからこのようなラフな音作りは、きっちり意図されたものであることは間違いない。

ポリリズムといえば、このアルバムには、広い意味での黒人音楽のビートへの視線が、見え隠れしている。ブルースやロックン・ロールのさらにその下にあって、他の音楽とも通底する黒人音楽のビートだ。
たとえばアルバムのイントロのサンバのリズム、「ホット・スタッフ」や「フィンガープリント・ファイル」といったポリリズミックなファンクへのアプローチ、「クラッキン・アップ」でのスカ・アレンジ、「ユー・ガッタ・ムーヴ」や「マニッシュ・ボーイ」でのディープなブルース・カヴァー、そしてラストの「悪魔を憐れむ歌」におけるサンバというよりもアフロなビート。
アルバムのラストのアフロ・ビートは、再び冒頭のサンバのリズムにつながって循環しているようでもある。

ミック・テイラー期の723年のストーンズの演奏は、ブルースやR&Bをベースに生まれたロックのアンサンブルのひとつの頂点だと思う。
『ラヴ・ユー・ライヴ』の音は、またさらにその先を目指していると言えるだろう。黒人音楽の源泉であるアフロ・ビート的なものへのアプローチ。この辺が、『ラヴ・ユー・ライヴ』のキーワードと言えるのかも知れない。


■収録曲とアルバムの構成について

76年ツアーの実際のセット・リストはどうだったのか。これについてはレコード・コレクターズ増刊『ローリング・ストーンズ』(19902月)に、寺田正典作成のものが載っている。
これによると、最新アルバム『ブラック・アンド・ブルー』からの新曲コーナーや、サポート・メンバー、ビリー・プレストンのソロ曲コーナーなんかもあったようだ。しかしそれらの大半は省かれ、結局このライヴ・アルバムに収録されたのは14曲(一部前年の75年ツアーの音源も含む)。
このセット・リストの特徴は、初期の「ひとりぼっちの世界」の一曲を除いてあとはすべて68年の『ベガーズ・バンケット』以降の曲で占められていたことだ。つまり南部志向サウンド。だから収録曲目的には、723年ツアーと大差ないことになっている。

特筆されるのは、このアルバムに追加収録するために行われたと言われているトロントのスモール・クラブ、エル・モカンボでの音源だ。オリジナル曲ではなくて、ブルースとロックン・ロールのカヴァーを4曲、LPの1面を使って収録している。このサイドは、「エル・モカンボ・サイド」と一般に呼ばれている。
なぜツアー音源だけでなく、新たにこれらの曲を録音して追加収録したのか。想像はいろいろ膨らむのだが、これについては後ほど述べる。

さて『ラヴ・ユー・ライヴ』は、LP2枚組で発売された。つまり2枚のレコードの計四つのサイドからなっていたわけだが、これがじつにうまく構成されている。みごとに起承転結が整っているのだ。現在は、CD2枚になっているが、昔のサイドごとに特徴をコメントしてみる。

【ディスクⅠ】
<
サイド1>
1 庶民のファンファーレ (Intro: Excerpt From 'Fanfare for the Common Man
2 ホンキー・トンク・ウィメン (Honky Tonk Women
3 イフ・ユー・キャント・ロック・ミー/ひとりぼっちの世界 If You Can't Rock Me/Get Off of My Cloud
4 ハッピー Happy
5 ホット・スタッフ Hot Stuff

アルバム冒頭、スティール・バンド・アソシエイション・オブ・アメリカによるサンバの喧騒がいきなり聴こえてくる。お祭り騒ぎのように花火が鳴って、大げさなファンファーレの響き。観客の期待が高まる中、MCのコールに導かれて、重々しい「ホンキー・トンク・ウィメン」のイントロが始まる。
じつによくできたオープニングだ。ライヴ・アルバムの秀逸なオープニングとしては、先日記事を書いたばかりのCSN&Yの『4ウェイ・ストリート』と並ぶものだ。

それにしても、コンサートの幕開けに「ホンキー・トンク…」のようなスローな曲を持ってくるなんて、何て渋いんだろう。この1曲目から3曲目までは、実際のコンサートのオープニングのどおりだ。ただし、ここでは3はパリではなくて同じツアーのロンドンでの演奏をつないでいる。

実際のコンサートでは、このオープニング3曲の後、この時点での最新アルバム『ブラック・アンド・ブルー』からの曲の紹介コーナーとなる。テンプテーションズのカヴァー「エイント・tゥー・プラウド・トゥ・ペッグ」(これは『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』収録)を間にはさんで、『ブラック・アンド・ブルー』から計4曲が演奏されている。
その内『ラヴ・ユー・ライヴ』に収録されたのが唯一「ホット・スタッフ」だけだったわけだ。ストーンズの新しい音楽の傾向を示す意図があったのだろう。

<サイド2>
6 スター・スター Star Star
7 ダイスをころがせ Tumbling Dice
8 フィンガープリント・ファイル Fingerprint File
9 ユー・ガッタ・ムーヴ You Gotta Move)
10 無情の世界 You Can't Always Get What You Want

このサイドには、『ブラック・アンド・ブルー』の曲紹介コーナーが終わって、コンサートの中盤で演奏された曲目が並んでいる。多少順番は前後しているものもある。
このサイド2は、いろいろな黒人音楽のヴァリエーション豊かな見本市というような趣向になっている。口直し的に始まる「スター・スター」は、軽快なチャック・ベリー・スタイルのロックン・ロール。「ダイスをころがせ」は、ゆったりした南部サウンド。「フィンガープリント・ファイル」はソウルっぽいファンク。「ユー・ガッタ・ムーヴ」はゴスペル風のブルース。そして「無情の世界」は、オリジナルは賛美歌っぽいコーラスの入った壮大なロックだった。

「フィンガープリント・ファイル」は76年ツアーではセット・リストからはずされた曲なので、わざわざ前年の75年ツアーのトロント公演の音源を持ってきている。これを見ても本当に「黒人音楽見本市」にしたかったのではないか。

【ディスクⅡ】
<
サイド3>
1 マニッシュ・ボーイ Mannish Boy
2 クラッキン・アップ Crackin' Up
3 リトル・レッド・ルースター (Little Red Rooster
4 アラウンド・アンド・アラウンド Around and Around

これが「エル・モカンボ・サイド」だ。このアルバムの起承転結の「転」に当たっている。このサイドの前後に、米南部サウンドを志向することで生み出されたたオリジナル曲が並ぶ中で、彼らのルーツ・ミュージックを紹介するコーナーになっている。
レヴューを見ていると、このサイドの評判がえらく高い。このアルバムの中で一番良いなどとまで言う人もいる。たしかにこれらのカヴァー曲によって、このアルバムの評価がおおいに高まったのは事実だろう。しかし、これらの曲を他のオリジナル曲よりも過大に評価するのは本末転倒のような気がする。
これは、ようするに余興というかお遊びであり、アルバムの中での箸休めのようなものだ。だから。もっと、気軽に接するべきだと思う。
それにしても、なぜわざわざ追加録音までして、このようなサイドを設けたのかはちょっとナゾだ。これについては以下で。

<サイド4>
5 イッツ・オンリー・ロックンロール It's Only Rock'n Roll
6 ブラウン・シュガー Brown Sugar
7 ジャンピング・ジャック・フラッシュ Jumpin' Jack Flash
8 悪魔を憐れむ歌 Sympathy for the Devil

サイド2に収録された中盤の曲のあと、ビリー・プレストン・コーナー2曲と「ミッドナイト・ランブラー」が間にはいる。そして、コンサートはいよいよエンディングへ向けての怒涛のシークエンスに突入していく。
このサイド4では、実際のコンサートのエンディング部分をほぼ再現している。ただし録音場所はまちまちで、5は前年の75年ツアーのトロント公演、8も前年のツアーのロス公演の録音を持ってきている。
また実際には、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」の後に「ストリート・ファイティング・マン」が演奏された。この2曲でエンディングというのは、73年ツアーのセット・リストと同じだ。が、ここでは省略されたわけだ。

ここでコンサート本編は終了し、アルバム最後の「悪魔を憐れむ歌」はアンコールだった。
アルバム冒頭に登場したスティール・バンド・アソシエイション・オブ・アメリカのメンバーが演奏に参加(乱入?)。アフロなビートは、再びアルバムの頭にループしていくようだ。うまくできてるな。


■エル・モカンボ・サイドについて

エル・モカンボ・サイドの4曲は、76年ツアーの翌年77年の3月に、トロントのスモール・クラブ、エル・モカンボ・クラブで録音されたものだ。キャパ500人のこのクラブでのギグは、『ラヴ・ユー・ライヴ』への追加収録を前提に行われたらしい。
と聞けば当然このギグは、76年ツアーでセット・リストに入っていなかった、ブルースやロックン・ロールのカヴァー大会だったのではと想像してしまう。たぶん誰もがそう思ったのではないだろうか。で、エル・モカンボ・サイドのような演奏をもっともっと聴きたいと思って、このときのブートレグを手に入れたのだった。

ところが聴いてみたら全然カヴァー大会なんかではなかった。カヴァー曲はむしろ少なめで、あとはツアーの曲をやっていたのである。
エル・モカンボ・クラブでの演奏は、34日と5日の2日間行われている。『ラヴ・ユー・ライヴ』収録のテイクが録られたのは35日の方だ。
ネットで調べてみると、5日に演奏されたのは全部で23曲。このうちブルースやロックン・ロールのカヴァーは6曲しかない。モカンボ・サイド収録の4曲の他には、チャック・ベリーの「ルート66」と、ビッグ・メイシオの「ウォリード・ライフ・ブルース(Worried Life Blues)」だ。「ウォリード・ライフ・ブルース」は、クラプトンがカヴァーして比較的有名になった曲で、この間出た『アンプラグド』デラックスエディションにも収録されていた。

カヴァー以外でちょっと珍しいところでは、初期のオリジナル・ヒット「Let's Spend The Night Together」とか、『ブラック・アンド・ブルー』のアウト・テイクで、後に「刺青の男」に収録された「Worried About You」なんかもやっている。

結局この演奏は、これらのカヴァー6曲から出来のよいのを選んでアルバムに収録しよう、というつもりだったのだろう。まああとの曲はおまけというわけだ。

それにしてもなぜ追加録音までして、これらの曲をアルバムに入れたかったのだろう。もしかして数あるストーンズ本のどこかに、その答がすでに書いてあるのかもしれない。が、私は知らないので、とりあえず自分なりに想像してみる。

どうして追加録音までして…、と思うかというと、76年ツアーの音源をわざわざオミットしているからだ。上にも書いたように『ブラック・アンド・ブルー』の曲のほか、「ミッドナイト・ランブラー」と「ストリート・ファイティング・マン」もカットしている。
しかし、もしかするとこれらの曲をカットしたために、曲数が足りなくなったということも考えられるかもしれない。『ブラック・アンド・ブルー』の曲は、あきらかにアルバムが出たばかりだからカットしたのだろう。
「ミッドナイト・ランブラー」と「ストリート・ファイティング・マン」は、もしかして以前のライヴ・アルバム『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト』(70年)とかぶるので、はずしたのではないだろうか。
そうしたら、曲数が足りなくなったとか…。

もうひとつの可能性は、アルバムの内容に変化をつけるためであり、またバランスをとるためである。
76年ツアーで演奏されアルバムに選ばれているのは、1曲を除いて68年の『ベガーズ・バンケット』以降の曲ばかりだ。南部サウンドを志向したオリジナル曲が中心で、さらに「ホット・スタッフ」や「フィンガープリント・ファイル」のようなファンク系の新しい試みが付け加えられている。
そこで、このバンドの原点であり、初期にさかんにやっていたブルースやR&Bのカヴァー曲を入れて、アルバムに変化をつけ、バランスをとろうとしたのではないだろうか。変化という点では、先にも触れたがアルバムの全体の構成の中で、起承転結の「転」の役割を見事に果たしていると思う。

それともうひとつ、大規模なコンサート会場における観客の反応だけではなく、もっと小さな会場における観客との間の親密な空気感や雰囲気を、アルバムに盛り込みたい気持もあったのではないか。しだいに大規模化する自分たちのコンサートに対して、彼らは何らかの不満を感じていたのかもしれない。でなければエル・モカンボ・クラブのような小さな場所を選ばなかったとも思うのだが。


■各曲についてのコメント

Disc 1

1 庶民のファンファーレ (Intro: Excerpt From 'Fanfare for the Common Man

サンバの喧騒から、花火とファンファーレ。そしてMCのコールに導かれて「ホンキー・トンク・ウィメン」のイントロへ。じつによくできたアルバムの幕開けだ。

2 ホンキー・トンク・ウィメン (Honky Tonk Women

重く沈むイントロのギター・リフ。73年のヨーロッパ・ツアーでもやっていたが、そのときよりもテンポを落とし、じっくりと地を這うような重心の低い演奏だ。73年ツアーのブラスも入ったニギニギしい演奏に比べると、ぐっと渋い。オープニング曲がこんなに渋いというのも逆にすごい。
最初にこれを聴いたとき、注目のロン・ウッドが全然目立たないのにちょっと驚いた。

3 イフ・ユー・キャント・ロック・ミー/ひとりぼっちの世界 If You Can't Rock Me/Get Off of My Cloud

オリジナルよりテンポ・アップしてスタート。間奏ではパーカッションが大活躍して存在をアピール。これまでのライヴとはだいぶ様子が違うことを知る。

4 ハッピー Happy

いきなりハイテンションのヴォーカル。いつになく涸れ気味の声を張り上げているようなキース・リチャードのヴォーカルだ。何でもこの公演の直前に、身内に不幸があったとか。…と聞くと何だか壮絶な歌いぶりとも聴こえてくる。
ブラス・セクションもなし、ピアノもなし。ロン・ウッドがスライドで奮闘しているが、かつてのミック・テイラーと違って空間を埋めていくようなフレージングではない。その結果、ワイルドさがむき出しになっている感じ。で、そこがよい。

5 ホット・スタッフ Hot Stuff

むきだしのワイルドの後は洗練。

6 スター・スター Star Star

『山羊の頭のスープ』のオリジナルは、チャック・ベリー・スタイルのリズム・カッティングと、ギター・ソロが聴ける軽快なロックン・ロールだった。73年ツアーでは、ブラスが大々的にフィーチャーされてぶ厚くコッテリした音になっていた。
今回は楽器は減ってシンプルなわけなのだが、ギターの比重が大きくなって、かなりラフな演奏だ。これはこのアルバムの全体に言える特徴でもある。 

7 ダイスをころがせ Tumbling Dice

ゆったりしたテンポの南部サウンド。以前のライヴでは、華麗なブラスとミック・テイラーの濃密なフレージングのギターで厚みのあるサウンドを作っていた。
今回はそれがないわけだが、代わりにオルガンとパーカッションとダブルのリズム・ギターで、やっぱりぶ厚い音を作り出している。
ロン・ウッドも、彼らしいちょっとネバっこいソロを弾いていて、曲調にぴったりマッチしている感じ。

8 フィンガープリント・ファイル Fingerprint File

オリジナルは『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』収録。ソウル・ファンクっぽい曲で、ストーンズが米南部志向から方向転換していくのを象徴する曲だった。なので、私はあまり好きな曲ではなかった。…のだが、しかし、ここではまたちょっと違ったニュアンスを感じさせる演奏になっている。パーカッションも入ってポリリズミックな混沌を感じさせるのだ。
オリジナルでは当時のギタリストのミック・テイラーがベースに持ち替えてかなり前面に出ていた。ここでは、やっぱりギタリストのロン・ウッドがベースを弾いている。フレーズはテイラーをなぞっているのだが、やはり個性の違いが出ていて面白い。

9 ユー・ガッタ・ムーヴ You Gotta Move)

もとのフレッドマクダウェルのヴァージョンよりも、『スティッキー・フィンガーズ』収録のスタジオ・ヴァージョンよりも、さらに重くて粘り気のある演奏だ。本来は米南部のトラディッショナルなスピリチュアル・ソングらしいとのことだが、その本質により近づいた演奏と言えるのかもしれない。ストーンズ、えらいっ。
2コーラス終わっていったん拍手が入る。しかし曲はここで終わらずに、ギターとピアノの絡む渋い間奏の後、ミックとビリー・プレストンのコール・アンド・レスポンスによるワン・コーラスがさらに続いている。この間奏と3コーラスめは、丸ごと後からスタジオで演奏してくっつけたように聴こえるのだがどうだろう。そのセンスは、お見事。

10 無情の世界 You Can't Always Get What You Want

『レット・イット・ブリード』のスタジオ・ヴァージョンは、ロンドン・バッハ合唱団のコーラスが入る何とも大仰なアレンジ。この大仰さによる後味の悪さのために、私はこのアルバムがあまり好きになれなかった気がする。
しかしライヴでのこの曲は淡々としていて悪くない。「ユー・ガッタ・ムーヴ」と続いて聴くと、ホワイト・スピリチュアルな趣きさえ感じてしまう。そういえば実際のセット・リストでもこの2曲は連続していた。

ゆったりとした流れに乗って、ソロが展開されていく。73年ツアーのときは、ミック・テイラーが、空間を埋めるようなフレージングを見せ、またサックスのメロウな長いソロも続いていた。ここではギターに代わって、ピアノとパーカッションが空間を埋めている。

今回はロン・ウッドが、じっくりとかなり長いギター・ソロを展開している。しかし、テイラーのギターと違って、ロン・ウッドのソロは、言葉少な。とつとつとしていてキース・リチャードと同じタイプだ。ときどき、どちらが弾いているのかわからなくなるときがある。

Disc 2

1 マニッシュ・ボーイ Mannish Boy

マディ・ウォーターズのカヴァー。じつに粘っこいミックのヴォーカルと、粘りつく演奏。ナットウみたいだ
ミックのハーモニカも渋い。

2 クラッキン・アップ Crackin' Up

ボー・ディドリーのカヴァー。ボー・ディドリーの原曲を聴いてみたら、もうかなりカリブ海っぽかったのが、ここでのストーンズは、さらにその元にさかのぼって、スカ風アレンジでやっている。
こういうアイデアってどこから来るのだろう。素晴らしい。

3 リトル・レッド・ルースター (Little Red Rooster

ハウリン・ウルフのカヴァー。ダブルのスライド・ギターが渋い

4 アラウンド・アンド・アラウンド Around and Around

チャック・ベリーのカヴァー。

5 イッツ・オンリー・ロックンロール It's Only Rock'n Roll

ここからエンディングに向っての怒涛のラスト・シークエンス。
『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』収録のオリジナルは、かなり地味に始まるが、ここでのイントロはチャック・ベリー風で、いきなり最初からテンションが高い。
オリジナルのスタジオ・ヴァージョンのベイシック・トラックは、1973年の12月に、ソロ・アルバム製作中だったロン・ウッドの家の地下室で録られたとのこと。もともとロンと因縁の深い曲だったわけだ。

6 ブラウン・シュガー Brown Sugar

アルバム『スティッキー・フィンガーズ』や723年ツアーでは、鮮やかにオープニングを飾っていたのがこの曲だった。
ちなみに68年の「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」から始まったストーンズの米南部志向。「ブラウン・シュガー」は、それが、ついに頂点を極めたという高らかなアンセムのように、私には聴こえる。考え過ぎか。

ここではエンディングに向けてのスパートの2曲目に置かれている。勢いに乗ってのオープニング。リズムも、オリジナルや73年ツアーのときよりアップ・テンポで飛ばしている。終始ピアノが跳ね回り 後半はヒート・アップしてリズムがつんのめりながら暴走。
ロン・ウッドがミック・テイラーの影をなぞるようにしてスライドでがんばっている。伸びがないのだが、その心意気に拍手。

7 ジャンピン・ジャック・フラッシュ Jumpin' Jack Flash

キース・リチャードは、73年のツアーではリフを崩して弾いていたが、ここでは終始シンプルなリフに徹している。そして、鋼(はがね)のようなチャーリー・ワッツのドラミング。これに、オリー・ブラウンのパーカッソンが加わって、それまでのどのライヴより、リズムが強力な「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」になっている。

8 悪魔を憐れむ歌 Sympathy for the Devil

スティール・バンド・アソシエイション・オブ・アメリカのメンバーが参加して、リズムがポリリズム化し、『ベガーズ・バンケット』のオリジナル・ヴァージョンでのアフロ・ビート感を、さらに推し進めた感じだ。まさにカオス。
ロン・ウッドのギターはほとんどキースと同じ感じで「ふたりキース状態」。そこもまたカオス。
このビート感が、ふたたびアルバム冒頭のサンバへと循環していく。


2014年3月13日木曜日

ブログのページ・ヴューが40000に到達


本日このブログが40000ページ・ヴューを達成した。うれしい。読者のみなさん、ありがとう。

前回の30000ページ・ヴュー達成から3ヶ月とちょっとかかった。ブログをはじめて、1万pvから2万pv、2万pvから3万pvへとだんだん期間が短くなって加速度がついてきたけれど、そのペースも3万pvぁたりで落ち着いた感じ。
現在のペースは、だいたい一日100pv前後といったところ。だから100日で10000pvというわけだ。こういう地味で、マニアックで、その上、長くて読みにくいブログに、毎日100pvもあると思うと、すごくうれしい。

この間は、始まって以来初のコメントをいただいた。それが私の考えに賛同してくださるものだったこともあって、すごくうれしかった。今後ともよろしく。

最近は投稿のペースがちょっと落ち気味だ。たまたまロックのライヴ・アルバムについて続けて何回か書いたせいだ。ザ・バンド、ボブ・ディラン、CSN&Yのライヴ・アルバムについて書いてきて、今はローリング・ストーンズについて執筆中。聴きながらいろいろ確認したり、聴き比べたりするので、とても時間がかかってしまう。
どれも、ずっと大好きだった人たちだ。そのそれぞれの曲について、いちいちオリジナルのヴァージョンや、別の時期のライヴ演奏と比較しながら聴くのは、この上なく楽しい。もう隅々まで頭の中に入るほど繰り返し聴いた演奏にも、新しい発見があったりする。
そういう音楽に若い頃に出会い、以後ずっと聴き続けてきて、本当によかったと思う今日この頃だ。

それから料理も相変わらず大好きで、毎日楽しんでいる。「本格」ではなく、あくまで「自分流」。自分のためだけの美味しさの追求だ。そしてもちろん安上がりにね。
いろいろな味の炒めスパゲッティを工夫し、セヴン・イレヴンの金のハンバーグのアレンジ料理をいろいろ考えては、ブログに書いてきた。
今はもっぱら100円くらいの安い魚の缶詰で、ご飯を食べている。この間、クレジット・カードのたまったポイントを、魚沼産のコシヒカリに交換した。食べてみたら、これが美味しくて、美味しくて…。
これを堪能するにはどうするかいろいろ考えた。私は、ご飯の上に何かのせたり、かけたり、あるいは混ぜ込んだりするのは本来好まない。ご飯をヨゴしたくないのだ。白いご飯の美味しさを、そのまま味わいたい。だから、天丼、カツ丼、親子丼のようなタレかけ系はこの場合だめ。ふりかけや納豆や各種のご飯のお供のような乗せ系もだめ。炊き込みやちらし寿司のような混ぜ込み系もやっぱりだめ。その他、ご飯をさしおいて、主役になってしまうような豪華系のおかずもだめだ。ということで、缶詰に行き着いたのだった。イワシ、サンマ、サバなどは100円以下。ときにはゼイタクして、ブリやニシンやサケ(の骨)。
しかい簡便、簡素というには、今の缶詰はものすごく美味しい。味もやや濃い目だったりするので、これだけでご飯1.5合くらい十分に食べられてしまう。
まあ、このへんの話は、また別稿で。

では、今後ともよろしく。


2014年3月5日水曜日

クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング 『4ウェイ・ストリート』


長いことロックを聴いてきたけれど、私にとって、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの『4ウェイ・ストリート』は、とりわけ思い出深いアルバムだ。ハード・ロックとプログレッシヴ・ロックに、どっぷりと浸っていたロック少年の私に、このアルバムはアコースティックな音や、歌の世界への扉を開いてくれたからだ。

もっともこのアルバムとの出会いの印象はあまり良くなかった。世間の評判につられ大枚をはたいて(何しろ2枚組たから)買ったのだったが、1枚目のA面に針を落とすと流れてきたアコースティック・サウンドに、ひどくがっかりしたことをおぼえている。ハード・ロック少年には、どうにも軟弱な音に聴こえたのだ。
2枚目のエレクトリックなサウンドで何とか気を取り直し、最初の頃はこちらの方ばかり聴いていたものだ。例のスティルスとヤングのギター・バトルを、手に汗を握りながら何度も何度もなめるように聴いた。おかげで、二人のギターのフレーズは、すみからすみまで頭に入ってしまった。

しかしそのうちにだんだん1枚目の良さがわかってきて、今度はもっぱらそちらの方ばかり聴くようになった。激しいエレキ・ギターの音による感情の発散よりも、心にしみ込む深くて繊細な歌の世界に強くひかれるようになったのだ。こちらもずいぶん繰り返し聴いた。
そんなCSNYの魅力に導かれて、その後の私は、ニール・ヤングや、ジェームス・テイラーや、キャロル・キングたちの世界に足を踏み入れることになる。


<アルバム『4ウェイ・ストリート』の魅力>

私にとっての『4ウェイ・ストリート』の魅力のひとつは、収められている演奏そのものの良さはもちろんとして、風通しのよい自由な空気が、アルバムの隅々にまでいきわたっているように感じられたことだ。

たとえば選曲のユニークさ。ライヴ・アルバムといえば、当時も、そして今も、そのバンドのベスト・アルバム的な選曲というのがふつうだ。ところが、『4ウェイ…』は全然発想が違う。
冒頭彼らの代表曲「青い眼のジュディ」が聴こえてきたかと思ったら、あっという間に30秒で終了。ある意味、人をくったような仕掛けだ。
「ティーチ・ユア・チルドレン」とか「オハイオ」のようなシングル曲もあるが、CSNCSNYとしてのオリジナル・アルバム収録曲よりも、そのアウト・テイクや、各人の元のバンド時代の曲とか、あるいはソロ・アルバムからの曲が目立つ。また、オリジナルの演奏とは、全然違うアレンジで演奏されていたりもする。まさに好きな曲を好きなようにやっている感じだ。
それと同時に、このアルバムに、もうひとつのオリジナル・アルバムとしての価値を持たせようとする意欲も感じる。

それからアルバム全体の構成も独特だ。
1枚目がアコースティック・セット、2枚目がエレクトリック・セットというのは、当時の彼らのコンサートをそのまま踏襲したものという。ちょうどフォーク・ロック期のボブ・ディランのコンサートを思い出すが、それをきっちり2枚のアルバムに分けて収めるという発想もなかなかの思い切りだ。
またそのアコースティック・セットの中身が、グループとしてではなく、ほとんどメンバーのソロ演奏をフィーチャーしたものであったこともちょっと驚きだった。それまでのグループというもののあり方にとらわれない自由さを感じた。

さらに、曲と曲の間で、ステージ上でのメンバー同士や観客とのやり取りが聴こえるのも自然で良かった。メンバー達の仲間としての和気あいあいとした雰囲気や、観客の歓声に応えるフレンドリーな会場の空気が伝わってくる。遠く離れたヒーローではない、等身大の彼らの姿に親しみが持てた。

このようなアルバムの選曲や構成や曲間の会話などからは、彼らの意欲と機知と自由な発想が伝わってくる。そんなところがこのアルバムのもうひとつの魅力だったのである。
もちろんそのようなことが可能であったのは、彼らがまさに時代の流れに乗っていて、圧倒的な支持を受けていたからでもある。つまりどのような試みも、このときの彼らには許されたのだ。そのような意味でも、このアルバムは、時代とシンクロしたこのグループの姿と勢いを生々しく伝えてくれるものと言えるだろう。


<アルバムの中身>

もう少し詳しくアルバムの中身について見ていこう。
このアルバムには、19703月のアルバム『デジャ・ヴ』の発売後、6月から7月にかけて行われたアメリカ国内ツアーからの音源が収録されている。
このツアーは、CSNYにとっての2度目のツアーにあたる。この前年の19695月に、CSNのデヴュー・アルバム『クロスビー・スティルス&ナッシュ』を発表後、ニール・ヤングを加えた4人は、7月からアメリカ国内とヨーロッパを巡るツアーを行っている。この間の8月には、ウッドストック・フェスに参加して人気を不動のものにしたのだった。

70年に入って発表したアルバム『デジャ・ヴ』は、チャートの1位となった。その後の6月から7月にかけての2度目のツアーは、まさに彼らの人気の頂点で行われたわけである。
『4ウェイ・ストリート』に話を戻すと、アルバムのクレジットによれば、具体的には、ニューヨークのフィルモア・イースト(6/2-7)、シカゴ・オーディトリアム(7/5)、ロサンゼルスのザ・フォーラム(6/26-28)の3ヶ所の公演の音源から選ばれている。
どの曲がどこの公演での演奏なのかはわからないが、少なくともボーナス・トラックのスティルスの「ブラック・クイーン」だけは、67日のフィルモア・イーストでの演奏ということがわかっている。
それにしても何テイクもある録音の中から厳選しているんだろうけど、その割には演奏上のミス・タッチやミス・トーンがあったりするのは、何とも不思議。もしかして、わざとそういうキズのあるテイクを選んでいたりしてね…。

ツアー・メンバーとしてリズム隊に、ドラムスのジョン・バーベイタ(ジョニー・バルバータ)と、ベースのカルヴィン・サミュエルズが起用されている。
スティルスと仲が良いドラマーのダラス・テイラーが参加しなかったのはちょっと不思議。テイラーはCSNのファーストや『デジャ・ヴ』の録音に参加し、その後もスティルスのソロやマナサスにも加わったのに、このアルバムだけお休みしているのだ。
代わりに参加したドラムスのバーベイタは、元タートルズにいて、このツアー後、ジェファーソン・エアプレインに加入している。
ベースのサミュエルズは、西インド諸島出身とのことで、スティルスのソロ作や、この後マナサスにも参加している。

昔このアルバムを聴いていたときはよくわからなかったが、このリズム隊はなかなか優秀だ。エレクトリック・セットの演奏でのこの二人の貢献度はすごく大きい。どの曲も、スティルス自身やダラス・テイラーが叩いていたオリジナルのスタジオ・ヴァージョンより、こちらのライヴでの演奏の方が断然良くなっている。リズムが強靭で、しかもニュアンスに富んでいるのだ。スティルスとヤングのギター・バトルも、このリズム隊にしっかり支えられていればこそ何とか聴けるというものだ。

上にも書いたがLP2枚組のうち、1枚目(サイド1・2)はコンサートのアコースティック・セットを、2枚目(サイド3・4)はエレクトリック・セットを収録した内容になっている。なお、1992年の再発CD版では、ディスク1の最後にアコースティック・セットからさらに4曲がボーナス・トラックとして追加された。
曲目は以下のとおり。

〔サイド1〕
1 組曲:青い眼のジュディ (Suite: Judy Blue Eyes
2 オン・ザ・ウェイ・ホーム (On the Way Home
3 ティーチ・ユア・チルドレン (Teach Your Children
4 トライアド (Triad
5 リー・ショア (Lee Shore
6 シカゴ (Chicago/We Can Change the World 
〔サイド2〕
7 ライト・ビトウィーン・ジ・アイズ (Right Between the Eyes
8 カウガール・イン・ザ・サンド (Cowgirl in the Sand
9 ブリング・ユー・ダウン (Don't Let It Bring You Down
10
 49のバイバイズ/アメリカズ・チルドレン (49 Bye-Byes/America's Children
11
 愛への讃歌 (Love The One You're With
〔1992年ボーナス・トラック〕
12 キング・ミダス (King Midas In Reverse 
13 ラフィング (Laughing 
14 ブラック・クイーン (Black Queen
15メドレー ザ・ローナー~シナモン・ガール~ダウン・バイ・ザ・リヴァー  (Medley: The Loner, Cinnamon Girl, Down By The River
〔サイド3〕
1 プリ・ロード・ダウン (Pre-Road Downs
2 ロング・タイム・ゴーン (Long Time Gone
3 サザン・マン (Southern Man
〔サイド4〕
4 オハイオ (Ohio
5 キャリー・オン (Carry On
6 自由の値 (Find the Cost of Freedom

1枚目のオープニングはじつに鮮やか。「青い目のジュディ」がフェード・インしてきたと思ったら、それは曲のエンディング部分。あっという間に終わって観客の拍手に包まれる。そこへニール・ヤングが紹介されて登場、しみじみと「オン・ザ・ウェイ・ホーム」を歌う。続いて軽快な「ティーチ・ユア・チルドレン」。ここまででもう彼らのコーラスとアコースティック・ギターの音色にぐぐっと心をつかまれてしまう。

しかしグループとしての演奏はここまで。あとは、1枚目のラスト曲「愛への讃歌」で再びグループ演奏になるまで、メンバーのソロ曲が続く。
アルバムには、ボーナス・トラックを含めると、きれいに各メンバー3曲ずつが収められている。それぞれのソロをフィーチャーしたミニ・コーナーが順番に続いていくといった趣だ。
しかもその選曲がかなり独特だ。上にも書いたが、CSNYとしてのオリジナル・アルバム収録曲ではなく、大半がアウト・テイクや、各人の元のバンド時代の曲や、あるいはソロ・アルバムからの曲なのだ。グループの一員としてではなく、ソロ・アーティストとしての選曲なわけで、そういう意味でも、これは完全にソロ・コーナーなのだ。

ちなみに前年の69年のツアーでは、私の手元にあるブートレグで聴く限り、ここまで独立したソロ・パートにはなっていなかった。すでにその頃から、コンサートをアコースティック・セットとエレクトリック・セットに分けてはいた。だが、そのアコースティック・セットでは、ソロの演奏も基本的にアルバム収録曲をやっている。クロスビーなら「グゥィニヴィア」、ナッシュなら「島の女」とかアコースティック・ヴァージョンにした「マラケシュ急行」、そしてスティルスなら「420」といった具合。
スティルスは他に自分のソロに後に入れる曲もやっていたが、これは『CSN』のアウト・テイクか
なおヤングは『CSN』制作後の参加だから、彼だけは自分のソロ・アルバムからの曲をやっている。「Birds」とか「I've loved her so long」などだ。

しかも69年のライヴでは、『4ウェイ…』のように一人ずつのコーナーに分かれていない。ソロ曲と3人がコーラスで歌う曲「泣くことはないよ」とか、「どうにもならない望み」とか、「ブラックバード」(これはアルバムには収録されずお蔵入りになってしまった曲だが)が混在している。このような状態が、しだいに各人のソロ・コーナー方式へと発展していったのだろう。

ついでにエレクトリック・セットを前年のライヴと比較してみよう。
プリ・ロード・ダウン」と「ロング・タイム・ゴーン」で始まるのは70年と同じ。そしてラストを「自由の値」でしめているのも同じだ。しかし、長いギター・ソロが展開される「サザン・マン」とか「キャリー・オン」に当たる曲として、最初はヤングの「ダウン・バイ・ザ・リヴァーr」が演奏されている
CSNYのエレクトリック・スタイルの曲と言えば、何と言ってもウッドストックでも演奏されていたヤングの「シー・オブ・マッドネス」と「木の舟」が印象的だが、『4ウェイ…』には収録されなかった。これは、もしかして、すでに両方とも『ウッドストック』のサントラ・アルバムに収録されていたかなのだろうか。

4ウェイ・ストリートの』のエレクトリック・セットでは、「サザン・マン」と「キャリー・オン」の二つの大曲でのギター・バトルがつねに話題に上る。ロック少年だったかつての私も胸を熱くして耳を傾けていたものだ。
いまだにこのアルバムのレヴュー上で、このバトルは「すごい」ということになっている。しかし、今の耳で冷静に聴いてみると、はっきり言ってこの「バトル」はかなり素朴。二人ともそれほどのテクニシャンというわけでもないし、またギター・ソロのやりとりもそんなにこったことをしているわけでもない。
でもこの素朴な熱気が、今も輝いていることは間違いない。

私はこの『4ウェイ・ストリート』をCSNYの最高傑作と思っている。が、あらためてよく考えてみると、グループとしての魅力が発揮された演奏というのは、ほんの一部だ。
1枚目のアコースティック・セットでは、グループとしての演奏は、最初の3曲と最後の1曲だけだ。すなわち「青い眼のジュディ」(の最後の部分)~「オン・ザ・ウェイ・ホーム」~「ティーチ・ユア・チルドレン」と、最後の「愛への讃歌」。
あとはこの間に、先ほど来書いているようにメンバー各人のソロ曲がきれいに2曲ずつ並んでいる。スティルスはソロ曲は1曲だが、最後の「愛への讃歌」が自分のソロ曲を兼ねていると考えられる。92年の再発盤から付け加えられたボーナス・トラック4曲も、きれいに各人のソロ曲が並んでいる。
CSNYのアルバムというよりは、ソロ・アーティストのオムニバス・アルバムに近いとも言えるだろう。

2枚目のエレクトリック・セットも、グループとしての魅力を感じさせるのは、「オハイオ」と「自由の値」の2曲だけだ。ちなみにこの2曲は、この時点での彼らの最新シングルのAB面曲だ。
残りの4曲は、各メンバーの曲をきれいに1曲ずつ取り上げているが。これらの曲は、コーラスではなくそれぞれの作者がリード・ヴォーカルをとっていることもあって各人の個性が前面に打ち出されている。
スティルス作の「キャリー・オン」は、オリジナルでは、CSNの特徴である3声が対等のコーラスだった。しかし、ここでのコーラスは、スティルスの声がリードをとるスティルス中心の形になっている。
要所でスティルスとヤングのギターが目立つわけだが、これはグループの魅力というのとはちょっと違うだろう。

というわけで、グループとしてよりメンバー個々の個性が強く出たアルバムなわけで、これを彼らの最高傑作としてよいのかという気もしないではない。しかし、アルバム・タイトルの『4ウェイ・ストリート』というのは、まさにそのような内容を言い当てたものだ。開き直りでもあるが、むしろこのような集合体がCSNYなのだというメッセージでもあるような気もするのだ。

今となっては、やはりこのアルバムの最大の魅力は、1枚目のアコースティック・セットの歌の数々だろう。どの曲もオリジナルは、バンド・スタイルによる演奏だった。それをアコースティックのソロ弾き語りにアレンジしているわけだ。そしてシンプルな演奏によって、どの曲もオリジナルより断然良くなっている。深い歌の世界が広がっているのだ。とりわけニール・ヤングとデイヴィッド・クロスビーのここでの歌は、永遠の名演といえるだろう。

なお92年にCDのディスク1に追加されたボーナス・トラックにはちょっと困っている。やはり、アコースティック・セットは、各人のソロ・コーナーのあと、全員参加の「愛への讃歌」で景気良くしめてほしいのだ。
ではボーナス・トラックをどうするか。もう1枚ボーナス・ディスクをつけて、それに入れたらどうか。できれば、ついでに同じツアーからの未発表源をさらに追加するなどして。
あとこのアルバムの紙ジャケ化も是非お願いしたい。


<参考:『4ウェイ…』前後のソロ・アルバム>

ここで参考までに、『4ウェイ・ストリート』の発売前後の書くメンバーのソロ・アルバムのリリース状況を紹介しておこう。
『デジャ・ヴ』発売後から、『4ウェイ…』のツアーをはさんで、『4ウェイ…』の発売前後まで、4人のメンバーは活発にソロ活動をしていたことがよくわかる。

1969.1 ヤング 『Neil Young
1969.5 ヤング 『Everybody Knows This Is Nowhere
1969.5 CSN 『クロスビー、スティルス&ナッシュ』
1970.3 CSNY『デジャ・ヴ』
1970.6~7 『4ウェイ・ストリート』収録のライヴ・ツアー
1970.8 ヤング 『After The Gold Rush
1970.11 スティルス 『Stephen Stills
1971.2 クロスビー 『If I Could Only Remember My Name...
1971.4 CSNY 『4ウェイ・ストリート』
1971.5 ナッシュ『Songs for Beginners
1971.6 スティルス『Stephen Stills 2


<各曲についてのコメントなど>

〔ディスク1〕

1 組曲:青い眼のジュディ (Suite: Judy Blue Eyes 

途中からフェード・インしてくるのは最後のパートのさらに最後の部分。約30秒で終了。アルバムの幕を開けるための景気づけのSEといったところ。

2 オン・ザ・ウェイ・ホーム (On the Way Home 

紹介されてニール・ヤングが登場。
バッファロー・スプリングフィールド時代のヤングの曲。『ラスト・タイム・アラウンド』収録。そこではバンド・スタイルでの演奏で、リッチー・フューレイがヴォーカル、バックのコーラスがヤングとスティルスだった。ウキウキとしたポップで明るい曲だったが、ここではしみじみとした深みのある歌の世界が聴ける。演奏が違うと、同じ曲もこんなに印象が変わるものかと驚かされる

ここでは他の3人のメンバーがバック・コーラスに参加、またヤングと一緒にスティルスもギターを弾いている。スティルスのアコースティック・ギターのいかにも彼らしいソロが印象的。ただし、途中で小節の区切りを間違えて、出のタイミングをミスしているのは御愛嬌。

3 ティーチ・ユア・チルドレン (Teach Your Children 

途中でナッシュが笑うのがこのライヴならでは。

4 トライアド (Triad 

ここからメンバー各人のソロ演奏コーナーの始まり。まずクロスビーの喋りがあって、弾き語りがはじまる。他のメンバーのコーラスはなし。ギターの音と寄り添うように歌う。不思議なコードの響きで、ひんやりとして深い孤高の世界が展開される。

クロスビーのバーズ時代の曲。ウィキペディアによると、バーズのアルバム『名うてのバード兄弟』制作の際、この曲の収録を他のメンバーに反対されたことが、クロスビーのバーズ脱退の原因のひとつになったとのこと。なおお蔵入りしていた、この曲のバーズによるヴァージョンも、近年になって陽の目を見たらしい。当時は知る由もなかったけれど、そういういわくつきの曲なわけだ。

5 リー・ショア (Lee Shore 

つづいてもう1曲クロスビーの弾き語り。美しい曲だ。今度は、バックにナッシュのコーラスが入る。

ボックス・セット『CSN』にこの曲のバンド・スタイルでの演奏が収められている。69年末の録音で、ヤングも参加。リズム隊も『デジャ・ヴ』と同じなので、『デジャ・ヴ』セッションのアウト・テイクなのだろう。

6 シカゴ (Chicago/We Can Change the World 

かわってナッシュのピアノ弾き語り。たまに彼がやるちょっとアグレッシヴな曲。
ナッシュのファースト・ソロ・アルバムに収録され、シングル・カットされた。

7 ライト・ビトウィーン・ジ・アイズ (Right Between the Eyes 

もう1曲ナッシュ。今度はギター弾き語り。スタートに失敗してのおしゃべりが微笑ましい。ほとんどこの部分だけのために、収録されたのではないかと思いたくなるような、取りえのないおお甘の曲。
途中で「島の女」を思わせるクロスビーとのスキャットの絡みがある。

8 カウガール・イン・ザ・サンド (Cowgirl in the Sand 

ここで再びニール・ヤング登場。セカンド・ソロ・アルバム(69年)からの曲。
ソロ・アルバムではバンド・スタイルでの演奏だった。10分にわたる長い曲で、クレイジー・ホースをバックに、ヤングがエレクトリック・ギターを延々と弾きまくっていた。それがここでは一転、ギター弾き語りにアレンジ。バック・コーラスはなし。しみじみと味わい深い曲になっている

9 ブリング・ユー・ダウン (Don't Let It Bring You Down

もう1曲ヤング。今度は、3枚目のソロ『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』(70年)からの曲。
最初のしゃべりと客の笑い。シリアスな曲の前のやりとりにしては、不似合なのでかえって印象に残る。

10 49のバイバイズ/アメリカズ・チルドレン (49 Bye-Byes/America's Children 

ニール・ヤングの「僕の友達」という紹介に導かれてスティルス登場。
ピアノの弾き語りで「49のバイバイズ」を。CSNのファースト・アルバム収録曲だが、途中の盛り上がり部分では、バッファロー時代のヒット曲「フォー・ホワット(For What It's Worth)」の一節が聴ける。
良くも悪くもスティルスの「一人芸」の世界。

11
愛への讃歌 (Love The One You're With

続くスティルスの演奏は彼のファースト・ソロ・アルバム収録曲だが、ここではCSNYて演奏している。
ソロ・アルバムでの演奏は、アコースティック・ギターが中心ながら、ベース、オルガン、各種パーカッションが加わったかなりニギニギしいものだった。コーラスにも、クロスビー&ナッシュに加えて、リタ・クーリッジとプリシラ・ジョーンズの姉妹やらジョン・セバスチャンまで加わっていた。
このライヴでの演奏は、それに比べると、シンプルなわけだが、むしろスタジオ版よりもよりコーラスが強力でパワフルかつシャープな印象だ。

それにしてもこの曲、「青い目のジュディ」の最後のパートを拡大したような曲だ。「青い目の…」を収録しなかったのは、もしかしてこの曲とかぶるからか?

ともあれソロ・コーナーはこの強力なグループ演奏で幕を閉じるわけだ。 

〔ボーナス・トラック〕

本当はここで終わって欲しかったのだが、92年の再発盤からボーナス・トラック4曲がこの後に続くことになってしまった。
メンバー各1曲ずつ。全てアコースティック・ギター弾き語りで、バック・コーラスなしだ。

12. キング・ミダス (King Midas In Reverse 

ナッシュ作のホリーズの曲。
この曲は、ホリーズ時代のナッシュが、他のメンバーの反対を押し切ってシングル・カットした曲とのこと。しかしこれが売れなかったために、ナッシュはホリーズを脱退することになったという。真偽のほどは、わからないけれども。だとすると、クロスビーの「トライアド」に当たる曲ということになる。

13. ラフィング (Laughing 

クロスビーのファースト・ソロ・アルバム収録曲。このスタジオ・ヴァージョンでは、コーラスにジョニ・ミッチェルとナッシュが参加。バックは、ジェリー・ガルシアのペダル・スティールに加え、グレイトフル・デッドのリズム隊が担当。アコースティック・ギター中心の演奏ながら、ゆったりとした厚みのある演奏だった。
ここではクロスビーのギター弾き語りで、コーラスもなし。スタジオ・ヴァージョンより当然音はシンプルだが、研ぎ澄まされた感覚で、スタジオ作より深くて重厚な世界を作り出している。

14. ブラック・クイーン (Black Queen

ステゥルスのファースト・ソロ・アルバム収録曲。ボックス・セット『CSN』に、これと同じヴァージョンが収録されていて、そのクレジットによると、7067日にニューヨークのフィルモア・イーストでの録音とのことだ。
スティルスのファースト・ソロは、曲がどれも小粒で今ひとつだったが、その中の数少ない例外が「愛への讃歌」とこの曲だった。

ここでの演奏は、いつもこの人の演奏に感じる浮ついたところのない、じっくりと地に足がついた渋い演奏だ。ギターもいつものようにテクニックをひけらかしたりせず、あくまで控えめにスゴいことをやっている。
最初からこの曲を『4ウェイ・ストリート』に採用すればよかったのにね。

15 メドレー ザ・ローナー、シナモン・ガール、ダウン・バイ・ザ・リヴァー  (Medley: The Loner, Cinnamon Girl, Down By The River

ニール・ヤング・メドレー。「ザ・ローナー」はファースト・ソロ・アルバム(69年)から、「シナモン・ガール」と「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」は セカンド・ソロ(69年)からの曲。いずれもオリジナルはエレクトリックのバンド・スタイルでの演奏。とくに、「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」は、ヤングのギター・ソロが延々と続く曲だった。
それをシンプルにアコ・ギ一本で演奏している。とにかく深い。

〔ディスク2〕

1 プリ・ロード・ダウン (Pre-Road Downs 

『CS&N』収録のナッシュの曲。エレクトリック・セットの始まりを告げる躍動感のあるわくわくするような演奏だ。リズム隊がしっかりしているせいで、アルバム・ヴァージョンのような浮ついたところがなく、タイトでワイルド。スティルスのギターも伸びがあってよい。

2 ロング・タイム・ゴーン (Long Time Gone 

 クロスビー作。これも『CS&N』収録曲だが、オリジナル録音時にはまだ参加していなかったヤングが、ここではギターとバック・コーラスで大フィーチャー。曲の個性の大きな一部となっている。
ヤングの轟音ギターとクロスビーのシャウトによって、この曲本来の持つアグレッシヴな面が強調されている。

3 サザン・マン (Southern Man

ヤングのサード・アルバム『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』(70年)収録曲。オリジナルも6分弱の長い曲だったが、このライヴではその倍以上の14分近い長尺の演奏になっている。
オリジナルのスタジオ・ヴァージョンは、リズムが平板で単調だったが、このライヴでは、リズム隊がうねりのあるタイトなビートを刻んでいて見違えるようだ。しかも間奏部分は、倍テンポになってとてもスリリング。スティルスとヤングのギター・ソロをリズム隊が緩急自在にサポートしている。起伏に富んでいて、長くてもまったく飽きさせない。

間奏のギター・バトルが聴きものとよく言われているが、バトルというほどのものではない。2回ある間奏パートは、基本的にスティルスからヤングへと、ギター・ソロがまわされている。一方がソロを弾いているときに、もう片方が合いの手というかオブリガードを弾いている。両者が同時に弾きまくっているというわけではない。
テクニック的にはスティルスが断然上だ。手数が多く、フレーズがなめらかで変化に富んでいる。でもなぜか心に残らない。ヤングは手くせだけで弾いているようなゴツゴツしたフレーズ。しかも、ソロの構成がかなりぶっきらぼう。でもとにかく心にぐいぐい迫ってくるのだ。

私はこの曲をなめるようにして何度も聴いたので、二人の弾くフレーズはすみからすみまで頭に入ってしまっている。

4 オハイオ (Ohio 

ヤング作のシングル曲で、アルバムには未収録。CSNYのシングルでは、「ウッドストック」と並んで私の好きな曲だ。
このライヴの直前の705月21日に録音され、64日に発売されている。内容に見合ったとてもアグレッシヴな曲だ。とくにこのライヴの演奏は、シングルのスタジオ・ヴァージョンよりさらに激しさを増している。
小節からはみ出してしまうヤングのギター・ソロはすごい。
Four dead in Ohio」という繰り返しも強烈。

5 キャリー・オン (Carry On 

『デジャ・ヴ』収録曲。CSNYの代表曲だが、アルバム収録のオリジナル・ヴァージョンには、ヤングは参加していない。
スティルス作で、後半のラテン・ロック風のパートは、バッフアロー時代のスティルスの曲「クエスチョンズ」(『ラスト・タイム・アラウンド』に収録)が原曲。
オリジナルはアコースティック・ギターが中心で、強力な3声のコーラスが売りだったが、ここではスティルスのメイン・ヴォーカルにバック・コーラスがつく形になっている。

オリジナルは4分半くらいの曲だが、ここではその後にインスト・パートが続く。約8分にわたって、ワン・コードで延々とギター・ソロが展開されている。
インスト・パートに突入すると、スティルスがワウ・ギターでリズムを刻む中、まずヤングが引きつったようなフレーズを展開。例によって、上手いんだかヘタなんだかよくわからない。その後、スティルスが、ワウ・ペダルをいかしながらのソロ。しかしスティルスは、あきらかにスペースを持て余している感じ。この人もある意味、上手いんだかヘタなんだかわからない。そのうしろで、クロスビーのリズムギターが巧みに変化をつけている。
いったん音が小さくなってからだんだん盛り上げていく。スティルスとヤングが、それぞれにギターを弾きまくり、ここはバトルと言えばバトルだが、フレーズをやりとりするというよりは、音量の勝負という感じ。非常に素朴なバトルだ。
でも何だか、聴き終わると一種のスッキリ感があることもたしかだ。

6 自由の値 (Find the Cost of Freedom

ツアー・メンバーのドラマーとベーシストの紹介の後、コンサートをしめるラスト曲。
この曲は、シングル「オハイオ」のB面曲。このシングルは。このツアーの直前に発売されたが、この曲そのものはウッドストックでも歌われていたから、前年の69年には出来ていたものと思われる。
アコースティック・ギター2本の演奏のあと、静かにコー-ラスが始まる。セカンド・ヴァースからはアカペラになるところがにくい。実に印象的なラストだ。

後年(81年)スティルスはこの曲の前に序章部分を付け加えて「デイライト・アゲイン」という曲にする。しかし、この『4ウェイ…』で聴けるようなピュアな感じは、きれいに拭い去られてしまったのだった。残念。

DVD『ウッドストック』(ディレクターズ・カット版)のエンドロールのバックには、CSNYの曲「ウッドストック」が流れるのだが、その最後の最後に、この「自由の値」のコーラス部分が付け加えられている。これもとても印象的だった。