2012年9月24日月曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「特製麻婆らーめん」と「特製らーめん」

9月の下旬に久しぶりにしかも二日続けて「つけ麺 坊主」を訪問した。今回は私にとっての初メニュー「特製麻婆らーめん」も体験した。

あいかわらず残暑がいつまでも続いていると思っていたら、いつのまにやら朝晩、秋の気配を感じるようになってきた。これはいかん、と思った。何が「いかん」かというと、暑いうちに激辛のラーメンでもう一汗かいておきたかったからだ。
8月には、この月限定の「極辛麻婆」メニューを食べたくて、「坊主」さんには5回も通ってしまった。以前の私のペースだと、これは半年分以上に当たる回数だ。でも本当にがツンとくる辛さを堪能できた。おいしかったなあ。
そんな怒涛の極辛月間が終わって9月に入り、気が抜けたわけでもないが、あっという間に3週間が過ぎてしまった。
そこで久しぶりの「つけ麺 坊主」訪問となったわけだ。間が3週間もあいた反動というわけでもないのだが、今回は二日連続で通ってしまった。

まず一日目。
8月に通っている間に気がついたのだが、いつの間にか「特製麻婆らーめん」というメニューが増えていた。これはまだ食べた事がない。それで、次回はぜひこれにしようと思っていた。
しかし、いざ「坊主」さんに向って歩いていると、やはり今日は「特製らーめん」にすることにする。「特製らーめん」は、私の「坊主」における定番&基本メニュー。8月には別なものを食べていたので、かれこれ二ヶ月近くこれを食べていないことになる。

平日の午前11時35分入店。先客は4人(後客は8人)。
券売機で久しぶりの「特製らーめん」と、これは当然の「白めし」と「ビール」。カウンターの一番奥が空いていたのでそこに座る。麺とめしは「普通盛り」でお願いする。
壁の扇風機がかなり強力に効いている。これがあとで気持ちよくなるはずだ。久しぶりの店内。あいかわらず厨房の壁もピカピカだ。ご主人の人柄が店内に反映されていてお見事。

しばらくして「特製らーめん」登場。久しぶりのお姿拝見。どんぶり中央にもやしと豚肉の山が盛り上がっている。こんなに具材の盛りはよかったっけ、とあらためて感動。
そしていつものようにレンゲで赤い油の浮いた赤いスープをすくって一口。いつもより熱くて辛い…、ような気がする。そして旨い。つい二口、三口…。息つく暇もなく十口くらい立て続けだ。口の中は、半分やけど状態に。ここでご飯を二口、三口、これで口直し。そしてまたスープを。今日は甘さよりもとりわけコクを強く感じて、飲むのをやめられない。で、また十口くらい。やけどだ、やけど。

ここまで、お箸の出番なし。やっとこのへんで、具材に取り掛かる。どんぶり表面はあまり空き地がないので、山のままもやしを食べ、豚肉を食べる。相変わらずもやしのシャキシャキ感が絶妙。具材の山をどうにか崩し、何とかその下の方から麺を引っ張り出して食べ始める。
先月の「極辛」の辛さに慣れたので、今回は辛さが物足りないかと思ったが、なかなかどうしてやっぱり辛い。麺もスープも熱々のせいということもあるようだ。
いつものように鼻水が後から後から出てくる。ティッシュで鼻をかむのが忙しい。しかし、どういうわけか今日は汗をかかない。

全体の三分の一ほど食べ進んだあたりで、熱さも辛さの感じ方も落ち着いてきたので、カウンター上に置いてある一味唐辛子の入れ物から、サジ大盛一杯分ほどすくってどんぶりに投入する。
しかし、これは失敗だった。辛過ぎたからではない。辛さは、少し増した程度。それより、食感が荒挽きの唐辛子のせいでざらざらしてしまってあまりよろしくくない。やっぱり出てきたままの状態で味わうのが正解とあらためて思い知ったしだい。

いつものように無我夢中になっているうちにスープまで完食。ご飯も同時に完食。でも量的には、やっと食べ終えたという感じ。麺・ご飯ともいつもどおり普通盛りだったのだが、こちらの胃袋が小さくなったせいか。
ごちそうさまでした。満腹で満ち足りた気持で、店を後にする。今日は久しぶりに、千波湖、偕楽園拡張部を一回り散歩して帰った。

そして、2日目。
きのうはまた来るつもりはなかったのだが、急用があって水戸に出てきたので、きのうに続いての連続訪問ということになった。
で、今日は当然、前回から気になっていた「特製麻婆らーめん」を食べてみることにする。

平日の11時20分入店。先客4人。ちなみに、後客は12時を回ってもゼロ。こんなこともあるんだなあ。
券売機で「特製麻婆らーめん」のボタンを。はじめてなので、どこにあるのか少し探してから押す。そしてこれは私の性分なのだが、お初なので、とことん味わいつくしたいと思い「麻婆大盛」のボタンも押す。麺も大盛にすることにしていたので、いつもなら頼むはずの「白めし」はパス。でも「ビール」はありと。

先客の注文が混んでいていつもより時間がかかる。20分弱。でも全然気にならない。やがてカウンターの向こうで、ラーメンの入ったどんぶりに麻婆豆腐をかけている。レギュラー分のお玉2杯、さらに「大盛」分の追加で1杯。これにトッピングがのって完成。私の目の前に登場だ。

なかなかに立派な姿だ。まずどんぶりそのものが大きい。しばらくラーメン系のメニューで麺大盛を頼んだことがないので、忘れていたが、麺を大盛にするとどんぶりも一回り大きくなるのだ。
その広々としたスープの水面上にドバドバと豪快に展開する麻婆豆腐たち。その上に「特製麻婆」の証である唐辛子&魚粉がふわりと一山かけられ、その端には海苔が一枚置かれている。もうこの景色だけでわくわくしてくる。

いつものとおりスープからいく。基本的には「特製らーめん」のスープと同じだ。それからまだスープと交じり合っていない麻婆のあんのあたりもすくって飲んでみる。スープより赤い色も薄いが、辛さもマイルドな感じ。
ここの店内の辛さランキングでは、麻婆豆腐がかかっているメニューは、かかっていない同等のメニューより辛さ度が1ランク上になっているが、私にはちょっと疑問だ。唐辛子の総量はその方が増えているだろうが、あんはマイルドだし、豆腐そのものは辛くないからだ。

基本的に、この「特製麻婆らーめん」は、「特製らーめん」の上に麻婆豆腐をかけたものだ。麻婆の下には、もやしと豚肉の山がある。麻婆豆腐をよけながら、もやしを食べ、肉を食べていく。そしてその下から麺を引き出す。相変わらずここの麺は旨い。
ただし、これが私のこの店に対する唯一の不満なのだが、麺が絡みあってちょっと食べにくい。箸でつかんで、一回に食べる分を一度どんぶり上に引っ張り出したいのだが、絡んでうまくほぐれない。無理に引き上げようとすると、麺が切れたり、汁が周囲にひどくはねてしまう。
茹で鍋から上げて湯切りし、それをどんぶりにあけた後、菜箸で一度さばいてくれるといくらか具合が良いと思うのだがどうだろう。

さてこのラーメンは、麻婆のあんによってスープが麺によくからんで独特の食感になる。豆腐もときどき箸休めになってグッド。麺大盛の大どんぶりも飽きずに最後まで堪能できた。
今日はきのうとは打って変わって、大汗をかいた。頭皮、顔面から首筋まで、汗が噴出する。拭いても拭いても、うっかりすると流れた汗があごを伝ってカウンターの上にポタポタと滴り落ちた。ハンカチはびっしょり。大盛でスープの量も多いせいなのだろうか。それとも体調のせいか(良いのか悪いのかわからないけど)。
時間をかけてスープまで完食。ご飯なしでも、かなりの満腹感で十二分に満足した。
久々に大汗をかいて体内がすっきりと浄化されたような気分だ。これが、この店の大きな醍醐味の一つ。

ごちそうさま。外は小雨模様だったが、幸せな気分で店を出た。

2012年9月16日日曜日

ボブ・ディラン・ベスト・ソングズ100

「レコード・コレクターズ」誌の2012年10月号がいよいよ発売された。特集は「ボブ・ディラン・ベスト・ソングズ100」。
前号の「次号予告」でこの特集のことを知った私は、ベスト100のうち上位10曲を事前に予想してみた。そして今号の発売を、今か今かと待ち構えていたのだ。
この前のストーンズのベスト・ソングズ100のときも同じように事前予想をした。本来はこういう曲単位のランキングにはあまり興味がわかないのだが、事前予想をしたら自分も特集に参加しているような気分になって、おおいに楽しませてもらった。
今回のディランのベスト10予想については、その選定の根拠を「大予想 ボブ・ディラン・ベスト・ソングズ10」と題して、このブログに書いておいた。興味のある方はご参照を。

さてレコ・コレ誌上に発表されたベスト・ソングズ100のうち上位10曲は次のとおりだ。

<ボブ・ディラン・ベスト・ソングズ10(レコ・コレ誌)>

第1位 「ライク・ア・ローリング・ストーン(Like a Rolling Stone)」
第2位 「女の如くJust Like a Woman)」
第3位 「サブタレニアン・ホームシック・ブルース(Subterranean Homesick Blues)」
第4位 「くよくよするなよ(Don't Think Twice, It's All Right)」
第5位 「アイ・ウォント・ユー(I Want You)」
第6位 「ブルーにこんがらがってTangled Up in Blue)」
第7位 「メンフィス・ブルース・アゲイン(Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again)」
第8位 「風に吹かれて(Blowin' in the Wind)」
第9位 「見張塔からずっとAll Along the Watchtower)」
第10位 「アイ・シャル・ビー・リリーストI Shall Be Released)」
次 点 「ミスター・タンブリン・マンMr. Tambourine Man)」


 ちなみに私の事前予想もあらためて紹介しておこう。

<ボブ・ディラン・ベスト・ソングズ10(私の事前予想)>

第1位 「ライク・ア・ローリング・ストーン(Like a Rolling Stone)」
第2位 「風に吹かれて(Blowin' in the Wind)」
第3位 「はげしい雨が降るA Hard Rain's a-Gonna Fall
第4位 「時代は変るThe Times They Are a-Changin')」
第5位 「サブタレニアン・ホームシック・ブルース(Subterranean Homesick Blues)」
第6位 「ミスター・タンブリン・マンMr. Tambourine Man)」
第7位 「メンフィス・ブルース・アゲイン(Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again)」
第8位 「アイ・シャル・ビー・リリーストI Shall Be Released)」
第9位 「マスターピース(When I Paint My Masterpiece)」
第10位 「天国への扉Knockin' on Heaven's Door)」
次 点 「見張塔からずっとAll Along the Watchtower)」


はたして私の予想は当たっていたか。検討してみよう。一応次点まで予想したので、上位11曲までの比較とする(ほんとはこの方が私には都合がいいので)。
まず順位が的中したのは、第1位と第7位の2曲。2曲だけだけれど、うれしい。何しろ、ストーンズのときは順位までは一曲も当てられなかったので。
第1位が「ライク・ア・ローリング・ストーン」なのは、わりと易しかったかもしれない。
第7位の「メンフィス・ブルース・アゲイン」は、ぴったり順位が当たったのは偶然だけど、5位から7位くらいに入るだろうという読みはあった。

つづいて、予想のとおりベスト10(+次点)に入ったが、順位は違っていた曲。これが5曲あった。
発表順位第3位の「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」(予想は5位)。
同第8位の「風に吹かれて」(予想は2位)。
同第9位の「見張塔からずっと」(予想は第11位)。
同第10位の「アイ・シャル・ビー・リリースト」(予想は8位)。
同第11位の「ミスター・タンブリン・マン」(予想は第6位)。
このうち「サブタレニアン…」と「見張塔からずっと」と「アイ・シャル・ビー…」は、誤差2位だからちょっと惜しかった。

というわけで、11曲中7曲はまあ予想どおりだったと言ってもよいだろう。
予想していなかったのは、残りの4曲。

発表順位第4位の「くよくよするなよ」と第6位の「ブルーにこんがらがって」は、予想時の記事を見てもらえばわかるが、「もしかしたら10位以内に入選するかも」という気持もないではなかった。だからこの2曲の結果は十分に納得できるものだ。
しかし、残りの2曲については、まったく予想外だった。第2位の「女の如く」と、第5位の「アイ・ウォント・ユー」だ。何だか今でもまだ信じられない気持だ。
この2曲については、後ほど少し検討してみることにする。

その前に、私が10位以内と予想したのに、入らなかった4曲の行き先を確認しておきたい。
まず第3位に予想していた「はげしい雨が降る」と第4位に予想していた「時代は変る」が、発表順位第15位と14位で並んでいる。ベスト10曲の中でも上位に来ると読んでいた初期名曲・代表曲が10位台とはかなり意外。うーん時代は変わったのか。
次は「マスターピース」。発表順位第10位に食い込んだ「アイ・シャル・ビー・リリースト」と並ぶ名曲と思い、第9位と予想したのだったが、これは大胆過ぎたようだ。結果は何と57位。これは完敗だった。無念。
そして第10位と予想した「天国への扉」。これも振るわず25位。こんなもんなのかなあ。でも北中正和氏が自分のランキングでこの曲を1位に選んでいて少し慰められた。

さて「問題」の2曲、「女の如く」と「アイ・ウォント・ユー」についてだ。
詞の内容はともかくとして、曲調はどちらもわりとシンプルでわかりやすくてポップ。ディランの歌い方もどちらかと言えばジェントル。ということは、私から見るとあんまりディランらしくない曲ということになる。
こんな曲が「ブルーにこんがらがって」(第6位)とか「メンフィス・ブルース・アゲイン」(第7位)とか「風に吹かれて」(第8位)とか「見張塔からずっと」(第9位)といった名曲の数々よりも上位にあるのは何とも不可解。
思い入れなしでただポップな曲をポップに楽しむ時代になったということなのか。

こんな曲をいったい誰が選んだのだろう。このランキングの選者はレコ・コレ誌のライター25人。この25人が一人ずつベスト30を選んでそれを集計したのが今回のベスト100だという。選者の方々の個々のベスト30もそのまま掲載されている。
このベスト30をざっと見てみた。
「女の如く」をベスト30の中に選んだのは25人の選者中20人。それぞれのランキングの中での順位は次のとおり。3位が1人、4位が2人、6位1人、7位2人、8位1人、9位1人、10位2人、13位1人、14位1人、15位2人、24位4人、25位1人、27位1人。
つまり最高でも3位までで、この曲を1位とか2位に選んだ人は一人もいないわけだ。しかも半数以上の人は、10位以下にしている。それなのに集計したら第2位になっちゃったというわけだ。
個々のリストの順位をポイントに置き換えて集計しているのだろう。しかしこの方式だと、この曲の場合のように選者の実感と微妙に違う結果になってしまうことがある。それでいいのか。
特集でこの曲のコメントを担当している五十嵐正氏も、「2位とは僕の予想以上」と冒頭で述べている。中川五郎氏との「特別対談」でも選者の一人湯浅学氏は、この曲の2位を「少し意外かな」と述べている。この曲を選んだ他の選者たちも、同じようなことを感じているのでは。

「アイ・ウォント・ユー」についても同様に調べてみた。
この曲をベスト30位までに選んだ選者は25人中15人。それぞれのランキング中の順位は、1位1人、3位2人、5位4人で、以下8位、11位、14位、15位、17位、16位、19位、28位が各1人だった。
こちらは選んだ人のうち約半数の7人が、5位以上に選んでいる。そうなのか。まあこれなら仕方がないか。
しかししつこいようだが、これがそんなに良い曲なのだろうか。『ブロンド・オン・ブロンド』には、もっともっと良い曲、意味が深そうな曲、重要そうな曲、象徴的な曲があると思うのだが…。

さて、今回のベスト・ソングズ100を見て全体的な印象をいくつか述べよう。
まず大きな特徴は、やはり60年代の曲が多いということだ。上位10曲の内、8曲は60年代の曲。
70年代の曲は、第6位の「ブルーにこんがらがって」(1975)と第10位の「アイ・シャル・ビー・リリースト」(1971)の2曲のみ。しかも後者の「アイ・シャル・ビー…」は、67年の『地下室』セッションのときに作った曲で、自演したのが71年というだけだから、実質は60年代の曲。つまり純粋に70年代以降の曲は、「ブルーに…」の1曲のみということになる。

ところで予想したときに1978年の『ストリート・リーガル』以降の曲はベスト10曲には絶対に入らないと書いたが、これはもちろんそのとおりだった。このアルバム以降の曲でランキングのいちばん上位に入ったのが、『インフィデル』(1983)のアウトテイク「ブラインド・ウィリー・マクテル」の17位。
次が『スロー・トレイン・カミング』(1979)からの「ガッタ・サーヴ・サムバディ」の29位。さらにその次が『ショット・オブ・ラヴ』(1981)からの「エヴリ・グレイン・オン・サンド」の36位といった具合。
「ブラインド・ウィリー・マクテル」は、アウトテイクなのに大健闘だ。選者のうち菅野ヘッケル氏と和久井光司氏はともに自分のランキングで、この曲を第1位に選ぶほどの思い入れの強さだ。
久しぶりに『ブートレグ・シリーズ1-3』でこの曲を聴いてみたが、私にはそれほどの曲とも思えなかった。でもたしかにハマる人はハマりそうな感じ。

しかし、60年代の曲の中で、私としてはフォーク期の曲が上位を占めるかと思ったのだが、これははずれた。代わりに何といってもフォーク・ロック期の曲が優勢。上位10曲中の5曲がフォーク・ロック期の曲だ。
この時期の曲は、「ライク・ア・ローリング・づトーン」を別にすると決定的な名曲というのがないので、票が分散して順位がもっと下がると予想していた。ところが、この時期の曲が全体的に票を集めて上位に来ている感じだ。

たとえばランキング50位までの曲の収録曲数を、アルバム単位で見てみよう。いちばん多いのが『ブロンド・オン・ブロンド』で、このアルバムからは7曲が50位までにランクインしている。このアルバムの収録曲数は14曲だから、その半数がベスト50に入っていることになる。すごい。
次いで多いのが、『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』からのランクインで6曲。これも収録曲11曲中の半分以上。で、すごい。
その次が4曲で、『追憶のハイウェイ61』と『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』と『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』の3枚が並んでいる。
ちなみにこの後に『時代は変る』と『血の轍』と『欲望』が、ともに各3曲ずつといったぐあいに続く。
こうして見てもやはりフォーク・ロック期の3枚『ブリンギング・イット…』、『追憶のハイウェイ…』、『ブロンド・オン…』からの曲が全体的に票を集めているのがわかる。

しかし、ここに名前が挙がっているアルバムはやっぱりどれも定評のある名盤ばかり。当然だけど、よい曲が多いのは名盤の証明ということか。ただ唯一50位までに3曲を送り込んだ『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』は、私にとってはちょっと意外な健闘ぶりだ。このアルバム、私にはあまりピンと来ない影の薄いアルバムなのだ。

ディランもデヴュー50周年とのことだが、ストーンズとまったく同様、デヴューしてからの最初の約10年間が活動のピークだったことになる。
私にとってのディランもまさに70年代までの人だ。
思い起こせば、あの1978年の武道館公演を聴きに行って、みごとに肩透かしを食い、私のディランは終わったのだった。
一応アルバムは近作まで手に入れていたのだが、昨年、『ストリート・リーガル』以降のアルバムをきれいさっぱりと処分してしまった。こんなの聴く暇があるなら初期のアルバムにじっくり耳を傾けたいと思ったのだ。
というわけなので新作『テンペスト』にもまったく興味なし。すみません。

2012年9月12日水曜日

中島みゆきが少しだけ「ロック」だった頃

中島みゆきの昔の歌に「誰のせいでもない雨が」というのがある。
学生運動の挫折と無力感、そして「日和って」今は日々の暮らしに埋没している自分への罪悪感と悲しみを歌った歌だ。
本当はこの歌の歌詞を丸ごと引用したいところだが、それはまずいことらしいのでやめる。
歌詞中には、当時の学生運動をリアルにイメージさせるフレーズが散りばめられている。たとえば「黒い飛行機…」(三里塚闘争)、「怒りもて石を握った指先」(デモでの投石)、「寒さに痛み呼ぶ片耳」(機動隊に殴られた古傷)などなど。
そして今この歌の主人公は、無力感と悲しみの中にいて、それを忘れ去りたいと願っている。
かつてあの頃は戦う相手が見えていた。「米帝」が、日本の資本主義体制が、そして搾取する資本家たちが戦う相手だったのだ。彼らの「せい」で、自分たちは苦しみの中にいると信じていたのだ。
しかし、いまや敵は失われてしまった。今私を濡らすこの雨。この雨を誰の「せい」にするわけにもいかない。誰の「せい」でもない雨、仕方のない雨なのだ。

この歌の中でものすごく印象に残る一節がある。次のような一節だ。
「きのう滝川と後藤が帰らなかったってね」
昨日のデモに参加した仲間のうち、滝川と後藤の二人が帰らなかったのだ。つまり警察に捕まって留置場に入れられているのだ。「今ごろ遠かろうね寒かろうね」と歌詞は続く。
当時の学生たちのデモはしばしば機動隊と激しく衝突した。そのたびに何人かは必ず「公務執行妨害」で逮捕され引っぱっていかれた。
この個人名が具体的なためにヘンに耳に残るのだ。
私は学生運動そのものには参加しなかったが、その熱気の余熱の冷めやらぬ中で青春時代を過ごした。理想を語る若者たちへの一定のシンパシーも抱いていた。そんな遠い記憶を、この具体的な一節は呼び覚ます。個別ゆえにリアルであり、リアルであるがゆえに普遍性を持っている。そういう意味で、これはよくできた歌だと思う。

このような個別的で具体的なシチュエーションを読み込むのが、中島みゆきの作詞法の一つの特徴だ。
「誰のせいでもない雨が」と同じアルバムに入っていて、90年代にCMにも使われて有名になった「ファイト!」もそんな曲だ。
「あたし中卒やからね 仕事をもらわれへんのや」と書いた女の子の手紙とか、「薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかける」と言われて東京に行くのをあきらめた(男の)子など、いくつもの個別で具体的なエピソードが積み重ねられていく。これはそうした日常の中で世間の不合理にしいたげられる者たちへの励ましの歌だ。
当時ラジオのパーソナリティをしていた中島のもとへ寄せられた実際の手紙を元にした歌詞とのこと。中島は、個々の手紙の内容をあえて具体的なまま断片に切り取る。それぞれの前後の事情はよくわからないが、しいたげられた者たちのくやしさはリアルに伝わってくるし、共感しないではいられない。ちょっとベタだが、いい曲だと思う。

ひところ中島みゆきの歌をよく聴いた。
それはこの曲「誰のせいでもない雨が」を収めたアルバム『予感』が出た前後、80年代前半のことだ。この頃のほんの一時期、中島みゆきは「ロック」だった。

ロック・ファンがそれまでフォークの人だった中島みゆきに注目するようになったのは、1982年のアルバム『寒水魚』に収録された「悪女」のアルバム・ヴァージョンとか、83年の次作アルバム『予感』収録の曲「ばいばいどくおぶざべい」あたりからだったろう。
「悪女」は、アルバム発売の前年から大ヒットしていた。このシングルは、アコースティック・ギターとピアノ中心の演奏に乗って、さらっとした歌いまわしで歌うフォークっぽいアレンジだった。
これに対し、このアルバム・ヴァージョンは、後藤次利(元サディスティック・ミカ・バンドなど)のアレンジによるかなりロックつぽいものだった。ぐっとタメを効かせた粘っこいリズムにのり、中島みゆきのヴォーカルも力が抜けた浮遊感のある気だるい歌い方で、シングルとは違う歌の世界を作り出していた。
ばいばいどくおぶざべい」は、曲調はもちろんとして、ギタリストを主人公にした歌の内容や、歌詞の中に出てくる「ドック・オブ・ザ・ベイ」や「ライク・ア・ローリング・ストーン」といった曲名、そして演奏に細野晴臣がベースで参加していることなど、いろいろな意味でロック的な要素のある曲だった。

ちょうどその頃『ミュージック・マガジン』誌でも、こうした動向に注目して中島みゆきのインタヴュー記事を掲載している。
インタヴューの中で、いつ頃からロックを意識し始めたかと訊かれて、中島は「私は最初からロックだった」と答えていた。これにはちょっとシラけた。ロック誌のインタヴューであることを意識して、あえて「ロック」の意味を拡大解釈したわけだ。でも、誰がどう聴いたって、80年代の一時期を除いて、それ以前もそれ以後も彼女が演っていたのはロックではない。

中島みゆきの活動歴は長い。1975年にデヴューしてから80年代までフォークのシンガー・ソング・ライターとして活動し、その後も1990年代には「空と君のあいだに」(日テレ『家なき子』主題歌)、2000年代には「地上の星」(NHK『プロジェクトX』主題歌)という大ヒットを放っている。現在では「国民的歌手」と言ってもよい存在となった。
しかし、彼女のミュージシャンとしての実力と人気のピークはやはり1980年代の前半ということになるだろう。1982年のアルバム『寒水魚』は、現在までの彼女の数あるアルバムの中で、いまだにもっとも売れたアルバムだという。
ところが皮肉なことにこのアルバムで人気のピークを極めると同時に、中島みゆきはその後いっきに模索の時期へと突入していく。次作以降のアルバム・セールスは下降線を辿り、サウンド・アレンジや作風について試行錯誤を繰り返すことになる。この模索の時期を中島みゆき自身は、後で振り返って「御乱心の時代」と呼んでいるという。
そして、この模索の時期に、中島みゆきは、ちょっとだけ「ロック」になったのだった。

この頃のアルバムは一通り聴いたが、つまらないものは捨ててしまった。今手元に残っているのはかろうじて3枚だけ。『寒水魚』(1982)、『予感』(1983)、そして『Miss.M』(1985)。
『寒水魚』では先の「悪女」を含むいくつかの曲で、アレンジに後藤次利を起用している。また次の『予感』では、アルバム後半の曲でアレンジに井上堯之(元スパイダース、PYGなど)を起用。さらに間をおいて『Miss.M』では、ほぼ全面的に再び後藤次利をアレンジャーとして起用している。
このロック畑出身の二人がアレンジした曲がすべてロックっぽいわけではないし、先の「ばいばいどくおぶざべい」のように中島自身がアレンジした曲にもロック的なものはある。しかし、いずれにせよこの頃、いろいろな形でロック的なアプローチが試みられてはいたのだ。

しかし、当時もそう思ったし今聴いてもさらにその思いは強くなるのだが、やはりロック的アレンジは所詮アレンジでしかない。
リズムが歌の内容と一体となった「悪女」のアルバム・ヴァージョンと、レゲエ的でニュアンス豊かなビート感を持つ「…どくおぶざべい」はとりあえず例外としよう。それ以外のロックっぽいアレンジの曲は、リズムが一本調子で、演奏はどれも薄っぺらで安っぽい。似非ロックとしか言いようがないものだ。
ロックであることに魅かれて中島みゆきを聴き始めた私だったが、すぐにこのことに気がついた。しかし、そのようなうわべのスタイルだけのものではない、もっと別な意味での「ロック」が彼女の歌のいくつかにはあることにも気がついた。
その「ロック」をひとことで言えば「批評性」ということになるだろうか。既存の価値への反発や弱者への共感。そして、そんな「批評」をする自己の痛みや悲しみ。そうしたテーマが盛り込まれた彼女の歌に、私は「ロック」魂を感じたのだ。

冒頭に紹介した「誰のせいでもない雨が」や「ファイト!」も私にはそういう意味での「ロック」だ。その他、1985年のアルバム『Miss.M』に収められている「熱病」と「忘れてはいけない」の2曲もその意味で好きな曲だ。ちなみにこの2曲のアレンジだけは、後藤次利ではなくて、チト河内。
「熱病」は汚れた大人の世界の入り口にいる少年の無垢を歌っている。吐き捨てるように歌う中の次のようなフレーズが印象的だ。「見ない聞かない言えないことで胸がふくれてはちきれそうだった」、「ずるくなって腐りきるより阿呆のままで昇天したかった」。
「忘れてはいけない」のリフレインは「忘れてはいけないことが必ずある/口に出すことができない人生でも」。このリフレインの合間に、「許さないと叫ぶ野良犬の声を」とか、「認めないと叫ぶ少女の声は細い」というフレーズが挟まる。
鬱屈し閉塞している現実の生活。しかし、かつて世の不条理に対して「許さない」、「認めない」と叫んだ気持を忘れずに持ち続けよと中島みゆきは鼓舞するのだ。
こうして言葉だけ抜き出すと、かなりベタな表現だけど、私は共感を覚える。

他の日本のミュージシャンのアルバムと同様、中島みゆきのどのアルバムも曲の出来不出来が激しい。
社会に対する批評性の強い曲でも『Miss.M』の「ショウ・タイム」なんかはかなり出来の悪い曲だ。「いまや総理はス-パースター」なんていう陳腐な表現がいろいろ出てくる。
それから彼女のどのアルバムも曲目の大半を占めるのは失恋の歌である。少なくともこの頃の中島みゆきの最大のセールス・ポイントはこの一連の失恋の歌だった。「悪女」もそうだし、この曲の入っている『寒水魚』がベストセラーとなった理由は、なまなましい吐露のような失恋ソングがずらっと並んでいたからではなかろうか。
中島みゆきの失恋の歌の語り口は、しばしば自己卑下的、自虐的、自嘲的である。一応ストーリー化して客観視しているのだが、そこになまなましくリアルな情感が盛られている。まあそこが、この人の「芸」であり、人気の源でもあるのだろうが、私はしばしば鼻白んでしまう。

だから、これからも頻繁に中島みゆきのアルバムを聴くことはないだろう。しかし、ときおりふっと彼女の「ロック」を聴きたくなるのもたしかなのだ。

2012年9月9日日曜日

ローリング・ストーンズ『THE BRUSSELS AFFAIR ‘73』

<遅ればせで『THE BRUSSELS…』を聴いた>

今年の夏は暑かった。まだ終わっていないわけだけど。この暑い夏の間ずっと私が聴き続けていたのは、ローリング・ストーンズのライヴだった。
べつにストーンズの活動50周年を記念してとかいうわけではない。また例の「ストーンズ・バー」のベロ・マークが巷に氾濫していたこととも関係ない。

それにしても、私がロック少年だった70年代には、いつかこのベロ・マークが街中にあふれる日が来ようとは想像もつかなかった。
当時できたばかりのストーンズ・レーベルのシンボル・マークとして、この下品極まりない、というか下品さをあえてこれでもかと強調したベロのマークは登場した。それは既成の取りすました価値観を否定し、あざ笑う強烈な毒を放っていたのだ。たが、時は流れ、彼らも歳をとり、そして大衆化のつねで、今はほとんどこの毒は感じられなくなってしまった。

私がこの夏聴いていたのは、もっぱら1972年の北米ツアーと、1973年のヨーロッパ・ツアーの音源だ。
きっかけは昨年の11月に販売された、1973年のライヴ音源『THE BRUSSELS AFFAIR 73』をやっとこの夏の初めに入手したことだった。
ストーンズ・ファンなら当然とっくの昔に手に入れて聴いていたことだろう。私もできればすぐ聴きたかったのだが、何しろこのシロモノ、CDではなくてネット上でのダウンロードのみの発売。旧式人類の私にはハードルが高かったのだ。
それにこの73年のベルギーのブリュッセルでのライヴについては、この時の音源を中心にしたブートレグ『Nasty Music』も一応手元にあった。ダウンロード版はオフィシャル音源だから、ブートより音質は良いのだろうけど、まあいいかっ、と思っていたのだ。

しかし、それがどうしても聴きたくなった。『レコード・コレクターズ誌』2012年8月号(特集はストーンズ・ベスト・ソングズ100)の藤井貴之氏によるオフィシャル・ブートレグ・シリーズの解説を読んだからだ。
私は今回出たダウンロード版『THE BRUSSELS AFFAIR 73』を、ブートレグ『Nasty Music』と同一音源のリマスター版程度に考えていたのだ。
ところが上記の記事を読むと、今回のダウンロード版はブリュッセルでの昼夜2公演から新たに編集した内容とのこと。つまり中身はだいぶ違うのに、タイトルだけ有名ブートのタイトルを流用しているわけだ。これを知って、がぜん私はこの中身を聴きたくなったというわけだ。
そこで知人に頼んでダウンロードしてもらい、何とか聴くことができるようになった。

ところでローリング・ストーンズのライヴの絶頂期は1972年から1973年にかけてだ。つまりミック・テイラー在籍時。これには誰も異論はないだろう。個人的には、このうち1972年の北米ツアーの演奏が最高だと思っている。
今年はこの絶頂期である1972年から40周年。活動50周年より、こちらのくぎりの方が私にとっては感慨深い。

というわけなので今回入手した73年のライヴを聴いていても、どうしても72年の演奏と比較してしまう。だから『THE BRUSSELS AFFAIR 73』を聴いていると、やっぱり72年のライヴ音源も聴きたくなるのだ。結果的に言うと、72年の演奏が最高という私の考えはますます強くなった。
というわけで今回は『THE BRUSSELS AFFAIR 73』を聴いて思ったあれこれを記してみることにする。

<73年ヨーロッパ・ツアーのセット・リスト>

さて『THE BRUSSELS AFFAIR 73』は、手に入れてみると同じ日のブリュッセル公演をベースにしているとはいえ、『Nasty Music』とはちょこちょこと曲順が違っている。今までこれで十分満足していたのだが、今回のオフィシャル版は、当日のセット・リストどおりに曲を並べて、この日の公演をコンプリートに再現している。
収録曲は次のとおり。

THE BRUSSELS AFFAIR 73

1 Brown Sugar
2 Gimme Shelter
3 Happy
4 Tumbling Dice
5 Star Star
6 Dancing With Mr.D.
7 Doo Doo Doo Doo Doo (Heartbreaker)
8 Angie
9 You Can't Always Get What You Want
10 Midnight Rambler
11 Honky Tonk Women
12 All Down The Line
13 Rip This Joint
14 Jumping Jack Flash
15 Street Fighting Man

まずこの選曲面で私的にはちょっと難がある。べつにこの音源のせいではなくて、このツアーのセット・リストそのものの問題なのだが。
当時は彼らのアルバム『山羊の頭のスープ』(駄作)が発売されたばかりだった。コンサートの5曲目からは、この新作アルバムからの曲紹介コーナーとなる。
Star Star」、「Dancing With Mr.D」、「Doo Doo Doo Doo Doo (Heartbreaker)」そして「Angie」と4曲続く。「Doo Doo…」は、当時のセット・リストにはふつうは入っていないイレギュラーの曲だったらしい。しかし、いずれにせよ、どれもあんまり曲としての魅力に乏しい。
ちなみに先日のレコ・コレ誌のストーンズのベスト・ソングズ100のランキングでみても、これらの曲はどれも人気が低い(あんまり意味ないかもしれないけど)。
Doo Doo…」が51位、「Star Star」が58位、「Angie」が62位、そして「Dancing With…」にいたっては、100位以内に姿が見えないといった具合。

前年の1972年の北米ツアーでやっていたのに、この73年のヨーロッパ・ツアーではやらなくなってしまった曲がいくつかある。たぶん上の4曲に押し出されてしまってのことだろうけど。
まず「Bitch」と「Rocks Off」。
コンサートのオープニングの「Brown Sugar」からこの2曲「Bitch」、「Rocks Off」と続き、さらに「Gimme Shelter」へとつながる72年ツアーの流れはとてもよかった。今回の73年ツアーでは「Brown Sugar」からいきなり「Gimme Shelter」となる。ちょっと強引。
でも本当に「Rocks Off」はかわいそうな曲だ。
72年北米ツアーのオフィシャル音源となったDVD『レディース・アンド・ジェントルメン』。このツアーのスタンダードなセット・リストが聴けるのだが、イレギュラーに入っているのが「デッド・フラワーズ」で、その代わりに「Rocks Off」がカットされてしまっている。つまりこの曲は絶頂期のライヴ音源がオフィシャル化されていないのだ。今や「ストーンズ・バー」のコマーシャルでこんなにガンガンかかっている曲だというのにね。

それから72年ライヴのハイライトのひとつでもあった2曲「Love In Vain」と「Sweet Virginia」が73年にははずされているのも残念。
Tumbling Dice」の後のこの2曲、切ないバラードからほんわかした癒しのアコースティック・セットへ。コンサート中盤手前の最高のオアシス・タイムだったのに。

あと72年にやっていた曲では「Bye Bye Johnny」もやらなくなったけど、これはまあ仕方ない。怒涛のラスト3連発の前のウォーム・アップの役割を果たしていたが、今回その役割のために「All Down The Line」を持ってきたわけで、これはこれで悪くない。

<こなれた演奏が良い音質で聴けるのだが…>

  さて肝心の演奏内容だが、ブリュッセル公演はこの年のツアーの終盤近くということもあって、全体にかなりこなれた演奏だ。
72年の演奏は、これに対して激しくてワイルド。キースのギターのカッテイングはラフで荒々しいし、ミック・テイラーのフレーズもかなりアグレッシヴ。さらに加えて、ニッキー・ホプキンスのピアノが飛び跳ねていた。
冒頭の「Brown Sugar」、「Gimme Shelter」あたりで、この違いははっきり。
続く「Happy」、「Tumbling Dice」も前年からずっとやっている曲なので、かなりこなれてよく言えば熟成した感じだ。
とりわけミック・テイラーのギターが素晴らしい。リフを弾いてもソロのときも、そしてリフの合間の短いフレーズでも、滑らかで伸びやかなトーンで曲に彩を添えている。

そしてここから『ゴート・ヘッド・スープ』コーナーの4曲だが、前にも書いたとおりあまり魅力なし。ただし、「Dancing With Mr.D」でのミック・テイラーのエリック・クラプトンばりのソロは聴きもの。

その後が中盤の山場。「You Can't Always Get What You Want」のライヴ演奏は、合唱団入りでとりすましたオリジナルよりずっと良い曲になっている。途中ギターのソロに加えてサックス・ソロもある分、72年ライヴよりさらに長くなった、
ただ72年ツアーよりメリハリの少ないやや平板な印象だ。72年の演奏はワイルドながら、バンドが一丸となってウネリを作り出していた。
続いて「Midnight Rambler」。これも御承知のとおり長い演奏で、前の曲と合わせて20分以上の長丁場。やっぱりちょっとダレる。

次いで「Honky Tonk Women」。これは72年ツアーでは聴けなかった曲。キースのギター・ソロで懐かしいフレーズが聴ける。
そして「All Down The Line」。ミック・テイラーのスライドが72年よりちょっと大人しめだ。これで、会場をウォーム・アップして、怒涛のラスト3連発へ。

コンサートの締めとして72年ツアーのときのパターンを変えなかったのは大正解だ。「Rip This Joint」、「Jumping Jack Flash」、「Street Fighting Man」とたたみかけ、「Street…」の終盤で暴走状態となって大団円。快感だ。
ただし、72年のときとはちょっと雰囲気は違っている。
つんのめるように始まる「Rip This Joint」。ここはニッキー・ホプキンスの跳ねるピアノとボビー・キーズの粘っこいサックス・ブロウ(72年ツアー)がやっぱり欲しいところ。
続く「Jumping Jack Flash」は72年にはあったミック・テイラーのソロがなくなり代わりにキースのストローク・プレイが聴けるが、ちょっと物足りない。
そしてラストの「Street Fighting Man」。前曲に続いてたたみかけるように始まる。
終盤、テンポ・アップして暴走状態に突入する。呪文のようなフレーズのギターが鳴り、ブラスが咆哮してフリーキー状態に。キング・クリムゾン『アースバウンド』の「21世紀…」を思い出させる迫力だ。
72年ツアーのラストはもっとサウンド全体がタイトで、ピアノとブラスの暴れっぷりが印象に残った。あれはあれでよかったが、こちらもなかなかよい。

というわけだが、全体の印象としては、72年の演奏の方が、ラフでワイルドでありながらバンドが一体となって突っ走っていく爽快感があった。そこが私には最高に魅力的だ。73年の演奏は、もうちょっと落ち着いている。
ミック・テイラーの演奏も73年は安定感があって多彩だが、72年の方がよりスリリングで私には好ましい。それにしても、バランスが良くて伸びやかで、クラプトンの後を継ぐ正統派のロック・ギタリストだったのになあ。

ところで今回のオフィシャル・ブートレグのシリーズは全6公演とのこと。この内4公演がすでに発売済みだ(1973、75,81,90年の音源)。
1972年北米ツアーはライヴ盤発売の一歩手前までいっていながらお蔵入りになったとか。その音源があるわけだ。
リリースを待つ残り2公演の中に、この72年北米ツアー音源が入っていることを切に願っている。
タイトルはやっぱり『Philadelphia Special』かな?

2012年9月3日月曜日

「BEAT TAKESHI KITANO 絵描き小僧展」その他

東京に出て新宿で時間が空いた。ふと思いついて東京オペラシティをのぞいてみることにした。
ここに行くのははじめて。以前からどんなところなのか、一度行ってみたいとは思っていた。が、なかなか足が向かなかった。
行く気が起きなかった理由は簡単。私はNTTが嫌いなのだ。電電公社時代のお役所的ゴーマン体質を濃厚に受け継ぐNTT。その牙城であるオペラシティには、足が向きかねた。
しかしもうそろそろ「大人の対応」ということで…。

あんまりなじみのない都営新宿線に乗り、まったくなじみのない初台の駅で降りると、そこはもうほとんどオペラシティ専用駅なのだった。
オペラシティの全容が理解できないうちに何とかアートギャラリーに辿り着くと、やっていたのは北野武の展覧会「BEAT TAKESHI KITANO 絵描き小僧展」だった。
テレビで再三本人が宣伝していたのはこの展覧会だったのか。

人気お笑い芸人、そして今や日本を代表する映画監督の話題の展覧会、しかも会期は残り一日ということで、入り口には行列が出来ていた。美術展の行列というよりも、どちらかというとデパートのイベント会場の行列に近い客層だ。とりあえず中に入る。

内容は北野の描いた絵画(一部版画などもあり)が半分。
もう半分が北野のオモシロ・アイデア(たとえば魚と動物が合体した生き物とか)を実体化したものが並ぶコーナーである。後者は、お祭りの会場か、はたまた遊園地のようなしつらえになっている。

絵を描くタレントというのはこれまでにもいた。工藤静香とか八代亜紀とか。でもたいていはふつうの日曜画家とおなじで習い事として洋画の作法をなぞっているだけのものだ。
北野の描く絵は、それらとはまったく違う。漫画というか、イラストに近く、いわゆる「洋画」とは別物だ。

一種の開き直りなのだろうが「ペンキ屋のせがれ」と自称しているだけあって、北野の画面は原色にあふれてカラフル、しかも色面はアクリル絵の具によってフラットに塗られている。マチエールはなし。
内容は自分の思いつきやワン・アイデアを具象的に描いたもの。人物や猫がよく登場する。ただし、タイトルはなく、風刺的な意味合いを過剰に込めているわけではない。自分の好きなように描いていて自由な感じが伝わってくる。
「好きなように描く」というのは、できそうでいて素人にはけっしてできることではない。北野の絵はあくまで素人だが、その自由さにおいてやはり才人ならではの絵だなと感心する。

しかし、たぶんかなり意識していわゆる「アート」風にならないように努力しているのだと思う。しかも、これでもアートなのだという主張がその裏には強く感じられる。
会場冒頭のあいさつ文の中で、北野自身が次のように語っている。

「この個展を通して、アートって言葉に、もっと別の意味をもたらせたらいいなと思う。アートって特別なものじゃなく、型にはまらず、気取らず、みんながすっと入っていきやすい、気軽なものであるべきだと思う。」

自由に無手勝流に描いているが「これもアートだ」という主張があるのだ。ツービート時代からの既成の価値観を突いてやろうという批評精神の性根は、ここにも一貫しているのを感じる。
「これもアートだ」という主張を観る者に想起させるかのように、画中の人物の顔は、つねにピカソ風に描いてある。「これってやっぱりアートなのか」と観る者を惑わせる仕掛けだ。あるいは、これを見て観客は、アートって何だろうとあらためて考え始めるのだろうか…。

しかし、その心意気はわかるにしても、全体的に言えば絵画としての感動や感興というようなものは、私にはまったくわかなかった。なるほど従来のアートにはこだわっていないかもしれないが、そもそもこれが広い意味でのアートとも思えない。
ひねったアイデアを具現化した立体物のコーナーは、面白いものもあったが、そうでないものもあった。まあ、絵のおまけみたいなものだろう。じっくり腰をすえてみる気にはなれなかった。

ついでに同時に開催していた所蔵作品展「難波田龍起・舟越保武 精神の軌跡」と「関口正浩展」も観てきた。

このうち難波田龍起のコレクションはじつに素晴らしかった。質、量ともに十分に一つの特別展に匹敵する内容だ。
繊細で控えめな作品群だが、日本における西欧のモダン・アートの影響の中でも最も良質な成果と言えるのではないか。その世界をじっくりと堪能させてもらった。本当に観に来てよかった。
舟越の作品は、頭像が中心でプライベート・コレクションと言った感じ。

関口正浩は、昨年のVOCA展に入選したまだ二十代の若手とか。でもやっていることはちっとも新しくない。こんなことやっていると、北野武に笑われそう。

2012年9月2日日曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「極辛麻婆」月間その5

「極辛麻婆らーめん」の三杯目の巻

 8月もみそかを残すのみとなった月末の一日、またまた「つけ麺 坊主」訪問とあいなった。
じつは前回訪問をもって8月中は終了と思っていたのだ。しかし、たまたま用事があって水戸に出てきたので、しょうこりもなくまた寄ってみることにしたのだった。8月になってこれで5回目の訪問。

店の前まで来ると、前回同様この暑さなのに自動ドアは開放されたまま。いいぞ、こうでなくちゃ。今日もいい大汗がかけそうだ。
平日の午後12時42分入店。先客はなんとたったの一人。
私はこの店に来る場合、12時から1時までの間はなるべく避けるようにしている。当然いちばん混み合う時間だからだ。今日も12時20分くらいに用件は終了していたが、何とか時間をつぶしていたのだ。そろそろいいかなと思って来てみたのだったが、こんなことならすぐ来ればよかった。
さて今日の「極辛」メニューは、8月最後のシメということで「極辛麻婆らーめん」にする。ただし、前々回、このメニューを頼んで完食できないという「敗北」の体験があるので、今回は大事をとって麺普通盛で「白めし」はなしにする。もちろん「ビール」はありだけど。
席は入り口近くのいちばん端にする。

店が思いのほか空いていることにちょっと驚いたのだったが、心配する必要はなかった。私の後に五人連れのサラリーマンの一団が来店。さらに続いてその後に、やはり五人連れの高校生グループが入ってきて、たちまち店内はいっぱいになった。
高校生のグループの中の一人が「特製つけめん」を頼んで一同に感心されていた。他の人はみなそれよりずっと辛さの少ないメニューを頼んだらしい。
これが普通なのだろうな。私の頼んだ「極辛麻婆」は、「特製」の数倍は辛いはずだ。彼らから見たらとんでもないシロモノだろう。でもこの辛さと一体だからこそ美味しさは格別なのだ。自分は辛さに耐性があってつくづく幸せだったと思う。

 先客ひとりで、注文待ち状態だったので、私の頼んだ」極辛麻婆らーめん」は、手間がかかるとはいえすぐに完成して到着。あわててビールを空にする。
相変わらずいい景色だ。どんぶりの中央に具材とトッピングの山が出来ている。しかし、スープがなみなみとしているので、この山を崩してスープの水位がこれ以上上昇すると、どんぶりから溢れそう。
とりあえず山には手をつけず、レンゲでスープをすくって飲む。二口、三口…。やっぱり旨い。甘くて旨い。私の定番メニュー「特製らーめん」のスープと同じ。シンプルだけど奥深い旨さだ。で、辛いのは辛いけど、そんなにものすごいほどではない。

スープの水面には、麻婆豆腐の餡が流れ込んでたまっている部分がある。そのあたりをレンゲでそっとすくって飲んでみる。一応色は赤いがスープ本体よりやや薄く、味もその分辛さがマイルド。辛さの口直しにちょうど良いかも。
このあたりで、いつもならご飯を一口いきたいところだが、今回は頼んでいないので我慢だ。

いよいよ具材と麺に取りかかる。もやしと豚肉と豆腐と麺。このサイクルがたちまち加速し始める。ふつうだと、この回転が際限なく早くなっていき、無我の境地に突入していくわけだ。
しかしこの場合は辛さが口の中を刺激し始め、じわじわと辛さがヒート・アップしていく。こうなると、スープや麺が口の中に入ってくると、その熱さで辛さの刺激が口中で爆発。しばらく立ち往生を余儀なくされることになる。
前回のつけ麺のときは、麻婆豆腐をかじったとき以外は、こういうことは起こらない。だからどんどん食べられる。これが、同じ辛さでもラーメンとつけ麺の大きな違いだということにあらためて気がついた。

食べていると辛さを体全体で受け止めている感じ。そのぶん、全身から汗が噴出する。前回のつけ麺のときとは大違いだ。一口か二口食べるごとに、頭や顔面の汗をハンカチで拭わないと、汗が顔を伝ってあごからカウンター上に滴り落ちてしまう。
気がつくとハンカチが汗でグチョグチョだ。
 汗を拭きながらゆっくりゆっくりと食べた。
今日はご飯なしだったが、けっこうお腹が満たされてきている。どうやら辛さと満腹感は関係があるのかもしれない。
前々回、「極辛麻婆らーめん」と「白めし」を完食できなかった。自分の感じではけっして辛さのせいではなく、満腹のせいだった。満腹でそれ以上、胃に入らなくなってしまったのだ。しかし、あの満腹感は結局、辛さのせいだったのかもしれない。辛さの刺激で、胃が収縮するのかもしれない。

そして、今回は無事余裕でスープまで完食。量的にも十分満足できた。汗まみれのまま辛さと旨さを堪能したという深い満足感の余韻に浸る。
汗が引き鼻水がおさまるまで、しばらく時間がかかる。ああおいしかった。
ご主人が、「極辛」完食記念に、まっ赤な唐辛子色で店の名入りのタオルを手渡してくれる。ごちそうさま。これが、私にとっての「金メダル」。

炎天下の街に出る。これで私の夏は終わった。


思えば8月の一ヶ月の間に5回も通ってしまったことになる。通常の私の訪問ペースでいうと半年分だ。でもそれだけ「極辛麻婆」にはやみつきにさせる魅力があった。
この間に「極辛麻婆らーめん」を3杯、「極辛麻婆つけめん」を2杯食べた。一度だけらーめんのスープを少し残してしまったが、あとはスープまで完食。暑い夏に大汗流して食べた「極辛」メニューは格別においしかった。
気が早いが、今度は次回「極辛」解禁となる来年の2月が待ちどおしい。

ところで、最近になって気がついたのだが、「坊主」さんのメニューに「特製麻婆らーめん」というのがあるのを見つけた。これまで、レギュラー・メニューでいちばん辛いラーメンは「特製らーめん」だったわけだが、理屈から考えると、こちらの方がさらに辛さが上ということになる。
次回はぜひこれを食べてみることにしよう。もっとも、「極辛麻婆らーめん」に比べたら、何ほどのものでもないわけだが…。