2013年8月30日金曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「極辛麻婆つけめん」の2杯目 2013夏


もうすぐ夏休みも終わり。まあ、いつもお休みの自分には関係ないんだけれどね。そして「つけ麺 坊主」の8月も終わる。限定月間が終わると、また「極辛麻婆つけめん」と「極辛麻婆らーめん」が食べられなくなる。というわけで、8月末のある日、水戸に出かけて「つけ麺 坊主」を訪ねた。
これで8月になって4回目の訪問。これまで「極辛麻婆らーめん」を2回、「極辛麻婆つけめん」を1回食べた。そこで今回は「極辛麻婆つけめん」の2杯目を食べることにする。

平日の午前11時8分入店。先客は単独客2人。後客は10人。
券売機で「極辛麻婆つけめん」を押す。それから麺の「特大盛」(100円)のボタン。そのかわり今日も「白めし」はなし。そして「ビール」。
カウンターのいちばん端に座り、御主人に食券を渡す。

前々々回「極辛麻婆らーめん」の1杯目を食べたtときに、辛さのため満腹になってしまい完食できなかった。その反省から以後ご飯はパスしてきた。しかし、前々回の「極辛麻婆つけめん」のときは、麺を大盛にしたものの、やっぱりちょっと物足りなかった。そこで今回は、麺を「特大盛」にしてみたわけだ。極辛のつけ汁を、麺と一緒にとことん味わえるしね。

すぐに「極辛麻婆つけめん」到着。
つけ汁の器をのぞくと、今日はいちばん上の赤い脂の層がかなり厚めだ。上から見えるのは、まん中辺に赤い粉末の山と、その脇の海苔一枚だけ。もやしや麻婆豆腐や刻みネギはみんな脂の下に水没している。かなり脂多め…、いいぞ。
特大盛の麺も到着。茹で上がりの重量で600グラム。なかなかうれしい分量だ。ちなみに、いつも食べている大盛は、450グラムで、普通盛は350グラムとのこと。
特大盛を頼むのはこれでたしか4回目だ。特大盛の場合、注意しなくてはならないことがある。それは麺をつけ汁に絡め過ぎないようにすること。そうしないと最後に麺より先につけ汁が無くなるという悲しい事態になる。私も一度あった。

では早速麺を数本箸で持ち上げてつけ汁へ。つけ汁の表面は脂で覆われているので、軽く沈めてから口へ運ぶ。むせるのを避けるために、なるべくすすり込まないようにする。そうすると口の周りが汁で汚れるのだがやむを得ない。
脂が濃いのもなかなかよろしい。脂の下の味噌の味も濃厚に絡んできて美味しい。コシのある麺と最高のハーモニーだ。
しばらくの間、ひたすら麺だけを汁にひたしては食べる。赤い粉末の山はなるべく崩さないようにし、また具材や麻婆豆腐にも一切手を付けないように心掛ける。大盛なので麺が全然減らないように見えるのがうれしい。
辛さがしだいにキバをむきはじめる。鼻水があとからあとから出始める。しかし、冷たい麺に絡んだ汁は、麺で冷やされて辛さが一段階やわらぐ。この辺で口直しに麻婆豆腐の小片を口に入れると、その熱さで辛さが口の中で爆発した。痛辛い。

つけ汁の減り具合をみながら麺を絡める。つけ汁が減ってくると汁に溶け出した赤い粉末と、麻婆の餡のせいでつけ汁がどろどろになってきた。しまった、最初に全体をよく混ぜておいた方がよかったのかも。とにかく、つけ汁が麺や具材にどんどん絡んでくる。
しかし、大量の麺でつけ汁がどんどん冷めて、辛さはそれほどでもなくなっている。つけ麺を大盛にした場合、つねにこの問題がある。そのために今回は辛さでヒーハーということはない。頭じゅうから汗が噴出すということもなかった。辛さを思いっきり味わうには、やはり全体が熱々のラーメンのほうがいいようだ。

というわけで、前回ほど汗もかかず、辛さで我を忘れることもないまま快調に食べ進んだ。そして、麺とつけ汁をほぼ同時に完食。
お腹はそこそこに満たされて満足した。けっこう辛さが胃に来ている感じはある。でも、やっぱり大汗をかいてすっきりしたかったな。

もう8月中に来られるのは、これが最後かもしれない。極辛メニューとまた今度は2月までさよならだ。本日はご馳走様でした。

店の外は暑い。でもここ何日か朝晩はようやく秋の気配を感じるようになってきた。どんなに暑くても夏が終わるのはやはり寂しい。
足は何となく千波湖の方に向かう。今日は、千波公園の崖下をたどって歩いた。偕楽園の拡張部分で月池をぐるっと回ってから、梅桜橋を渡って偕楽園に入り、吐玉泉の下を歩く。トンネルをくぐり歴史館の蓮池を見てからまた偕楽園に戻って、表門から外へ出る。表門通りを大工町まで歩いてからバスで駅まで戻った。どこまで行っても人気のほとんどない良い散歩だった。

この「つけ麺 坊主」訪問シリーズも今回で38回め。一回食べに行くたびに、一本投稿してきた。これもあと2回書いて40回になったところで一応終了にしようかと考えている。きりがいいし、ページ・ヴューもこの間めでたく20000回を越えて何となく節目を迎えた気分なのだ。
というわけであと2回。最後を記念してどんな趣向で食べようか、今はそれが楽しみだ。


2013年8月26日月曜日

ページ・ヴュー20000回突破に感謝


うれしいなあ。何がって、このブログのページ・ヴューが、とうとう20000回を越えたのだ。延20000人の人が、見に来てくれたことになる。見に来てくださった方々、どうもありがとう。

何せご覧のとおり、とにかく無愛想なヴィジュアルのブログである。写真や絵や背景はいっさいなし。文字ばかり。しかもその文章がやたらと長い。気楽に立ち寄ってはみたものの、あきれてすぐに立ち去った人も少なくないはず。そういう人もかなりページ・ヴュー数にはカウントされているんだろうな。
写真がないのは、最初はたんに面倒だったから。でもだんだんこういうスタイルもアリかなと思うようになった。体裁ばかりキレイに整っていても中身のないものが多い昨今、こんな実質本位のブログがあってもいいんじゃないかと考えたからだ。

それから見に来てもらうための宣伝というものを一切していない。知り合いにも、私がこういうブログを書いていることを全然話していない。
読者数の数字だけをむやみに増やそうという気持になれないのだ。興味のない人に読んでもらってもうれしくないし、そもそも相手が迷惑だろう。
わりとマニアックな内容の記事が多いので、本当に興味があってこのブログに辿りついた人たちだけが読んでくれればそれでいいと割り切っている。

こんな無宣伝で無愛想なブログなのに延20000人もの人が来てくれたかと思うと、うれしさがじわじわとこみ上げてくる。私なりのやり方を受け入れてくれる人が、それなりにいるんだなという気持になる。

このブログを始めたのは昨年の1月のこと。その前の年に私は隠居生活に入ったので、最初「御隠居日記」というタイトルにしようとした。ところが、同じタイトルのブログがすでにいくつもあることがわかったので、その後ろに「BTTB」をくっつけたのだ。
この「BTTB」の意味については、以前「坂本龍一のアルバム5選」という記事の中に書いておいたので、気になる人は見ていただきたい。
でもまあ「日記」というには、間が空きすぎているな。

ブログを去年の1月に初めてからその後ページ・ヴューが10000回に達したのは、今年の3月初めのことだった。1年と2ヶ月、つまり14ヶ月かかったわけだ。
それがその後20000回を越えたのが、この8月末。だから、後半の10000回は6ヶ月で達成したことになる。かなり加速度がついているのだ。これも何だかうれしい。

加速している理由は簡単だ。古い記事がけっこう読まれ続けているからだ。図書館の蔵書数が増えるのと同じで、記事の投稿数が増えれば増えるほどアクセス数も増える理屈だ。
一応毎日ページ・ヴューの内容をチェックしているけれども、読まれているページはいつも分散している。一つの記事に集中するということはまずない。古い記事が並行して読まれているのだ。
中でも長く読まれているいわば「ロング・セラー」の記事は、ローリング・ストーンズやピンク・フロイド関係、それから中島みゆきやぱっぴいえんどについて書いたものなど。また手作りのラーメンについてのレシピや苦労話などもずいぶん読まれている。

ちなみにこれまでの全期間を通じての記事別のページ・ヴュー数ベスト10を紹介してみよう。

〔順位〕 〔記 事 名〕
第1位 ローリング・ストーンズのベスト・アルバム5選
第2位 ローリング・ストーンズ『THE BRUSSELS AFFAIR ‘73
第3位 「坊主」風激辛ラーメンのレシピ 序章
第4位 中島みゆきが少しだけ「ロック」だった頃
第5位 レコ・コレ誌のベーシスト/ドラマー・ランキングを見てあれこれ
第6位 手打ちラーメン自作に到る長い道のり
第7位 ラーメンの手打ち麺のレシピ
第8位 「坊主」風激辛ラーメンのレシピ
第9位 ピンク・フロイド 74年、ウェンブリーでの『狂気』
10位 「ニッポンのギタリスト名鑑」

上位に入ったのは人気のあるテーマを取り上げたからということもあるだろう。しかし、これまで書いてきて感じるのは、じっくり手間をかけて検討したり資料にあたったりして書いた記事は、やはりページ・ヴューの上でもそれなりの手ごたえがあるということだ。これからも、実質本位でいこう、とあらためて思う。

ブログ全体の傾向としては当初考えていたよりもずっとロックとラーメンに偏った内容になってしまった。何しろロックの記事が全体の4割、ラーメン関係の記事が3割弱を占めている。二つあわせると7割だ。たしかにどちらも私の大好きなものであることに間違いはないのだが…。
当初はこの他やはり私の大好きな落語や映画についての感想も書こうと思っていたのだが、こちらについてはほとんど書いてこなかった。今回のページ・ヴュー20000回突破をひとつの節目として、今後はちょっと軌道修正をはかりたいと考えている。
というわけで、これまでどうもありがとう。これからもどうぞご贔屓に。


2013年8月23日金曜日

戦争の体験はそんなに大事か?


毎年8月は戦争についての話題が多くなる。
しかし、6日と9日の広島、長崎の原爆投下の日が過ぎ、15日の終戦記念の日が終わると、ぱったりと戦争の話は聞かなくなる。今年は例外的に、松江市教育委員会の『はだしのゲン』問題のおかげで、何とか戦争の話題が続いている。

近年の終戦の日のマスコミの論調で目立つのは、戦争の体験を風化させるなということだ。
戦時下で悲惨な体験をした人々が高齢化して少なくなっている。何とかその体験を次の世代に語り伝えなければならない。戦争の悲惨さを伝えることによって、もう二度と戦争が起こらないようにしなければならない、というわけだ。
ところが戦争のことを知らない若者が増えていて、たとえば、8月15日が何の日か知らない人がこんなにいる、などとマスコミは嘆いてみせていた。

しかし、戦争の体験はそんなに重要なのか。戦争の悲惨を体験していれば、戦争は起こらないのか。私は、以前からこのことに大いに疑問を感じている。
なぜなら、戦争の悲惨を体験したはずのまさにその人たちが、戦争に向って突き進んで行きかねない自民党を支持しているからだ。憲法9条の改正、防衛軍の設置、集団的自衛権の行使などを唱える自民党は、誰がどう見たって戦争に一番近いところにいる。戦争の悲惨を体験した人が、なぜそんな党を支持するのか、これが私の素朴な疑問だ。

この7月の参議院選挙だって、戦争を知っている人たちが自民党に一票を投じなければあんな大勝はあり得ない。何しろ戦争を知らない若い人たちは、あんまり投票に行かなかったんだから。悲惨な体験をしたはずの人たちが、また性懲りもなく戦争へ向おうとしているように私には見える

かつてヒトラーとナチスに一票を投じてその台頭を許した人たちと同じように、今回、自民党に一票を投じた人は、後の世の人たちに責められるかもしれない。そうなったらまたこの間みたいに「こんなことになるとは思わなかった」とか「自分にはどうしようもなかった」などと言い訳するのだろうか。

結局、みんな懲りない人たちなのだ。原発でこんな大変なめにあっているというのに、再稼動をOKするのと同じだ。目の前にカネ(景気)をチラつかせられると、愚かな健忘症になるのだろう。

だから、戦争の体験など絶対的に重要ではないと思う。
本当に大事なのは、「冷静な判断力」と「ちゃんとした想像力」なのだ。それを働かせれば、老若に関係なく、誰でも戦争が起きればどんな悲惨が生じるかはわかる。べつに8月15日が何の日か知らなくたって戦争の悲惨さはわかるだろう。そして、それを避けるにはどうすればよいのかも。


「つけ麺 坊主」訪問 「極辛麻婆らーめん」の2杯目 2013夏


8月ももう下旬。うかうかしていると「極辛麻婆」の限定月間が終わってしまう。というわけで、水戸に出て「つけ麺 坊主」を訪問。8月になってこれで3回目だ。
前々回は「極辛麻婆らーめん」を、前回は「極辛麻婆つけめん」を食べた。今回はどうしようかなと思ったが、「極辛麻婆らーめん」の2杯目を食べることにする。

平日の午前11時20分入店。先客は単独客3人。今日もわりと空いている。後客は7人。
券売機で「極辛麻婆らーめん」のボタンを押す。あとは「ビール」も。今日は残念ながらいつもの「白めし」はパスだ。カウンターのいちばん端に座り、麺は普通盛でとお願いする。

前々回「極辛麻婆らーめん」を食べたtときは、満腹になってしまい完食できなかった。今日はその反省からご飯をパスしたわけだ。リベンジのためにはやむを得ない、などとビールを飲みながら考える。

程なく「極辛麻婆らーめん」到着。
毎回書くけど、とにかく立派な外観だ。何しろ期間限定ではあるが、このお店の最上級メニューなのである。具材もトッピングもこのお店のありったけのものがここに結集されているといった感じ。とにかく豪華。
どんぶり中央にはもやしと豚肉その他の具材からなる山が高々と盛り上がっている。そこに麻婆豆腐がかかり、その上にたっぷりと白い刻みネギと赤い粉末が散らしてある。そして山の傍らに海苔。

さて山のわきの隙間からレンゲで鮮やかに赤いスープをすくって飲む。今日も注意したのに少しむせてしまう。脂、コク、旨み、今日も最高のバランスだ。そういえばこのところいつもアタリだ。この時点ではまだ辛さはさほど感じない。
スープを飲み続ける。ご飯が無性に食べたくなる。が、今日は我慢だ。
なかなかスープは眼に見えて減らない。中央の山を崩すとスープがどんぶりからあふれそうな感じだ。そこで山のわきから箸を突っ込んで麺をそっと引き出す。口に入れると、熱い、辛い。麺の熱さで辛さが口の中で炸裂する。ウヒョー、これが快感。もう一回また麺を引っ張り出して食べる。このあたりでもう鼻水が出始める。たちまち忙しくなってくる。

そのまま具材の山は崩さないようにしながら、どんぶりの底の方から麺を引き出して食べ続ける。口の中が熱くて辛くて痛い。でも美味しい。あんまり辛いと味がわからないでしょ、と言う人がいるが、私にはまだ十分美味しいと感じる。というか、この辛さが旨さの一部分というべきか。

ある程度かさが減ってきたところで、麻婆豆腐を食べる。そして今度は、山を崩しながら具材と麺を一緒に食べていく。辛くてヒイハアしながら食べているわけだが、その最中でも、肉が旨いなあ、メンマが旨いなあ、もやしとニラも旨いなあなどと味わう余裕はある。辛さの中カから漂ってくるユズの風味もいい。

頭から汗が噴出す。ハンカチで頻繁に拭うが、うっかりするとあごの先からカウンターの上にポタリと汗が滴り落ちる。辛さと取り組んでいるうちに、しだいに我を忘れ、食べることに夢中になっている。
そして気がつくと麺と具材は完食。
まだスープがけっこう残っているが、何だか満腹になっている。やっぱり辛さのせいでそう感じるのだろう。ゆっくりゆっくりレンゲでスープを飲み、最後はどんぶりを両手で持ち上げて飲み干した。いつものご飯は食べていrないのに、かなりな満腹感だ。ちょっと胃がねじれている感じ。恐るべし極辛。

水を飲みながら、まだまだ流れ続ける汗を拭いたり、鼻水をかみながらしばらくヒートダウンをする。今日もじつにいい一杯だったなあ。
ごちそうさま。帰りがけに御主人から完食記念のタオルをいただく。「つけ麺坊主」の名入りの赤い唐辛子色のタオルだ。うれしい。
さあ8月中に何とかもう一回来て、次回は「極辛麻婆つけめん」の2杯目を食べるぞ。それも麺は特大盛りで。

店を出ると外はやっぱり暑い。
今日は久しぶりに千波湖畔を歩く。そこから桜川沿いを少し遡って歩いてみた。街の真ん中にこんなに深い谷間があることに驚く。人っ子一人歩いていない。水戸っていい街だなあ。


2013年8月21日水曜日

簡単(?)本格(!) スープカレー・レシピ


もともとカレー好きだった私は、スープカレーも大好き。
札幌発のスープカレーのブームが全国に広がり始めたのは今から10年ほど前のこと。あの頃は、札幌からお取り寄せしたり、東京に食べに行ったりしたものだった。それを何とか自分で手軽に作って食べられないものかと思って考えたのが、このレシピ。
最後におまけとしてマイ・スープカレー史を紹介。


<簡単本格 スープカレーのレシピ>


〔概 要〕

*旨みたっぷりで自分好みにスパイシー。スプーン一つで具材の肉や野菜がホロホロとほぐれる本格派のスープカレーだ。

*ただしあくまで味本位で体裁は二の次のレシピ。
たとえばお店のスープカレーは、さらさらした食感にするために、タマネギをミキサーにかけたり、それを漉したりと、いろいろ手間をかけている。しかし、そこまでのことはしない。
また澄んだスープにするためターメリックを使わないお店も多い。この点もあんまり気にせずに、ターメリックも当然入っている簡便なカレーパウダーを使っている。

*お店ではスープと具材は基本的に別々に調理しているが、ここではスープそのもので肉と野菜を煮込んでいるので手軽だ。

*ただし鍋を火にかけている時間は1時間30分が目安。これをはたして「手軽」と言ってよいかどうかは多少疑問ではある。


〔材 料〕 (3~4人前)

<スープのベースになるもの> (最初に入れる)
・水  1500cc
・タマネギ  大1個(約400グラム)
・ニンニク、ショウガ  各1片
・酒  100cc
・ガラスープ(顆粒)  大さじ1
・かつおだし(粉末)  小さじ1 
・ケチャップ  少々
・ソース  少々
・ローレル 1枚(もしあれば)

<具材>
・鶏肉(モモ肉、ムネ肉、手羽元など何でもよい)
1人前 150~200グラム×人数分
*モモ肉とムネ肉の場合は、1人前がひとかたまりになるように切る。小さく切らない。
手羽元の場合は1人前3~4本。
・ニンジン 1人前 中1本×人数分
・ジャガイモ 1人前 中1個×人数分
*ニンジンとジャガイモは皮をむいただけの丸のままの形で使う。小さく切らない。

<スパイスなど> (仕上げに入れる)
・ガラスープ 大さじ1/2~1
・カレーパウダー  大さじ1~2
*その他もしあれば、ガラムマサラ、クミン、コリアンダー、クローブなどをお好みで加える


〔手 順〕

*鍋を火にかけて約1時間30分ほどかかるので、あらかじめそのつもりで

1 水1500ccを鍋に入れ火にかける(出来上がりは1000ccくらいになる)。煮立ったら後はずっと中火から弱火。

2 以下のものを鍋に投入する。
① タマネギ(400グラム)の薄切り
② ニンニクとショウガ各一片をすりおろしたもの
③ 酒100cc
④ ガラスープ(顆粒) 大さじ1
⑤ かつおだし(粉末)  小さじ1
⑥ ケチャップとソース各少々
⑦ ローレル 1枚(もしあれば)

3 鍋を火にかけてから30分ほど経ったら(つまり完成予定の1時間前)鶏肉を入れる。
*投入する前に、フライパンで焦げ目をつけておけばベスト。

4 鶏肉投入後20分経ったら(つまり完成予定の40分前)にニンジンを投入。

5 さらにニンジン投入後10分経ったら(つまり完成予定の30分前)にジャガイモを投入。

6 完成予定時間(鍋を火にかけて約1時間30分後)になったら具材に火が通っていることを確認する(通っていなければさらに煮る)。
火が通っていたら、次のように味を調えスパイスを加える。
なお具材が崩れやすいので、鍋を混ぜるときは注意しながらやさしく混ぜることが大事。

① 塩気は塩の代わりに、ガラスープを加えて調整する。
最初に(上の手順2で)大さじ1を入れてあるが、さらにここで大さじ1/2~1くらいを加えるといい塩梅になると思う。お好みで調節を。
② 辛さは カレーパウダーで調節する。大さじ1~2くらいが普通の辛さだと思う。これもお好みで。
③ あとは、もしあればガラムマサラ、クミン、コリアンダー、クロ-ブなどのスパイスを入れて仕上げる。

7 これで完成。スパイス投入後はなるべく煮込まない。
スープカレーを器に盛り、別皿にご飯をよそって食べる。
*なお、スープカレーのトッピングとして、ゆで卵、茹でたオクラ、素揚げしたナスやピーマンやカボチャを加えても良い。かなり本格的になる。


〔いくつかのポイント〕

* 具材とスープの割り合いについて
スープカレー1食分の汁の量は、200~250ccくらいだろう。
だからこのレシピでは具材に対しスープの汁の量が多くできる。しかし、汁を減らすと、具材が柔らかく煮えた後で、鍋の中をかき混ぜるときに具材を崩してしまったり傷をつけたりしてしまう。ある程度汁分が多い方が混ぜやすいのだ。
もちろんそれでも調理中は必要以上に鍋の中はかき混ぜない方が良い。
具材と一緒に盛り付けた後、鍋に残った具なしの汁は、お代わりとして食べてしまうか、とっておいて後でカレーリゾットとして食べればいいと思う。これもおいしい。

* 塩気と辛さの調節について
手順のところにも書いたが、仕上げの段階での塩気の調整はガラ・スープで、また辛さの調整はカレー・パウダーですると美味しくできる。
長時間煮込んでいるので、火の強さや鍋の形状により残っている汁の量はかなりばらつきがあるはず。だからそれぞれ味を見ながら調節する必要があるのだ。
なお、さらに激辛にしたい場合は、唐辛子、コショウを加えても良い。


<おまけ:マイ・スープカレー史>

札幌のスープカレーがブームになって全国的に知られるようになったのは、今から10年ほど前のことだった。
2002年に初めてスープカレーの概要を記した樺沢紫苑の『北海道スープカレー読本』が出た。そして翌03年には横濱カレー・ミュージアムに、札幌のスープカレー店マジック・スパイスが出店して話題になった。
私がスープカレーの存在を知ったのも、この頃のこと。あるラジオの番組で、今こういうものが話題になっていると紹介されていたのだ。しかし、映像なしで言葉だけの説明では、全然ピンとこない。カレー味のスープとどこがどう違うのか。しかし、とにかく興味は激しくそそられた。

いったいそれはどんなものなのか。スープカレーに対する興味は大きく膨らんだ。しかし、その時点での情報はかなり限られていた。それでも調べてみたら本場札幌のスープカレー専門店のいくつかは、自分の店のスープカレーをレトルト化して通販で販売していることを知った。札幌におけるスープカレー事情は、すでにそういう段階まで進んでいたことになる。
何はともあれさっそく「お取り寄せ」だ。5、6店からふたつずつ取り寄せた。けっこういい値段だった。一袋5~700円くらいしたと思う。
店によって味もタイプもいろいろだった。共通しているのは、チキンや野菜がごろっと大きいまま入っていること。そして、汁にとろみがなくて確かにスープ状だったことだ。小麦粉によるとろみがないことはもちろんだが、インド系のカレーのような野菜を煮詰めることによって生じるとろみもなかった。しかし、スパイシーで濃厚な味わいがある。
なるほど美味しいとは思ったが、普通のカレーがそうであるようにレトルト化によって何か肝心なところがよく見えない感じもした。

そこで、やはり東京に出店した店で実食してみることにした。
まず横濱カレー・ミュージアムに行ってマジック・スパイスのスープカレーを食べてみた。
これははっきり言ってたいしたものではなかった。作り方が本店によってきちんと管理されていないからなのだろう、たぶん。こんなやり方では店の名前に傷がつくはずだ。その後、カレー・ミュージアムそのものが無くなってしまったのもうなずける話だ。
しかしこれにめげずに東京のスープカレー店をいくつかめぐってみた。新橋のガネー舎、原宿のシャンティ、下北沢のマジック・スパイスなどだ。
中でもガネー舎の味がいちばん気に入った。スープカレーを創始したと言われている札幌のアジャンタ系の店とのこと。スープカレーもアジャンタの薬膳カリィを再現している。スパイシーであることはもちろんだが、味に深い奥行きがある。このお店の味のとりこになり、何度も通ったものだ。

しかし、やはり東京は遠い。そういつも食べに行けるものでもない。そこで、例によって自作するに到ったわけだ。もちろんガネー舎のような深い味わいは出せるはずもない。ある程度妥協して、手軽さを第一に考えた。その結果たどり着いたレシピが上に紹介したものである。

スープ・カレーは、とろみの少ないさらさらしたスパイシーなスープに具材が入ったものである。ターメリックが入っていない場合が多く、そのためカレー独特のあの黄色い色をしていないものが大半だ。
メインの具材は鶏肉(チキン・レッグ)が一般的で、これにジャガイモ、ニンジン、ピーマン、オクラ、カボチャといった野菜が素揚げして添えられる。具材の肉や野菜が、かなり大ぶりでごろんと入っているのも大きな特徴である。このスープと一緒に別皿に盛られたご飯を食べるのである。

スープ・カレーのルーツは、漢方の薬膳スープ、スリランカとインドネシアとタイのカレー、さらには各種のインド料理と言われている。ようするに東南アジア系のエスニック料理をルーツにしているわけだ。しかし、日本での発展の過程で、トマト・ベースのものやフォン・ド・ボーを使ったものなど、イタリアンやフレンチからの影響を受けたものも現れ、多様な展開を見せている。もう世界のどこにもない日本独自の料理になったと言えるだろう。

さて全国的なスープ・カレーのブームも一段落したようだ。
しかしブームが去って忘れ去られた、ということではない。北海道の御当地メニューの定番としてスープ・カレーは広く全国に知られるようになった。またどこでも身近なスーパーのカレーの棚には、家庭用のスープ・カレーの素が置かれるようになっている。
それからカレーのチェーン店CoCo壱番屋でも、毎年、冬になるとスープ・カレーがメニューに加わるようになった。また北海道料理を謳う水戸の居酒屋のメニューにも、スープカレーが載っている。
でも、やっぱり自分で作ったスープカレーの方が美味しいけどね。


2013年8月15日木曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「極辛麻婆つけめん」 2013夏

 所用もあって水戸に出かけた。そして当然「つけ麺 坊主」へ。「極辛麻婆」メニューの限定月間の8月、訪問はこれで2回目だ。前回は「極辛麻婆らーめん」を食べたが、完食できずにスープとご飯を少し残してしまった。無念。今回は、気を取り直して「極辛麻婆つけめん」だ。

お盆前の平日、午前11時45分に入店。昼の混雑時が迫っていたので心配したが、先客は3人。あれっ、わりと空いている。でも後客は9人。
券売機で今日は「極辛麻婆つけめん」をチョイス。いつもの白めし」はパスして、あとは「ビール」を。カウンターのいちばん端に座り、麺は大盛でお願いする。

ビールを飲みながら前回の反省。完食できなかったのは、けっして辛さのせいではなく満腹になってしまったためだった。しかし、いつもは楽に食べきれる量のはずなのに満腹になってしまったのは、やはり胃が辛さに反応したせいのようだ。以前極辛を食べたときも同じようなことがあった。
極辛のときこそご飯が欲しくなるのだが、あきらめなければならないのか…。まあ今日はそういうわけで「白めし」はなし。

そうこうしているうちに「極辛麻婆つけめん」登場。半年ぶりの対面。前回食べた「極辛麻婆らーめん」のつけ麺ヴァージョンだから、当然、具材やトッピングは同じでそれを濃縮した体裁だ。それにしても麻婆のわきにのぞいているつけ汁の赤いこと赤いこと。隣の席に座ったサラリーマン風が驚いたような様子でのぞきこむ。

大盛りの麺から、なるべく少しだけつまんでつけ汁につける。そして口へ。うーん、さすがにガツンと辛い。注意していたが少しむせそうになる。麺をつけるのに邪魔なので、海苔を麺の器に避難させ、麻婆豆腐をつけ汁の中に沈める。そしてちょっとずつ麺を浸しながら食べ進める。麺の歯応えよし。つけ汁は辛いけど、旨さも濃厚だ。
ここで注意しなければいけないのは、口の周りについたつけ汁を頻繁にティッシュで拭うこと。そうしないとだんだんそこが痛くなってくる。
口の中がひりひりするが、同時に辛さにある程度慣れてもくる。この辺で、豆腐を一口。豆腐の熱さで、口の中で辛さが火を噴く。これがまた快感だ。
少しつけ汁が減ってきたので、麺をつけ汁の下の方まで浸して食べる。濃厚な味噌の風味とユズの香りが麺に絡む。つけ麺の汁は、ラーメンのスープが濃縮されているわけだから、辛さも含めて味のメリハリがきっちり利いていている。そこがつけ麺の醍醐味だ。ふだんはラーメン派なのだが、つけ麺もいいなと思う瞬間だ。

前回と同様今回もヒーハーしながら夢中で食べることになる。メンマやニラといった具材もあんまりじっくり吟味している余裕がない。口の中が辛くて痛い。食べながら忙しく鼻水をかみ、汗を拭い続ける。もう無我の境地だ。
麺の減り方に比べて、つけ汁の減り方が遅いので、途中から麺をどっぷりとつけ汁に絡めて食べる。味噌とユズの風味がさらに迫ってくる。

気がつくと麺を完食。つけ汁が少し器の底に残っている。これをカウンターのポットに入っているスープで割って飲む。スープが熱いので、口の中でなおも辛さが炸裂。少しずつ少しずつ飲んで、飲み干す。
私より後に来た隣の客は、とうに食べ終わって店を出て行っていた。
今日も大量の鼻水と大汗をかいて、何だかすっきりした気分だ。最高のひと時。また来よう。ごちそうさまでした。

店を出ると、外は猛烈な暑さだ。
しかし極辛のせいで気分に勢いがついているので、遠出の散歩をしたくなる。そこで、また水戸の台地の北側の崖下を歩いてみることにする。
五軒小学校の下から東へ向かい、滝坂まで歩いて上に上がる。炎天下の汗まみれの2時間。いい散歩だった。
極辛がちょっとだけ胃にきていた。次回はお盆明けだ。


2013年8月14日水曜日

「日本写真の1968」展


7月上旬の雨模様の日、恵比寿の東京都写真美術館に行って「日本写真の1968」展を観てきた。感想としては、かなり期待はずれの展覧会だった。しかし、それはもっぱら私の期待の仕方が間違っていたことによる。私は写真作品そのものを観たかったのたが、この展覧会はあくまでも写真史をテーマにしたものだったからだ。

展覧会は1968年に起こった日本の写真史の上で重要な四つの出来事を紹介している。
その四つとは以下のとおり。いずれも写真の社会的な枠組みを考える上で重要な出来事と位置づけられている。

① 「写真100年-日本人による写真表現の歴史展」の開催
② 同人誌『プロヴォーク-思想のための挑発的資料』の創刊
③ 『カメラ毎日』での「コンポラ写真」の特集
④ 激化する学生運動を、闘争の内側から撮影した写真群が撮られたこと

展覧会場は四つのセクションに分かれ、それぞれの出来事を紹介する資料と作品が展示されている。つまり作品は、あくまでこれらの出来事を紹介するための「資料」としての扱いだ。
この展覧会の企画者である東京都写真美術館の金子隆一氏もこの点について次のように語っている。

「本展で取り組みたいのは、実は写真の表現の問題ではないんです。それよりも、写真というものが、どういう状況の中で成り立っているのか、その枠組みを解き明かすことができたら良いなと思っています。」
(同展ホームページの解説)

まあ資料としてではあっても作品がたくさん観られればよいのだが、点数的にはまったく物足りなかった。金子氏自身も、上のように語りながらも、この5倍くらいの写真を展示したかったと言っているが私も同感だ。

以下セクションごとの感想等。


① 「写真100年-日本人による写真表現の歴史展」

いかに写真史上重要な展覧会であっても、部分的な再現と説明文だけではやはりその意義を実感できない。というようなことを今回の展示で痛感した。


② 同人誌『プロヴォーク-思想のための挑発的資料』

今回の展覧会の中でも特に私が期待していたのは中平卓馬や森山大道など『プロヴォーク』の作家たちの作品だった。
プロヴォークと言えば「アレ、ブレ、ボケ」だ。すなわち、粒子は粗く荒れていて、カメラはブレブレ、そしてピントが合っていないピンボケの写真。つまり、それまでの写真というものの概念を、ことごとく否定したような表現だ。
彼らがあえてこのような手法を取ったのは、近代の写真というものを根底から問い直そうとしたためであり、さらにそもそも写真とは何かを問うためであった。そしてそれはまた同時に、なぜ自分は写真を撮るのか、という自らに向けた問いでもあったろう。そのような思いの強さが、プロヴォークの写真からは伝わってくる。

現在のデジカメには、「アレ、ブレ、ボケ」の写真が自動的に取れるモードが用意されているという。そのことをもってプロヴォークの写真家たちの手法が現在では一般化した、などと言っている人がいる。それはとんでもないまちがいだ。プロヴォークにおける「アレ、ブレ、ボケ」は写真の様式ではない。写真そのものについての激しい問いかけの結果なのだ。「アレ、ブレ、ボケ」の写真は簡単に取れても、そんな激しい問いかけを持ち続けている人はもうどこにもいない。

ところで現代美術というものの存立の要件の一つが、その表現そのものについて問うという態度にあるのだと思う。すなわち単に現代において作られているから現代美術なのではない。美術というものの存立について問うメタ美術であるもののみが現代美術なのである。

日本の1970前後の美術の世界を見回すと、もっとも輝いていたのは絵画でも彫刻でもなく写真だったと私は思う。
その理由を考える上でのヒントを今回の展覧会で得た。それは、「写真100年-日本人による写真表現の歴史展」が、写真家たち自身の手によって開かれたことだ。
この展覧会は日本写真家協会が開催したもので、東松照明を中心に、プロヴォーグに参加する多木浩二、中平卓馬をはじめ内藤正敏、松本徳彦ら当時の若い写真家たちが資料の収集と調査を行ったという。写真家自身によって、それまでの日本の写真史が体系づけられた点が重要だ。
これに関わった多木浩二、中平卓馬ら若い写真家たちは、その作業の中でこれまでの写真の道筋をきちんと見据え、その延長線上に自分たちがいることをはっきりと意識したことだろう。プロヴォーグでの実験的な試みは、これまでの写真というものをきちんと踏まえた上での、いわば地に足のついた問い直しだったことになる。 それだからこそ、そこに重い説得力があり、そしてその問いかけが作品としての輝きを放ったのだと思う。
他の絵画や彫刻には、そのような自分の足元を見直す契機はなかった。彼らの試みが上滑りした実験に終始したのもそのためだろう。

しかし「アレ、ブレ、ボケ」の写真の問い直しの先にプロヴォークの作家たちが見出したものは何だったのだろう。
10年ほど前の2003年に川崎市民ミュージアムで森山大道展が開かれ、ほとんど同時に横浜美術館で中平卓馬展が開かれた。どちらも彼らのこれまでの作品を回顧する大規模な展覧会だった。
この二つの展覧会を観て、私がもっとも魅かれたのは、結局二人ともプロヴォーク時代の作品なのだった。写真を、そして自分自身を問い直そうとするギラギラしたエネルギーが作品にあふれている。ストイックでアグレッシヴな姿勢が、強力な魅力を放っていて素晴らしかった。
それに対しその後の作品は、二人とも自分の獲得したスタイルの拡大再生産のように見えてしまって面白くなかった。

今回の展覧会では、プロヴォークの写真家たちのエネルギッシュな作品にたくさん出会えるものと私は期待したのであった。『プロヴォーク』の現物や掲載写真のオリジナル・プリント、またオリジナル・プリントの失われたものについては、掲載ページそのものを展示するなど貴重な展示もあった。しかし、点数の少なさもあって、彼らのエネルギーは十分には伝わってこなかったのだった。


③ 「コンポラ写真」

「コンポラ写真」についても私は一定の興味はある。しかしこのセクションの展示も散発的で『プロヴォーク』のコーナーと同じような物足りなさを感じた。
日常への私的なまなざしを特徴とする当時の日本の若い写真家たちの動向について、大辻清司が「コンポラ写真」と命名したとのこと。しかし、結局この流れは一時のものではなく、現在に到るまで日本の写真の主要な動向となったわけである。

カメラ機能のあるケータイの普及によって誰もが自分の日常を写真に撮るようになって、「コンポラ写真」というものもすっかり一般化したと言う人がいる。しかし、これも大きな誤りで、「コンポラ写真」もまた「アレ、ブレ、ボケ」の写真と同様、単なるスタイルではなくて、写真への問いかけをはらんでいたのだと思う。
つまり個人のまなざしで日常を撮るという「コンポラ写真」の態度には、それまでの写真というものが、個人のまなざしではなく、また日常を撮るものでもなかったという認識があるのだ。つまり写真とはあくまで社会的な出来事を記録するものだったのである。それをいったん否定することによって、写真とはいったい何なのかを「コンポラ写真」は問うているのだと思う。
たとえば、私の好きな田村彰英や鈴木清の写真を見ていると、極私的な興味と関心から発せられたまなざしが、この世界の本質へとつながっていくスリルを感じる。
しかし、「コンポラ写真」のセクションには、そのような根底にある意識を浮かび上がらせるだけの数の写真が、やはり展示されていなかった。


④ 激化する学生運動の写真

最後の学生運動の写真や全日本学生連盟関係の写真にはほとんど興味がわかなかった。撮られている内容そのものには興味がある。しかし「写真の無名性」という視点はピンとこないし、それからこのセクションの作品の集合的な展示方法にもなじめなかった。


最後に展覧会全体についての感想を。この展覧会は、写真とそれを成り立たせている時代との関係をテーマにしていたわけだ。しかし、私の関心は、そうした写真と時代との関係ではなくて、むしろ写真そのものの中で何が起きていたかということの方にある。今回の展覧会を観て、あらためてそのことを意識した。
ぜひこの時期の写真の表現をテーマにした展覧会、とりわけプロヴォークの作家たちの表現をテーマにした展覧会の開催を期待したい。


2013年8月12日月曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「極辛麻婆らーめん」 2013夏


いよいよ今年も8月に突入。さっそく「極辛麻婆らーめん」を食べに水戸の「つけ麺 坊主」へ出かけた。「極辛麻婆らーめん」は、「極辛麻婆つけめん」と共に、2月と8月だけのこのお店の限定メニューなのだ。

平日だけど水戸は黄門まつり開催期間中。午前11時10分入店。先客2人(後客は4人)。
券売機で迷わず「極辛麻婆らーめん」のボタンを押す。それといつものように「白めし」と「ビール」も。カウンターのいちばん端に座り、いつものように麺とめしは普通盛りでとお願いする。

ビール到着。暑い中を歩いてきたのでこれで一息つく。店内には、この間来たときと同じくレゲエが流れている。夏らしくて良い。先客2人はどうやらラーメン・マニアのようだ。
そうこうしているうちに待望の「極辛麻婆らーめん」登場。半年ぶりの対面だ。とにかく立派な姿というしかない。
何しろこのお店の最上級メニューだから、あるだけのものが全部入っているという感じ。どんぶり中央にもやしや豚肉などの具材が山盛りになっている。その上に麻婆豆腐がかかり、さらに刻みネギと赤い粉末が散らしてある。その山の傍らには海苔が一枚。
スープは、具材の山の周囲とどんぶりのふちの間にわずかに見えるだけだ。脂の層の下のスープは、いつも食べている「特製らーめん」のスープよりさらにひときわ赤い。いいぞっ。スープの水面は、どんぶりのふちの高さぎりぎりだ。何とも豪華かつ豪快。見ているだけでほれぼれしてしまう。

いつものようにまずはスープから。というかそうする以外にない。何しろ下手に真ん中の山を崩すとスープがあふれそうなのだ。
スープは、脂、コク、甘さ、塩気のバランスが申し分ない。そして当然辛い。注意していたが、やっぱりむせそうになる。しばらくひたすらスープを飲み、ご飯を食べる。ご飯があっという間にへっていく。しかしなかなかスープの水面は下がらない。
しかたがないので赤い粉末のかかった麻婆豆腐を箸で割って食べる。豆腐そのものは辛くないのだが、豆腐の熱さで、口の中が辛くて痛い。もう鼻水が出始める。
ふつうならスープの次に、具材をよけて麺だけ食べて楽しむ。しかし今日はスープがまだ減っていないので、とにかく上層部分から食べ進んでいくしかない。具材と麺を合わせて口に運ぶ。今度は麺の熱さて、やっぱり口の中が辛くて痛い。具材は、もやしと豚バラ肉とメンマとニラだ。そしてユズの風味もする。しかし残念ながら、じっくり味わっていられない。
ヒーハーしながら夢中で食べる。辛いけど旨い。鼻水をひんぱんにかんで、ときどきハンカチで顔面の汗を拭う。だんだん我を忘れて食べることに没入している。

ところが何だかいつもより早く腹がふくれてくる。いかん、以前「極辛」を食べたときもそうだった。辛さのせいで胃が収縮するのだろうか。三分の二くらい食べたところで満腹な感じになってしまった。それでもがんばって結局、具材と麺は何とか完食。しかし、スープとご飯は少しずつ残してしまった。辛くて食べられないのではなく、満腹で入らないのだ。残念。

しかし、辛さでひと時我を忘れて満腹になり、大汗かいてなんかすっきりした感じ。久しぶりに激辛の醍醐味を満喫した。
次回は、完食を目指してリベンジだ。


店を出ると、お祭りの喧騒を避けて、裏道を抜けて偕楽園へ。ほとんど人はいない。ぐるっと散歩して、今度は西の谷を通って駅へ戻り家に帰った。