2013年8月14日水曜日

「日本写真の1968」展


7月上旬の雨模様の日、恵比寿の東京都写真美術館に行って「日本写真の1968」展を観てきた。感想としては、かなり期待はずれの展覧会だった。しかし、それはもっぱら私の期待の仕方が間違っていたことによる。私は写真作品そのものを観たかったのたが、この展覧会はあくまでも写真史をテーマにしたものだったからだ。

展覧会は1968年に起こった日本の写真史の上で重要な四つの出来事を紹介している。
その四つとは以下のとおり。いずれも写真の社会的な枠組みを考える上で重要な出来事と位置づけられている。

① 「写真100年-日本人による写真表現の歴史展」の開催
② 同人誌『プロヴォーク-思想のための挑発的資料』の創刊
③ 『カメラ毎日』での「コンポラ写真」の特集
④ 激化する学生運動を、闘争の内側から撮影した写真群が撮られたこと

展覧会場は四つのセクションに分かれ、それぞれの出来事を紹介する資料と作品が展示されている。つまり作品は、あくまでこれらの出来事を紹介するための「資料」としての扱いだ。
この展覧会の企画者である東京都写真美術館の金子隆一氏もこの点について次のように語っている。

「本展で取り組みたいのは、実は写真の表現の問題ではないんです。それよりも、写真というものが、どういう状況の中で成り立っているのか、その枠組みを解き明かすことができたら良いなと思っています。」
(同展ホームページの解説)

まあ資料としてではあっても作品がたくさん観られればよいのだが、点数的にはまったく物足りなかった。金子氏自身も、上のように語りながらも、この5倍くらいの写真を展示したかったと言っているが私も同感だ。

以下セクションごとの感想等。


① 「写真100年-日本人による写真表現の歴史展」

いかに写真史上重要な展覧会であっても、部分的な再現と説明文だけではやはりその意義を実感できない。というようなことを今回の展示で痛感した。


② 同人誌『プロヴォーク-思想のための挑発的資料』

今回の展覧会の中でも特に私が期待していたのは中平卓馬や森山大道など『プロヴォーク』の作家たちの作品だった。
プロヴォークと言えば「アレ、ブレ、ボケ」だ。すなわち、粒子は粗く荒れていて、カメラはブレブレ、そしてピントが合っていないピンボケの写真。つまり、それまでの写真というものの概念を、ことごとく否定したような表現だ。
彼らがあえてこのような手法を取ったのは、近代の写真というものを根底から問い直そうとしたためであり、さらにそもそも写真とは何かを問うためであった。そしてそれはまた同時に、なぜ自分は写真を撮るのか、という自らに向けた問いでもあったろう。そのような思いの強さが、プロヴォークの写真からは伝わってくる。

現在のデジカメには、「アレ、ブレ、ボケ」の写真が自動的に取れるモードが用意されているという。そのことをもってプロヴォークの写真家たちの手法が現在では一般化した、などと言っている人がいる。それはとんでもないまちがいだ。プロヴォークにおける「アレ、ブレ、ボケ」は写真の様式ではない。写真そのものについての激しい問いかけの結果なのだ。「アレ、ブレ、ボケ」の写真は簡単に取れても、そんな激しい問いかけを持ち続けている人はもうどこにもいない。

ところで現代美術というものの存立の要件の一つが、その表現そのものについて問うという態度にあるのだと思う。すなわち単に現代において作られているから現代美術なのではない。美術というものの存立について問うメタ美術であるもののみが現代美術なのである。

日本の1970前後の美術の世界を見回すと、もっとも輝いていたのは絵画でも彫刻でもなく写真だったと私は思う。
その理由を考える上でのヒントを今回の展覧会で得た。それは、「写真100年-日本人による写真表現の歴史展」が、写真家たち自身の手によって開かれたことだ。
この展覧会は日本写真家協会が開催したもので、東松照明を中心に、プロヴォーグに参加する多木浩二、中平卓馬をはじめ内藤正敏、松本徳彦ら当時の若い写真家たちが資料の収集と調査を行ったという。写真家自身によって、それまでの日本の写真史が体系づけられた点が重要だ。
これに関わった多木浩二、中平卓馬ら若い写真家たちは、その作業の中でこれまでの写真の道筋をきちんと見据え、その延長線上に自分たちがいることをはっきりと意識したことだろう。プロヴォーグでの実験的な試みは、これまでの写真というものをきちんと踏まえた上での、いわば地に足のついた問い直しだったことになる。 それだからこそ、そこに重い説得力があり、そしてその問いかけが作品としての輝きを放ったのだと思う。
他の絵画や彫刻には、そのような自分の足元を見直す契機はなかった。彼らの試みが上滑りした実験に終始したのもそのためだろう。

しかし「アレ、ブレ、ボケ」の写真の問い直しの先にプロヴォークの作家たちが見出したものは何だったのだろう。
10年ほど前の2003年に川崎市民ミュージアムで森山大道展が開かれ、ほとんど同時に横浜美術館で中平卓馬展が開かれた。どちらも彼らのこれまでの作品を回顧する大規模な展覧会だった。
この二つの展覧会を観て、私がもっとも魅かれたのは、結局二人ともプロヴォーク時代の作品なのだった。写真を、そして自分自身を問い直そうとするギラギラしたエネルギーが作品にあふれている。ストイックでアグレッシヴな姿勢が、強力な魅力を放っていて素晴らしかった。
それに対しその後の作品は、二人とも自分の獲得したスタイルの拡大再生産のように見えてしまって面白くなかった。

今回の展覧会では、プロヴォークの写真家たちのエネルギッシュな作品にたくさん出会えるものと私は期待したのであった。『プロヴォーク』の現物や掲載写真のオリジナル・プリント、またオリジナル・プリントの失われたものについては、掲載ページそのものを展示するなど貴重な展示もあった。しかし、点数の少なさもあって、彼らのエネルギーは十分には伝わってこなかったのだった。


③ 「コンポラ写真」

「コンポラ写真」についても私は一定の興味はある。しかしこのセクションの展示も散発的で『プロヴォーク』のコーナーと同じような物足りなさを感じた。
日常への私的なまなざしを特徴とする当時の日本の若い写真家たちの動向について、大辻清司が「コンポラ写真」と命名したとのこと。しかし、結局この流れは一時のものではなく、現在に到るまで日本の写真の主要な動向となったわけである。

カメラ機能のあるケータイの普及によって誰もが自分の日常を写真に撮るようになって、「コンポラ写真」というものもすっかり一般化したと言う人がいる。しかし、これも大きな誤りで、「コンポラ写真」もまた「アレ、ブレ、ボケ」の写真と同様、単なるスタイルではなくて、写真への問いかけをはらんでいたのだと思う。
つまり個人のまなざしで日常を撮るという「コンポラ写真」の態度には、それまでの写真というものが、個人のまなざしではなく、また日常を撮るものでもなかったという認識があるのだ。つまり写真とはあくまで社会的な出来事を記録するものだったのである。それをいったん否定することによって、写真とはいったい何なのかを「コンポラ写真」は問うているのだと思う。
たとえば、私の好きな田村彰英や鈴木清の写真を見ていると、極私的な興味と関心から発せられたまなざしが、この世界の本質へとつながっていくスリルを感じる。
しかし、「コンポラ写真」のセクションには、そのような根底にある意識を浮かび上がらせるだけの数の写真が、やはり展示されていなかった。


④ 激化する学生運動の写真

最後の学生運動の写真や全日本学生連盟関係の写真にはほとんど興味がわかなかった。撮られている内容そのものには興味がある。しかし「写真の無名性」という視点はピンとこないし、それからこのセクションの作品の集合的な展示方法にもなじめなかった。


最後に展覧会全体についての感想を。この展覧会は、写真とそれを成り立たせている時代との関係をテーマにしていたわけだ。しかし、私の関心は、そうした写真と時代との関係ではなくて、むしろ写真そのものの中で何が起きていたかということの方にある。今回の展覧会を観て、あらためてそのことを意識した。
ぜひこの時期の写真の表現をテーマにした展覧会、とりわけプロヴォークの作家たちの表現をテーマにした展覧会の開催を期待したい。


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