2013年8月23日金曜日

戦争の体験はそんなに大事か?


毎年8月は戦争についての話題が多くなる。
しかし、6日と9日の広島、長崎の原爆投下の日が過ぎ、15日の終戦記念の日が終わると、ぱったりと戦争の話は聞かなくなる。今年は例外的に、松江市教育委員会の『はだしのゲン』問題のおかげで、何とか戦争の話題が続いている。

近年の終戦の日のマスコミの論調で目立つのは、戦争の体験を風化させるなということだ。
戦時下で悲惨な体験をした人々が高齢化して少なくなっている。何とかその体験を次の世代に語り伝えなければならない。戦争の悲惨さを伝えることによって、もう二度と戦争が起こらないようにしなければならない、というわけだ。
ところが戦争のことを知らない若者が増えていて、たとえば、8月15日が何の日か知らない人がこんなにいる、などとマスコミは嘆いてみせていた。

しかし、戦争の体験はそんなに重要なのか。戦争の悲惨を体験していれば、戦争は起こらないのか。私は、以前からこのことに大いに疑問を感じている。
なぜなら、戦争の悲惨を体験したはずのまさにその人たちが、戦争に向って突き進んで行きかねない自民党を支持しているからだ。憲法9条の改正、防衛軍の設置、集団的自衛権の行使などを唱える自民党は、誰がどう見たって戦争に一番近いところにいる。戦争の悲惨を体験した人が、なぜそんな党を支持するのか、これが私の素朴な疑問だ。

この7月の参議院選挙だって、戦争を知っている人たちが自民党に一票を投じなければあんな大勝はあり得ない。何しろ戦争を知らない若い人たちは、あんまり投票に行かなかったんだから。悲惨な体験をしたはずの人たちが、また性懲りもなく戦争へ向おうとしているように私には見える

かつてヒトラーとナチスに一票を投じてその台頭を許した人たちと同じように、今回、自民党に一票を投じた人は、後の世の人たちに責められるかもしれない。そうなったらまたこの間みたいに「こんなことになるとは思わなかった」とか「自分にはどうしようもなかった」などと言い訳するのだろうか。

結局、みんな懲りない人たちなのだ。原発でこんな大変なめにあっているというのに、再稼動をOKするのと同じだ。目の前にカネ(景気)をチラつかせられると、愚かな健忘症になるのだろう。

だから、戦争の体験など絶対的に重要ではないと思う。
本当に大事なのは、「冷静な判断力」と「ちゃんとした想像力」なのだ。それを働かせれば、老若に関係なく、誰でも戦争が起きればどんな悲惨が生じるかはわかる。べつに8月15日が何の日か知らなくたって戦争の悲惨さはわかるだろう。そして、それを避けるにはどうすればよいのかも。


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