2012年4月20日金曜日

デヴィッド・シルヴィアン『ア・ヴィクティム・オブ・スターズ』

また久しぶりにCDを買った。今年になってこれでやっと3枚目。ほんとにお金使ってないな。
今回買ったのは、デヴィッド・シルヴィアンの新作コンピレーション・アルバム 『ア・ヴィクティム・オブ・スターズ 19822012』。国内盤は発売されていないので輸入盤で入手。
正直、買おうかどうかちょっと迷った。この人の主要なアルバムはだいたい持っているつもりだし、シングルも何枚かはある。それに以前出たコンピ『エブリシング・アンド・ナッシング』も持っているし。でも、やっぱり買った。
今回のアルバムは『エブリシング・アンド…』よりもベスト盤としてのコンセプトがすっきりしていて、この人の30年のキャリアがコンパクトに一望できる。そして、聴いていると、彼の音楽を聴いてきた私の30年の年月もまた一緒によみがえってきた。
アマゾンのこのアルバムのレヴューを見ると、「コア度」の高いファンが多いのがわかる。この人たちもみなそれぞれにシルヴィアンと生きてきたのだなと感慨がわいた。

デヴィッド・シルヴィアンは、80年代からずっと此の方、時流に流されることなく自分の音楽を一途に突き詰めてきた人だ。
誰もが「金」に踊らされ、流行の音を追いかけていった80年代以降の流れの中で、常に自分と向き合い良質な音楽を作り出すことに取り組んできた「仙人」のような存在だ。
そんな時代の中で、彼のような人に出会い、リアル・タイムでその音楽に接することができたのは、本当に幸せだったと思う。

ちなみに、ジャパンの他の残党たちも、それぞれに良い活動をしている。ジャンセン、バルビエリ、そして先年亡くなったミック・カーン(残念だ)。彼らのアルバムも私はずっと聴き続けてきた
しかしそんなミュージシャンとしてのあり方は、孤高であらざるを得ないし、活動も細々としたものになりがちだ。そしてとうとうシルヴィアンのアルバムも、国内盤の発売が見送りになるような事態(まだ決定かどうかは定かでないが)になろうとは…。

振り返れば後期のジャパンは本当に素晴らしいバンドだった。デヴュー時のヴィジュアル系ミーハー・バンドが、まさかこんなに「化ける」なんて。ねじれた東南アジア趣味と、うねるポリリズムと高踏的な詞。ほんとに、もうちょっと存続してほしかった。
今回のアルバムのディスク1の1曲目、ジャパン時代の曲「ゴウスツ」(ヴォーカルは2000年の再録)を聴いてそんなことを思った。

デヴィッド・シルヴィアンの活動は、私が興味を持っている他のいくつかの事柄や人物と不思議につながっていって、個人的には何だか因縁めいたものを(勝手に)感じたものである。
そのひとつは坂本龍一とのコラボ、もう一つはロバート・フリップとのコラボだ。坂本龍一は私にとってずっと気になる存在であったし、フリップのキング・クリムゾンは私がもっとも愛好するロックのバンドであった。私の中でシルヴィアンとはフィールドが全然違うと見えたこの二人が、それぞれにシルヴィアンと接点を持つとは、なんとも不思議な成り行きに思われたのだ。

坂本とのコラボ作は何曲か収められている(そういえば「ワールド・シチズン」がないぞ)、初期の「バンブー・ハウス」(ディスク1②)と「バンブー・ミュージック」(同③)などは、坂本龍一の音作りが全面に出ていて、その分今聴くとやや古臭い感じがしてしまう。これに対して他のシルヴィアンの曲は、もともと時代を超越していたからか、ジャパン時代の先に触れた「ゴウスツ」も含めてまったく古さを感じさせない。

フリップについては、初期のシルヴィアンのソロ・アルバムに客演するなどの接点はあった。それがついに、90年代クリムゾンの復活に当たって、シルヴィアンにヴォーカリストとしての参加を要請するにいたるのだ(フリップ自身はこの事実を認めていないが、シルヴィアンがインタヴューでそう言っていた)。
これは実現せず、かわりにフリップと二人でのコラボという形になった。クリムゾンのフロントにシルヴィアンが立つ。70年代のクリムゾン・ファンの誰が、当時そんな突飛な組み合わせを想像したろう。しかし90年代にもし実現していたとしたら、両者のファンである私には、いい意味で頭がクラクラするような光景だったはずだ。

もうひとつシルヴィアンが、私の興味とつながっていく不思議なご縁があって、それは彼と写真、および彼と藤原新也とのつながりだ。
デヴィッド・シルヴィアンはじつは一応「写真家」でもある。1984年に、『パースペクティヴズ』という写真集も出している。今回のCD『ア・ヴィクティム・オブ…』のデジ・パックの内側の写真のうちの1葉は、この写真集の後ろ表紙に掲載されているものだ(私の持っている洋書の場合、国内版では違うかもしれない。国内版が出たのかどうかは知らないけど)。
『パースペクティヴズ』の写真は、技法的にはデイヴィッド・ホックニーが発明したポラロイドのコラージュだ。ポラロイドならではの茫洋とした描写と、偏りのある柔らかな色彩が、いい味を出しているし、何より彼の音楽の世界と通じ合っている。

そして、シルヴィアンはその後、藤原新也と出会うことになる。
藤原新也は、私が最も敬愛する日本の写真家の一人だ。とくに1981年の写真+紀行集『全東洋街道』は、その前の雑誌連載中から強く引かれるものがあって愛読していた。その頃から私は自分でも趣味で写真を撮り始めるのだが、藤原のスタイルには強く影響を受けたものである。
 91年の『レイン・トゥリー・クロウ』のジャケットに、藤原の写真が使われているのを見て、この二人が知らないうちに接点を持っていたことに驚かされる。その後、99年の『デッド・ビーズ・オン・ア・ケイク』のインナーにも使用され、さらに200年の『エブリシング・アンド・ナッシング』では、デジ・パックの全面にわたって藤原の世界が展開されている。
藤原新也の撮る写真の東南アジア的なウエットな質感と、シルヴィアンのヨーロッパ的な感覚は、ちょっと見るとミスマッチのように見えて、しかし意外に深いところでマッチしている感じがあった。
折しも今日(2012年4月20日)から、東京中目黒でデヴィッド・シルヴィアンの写真展『グロウイング・エニグマズ』が開催されている。見に行ってみようかな。

今回のアルバムのディスク2枚に時代順に収められた全31曲を順に聴いていく。彼の音楽家としての活動の中で少なくない比率を占めるインスト曲はすべてカットし、歌モノばかりの既発30曲と新曲1曲という内容。
30年間を通じて彼の歌声の静謐な叙情はちっとも変わっていないことにあらためて気づかされる。しかし彼の曲の感触はしだいに「浮世離れ」の度を増していくのだ。
とくに2003年のアルバム『ブレミッシュ』がひとつの曲がり角になっていることがわかる。ミニマルな伴奏に寄り添われて浮遊するヴォーカル。こうして彼は、さらに「幽玄」の世界へ、「侘び寂び」の世界へと踏み入っていったのだ。
シルヴィアンのこうした社会からの浮遊の道筋は、また同時に我々を取り巻く世界が、混迷化を深めていくのと軌を一にしている。『ブレミッシュ』の世界が彼自身の個人的な生活の破綻(離婚とそれに伴う子供との別離など)を反映しているとはいえ、このアルバムの不安定な音空間を、2001年の911同時多発テロやその後に続く世界秩序の混乱と価値観の荒廃といった現実世界の不安と重ね合わせずに聴くことはできないだろう。
時代から超然としてそこにある世界。それは我々の救いでもある。

久しぶりに『ブリリアント・トゥリーズ』と『シークレット・オブ・ザ・ビーハイヴ』を聴きたくなった。
私の『マナフォン』は、何度か聴いた後CD棚のどこかに消えて行方不明である。いくらはかない音世界とはいえ…。はやく探さなくちゃ。

2012年4月16日月曜日

レコ・コレ誌のギタリスト・ランキングを見てあれこれ

レコード・コレクターズ誌の最新号(2012年5月号)の特集は、「20世紀のベスト・ギタリスト100」。
この雑誌も近年はネタ的に苦しくなってきたのか(?)よくランキング形式の特集をしている(ような気がする)。私もランキング好きだけど、この雑誌も好きだねえ(ちなみに、私の愛読誌です)。
で、さっそくページをめくってみる。今回は、この特集を見ながら思った、あーだ、こーだを綴ってみることにしよう。

栄光の第1位はジミ・ヘンドリクス。まあ順当なんだろうけど、じつは残念なことに私はジミ・ヘンドリクス「音痴」なのだ。どこがいいのかわからない。弾きまくっているのはわかるが、そこにフレーズが聴こえてこない。だから、かっこよく思えないし、ギター・ソロも印象に残らないのだ。ファンの皆さんごめんなさい。
この人の演奏で一番印象に残ってるのは、ウッドストック・フェスで弾いたアメリカ国歌。アメリカ国歌が、ギターの爆音ノイズによってズタズタに引き裂かれる。でもこれって、音楽じゃないよね、反戦パフォーマンスかな。

ジミの次の第2位がジェフ・ベックで、4位のエリック・クラプトンより上なのは私的には納得だ。どちらも天才だと思うけど、ベックの方がより「天才度」は上だと思う。ヤードバーズの頃からベックはときどき「とんでもないこと」をしてきた。
クラプトンよりヒット作も少ないし、一般的な人気度も低いと思われるベックが、ギタリストとしてちゃんと評価されたようでうれしい。

ジミー・ペイジが5位に入ったのもとてもうれしい。テクニシャンではなく、語弊があるけど「ハッタリ」タイプだから、レコ・コレ的にはあまり評価されないと思っていた。だから、もっと下ということもおおいにあり得そうなことだった。それが第5位とは意外な健闘ぶり。

一方で、ライ・クーダー(7位)やロリー・ギャラガー(16位)など渋いところが上位になっているのは、いかにもレコ・コレ誌らしいところ。何しろ、ジェリー・ガルシア(19位、グレイトフル・デッド)とかカルロス・サンタナ(24位)なんかよりも、この二人の方が上位なんだからね。
それにしては、同じく渋めのレコ・コレ好みギタリスト、ロビー・ロバートスン(ザ・バンド)が、72位とかなり下なのはやや不可解。

その他、全体にロバート・ジョンスン(9位)とかB.B.キング(10位)などのブルース系がけっこう入っているのもいかにもレコ・コレ的。
それと「ロック以前」の人たち、チャック・ベリー(3位)やジェイムズ・バートン(11位)なんかが幅きかせていたり、あるいはリチャ-ド・トンプソン(15位)やバート・ヤンシュ(43位)といったトラッド系の人が入っているのも同様にレコ・コレ的と言える。
じつは個人的にはそういう点にちょっと興味をそがれる。私はやっぱりロックの人なので。

それから、テクニシャンとして定評のある人たちの順位がけっこう低いのも意外だ。
超絶技巧派のスティーヴ・ハウ(イエス)が33位、ロバート・フリップ(キング・クリムゾン)が38位、ブライアン・メイ(クイーン)が46位などなど。さらには「超」超絶技巧派ジョン・マクラフリンとアラン・ホールズワースが、仲良く98位と99位という最下位付近に並んでいるのも気の毒。
ローリング・ストーンズからみでは、キース・リチャ-ズ(6位)やロニー・ウッド(69位)の10倍くらい巧いミック・テイラーが71位に留まっているのも、仕方がないとはいえ、やっぱりかわいそう。
バッファロー・スプリング・フィールドやクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングで張り合い、「永遠の」ライヴァル同士だった(はずの)ニール・ヤングとスティーヴン・スティルスの二人。
ヤングは下手というか不器用で、手癖とエモーションだけで弾くタイプ。これに対し、スティルスは器用で流麗で、テクニック的には勝負ははっきりしていた。だが、時を経て形勢は逆転したばかりではなく、ヤングが28位、スティルスが40位と大きく差がついたのだった。当時を振り返れば、ちょっとばかり感慨深い結果だ。その後の活動を比べれば、やむを得なないけれど。
この下手なヤングよりも下に、先ほど挙げたスティーヴ・ハウほか超絶技巧の方々が甘んじているのも、何だかちょこっと割り切れないような。

ここであらためてこの特集の前説を読んでみる。遅ればせながら、このランキングの趣旨を確認したら、「ロック/ポップスの世界に大きな影響を与えた人」というのが選出基準とか。なるほど、なるほど、つまり、うまい下手の順番ではないのね。わかりました。

 ただ「ロック/ポップスの世界」と言っているわりには、ジャズ畑のジム・ホール(82位)が入っていたりする。それなら、ブラジル勢から、ジョアン・ジルベルトやバーデン・パウエルといった新しいスタイルを築いた名人たちが入っても当然だったのでは。
 
それから他に入って欲しかったのは、ジョン・レノンかな。テクニック的には下手だったけど、同じく下手だが音楽的には影響が絶大だったニール・ヤングは入っているわけだからね゙。それに、ジョージ・ハリソン(32位)やポール・マッカートニー(80位)まで選ばれていることだし…。
それと懐かしいクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイバルのジョン・フォガティの名前を97位に見つけた。フォガティが入っているのなら、グランド・ファンク・レイルロードのマーク・ファーナーなんかも入って欲しかった。当時の日本では、ロック少年たちのギター・ヒーローだったのに。それと、シカゴのテリー・キャスなんかも。

ランキング中に名前を見つけて個人的にうれしかった人をもうひとり紹介。89位のジェイムズ・ブラッド・ウルマーだ。初期のブラック・パンク(ファンクでなく)的なアルバム『アー・ユー・グラッド・トゥ・ビー・イン・アメリカ?』や『ブラック・ロック』は傑作だと思う。このカテゴライズされにくい人が、下位とはいえちゃんと拾われていたことはやはりうれしい。

 こうして人の作ったランキングを見ながら、勝手なことを書いてきたわけだけれども、どうももうひとつ物足りない。やっぱりランキングは、自分で考えているときがいちばん面白い。自分自身を振り返っているような感じもする。
ということは、私のこれまで作ったランキングを見てくれている方々は、さてどう感じていることやら……。

2012年4月14日土曜日

カップ・ラーメンを旨辛にして食べるレシピ

私はラーメンを食べるときは、麺から手作りしているので、袋麺やカップ麺のラーメンはあまり食べない。
ただ非常用の食料としてカップ麺は買い込んでいる。しかしカップ麺は意外と賞味期限が短いのだ。それで、ときどき新しいものを買って補充し、期限の切れたものを食べることになる。
そういふとき、せっかくなら自分好みの味にして美味しく食べたいと思って考えたのが以下のレシピだ。

<このレシピのポイント>

カップ麺は本来手軽に作って食べるもの。しかし、このレシピは調味料や具を加えたり、麺を別鍋で茹でたりと、わざわざ手間をかけて美味しく食べようという趣旨だ。あくまで手軽に食べたいという方はあらかじめ御遠慮を。
ここで目指している味は、私好みの激辛味なので、辛くないのがよいという方は、辛い成分を入れなければ、まあたぶんそれなりに美味しく食べられると思う。

<用意するもの>

・カップ・ラーメン (スープが麺とは別に袋に入っているもの。カップ・ヌードルのように麺とスープが一体のものは不可)
・水 500cc

①だし関係
・ニンニク 少々
・和風だしの素 小サジ 1/2
・中華スープの素(鶏ガラスープの素またはウェイパー) カップ・ラーメンに添付のスープだけでは、味が足りないときに必要に応じて (しょう油とか味噌といったかえしにあたるものではなくスープの素がよい)

②辛さ関係
・鷹の爪 1/2本
・唐辛子粉 大サジ 1~2 (お好みで)
・ラー油 大サジ 1(お好みで)
・さんしょ粉 お好みで

③その他
・野菜 200~250g(たとえば、もやし一袋を全部投入したりしている)
・ラード お好みで
・魚粉 お好みで(鰹節、煮干などを粉末にしただしの素)

<手順>

1 カップ・ラーメンの封を切り、ふたを開けて麺と添付のスープの袋を取り出す。
2 鍋に水500ccを入れて火にかける。
3 材料の内、ニンニク 少々、鷹の爪 1/2本、かたい野菜がある場合はそれも先に鍋に入れる。
4 煮立ってしばらくしたら、和風だしの素 小サジ 1/2とカップ・ラーメンに添付のスープを入れる。
味をみて、うすい場合は、中華スープの素を入れてちょうどよい塩味加減にする(後で野菜を入れると味がうすくなるので、少し濃い目にするとよい)。
5 その後、野菜と唐辛子粉 大サジ 1~2(お好みで)を入れてひと煮たちしたらスープは完成。
6 上のスープができるのに合わせて、別の鍋に湯を沸かしておいて麺を茹でる。茹で時間は、表示の時間より短め。表示が3分なら2分くらい。
7 麺を湯切りして丼にあけ、その上からスープを回しかける。
8 仕上げにラー油、さんしょ、ラード、魚粉などをお好みでかけて出来上がり(もちろん、刻みネギ、チャーシュー、ゆで卵、メンマなど定番のトッピングを加えてもよい)。

以上で完成。カップ・ラーメンとは思えないほど、豪華で美味しい。そしてもちろん辛い。

2012年4月13日金曜日

キング・クリムゾンという迷宮

このところ好きなロック・アーティストのマイ・ベスト・アルバムを5枚選ぶというのをやってきた。そしていよいよついにキング・クリムゾンについて考えてみようと思い立ったのだ。何が「いよいよ」で、何が「ついに」かと言えば、クリムゾンは私が最も好きなバンドだからなのだった。
しかし、結論から言うと、どうしても5枚に絞りきれないのだ。
私的にはそれほどでもないと思っていて、低い順位だったはずのアルバムが、久しぶりに聴きなおしてみると、意外な良さがあって上位に進出しようとしてくる。しかし一方で、何回も何回も聴いたアルバムにも、またもや新しい発見があったりする。こちらの思い入れもたしかにある。たしかにあるが、それに応えるだけの世界を持ったやはり奥の深いバンドだなあ、とあらためて思ったのだった。
そんなこんなで、このベスト5選びは、さっぱり進まないまま、毎日毎日クリムゾンのアルバムを聴き続けている。まさに出口のない迷宮に踏み込んだような具合だ。

一応前提として書いておくと、ここで私のいうキング・クリムゾンとは、1960年代の末から70年代の半ばまで活動して解散した「本来の」キング・クリムゾンのことである。解散した後、80年代になって復活した「ディシプリン」クリムゾンや、90年代以降の「メタル」クリムゾンは、私の中ではキング・クリムゾンではない。
この区別は、べつにマニアックさゆえのこだわりではないつもりだ。たぶんあの頃からずっとロックを聴いてきた人にとっては、ごく普通の、ごく当たり前の認識ではないだろうか。だって、80年代以降の「クリムゾン」は、誰がどう聴いても全然別のバンドでしょ。ロバート・フリップがいくらどう言い張っても。

というわけで、この「本来の」クリムゾンは、計9枚のアルバムを遺した。ベスト5選びは、この9枚から行うのだからたいしたことではない……はずだった。
私がいちばん好きなのは、6枚目の『ラークス・タングズ・イン・アスピック(太陽と戦慄)』だ。そして次に定番の名盤『クリムゾン・キングの宮殿』。その次が『アイランズ』で。そうしてこれが多少意外かもしれないけど、次がダーク・ホース『アースバウンド』と来る。まあこんな感じで、第1位から4位までは決まるわけだ。以下、中間発表。

<キング・クリムゾンのアルバム・ベスト5>

第1位 『ラークス・タングズ・イン・アスピック(太陽と戦慄)』
第2位 『クリムゾン・キングの宮殿』
第3位 『アイランズ』
第4位 『アースバウンド』
第5位    ?

では、残り一枠の第5位に何を入れるか。

『イン・ザ・ウェイク・オブ・ポセイドン(ポセイドンのめざめ)』と『リザード』は、参加ミュージシャンも雑多、曲も雑多。そのため散漫でまとまりのない内容という印象の強いアルバムだった。
しかし、聴き返してみると、これがなかなか悪くないのだ。とくにジャズ的な部分にもクラシック的な部分にもヨーロッパ的なセンスが滲み出ていて、ブルースやR&Bなど黒人音楽をベースにしていた当時の大半のロックとは一線を画す音楽がここにはある。

『スターレス・アンド・バイブル・ブラック』は、即興中心の冗長なアルバムだと思っていた。アルバムの四分の三はライヴ音源を加工したもの(発表当時はそんなことは知らずに聴いていたけれど)。
とくに、毎日練習していないとライヴで弾けないとフリップ自身が言う難曲の「フラクチャー」。聴いているこちらもかなり疲れる。
ただし2曲のスタジオ曲「ザ・グレート・ディシーヴァー」と「ラメント」は素晴らしく良い。この2曲ゆえに捨てがたい魅力を持つアルバムではある。

『レッド』の問題は「スターレス」だ。「スターレス」はクリムゾン史上もっとも、と言うか、唯一「泣ける」曲である。解散するバンドの挽歌としてどうしても聴いてしまうからよけい泣けてくる。しかし情緒性が過多で、クリムゾンの曲としては違和を感じる。クリムゾンに涙は似合わない。彼らの音はもっと硬質であり、孤高だ。

『USA』は発売当時はものすごく貴重なアルバムだった。クリムゾンの唯一まともなオフィシャルのライヴ音源だったからだ。
しかし、周知の通り、その後この「ラークス・タングズ…」」期のメンバーによるライヴを集成したボックス・セット『ザ・グレート・ディシーヴァー』は出るは、伝説のアムステルダム公演をほぼ完全収録した『ナイト・ウォッチ』は出るは、さらには例のコレクターズ・クラブのシリーズは出るはで、『USA』はもう完全にその役割を終えたと思っていた。
しかし久しぶりに聴いてみると、やはりいいのである。お決まりのご当地インプロ「アズベリー・パーク」なんか、かなり良い出来だと思う。ただ肝心の「21センチェリー…」が今ひとつではあるのだが。

というわけで第五位がどうしても決まらない。
候補としては、いつもの私の変則技で、『エピタフ』(オリジナル・メンバー期のライヴ)、『ナイト・ウォッチ』(『ラークス・タングズ…』期のライヴ)、あるいはまたアルバム未収録の名曲「グルーン」が聴けるコンピレーション『ア・ヤング・パーソンズ・ガイド…』なども思い浮かんだのだったが、決定打にはならなかった。
クリムゾンの迷宮から抜け出すことができないまま日が過ぎていく。

それにしてもクリムゾンにはマニアックな、というかコアなファンが多い。ブートレッグも多いし、しかもその値段が他のバンドより高い気がする。足元を見ているのだ。
ブートもそうだけど、オフィシャルのアイテムも、かなり濃い。最近の40周年記念のヴァージョンもすごい。ついつい何枚かは買ってしまった。『クリムゾン・キングの宮殿』なんかは、もう手元に10枚まではないが5枚以上はあるかも。
ネットでも熱いページがいっぱいある。「キング・クリムゾン・データ・ベース」なんか、ほんとに御立派です。
そんなページには及ばないけど、とりあえず上記のベスト4のアルバムについて私なりに一言ずつコメントして、とりあえずこの迷宮を終わりにしよう。

<ベスト4・アルバムについてのコメント(発表順)>

『クリムゾン・キングの宮殿』

収録されている5曲が5曲とも全部タイプが違う。一つにまとまることのないまま、ごつごつと寄り集まっているような印象のアルバム。それでもこの5曲をくくっているものは何なんだろう。不安と絶望と破壊衝動…。たとえばイエスの肯定的な世界観などとはまったく反対の気分がここにはある。

それにしても5人の若者が、当人たちの意思をも超えて、いきなり作り出してしまったバケモノのような作品。私には永遠の謎として立ちはだかっているアルバムだ。

『アイランズ』

クリムゾンのアルバムの系列から、ややはみ出しているようにも見えるアルバム。しかし、この鬱屈した耽美的な美意識は、クリムゾンの本質的な一面を示しているとも言える。
耽美サウンド全開の1曲目「フォーメンテラ・レディ」。線の細いボズのヴォーカルが繊細さをかもし出す。そして連続して始まる「セーラーズ・テイル」。フリップのセンスの鋭さがさえわたる名曲だ。繊細な叙情と暴力性が表裏になっているこのクリムゾン的展開に、いきなり引き込まれてしまう。

本当はこのアルバムを彼らの最高傑作に推したい気持ちもあるのだ。だが、あの何とも間の抜けたエンディングがねえ。
室内楽風の曲「プレリュード……」があって、その後に続くラストのタイトル曲。気まぐれに鳴り響くラッパが、どこまでもまとまらないままにやがて消えていく。何を考えているのか分らない、ぽかんと拍子抜けのエンディング。
しかしそんな不完全さ、キズが、強いて言えばこのアルバムの魅力のひとつとなっているのかもしれない。

『アースバウンド』

カセット・テープ録音という乱暴なライヴ。そのためなかなかCD化されなかったという。しかし、その劣悪な音によって、よけいこのバンドの暴力的な印象が強まり、独特の魅力を持つアルバム。
録音が悪いだけでなく、演奏そのものもラフでワイルド。非ブルース・ルーツのバンドの唯一のブルース・アルバムだ。
メンバー間の人間関係がよくなかったと言われているが、真偽はともかく、ある種の緊張感が、安易に流れがちなブルース・ジャムを、クリムゾン的な暴力衝動の表現に引き上げていると思う。フリップのギターは、どんなときでも異様だけども。
「21センチェリー…」は、その暴力性ゆえにこの演奏がクリムゾン史の中のベストでは。

『ラークス・タングズ・イン・アスピック(太陽と戦慄)』

ジェイミー・ミューアの演奏が素晴らしい。
グループ再編にあたり、メンバーにヴァイオリンを入れるところまではわかるとして、 さらにこんなわけのわからん前衛パーカッショニストを入れることにしたフリップは偉い。
「ラークス・タングズ……パート・Ⅰ」、「パートⅡ」、「イージー・マネー」などはとくに、ミューアのプレイによって世界が広がっている。
ミューアといえば、クリムゾンがドイツのテレビ番組『ビート・クラブ』に出演したときの映像が印象に残っている。うろうろと歩き回りながら、ヘンテコなものをたたき続けるミューアの狂気じみた眼が忘れられない。

繊細さと暴力性、文学性と肉体感、ヨーロッパ的な美意識と非ヨーロッパ的な躍動感、さまざまな相反する要素を飲み込みブラック・ホール化したクリムゾンの世界。
しかしこれが最高傑作であって、この後、クリムゾンの世界はしだいに硬直化していくような気がする。思えば「ディシプリン」以降の方向性も、じつはこのときから用意されていたのかもしれない。

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2012年4月7日土曜日

基本のしょうゆラーメンのレシピ

これまでラーメンのレシピをいくつか紹介してきた。いずれも激辛のラーメンで、たぶんあれをそのまま作って食べることができる人はあんまりいないと思う。
そこで今回は、辛くない普通のというか基本のレシピを紹介しよう。私も家族と食べるときは、こんな風に作っている。
まあ簡単過ぎて、わざわざ紹介するほどのものでもないのだが……。

1 麺の用意

私はラーメンの麺は手打ちで作っている。ただし本格的なものではなく、無かんすいの玉子麺だ。作り方は以前に書いたので、興味ある方は御参照を。
そこまでするのはたいへんという方は、スーパーで売っている市販の中華生麺を用意。太さと縮れの有無はお好みで。

・中華生麺 1人前130~150g(1玉)

2 スープの用意

今回はお手軽にスープのベースには、味覇(ウェイパー)を使う。顆粒の鶏ガラスープや豚骨白湯スープを使う方法もあるが、それぞれ自分で試してみるとよいだろう。
味覇(ウェイパー)は、知る人ぞ知る「高級中華スープの素」(と容器に書いてある)。一缶250gで700円前後と結構高価なので、最初手を出すまでは躊躇していた。しかし考えてみるとそれまでいつも使っている顆粒の鶏ガラスープだって一瓶130gで500円近くするわけで、思い切って使ってみたわけだ。するとやっぱり美味しくて、以後ずっと使っている。
一応ダブル・スープのイメージなので、これに和風だしを加えている。

<一人前の材料 出来上がり500cc>

・水 500cc
・和風だしの素(粉末のいりこだしの素、昆布だしの素、かつおだしの素の3種を自分でミックス) 小さじ 1弱
・ニンニク 1/2
味覇(ウェイパー) 10グラム
・しょう油 大さじ 1/2 (量は好みで調整する)
<具材>
・野菜(もやし、キャベツ、白菜など) 合計100~200g
<トッピング>
・ラード 少々(お好みで)
・魚粉 少々(お好みで)
・以下はあるもので  海苔、ゆで卵、ほうれん草、チャーシュー(またはハムでも)、メンマ、刻みネギなど

味覇(ウェイパー)も含め動物系のスープの素は、やや臭みがある。ニンニクはこれを消すために入れている。
味覇(ウェイパー)の容器に記してある<使用例>では。ラーメン(1人前)ウェイパー10g、しょう油小さじ2、湯270ccとなっている。しかし、これではしょっぱ過ぎて、麺だけ食べるにはいいかもしれないが、せっかくのスープを飲むことはできないと思う。
だいたい水100ccにつき、ウェイパー2gが適量。その上で、塩気はしょう油で調節すればよい。
*野菜は、具であると同時に旨みの素としての役割があるので、多めに入れる。野菜の甘みでスープの素の旨みにふくらみがでる。
*トッピングの魚粉は、原料を粉末にした市販の和風だしの素。私の使っているのは、鰹、宗田鰹、鯖、鰯の粉末をミックスし紙パックに入れたもの。本来はティー・バックのように使うものだが、袋から出してふりかけている。

3 作り方

① 水500ccに、ニンニクを入れて煮立てる。
② 煮立ったら和風だしの素、ウェイパーを加える。
スープの素は風味がとぶのであまり煮すぎない。
③ ひと煮立ちしたら、野菜を入れ1~2分煮れば出来上がり。煮すぎない方が歯応えがあって美味しい。
*白菜の芯など固めの部分がある場合は、それだけ先に入れておく。
④ 別鍋に麺茹で用の湯を沸かしておき、手打ち麺のときは3分前後、市販のものの場合はそれぞれの指示にしたがって茹でて、ザルに上げ湯きりをしてから丼に移す。
 ⑤ 麺の上にスープと野菜をかけ入れる。
*スープを雪平鍋でつくるとかけやすい。
 ⑥ トッピングをのせて出来上がり。簡単過ぎてすいません。

4 <おまけ> つけ麺にして食べる

上のラーメンをつけ麺にして食べることもできる。

スープの水を半量の250ccにし、残りの材料の分量はそのままにして作れば旨みと塩気が濃くなり、付け麺のつけ汁になる。ただし、野菜だけは少し減らさないと器に入らないかもしれない。
また、ラードと魚粉は、やや多めの方が麺に絡んで美味しいと思う(好みだけど)。

麺は鍋からあげて水にさらしてしめるので、ある程度固くなるから、茹で時間はやや長めにする。
途中で鍋からときどき麺を一本取り出して水にさらして試食し、ほどよい固さになるのを確認しながら茹でるとよい。

水でしめずにそのまま湯を切って器に盛り、あつもりで食べる手もある(あるいは、水でしめてから再度湯で温めてもよい)。これもそれなりに美味しい。

麺を食べ終わったら、つけ汁をお湯で割って味わう。スープ成分がはじめから濃いめに入っているので、お店で飲むスープ割りと同じことになる。

それでは、よいラーメンを。

2012年4月4日水曜日

私のロック・アルバム・ベスト20

このところ何回かアーティスト別のアルバム5選を考えてきた。マニアというのは、これが楽しいんだよね。そしていずれはマイ・フェイバリット・ロック・アルバム・ベスト10なんてのをやってみたいと思っていた。

そんな折、たまたま机の引き出しを整理していたら、何やらアルバム名をごちゃごちゃと書き込んだ紙切れが出てきた。よく見ると、なんとそれは以前に自分で考えたアルバム・ベスト20だったのだ。すっかり忘れていた。たぶんこれを考えたのは、数年前のことだったと思う。昔から同じようなことをやっていたんだなあ(苦笑)、何しろマニアだからねえ。
しかし、あらためて驚いたのは、そのアルバムのセレクションが、今の私とほとんど同じだったこと。今の自分が見ても、なかなかよくできている。つまり自分が全然進歩してないというわけだ。
見ているうちに、これを考えていたときの楽しい時間がだんだん思い出されてきた。くそ、これからこんなの作って楽しもうと思ってたのになあ、もう出来上がっていたとは。

 しかし、無数ともいえるロック・アルバムの中からこうしてたった20枚を選んでみると、私の音楽遍歴と、さらには私がどういう音楽的嗜好の人間なのかがはっきりとそこに投影されていることがわかる。なので、ちょっと気恥ずかしい思いもある。。
ともかくそういうわけで、今回はその内容のご紹介。あわせて一言コメントもつけてみた。

<マイ・フェイバリット・ロック・アルバム・ベスト20>

1 「アビイ・ロード」 ザ・ビートルズ
2 「エグザイル・オン・メイン・ストリート」 ザ・ローリング・ストーンズ
3 「ブラッド・オン・ザ・トラックス(血の轍)」 ボブ・ディラン
4 「ハウス・オブ・ザ・ホーリー(聖なる館)」 レッド・ツェッペリン
5 「ロータス」 サンタナ
6 「シカゴ・トランジット・オーソリティ(シカゴの軌跡)」 シカゴ
7 「4ウェイ・ストリート」 クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング
8 「ラークス・タング・イン・アスピック(太陽と戦慄)」 キング・クリムゾン
9 「フォックス・トロット」 ジェネシス
10 「ブレイン・サラダ・サージェリー(恐怖の頭脳改革)」 エマーソン・レイク&パーマー
11 「ウィッシュ・ユー・ワー・ヒア(炎)」 ピンク・フロイド
12 「クロース・トゥ・ジ・エッジ(危機)」 イエス
13 「メタル・ボックス(セカンド・エディション)」 パブリック・イメージ・リミテッド
14 「フォー・ハウ・マッチ・ロンガー…」 ザ・ポップ・グループ
15 「レガッタ・ドゥ・ブラン(白いレガッタ)」 ザ・ポリス
16 「フィア・オブ・ミュージック」 トーキング・ヘッズ
17 「ティン・ドラム(錻力の太鼓)」 ジャパン
18 「ジョン・レノン/プラスティック・オノ・バンド(ジョンの魂)」 ジョン・レノン
19 「パレード」 プリンス
20 「テクノデリック」 イエロー・マジック・オーケストラ

<ベスト20についてのコメント>

《ロックの別格の方々の3枚》

1 「アビイ・ロード」 ザ・ビートルズ
2 「エグザイル・オン・メイン・ストリート」 ザ・ローリング・ストーンズ
3 「ブラッド・オン・ザ・トラックス(血の轍)」 ボブ・ディラン

*この三枚は、言わずと知れたロック界の別格の存在の代表作。それぞれの代表作は、選ぶ人の世代、好みによって違うか、私は絶対的にこれだな。

《70年代ロックのヒーローたち》

4 「ハウス・オブ・ザ・ホーリー(聖なる館)」 レッド・ツェッペリン
5 「ロータス」 サンタナ
6 「シカゴ・トランジット・オーソリティ(シカゴの軌跡)」 シカゴ
7 「4ウェイ・ストリート」 クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング
 
*70年代のロックのヒーローたちの名盤。本当はこれに、クリーデンス・クリア・ウォーター・リヴァイバル(アルバムは「コスモズ・ファクトリー」あたりかな)を加えて、きりよく(?)5枚にしたかったのだが枠が足りなくて…。
ツェッペリンの「ハウス・オブ…」とサンタナの「ロータス」(日本でのライヴ)は、とうとうこんなところまで来たかと思わせる彼らの到達点を示すアルバムだった。
シカゴは、これが脅威のデビュー・アルバム。これと、次作は表現意欲と体制への怒りにあふれた熱血アルバムだった。
しかしこの後、彼らはみごとに日和って金儲けに走ることになる。
CSN&Yは、こういうときは「デジャヴ」が一般的だろうが、生々しく彼らの存在感が伝わってくるこのライヴが私は好きだし、小さくまとまったスタジオ作より、のびのびしたこちらの方がじつは彼らの最高傑作なのではと思っている。

《プログレ5大バンド》

8 「ラークス・タング・イン・アスピック(太陽と戦慄)」 キング・クリムゾン
9 「フォックス・トロット」 ジェネシス
10 「ブレイン・サラダ・サージェリー(恐怖の頭脳改革)」 エマーソン・レイク&パーマー
11 「ウィッシュ・ユー・ワー・ヒア(炎)」 ピンク・フロイド
12 「クロース・トゥ・ジ・エッジ(危機)」 イエス

*私はプログレが好きだ。そして5大バンドはそれぞれに、そして、それなりに好きだった。
クリムゾンは、何といっても「クリムゾン・キングの宮殿」が名盤の誉れ高い。私もそれに異論はない。が、音楽的には「太陽と戦慄」の方がほんの少し優れている(比べても仕方がないが)。「恐ろしい混沌」の「宮殿」に対して「異次元の音世界」の「戦慄」。
残りの4バンドの4枚は、それぞれの音楽の頂点を示すアルバムだ。ということはつまり、その後、いずれも音楽的には下降線をたどっていくことになる。まあ「金儲け」的にはむしろこの後、上昇していくんだけどね。

《ポスト・パンク/ニュー・ウエーブの私的5大バンド》

13 「メタル・ボックス(セカンド・エディション)」 パブリック・イメージ・リミテッド
14 「フォー・ハウ・マッチ・ロンガー…」 ザ・ポップ・グループ
15 「レガッタ・ドゥ・ブラン(白いレガッタ)」 ザ・ポリス
16 「フィア・オブ・ミュージック」 トーキング・ヘッズ
17 「ティン・ドラム(錻力の太鼓)」 ジャパン

*たちまちビジネスに飲み込まれていった70年代のロックの流れに「ノー」を突きつけたのがパンクのはずだった。だがその動きもまた、じつは他ならぬビジネスが仕掛けたものだったとは…。「パンク」がその後ジャンル化するなんて、悪い冗談としか言いようがない。
しかし、様式化し硬直化しようとするロックの流れに抗して、新しい表現の世界を切り開こうとするグループがパンク後にいくつも現れたのには目を見張った。
その中の私のベスト5が上のグループだ。これらのアルバムによって私の感覚も押し広げられたような気がする。
世評のベストは「Y」(ポップ・グループ)、「シンクロニシティ」(ポリス)、「リメイン・イン・ライト」(ヘッズ)だろうが、私は上記がベストだと断言する。
こうして並べてみると、どのグループも充実していた活動期はとても短かった。しかし、その後もグループの残党たちがそれなりによい活動を続けていて、ずっと目を離せなかった。

《ロックの孤高のアルバム2枚》

18 「ジョン・レノン/プラスティック・オノ・バンド(ジョンの魂)」 ジョン・レノン
19 「パレード」 プリンス

*何となくここまではカテゴリー別にバンドを眺め、そのアルバムを選んできた。だが、それではどうしてももれ落ちてしまうすごいアルバムがあった。それがこの2枚だ。
ジョン・レノンもプリンスもこの前後のアルバムを聴いたが、それほどでもなかった。この2枚だけが突出した特別のアルバムなのだ。
二人の個人的なキャリアと感性が時代とクロスして火花を散らしたマジカルなアルバム。

《日本のグループからも1枚》

20 「テクノデリック」 イエロー・マジック・オーケストラ

*日本のロックもそれなりに聴いてきたことだし、ここで1枚くらいは日本のアルバムを入れたいと思った。しかし、こういうランキングで、欧米のグループに伍して名を挙げられるような日本のバンド、アルバムはなかなかない。
結局日本のロックが欧米のロックの真似事に終始してきたからだ。はっぴいえんどもムーン・ライダースもフラワー・トラヴェリング・バンドも村八分も、みんなそれぞれが下敷きにした海外の音楽が透けて見えてしまう。
それに加えてアルバムの作りがどれも中途半端。必ず捨て曲で水増ししてある。プロデューサーがだめなのか。
そんな観点で何とか独自の音楽と言えるのが、結局は唯一この時期のYMOということになるのかもしれない。

<ベスト20からもれた残念アルバム>

上に入れることができなかった残念なバンドやアルバムがある。ついでだから列記しておこう。

《60年代末から70年代のロックのヒーローたち》

クリーム 「ホイールズ・オブ・ファイア」
グレイトフル・デッド 「ブルース・フォー・アラー」
ザ・バン ド 「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」
クリーデンス・クリア・ウォーター・リヴァイバル 「コスモズ・ファクトリー」
グランド・ファンク・レイル・ロード 「ライヴ」
オールマン・ブラザーズ・バンド 「アット・フィルモア・イースト」
リトル・フィート 「ウェイティング・フォー・コロンバス」
マウンテン 「ツイン・ピークス」

《プログレの忘れられないアルバム》

ソフト・マシーン 「Ⅲ」
ブランドX 「ライヴ・ストック」
UK 「UK」
アルティエ・メスティエリ 「ティルト」

《ニュー・ウエーブの心に残るバンド》

ギャング・オブ・フォー
キリング・ジョーク
ワイアー
フライング・リザーズ

《ロックの孤高のアルバム(その2)》

フランク・ザッパ 「ホット・ラッツ」
デヴィッド・バーン&ブライアン・イーノ 「マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ」
ピーター・ガブリエル 「So」

 こうして挙げていると、いろいろとコメントしたくなるが、またいずれじっくりと書くことにしよう。今回はここまで。

2012年4月2日月曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「特製つけめん」と「麻婆めし」

所用があって水戸に出たついでにまた「つけ麺 坊主」を訪問。月曜日なので、もしかしたら休業日かと心配しながら歩いていくと、無事開店していた。ついてるぞ。
前回訪問からは十日ぶり。入り口の自動ドアは例によって全開のまま。午前11時20分入店。先客3人(後客は2人)。
券売機と向き合う。今日のメニューはいつもと違えて「特製つけめん」と「麻婆めし」と「ビール」のボタンを押す。
カウンターのいちばん端に着席。ご主人に食券をわたしながら「特製つけめん」は「大盛り」でお願いする。つけ麺は久しぶりなのでつい勢いで。

私が「坊主」さんのメニューの組み合わせで一番好きなのは、いつも頼んでいる「特製らーめん」と「白めし」(とビール)。訪問が3ヶ月に2回くらいのペースだったので、いつも一番好きなものを頼んでいたわけだ。
じつは二番目に好きなのが、今回頼んだ「特製つけめん」と「麻婆めし」(と「ビール」)の組み合わせだ。前回来店から間隔が短いのと、前々回の「極辛麻婆らーめん」で、ここの麻婆豆腐を久しぶりに食べて美味しかったので、機会あればじっくり味わいたいと思っていたからだ。

ビールをぐびぐびと飲みつつ、いつものようにわくわくしながら待っ。程なくカウンターの前に「特製つけめん」登場。
ずいぶんとお久しぶりでした。最後に食べたのは、たしか昨年の3月。何と一年以上も前、まだ私がサラリーマンだった頃だ。あのとき私は、翌月からは無収入になるので、これが最後の一杯になるかもしれないと、泣きながらお別れしましたね(?)。
刻みネギと魚粉が表面の赤い脂の上に散らしてある。その下には、もやしと豚バラが赤い汁の中に見え隠れ。懐かしいお姿だ。

続いてお皿に大盛りの麺が到着。さっそく、麺をさっと汁につけて、むせないように注意しながら啜りこむ。この場合も蕎麦同様「手繰(たぐ)る」って言うのかな。などと考えている余裕は、じつは、ない。辛くて旨くて……。脂がかなり熱くて、層が厚い。器がラーメンより小さいから当然か。
この店の辛さランキングでは、この「特製つけめん」は第2位で、いつも食べている「特製らーめん」が第3位だから。それより辛いことになる。
たぶん同じくらいの辛さだが、つけ麺のつけ汁の方が濃い分だけ辛さも濃くなるのでランクが上にくるのだろう。しかし、ラーメンの方が麺が温かいから辛さを強く感じる。それに比べると、この「特製つけめん」は私には、そうたいした辛さとは感じられない。で、やや物足りない。

さてつけ麺の食べ方には、私なりのちょっとしたコツがある。
まず麺は一口で食べられる量だけを箸で挟む。まあ十本以内、ふつうには数本くらいか。それを汁にひたし、ひたしたらすぐに食べるのだ(しかしむせないようには注意しながら)。
麺を汁の中でしゃぶしゃぶと遊ばせたり、あるいは箸から離して泳がせたりしてはいけない。つけ汁がよくからむように、あるいは冷たい麺を汁で温めたくてそうするのだろう。しかし、それをすると汁がどんどん冷める。私はそれがいやなのだ。風味が落ちてしまう。
だから麺は、なるべく素早く汁をくぐらせ冷たいままで食べるのがよい。一口で食べられる量だけを箸で挟むのはそのためだ。
それでも、どうしても汁は冷えてしまうから、いつもは麺を大盛りにしない。最後の頃、冷めた汁で麺をたべるのでは後味が悪いからだ。今回の大盛りは、まあ「再会」記念ということで。
頼めば「あつもり」(一回水で締めた麺を、再度温めて盛り付けること)という手もあるが、あれは麺が延びてしまうのでいやだ。

それにしても冷水で締めてあるつけ麺の麺は、いい感じに歯応えがある。中太のストレート麺が、まさにアルデンテ。いつもラーメンとして、温かい汁に入っている状態で食べているので、この歯応えは久しく忘れていた。ここの麺はやはりこうして締めて食べるのがいちばん美味しいようだ。
上記のように麺をさっと汁にひたし、なるべく温めないようにして食べるのは、この麺本来の歯応えを味わう上でも理にかなっているはずだ。

さらに続いて「麻婆めし」登場。
「麻婆めし」は、皿のご飯の上に、カレーライスのように麻婆豆腐をかけたものだ。ご飯はやはりカレーライスと同様、皿の片側に寄せて盛ってあって、ご飯が少ない方に麻婆豆腐がかけてある。
このお店は激辛とともに、この麻婆豆腐が最大の売りだ(これも激辛だけど)。例の東京の有名店を連想させもするが……。
ここの麻婆豆腐は独特で、一般のもののようにひき肉やみじん切りのネギなどは入っていなくて、豆腐とあんのみである。豆腐の塊はかなり大きくて熱く、あんがとにかく美味しい。
この麻婆豆腐をのせたメニューには、つけ麺系なら「つけめん」や「特製麻婆つけめん」があり、ラーメン系なら「麻婆辣」がある。それぞれ100円追加で、麻婆の量を増量することも可能だ。
しかし、じっくりとここの麻婆豆腐を味わいたいとき、私は断然この「麻婆めし」を選ぶ。

私の食べ方はこうだ。まず白いご飯には目もくれず、豆腐とあんをどんどん食べていく。辛い、美味しい。あんがかかっているご飯は食べるが、しかし白いご飯部分はなるべくあんで汚さないようにする。
 麺と交互にこうやって食べていき、麻婆豆腐がなくなれば、当面、白いご飯には手をつけないで残しておく。最初に皿に盛り付けられたご飯のだいたい三分の二が残っている感じだ。

 そして、麺を食べ終わると、おもむろにレンゲでご飯をすくい、そのまま今度は残った汁も少しすくって、レンゲ上でご飯を汁にひたし一緒に食べるのである。ちょうどスープ・カレーを食べる要領だ。これが美味しい。麺をつけたときとはまた違って、汁の旨さが引き立つのだ。しかし、ご飯を一度に汁に投入して、雑炊のようにしてしまうと、せっかくの辛さがぼやけてしまう。だからそのつど、ご飯と汁は混ぜなければならない。
レンゲにはほんの少ししかご飯が乗らないから、何度も何度もこれを繰り返す。このときまさに至福の時間が過ぎてゆく。
そして、ご飯を食べ終えたら、最後の最後にポットに入ったスープで割って残りの汁をきれいに完食する。欲張ってスープを入れ過ぎるとちょっと臭みが出てしまうので、ほどほどが肝要だ(何でもそうだけど)。

 カウンターの上をきれいに拭いて店を出る。満腹だ。さて次回は
例によって千波湖を一周、ついでに偕楽園の拡張部分もぐるっと大きく巡って帰った。
偕楽園の拡張部分は、本園よりゆったり広々としていて気持ちいい。梅は満開、桜のつぼみもふくらんでいた。