2013年2月28日木曜日

はっぴいえんどのロック魂

<神格化されるはっぴいえんど>

私ははっぴいえんどの音楽を、リアル・タイムに聴いて育った世代だ。彼らが活動をやめてから40年の年月が経つが、その間も若い人たちが彼らの音楽に触れて次々に新しいファンが生まれていると聴く。
はっぴいえんどを後追いで聞く人が増えるにつれ、遡ってこのグループに対する評価がじわじわと高まっているらしい。その理由の一つを「4人が解散後それぞれメジャーの音楽シーンで名を成したから」と考える人も当然いるだろう。
しかしこれを湯浅学は断固として否定する。「それ逆でしょ。はっぴいえんどの4人が、あのような(優れた)作品を作る人たちだったから、その後活躍したんでしょ」(湯浅「はっぴいえんど」『レコード・コレクターズ』20044月号)。

私はこの湯浅の意見に賛成だ。ただし半分だけ。
やっぱり、その後の細野晴臣参加のYMOの社会現象的ブレイクや、大瀧詠一の『ア・ロング・ヴァケイション』の特大ヒット、そしてついでに松本隆の歌謡曲作詞家としての大御所化がなければ、はっぴいえんどのここまでの評価の高まりは果たしてあったのだろうかと首を傾げたくもなる。海の向こうには、クラプトンやベックやペイジがいたために過大評価されているとしか思えないヤードバーズのような例もあることだし。

そういう新しいファンによってなのだろう、はっぴいえんどは、その後どんどん「神格化」されているようにも見える。それに伴って、何ともとんちんかんな「伝説」が、まことしやかに流布されているのも目にする。
たとえば、「はっぴいえんどが登場するまでは、ロックは英語で歌われるのが当たりまえだった」とか、「はっぴいえんどが日本語のロックの創始者だ」とか、あるいはひどいのになると「はっぴいえんどが現れるまで自作自演でロックを演奏するバンドはなかった」なんてことまで言われている。

はっぴいえんどの前に日本語のロックはあったのだ。たとえばジャックスがいて、岡林信康がいて、遠藤賢司がいたのだ。
なのになぜ先のような伝説が生まれたかといえば、たぶん「日本語ロック論争」のせいだ。日本語のロックというものがあり得るか否かというちょっとした騒ぎがあり、その俎上に乗せられたのがたまたまはっぴいえんどだった。そのために彼らが日本語のロックの創始者ということになってしまったのではないのか。

<幻の「日本語ロック論争」>

この「日本語ロック論争」だが、当時リアル・タイムでこの騒ぎに立ち会っていた者として言わせてもらえば、そもそもこの騒ぎに「論争」の実体などなかったのだ。
当時の印象で言えば、これは『ニューミュージック・マガジン』誌の制定するレコード賞の日本のロック部門の選考方針に不満を持った内田裕也が、いちゃもんをつけるに当たって「日本語はロックに乗らない」という因縁のつけ方をしただけの話だ。

『ニューミュージック・マガジン』誌(現在の『ミュージック・マガジン』)は1970年からレコード賞というのを始めている。この年の第1回レコード賞の日本のロック部門の第1位には岡林信康の『私を断罪せよ』、第2位にはエイプリル・フールの『エイプリル・フール』が選ばれている。
1971年の第2回の同賞日本のロック部門の第1位がはっぴいえんどの『はっぴいえんど(通称ゆでめん)』で、第2位が遠藤賢司の『niyago』だった。
この賞が発表されたのが71年の4月号で、これを知った内田裕也が翌月の5月号の座談会で、この結果にかみついている。第1回の岡林にしろ第2回のはっぴいえんどにしろ、どちらもURC系のフォークの奴らで、こんなのロックじゃないだろうと内田はたぶん思ったのだ。それを言いたくて、日本語でロックはできないという言い方をしたように聞こえた。

そしてこの「日本語でロック」云々という言いがかりだけが独り歩きして、いろいろな人が求められて意見を述べ、誌面をにぎわせた。それらの意見はそもそも前提も問題意識もばらばらだからちぐはぐで、議論はかみ合わないままに、うやむやになって消えてしまった。それだけの話だ。
この騒ぎの本質が、ロックは英語か日本語かという言葉の問題ではなく、ロックという移入文化の受容をめぐる論争だったと指摘する篠原章氏の分析は秀逸だ(はっぴいえんど『GREEEATEST LIVE! ON STAGE』の同氏のライナー)。

ともかく重要なのは、われわれリスナーの実感として、ロック的なバンド・サウンドに乗せて日本語で歌うのは、はっぴいえんどが登場した当時すでにそんなに特別なことではなかったということだ。
はっぴいえんどに先立って岡林信康のアルバム『私を断罪せよ』や『見る前に跳べ』があり、遠藤賢司の『niyago』があった。はっぴいえんどの『ゆでめん』(70)や『風街ろまん』(71)が出た1970年から71年にかけては、高田渡『ごあいさつ』、加川良『教訓』、小坂忠『ありがとう』(以上3枚は他ならぬはっぴいえんどがバックで演奏)、ガロ『GARO』など日本語のロック・サウンドと言えるものが世に出て、私も含めたロック・ファンの間では、かなり聴かれていたのだ。
演奏する方も聴く方もそれを「日本語のロック」と意識していたかどうかはともかくとして、音楽としての違和感はなかった。だからはっぴいえんどの登場が「日本語のロック」の出現という点で衝撃ということはなかったのだ。
「日本語ロック論争」と聞くと若いリスナーはそんなつまらないことで、論争があったのかとあきれるだろう。当時の私たちもまったく同じ思いだったのだ。

そのような「日本語ロック」の状況の中ではっぴいえんどが特異であったとすれば、それは次の3点だ。
まず彼らの音が、本格的なウェスト・コースト・サウンドであり、それに日本語の歌詞を乗せたことだ。
二番目に、その日本語の詞が、「ですます調」を過度に強調していることと、さらに古風な純和風の語彙を散りばめていて現代詩のような文学性を感じさせるものであったこと。
そして三番目に、その歌詞の音への乗せ方(音節の区切り方)が、しばしば不自然であり、しかもその不自然さを強調しているフシがあったことだ。たとえばその一例。

あたりはに/わかにか/きくもり (「颱風」)

こうした特異性ゆえに、一部の人々は違和感を感じ、はっぴいえんどは「日本語のロック」」という看板を、その先頭で担ぐことになったのかもしれない。

<はっぴいえんどのロック>

しかし、こうした特異な特徴は、当時高校生だったわれわれにとっては、とても魅力的に映ったのだった。そしてこの特徴は、彼らのアルバムにあふれる機知やユーモアのセンスや遊び心と一体となってわれわれを引き付けた。

私たちが引かれた機知やユーモアや遊び心とはたとえばこんなところだ。
あやか市の動物園」冒頭の「ひい、ふう、みい、よお」というカウント。気取って「ワン、ツー、スリー」とやらず、こんなところまで和風の歌詞と対応しているところがおかしい。
それから「空色のくれよん」のカントリー・ヨーデル、「暗闇坂…」の「ももんがー」という歌詞、「はいから・びゅーちふる」や「颱風」などノヴェルティ・ソングの等身大のユーモア・センス、そして「愛飢を」の五十音をそのまま歌ってしまうという遊び心…、挙げていけばきりがない。彼らのアルバムにはこんな自由な空気感があった。
個人的には、はっぴいえんどの独特な詞の世界にも強く魅かれた。1972年に出た松本隆の詩集『風のくわるてつと』も手に入れて熟読したものだ。だから、はっぴいえんど以降の松本の歩みはとても悲しかった。

当時よくはっぴいえんどのことを「あれはフォークだろ」といってけなす人がいた。初期のはっぴいえんどの熱いライヴを聴けば、彼らが紛れもなくロック・バンドであることがわかる。
しかし、はっぴいえんどが「フォーク」であるという指摘は、ある意味では間違っていない。あの当時、フォークこそが若者のリアルな表現のジャンルであったという意味においては。

1968年頃から欧米の曲のコピーでなく、自作自演で歌う人たちが登場してくる。ここから、社会体制や既成の価値観や商業主義にとらわれない若者の自由でリアルな表現としてのフォークが台頭してくる。70年には、そうした動きを受けてURCが設立されるわけだ。
このURCからデヴューしたはっぴいえんどもまたこの自由でリアルな表現を目指したという点で、一連のフォークの「精神」を受け継いでいると言えるだろう。

しかし世界的な視野から見れば、この自由な表現の「精神」こそが、ロックの魂なのだ。ビートルズやディランのやったこと、そしてニュー・ロックやフラワー・ムーブメントを思い浮かべるまでもなく、ロックは単なる音楽のジャンルであることを越えて、自由な表現の手段であり、実験の場であった。
そのような観点において、結局はっぴいえんどはロックの魂を持った紛れもないロックのバンドだったのだ。

はっぴいえんどの切り開いた道は、結局ニューミュージックという大きな流れを作り出す。ニューミュージックは、それまでの商業主義的な歌謡曲とは全然違う新鮮でリアルな音楽としてもてはやされた。しかし、どんな音楽ジャンルもそうであるように、ニューミュージックもまたたちまち商業化し形骸化しリアルさを失っていった。
「日本語のロック」の創始者としてではなく(事実誤認だし)、ニューミュージックの祖であるからでもなく、自由でリアルなロックの魂の体現者としてはっぴいえんどの存在は輝いている。そんな輝きの放つ音として彼らの音楽は聴かれるべきだと思う。


〔はっぴいえんど関連記事〕


2013年2月27日水曜日

はっぴいえんどのアルバムあれこれ

はっぴいえんどのアルバムについて、私なりにあれこれ感想、評価、思い入れなどを記してみよう。文末にはこの中から私が選んだアルバム・ベスト5も載せてあるので御参照を。


□ 『はっぴいえんど(通称ゆでめん)』(1970



□ 『風街ろまん』(1971



□ 『HAPPY END』(1973

はっぴいえんどのラスト・アルバム。でももうこれははっぴいえんどの音ではない。
トータルタイム30分。ソロ・ワークのオムニバスを水増ししたような一種の企画盤と思った方がよい。
URCを抜けてからというもの、このアルバムといい『ライブ・はっぴいえんど』といい商業主義の臭いがぷんぷんとしてくるようになって、ファンとしては悲しい。

リトル・フィートのメンバーやヴァン・ダイク・パークスなど、かなり渋い面々をサポートに迎えてのアメリカ録音。ピアノやホーンも入って、たしかにこれまでになく立体的で厚みのあるサウンドになっている。しかし肝心の曲そのものが、どれもつまらない。
細野晴臣と大瀧詠一が、もう完全にはっぴいえんどとは違う方向を向いていることはあきらか。それだけならともかく、二人の曲には自分のソロ・アルバム用にいい曲を温存してるんじゃないの…と思いたくなるような「あまりもの」感を感じてしまう。
かわりに鈴木茂の奮闘が目立つ。「氷雨月のスケッチ」はこのアルバムの中で唯一はっぴいえんど的な曲だ。だが、鈴木作の残りの曲「明日あたりはきっと春」と「さよなら通り3番地」は、曲としての出来が貧弱で魅力を感じない。

このアルバムでの松本隆の歌詞も『風街ろまん』の抽象度の高い透明感のある作風から一変して急速に「歌謡曲化」している。とても寂しい。

さよならアメリカ、さよならニッポン、さよならはっぴいえんど…。


□ 『CITY』(1,973

はっぴいえんどのオリジナル・アルバムは3枚しかない。だからこの3枚を持っていればベスト盤の必要はないはず。それでもなおこのベスト盤を買わざるを得なかったのは、「はいからはくち」の別ヴァージョンと、「かくれんぼ」のライヴ・ヴァージョンが入っていたから。

「はいからはくち」はシングル・ヴァージョンに近いアレンジだが、コーラスに小坂忠参加しているという第3のヴァージョン(現在では『CITY』ヴァージョンと呼ばれている)。
「かくれんぼ」は1971年の第3回全日本フォークジャンボリーでのライヴ音源。現在では、『はっぴいえんどBOX』が出て、このときのコンプリートな演奏が聴けるようになったが、それまではこれが貴重な音源だった。

とにかくこの「かくれんぼ」がよい。オリジナルのアルバム・ヴァージョンは2小節の短いイントロで始まるが、ここではゆったりした長いイントロで、ここからもう引き込まれる。ここで聴ける浮遊感のあるギター・ソロは、CSN&Yの「ウドゥン・シップ(木の舟)」を思わせる。大瀧の淡い揺らぎのあるデリケートなヴォーカルも素晴らしい。

どうでもいいことだけど、このアルバムは選曲にちょっと異論がある。
たとえば『ゆでめん』から「かくれんぼ」の他に、「12月の雨の日」と「春よ来い」が入っているのはよしとして、もう一曲の「飛べない空」はいらない。何だか重すぎて異質だ。
「12月の…」と「春よ…」が、松本・大瀧コンビ作だから、バランスをとるために細野作のこの曲を選んだのかもしれない。それならこの代わりに「しんしんしん」(松本・細野作)の方が断然良かったのに。

『風街ろまん』からの選曲にはほぼ異論はない。「はいからはくち」、「風をあつめて」、「抱きしめたい」、「花いちもんめ」、「夏なんです」の5曲。いずれも名曲だ。でもアルバムの中で聴くのとは、おのずと佇まいが違うことに気づいた。

ラスト・アルバム『HAPPY END』からは3曲。「氷雨月のスケッチ」はよい。しかし「風来坊」は完全に細野のソロ作の作風。はっぴいえんどのベスト盤の曲としてはかなり違和感がある。


□ 『ライブ・はっぴいえんど』(1974

1973年9月21日に文京公会堂で行われた「CITY -LAST TIME AROUND」でのライヴ。
はっぴいえんどのライヴ盤とはいっても、ココナツ・バンクと西岡恭蔵の4曲を加えた水増し的な内容。はっぴいえんどの演奏はトータルで30分未満と物足りない。
しかし、そのことよりも冒頭の「はいからはくち」とラストの「春よ来い」が、ファンク・アレンジで台無しだ。細野・キャラメル・ママ晴臣の仕業?
その他の曲も何となく気の抜けた印象。メンバーたちはみんな過去ではなく、これから進んでいく先のことに気を取られていたのだろう。こんなの聴くなら初期のライヴを聴いた方がいいよ。


□ 『SINGLES』 (1974

解散後の1974年に出たベスト・アルバム。タイトルどおり、はっぴいえんどのシングルのAB面曲に加えて、細野と大瀧のソロのシングルのAB面曲をただ並べただけのものだ。
これだけ聞くとまったく芸のない構成に思えるが、じつは73年の最後のオリジナル・アルバム『HAPPY END』なんかよりこちらの方が、よっぽどはっぴいえんどっぽい内容だ。

まず大瀧と細野それぞれのソロ曲が良い。解散前後のメンバーたちはソロ活動の方に力を注いでいたわけで、その時期に作られたオリジナル・アルバム『HAPPY END』などよりずっと曲が充実している。しかもそのソロ曲がまだ十分にはっぴいえんど色を残しているのだ(細野の「福は内鬼は外」と「無風状態」は別として)。
もしはっぴいえんどが解散することなく進化を続けていたなら『風街ろまん』のその先に、こんな展開、こんなアルバムがあり得たのではないかと思えてしまう。つまり幻のサード・アルバム。

その他「12月の雨の日」の端正な再録ヴァージョンや、「はいからはくちの」のブリティッシュ・ロック風味のシングル・ヴァージョンなども魅力的。


□ 『THE HAPPY END』(1985

1985のイベント「ALL TOGETHER NOW」の際の再結成ライヴ。イベントのワン・パートだから曲数は4曲のみ、トータル20分弱の演奏。この素材を苦肉の策の45回転LPにして、おまけをいろいろつけて無理やりアルバムに仕立て上げたアイテム。
細野・YMO・晴臣がはっぴいえんどを私物化しているテクノ・アレンジ。デリケートなリズムのニュアンスがきれいさっぱりなくなって、じつに殺風景な演奏だ。悲しい。


□ 『GREEEATEST LIVE! ON STAGE』(1986
□ 『LIVE ON STAGE』(1989

はっぴいえんどのロック・バンドとしての魅力を伝えてくれる初期のライブ音源集。それぞれ複数のステージの音源を集めている。『ゆでめん』や『風街ろまん』などのオリジナル・アルバムと同じくらい私は愛聴している。

それにしてもジャケットのアート・ワークがいかにもお粗末。いい加減で安っぽくて手抜きっぽい。それに加えて80年代も後半になって突然発売されたことや、いろいろな音源をごちゃごちゃと寄せ集めたような内容も雑な感じで何だかいかがわしい。
さらに、この2枚、タイトルが似ていて紛らわしく、しかも内容の半分が重複している。

こんなアルバムなのだが、内容は素晴らしい。スタジオの醒めた印象とはまったく異なる彼らの熱い演奏が聴ける。とくに当時まだ十代だった鈴木のギター・ワークと「文学青年」松本のドラムのアグレッシヴさが目立つ。

2004年に『はっぴいえんどBOX』が出て、当時の各ステージが完全な形で整理されてオフィシャル化された。中でも70年と71年の2回の全日本フォークジャンボリーでの名演がコンプリートで収録されたのは画期的だった。
これによって、この2枚のライヴ盤の価値もだいぶ下がってしまった。しかし、依然としてここでしか聴けない音源がある。
GREEEATEST LIVE! ON STAGE』の「加橋かつみコンサート」(1971414日)での5曲と、『LIVE ON STAGE』では「ロック・アウト・ロック・コンサート」(1971821日)の4曲(当日は6曲演奏されたらしい)がそれだ。
どちらも良い演奏で、これが聴けるだけでもこの2枚のアルバムは十分な価値がある。
このレア音源のおかげで、『GREEEATEST LIVE! ON STAGE』は、この1枚で「はいからはくち」の二つのアレンジ(シングル版とアルバム版)のそれぞれライヴ・ヴァージョンを聴き比べることができる。また『LIVE ON STAGE』では、「春らんまん」と「暗闇坂むささび変化」の珍しい別ヴァージョンを聴くことができるのだ。


<私の選ぶはっぴいえんどのアルバム・ベスト5>

第1位 『風街ろまん』(1971
第2位 『はっぴいえんど(通称ゆでめん)』(1970
第3位 『GREEEATEST LIVE! ON STAGE』(1986)+『LIVE ON STAGE』(1989
第4位 『HAPPY END』(1973、ラスト・アルバム)
第5位 『SINGLES』(1974、ベスト・アルバム)
次 点 『CITY』(1973、ベスト・アルバム)

2013年2月26日火曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「極辛麻婆つけめん」 2013

気がつくと2月ももう少しで終わりだ。早くしないと2月の間だけの期間限定メニュー「極辛麻婆つけめん」と「極辛麻婆らーめん」が食べられなくなってしまう。というわけで、2月も押しつまったある日、水戸の「つけ麺 坊主」を訪ねた。
前回は「極辛」を待ちかねていて、2月になるとすぐ食べに行ったのだった。その後もう一度訪ねたのだが、あいにく休店日で空振りしてしまった。そしてうかうかしているうちに月末になってしまったというわけだ。

平日の午前11時5分入店。開店直後の一番乗りだった。その後、後客は5人。御主人は、昼の繁忙時に向けて店内の段取りをいろいろ整えている様子だった。
券売機に向う。前回は「極辛麻婆らーめん」だった。もう一度食べたかったが、結局今回は「極辛麻婆つけめん」にする。またしばらく食べられなくなるので、悔いのないようにということで。それと例によって「白めし」と「ビール」。

カウンターの一番奥の指定席へ。御主人に「麺は大盛で」とお願いする。
スペシャル・メニューなのでレギュラーのメニューよりいろいろ手間がかかるが、何しろ一番めの注文だから程なく完成。まずつけ汁が出てくる。
前回食べた「極辛麻婆らーめん」と内容構成は同じだから、外見もそれをコンパクトにした感じ。もちろんその外見の下には、あの極辛ラーメン汁の辛さを濃縮したデンジャラスな液体が潜んでいるわけだが。
赤いつけ汁の上には、赤い粉末(魚粉+唐辛子?)の山が、器からはみ出さんばかりにこんもりと盛られている。その下に麻婆の豆腐が、ごろりとのぞく。その傍らに海苔が一片。相変わらずなかなか素晴らしい風景だ。

大盛りの麺も到着。それではいただきます。
ラーメン系のメニューならここで、まずレンゲですくってスープを味わうという楽しみがあるのだが、つけ麺だとそれができないのが寂しい。私がつけ麺系よりラーメン系を好む理由の一つがこの違いだ。

つけ汁の器の表面には麺を浸すスペースがない。そこで、まず海苔を麺の皿の方に避難させる。それから赤い粉末の山をそっと崩して、汁に浸すようにして混ぜる。汁の味が均一になるのがいやなので、器の中の汁全体をぐるぐる混ぜるようなことはしない。
汁の表面付近は、麻婆のあんの層なので、これに粉末が溶け、かなりの濃度のどろどろ状態になる。

麺を数本箸ですくいこのどろどろの汁の表面にそっと置くように乗せる。汁の中に浸すと汁が絡み過ぎるし、汁が冷めてしまうからだ。すぐに麺を持ち上げて口に運ぶ。汁は麺の片側にだけついている状態。
しかし、油断してこれをすすってはいけない。必ずむせるからだ。なるべくすすりこまないようにして、口に入れる。これがなかなか難しくて、唇のまわりに汁がついてしまう。そのままにしておくと、ついたところが辛さで痛くなるのでティッシュで拭う。
麺はまだ冷たくて、汁もそんなに辛く感じない。もちもちした中太の麺の歯応えがいい。この麺の美味しさは、麺が温まってしまうラーメン系ではなかなか味わえないものだ。
こうやって注意しながら汁に乗せては麺を食べ続ける。

口直しに、ご飯を一口、口に入れた。とたんに口の中で辛さが小爆発。冷たい麺に冷やされて、さほどの辛さでもないと感じていた汁だが、それが口の中に残っていた。それがご飯の熱さで、本当の姿を現したのだ。辛い、痛辛い。恐るべし、「極辛」汁。
またしばらく麺を食べる。やっぱり麺に冷やされた汁の辛さは、たいしたことはない。

やがて、今度は具材に取りかかる。
おそるおそる麻婆の豆腐を箸でちぎって口へ。熱くて辛い。メンマを一本つまんで口へ。辛い。もやしとニラをほんの2,3本つまんで口へ。やっぱり辛い。多少私の辛さに対する耐性が弱くなっているせいもあるかもしれない。でも、もちろんこれが美味しいのだ。
この辺で鼻水のスイッチが入る。以後箸を使う合い間合い間に忙しく鼻水をかみ続けることになる。さらには顔面から汗もしたたり始める。

今度は汁の中から大きな豚の肉片が出てくる。思いついてこれをご飯の上に乗せて、ご飯と一緒に食べる。ミニ極辛肉丼だ。ご飯の熱さが加わって、ものすごく辛い。で、美味しい。
以後、肉が出てくると、みんなご飯に乗せて食べた。肉がなくなると、麺の皿によけておいた海苔をつまんで片面をつけ汁に浸し、これをご飯に乗せて食べた。ご飯がどんどん進む。

汁の減り方が思ったより少ない。以前、麺を特大盛にしたら、麺より先に汁が無くなってしまって困ったことがあった。これに懲りて、麺はほどほどに汁につけることにしていたのだ。
だが、今回は途中で、これなら残りは大丈夫とふんだ。そこで麺をどっぷり汁に沈めてから食べることにする。
汁の奥の方は、表面付近より辛くないことがわかる。たしかに上の方は、赤い粉末と麻婆のあんでのせいでよけい辛かったのかも知れない。辛さとともに味噌の味と柚子のほのかな風味が麺に絡んでいい感じだ。

やがて汁を少し残してご飯と麺を食べ終える。ラーメンより、「無我の境地」の時間は短かった。
 あとはお楽しみのスープ割りだ。カウンターの上に置いてあるポットを取って中のスープを残ったつけ汁に注ぐ。一応用心してレンゲですくって飲んでみる。スープで薄まったとはいえ、注いだスープがかなり熱いので、まだまだ辛さがしっかり立っている。ふうふうしながら残った汁を飲みきるのに、けっこう時間がかかった。十分に満足できた。

一般的にいって、つけ麺系はラーメン系メニューより辛くない。麺が冷たいし、汁の量も少ないので、どこまでも熱々のラーメンより辛さを感じないのだ。
しかし、今回のこの「極辛麻婆つけめん」は、ガツンと辛くてなかなか手ごわかった。また食べてみたいものだ。次回は、8月だな。

2013年2月25日月曜日

はっぴいえんど 『風街ろまん』

『風街ろまん』(1971)ははっぴいえんどのセカンド・アルバム。言わずと知れた名盤だ。
今聴いても完成度の高い、すみからすみまで神経の行き届いたアルバムだ。しかもユーモアと機知にあふれていて余裕すら感じさせる。

音的にはウエスト・コースト・ロックを本格的に消化して自分たちなりに再構築したこなれたサウンドだ。カントリー・フレイヴァーが随所に漂い、アコースティカルな楽器の割合も多め。それとピアノやオルガンなど鍵盤の使用も印象的だ。
松本隆の詞もこのアルバムで、いよいよ独自のスタイルを確立している。彼の書く詞の古風な日本語の多用と、抽象度の高い透明感のある叙情は、はっぴいえんどの曲のイメージを決定づけた。
アルバム全体としては、ノスタルジックな記憶の中の都市「風街」をテーマにした、ゆるやかなコンセプチュアル・アルバムの体裁をとっている。

アルバムのプロデュースはグループ名義になっているが、各曲ごとにプロデュースの担当を決めていて、歌詞カードにも明記してあるのが注目される。プロデュース担当者の表記は「PRODUCTION」となっている。まるでバッファロー・スプリングフィールドやCSNYのようなシステムだ。
基本的にはその曲の作曲者がプロダクションしているのだが、細野晴臣作曲の「あしたてんきになあれ」が細野と鈴木茂の連名、鈴木作曲の「花いちもんめ」が鈴木と林立夫の連名になっているのが目を引く。

これはつまり「合議制」ではなく、作曲した当人が自分の思うとおりに曲を仕上げているということだ。そして他のメンバーもそれに従うというわけだ。その結果、曲によってはメンバーの全員が参加していない曲もある。
たとえば、彼らの代表曲で細野作の「風をあつめて」は、ドラムの松本以外は細野がすべての楽器を演奏しヴォーカルも取っている。大瀧詠一と鈴木は参加していないのだ。
この他、鈴木は「空色のくれよん」と「暗闇坂むささび変化」にも参加していない。ロバート・フリップが言うところの「名誉ある沈黙」というやつだ。しかし一方で鈴木が参加した曲では、随所でじつにツボを心得たプレイを聴かせているところが何ともニクい。
このようなシステムが功を奏して、このアルバムは素晴らしい完成度を獲得したし、またメンバーの各人も十分な達成感を得ることが出来たのではないかと思われる。やりたいことをやりきったという感じは、聴いている方にも伝わってくる。そしてそれが解散へとつながっていくのではあるが。

しかもなおアルバム全体としてソロ作の寄せ集めのようにはならず、それぞれの曲が「はっぴいえんど色」を保っていて、アルバムのコンセプトの内に収まっているのは見事だ。このときのはっぴいえんどは、個を尊重しつつグループとしての一体感も失わないという、まさに理想的な状態にあったのだろう。

このアルバムに収められているいくつかの曲について、現在ではその初期のヴァージョンもしくはプロトタイプを聴くことができる
たとえば「風をあつめて」は、前作『ゆでめん』録音時のリハーサル・テイクで、タイトルも「手紙」となっていた頃の録音がある(『はっぴいえんどBOXDISC1などに収録)。
「暗闇坂むささび変化」は、アルバム録音の直前だが、全然違う形で演奏していた「ももんが」という曲をライヴ音源で聴ける(『LIVE ON STAGE』に収録)。
はいからはくち」は、アルバム録音の数ヶ月以上前に録音した シングル・ヴァージョンや『CITY』ヴァージョン、さらに初期のライヴ音源などで、アルバムとは違うアレンジの初期の・ヴァージョンを聴くことができる。
さらに「夏なんです」は、アルバム録音の数ヶ月前のまったく違うアレンジのリハーサル・テイクがある(『はっぴいえんどBOXDISC2に収録)。

これらの新旧のヴァージョンを聞き比べると、そのあまりの違いに驚かされる。とくに「風をあつめて」のプロトタイプ「手紙」や「夏なんです」のリハーサル・テイクは、どうみても凡庸だ。これらの初期ヴァージョンの延長線の先に、アルバム・ヴァージョンがあるとは到底信じられない。何かマジックが起きて、別次元にジャンプしたかのようだ。
アルバム・ヴァージョンでは、詞と曲が立体的に一体のものとなり、透明な歌の世界が生まれている。
つまりは松本の詞の成熟があり、メンバーの曲作りも急速に進化し、そしてスタジオ・ワークにも習熟して、その結果このアルバム制作の現場で「マジック」が起きたということなのだろう。

以下、各曲の感想など。

「抱きしめたい」
都市がテーマのこのアルバムは、なぜか田舎の歌から始まる。
機関車のリズムを模したミディアムの落ち着いたテンポ。それに乗って這うようにうねりながら低音を埋める細野のベース、渋い鈴木のギター・プレイ、ブリッジ部分のイコライジング処理、そしてラストで饒舌に語りだす松本のドラム等々聴き所がいっぱい。試行錯誤の前作とは打って変わって、じつに確信に満ちた演奏ぶりだ。

「空色のくれよん」
カッコわるいカントリー・ヨーデルを歌う大瀧のカッコよさ。

「風をあつめて」
ジェームス・テイラーを参照した細野の平板でフラットな歌唱法が確立されている。そんなヴォーカルとダブルのアコースティック・ギターとオルガンが作り出すクールなサウンドが、松本の詞の透明な詩情と見事にマッチしている。

後にこの曲はソフィー・コッポラ監督の映画『ロスト・イン・トランスレーション』のエンディング・テーマとして使われた。
『ロスト…』は良い映画だ。都会の中の身の置き所のなさ、ぼんやりとした孤独感、そしてたまたま隣り合わせた人間とのほのかな心の揺らぎ。そういったものが新鮮な感覚でデリケートに描かれていた。ソフィー・コッポラの才能をあらためて見直した一本だった。
映画に使われている音楽は、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインなどハイセンスだが私には縁が遠いものばかり。そんな中、エンド・ロールで、はっぴいえんどの「風をあつめて」が流れてきたときはちょっとじーんときた。この映画で描かれている醒めた都会の孤独感に、この曲の冷ややかな叙情がぴったりだったからだ。

「暗闇坂むささび変化
初めてこの曲を聴いてから30年後のこと、六本木の交差点から麻布十番に向って歩いているとき、暗闇坂の前を通りかかった。
「ああ、ここがあの『ももんが』の坂か…」と、しばらくそこに立ち止まって感慨にふけった。頭の中でこの曲が鳴っていた。
いったい何人の人がここでこうやって立ち止まったことだろう。

「はいからはくち」
ワイルドな曲でビートルズにおける「バースデイ」にあたる。
一応、曲のテーマは、欧米の文化(「はいから」)に振り回される自分たちも含めた日本人(「はくち」)への批評なのだろう。だがそんな理屈を越えて、もうそのようにしか生きられない苛立ちをぶつけたようなる歌いっぷりと演奏だ。冒頭からアグレッシヴなフレーズを聴かせる鈴木のギターが良い。

お囃子のイントロ、多羅尾伴内のナレーション、パーカッション類の導入、ドラムのソロ・パートなど、ワイルドな曲ながら細かいところまで丹念に作り込まれている。シングル・ヴァージョンよりずっとめりはりがきいている。

「はいから・びゅーちふる」
「はいからはくち」のエンディングのような短い曲。
「なぜここにこうした冗談のようなトラックが収められたのか」という志田歩のあらためての検討が興味深い(「はっぴいえんど全曲ガイド」『はっぴいな日々』レコード・コレクターズ8月増刊号 2000年 p.107)。
志田はその理由をふたつ挙げる。ひとつは「はいからはくち」で「シリアスな問題提起をあまりにもカッコよくやってしまったことへの照れ」。つまり頭をかきながら「ナンチャッテッ」て感じかな。
もうひとつは、「ロックンローラーというワクに収まりきることのできない大瀧の作家性の発露」だというのだ。
こう考えると大瀧のシリアスでありながらコミカルでもある作風も何となく合点がいく。と同時にこの二つの性向が、大瀧のみならずはっぴいえんどの4人にも共通していると考えれば、このアルバム全体に漂う遊びとユーモアの感覚も納得できるような気がする。

「夏なんです」
これも「風をあつめて」と同じくジェームス・テイラー・スタイルの平板&クールな細野のヴォーカルだ。繰り返される「なんです」という言い回しも印象的。
「ぎんぎんぎらぎらの…」と歌っているわりには、ひんやりした演奏だ。現実のというより想像された記憶の中の夏、いわばガラス瓶の中の夏の情景が歌われている。だから誰にも同じように懐かしく、また愛おしいのだろう。

「花いちもんめ」
はっぴいえんどのジョージ・ハリソン、「ダークホース」鈴木茂の作曲&ヴォーカルデヴュー作。それがいきなりはっぴいえんどの代表作になってしまった。ジョージ・ハリソンばりの線の細いフラットなヴォーカルが、松本の詞にマッチしている。
この曲は「風をあつめて」とともに、このアルバムの「記憶の中のノスタルジックな都市」というコンセプトをもっともよく反映した曲でもある。
ただし3番目のヴァースの歌詞(「みんな妙に怒りっぽいみたい」)は、過去のことなのだろうか、それとも現在のことなのだろうか。

「あしたてんきになあれ」
細野の小技。

「颱風」
コミカルさとカッコよさがミックスされたやはり名曲。
とにかく大瀧のパフォーマーぶりが最高にカッコいい。不自然で強引な音節の区切り方、途中のブレイク(「休憩」)やラストのナレーション(「何、風速40メートル」)まで大瀧のユーモア・センスが全開だ。ワウを効かせた鈴木のギターもよい。

「春らんまん」
カントリーっぽい曲調、アコースティック・ギター、全編ハーモニーによるヴォーカルなどCSN&Yを思わせる。
ライヴでは、エンディングのマンドリン伴奏のパートが、曲の頭で演奏されていた(『LIVE ON STAGE』で聴ける)。

「愛餓を」
『アビー・ロード』の「ハー・マジェスティ」にあたる曲。お見事。

このアルバムはLPではA面が「風」サイド、B面が「街」サイドと名付けられていた。たぶんこの両面は対応するように意図されている。どちらも田舎の歌(A面は「抱きしめたい」、B面は「夏なんです」)で始まり、コミカル・ソング(A面は「はいから・びゅーちふる」、B面は「愛餓を」)で終わっているのも、たぶんそのためでは?。

ところで、はっぴいえんど解散後の1973年に『CITY』というベスト・アルバムが出た。『風街ろまん』からは、これに次の5曲が選ばれている。
「抱きしめたい」、「風をあつめて」、「はいからはくち」(アルバムとは別ヴァージョン)、「夏なんです」、「花いちもんめ」
この選曲にまったく異論はない。いずれもはっぴいえんどを代表する名曲だ。曲のクオリティ本位で選んだなら、これ以外にまず選びようがないだろう。しかしである、こうして名曲ばかりを抜き出して並べてみても、何となく物足りなさが残るのだ。

ここで選ばれなかった『風街ろまん』の残りの曲を並べてみよう。
「空いろのくれよん」、「暗闇坂むささび変化」、「はいから・びゅーちふる」、「あしたてんきになあれ」、「颱風」、「春らんまん」、「愛餓を」の7曲だ。
比較的短めのものが多くて、どれもユーモラスないしはコミカルな曲だ。言ってみればお遊びのような、つなぎのような、おまけのような曲ということになるかもしれない。
 しかしあらためて見てみると、これら選ばれなかった曲たちが、このアルバムの自由で開かれた空気感を醸し出していることに気がつく。そしてこの空気感こそが『風街ろまん』というアルバムの大きな魅力なのだ。

2013年2月22日金曜日

はっぴいえんど 『はっぴいえんど(ゆでめん)』

   はっぴいえんどのアルバムについて順に感想を書いてみたい。まず最初は、はっぴいえんどのデヴュー・アルバム『はっぴいえんど』(1970)について。
『はっぴいえんど』が正式タイトルだが、そう呼ぶ人は誰もいない。通称『ゆでめん』。当時の私たちもみんなそう呼んでいたし、メンバー達自身もそう呼んでいるようだ。

 まだまだ未完成で中途半端なアルバムではある。たぶんメンバー達自身も自分で何をしたいのかよくわかっていなかったのかと思われる。
しかし今聴いてみると、その若さゆえの頭でっかちで生硬な感じや、攻撃的でトガッているところが何とも愛おしい。

松本隆の詞はまだ十分にこなれていなくて、ときどき荒っぽいところもある。細野晴臣は気負い過ぎていて硬直気味だ。彼本来の調子が出てくるのは次作以降からだ。
そんなわけで、このアルバムにおける松本、細野コンビの曲は「しんしんしん」を除くと、はっきり言ってことごとく出来がよくない。「敵―TANATOSを想起せよ!」、「あやか市の動物園」(この曲のライヴでの演奏は素晴らしいのだが)、「はっぴいえんど」、「続はっぴーいいえーんど」などのことだ。
細野が詞と曲の両方を手がけた「飛べない空」も、プロコル・ハルム的なオルガン中心の重厚作なのだが、やっぱりあんまり面白味はない。
これらの曲はどれも生真面目で生硬で暗い。攻撃的であったり、自問したりするのは、若いゆえの真摯さであり熱さなのだろう。その「青臭さ」がまた良さでもあるのだが…。

これに対して松本、大瀧コンビの曲はもう一歩すっきり抜けている。若さゆえの「熱さ」がストレートに出たのが、冒頭の「春よ来い」だ。
はっぴいえんどの代表曲のひとつだが、この曲の詞は、その後の松本の詞とはちょっと調子が違っている。都会的ではなくて「四畳半的」。そしてクールではなくてベタで一直線に熱い。少なくとも詞の面から見れば、はっぴいえんどの代表作というよりは、むしろ例外的な曲だ。
この歌に左右からディストーションの効いたギターが絡みついて独特の歌の世界が作り出されている。

なぜこの曲の詞だけ調子が違うのか。そのナゾはずいぶん後になって解けた。
1970年4月12日のはっぴいえんどのデヴュー・ステージで、大瀧はこの曲を「永島慎二氏に捧げる歌」と紹介して演奏を始めている(『GREEEATEST LIVE! ON STAGE』に収録)。
この曲は永島の漫画『漫画家残酷物語』の「春」という物語にインスパイアされた曲なのだった。「春」は、漫画家になるために家を飛び出した主人公が、一人で寂しく正月を迎える話だという。「春よ来い」という歌は、この漫画の内容をそのままなぞっている。もちろんはっぴいえんどの4人は、この漫画の主人公の覚悟に自分たちのそれを重ね合わせているのだ。夢を目指して今を耐え、じっと春を待っという覚悟を。

はっぴいえんどには醒めた視線で社会と向き合っているというイメージがある。しかし「春よ来い」の明日へのストレートな熱い思いは、やっぱり当時も今も私たちの心を打つ。

だけど全てを賭けた 今は唯やってみよう
春が訪れるまで 今は遠くないはず
春よ来い
(「春よ来い」)

「かくれんぼ」と「12月の雨の日」は、このアルバムを代表する名曲だ。しかも、どちらも時代との微妙な距離感が歌われている。
社会を変えようとコミットしていくのでもなく、また巻き込まれて押し流されるのでもない。あくまで斜(はす)に構えて距離を置き自分を保とうとする。それが彼らの姿勢だ。

「かくれんぼ」は、男女の微妙な心の行き違いを描いているように見える詞だ。そのように解説している文章もしばしば見かける。
しかし私にはもっと抽象度の高い、時代との距離、他者との関係が歌われているように聴こえる。
部屋の中で「熱いお茶を飲んでいる」私と対比される外の世界のイメージは、たとえば次のように切り取られている。
「風はすっかり凪いでしまった」、「雪融けなんぞはなかったのです」、「雪景色は外なのです」等など…。
外の世界への冷ややかな視線と自分との間の距離が浮かび上がる。

そして他者とのコミュニケーションの不毛が次のように象徴的に語られる。
「吐息のような嘘が一片」、「絵に描いたような顔が笑う」そしてブリッジの「もう何も喋らないで…君の言葉が聞こえないから」…。
ここに窺えるのはコミュニケーションへの諦念さえ感じさせる透明な孤独感だ。その透明さが美しい。

「12月の雨の日」で印象的なのは、雨の街の風景の叙情性だ。
「流れる人波」の中の「雨に憑かれたひと」たちや「雨に病んだ飢(かわ)いたこころ」を、雨に濡れた街がやさしく包み込む。「流れる人波」(=時代)を距離を置いて見ている冷ややかでシニカルな視線が、叙情の中に落とし込まれている。

「いらいら」は、このアルバムで4番目の名曲だ。
うろ覚えだがたしか大瀧はこの曲についてこんなことを語っていた。この曲は、その後に作った「颱風(たいふう)」や「びんぼう」といった曲に先立つ「四文字タイトル曲」シリーズの最初にあたるものなのだと。もちろんどこまで本気で言っているのかは定かでないが。
しかしこの曲は「颱風」や「びんぼう」のようなノヴェルティ・ソングではない。閉塞的な時代の気分を端的にすくい取ったシリアスな曲だと思うし、だから共感を覚える。

それにしてもこの曲に限らないのだが、この頃の大瀧には、後に能天気でマニアックなオールディーズ世界に耽溺していく人とは思われないウェットでシリアスな一面があった。もっとそんな大瀧の曲を聴きたかった。

「いらいら」から曲間なしで始まる「朝:は、まるで「いらいら」を「救済」するような曲だ。陽だまりのようにピュアな幸福感に満ちている。ほぼアコースティック・ギターとドラムだけの伴奏。翌71年8月の全日本フォークジャンボリーのライヴでは、この曲をバンド・サウンドで演奏している。それでもなおこの曲のデリケートな表情が出ていたことに感心した。

このアルバム『ゆでめん』のラストは、「続はっぴーいいえーんど」。松本の詩の朗読と例のおどろおどろしい鈴の音と「呪文」で何とも後味悪くアルバムは幕を閉じる。この終わり方はもうちょっと何とかならなかったのかなあと思う。
このラストのせいばかりではないのだが、『ゆでめん』は全体としては、暗くて重くて結局ソフィスティケイトされた「四畳半フォーク」という印象を当時も感じたし、今もそれは変わっていない。
そして、そこが悪いのではなくて逆に良いのだ。

2013年2月7日木曜日

寿司を握る日々

<寿司を握る日々 1>

このところ私の昼食は、毎日握り寿司だ。すごいでしょう。もうちょっと正確に言うと、自分で握ってそれを食べているのだ。
「修行中」なので、最初の頃は安いネタばかりだった。たとえば、かまぼことか、カニカマとか、刺身こんにゃくなどなど。回転寿司なら一皿100円クラス。
しかしこれでも、かまぼこはイカのつもりで、カニカマはもちろんカニのつもり、そして刺身こんにゃくはマグロのつもりなのだ。なんだか落語の『長屋の花見』みたいだな。貧乏長屋の面々が、お茶をお酒に、大根の漬物をかまぼこや卵焼きに見立てて花見をする話だ。

もともと私も人並みに寿司が好きだ。けれど隠居の身となってからは、すっかり寿司とのご縁が薄くなってしまった。
うちの奥さんが生(なま)ものをあまり好まないということもあって、店に食べに行くということはまったくない。
ただし我が家では、家族の誕生日に寿司の出前を取る慣習がある。寿司を食べるのはこのときだけだ。だから年に四回。それ以外はほんのときたまスーパーで、パック入りのものを買ってくるくらいだ。

なぜ自分で寿司を握ろうと思ったのか。もちろん、寿司を手軽に安く食べたかったのだ。
この間うちの奥さんの誕生日に久しぶりに出前を取って寿司を食べた。これがすごく美味しかった。また食べたかったが、何しろ寿司は高い。それなら自分で作ってしまえっ、と思い立った次第だ。
これまで、こんなノリで、うどんとラーメンを自分で工夫して作ってみたことがある。どちらも自分なりには満足するものができた。さて、今回はどうなるか。

まずネットで寿司の作り方を調べてみた。今は本当に便利な時代だ。動画で寿司を握っている様子をいろいろ見ることができる。ただ細かいところまでは、なかなかよくわからない。しかし、たくさん見ているうちに、何だか自分でもすぐできるような気になってきた。
それから、寿司めしの作り方もわかった。そこで、さっそくトライしてみたのだ。

ここで、寿司の作り方を、調べた情報に私の体験を加えて紹介しておこう。自分も作ってみようという人のために。そんな人いないかな。

<寿司のマニュアル 寿司めし編>

寿司めし(シャリ)の作り方は、意外に簡単だった。
ご飯にまぜる寿司酢の材料は、調べればすぐにわかる。ちなみに、私の場合はこんな配合だ。

【寿司酢の材料(お米1合につき)】
酢  大さじ1.
砂糖 小さじ1
塩  小さじ0.5。

酢に砂糖と塩をよく溶かすために、火にかけると書いてあったが、よく混ぜれば加熱しなくても溶けた。
ご飯をかために炊いて、これに分量の寿司酢をかけ、よく混ぜれば出来上がり。
飯台で混ぜるのがいいらしいが、私は一人前で少量(1合)なので、メラミン製のボールにご飯をあけて混ぜている。
ご飯に液体(酢)を混ぜるわけだから、びちゃびちゃになるのではとちょっと心配だった。最初はたしかにそうなるのだが、少しおくとご飯が吸ってべちゃべちゃ感はなくなる。

私は酢の代わりに黒酢を使っている。ネタが安ものなので、せめて寿司めしは美味しくしたいと思ったのだ。
なお私の炊飯器には炊き方のメニューに「すしめし」モードがあったのでこれを使っている。

<寿司のマニュアル 握り方編>

寿司の握り方の基本の手順はだいたい以下のとおり。言葉だけで説明するのは難しいのだが…。
握る前に、手に寿司めしが付かないように、「手酢(手水とも言う)」といって水に酢をくわえたもので手を湿らせておく。

① 右手で寿司めしをつかみ、そのまま片手で軽く小さい丸型にまとめる。
 左手の手のひらにはネタを置く。人差し指から小指までの、指の付け根と第二関節の間あたり。

② ネタの上に右手の丸い寿司めしをのせる。
そして右手の人差し指を寿司めしに上から添えながら左手で握る。

③ 左手を開き、握った寿司を指先の方に転がして半回転させ、ネタと寿司めしの上下をひっくり返す。
ネタを上にしたまま、左手の元の位置に戻す。
そして再び右手の人差し指を上から添えながら左手で握る。

④ 左手を開き、上下左右の側面を右手の親指と人差し指ではさんで整える。
それを右手で持ち上げ、寿司の両端(手前側の端と向こう側の端)を180度回転させて入れ替える。
そしてこれを三たび右手の人差し指を添えながら左手で握る。
手を開いて右手で形を整えて出来上がり。

このときあまり強く握ってはいけない。形をしっかりさせたいし、ネタとご飯をしっかりくっつけたいので力を入れてぎゅっと握りたくなる。しかしそうするとご飯がおにぎりのように固まって、口に入れたときのほどけ具合がよくないのだ。
なおふつうは②で、寿司めしをのせる前に、ネタにわさびをつける。しかし、私の場合はつけ過ぎが心配なので、ここでつけずに、食べるときにつけることにしている。

<いろいろな失敗といろいろなコツ>

最初いざ握ろうとしたら、指にご飯が盛大にくっついてしまって、全然握るどころではなかった。もちろん手には手酢をつけて湿らせておいたのにである。
そこで少し多めに手酢をつけると、今度はつかんだご飯がびしょびしょになってばらばらとほぐれてしまう。
しかし何回かやっているうちに、手につかないようにして、ご飯が扱えるようになってきた。

わかったのは手の湿らせ方が、意外に大事なポイントということ。手についている手酢が多すぎても少なすぎてもいけない。
指の先につけ両手をこすり合わせるようにしてのばす。濡らし過ぎた場合は、拍手のように手をたたいたりして、よけいな水分を飛ばす。しかも、一個握ったらそのつど手酢をつける必要がある。
それでもだんだん手にご飯の粘りが付いてくるので、数個握るごとに冷水で手を洗うのだ。冷水なのは、手を冷やした方がご飯がつきにくいからだ。
そもそもそれ以前に寿司酢とまぜたご飯は、ある程度冷ます必要がある。温かいとやはりその分粘るのだ。最初は省略してしまったのだが、なるほどどの作り方にも書いてあるように、たしかにうちわで扇ぐ必要があったのだ。

寿司めしが手につかないようになってはきたものの、次は形をうまくまとめることができなかった。
まず右手に寿司めしを取るとき、どうしても多く取り過ぎてしまう。それを握ると、寿司というより小さめの不恰好なおにぎりになってしまった。
これも何回かやっているうちに、だんだんつかむときにちょうどよい寿司めしの量がわかってくる。私は一回にお米を1合炊いているが、今はこれでいつも18~20個作れるようになった。

形の方は、ネタと寿司めしを置く手の上の位置が問題だった。手のひらの真ん中に置くと、おにぎりになってしまう。上のマニュアルに書いたとおり、指の付け根と第二関節の間、つまりあくまで指の上に置くようにする。これがわかると、いい形に握れるようになった。
形がうまく作れないと、ついぎゅっと力が入ってしまったのだが、要領がわかればそれほど力はいらない。

ただ形はそれなりにできても、ときどき問題があった。ネタが寿司めしにうまくくっついてくれないことがあるのだ。かまぼこや刺身こんにゃくなどはとくにそうだ。
しかし、それでもあせらずにネタを軽く押さえ形を整える。そのまま少し落ち着かせると、食べるときには何とか一体になってくれることがわかった。

<寿司を握る日々 2>

ちょっと上達してくるとやっぱり、魚をネタにして握ってみたくなる。そこで値段が安めでネタになりそうなものをスーパーで物色した。
しめさばを最初に買ってきた。これが思った以上にうまく握れたのだ。次いで今度は、安売りしていたトラウト・サーモンとか、ビンチョウマグロを柵(さく)で買ってきて、自分でネタ用に切って作ってみた。
握ってみるとこれらの魚のネタは、かまぼこなどよりすっと握りやすいのだ。ネバリがあるので寿司めしと密着する。また柔らかくしなるので握りながら形を整えやすく、きれいな形に仕上がるのだ。
これですっかり楽しくなってしまった。もちろんプロのようにはいかない。寿司の形はでこぼこがあったり、いびつだったりする。大きさもばらつきができる。でも自分で食べる分には、まったく問題ない。

こうなると次は人に食べさせたくなる。
そこで、ある休日の夕食に寿司を握ってみた。材料は少しだけ奮発した。
もっとも上に書いたように、うちの奥さんは生の魚を好まないので、魚はなし。スーパーで、握り寿司用のボイルしたエビ、タコの刺身、刺身用のイカの柵、厚焼き玉子、それから寿司用のガリ(しょうがの甘酢漬)を買ってきた。
ネタのメニューは、エビ、タコ、イカ、卵焼き、カニカマ、そして軍艦巻きのコーン・マヨネーズ。
握ったものを一人前ずつ長方形のお皿に盛ってガリを添えると、なかなかりっぱな見栄えの握り寿司になった。もちろんうちの奥さんにも好評だった。

やっぱり自分で作るのは楽しいものだ。
さてこれからどんなネタで握ってみようか。しばらく修行の日々が続きそうだ。

<おまけー寿司の思い出>

最後に寿司の思い出をひとつふたつ。

ときどき一緒にお酒を飲む友人がいる。だいたい三月(みつき)に一度くらい。数年前のある時期には、彼と毎回寿司屋で飲んでいた。
そこは水戸ではちょっと名の通ったある寿司屋だった。カウンターに並んで座って、おまかせのつまみでお酒を飲む。お刺身や、ちょっとした焼き物なんかが出てくる。
そして、途中から寿司を握ってもらうのだ。これもネタはおまかせ。そして、お腹がふくれたところで終わりにする。店にいるのはだいたい2~3時間。そんなにお酒は飲まないが、友人やその店の主人とも話ははずんで毎回楽しいひと時を過ごした。
お勘定はこれでだいたい一人分一万円以上で二万円以下。ぜいたくだけど、たまにはいいかなと思っていた。今では懐かしいぜいたくな思い出だ。

それから安い方の寿司の思い出。上野駅の中にあった回転寿司の話。
勤めていた頃、東京には月に1,2回出かけた。用向きが終わって、上野に戻り帰りの電車を待つ間、よくこの回転寿司に寄って小腹を満たしたものだった。何しろ他の店のように、注文したものが出てくるまでの待ち時間がないのがいい。半端な待ち時間でも入れて便利がよかった。
何しろ駅にあるのでいつも客がいる。だからいつまでも回りっぱなしの皿はなくて、次々に握りたてが供給されるのも気に入っていた。

ここでは寿司をつまみながら、たいていお酒を飲んだ。あふれそうなコップの酒に小さな枡をはかせて出てくる。コップからこぼれた酒を枡で受けるのだ。燗酒なのにあっという間に出てくるのが不思議だが、そこもまた都合がよかった。
夕方になると当然のことながら店は半分「居酒屋化」する。カウンターに座っていると、左右にいろんな人間模様が垣間見える。それらをつまみにしながら、ちびりちびりとお酒を飲むのだ。もちろんお寿司も食べるけれど。
このお店も、先年の上野駅のリニューアルで今はなくなってしまった。ちょっとだけ残念だった。