2013年2月2日土曜日

遠藤賢司のアルバム5選

今回は、孤高の人 遠藤賢司のアルバム5選。
遠藤賢司も映画『20世紀少年』で主役になった(といっても名前だけだけど。しかもあちらは遠藤「健児」。ただ遠藤賢司本人も脇役で出演していた)。あれで少しは有名になったのだろうか。

遠藤賢司は、私にとってちょっと近くて、でもやっぱり遠い存在だ。何が近いかというと、遠藤賢司は私と同郷なのだ。彼と私は同じ町の生まれ。また、私の兄弟や友人の出た高校の先輩でもある。

だが、まあ実際はそんなこととはあんまり関係なく、遠藤賢司の音楽そのものに強くひかれてきた。
何といっても最初にテレビで見た彼のライヴの印象が強烈だった。1970年前後のことだったと思う。例の山高帽と、肩章のついた軍服姿で、たしか「夜汽車のブルース」と「カレー・ライス」と「満足できるかな」を歌ったと思う。ステージで椅子に座ったままアコースティック・ギターをかき鳴らし、ホルダーのブルース・ハープを吹きまくる彼の姿は、ものすごくカッコよかった。当然私もマネした。
その後彼の生の演奏には、茨城や東京のライヴ・ハウスで2,3回接したことがある。

しかし、彼はどんどん自分の趣味の世界へと沈潜していく。
もともと政治的なメッセージや社会風刺を歌う人ではなかった。「気をつけろよベイビー」とか「続東京ワッショイ」みたいな風刺的な曲もあるにはあったが。彼の歌のほとんどはプライヴェートな世界に終始していた。それがだんだん趣味化していくのだ。

遠藤賢司が好むのは、猫、プロレス、カレー、歌謡曲、SF、UFO…。カレーとSFは私も大好きなのだが、でも一人で遊んでいる遠藤賢司の姿を見せられても、他人の私には「だからどうなの」というしかないことになる。

私が好きなのは、ロッカーとしての遠藤賢司と、そして初期の情念の歌い手としての遠藤賢司だ。しかし、この人のアルバムはつねに中途半端だった。私の期待する遠藤賢司の魅力をきっちりと詰め込んだ、決定版と言えるようなアルバムはついに出なかった。いい曲もあれば、そうでない曲もある。全体としては、スカスカな感じのアルバムばかり。
熱烈なファンが多い遠藤賢司だが、そんなこんなで、私はそこまでのファンにはなれなかったのだ。
さてそこで、私なりのこだわりから選んだアルバムは以下のとおり。

<遠藤賢司のアルバム5選>

第1位 『不滅の男遠藤賢司バンド大実況録音盤』(1991
第2位 『遠藤賢司黎明期LIVE!』(1989年 録音は196871年)
第3位 『東京ワッショイ』(1979年)+ 『宇宙防衛軍』(1980年)
第4位 『KENJI』(1974年)
第5位 『niyago』(1970年)
次 点 『70年代ライヴ』(『遠藤賢司特得箱キング・オブ・ワッショイ』(2005年)の中の1枚)

<遠藤賢司のアルバム5選についてのコメント>

第1位 『不滅の男遠藤賢司バンド大実況録音盤』(1991

1989年から90年にかけての遠藤賢司バンドのライヴ音源を集めた2枚組。トリオ編成だが、一部の曲で、のちに正式にバンドのメンバーとなる頭脳警察のトシもゲスト参加している。

録音は悪い(しかも一部はモノラル)。しかしそんなことが全然気にならないような、ラウドでグランジな演奏が炸裂している。よけいなものをそぎ落とした裸のロッカー遠藤賢司の姿がここにある。
中でも2枚めの「プンプンプン」の中盤で聴ける遠藤賢司のエレクトリック・ギターとトシのパーカッションによるフリー・フォームな爆音インプロヴィゼーションは圧巻。

 アコースティックの弾き語り曲は余計だが、「猫が眠っている」だけは例外。その呪術的な禍々(まがまが)しい迫力は、前後のエレキな爆裂曲の間に違和感なくぴったりとはまっている。

このアルバムと同じ年にニール・ヤングはグランジなライヴ・アルバム『weld』を出した。日米の孤高の表現者のパラレルな歩みを感じた。

第2位 『遠藤賢司黎明期LIVE!』(1989年)

発売は1989年だが、デヴュー前後の1968年から71年までのライヴ音源を集めたアルバム。オリジナル・アルバムではないが、選曲は遠藤賢司自身によるとか。

初期の遠藤賢司が、情念の歌い手としてどれほどすごい存在であったかがわかる。とくに「夜汽車のブルース」、「本当だよ」、「猫が眠ってる」には深い情念の響きを感じる。
スタジオ版と違って重苦しいリズムの「夜汽車のブルース」、魂のうめき「本当だよ」、琵琶奏法ギターで呪術的な「猫が眠ってる」。遠藤賢司個人のというより、時代の底の方に流れている暗い情念を体現している感じだ。人間存在の暗黒がそこに垣間見えている。
その他、呪文のような「外は雨だよ」、のちの遠藤賢司バンドを思わせる爆音電気サウンドが鳴り響き、最後の息をふりしぼるように歌う「終わりの来る前に」も強烈だ。

この時期に録音されたのが、ファースト・アルバム『niyago』と名作と言われているセカンド『満足できるかな』だった。いずれも世評は高い。しかし『黎明期LIVE!』を聴いてしまうと、ライヴの場での当時の遠藤賢司のすごさが、この初期2枚のスタジオ・アルバムにはほとんどまったく盛り込まれていないことがわる。

第3位 『東京ワッショイ』(1979年)+ 『宇宙防衛軍』(1980年)

この2枚は同率で3位というわけではなく、2枚あわせて3位というつもり。つまり2枚あわせて一人前。

『東京ワッショイ』は、A面の<東京サイド>はいいとして、B面<宇宙サイド>がよくない。ハード・ロックの「UFO」を除けば、「ほんとだよ」の8分以上に及ぶ再演とインスト曲が2曲で、だらだらとして盛り上がらない。
続編ということになっている『宇宙防衛軍』の方は、あくまで「お遊び」のアルバム。自分の趣味嗜好にとことんこだわったその「遊びっぷり」が味わいどころなんだろう。もしかするとその姿勢そのものが、世間に対するひとつの主張になっているのかもしれない。しかし、音楽として何回も聴き込むほどのものでもないだろう。まあ「白銀の翼」とテクノ風味の「夜汽車のブルース」の再演は別として。
というわけで、この2枚をあわせてやっと一枚分というわけだ。

『東京ワッショイ』のA面<東京サイド>はとてもよい。珍しく(?)無駄な曲が一曲もない。
オープニングの「東京退屈男」のキッチュなアジアン・プログレでいきなり期待は高まる。そして、軽快に疾走するロックンロールのタイトル曲「東京ワッショイ」で盛り上がる。四人囃子プラス山内テツ(ベース)のバッキングもエッジが聴いていてよい。
続く3曲目は一転してブルース。ポール・コソフへの鎮魂歌「天国への音楽」だ。前曲からの動から静への展開もいい。次の「哀愁の東京タワー」は臆面もなくクラフト・ワークな曲。でもこれがまたなかなかよい。
そして、シニカルで狂騒的な「続東京ワッショイ」から怒涛の「不滅の男」へ。これで終わっちゃえばよかったのに。B面はいらなかった。

不滅の男」はこの後、遠藤賢司のテーマ・ソングとなる。それにしても、ここで歌われる自信はいったいどこから来るものなのだろう、とつくづく思う。
「お前はお前 俺は俺」という割り切りから生まれる絶対的な自己肯定なんだろうけど、自分が「いつも最高」で「天才」で「不滅の男」とまで言い切れるのがすごい。むしろそう言いきることで、そうあろうということなのか。あやかりたい。

ところでロックと歌謡曲の狭間でねじれて花開いた<東京賛歌三部作>というのを私はかってに考えている。
それは、近田春夫&ハルヲフォンの『電撃的東京』(1,978年)と、遠藤賢司の『東京ワッショイ』(1,979年)と、そして沢田研二のシングル「TOKIO」(1980年 加藤和彦の作曲・プロデュースで、作詞は糸井重里)だ。どんなもんでしょう。

第4位 『KENJI』(1974年)

ロック的な展開と宇宙テーマ、そしてついでに言えば横尾忠則のジャケットという点で、後の『東京ワッショイ』(1979年)のプロトタイプ的な作品。しかしこれは、何とも聴きどころの少ないアルバムではある。
その聴きどころとは、まず何といっても冒頭の確信に満ちたロック・ナンバー「踊ろよベイビー」だ。高中正義のポップ・センスとギターが光る。そして次の渋いブルース「淋しい夜にはギターをひこう」。
それから「気をつけろよベイビー」もよい。ワウを効かせたエレクトリック・ギター(洪栄瀧)とうねるベース(山内テツ)が、遠藤賢司のヴォーカルと絡み合いねじれあって、不穏に暴走していくさまが圧巻。

しかしその他の大半がつぶやき系の曲ばかり。「星空のワルツ」、「おはよう、こんにちわ、こんばんわ、おやすみ」、「ふりそそぐ星」、「君のいない日」、そして本当につぶやきだけの「けんちゃんの宇宙旅行」。
こういうつぶやくように歌うタイプの曲は苦手なのだ。なので、アルバム全体の印象としてはスカスカな感じ。

だがしかし、ラストのまるで「ヘイ・ジュード」のように悠然とアルバムを締めくくる「またいつか会いましょう」を聴くと、また最初から聴き返したくなるのだった。

第5位 『niyago』(19704月)

遠藤賢司の記念すべきデヴュー・アルバムだ。出た当時は、日本のロックとして『ミュージック・マガジン』誌のレコード賞を受賞して話題になった。このあとの遠藤賢司の道のりを知ってしまった眼で振り返れば、やっぱりこれはフォーク・アルバムと言うしかないだろう。

「夜汽車のブルース」、「君がほしい」、「雨あがりのビル街」の3曲で大瀧詠一抜きのはっぴいえんどがバッキングをつとめている。その演奏はどうこう言うほどのものとも思われない。ただ、これらの曲が、詞も含めてほとんどはっぴいえんどの曲のようにも聴こえてしまう。彼らのデヴュー・アルバム通称『ゆでめん』にそのまま入っていてもおかしくない感じがする。実際、「雨あがりのビル街」は、はっぴいえんどがライヴでカヴァーしていた(『1970フォーク・ジャンボリー』(東芝EMI 1998)で聴ける)。
そのくらいこの時点で、遠藤賢司とはっぴいえんどの歌の世界は近かったのだ。

夜汽車のブルース」を除けば、私のあんまり好きではない静かでつぶやき系の歌が並んでいる。「ほんとだよ」も「猫が眠っている」も、この時期のライヴで聴けるような深い情念を感じさせる禍々しさはない。そこが全然物足りない。
だが名盤の誉れ高い次作『満足できるかな』に比べると、こちらの方が私は好きだ。少ない音と言葉が、俳句のようにシンプルで、孤高で切々としているところがよい。

次点 『70年代ライヴ』(『遠藤賢司 特得箱(スペシャルBOX)キング・オブ・ワッショイ』200512月のDisk3)

遠藤賢司の1972年以前の初期のライヴは、上の『黎明期LIVE!』を除くと、全日本フークジ・ャンボリーなどのイヴェントごとの実況録音盤に分散して収録されている。
そこで、ランキングとしてはかなり変則だが、単品では発売されていないこのアルバムを次点として挙げることにした。これは、既発、未発を含めイヴェントごとの演奏をコンパクトに一枚にまとめたアルバムだ。2005年に発売されたCD4枚組ボックス・セット『遠藤賢司特得箱(スペシャルBOX)キング・オブ・ワッショイ』の中の一枚。

冒頭の2曲、「夜汽車のブルース」と「満足できるかな」がすごい。1970年の全日本フォーク・ジャンボリーでの演奏で、勢いに乗ったギターとハーモニカの超絶演奏が素晴らしい。それと、72年の春一番コンサートでの「満足できるかな」も同様だ。アコースティックだが、この演奏はもう完全にロック。遠藤賢司が、出発点からロックの人だったことがあらためてわかる。

こんなことを書いていたら例の『遠藤賢司実況録音大全 [第一巻] 1968-1976』が何だか欲しくなってしまった。まずいな。

0 件のコメント:

コメントを投稿