2014年6月30日月曜日

東京散歩 「三つの『ヒルズ』を巡る」 赤坂通りと六本木通りを行ったり来たり



6月下旬のある日、東京に出かける用事があったので、ついでに久しぶりでじっくり散歩をしてみることにした。
用件があるのは南青山の骨董通りの裏手。そこで、まず赤坂を起点にして、赤坂通りをずっとたどって目的地まで行くことにした。それから用向きが終わった後は、骨董通りから今度は六本木通りに出て赤坂方面に戻る。そして、アークヒルズまで来たら、その中を通って虎ノ門方面に抜け、オープンしたばかりの虎ノ門ヒルズに寄ってみようと考えた。
なおタイトルは「『ヒルズ』を巡る」としたけれど、それぞれのヒルズそのものに関する情報は、ほとんどありません。それを期待してこのページにお越しの方は、他のページに移動されることをお勧めします。


<赤坂通りを行く>

梅雨の晴れ間の蒸し暑い日だった。曇りがちで直射日光は差さないから、取りあえずは散歩日和。
出発地点は、なぜかTBS放送センター脇のウルトラマンの前(赤坂見附の駅で降りたので、どこから出発してもよかったのだが)。TBS脇の緑の小道を抜けると、そこが赤坂通りだ。ここをどこまでもまっすぐにたどっていけば、青山の骨董通りに出るはずなのだ。

赤坂通りは、片側一車線のそれほど広くない通りだ。名前に「赤坂」がついているから、ちょっと派手&高級なイメージがある。でも実際は、地方都市のどこにでもありそうな裏通りといった感じの地味な通りだ。
たしかに高そうなマンションや、ちょっと凝った構えのレストランもある。そんな中に、いかにも昔から続いていそうな小さなお菓子屋さんや街の電気屋さんなんかもあったりする。しかしラーメン屋やファスト・フード店、居酒屋などもやけに多い。わざわざ散歩に歩くほどの街並みでもない。まあ、私もそんなところをわざわざ好き好んで歩いているわけなんだけれど。
しかし、注目すべきはその道筋がまっすぐではなくて、ゆるやかにくねっていること。昔からある古い道筋の名残りなのだろう。両側の建物は変わっても、道の筋はそのまま残っているわけだ。

出発して5分も歩くと、もう左奥に東京ミッドタウンの高い建物が見えてくる。そして、赤坂小前の変則の交差点を渡ると、右側に赤坂小学校、左手の高台の上に赤坂中学校がある。この中学校の向こうがミッドタウンの庭に接している。
こんなところの小中学校に通っている児童生徒の皆さんは、きっとみんな気の利いた典型的な都会っこなんだろうな、と田舎ものの私としては恐れをなしてしまう。

まもなく道は乃木坂に差し掛かるのだが、あまり坂の感じはしない。右側にあのジャニーズの事務所がある。意外と地味。その先に乃木会館、乃木神社と続き、そこで赤坂通りは、外苑東通りにぶつかる。というか実際にはぶつからないで、その下にもぐり込んでいる。これが乃木坂トンネルだ。
ここを左に行けば、東京ミッドタウンの前を通って、六本木の交差点だ。ここまで、歩き始めてから約10分。赤坂と六本木はすごく近い。
ちなみに左手の角のひとつとなりにSME(ソニー・ミュージック・エンタテイメント)の乃木坂ビルがある。乃木坂と言えば、今はアイドル・グループ乃木坂46の街として知られているのではないだろうか。このグループ名は、このソニーのビルに由来するらしい(詳しくは各自で)。

乃木坂トンネルの入り口の階段を上がる。ここからは、トンネルの上を歩いていく。トンネルが出来る前は、ここが赤坂通りだったのだろう。中央分離帯もある立派な道路なのだが、今はひっそりとしている。都会の真ん中の広い通りが静まり返っているのは、何だかちょっとシュールな風景だ。
それもそのはず、この通りはトンネルの向こう側の出口の上で行き止まりになっている袋小路なのだった。

車道は行き止まりになっても、歩道は続いている。進んでいくと下り坂の細い通だ。右側はトンネルが続いている。高台が終わっても、チューブ状にトンネルが続いているのだ。左側は柵があって見晴らしが悪いが、国立新美術館の裏手に当たっている。けっこうな下り坂だが、自転車に乗った外国人の若者が、何人もすいすい上ってきてすれ違った。
歩道は今度は日本学術会議の建物の裏にさしかかる。そこから先は、下が谷のようになっていて、そこを左右に大きな通りが通っている。その上にかかるこの橋は、南青山陸橋というのだそうだ。もう右側はこのあたりから南青山なのだった。

橋の向こうは青山霊園。緑が広がっている。都会の真ん中とは思えないような深い緑の一帯だ。歩道の車道側の街路樹と、墓地の敷地内の樹木が左右から枝を張り出して緑のトンネルになっている。薄陽が差してきたので、この木陰がありがたい。快適な散歩道だ。
左手奥には、林立する墓石の向こうに六本木ヒルズがそびえたっているのが見える。墓石と近代的な高層ビル。なかなか面白い取り合わせだ。
墓地中央の交差点には、自販機とトイレがある。飲み物を買って、汗を拭きながらここで小休止。出発してからまだ15分も経っていないのだけれど。

再び緑のトンネルの中を歩いていくと、また橋に出る。これは、青山橋だ。この下を左右に通っているのが、外苑西通り。橋の向こうには、青山霊園の飛び地がある。墓地を見下ろしながら通り過ぎると、いよいよ青山のオシャレ・エリアに入る。気が利いたお店がぽつぽつと増えてくるが、まあ私には関係ないなあ。
ほどなく根津美術館前の交差点。ここを、右に進むと表参道の交差点だ。根津美術館は、5年ほど前にリニューアルしたのだが、新しくなってからまだ中に入ったことがない。いずれ入ってみたいものだ。

そのまままっすぐ進んでやっと骨董通りに到着。出発してから30分経過。あれ、私の持っている地図では、ここで赤坂通りは終わっているのだが、実際は交差点になっていて、まだ先に続いている。どうやらここ何年かの間に道が出来て、少し先の六本木通りにこのまままっすぐ直結したらしい。


<六本木通りを行く>

青山で用件終了後、散歩を再開。骨董通りを青山通りとは反対方向に歩いていく。この通りもごちゃごちゃとした地方都市にもよくあるような街並みだ。たしかに、オシャレなブティックやレストランもちらほらあるにはある。しかし、全体としては殺風景。それにしても、骨董屋はあまり見ない。

やがて道は高樹町交差点で、六本木通りに斜めにぶつかる。角にあるのが、富士フィルムの本社ビル。社名はフィルムだが、通りに面する看板で宣伝しているのは化粧品ばかりだ。
六本木通りは、さらに殺風景な通りだ。片側3、4車線の大きな通りで、しかもその上を首都高3号線の高架が通っている。田舎の人間にとっては、高架下の道路という場所は、何となく場末感が漂うイメージがある。しかし、ここはまぎれもなく東京の繁華街のひとつなのである。そんなイメージと現実のギャップがどうにも埋まらない。

道はゆるやかに下っている。ちょっと先の西麻布の交差点が谷底のようだ。六本木通りが外苑西通りと交わるのが、西麻布の交差点。オシャレで高級な夜のお店が集まっているらしいが、昼間だから全然わからない。まあわかってもべつに関係ないけど。

交差点を越えると、今度はゆるい上り坂。蒸し暑くてくたびれてきた。やがて巨大な六本木ヒルズのふもとに到着。ビルを見上げながらエスカレーターで一段あがり、クモのオブジェのある広場で休憩。ここは、幅広い滝があり、風も通り抜けて涼しい。
ここに来るのは、ずいぶん久しぶりだ。でも、ヒルズの中には別に用事もないので、少し休憩してから再び舗道に下りて歩き始める。

六本木はやっぱり人が多い。六本木の交差点は、東京ミッドタウンの方に行く人と来る人でいっぱいだ。そのミッドタウンを左手に見ながら、まっすぐ歩いていく。道はまた下り坂になる。この坂は市三坂というらしい。このあたりは本当に坂が多いことを実感する。
六本木に来ても、交差点よりこちらの方面に来る機会はなかった。六本木交差点の向こうの六本木ヒルズのある側に比べると、こちらは古いビルが多くて何だかくすんだ感じ。やはり高架の下の場末感が漂う。

やがて首都高3号線と都心環状線が分岐する谷町ジャンクションに到着する。名前のとおり、谷底のような場所だ。
上り下りの高架の道路が空中で複雑に入り組んでいる。地上では道路がトライアングル状態になっている。どこをどう渡れば、向こうに行けるのかよくわからない。が、横断歩道を渡って、うろうろしながらなんどか歩道橋にたどり着く。
その歩道橋を歩いていくと、道の向こうのアークヒルズに直結していた。ここで、六本木通りとはお別れだ。


<アークヒルズから虎ノ門ヒルズへ>

アークヒルズには、ほとんど縁がない。中にあるサントリー・ホールに一度だけ来たことがある。ショップも飲食中心だし、周辺に立ち寄るようなところもないから、こんなことでもなければ近寄る機会もなかった。
建物の中を抜けて施設の中ほどの広場に出る。ビルの狭間にあるがらんとした空間だ。人影もほとんどなくて、オープン・カフェで憩っている人たちが数組いるだけ。
六本木通りの喧騒から離れて落ち着いた気分になる。ぶらぶらしながら、左手のちょっとこった池をのぞいてみたりする。それから、中央の階段を上がって裏手の方へ。
このあたりはマンションのエリアなのか、緑が多くて小さな庭園風に整備されている。ここも人気(ひとけ)がなく、涼しげでさわやか。

そのままアークヒルズの裏手に抜けると、そこには短い路地。レンガの茶色と植え込みの緑が落ち着いた雰囲気を醸し出している。たしかこの右手の奥にはスペイン大使館があるはずだ。
この短い路地の突き当りの正面がホテル・オークラの別館。その前の道を左に曲がる。ここをまっすぐ行くと霊南坂だ。近くには有名な霊南坂教会もあるはず。
アークヒルズからこのあたり一帯は、静かで落ち着いた雰囲気だ。今度はこの辺をじっくり散歩してみることにしよう。

別館の隣にホテル・オークラの本館がある。この本館と別館の間の道を右に曲がって進んでいく。その道は左に曲がりながらホテルの裏手に回りこんでいる。そのあたりが、かなり急な下り坂で、江戸見坂という名前が付いている。あちこちにある富士見坂の反対で、ここからは江戸が見渡せたということなのだろうか。今は坂の向こうに虎ノ門ヒルズの巨大な姿が見える。先日オープンしたばかりのピカピカの新品だ。

坂下の交差点を右に曲がる。そんなに広くない昔ながらの道だ。これを少し進んで、広い桜田通りをわたると風景は一変。そこはもう虎ノ門ヒルズのふもとエリアだった。見上げても高過ぎて様子がよくわからない。

エスカレーターがあったので昇っていく。しゃれた緑のエリアを見ながら建物の中へ。外の庭園を大きなガラス越しに取り込んだ建物内の空間に、オープン・カフェ風のお店がいくつも続いている。飲食のお店ばかりだから、きょろきょろしながら中を素通りするしかない。まあだいたい様子はわかった。
ともかくこれで目的地到着。青山からの散歩は、所要約1時間。けっこうくたびれた。

事前にはまったく考えていなかったのだが、結果的に今日の散歩は、三つの「ヒルズ」、つまり六本木ヒルズ、アークヒルズ、虎ノ門ヒルズを巡るコースということになってしまった。あまり建物の中身に興味がないので、それぞれそのふもとを通り抜けただけなのではあるが。
ちなみに、日本で1番高いビルは、東京ミッドタウンで、虎ノ門ヒルズがこれに次いで2番目なのだという。六本木ヒルズは6番目で、アークヒルズはもっとずっと下位だった。
とにかく、どれもみんな大きなビルでした。おわり。


2014年6月23日月曜日

レッド・ツェッペリン 『ライヴ・アット・ジ・オランピア(LIVE AT THE OLYMPIA)』


今回(2014年)発売されたレッド・ツェッペリンのリマスター盤のうち、<デラックス・エディション>のシリーズは、オリジナル盤とコンパニオン・ディスク(ボーナス・ディスク)の2枚組仕様。ファースト・アルバムのコンパニオン・ディスクには、691010日のパリ・オランピア劇場でのライヴが収録されている。フランスのラジオ局によって録音された音源で、2007年の12月に突如発掘されたものとのことだ。

これまでツェッペリンの69年の演奏は、オフィシャルでは、『BBCライヴ(BBC SESSIONS)』と、『レッド・ツェッペリンDVD』でしか聴くことができなかった
BBCライヴ』は、ディスク1の14曲が69年のもの。『レッド・ツェッペリンDVD』には、ディスク1のエクストラ・トラックとして、デンマークと、フランスと、イギリスのテレビ番組での演奏が計7曲収録されていた。
しかし、これらの音源は、『BBCライヴ』の中の4曲を除いて、あとはいずれも番組収録のためのスタジオ・セッションないしはスタジオ・ライヴで、いまひとつ迫力に欠けていて物足りなかった。
個人的には69年もののブートレグを数枚持っているのだが、当時のステージでの彼らは、猛烈なエネルギーを放出しながら、爆発的な演奏を繰り広げていた。

そんな初期の彼らのライヴが、今回ちゃんとした形で聴けるようになったのはうれしい。けっして最高の出来というわけではないが、当時の彼らの勢いは十分に伝わってくる。


1969年のツェッペリン

このライヴが行われた69年の10月は、ツェッペリンにとってどのような時期にあたるのか。とりあえず、69年の彼らの動向を簡単にたどってみることにしよう。
前年の1968年に新たなヤードバーズとして結成されたこのバンドは、9月からライヴ活動を開始。ツアーの途中でヤードバーズから、ニュー・ヤードバーズ、そしてレッド・ツェッペリンへと名前を変えている。
そして196810月に、自前でデヴュー・アルバムを録音。このテープによって、アトランティック・レコードと破格の金額で契約を結んだのは有名な話だ。そして、19681226日から最初の北米ツアーを開始し、そのまま1969年に突入したのだった。

69年は、ツェッペリンにとって、まさにツアーに明け暮れた1年だった。
前年の12月からこの年の2月までが第1回北米ツアー。
3月には、英国国内と北欧ツアー。その合い間に、BBCやデンマークのテレビ、ラジオに出演してプロモーション活動を行っている。
4月から5月にかけて、再び2回目の北米ツアー。ツアーをしながらセカンド・アルバムを録音。
6月には英国ツアー。その合い間をぬって、またBBCやフランスのテレビ、ラジオに出演している。
7月から8月にかけては、またまた今度で3回目の北米ツアー。引き続きツアーをしながらセカンド・アルバムの録音を続ける。
9月に入りアメリカから帰国後、この年はじめてのオフを取る。
そして、1010日にパリのオランピア劇場、12日にロンドンのライシアム劇場で単発のライヴを行い、その後10月から12月にかけて、なんと4回目の北米ツアーを行っている。
何と良く働く人たちなんだろう。

この間、第1回北米ツアー中の1月12日に、記念すべきデヴュー・アルバムがアメリカで発売されている(イギリスでは328日に発売)。
そして、第2回から3回の北米ツアーをしながら各地で録音されたセカンド・アルバムは、1022日に発売された。

さて、この1010日のオランピア劇場でのライヴである。上記のとおり、この年初めてのまとまったオフの後、そして、ニュー・アルバムの発売と4度目の北米ツアーの直前に行われたことになる。
ツアーのためのウォーム・アップ・ギグであり、新アルバムのお披露目&プロモーションとも考えたくなる。しかし、このライヴで披露された新曲はたった2曲のみ(「ハートブレイカー」と「モビー・ディック」)。しかも、このかんじんの2曲ともペイジは、ギターをミスっている。
ちなみに、この後の北米ツアーでも新曲はこれにさらに「強き二人の愛」を加えた3曲だけで、あまりプロモーションにはなってないような気もするのだが。
結局、単発のライヴであり、しかもわざわざパリの会場で行っていることや、放送用の録音が残っていたことから考えて、放送局のオファーを受けての公演だったのではないだろうか。


■各曲についてのコメント

1. グッド・タイムズ・バッド・タイムズ/コミュニケイション・ブレイクダウン (Good Times Bad Times/Communication Breakdown)

これはメドレーというよりも、むしろ「コミュニケイション…」のオープニングとして、ギミックで「グッド・タイムズ…」のイントロをちょっと長めにやったというところだろう。
ちなみに半年前のフィルモア・ウエストでも(427日のセカンド・セットのオープニング)、「キリング・フロアー」の冒頭で、やはり「グッド・タイムズ…」を演奏していた。
彼らはこのようなギミックをときどきやっている。印象深いのは、「ブラック・ドッグ」の頭に「アウト・オン・ザ・タイルズ」(71年のライヴ、『BBCライヴ』で聴ける)や、「ブリング・イット・オン・ホーム」(73年のライヴ、『永遠の詩』【最強盤】で聴ける)の一節をくっつけている演奏だ。

デヴュー以来ずっとライヴの1曲目は「トレイン・ケプト・ア・ローリン」だった。それがこのコンサートから、その座を「コミュニケイション…」に譲ったわけだ。これまで「コミュニケイション…」は、アンコールにやったりしていた(627日のプレイ・ハウス・シアターでのBBCライヴのときは、オープニングだったけれど)。セカンド・アルバムも出るし、そろそろ自分たちの持ち歌で、というところなのかもしれない。

その「グッド・タイムズ…」からいきなりハイテンションの演奏だ。ペイジとボーナムは、勢い余ってプレイが上滑りしている。久しぶりのライヴで、力が入り過ぎたのか。ペイジは中盤のソロから、後半のファンク風パートまで、ずっと他の演奏とかみ合わないまま。まさに暴走。勢いだけで押し切っている。ま、それはそれでやっぱりすごい。

2. 君から離れられない (I Can't Quit You Baby)

「コミニュケイション…」から連続。このイントロ部とブレイクで、ようやくペイジは体勢を立て直したようだ。
プラントとジョン・ポール・ジョーンズによって、スローなブルースが濃厚に展開される。その音の隙間を、ペイジがこれでもかとギターを弾きまくって埋めていく。相変わらずの自在ぶり。ギター・ソロのフレーズの、ひしゃげながらよじれていく感じがたまりません。

もともとクールな曲。ライヴの場でも、基本的にこの感触は変わらない。ペイジがどんなに早弾きしても、醒めた冷ややかな感じがあって、そこが何ともカッコいいし、本来の意味でブルース的でもあると思う。

3. ハートブレイカー (Heartbreaker)

新アルバムからの曲の初披露。新曲はこれと、「モビー・ディック」の2曲のみ。
プラントは、もうヴォーカル・パートを少し崩して歌っている。
ペイジの無伴奏ソロは、何と、イントロのみ。かんじんの()早弾きパートはなし。いくらその分(?)、深いエコーを効かせてもやはり肩透かしだ。その後に続くドラムスとベースが加わっての間奏でも、ペイジはソロに入るタイミングを見失ってコードを弾いている。やっと始まったかと思えば、今度は同じフレーズをいつまでもループしてみたたりと、今ひとつぎごちない感じ。
で、結局、全体の演奏時間もスタジオ・テイクより短い。ツェッペリンの曲で、オリジナルより短いライヴ・ヴァージョンてあっただろうか。練習不足(?)。まあ迫力ある演奏ではあるのだが。

4. 幻惑されて (Dazed and Confused)

いつものように不気味に始まる導入部。しかし、頭のリフ部が終わって、弓弾きパートに移行するところで、演奏がバラけてしまう。何だかちぐはぐなまま弓弾きにつなげている。この先大丈夫か、と思ったが、その後は、もう大丈夫。アヴァンな弓弾きパートから、ユニゾンで始まる後半へ。安定感のあるベースのウネリの上で、いつもどおりの緊張感あふれる世界が展開されている。

5. ホワイト・サマー/ブラック・マウンテン・サイド (White Summer/Black Mountain Side)

ファースト収録の「ブラック・マウンテン・サイド」のスタジオ・ヴァージョンは、アコースティック・ギターだったが、ライヴではエレクトリック・ギターで弾いている。そのため、ドローン的雰囲気が加わり、またタブラの音もドラムスに置き換えられて強力化され、インド風味が倍増している。

このメドレーは、初期のライヴにおける見せ場のひとつだった。オフィシャルでは、他に627日のプレイ・ハウス・シアターにおけるBBCライヴでの演奏を聴くことができる(90年発売の『ボックス・セット』に収録)。BBCライヴでのこの曲は、繊細なタッチによる聴き所の多い演奏だった。
これに対し今回は、より激しい演奏。割れ気味の音は、迫力はあってよいのだが、細かいニュアンスは飛んでしまって、長尺の演奏だと正直ちょっと飽きます。もともとクラプトンやベックのように、流麗なフレーズが弾ける人ではない。強弱や早弾きでメリハリをつけてはいるが、10分もたせるのはやはり無理があるのでは。

6. ユー・シュック・ミー (You Shook Me)

じつにこなれた演奏。どろどろと濃密で粘っこい。ヴォーカルに対して、ちょっとギターの音が小さめ。例の“all night long”のヴォーカルとギターの下降するユニゾンが生きていないような…。プラントの悶えまくるブルース・ハープも、くぐもり気味の音でちょっと残念。ただ、ヴォーカルやハープと、ギターとのからみは、何ともねちっこくて、まさにツェッペリンならでは。
ペイジのスライド・ソロは、早弾きに走らず、腰の据わった演奏で、じっくり聴かせる。じわじわと熱っぽく盛り上がっていくところは、じつに渋い。
エンディングはかなり長めに引っ張る。急にギターの音が大きくなるが、ヴォーカルとのの掛け合いのスリルは今ひとつか。

7. モビー・ディック (Moby Dick)

2曲目の新曲披露。言わずと知れたジョン・ボーナムのドラム・ソロをフィーチャーした曲。これまでドラム・ソロは、Pat's Delight」という曲だった。これは、ドラム・ソロの前後を、バンドによるリフ演奏ではさんだものだった。このリフ部を新たに差し替えたのが、この「モビー・ディック」というわけだ。

「モビー・ディック」のリフ・パートは、ツェッペリンの曲の中でも一二を争う名曲だと私は思っている。今回のリイシューで、『Ⅱ』のコンパニオン・ディスクに、ドラム・ソロ抜きのヴァージョンが入っていたのは、じつに気が利いていた。

さていきなりイントロでペイジが失敗。かんじんのリフを弾きそこなっている。結局、頭のリフ・パートは、前半の10小節をすっ飛ばして、後半からスタート。さらにドラム・ソロのあとのリフ部分でも、もう一回、ミスっている。ペイジ君、どうしちゃったの。これも練習不足か。

本編のドラム・ソロは、全然期待していなかった。そもそもドラム・ソロというものは、ボーナムに限らずライヴにおける余興というか、おまけ程度のもの、と私は考えている。ところが、意外にも今回はけっこう面白い。
ボーナムといえばパワー・スタイルのドラマーだ。セカンド・アルバム収録のこの曲のスタジオ・テイクは、センスがなくて本当にお粗末なものだった。
このライヴでも、ロール主体の雷落とし的パワー・スタイルなのだが、リズムを一定にキープしつつ、メリハリもちゃんとつけている。スタジオ・テイクのソロ・フレーズを、律儀になぞっているようなところもある。繊細でテクニカルなプレイは当然望めないわけだが、それなりにまとまりのよい迫力あるプレイを聴かせている。

8. ハウ・メニー・モア・タイムズ (How Many More Times)

冒頭、プラントの挨拶と曲紹介の後、いきなり爆裂演奏開始。ただし勢い余って、ワン・コーラスめの最後あたりで、ギターのリフが1小節ずれたような…。
プラントとの掛け合いでのギターのアウト・トーンなど、えらくカッコいい。リフ部分が終わり、間奏パートに突入。早弾きの後、間奏中盤でペイジにしてはえらく滑らかでエレガントなフレーズのソロを聴かせてくれる。まるでデッドみたい。なかなかの聴きものだ。

ブレイクの後、「オー、ロージー…」のところで、「胸いっぱいの愛を」のリフが聴こえる。これは、今回が初めてではなくて、前回の北米ツアー最終日(831日テキサス・インターナショナル・ポップ・フェス)の演奏でも、ここで同じリフが聴けた。
そして再びリフ・パートの爆裂演奏に戻り、珍しくあまり引っ張らずに盛り上げて終わっている。

いつもの冒頭のメンバー紹介なし、途中の弓弾きパートなし、「ハンター」の後のメドレーもなしで、11分強。この頃の「ハウ・メニー…」としては、わりとコンパクトな演奏だが、すっきりとしていて後味よし。



2014年6月7日土曜日

レッド・ツェッペリン初期3作の<デラックス・エディション>


というわけで(?)、予約していたレッド・ツェッペリンのリマスター盤が到着した。私が発注したのは、リイシュー第1弾、『Ⅰ』、『Ⅱ』、『Ⅲ』のそれぞれデラックス・エディション。
発売を知って、少し迷った末、結局3枚とも発注、やはり発売日が近づくにつれて、ちょっとワクワクしていた。
いずれ『レコード・コレクターズ』誌などでも詳細な解説が載ると思われるけれど、とりあえず私なりのレポートを。

なお、私の場合、リマスター盤の音質そのものについてはパスです(笑)。たいしたシステムで聴いているわけではないので、違いはわかりません。


<アート・ワークについて>

ジャケットは紙製の3面開きスリーブ。ビートルズのリマスター盤のジャケットと同じようなつくりだ。これを広げた両翼に、リマスターしたオリジナル盤と、コンパニオン・ディスク(ボーナス・ディスクのこと)が収納されている。ディスクの出し入れは、上から。
開いたジャケットの内側3面、外側3面、計6面には、オリジナル・ジャケットの内外のデザインと、メンバーのポートレイトや、ライヴの写真などがあしらわれている。たたんだときの裏面に当たる面は、オリジナル・ジャケットの絵柄をもとにアレンジした新しいアート・ワークになっている。
『Ⅲ』の窓空き回転式のジャケットは、そのまま再現されている。なお、例の回転の仕掛けがあるので、この盤だけ、ディスクは中央と右翼に収納。
全体になかなか良い仕上がりだ。新規のアート・ワークも悪くない。これなら手元にすでに紙ジャケがあっても、一応、持っていたいなと思わせる。

なお外装の透明ポリ袋の裏面に、曲目等を表示した透明のシールが貼ってある。デザイン的には気が利いているのだが、このポリ袋はすぐにだめになりそうなので、そのときは一緒に捨ててしまうしかないのだろうか。もったいない。


<ライナーについて>

付属しているのは、ミニ写真集のようなオリジナルのブックレットと、日本版ブックレットの2冊。写真はかなり珍しいものが含まれているようだ。
日本版ブックレットのライナーは、3作とも伊藤政則と渋谷陽一の御大(おんたい)お二人。伊藤のライナーは、例によって地の文章は薄い内容だが、何箇所か引用しているジミー・ペイジ自身の言葉は興味深かった。
渋谷のライナーは、以前のCDに書いたものの再録が主で新味なし。せっかく、ペイジが力を入れているリイシュー・プロジェクトなのだから、新規の書き下ろしというわけにはいかなかったのだろうか。


<コンパニオン・ディスクの内容について>

そして何より肝心なのは、コンパニオン・ディスクの内容だ。
『Ⅰ』は、19691010日、パリのオランピア劇場でのライヴ音源8曲が収められている。私が今回のリマスター盤に手を出したのは、ひとえにこの音源が聴きたかったからだ。
聴いてみると、これは本当に素晴らしい。この内容については、あらためて別の記事でコメントしてみようと思っている。

そして、『Ⅱ』と『Ⅲ』のコンパニオン・ディスクは、主にオリジナル曲のラフ・ミックスとか、別ミックスとか、ヴォーカル抜きのトラックなどだ。まあ、ブートレグやデラックス・エディションによくある、レア・トラックの世界。オリジナルとそんなに違うわけではないし、もちろんオリジナルに匹敵するような出来のものがあるはずもない。あくまで参考資料で、何度も聴くようなものではない。

期待の未発表曲は、『Ⅱ』では、「ララ(La La)」、『Ⅲ』では「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ/トラブル・イン・マインド(Key To The Highway/Trouble In Mind)」の各1曲のみ。
『Ⅲ』の曲目に「バスルーム・サウンド」というのがあるが、これはに「アウト・オン・ザ・タイルズ」のヴォーカル抜きのトラックだった。何でこのタイトルなの。
またこれはもう有名だが「ジェニングス・ファーム・ブルース」は、「ブロン・イ・アー・ストンプ(スノウドニアの小屋)」のエレキ版で、ここに収められているのはヴォーカルなしのトラック。

未発表曲の「ララ」は、未完成の中途半端なもので、どうこう言うほどのものではない。
もうひとつの「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ/トラブル・イン・マインド」、これは素晴らしい。アコースティック・ギターのみのシンプルな伴奏で歌われるブルースだ。プラントのブルース・ハープも聴ける。
せつせつとしたプラントのヴォーカルには、「ハット・オフ・トゥ・ロイ・ハーパー」で聴ける震えるようなエフェクトの加工が施されていて、不思議な味わいを生んでいる。
結局、今回のスタジオ・レア音源の中で、掘り出しものと言えるのは、唯一この曲だけだった。

ブックレットの引用によると、ペイジは「スタジオ盤とコンパニオン・ディスクを聴けば、(中略)レッド・ツェッペリンのレコーディングの世界を垣間見ることが出来る」と語り、さらに、今回のデラックス・エディションは「我々のレコーディングの過程をとてもよく表している作品だ」とも言っている。なるほどそうだったのか。
私はツェッペリンのファンだけれども、べつに彼らのレコーディングの過程にまでは興味はない。出来上がったものだけでとりあえず十分だ。だから、このペイジの言葉を読んで、正直、シマッタと思った。これは、私には関係ないシロモノだったのだ。だから値段の設定も割安だったのね。
思い返せば、これまで、何度も何度も<デラックス・エディション>というレア・トラックものを買っては、このシマッタを繰り返してきたのだった。それで、もう手を出すまいと誓ったはずだったのに…。

『Ⅰ』のコンパニオン・ディスクにライヴ音源が収録されたのは、シリーズの中では例外だったことになる。
これは『Ⅰ』には、別テイクがないという事情もあったらしい。
『Ⅰ』のオリジナルの録音は、レコード会社との契約前で、メンバーが自前でスタジオを借りたため、約30時間という短時間で済ませたという。そのため時間の余裕がなく、別テイクがまったく存在していないという。
ペイジが語るように、レコーディングの過程を示すというこのシリーズの趣旨からいって、今後ライヴ音源が収録される可能性はなさそうだ。中途半端なスタジオ・レア音源には興味はない。なので、リイシュー第2弾以降には、手を出さないことにしよう。とびきりの未発表曲でもあれば話はべつなんだけど…、まあ期待できないだろうな。


2014年6月6日金曜日

ジミー・ペイジ&ブラック・クロウズ 『ライヴ・アット・ザ・グリーク』


今回は、ジミー・ペイジ&ブラック・クロウズの『ライヴ・アット・ザ・グリーク(Live At The Greek)』(2000年)の紹介。前回のペイジ&プラントの『ノー・クォーター』に続いて、ツェッペリンのカヴァー・アルバム特集の第2弾だ。

「…アット・グリーク」といっても、べつにギリシャで行われたライヴではない。ジミー・ペイジとブラック・クロウズが199910月、LAのグリーク・シアターで行なったライヴだ。
内容は、ツェッペリン・ナンバーのカヴァーを、ブルース・クラシックなども交えながら演奏したもの。注目は、ジミー・ペイジ本人も加わってツェッペリンの曲を再現していることだ。
アルバムは2枚組で、曲目は以下のとおり。

ディスク:1

1. 祭典の日(Celebration Day
2. カスタード・パイ(Custard Pie
3. シック・アゲイン(Sick Again
4. 強き二人の愛(What Is And What Should Never Be
5. ウォーク・アップ・ディス・モーニング(Woke Up This Morning
6. シェイプス・オブ・シングス・トゥ・カム(Shapes Of Things
7. スロッピー・ドランク(Sloppy Drunk
8. テン・イヤーズ・ゴーン(Ten Years Gone
9. 死にかけて(In My Time Of Dying
10. 時が来たりて(Your Time Is Gonna Come

ディスク:2

1. レモン・ソング(The Lemon Song
2. 俺の罪(Nobody's Fault But Mine
3. ハートブレイカー(Heartbreaker
4. ヘイ・ヘイ・ホワット・キャン・アイ・ドゥ(Hey Hey What Can I Do
5. メロウ・ダウン・イージー(Mellow Down Easy
6. オー・ウェル(Oh Well
7. シェイク・ユア・マネー・メイカー(Shake Your Money Maker
8. ユー・シュック・ミー(You Shook Me
9. アウト・オン・ザ・タイルズ(Out On The Tiles
10. 胸いっぱいの愛を(Whole Lotta Love
<ボーナス・トラック>
11. イン・ザ・ライト(In The Light
12. ミスティ・マウンテン・ホップ(Misty Mountain Hop


■スタジオ・テイクをライヴで再現

このアルバムの演奏は、ツェッペリン・ナンバーをほぼ完全コピーしたものだ(厳密には完全なコピーではないので、ここではカッコつきの「完コピ」という言い方にする)。
ところでカヴァー・アルバム、それも「完コピ」の場合、そのコピーの精度が高ければ高いほど、逆にその存在意義を問われることになる。つまり、本物そっくりなら、いっそ本物そのものを聴いた方がよいということになるからだ。

しかし、このアルバムの「完コピ」には、それなりの価値があるのだ。コピーしているのが、ツェッペリンの曲のスタジオ・テイクだからだ。
ライヴにおいては、ツェッペリン自身もスタジオ・テイクの完全な再現(つまり完コピ)はしていない(というか、できない)。これはスタジオ・テイクの多重録音によるギターのアンサンブルを、生では再現できなかったためだ。そこでペイジは、ギター1本で弾けるようにライヴ用にアレンジして演奏していた。

だからスタジオ・テイクを、ライヴの場で「完コピ」して再現したこのアルバムの演奏には、十分に価値があることになる。アルバム冒頭の「祭典の日」が始まると、すぐその意味がわかる。スタジオ・テイクの多重録音によるギターのアンサンブルが、生でみごとに再現されているのだ。
またスタジオ・テイクへのこだわりは、たとえば「胸いっぱいの愛を」でもわかる。ライヴにおけるツェッペリンは、つねにさまざまな曲をメドレーにして間にはさみ、この曲をロックン・ロール大会にしていた。ところが、ブラック・クロウズは、あえてスタジオ・テイクのとおりの構成で演奏しているのだ。

ペイジも含めてのトトリプル・ギターが、これを可能にしている。だからこのカヴァー・アルバムは、ある意味、ツェッペリンよりもツェッペリンらしいとも言えるだろう。

ただし、ちょっとやり過ぎの曲もある。
たとえば「ユー・シュック・ミー」。ツェッペリンのオリジナルは、ギター1本とサイドにオルガンが入るだけのシンプルな演奏だった。それがここでは、ギター3本にピアノまで入って、かなりにぎやか。そのためオリジナルにあった研ぎ澄まされたような感じはなくなっている。
その他、「時が来たりて」や「レモン・ソング」では、「完コピ」ではなく、曲の構成を一部変えて演奏している(詳しくは、文末参照)。


■アルバムの味わいどころ

さてこのアルバムの聴きどころ、味わいどころは、ジミー・ペイジが参加していること、なんかではなくて次の3点だ。
① 「完コピ」して見えてくる演奏の違い
② 選曲の妙
③ トリプル・ギターによるぶ厚い音の迫力

まず①だが、これは一般的なことで、カヴァー・アルバムの最大の味わいどころというのは、結局オリジナルとどう違うかということだと思う。そっくりなら、そもそも聴く必要がないわけだし。
このアルバムで本家と一番違うのは、やはりヴォーカルだ。ブラック・クロウズのヴォーカリスト クリス・ロビンソンは、シャウトの声質など意外にロバート・プラントに似ている。だから聴いていて、それほど違和感はない。

しかし、何と言うか、いわばキャラクターが全然違う。プラントのヴォーカルのような神経がぎりぎりと張りつめたような声ではなくて、もっと野太く伸びやかな感じ。南部的なおおらかさ、あるいは、いなたさとでも言ったらいいか。プラントは、もっと病的で冷ややかな感じがする。
そして、これはヴォーカルだけではなく、バンドの演奏そのものにも言えることなのだ。

そして②の選曲の妙。
このアルバムの選曲はなかなか凝っているように見える。
ツェッペリンの曲の選曲は、満遍なくというのではなく、かなりかたよっている。たとえば『フィジカル・グラフィティ』からの曲がすごく多い。しかも、ツェッペリン自身は、ライヴでやらなかった「カスタード・パイ」とか「イン・ザ・ライト」、あるいはめったにライヴで演奏しなかったライヴ・レア曲である「時が来りて」や「アウト・オン・ザ・タイルズ」をちゃんと選んでいる。

またツェッペリン以外の曲の選曲も、「シェイプス・オブ・シングス」や「オー・ウェル」など、あえてツェッペリンにとってワケありの曲を選んでいるフシがある。
ただこの選曲には、いろいろと謎もあり、これについてあとでもう少し詳しく検討してみることにする。

そしてこのアルバムの最大の聴きどころは、何と言っても③のトリプル・ギターによるぶ厚い音の迫力だ。
ブラック・クロウズのギタリストは、リッチ・ロビンソンとアウディ・フリードの二人。これにジミー・ペイジが加わってトリプル・ギターとなるわけだ。
このトリプルのギターによって、オリジナルの複雑なギター・アンサンブルが、生で見事に再現されている。とくに「祭典の日」、「テン・イヤーズ・ゴーン」、「死にかけて」、「俺の罪」あたりの演奏は迫力満点だ。

また3本のギターが重なって作り出すぶ厚いリフの迫力もすごい。「カスタード・パイ」、「シック・アゲイン」、「ハートブレイカー」、「アウト・オン・ザ・タイルズ」、「胸いっぱいの愛を」、「ミスティ・マウンテン・ホップ」あたりでは、迫ってくるぶ厚い音の壁に圧倒される。


■アルバムの曲構成について

このアルバムは2枚組だが、どちらのディスクも曲の構成はまったく同じ(とりあえず日本盤のみのボーナス・トラック2曲は考えないことにする)。
ツェッペリンの曲を4曲やって、次にツェッペリン以外のカヴァーを3曲、そしてまたツェッペリン3曲でしめている。しかも、このツェッペリン以外のカヴァー3曲は、どちらのディスクも、2曲のブルース・クラシックで、ロックの曲1曲をはさむ配列になっている。

つまり、ディスク1と2は、きれいにシンメトリーの構造になっているわけだ。これはたまたまなのだろうか。意図したとすれば、かなり几帳面で緻密な構成と言える。ブラック・クロウズの人たちって、南部の大雑把なヤンキーというイメージだから、これはかなり意外ではある。
そして、もし曲の配列に緻密な計算があったのだとすれば、そもそもこのアルバムの曲の選択そのものも、かなり練られた意図にもとづいているのではないか、と思えてくるのだ。


■選曲の謎その1 他のロック・バンドの曲

このアルバムには、ツェッペリンの曲14曲(ボーナス・トラックも入れると16曲)、ブルース・クラシック4曲、そして他のロック・バンドの曲2曲の計20曲(ボー・トラ込み22曲)が収められている。
これらの曲のラインナップを見ると、いろいろな疑問がわいてくる。それらを順に述べてみよう。

まず、他のロック・バンドの2曲だ。その2曲とは、ヤードバーズの「シェイプス・オブ・シングス・トゥ・カム」と、フリートウッド・マックの「オー・ウェル」。
この2曲を取り上げたのは、ペイジが、もとヤードバーズにいたからとか、フリートウッド・マックが、ブリティッシュ・ブルースのさきがけだから、というようなわけでは絶対ない。

「シェイプス・オブ・シングス・トゥ・カム」は、もともとヤードバーズの曲ではあるが、ここでブラック・クロウズが演奏しているのは、ヤードバーズではなく、あきらかにジェフ・ベック・グループの「シェイプス・オブ・シングス」のアレンジだ。
ジェフ・ベック・グループのこの曲は、彼らのデヴュー・アルバム『トゥルース』の冒頭に収められている。『トゥルース』は、ツェッペリンのデヴュー・アルバムの半年前に発表された。ペイジがツェッペリンのデヴュー作を作るにあたり、対抗意識を燃やし、また手本にしたのが、この『トゥルース』だったと一般的には言われている。もっともペイジ自身は、それを否定しているらしいが。

そんな「お手本疑惑」のある曲を、何でここでツェッペリンの曲と並べてカヴァーしたのだろう。開き直りか。う~ん、謎だ。

もうひとつのフリートウッド・マックの「オー・ウェル」も、同じような事情を持っている。ツェッペリンの「ブラック・ドッグ」のヴォーカルのメロディは、この曲からヒントを得たものだという。実際聴いてみると、メロディというより、演奏がブレイクしたときにヴォーカルが入るというアイデアのことだと思われるのだが。この曲の場合は、ペイジ自身その影響関係を認めている。
でもそんな元ネタ曲を、何もわざわざここでやらなくてもいいんじゃないの。

というわけで、他のロック・バンドの2曲は、どちらもワケありの曲なのだった。何で取り上げたのかは謎。演奏はどちらもすごく良いのだけど…。


■選曲の謎その2 ブルース・クラシックスの選曲

そんなワケあり曲をそれぞれはさんで、ブルース・カヴァーが4曲並んでいる。B..キングの「ウォーク・アップ・ディス・モーニング」、ジミー・ロジャース(カントリー歌手じゃない方ね)の「スロッピー・ドランク」、リトル・ウォルターの「メロウ・ダウン・イージー」、そしてエルモア・ジェイムズの「シェイク・ユア・マネー・メイカー」だ。

私はブルースに詳しくない。だから、はっきりしたことは言えない。でも、とにかく、いずれもそれなりの有名どころの定番曲であることはまちがいないらしい。
たとえば「シェイク・ユア・マネー・メイカー」なんかは、上に出てきたフリートウッド・マックや、近年ではクラプトン&ベックがコンビでカヴァーしたりしている。ちなみに、ブラック・クロウズのデヴュー・アルバムのタイトルは、この曲から取っているらしい(カヴァーはしていないらしいが)。

アルバムの構成上、各ディスクの中ほどに、ノリのよいこれらの曲が置かれることで、ちょうどよい息抜きになっている。そして、何より、どの曲にも、ペイジが加わってのジャム的な楽しさがある。4曲中3曲で、ペイジにソロを振る「ジミー!」という掛け声が聴ける。

しかし、ちょっとだけ不思議なことがある。
ツェッペリンは、直接カヴァーするのとは別に、ブルースを曲作りの元ネタにしていたことはよく知られている。そのために数々のトラブルも引き起こしてきたわけだ。
そのようなツェッペリンの曲の元ネタとして、おなじみなのは、たとえばロバート・ジョンスン、マディ・ウオーターズ、ハウリン・ウルフ、オーティス・ラッシュ、アルバート・キング、サニー・ボーイ・ウィリアムスンⅡといった人たちだ。こういう人たちの名前が今回、全然出てこないのは、たまたまなのだろうか。上に書いたように、他のロック・バンドの曲の場合は、ワケありの曲をわざわざ選んでいるというのに。まあ、何とも言えないのだけれど。

そんなことを考えていると、クロウズたちは、これらの曲を、もしツェッペリンがカヴァーしたらこんな風にやっただろう、と想定して演奏しているように聴こえてしまった。もっともブラック・クロウズが、ふだんどんな演奏をしているのかも知らないのだけれど。
でもとくにリトル・ウォルターの「メロウ・ダウン・イージー」なんかは、オリジナル版よりもリズム隊がぐっと重低音化して、怒涛のような推進力を増している。ダブルのスライド・ギターとブルース・ハープが粘っこい。まさにツェッペリンがカヴァーしたら、こんな感じになるだろうとい気がする。


■選曲の謎その3 ツェッペリン・ナンバーの選曲

上にも述べたようにこのアルバムは、2枚のディスクに各7曲ずつツェッペリン・ナンバーが収められている。ボーナス・トラックは日本盤のみだから、とりあえず置いておく。
それらの曲が、もともと収録されているツェッペリンのオリジナル・アルバム別の内訳は次のとおりだ。

ディスク1の7曲は、『フィジカル・グラフィティ』から4曲、あとはファースト・アルバム(以下『Ⅰ』)、セカンド・アルバム(以下『Ⅱ』)、サード・アルバム(以下『Ⅲ』)からそれぞれ1曲ずつ。
ディスク2の7曲は、 『Ⅱ』から3曲、『Ⅰ』、『Ⅲ』、『Ⅲ』のアウト・テイク、『プレゼンス』から各1曲だ。
つまり、ディスク1は、7曲中4曲を占める『フィジカル・グラフィティ』特集である。ディスク2は、『Ⅰ』~『Ⅲ』(アウト・テイク含む)からの曲が計6曲で大半を占めている。というか、ディスク1にも、3曲あるから、このアルバムの全体が、『Ⅰ』~『Ⅲ』と『フィジカル・グラフィティ』特集ということになるわけだ。

これは、かなりかたよった選曲と言えないだろうか。
『Ⅰ』から『Ⅲ』までの、ツェッペリンの初期のアルバムはもちろん素晴らしい。6枚目の『フィジカル・グラフィティ』も、良いアルバムだ。しかし、4枚目(フォー・シンボルズ)や5枚目の『聖なる館』、そして7枚目の『プレゼンス』を、ほとんど無視というのは極端ではないのか。まあその後の『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』と『コーダ』をスルーするのは当然としても。
たんにブラック・クロウズの面々が、この4枚をとくに好きだったということなのだろうか。

というわけでこのアルバムには、「天国への階段」は入っていない。4枚目には他に、「ブラック・ドッグ」とか、「ロックン・ロール」とか、「レヴィー・ブレイク」みたいな、いかにもブラック・クロウズに似合いそうな曲があるのだが、みんな無視されたわけだ。
次の『聖なる館』 の「ダンシング・デイズ」とか「オーシャン」なんかも、クロウズに向いていそうな気がするのだが。

しかし考えてみると、『Ⅰ』から『Ⅲ』と『フィジカル・グラフィティ』の中にも、こっちの方が良かったのでは、と思いたくなる曲がないではない。
『Ⅰ』から『Ⅲ』では、「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」とか、「コミュニケイション・ブレイクダウン( とか、「リヴィング・ラヴィング・メイド」みたい高速曲はどうして取り上げなかったのだろう。 
「ハウ・メニー・モア・タイムズ」なんかもリフが効いていて、クロウズ好みなのでは。
また、「ユー・シュック・ミー」をやるなら、他に「君から離れられない」とか「貴方を愛しつづけて」みたいなツェッペリン流ブルースの名曲もあったはずだが。
それからまた「幻惑されて」とか「移民の歌」のような代表曲は、いかにも当たりまえ過ぎて避けたのだろうか。でも「胸いっぱいの愛を」はやっているわけだし…。

『フィジカル・グラフィティ』では、「流浪の民」とか「 聖なる館」とか「夜間飛行」なんかでも、よかったような気がする。「ワントン・ソング」もそのひとつなのだが、これは実際に取り上げて演奏したようだ(ユー・チューブで見た)。
それから取り上げた「イン・ザ・ライト」と同じ系統ということで、「カシミール」なんかも面白かったのではないだろうか。

というわけで、何でこれらの曲ではなく、結果的にアルバムに収録されている14曲になったのかは、もうひとつよくわからない。あらためて、曲目をながめると、けっこう渋くてマニアックな選曲のようにも感じられる。
少なくとも、本家ツェッペリンがライヴで全然やらなかった曲(あるいはライヴでレアな曲)を入れよう、というこということは考えただろう。たとえば「カスタード・パイ」とか「イン・ザ・ライト」などのように。
それから、ツェッペリン・ナンバーとしては、あまりおなじみでない曲も入れようと思ったのかもしれない。『Ⅲ』のアウト・テイクで、シングルB面曲の「「ヘイ・ヘイ・ホワット・キャン・アイ・ドゥ」」(A面の「移民の歌」はやらないのにね)は、それにあたるだろう。
そしてもちろん、ペイジも含めたトリプル・ギターの迫力を活かせる曲を選んだに違いない。まあ、それでも、最終的に何でこういうラインナップになったのかは、いまひとつ納得がいかないわけだが。謎だ。


■「完コピ」とは違う曲についてのメモ

最初にも書いたとおり、基本「完コピ」の演奏の中で、オリジナルとは、ちょっと違う形で演奏している曲がいくつかある。以下は、それについてのメモだ。

「時が来たりて」

オルガンのイントロは、オリジナル版と若干違ったアレンジになっている
オリジナル版のラストは、ヴォーカルがリフレインしながらフェイド・アウトしていき、次の「ブラック・マウンテン・サイド」につながっている。ここでは、ヴォーカル・パートの後にギターの長いソロがあり、さらにその後イントロに準じたオルガン・ソロがあって終わっている。

「レモン・ソング」

オリジナル曲には、中盤に、ゆるやかに跳ねるベース・ラインの上で、ヴォーカルとギターが粘っこく絡む間奏パートがあった。
ここでの演奏では、間奏パートが2回繰り返されている。最初の方は長いギター・ソロがフィーチャーされ、2回目は、ヴォーカルとギターのオリジナルよりやや激しい絡みの後、ピアノにソロが回されている。

最初の方のジミー・ペイジのソロは、入り方を間違えた上に、なかなかのれず、かなり残念なプレイだ。

「ハートブレイカー」

ツェッペリンの代表曲。厚いリフがよい。
この曲には、あのギターの「無伴奏ソロ」があるわけだが、ペイジがどのようにこれを再現するのかが気になるわけだ。オリジナルとそっくりにやるのか。それとも、全然別のフレーズで来るのか。
結局は、スタジオ・テイクのフレーズをいかしつつ、ちょっと崩してみたというところ。当然だが、やっぱり往年のサエはない。

「ユー・シュック・ミー」

ツェッペリンのオリジナルは、ギター1本とサイドにオルガンが入るだけの演奏だった。それがここでは、ギター3本にピアノまではいってかなりにぎやか。幾重にも重なるスライドのうねりがすごいのではあるが…。
それから、ヴォーカルとギターのユニゾンが下降していく例の特徴的なフレーズまでは真似していない。
その結果、オリジナルにあった研ぎ澄まされた感じはなくなっている。そこが他のバンドにない、まさにツェッペリンの魅力だったのだが。何だかふつうのブルース・カヴァーになってしまった感じ。

「胸いっぱいの愛を」

前曲(「アウト・オンザ・タイルズ」)から連続して始まるところがニクイ。
中盤のサイケデリックなパートは、スタジオ・テイクの雰囲気を再現している(人力のエコー効果はちょっと笑える)。ただ、ペイジのソロは、原曲と違ってワウワウ・ペダルで歪んだ音にしている。


ツェッペリンはライヴでは、さまざまなロックン・ロールやブルース曲をはさんでメドレー形式で演奏していたが ここではあえてスタジオ・テイクの構成を再現している。