2012年6月29日金曜日

ポール・サイモンのいちばん良かった頃

ポール・サイモンのアルバムで、いちばん好きなのは1973年の『ゼア・ゴーズ・ライミン・サイモン(ひとりごと)』と、75年の『スティル・クレイジー・アフター・オール・ジィーズ・イヤーズ(時の流れに)』だ。ポール・サイモンがいちばん良かったのは、やっぱりこの頃だろう。
1986年の『グレイスランド』以降が良いという人(本当にそんな人がいるのか)を除いて、残りのファンの99.9パーセントは、この2枚の内のどちらかを、ポール・サイモンの最高傑作に挙げるに違いない。

1970年頃のロック少年(私もその一人)にとって、サイモン&ガーファンクルは、ビーチ・ボーイズやモンキーズやカーペンターズと同様、ロックではなくてポップスのグループだった。
だからまともに聴くような音楽とは思っていなかった。でも、まあ根がポップス育ちなので、彼らのヒット曲はそれなりに好きだった。とくに「アメリカ」とか「スカボロー・フェア」なんかはね。
だから当時のロック少年たちが持っていたサイモン&ガーファンクルのアルバムは、たいていベスト盤と『明日に架ける橋』の2枚ぐらいだったはずだ。

それにしても名曲と言われている「明日に架ける橋」は、その大仰な歌い上げぶりに、やっぱりシラけてしまったものだ。これじゃあ第二の「マイ・ウェイ」じゃないの。
後年になってポール・サイモンの3枚組のベスト盤『1964/1993』に収録されている「明日に架ける橋」のデモ・テイクを聴いた。弾き語りのギターのみを伴奏にポールがとつとつと歌うこの曲は、とてもデリケートで好ましい曲に聴こえた。
アルバム『明日に架ける橋』の中で、私が好きなのは、リズムがヘンな「セシリア」とか、歌詞がヘンな「フランク・ロイド・ライト」とか、コーラスがヘンな「ボクサー」あたりかな。
ロック的な「キープ・ザ・カスタマー・サティスファイド」、「ベイビー・ドライバー」、「バイバイ・ラブ」なんかは、かえってそのロック具合がなんとも中途半端で、ロック少年(私)にはひどくつまらないものに聴こえたものだ。

そんなわけで、サイモン&ガーファンクルが1970年に解散してからのポール・サイモンのソロ活動にも、私はほとんど興味を持っていなかった。
「母と子の絆」とか、「僕のコダクローム」とかヒット曲はリアルタイムで聴こえてきて、よい曲だなとは思っていたけれど。

そんな私があらためてポール・サイモンに向き合うことになったのは、もう80年代に入ってからのことだ。
たしか『時の流れに』を聴いたのがきっかけだった。
いいアルバムだと思った。控えめで穏やかでクールなポール・サイモンの歌い方にまずひかれた。
当時世の中には、AORなどオシャレでセンスの良い音楽があふれていた。ポール・サイモンの曲もソフィスティケイトされていたが、うわべだけでない切なさと孤独感があった。

しかも、曲の内容が良くできている。内省的で自分に対してシニカルなところが魅力的だった。
とくに一曲目のタイトル曲「スティル・クレイジー・アフター・オール・ジィーズ・イヤーズ」。
昔の恋人に街でばったり出会う。大人の二人だから一緒にビールを飲みながら、かつてつき合っていた頃の思い出話をする。なつかしく思い出される日々、そしてあの頃の自分自身。あれからずいぶんいろいろな事があって、時間が経ったというのに自分がちっとも変わっていないことにあらためて気づく。
時は流れたのに、僕は相変わらずあの頃のようにクレイジーなままさ。ちょっと変わり者で、世間とうまく折り合いがつけられない。都市生活者の孤独と哀愁がじわじわと伝わってくる。まるで短編小説のように。

それからシングル・ヒットした「50ウェイズ・トゥー・リーヴズ・ユア・ラヴァー(恋人と別れる50の方法)」なども、もうタイトルからして気が利いている。こんな具合にこのアルバムは、一冊の良くできた短編小説集のようだ。昔読んだ『ニューヨーカー短編集』を思い出した。
この本は、都会派雑誌として知られるアメリカの『ニューヨーカー』誌に掲載された小説から編んだ短編集。都市生活者の哀歓が、ウィットに富んだ洒落た筆致で描かれている。『時の流れに』は、ちょうど『ニューヨーカー短編集』の音楽版といった感じだった。

 そこで、ライヴ盤をはさんで、その一つ前のアルバム『ゼア・ゴーズ・ライミン・サイモン(ひとりごと)』も聴いてみた。これもまたよかった。そのよさは『時の流れに』とは、ちょっと違っていたけれども。
このアルバムは、S&G解散後のポール・サイモンのソロ2作目に当たる。『時の流れに』のようないかにもニューヨーカー的な感じはない。もっとカラフルで軽快でポップな面が強く出ている。しかし、醒めていてクールなヴォーカルと、哀感は共通している。「サムシング・ソー・ライト」とか「アメリカン・チューン」は本当によい曲だと思う。

この2枚を聴いて、これは大変だと思った。こんなよいものを知らないで過ごしてきたとは。そこで、あわててこの2枚の前後のアルバムも聴いてみたのだ。
しかし結論から言うとよいのはこの2枚だけ。魔法はこの2枚にしか起こらなかったのだ。

『ひとりごと』の前作、解散後のソロ一作目『ポール・サイモン』は、ヒット曲「母と子の絆」と「僕とフリオと校庭で」を含むが、弾き語りの静かで地味な曲が多い印象だ。アルバム・ジャケットの印象どおりというか。
『時の流れに』の後の『ワン・トリック・ポニー』、『ハーツ・アンド・ボーンズ』もまた、ジャケットの雑なアート・ワークどおりのやっぱり雑で地味過ぎるアルバムだった。まったく売れなかったのもよくわかる。
そしてその次の『グレイスランド』。現在では、名盤と言われているらしいのだが、私にはまったくつまらなかった。これ以降のアルバムはもう聴く気が起きなかった。

『グライスランド』の25周年記念盤というのが出るらしい(2012年7月発売予定)。オリジナルは1986年発売だから、「25周年」というのは去年のはずだけど?
『グレイスランド』は、ポール・サイモンが南アフリカに赴いて現地の黒人ミュージシャンを起用して作ったことで話題になったアルバムだ。
ポール・サイモンは、このアルバムを作ることによって南アのアパルトヘイト(黒人差別)政策に加担したとして大変な非難を浴びた。当時、南ア政府のアパルトヘイト政策に抗議して、世界各国は南アとの文化交流をボイコットしていた。そのさなかに彼はのこのこと南アへ出かけて行って「文化交流」をしてしまったからだ。
この批判は当然だと思う。時が経ち、評論家やファンは、ポール・サイモンを擁護している。いわく、彼が起用した現地の黒人ミュージシャンが広く知られるきっかけを作ったとか、このアルバムがアフリカの音楽を広く世界に紹介するきっかけになったとか…。
でも彼の行動が、結果的にアパルトヘイト政策をいくらかではあるが助長したことに変わりはない。ポール・サイモンはこれらの批判にこう答えている。「僕はただいいアルバムを作りたかっただけなんだ」。
あくまで自分の意図だけを語る姿は哀れだ。自分にそんなつもりはまったくなくても、自分の行動が客観的にどういう結果をもたらしてしまうのか。それこそが問われているというのに。

それと音楽とは別だと言うかもしれない。しかし、そういう自己本位主義は何より『グレイスランド』の音そのものに表れているような気がする。
『グライスランド』は躍動感のあるアルバムだ。しかし、そんな現地のミュージシャンの奏でるアフリカ的な要素と、ポール・サイモンの世界とに、どうしてもとってつけたような違和感を感じてしまう。
ここで念のために言っておくと、私はアフリカのポップスもそこそこ聴いてきた。何しろ、長く『ミュージック・マガジン』を愛読してきたので。シェブ・ハレッド、キング・サニー・アデ、フェラ・クティ、サリフ・ケイタ、ユッスー・ンドゥールなどなど、いずれも一時期ずいぶん愛聴したものだ。だから、このアルバムのアフリカ的要素そのものに違和感を感じているのではない。

ポール・サイモンは、自分とアフリカの音楽との間に距離をとっている。あくまで、自分の歌の世界を表現するための一要素としてアフリカ音楽を使っている感じがする。
たとえばタイトル曲「グライスランド」。歌の内容はメンフィスのエルヴィスの家(グライスランド)が出てくるアメリカのお話。その音的アクセントとして、アフリカン・ビートがあしらわれているように聴こえる。
この人の第三世界の他の音楽(ペルーやジャマイカ)の取り入れ方も基本的には同じなのだろう。「音楽植民地主義者」と揶揄される所以が、たぶんそのへんにある。

誤解しないでほしいが、『グライスランド』が私にとってつまらないのは、これを作ったときのポール・サイモンの行動に問題があるからでは決してない。それは周辺の事情であって音楽の価値には直接関係ない。そうではなくて、このアルバムの内容そのものに何だかちぐはぐなものを感じ、その結果、さほどの魅力を感じないということなのだ。

さて悪口のようなことを書いていてもしょうがない。私はあの素晴らしい2枚をまた聴くことにしよう。

2012年6月27日水曜日

実食「一汁無菜」 塩辛でご飯

「一汁無菜」を実践するシリーズも快調に3回目。今回は、塩辛だ。
そもそも何でこんなことをしているのか。あらためてその目的とルールを確認しておこう。

〔目 的〕  ご飯と味噌汁と、そしておかずは、いわゆる「ご飯のお供」と呼ばれるものをひと品のみ。この究極のシンプル・メニューをたらふく食べることによって、その美味しさをとことん味わい尽くしてやろうということだ。そうすることによって、お腹だけでなく心までも満足させたい。
この場合のおかずは「一汁一菜」の「一菜」(つまり、ちゃんとした料理)とはとても言えないようなささやかなものばかりだ。「一菜」とは数えられないおかずだから、題して「一汁無菜」というわけ。

〔ルール〕  ① 食べるのは、ご飯と味噌汁と「ご飯のお供」を一品。それ以外のおかずはなし。
しかも、「ご飯のお供」は一回に一種類のみ。二種類以上を取り合わせたりしない(お互いの味が邪魔をし合うので)。
② (当面のルールとして) ご飯は1.5合(私がおいしく食べられる限界の量)。味噌汁は一杯のみで、お代わりはなし。
以上。

塩辛は私の大好物だ。しかし、ご飯のおかずというよりは、お酒の肴として食べることの方が多いかな。でも最近はしばらく食べていない。やっぱりちょっと塩分が気になるということもある。
塩辛は酵素(自己消化酵素、微生物、麹などの酵素)で発酵、熟成させたものだ。りっぱな発酵食品なのだが、健康志向のこの時代に、たとえば納豆のように脚光を浴びるということはけっしてない。やはり、塩分とそれから比較的多く含まれるコレステロールのせいなのだろう。

さて酒の肴のときは、塩辛だけを単独で食べるわけだ。これをご飯のおかずにする場合、ご飯と一緒に口に入れることになる。このとき、ご飯と塩辛との触感というか固さの差かかなり大きいことが、若干、事前の心配ではある。
塩辛は何といってもイカだから、噛んでも口の中に長く残っている。まあこのとき旨さが広がるわけだ。片やご飯は比較的早々に口から胃のほうへと去っていく。そのへんうまく美味しさの点で折り合いがつくのだろうか。

今回食べる塩辛は、いただき物の瓶詰めのもの。詰め合わせの中の一つで、かわいい小瓶入り。内容量は45グラム。北海道のメーカーのものだ。
イカの塩辛に使われるイカはスルメイカが普通だが、この瓶の原材料表示を見ると「真いか」となっている。さすが北海道、珍しいものを使っているなと思ったら、「真いか」というのはスルメイカの別名とのことだった。

さて今回のメニュー紹介(というほどのものを食べるわけでもないのだが)。
ご飯はいつもどおり、安い茨城産の「あきたこまち」1.5合。あつあつの炊きたてだ。1.5合は、私のお茶碗で軽く四杯分に相当。
大好きな塩辛なら、ご飯2合は食べられる自信はある。しかし、その後で、お腹が重くなってちょっと苦しい思いをする心配もある。で、ここはぐっと自重することにする(それでも1.5合じゃ自重したことにならないか)。
 塩辛はいったんご飯の上にのせて食べる予定もあるので、いつもご飯に振っている黒ごまは今回もお休みだ。
 味噌汁は、味噌がいつものマルコメ君。今日の具材は小松菜とあぶらげ(別に塩辛を食べることとは関係ない)。

なお、気になる塩辛の塩分について調べてみた。
塩辛の塩分濃度は昔は腐敗防止のためにかなり高かったという。だいたい8~12%くらい。ちなみに桃屋の瓶詰の塩辛は現在でも17%もあるとのことだ。しかし、一般的には低塩化が進み、現在では5%あたりが平均値らしい。そのため冷蔵庫での保存の必要が生じたわけだ。
今回の瓶詰めは内容量が45グラムだから、仮に全部食べたとして、その塩分量は約2.3グラム。味噌汁の塩分が一杯で約1グラムだから、これを合計すると3.3グラム。
一日の塩分摂取量の基準は男性だと10g未満とされている。一食当たりだと3.3グラム。何とぴったり一致で、ぎりぎりセーフだ。もっとも、一瓶全部は食べないつもりだけれど。

それではいよいよ実食。
味噌汁を汁椀につける。今回も味噌汁はこの一杯きりで、お代わりはない。ご飯をお茶碗によそう。かなり軽め(120g)で、ちょうど四杯分になる。
塩辛は、一応瓶の半量くらいを、小皿に出しておくことにした。塩辛を見ているだけで、口の中にはもう唾液が…。見ているだけで、ご飯何口かは食べられそう。
食卓の上にはご飯のお茶碗と味噌汁のお椀と塩辛の小皿のみが、ひっそりと肩を寄せ合っている。「粗食」を絵に描いたらこうなるだろうというような景色だ。しかしその先には、奥深い世界が待っているはず。わくわくするなあ。

味噌汁を一口、二口、三口と飲む。そしてご飯を一口、二口。味噌汁の味で三口食べられる。
そしていよいよ塩辛だ。小皿から箸であつあつのご飯の上にのせる。少なめに小片を四、五片くらい。そして、ご飯と一緒に口の中へ。
塩辛のしょっぱくてねっとりとした独特の味が口中に広がる。久しぶりだ。思ったよりも甘口。これなら塩分は5パーセントより低いだろう。麹も入っているらしいが、形は見えない。

例によってさらに二口、三口と白いご飯を口へ運ぶ。塩辛の熟成した濃厚な旨みと、ご飯の甘い旨さが混じり合う。こんな美味しいものなかなかない。
もぐもぐと噛んでいると、ご飯のかさが少しずつ減っていく。が、イカは噛まれながらいつまでもイカの旨みを放出し続けている。そこで、さらにご飯を四口、五口と追加。ご飯の旨みもどんどん引き出され広がっていく。ご飯てこんなに甘かったんだなあ、とあらためて思う。
一段落すると、また最初に戻って塩辛をご飯にのせて一口。たちまち白いご飯を三口、四口、五口。塩辛の「おかず力」(定食評論家 今柊二の表現)は予想通りやっぱり相当のものだ。

ここで、ちょっと手を変えて、塩辛をご飯にのせずにそのまま少し食べてみる。当然ご飯と一緒に食べるより、濃い味が味わえる。しかし、量が少なくて、食べ応えという点で物足りない。
しかもそこに後追いでご飯を入れても、今度は塩辛の味が散ってしまっていて「手遅れ」といった感じ。やっぱりご飯と一緒の方が、いろいろな点で手応えがあるな。しかもその方が塩辛単独で食べるより、かえって塩辛本来の味のデリケートなところまでちゃんと感じられるような気がする。

これは塩辛の場合に限らないが、食べるおかずの分量はなるべく少なくしようと思っている。そうしないとその味を、じっくり味わえないと思うからだ。
たとえば塩辛の場合、一度にたくさん口に入れては、塩味が強すぎて、かえって十分に本来の味を楽しむことができないだろう。もちろん、塩分の点でもその方がよいにこしたことはないわけで。

梅干のときもそうだったけど、ご飯はおかずの強い味のあとの口直しの働きもしている。塩辛のしょっぱくて濃厚な味が、甘いご飯の旨みを引き出し、それが交じり合いながらしだいに入れ替わって、最後は口の中がさっぱりとリセットされるのだ。そこで、また新鮮な気持で塩辛を食べることなる。
そういうわけで、ご飯がどんどん進むこと、進むこと。

ときどき思い出して味噌汁をすすり、その味でご飯を食べる。が、あとは何だか無心になってご飯を口に運び、お代わりしているうちに、気がついたら四杯食べ終えていた。しばし呆然。そして、じわじわと満足感。

食べる前に瓶ごと重さを量っておいた塩辛は。食べ終えたときに30グラムほど減っていた。これがつまり食べた量で、小瓶の約三分の二を食べてしまったことになる。この瓶は本来一食分だったのかな。食べた分の塩分は1,8グラム、カロリーは約30キロ・カロリーだ。なかなかヘルシーではないの(もっとも、ご飯の量を考えなければだけど)。

濃厚な味のものを食べたわりには、すっきりと気持ちよい満腹感が残る。美味しいものを堪能したことで精神的にも十分に満ち足りた気分。
今回の結論は、えーと…。強いて言うなら、やっぱり旨みの強いおかずは、同時にご飯の旨みも強力に引き出すということかな。
それともうひとつ。塩辛の本当の美味しさは、お酒の肴としてではなく、ご飯のおかずとして食べたときに味わえるということだな。

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2012年6月23日土曜日

実食「一汁無菜」 ふりかけでご飯

 「一汁無菜」を実践するシリーズの2回目は、ふりかけだ。

ダイエットの時代である。そしてまた、健康志向の時代でもある。つまり、現代人は、カロリーの高い炭水化物であるお米を、なるべく食べないよう食べないように毎日生活しているのだ。食事のとき、おかずだけ食べ、ご飯は食べないなんていう人もたくさんいる。
そんな時代に、はたしてふりかけというものは居場所があるのか。だって、ふりかけって、ただひたすらご飯をたくさん食べるためのものでしょ。おかずはなくなっちゃったけど、もう少しご飯を食べたいな、なんていうときに登場するものではないですか。

今回私が食べようとしているのは永谷園の「おとなのふりかけ」である。「おとなのふりかけ」はこんな時代なのに、ロング・セラーの大ヒット商品なのだという。不思議だ。
私の場合、今回のためにわざわざ買ってきたのではなく、じつは賞味期限の切れてしまったものが手元にあったのだ。これを何とか消費しなくちゃ、と思って今回の試みとなったのである。
何で賞味期限が切れるまでほうっておくようなものを、そもそも買ってくるのか。やっぱり、ふりかけって魅力あるんだよね。
スーパーで見かけると美味しそうで、つい買ってしまう。でもいざ買っても、なかなか出番はない。なるべくご飯を食べないで、その分おかずをいろいろ食べるように心掛けているわけだからね。
他のお宅はどのようにふりかけを消費しているのだろうか。

さて今回のメニュー紹介。
ご飯は前回同様、茨城産の「あきたこまち」1.5合を炊飯器で炊く。お米は安物だが、何といってもあつあつの炊きたてだ。1.5合は、私のお茶碗で軽く四杯分に相当する。
 私はご飯には日常的に黒ごまを振っている。前回の梅干のときもこれだけは振らせてもらった。しかし、今回はふりかけを味わうという趣旨だから、当然黒ごまはお休みだ。
 味噌汁は、味噌がいつものマルコメ君。今日の具材はたまたまとうふとわかめだ。

ふりかけは永谷園の「おとなのふりかけミニその2」。これは、五種類のふりかけの小袋の詰め合わせだ。五種類とは、梅ゆかり、かつおみりん、明太子、鮭青菜、鶏たまごそぼろ(現行品は肉味噌にんにくにチェンジ)。ネーミングだけでもおいしそうだ(それでつい買ってしまったわけだが)。
これとぜんぜん違う内容組み合わせの「おとなのふりかけミニその1」というのもある。いずれの味も通常タイプ、つまり単品で販売しているものにはない種類なのはちょっと不思議。
それぞれの味が四袋ずつ、計20袋入っている(もう手をつけたので、減っているけど)。小袋は縦8センチ、横6.5センチの大きさ。たぶん一袋でご飯一杯分ということなのだろう。今回ご飯が四杯だから、小袋四袋で足りるだろうと想定。

なお、当然のことながら栄養のバランスには、今回もとりあえず目をつぶっている。ただものがふりかけなので塩分はちょっと気になる。
栄養成分を見てみると小袋一袋の塩分は0,3グラム。四袋だと1.2グラムということだ。味噌汁の塩分は一杯で約1グラムだから合計すると2.2グラム。
一日の塩分摂取量の基準は男性だと10g未満とされている。ということは一食3.3グラム。何とかクリアーだけど、これで別におかずがあったらかなりきびしい。でも実際は、おかずがちゃんとあれば、ふりかけの出番はないんじゃないの。

それではいよいよ実食。
味噌汁を汁椀につける。今回も味噌汁はこの一杯きりで、お代わりはない。
ご飯をお茶碗によそう。今回は一杯にふりかけ一袋だから、前回以上に、四杯が均等(120g)になるよう心掛ける。
ふりかけは残っていたものの中から「明太子」を選んだ。
袋の口をあける。ここで、袋から少しずつご飯にかけながら食べるか、それとも最初に全部かけてしまうかちょっと迷う。ご飯に満遍なくなく行き渡らせるにはどちらがよいか。で、結局勢いでいっきに全部ご飯の上にかけてしまう。少し多い感じがする。
ふりかけの粒は、海苔を除いてかなり細かい粉末状だ。もうちょっと粒が大きい方が美味しそうだと思うのだが。この細かい粉末が、ご飯のまん中に小さな赤い山になる。これをご飯の表面の全体にお箸で散らそうとするが、ご飯の粒にくっつくのでなかなか均等にはできない。だがまずこれで、準備完了だ。
食卓の上にはふりかけのかかったご飯のお茶碗と味噌汁のお椀とお箸だけ。傍らには、出番を待つふりかけの小袋がいくつか。「一汁無菜」感が全開である。

味噌汁を一口、二口、三口と飲む。そしてご飯。しまった、味噌汁の味で食べるために、ふりかけを全面に広げないで、白いご飯を残しておけばよかった。ふりかけのついたご飯を口に運ぶ。明太子のかすかな風味とかすかな辛さ。本物の明太子を食べているのではないのだからそもそも無理な話だが、明太子の味が物足りない。
ご飯を箸ですくうと、そこに下の白いご飯が顔を出す。その部分を周辺のふりかけのついたご飯と小さく混ぜる。口に入るご飯にはなるべくふりかけがついているようにしたい。
三口くらいふりかけのついたご飯を口に入れ噛んでいると、ご飯の旨みに負けて、ふりかけの味が薄く感じられてしまう。これでは物足りない。

そこで、そこからはふりかけの多めについた部分とついていない白い部分を交互に食べることにした。こうするとある程度ふりかけの味を味わうことができる。しかし、十分に堪能するためにはかなり多めにかける必要があるようだ。
そうこうしているうちにご飯が少なくなる。もうふりかけのついていない白いご飯が大半だ。そこで、味噌汁の力を借りて、一杯目を食べ終える。意外にもふりかけの「おかず力」はさほどでもないことがわかった。
二杯目をよそい、次のふりかけの封を切る。ふたつめもまた「明太子」にする。反省して、袋から少しずつご飯にかけることにした。あるところに集中的にかけ、その部分のご飯を口に入れて味わう。その後、白いご飯を一口、二口と口に運んで口直ししつつ今度はご飯の旨さを味わうといった具合だ。

この方式で食べていると、ふりかけ小袋二袋(三袋目は鮭青菜にした)で残りのご飯三杯が食べられた。
お腹は程よくいっぱいになったが、美味しいものを食べたという満足感は今ひとつ。やはりふりかけは、そのものの味も弱いし、その分、ご飯の旨さを引き出す力も弱いのではないかと思った。
ふりかけは所詮「添え物」。「主菜」があってこそ存在意義があるのでは…というのが今回の結論。

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2012年6月19日火曜日

「大エルミタージュ美術館展」

雨なので「大エルミタージュ美術館展」を見てきた。

6月の半ばの雨の土曜日、用事があって東京に出かけた。用事が済んだあと、展覧会でも見ようと思い国立新美術館に行ってきた。なぜ「雨なので」なのかというと、国立新美術館は地下鉄の乃木坂駅に直結しているので、濡れないで入れるからだ。まあそれだけのこと。

ところで今回はエルミタージュ美術館だが、これまで数々の有名無名の海外の美術館展が日本で開かれてきた。
一般論として、こういう美術館展というのは、内容的にはあまり期待できないというのが私の印象だ。
そもそもその美術館で持っている良い作品を、洗いざらい持ってくるはずがない。みんな持って来てしまったら、本家が空っぽになってしまう。それに大事な一級品を全部ではないにしろ、遠い日本に運ぶというのは、その美術館にとっては大変なリスクのはずだ。
だから、一握りの良いものと、あとは二級品以下の作品で埋めてお茶を濁すというのが、こういう展覧会の通例ではないだろうか。だいたい有名美術館の所蔵品が、すべて一級作品と考えるのが間違いだ。

エルミタージュ美術館展といえば、これまでにも国内で何回も開かれている。しかし、今回は国立の美術館で開いている展覧会なので、これまでとは違うのかなとちょっと期待はした。
展覧会名の頭に堂々と「大」をつけているのも、その辺の違いを強調したいせいではなかろうかとも思った。

それで見てみたわけだが…。結果、あまり面白くなかったというのが率直な感想。
展覧会は大評判だし、ネット上でも圧倒的に好評、そして実際に会場はたくさんの来場者であふれている。なので、一人くらい否定的な感想を言ったところで、何の影響もなかろう、ということで言わせてもらう。

あまり面白くなかったという理由の大半は私の側にある。が、展覧会の中身の方にも多少不満は感じる。それを順番に書き出してみよう。
まず私の側の問題。西欧の近代以前の絵画は、やっぱり私の体質には合わない感じがある。文化の違い、宗教観の違い、世界観の違い人間観の違い、生活の違いがどうしようもなく感じられて、見ていても共感できないのだ。
近代以降は、個人主義の時代ということもあり、もうちょっと身近な感じで見ることが出来るし共感もできる。

でもこの感じっていうのは、日本人に一般的なものなのではないのだろうか。
明治初期に日本に移入されたルネサンス以来の西欧の絵画は結局日本には定着しなかった。そして明治中期に黒田清輝らがもたらした印象派以降の西欧絵画が、結局は日本の洋画のスタンダードになったわけだ。
これを見ても、やっぱり日本人には、印象派以前の西欧絵画は体質的に合わないんじゃないかと思う。自分の感覚を正当化するわけではないのだが。

閑話休題。私がこの展覧会をあまり面白いと思わなかった理由は、展覧会の内容にもある。
第一には、作品の大半が、中型から小品ばかりだったこと。
大きければよいというものではないのだけれども。
第二には、作品が少ないこと。
「西欧絵画の400年」ということで、16世紀から世紀ごとに会場はコーナー分けしてある。しかし各世紀が約20点の中小作品では、あまりにも漠然として、焦点が合わない感じ。
第三には、なじみのある画家の名前があまりなかったこと(知らない私が悪いのかもしれないけど)。
第四には、なじみのある画家も、作品が少なく(1~2点)、しかも、それがあんまりぱっとした作品でなかったこと。
たとえばルーベンス、レンブラント、ドラクロワ、ルソーあたりの作品なんかどうでなんだろう。感銘したというような感想も見かけたけれども。私に見る眼がないのか。

しかしこの展覧会で最大の見所が、アンリ・マチスの大作「赤い部屋(赤のハーモニー)」だった。
この作品は文句なしに素晴らしかった。
装飾的な形態と、色彩によって強引に自分の美の世界を実現してしまうマチスの力技が堪能できた。
このクラスの作品があと4,5点もあれば、十分満足できたと思うのだが。

しかし、土曜日とはいえ会場がたくさんの人でにぎわっていたのには驚いた。
会場の最初のあたりだけ混んでいても、進んでいくうちに飽きて流れが速くなり、後半がすいているというのはよくあることだ。ところがこの展覧会は、最後までみんなていねいに見ていて混雑していた。
日本人というのはほんとに文化的なことに熱心だなと、これには素直に感心した

実食「一汁無菜」 梅干でご飯

私はもともと単品のメニューの食事が好きだ。麺類で言えば、もりそばとかもりうどん。ご飯だと、丼ものとかカレーのようなもの。ただしそれをたくさん食べる。こういう食事が栄養的には非常によくないということはわかっているのだが…。
この頃は歳をとってきたせいか、簡素な食事も好きになってきた(でも量は多い)。だから「一汁一菜」なんていう言葉には、がぜん興味がわく。

「一汁一菜」とは言うまでもなく、ご飯と味噌汁とおかず(菜)が一品の食事を指す。しかし、さらにこれに漬物もついている。漬物はこの場合「一菜」には数えないらしい。ご飯に当然付属しているものだからということなのか、あるいは、おかずとして一品に数えるほどのものでもないからなのか。
ただ、日本の食文化について説明する中などで「一汁三菜」という言葉が出てくるときは、漬物も「采」として数えているようだ。ここで言う「三菜」の内訳は、「主采」、「副采」、「副々菜」であり、漬物の類はこの「副々菜」に数えるらしい。

それはともかくとして、私はさらに「一汁無菜」というのを思い描く。おかずらしいおかず、つまり「一菜」はなし。いわゆる「ご飯のお供」だけで食べるご飯だ。
「ご飯のお供(友)」はひところ流行ったが、たぶん明確な定義はないだろう。「ご飯のお供」として名前が挙がるのは、たとえば、海苔、納豆、明太子、生卵、ふりかけ、漬物、たらこ、梅干、佃煮、いくら、塩辛などなど。書いているだけでよだれが出そうだ。
漬物が「一菜」に入らないのなら、これらもみな「一菜」未満ということになる。だからこういうものだけでご飯を食べるのが、すなわち「一汁無菜」というわけだ。

「一汁無菜」には何とも心を引き付けるものがある。以前この「一汁無菜」について以下のようなことを書いたことがある。

ご飯と味噌汁と、この中(上に挙げた「ご飯のお供」)からどれか一品があれば、ご飯1.5合、お茶碗で四杯くらいは、美味しく食べられそうだ。
ただし、「ご飯のお供」は、いずれか一種類でなければならない。二種以上を取り合わせると、お互いに邪魔しあってよろしくない。
海苔でも納豆でも明太子でもふりかけでも、とにかく一種類のものでご飯四杯。そうすれば、そのものの旨さを味わい尽くしたという満足感を得ることができる。
大事なのは満腹感ではなく、この満足感。満腹感も大事だが、私にとってはこの精神的な満足感が食事にはあって欲しい。

それで、いよいよこれを実践してみようと思いたったのだ。

ここで一応念のために言っておくと、これは「粗食」ということを楽しんでいるのではない。すなわち自らに禁欲を課して、精神的な満足感を得ようというのではないということだ。
そういうストイックな喜びではなくて、むしろ、徹底的に食事を楽しもうというエピキュリアン的な気持に従ってのことなのだ。いろいろなものを一緒に食べないのは、一つのものを味わい尽くすためには、他のものが邪魔になるからだ。
だいぶ大仰なことになってしまった。でも「ご飯のお供」を思い浮かべると、それだけでもうお腹が鳴る。ともかく「一汁無菜」を実践してみて、その感想を書いてみることにしよう。

で、その初回は、基本中の基本であるところの「梅干」。
まずひととおり、食材等の説明をしておく。使うのは特別なものではなくて、まったく普通の(普通以下の)ものばかりだ。
炊くご飯の量は、上にも書いたように1.5合。かなり多いかもしれないが、他におかずもないし、満腹になりたいので。これは、私のご飯茶碗でごく軽くよそって(約120g)四杯分になる。
お米は近所のスーパーで一番安い「あきたこまち」(茨城産)だ。これを炊く炊飯器は、圧力炊きのできるものだが、そんなに高級品ではない。ちなみにこの炊飯器は、お米の浸水時間が不要ということになっている。

肝心の梅干だが、これもスーパーで安売りしていたもの。器に移して、パッケージを捨ててしまったので国産のはずだが産地等は不明。安売りしているくらいだから無名のメーカーであることは間違いない。
 大きさは一粒が11~12g(種も込み)。そんなに大きくない。安物なのでけっこう塩分が強い(望むところだ)。カリカリ梅ではなくて、本来の果肉がぐだぐだのものだ。
 ご飯が四杯だから、一粒で二杯はいけるだろうと想定して、小皿に二粒のせる。

 味噌汁は、味噌がマルコメ君で、具材はたまたまキャベツとわかめ。
 と、だいたいこういう陣容だが、さらにいつもの習慣なので、ご飯に黒ごまを振るのは許してもらおう。
なお、当然のことながら栄養のバランスには、とりあえず目をつぶっている。

それではいよいよ実食。
味噌汁を汁椀につける。味噌汁はこの一杯きりで、お代わりなし。
ご飯をお茶碗によそう。四杯がだいたい均等(120g)になるよう心掛ける。よそったご飯に黒ごまをビンからぱらぱら振る。
おかずは小皿にのった梅干二粒のみ。
 日本人の食の原点まさにここにあり、といった景色だ。

まずは味噌汁を一口、二口と飲む。ついいつも本だしを多めに効かせてしまう。でもやっぱりその方がおいしい。ご飯四杯とこの味噌汁一杯がだいたい同時に食べ終わるように、配分を考えながら飲む。
その味噌汁の味で、ご飯を一口、二口、三口と口に運ぶ。味噌汁だけで三口食べられてしまった。考えてなかったけれど、味噌汁あと二,三回すすれば、このままご飯お茶碗一杯くらい簡単にいけてしまいそう。
ご飯を噛んでいると味噌汁の味が薄れていくにつれ、ご飯の旨みと甘みが口の中に広がる。

やがて、ご飯が口の中からなくなるのを見計らって、いよいよ梅干をほんの少しだけ小さくかじる。酸っぱさとしょっぱさがぱっと口中を満たす。唾液がどどっと出てくる。ご飯を箸で口に運ぶ。一口、二口、三口。
味噌汁のときもそうだが、私の場合、口に味があると三口ずつご飯が進むということがわかった。
そして噛んでいると梅干の味が薄れていき、それにつれてまたまたご飯の旨みと甘みが口の中に広がっていく。ご飯てこんなにおいしいものだったんだなあ。
もう一度、梅干をほんの少しかじる。また酸っぱい、しょっぱいからのサイクルが繰り返される。ご飯三口で、最後に旨みと甘みがじわっ。

梅干のサイクルを二回から三回繰り返した後、味噌汁のサイクル、つまり味噌汁をすすり、具を食べ、ご飯を三口。
これを繰り返し、お代わりをして、梅干一個で、お茶碗二杯食べられた。定食評論家の今柊二(こん・とうじ)の表現を借りて言えば、梅干の「おかず力」はかなり優れている。
三杯目のご飯で、もう一粒の梅干に手をつける。
舌が慣れてきて「美味しさ」度が低下するかと思いきや、そういうことはまったくなく、最初に感じた美味しさが持続し続けている。味噌汁、ご飯、梅干し、ご飯の繰り返しで、連続して口直しを行って、そのつど舌がリセットされている感じ。
梅干サイクルと味噌汁サイクルを繰り返しながら、ご飯をお代わりして、四杯目も無事食べ終える。味噌汁も梅干もほぼ同時に終了。これで完食だ。小皿の上には梅干の種が二個。

ごちそうさま。ああ、おいしかった。お腹もちょうどいい感じに満たされたし、何より心も満足。
梅干を食べるつもりだったが、結局一番美味しかったのはご飯そのものだった。梅干は、ご飯の美味しさを引き出す触媒という感じ。梅干の触媒力はすごいというのが今日の実感だ。

<関連記事>

2012年6月15日金曜日

勝手に大予想 「ストーンズ・ベスト・ソングズ100」

今月のレコード・コレクターズ誌の予告によると次号(20012年8月号)の特集は、「ローリング・ストーンズ・ベスト・ソングズ 100」だとか。
ときどき同誌でやっているいろんなバンドの「ベスト・ソングズ 100」特集だけど、はっきり言って私はあんまり興味がわかない。
ロックはたいていアルバム単位で聴くものだと思うし、そんな風に聴いてきた。アルバムの中では、個々の曲だけでなく、アルバム全体の構成や、曲相互の関係にも意図があり意味がある。だから、個々の曲を取り出して順位をつけてもしょうがない気がするのだ。
ストーンズだって初期はともかく60年代半ば以降は、アルバム・アーティストではないの。

しかし、それはともかくとして、先日このブログで偉そうに「ローリング・ストーンズ入門」なんて書いた手前もあるし(誰も気にしてないか)、ここはひとつベスト・ソング上位10曲を大胆予想して楽しんでみよう。
特集は100位までだけど、私は10位まで。

 <ローリング・ストーンズ・ベスト・ソングズ10の予想>

第1位 「ブラウン・シュガー」
第2位 「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」
第3位 「ホンキー・トンク・ウィメン」
第4位 「ストリート・ファイティング・マン」
第5位 「サティスファクション」
第6位 「シンパシー・フォー・ザ・デヴィル(悪魔を哀れむ歌)」
第7位 「ギミー・シェルター」
第8位 「タンブリン・ダイス」
第9位 「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」
10位 「ペイント・イット・ブラック(黒く塗れ)」

この予想の考え方というか読みスジはこんな感じだ。

まず、初期のデッカ時代の前半、ストーンズがヒット・ソング・バンドだった頃のヒット曲の数々。
このへんは、100位以内にはたくさん入るだろう。しかし、10位以内に入りそうなのは、下の2曲くらいだと思う。あとは、票が分散して10位にはくい込めないのではないか。
「サティスファクション」
「ペイント・イット・ブラック(黒く塗れ)」

この2曲は、当時の不安と不満を反映していたわけだが、今現在の時代の気分にも、ぴったりシンクロしてしまっている。その点で、共感ないし再評価の票が集まるのではないだろうか。
この時代とのシンクロの度合いであんばいして、「サティスファクション」は5位、「黒く塗れ」が10位でどうだろう。

次にデッカ時代の後半から70年代にかけての米南部サウンド志向期。私はストーンズの「黄金の十年」(1968~78年)とこの時代を呼んでいる。
この時代のストーンズが、つまりは今に至るまでのストーンズのパブリック・イメージの元になっているわけだ。
したがってこの時期のイメージを典型的に表している曲が、10位までにずらりと並ぶというのが私の読み。
曲で言うと次のようになる。
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」
「シンパシー・フォー・ザ・デヴィル(悪魔を哀れむ歌)」
「ストリート・ファイティング・マン」
「ホンキー・トンク・ウィメン」
「ギミー・シェルター」
「ブラウン・シュガー」
「タンブリン・ダイス」
「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」

これで8曲、初期の2曲を加えたらもう10曲だ。
まあ、たぶんこんなところだろうな。

ちなみに「ワイルド・ホーシイズ」とか「アンジー」みたいなスローな曲は、いい曲ではあるけれど、ロックなストーンズのアナザーサイドということで10位以内には来ないんじゃないかな。
「ハッピー」やその他のキース・リチャーズがメイン・ヴォーカルの曲も、ストーンズの「代表曲」としては票を投じないのでは。       
80年代以降は、ストーンズという存在がより大衆化、一般化していく。ファンク、ディスコなどの都会派サウンド系ヒット曲もいくつかあるが、10位に入るほどたくさんの支持を集めるとはちょっと思えないような…。

ということで、選曲終了。さて問題はその順番だ。
ストーンズのイメージと勢いを象徴しているという観点で票が集まるだろうと想定してみた。
南部サウンド期を代表する勢いのある曲といえば、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」、「ホンキー・トンク・ウィメン」、「ブラウン・シュガー」あたり。
この3曲が、ベスト10の頂上付近に来るのではないか。というわけで、その「勢い」順に、「ブラウン・シュガー」を1位、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」を2位、「ホンキー・トンク・ウィメン」を3位にしてみる。
「ブラウン・シュガー」は72,3年頃の絶頂期のライヴでオープニング・ナンバーにもなっていたし、ストーンズのイメージを決定付ける代表曲として、誰にも文句ないのでは。

続いてこの時期の名曲三曲をこの後に続けてみる。先に5位に「サティスファクション」を決めてあるから、これをはさむ形になる。
なかなか順位はつけがたいが、沈滞したこの時代にカツを入れたい人が多い(?)と読んで「ストリート・ファイティング・マン」を4位にし、「悪魔を哀れむ歌」を6位、「ギミー・シェルター」を7位ということにしよう。

ついで8位に「タングリン・ダイス」。この曲は、「黄金の十年」の中のさらに絶頂期に「ブラウン・シュガー」に続いてヒットしたが、やや引き気味の曲なので、まあこの辺が妥当か。
そして、先に10位は「ペイント・イット・ブラック」で決まっているから、残る9位の座は「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」となる。
「たかがロックンロール。だけど俺はそいつが好きなんだ」という泣かせるフレーズのいわばストーンズのテーマソングだ。そういう意味あいがあるので10位以内には入ると思う。だが、飛び抜けて良い曲というわけでもないから9位くらいが順当だと思われる。

 というわけで、次号のレコ・コレ誌の結果ははたしてどうなるのか。当たるも八卦、当たらぬも八卦。どきどきしながら発表を待つことにする。

<これまでのローリング・ストーンズ関連記事>
ベスト・ソングズの結果は「レコ・コレ誌「ストーンズ・ベスト・ソングズ100」」

2012年6月14日木曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「特製らーめん」 梅雨の晴れ間編

いよいよ梅雨入りして不順な天気が続いている。その晴れ間の一日、水戸に出かけたので、例によって坊主に寄ってみた。
 久しぶりなので、例によってわくわくしながら、そしてどきどきしながら(休みの可能性もあるので)店へ向って歩いていく。「超激辛」の赤いのぼりが見える。よかった、やっていた。

平日の11時10分入店。先客なし(後客は4人)。道々考えてみたら、前回の訪問からは3週間ぶり。間もあいたので、ここは当然、私の定番「特製らーめん」の食券ボタンを押す。そして、当然「白めし」と「ビール」のボタンも。これが私の黄金のトリオ。
さらに今日は何かトッピングを、と思ったので、これまで頼んだことのない「コーン」も。

「坊主」のトッピング・メニューはいくつかあるが、「生卵」の50円をのぞいて、あとは一律100円。いちいち端数は面倒だからざっくりと、という感じ。ついでに「白めし」も100円。
その中で、最高にリーズナブルなのは「白めし」だが(何しろ大盛りでも100円)、その次にお勧めは「ねぎ」だ。
茶碗大の器に別盛りで、刻みネギが山盛りで出てくる。これだけの量をラーメンと一緒に摂取し、しかも熱さと辛さで大汗をかけば、ちょっとした風邪なんかいっぱつで治ってしまいそうだ。ただし、半日は口がネギ臭いので、事情が許す人のみの限定だけど。
反対に「お得」度が薄いのは「のり」。他のラーメン店で、同じく100円の「のり」のトッピングを頼んだら、7~8枚ののりが丼のヘリにずらっと壁のように立ち並んでいてびっくりした。坊主はその半分くらいの枚数で、ちょっと物足りない。

カウンターの一番はじに座る。クーラーがかなり効いている。
ご主人に食券を渡しながら、いつもどおり「麺とめしは普通盛りで」とお願いする。
すぐでてきたビールをぐびりぐびりと飲みながら待つ。いつものように店内にはオールディーズが流れている。この「アット・ザ・ホップ」なんか何十回聴いたかしれない。
開店直後ということで、麺を鍋に投入し、スープの雪平を火にかけるご主人の動きにもまだだいぶ余裕がある。

程なく(何しろ客第一号だからね)「特製らーめん」と「白めし」がカウンターに登場。
丼の表面をほぼ覆っているもやしと豚バラの上に、コーンの黄色と刻みネギの白の二色の小山がこんもり。相変わらずいい景色だ。
丼の表面のふちに近いあたりに、具材をお箸で左右にかきわけてスープの池を作る。そこからスープをレンゲですくって、ふうふうと一口すする。あいかわらず旨いなあ。今日は、いつもよりほんの少し魚介系のダシが強い感じだ。ついつい二口、三口、四口と立て続けで口に運んでしまう。そして、一息ついたらご飯を一口。それから、ゆっくりと具材と麺をほぐし始める。結局いつもと同じ進行だ。

辛さもちょうどいい感じで、やっぱり辛い。
私が「辛さランキング」(店内に表示してある)の最上位のメニューを食べていると知って、知人たちはまず驚く。
「よく食べられますね。辛くないんですか」。さらに「あんなに辛くても味がわかるんですか」とも訊かれる。
もちろん辛い。辛いけれど、私にはちゃんと味がわかる辛さ。旨いよ。
というより、旨さと辛さはここでは別物ではないと思う。旨さを構成する一部分として、この辛さはあるのだ。そういうふうに坊主の味はできていると思う。
たとえばこの「特製らーめん」から、辛さのみを取り除いたら、旨さだけが残るものなのだろうか。全然辛くない旨いラーメンになるのだろうか。そうはならないだろう。旨さと辛さのバランスが、崩れてしまうからだ。
このお店にも辛くないメニューがいろいろある。私は全然食べたことがないけど、はたしてどんなものなんだろう。ここのご主人のことだから、それなりによく作ってあるのだろうけれど。
でもとにかく、このお店の本来の味は、ある程度辛さに強い人でないと味わえないということになる。あんまり大きな声で言っちゃいけないことだけど。

トッピングのコーンはなかなかよい。甘くてコクがあって歯応えがある。もやしを食べたり、バラ肉を食べたり、麺を食べたり、スープをすすったりするたびに少しずつ口に入ってきて、いい味のアクセントになる。
しかし、どんなにがんばっても、コーンの大半はスープの底のほうに残る運命だ。ところが…。
私は坊主では常にスープまで完食する。至福のときは最後の段階を迎えている。丼の中は、あらかた麺を食べ終え、具材のかけらが残っただけのスープになる。これを両手で持った丼のふちに口をつけて少しすすっては、残しておいたご飯を一口ずつ食べるのだ。今回は、残っていたコーンが、このとき再び力を発揮した。最後の最後までスープに御馳走感を感じさせてくれたのである。ありがとう。

今日はコーンのせいではないだろうが、いつになく満腹になった。「白めし」のかわりに「麻婆めし」にしなくてよかった。
ごちそうさまでした。体も心も満ち足りてお店を出た。

例によってここからは腹ごなしの散歩の報告。
いつものように千波湖方面に向かって歩き始めるが、今日は少し風が強いので、千波湖周辺ではなく「逆(さかさ)川緑地」を歩いてみることにする。
千波大橋を渡ってそのままさくら通りを進んでいく。逆川橋を越えると本郷橋のたもとに到着。ここからが「逆川緑地」の始まりだ。
「逆川緑地」は逆川という小さな川のほとりに細長く続く公園だ。今日は右岸(私から見ると左側)に沿って歩いていくことにする。
川の左右がところどころ湿地帯なのだが、その上は木道が続いていてなかなか良い風情だ。

この公園は左右を斜面に挟まれていて谷の底を歩いていくような感じだが、谷の斜面が樹木に覆われていて、その先の建物の姿がほとんど見えない。水戸の街の中心部のはずなのに、まるでここだけ別世界の空間にいるようだ。
上流の公園のはじまで緑と水のある風景の中を往復して約一時間。お腹も満ち足りていて、気持ちよく幸せな気分を味わった。よい散歩だった。

2012年6月12日火曜日

東京散歩「ステータスのある街(?)を歩く」 南青山から、西麻布、広尾を抜けて恵比寿へ

6月上旬のある日、ちょっとした用件があって久しぶりに東京に出かけた。
 近ごろは東京に出て時間があると、あちこち歩きまわっている。今回は、南青山、西麻布、広尾と「高級感」漂う街を歩いてみたので、その様子を紹介することにしよう。

以前は、東京で時間があくと、展覧会を見るか、あるいはCD屋をめぐって中古CDを漁(あさ)るのが常だった。しかし、この頃は、見たいと思う展覧会もめったにないし、CD屋めぐりの方も軍資金が乏しいためあまり熱が入らない。
そこで、以前から好きだった街歩きが復活したわけだ。「街歩き」とか「散歩」というと聴こえは良いが、実際はただ歩き回るだけというのが正しいかもしれない。

もともと東京のガイド・マップというのが好きで何種類も手元に持っている。新宿とか渋谷とか銀座といったエリアごとに地図があって、その街の概要と、ショッピングと食べ物の情報と、散歩ルートとかが載っているようなたぐいのものだ。
そういう情報を頭に入れて実際に歩いてみると、たいていはがっかりする。東京の街は、どこもたいていはごちゃごちゃした普通の通りだからだ。地方の街の風景とそんなに変わらない。期待し過ぎるこちらが悪いのだけれど。
それで、ここではなるべく見たまま思ったままを記してみることにする。

今回は渋谷の宮益坂で用を足して昼食を食べた。
それから、青山通りを表参道の方に向かって歩き、マックス・マーラの角を右に曲がって骨董通りに入る。この通りから一本路地を入ったところにある画廊で、知人が個展を開いているのだ。
作品を見せてもらった後、知人と1時間ばかり歓談して会場を後にした。これで、今日の用件はおしまい。時間は3時ちょっと過ぎ。これから散歩タイムだ。

今日考えているコースは、画廊がある南青山から、西麻布を通って広尾を抜け、恵比寿に至るコースだ。
南青山、西麻布、広尾と言えば、いずれおとらぬ「オシャレ」で「高級」な、「大人」の街ということになる。
かつて広尾で画廊を開いていた知り合いの画廊オーナーの言葉を思い出す。いわく「ステータスのある場所」。
彼は地方でやっていた画廊をたたんで、東京に店を移した。なぜ東京でも広尾を選んだのか尋ねたところ、彼はこう答えた。
「ともかくステータスのある場所でやりたかった。23区で言うと港区か千代田区か大田区。そしたらここにいい物件があってね」。
よく聞く話ではあるが「ステータスのある場所」という言い回しがちょっと印象に残った。
この言葉を借りると、南青山、西麻布、広尾はまさに「ステータスのある」街ということになる。さて実際に歩いてみると、どんなものなのか。

路地から骨董通りに出る。青山通りには戻らずそのまま南へ、六本木通りの方に歩いていく。
小原流会館や岡本太郎記念館の前を通り過ぎる。骨董通りというだけあって、古美術の店もちらほらあったが、あまり興味はわかない。あとは南青山といっても、ビルや事務所や飲食店が並ぶどこにでもありそうなごく普通の通りだ。同じ青山でも、高級ブランドのお店が並ぶ、表参道から根津美術館への道筋とはだいぶ違っている。

ほどなく六本木通りに斜めにぶつかって骨董通りは終わり。左に曲がり、今度は六本木通りに沿って歩いていく。
六本木通りは、その上の高架を首都高の渋谷線が走っている。しかも、道幅が狭いせいか、上り線と下り線が上下に重なって、地上も合わせると三階建て()の道路だ。その光景は、未来的と言えば言えるのかもしれないが、とにかく殺風景。
よっぽど右側の路地に入ろうかと思った。しかし何しろ西麻布初心者なので、ともかく少し先の西麻布の交差点まで歩いてみる。
六本木通りと外苑西通りが交差しているのが西麻布の交差点だ。左に曲がれば、青山霊園、まっすぐ行けば六本木、右に曲がると広尾がある。でもまあ普通のどこにでもある交差点だ。

ここを右に曲がって、今度は外苑西通りに沿って広尾方面に歩いていく。この辺も骨董通りと同様で、ビルが並ぶだけの普通の通り。外苑西通りは片側2車線で車がやたら多いが、歩道は狭い。狭い上に街路樹や電気設備のボックスなどが立っていて歩きにくいことこのうえない。六本木の歩道もこんな感じで歩きにくかった。
西麻布と言えば私には、クラブ(お酒を飲む高級なお店)やクラブ(踊る場所、昔のディスコ)がある街というイメージがある。
しかし昼間なので、クラブ(お酒の方)は全然目に付かない。表通りを歩いているせいもあるだろう。
クラブ(踊る方)はそれらしい建物がいくつかあったが、やっぱり昼間なので、ばっちりと閉まっていた。
ガイド・マップには、たしか西麻布は「隠れ家的な店が多いことで知られる」と書いてあったが、何しろ「隠れて」いるわけだから、やっぱり全然わからない。べつに入ってみようというわけじゃないんだから、どうでもいいんだけど。

歩いていると左側に少しばかりの緑が見えてきた。「笄(こうがい)公園」と書いてある。名前は由緒あり気だが、木立と遊具がある小さな普通の児童公園だ。しかし、ここが子供の声であふれている。
こういう公園は地方にもたくさんあるが、団地近くの場合を除いて、子供が遊んでいるのをあまり見かけない。田舎の子は、もともと少ないうえに塾と習い事で忙しいのだろう。やっぱり都会は違うなと思う

さらに歩いていくと広尾橋の交差点に到着。
ここには画廊を訪ねて何度も来たことがあるが、ぶらぶら歩くのは初めて。広尾というと、高級住宅地、また各国の大使館が集中するインターナショナルな街というイメージがあるが、見回したところあまりそんな感じはしない。
交差点の右奥に広尾プラザというビルがああって明治屋が入っている。明治屋というと京橋や日本橋の輸入食品のお店を思い浮かべるが、ここの明治屋は、ちょっとのぞいてみたところ高級なスーパーだった。なるほど高級住宅地なんだな。

広尾橋の交差点を右に曲がって広尾散歩通りに入る。いろいろなお店がごちゃごちゃ並んでいる。多少オシャレっぽいイタリアンの店なども目に付くが、そんなに高級感はない。東京近郊の中央線や私鉄沿線の駅前によくある商店街といった感じ。銭湯があったり、中華屋もあったりで、なかなか庶民的だ。
ぶらぶらしながら一本裏の狭い路地に入ってみる。
聖心女子大の高台を背にして、そのふもとに古そうな家がぎっしりと軒を連ねていた。お年寄りが家の前に椅子を出して休んでいる。まるで下町の風情で、ちょっといい。

広尾散歩通りは祥雲寺というお寺の入り口に突き当たって左に折れている。
道なりに曲がってそのまま恵比寿方面にまっすぐに進んでいく。フレンチやイタリアンのお店、カフェなどがちらほら目につくが中に入らなければやっぱり普通の通り。

広尾散歩通りは広尾五丁目の交差点で終わる。この交差点で明治通りを横切り渋谷川を渡って、道筋に沿って進んでいく。
社会教育館の交差点をさらにまっすぐ越えると恵比寿三丁目に入る。このあたりは昔から縁があって、じつはけっこう詳しい。少し行って最初の信号のある交差点を右に曲がる。

このあたりは住宅街だが、道の右側に「イニッシュ・モア」というちょっと有名なアイリッシュ・パブがある。前から一度入ってみたいと思っている。
私は、アイリッシュ・パブというものが好きで、フィッシュ・アンド・チップスを食べながらギネスを飲むのが何よりの楽しみなのだ。だが「イニッシュ・モア」は残念ながらまだ開店前だった。あきらめて先へ進む。
歩いていくと住宅の間から恵比寿ガーデン・プレイスのタワーが見えるそんなに広くないこの道は、ずっと行くとそのまま、ガーデン・プレイスの前のくすの木通りになるのだ。

4時半、ガーデン・プレイス到着。これで散歩は終了。南青山を出発してから1時間15分。まずまずの運動量だ。
「ステータスのある」高級な街を巡ったわけだけれども、表通りを通り過ぎただけではまったくそんな感じはしない。裏道を歩きまわり、それなりのレストランで食事をしたり、お店に入って買い物でもしないと、「高級感」は味わえないんだろうな(する気はないけど)、などとあらためて思った次第。