2013年9月2日月曜日

不器用さが愛おしい 大貫妙子 『アヴァンチュール』


<大貫妙子の歌詞>

久しぶりに大貫妙子の名前を耳にした。
この7月(2013年)に出た坂本真綾の新曲でTVアニメのテーマ・ソング「はじまりの海」を大貫妙子が作詞作曲しているのだ。
私的には身近に聞こえてきた大貫妙子の話題と言えば、96年の周防監督の映画『Shall we ダンス?』の主題歌を歌ったこと以来だから、ずいぶん久しぶりになる。
ところで今現在の音楽界の中で、大貫妙子というはどの辺に位置づけされる存在なのだろう。

1970年代にティン・パン・アレイの周辺から登場した4人の歌姫たちがいた。
このうちとても気が利いていてデリケートな翳りのある曲を書いていた荒井由美は、その後その翳りを捨てて「日本の恋愛のカリスマ」となった。一番エキセントリックだった矢野顕子は、意外にも、広くポピュラリティを獲得して「日本のお母さん」のような存在になった。
美声で歌がうまくて一般受けしそうだったのが吉田美奈子と大貫妙子。この二人は、小さなブレイクはあったものの、結局今ではツウ好みで、知る人ぞ知る存在になってしまったというところだろうか。

大貫妙子に対する私の個人的なイメージは、おとなしくて内向的で、オシャレなものに憧れる「夢見る女の子」といった感じ。思春期の女の子の大半はこんな「夢見る女の子」なのではないのだろうか(よく知らないけど)。だから、大貫妙子はそんな女の子たち、そしてまた、かつてそんな「夢見る女の子」だった女性たちに根強く支持されているのではないかと勝手に想像している。

でも「夢見る女の子」がしばしばそうであるように、大貫妙子の詞の世界には、いつも自意識過剰気味で、そのためにどこかちょっと調子が外れているようなところがある。
彼女の歌はしばしば短編小説のようだと言われる。ストーリーを感じさせたり、ストーリーの中の情景を浮かび上がらせるからだ。けれど、よく聴くとその詞は、たいていどこかがほころんでいて、きちんとつじつまが合っていない。

彼女の初期の名曲「愛は幻」。まちがいなく彼女の代表曲のひとつだ。けれど、その詞は抽象的過ぎるのか、あるいは雰囲気だけで言葉を選んだのか、そのどちらかとしか思えない。何のことを歌っているのかさっぱりわからないのだ。
そして何と言ってもいちばんヘンテコなのは、ソロ2作目のアルバムに入っている「くすりをたくさん」という曲。
「薬をたくさん/選り取り見取り/こんなにたくさん/飲んだら終わり」 (「くすりをたくさん」)
シニカルな批評をコミカルに装っているのはわかる。でも、ユーモアのピントが合っていないので、どこで笑っていいのかわからない。つまり思いっきりスベってしまっている。

かつて大貫妙子はそんな自分の歌詞について次のように語ったことがある。
「やっぱり映像的な表現は、どんな曲であれいつも意識してます。歌詞がつくのは一番最後なんですよ。まずメロディがあってサウンドがあって、(中略)。 そこに乗せるべき言葉を捜していく。」 (『レコード・コレクターズ』19977月号大貫妙子特集 p64
なるほど、彼女の場合、歌詞はメロディやサウンドに従属し、または派生するものなのだった。だから、断片的だし、ところどころでつじつまが合わないのか。と、これを読んで私は納得したのだった。


<アルバム 『Aventure(アヴァンチュール)』のこと>

私が好きな大貫妙子は、「ヨーロッパ三部作」の頃の彼女だ。もっと正確に言えば1980年のアルバム『Romantique(ロマンティーク)』以降の擬似ヨーロッパ・テクノ路線の頃。オシャレなヨーロッパへの憧れが、澄んだ透明感のある声とテクノ・サウンドによってキラキラと輝いていた。中でもいちばん好きなのが、1981年の『Aventure(アヴァンチュール)』だ。

このあいだ矢野顕子のテクノ期の作品を久しぶりに」聴いた。そうしたらこの頃の、つまりYMO期の坂本龍一のアレンジャーとしての仕事ぶりにあらためて感心させられた。そして矢野顕子のアルバムと並んで、この時期の坂本の仕事として印象深いのが大貫妙子のこの作品『Aventure(アヴァンチュール)』なのだ。
語りかけるように歌う清潔で透明感のある声。その声とクールなテクノ・サウンドの取り合わせがじつに気持ち良い。

この時期の大貫妙子のヨーロッパ路線は、私に言わせると「女性雑誌的」だ。透明で清潔感があってオシャレで品がよい。肉体感を感じさせず、あくまで女性向けという感じ。そこがちょうど女性雑誌のページみたいだ。ピカピカで気が利いていて明るい。
だが女性雑誌は、オシャレで知的で気取っているけれど、結局その底は浅くて根はミーハーなものだ。じつはそんな点まで含めた上で大貫の歌は「女性雑誌的」だと思うのである。
矢野顕子の歌には人の日常を通して人間を見据える強い目線があった。荒井由実の歌詞には日常を瞬間輝かせる天才的な閃きがあった。大貫妙子の歌には、残念ながらそういう彼女独自の視点やマジックはない。だからどうしてもスタイルに流れてしまいがちなのだろう。

Aventure(アヴァンチュール)』で良いのは何といってもA面とB面の各1曲め。つまり「恋人達の明日」と「チャンス」。
 軽やかに弾むポップでテクノなさサウンドにのる透明な声が素敵だ。
アルバム冒頭の「恋人達の明日」は、大貫自身と竹内まりやとepoという豪華コーラス陣による弾けるようなコーラスでいきなり始まる。このコーラス・サウンドにのって歌われるのは受身だった女性の軽やかな決意だ。
「髪を短く」して「もう高いヒールははかない」ことにした主人公。昔の恋人「あなた」とは「すれ違ったままでサヨナラ」。ひとりで明日に向って歩いていくことに決める(「」内は歌詞から引用)。この主人公の軽やかでさわやかな足取りが、軽快なサウンドにぴったりだ。

「チャンス」もまた軽快なリズムの曲なのだが、こちらは歌詞がかなりザンネン。自意識過剰なのだ。シックな黒のドレスを着た主人公。カフェでこの主人公に注がれる見知らぬ男性「あなた」の強い視線。「あなた」は私を好きなのだろうか。店を出た私を「あなた」が追いかけてこないのはなぜ。こちらから声を掛けた方がよかったのかしら。と、悩む歌。こうやって要約していても気恥ずかしい他愛ない内容だ。
 それでもとにかく弾むサウンドは軽やかで気持いい。

このアルバムで他に良いのは、「.愛の行方」と「最後の日付」。どちらも翳りのある曲調で、大貫妙子の透明な声はまさにこんな曲にしっくりくる。切ない大貫の歌を、坂本龍一のドラマチックなサウンドが包み込む。坂本のピアノとプロフェットの演奏もつぼを得ている。
ところで、「愛の行方」のエンディング近くのインストゥルメンタル・パートは、翌年(1982年)に坂本が書いた映画「戦場のメリー・クリスマス」(公開は1983年)のメイン・テーマに流用されていると思うのだがどうだろう。
それから「最後の日付」の演奏陣は、YMOの3人と鈴木茂というなかなかの豪華メンバー。ただしこのメンツから想定されるようなサウンドではないけど。

ただし坂本龍一のアレンジした曲がどれも良いというわけでもない。南欧ロマン紀行シリーズ(と私が勝手に呼んでいる)の「アヴァンテュリエール」と「テルミネ」は、まさに「女性雑誌的」だ。甘くて軽くて今ひとつ。
このアルバムのその他の曲もどれも今ひとつ。

.Samba de mar」のグルーブ感のないサンバのリズム、「グランプリ」のシネ・ジャズ・アレンジ、そして「la mer,la ciel」のジャズ・ボッサ、とどれをとってもちょっと安っぽくて薄っぺらな感じがある。だから今聴くとかなり古臭くなってしまっている。
  「.ブリーカー・ストリートの青春」だけはちょっと異色だ。
舞台は急にヨーロッパからニューヨークに飛ぶ。グリニッチ・ビレッジに集う若者たちのまさに青春を描いた歌。サイモンとガーフアンクルの曲「ブリーカー・ストリート」にも通じる若くて純な若者たちの姿が愛おしい。
けれど何となくこの曲だけこのアルバムの中で浮いてしまっていて収まりが悪い感じだ。

<おわりに>

いろいろ悪口みたいなことを書いてしまった。
でも何のかんのと言っても私はこの人の佇まいが漂わす生きていくことに対する不器用さやぎこちない感じが好きなのだ。
大貫妙子は、高校生の頃、美大に進学して将来は陶芸家を志望していたそうだ(『レコード・コレクターズ』19977月号大貫妙子特集のインタヴュー)。その理由は、「一生続けられてしかも人に会わずにできる仕事というのにつきたい」と考えていたからだという。この気持は、私にもよくわかる。こういうタイプの人は、要領よく生きていくのが得意じゃないのだ。
その不器用さゆえに、この人のサウンドや歌詞やアルバムのつくりには、いつも何だかぎこちない感じがあるのだと思う。

このあいだたまたまNHKのFMをつけたら大貫妙子みたいな歌が聴こえてきた。声質や曲の感じが大貫妙子にすごく似ている。でも声が若いし、ギターの弾き語りで歌っていた。聴いているうちにどんどんその歌の世界に思わず引き込まれてしまった。
それは青葉市子という若いシンガー・ソングライターのライヴだった。クラシック・ギターを弾きながら歌うところがちょっと異色だが、このギターがものすごく上手い。ときおり教会音楽のようなヨーロッパの中世を思わせる響きになる。大貫妙子系の透明な声質と、このギターの響きが相まって、深くて存在感のある歌の世界を作り出していた。こういう深さは大貫妙子の歌には、ついになかったものだ。
こんなきらきらときらめく才能を持った若手が出てきて、大貫妙子も大変だろうな。もっとも彼女のことだから、べつにそんなこと意識しないで、これまでと変わらず淡々と生きていくのだろうけど。


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