2012年3月24日土曜日

ジョアン・ジルベルトのサード・アルバムを聴いた

 またまた久しぶりにCDを買った。最近やっとCD化されたジョアン・ジルベルトのサード・アルバムだ。
CDを買うのは、じつに久しぶり。以前ここで紹介したエマーソン・レイク&パーマーのライヴに続いて今年になってから2枚目だ。
「隠居」する前は、たまに東京に行くとユニオンとタワ・レコをまわって、毎回10枚くらいは買っていたのだが……。しかし、吟味してじっくり聴くのも楽しいものだよ。

ジョアン・ジルベルトは、ブラジルの歌手、ギタリストで、言うまでもなくボサ・ノヴァの創始者。そのジョアンの初期のオデオン・レコード時代のアルバムが、ここ何年か順番にCD化されている。リマスターで高音質は当然として、さらにボーナス・トラックがてんこ盛り(正直ちょっとわずらわしいくらい)の仕様だ。
ファースト・アルバム『想いあふれて』とセカンド『愛と微笑みと花』がこれまですでに発売されているが、この度サード・アルバムの『ジョアン・ジルベルト』がついに発売された。これでめでたく「初期3部作」と呼ばれている名盤3枚が出そろったことになる。
この3作をまとめた内容の『ジョアン・ジルベルトの伝説』が以前出ていた(現在は廃盤)。これも一応持ってはいるのだが、やっぱり本来の形がいいよね。
今回CD化された3枚目『ジョアン・ジルベルト』のLP発売は1961年。なんと今から50年も前のアルバムだ(もしかして50周年記念のCD化なのかな?)。しかし、これは驚くべきことだけど、まったく古臭さを感じさせない。超コンテンポラリー・ミュージックだ。
いくつか有名曲も入っているが、中でも「Saudade da Bahia(バイーアの郷愁)」や「Insensatez (お馬鹿さん)」などはやっぱり心を打つ名曲。ジョアンの本来の魅力を満喫できる名盤だと思う。

たしか1990年代に何度目かのブラジル・ブームがあった。
ボサ・ノヴァの旧譜がたくさん復刻されて、それをきっかけに私もずいぶん聴きあさったものだ。
ボサ・ノヴァからサンバ、MPB(ブラジリアン・ポピュラー・ミュージック)へと、わくわくしながら興味はどんどん広がっていった。ブラジルのポピュラー音楽はじつに奥が深い。カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、ジョイスからマリーザ・モンチまで、いいアーティストがたくさんいる。それぞれに好きなのだが、やっぱり最後はいつもジョアン・ジルベルトに還ってくることになる。

余談だけど、ちょうどブラジル音楽をさかんに聴いていた頃、水戸にブラジル料理の店があって、そこでブラジルの肉料理<シェラスコ>を食べたことがある。これは長い串に刺して焼いたいろいろな肉(牛が中心で豚、鶏もあり)の塊を、順にウェイターが串ごと客席にもってきて目の前で削ぎ切りにして取り分けてくれるという料理だ。
次から次へと串刺しの肉が運ばれてくる。ストップしない限り、料理は終わらない。どれもこれもいかにも旨そうなので、ついつい食べ過ぎてしまうことになる。結局死ぬほど満腹になって遠いブラジルを体感したのだった。

ジョアン・ジルベルトのアルバムは一応だいたい持っている。まあ寡作の人だから、そんなにたいした枚数ではない(でもこの内の何枚かは、ジョアン・ファンの知人Nさんが譲ってくれたものだ。Nさんどうもありがとう)。それらの中で最高傑作はやっぱり世評のとおり初期の3作だろう。
その後、年を経るにつれてジョアンのヴォーカルは、だんだんとぼそぼそとめりはりがなくなっていく感じがある。これは歳を重ねたことによる「味」というより、私にはどうしても「衰え」としか聴こえない。
たとえば、2000年のアルバム『ジョアン 声とギター』で、デヴュー曲の「シェガ・ジ・サウダージ(想いあふれて)」をセルフ・カヴァーしている。これを40年前のオリジナルのヴァージョン(ファースト・アルバム収録)と比べてみると、もう圧倒的にオリジナル版の輝きが違う。
「初期3部作」で聴ける若いジョアンの歌と演奏は、みずみずしくはつらつとしている。ボサ・ノヴァに特有のつぶやくような歌い方ではあるが、めりはりが効いていて、何より声にはりとつやがあってきらきらと輝いている。
ここで念のために言っておくと、ボサ・ノヴァの特徴のように誤解されているアストラッド・ジルベルト(ジョアンの元の妻)のような不安定な歌い方は、ジョアンにはまったくない。アストラッドは素人なのだから問題外だ。

1959年から61年にかけて3部作を吹き込んだ後、ジョアンはブラジルを離れアメリカに渡った。アメリカでは63年に例の大ヒット作『ゲッツ/ジルベルト』を吹き込むことになる。もうこの時点で、ジョアンの歌はブラジル時代とは微妙に変化している。
もっともこのアルバムには、そもそもミス・マッチ感がある。クール・サウンドが定評のスタン・ゲッツのサックスは、ジョアンやアントニオ・カルロス・ジョビンによるさらにクールなボサ・ノヴァ・タッチの前では、何だかひどく大仰でウェットに響いてしまうのだ。ジョアンもこのとき、「ゲッツはボサ・ノヴァをわかっていない」と言ったとか。

この後70年に発表した『彼女はカリオカ』とか73年の『三月の水』(いいアルバムだ)あたりからは、本来のボサ・ノヴァから離れていく。
ボサ・ノヴァの創始者であるジョアンは、自身ではまったくそのことにこだわらない。ボサ・ノヴァ以前の古い曲から、同時代の若いミュージシャンの曲まで取り上げて、心の赴くままに歌い続けている。しかもなお彼の歌の世界は、ワン・アンド・オンリーなものである。ジョアン・ジルベルトは、まるでブラジルのボブ・ディランだ。

それでもなお彼の「初期三部作」は特別の意味を持つ。それが、やがてボサ・ノヴァから離れていくジョアンにとっての純粋ボサ・ノヴァ・アルバムだからではない。そうではなくて彼の全キャリア(今も続いているわけではあるが)の中でも、彼の歌と演奏がもっとも輝いているアルバムだからである。

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