2012年6月23日土曜日

実食「一汁無菜」 ふりかけでご飯

 「一汁無菜」を実践するシリーズの2回目は、ふりかけだ。

ダイエットの時代である。そしてまた、健康志向の時代でもある。つまり、現代人は、カロリーの高い炭水化物であるお米を、なるべく食べないよう食べないように毎日生活しているのだ。食事のとき、おかずだけ食べ、ご飯は食べないなんていう人もたくさんいる。
そんな時代に、はたしてふりかけというものは居場所があるのか。だって、ふりかけって、ただひたすらご飯をたくさん食べるためのものでしょ。おかずはなくなっちゃったけど、もう少しご飯を食べたいな、なんていうときに登場するものではないですか。

今回私が食べようとしているのは永谷園の「おとなのふりかけ」である。「おとなのふりかけ」はこんな時代なのに、ロング・セラーの大ヒット商品なのだという。不思議だ。
私の場合、今回のためにわざわざ買ってきたのではなく、じつは賞味期限の切れてしまったものが手元にあったのだ。これを何とか消費しなくちゃ、と思って今回の試みとなったのである。
何で賞味期限が切れるまでほうっておくようなものを、そもそも買ってくるのか。やっぱり、ふりかけって魅力あるんだよね。
スーパーで見かけると美味しそうで、つい買ってしまう。でもいざ買っても、なかなか出番はない。なるべくご飯を食べないで、その分おかずをいろいろ食べるように心掛けているわけだからね。
他のお宅はどのようにふりかけを消費しているのだろうか。

さて今回のメニュー紹介。
ご飯は前回同様、茨城産の「あきたこまち」1.5合を炊飯器で炊く。お米は安物だが、何といってもあつあつの炊きたてだ。1.5合は、私のお茶碗で軽く四杯分に相当する。
 私はご飯には日常的に黒ごまを振っている。前回の梅干のときもこれだけは振らせてもらった。しかし、今回はふりかけを味わうという趣旨だから、当然黒ごまはお休みだ。
 味噌汁は、味噌がいつものマルコメ君。今日の具材はたまたまとうふとわかめだ。

ふりかけは永谷園の「おとなのふりかけミニその2」。これは、五種類のふりかけの小袋の詰め合わせだ。五種類とは、梅ゆかり、かつおみりん、明太子、鮭青菜、鶏たまごそぼろ(現行品は肉味噌にんにくにチェンジ)。ネーミングだけでもおいしそうだ(それでつい買ってしまったわけだが)。
これとぜんぜん違う内容組み合わせの「おとなのふりかけミニその1」というのもある。いずれの味も通常タイプ、つまり単品で販売しているものにはない種類なのはちょっと不思議。
それぞれの味が四袋ずつ、計20袋入っている(もう手をつけたので、減っているけど)。小袋は縦8センチ、横6.5センチの大きさ。たぶん一袋でご飯一杯分ということなのだろう。今回ご飯が四杯だから、小袋四袋で足りるだろうと想定。

なお、当然のことながら栄養のバランスには、今回もとりあえず目をつぶっている。ただものがふりかけなので塩分はちょっと気になる。
栄養成分を見てみると小袋一袋の塩分は0,3グラム。四袋だと1.2グラムということだ。味噌汁の塩分は一杯で約1グラムだから合計すると2.2グラム。
一日の塩分摂取量の基準は男性だと10g未満とされている。ということは一食3.3グラム。何とかクリアーだけど、これで別におかずがあったらかなりきびしい。でも実際は、おかずがちゃんとあれば、ふりかけの出番はないんじゃないの。

それではいよいよ実食。
味噌汁を汁椀につける。今回も味噌汁はこの一杯きりで、お代わりはない。
ご飯をお茶碗によそう。今回は一杯にふりかけ一袋だから、前回以上に、四杯が均等(120g)になるよう心掛ける。
ふりかけは残っていたものの中から「明太子」を選んだ。
袋の口をあける。ここで、袋から少しずつご飯にかけながら食べるか、それとも最初に全部かけてしまうかちょっと迷う。ご飯に満遍なくなく行き渡らせるにはどちらがよいか。で、結局勢いでいっきに全部ご飯の上にかけてしまう。少し多い感じがする。
ふりかけの粒は、海苔を除いてかなり細かい粉末状だ。もうちょっと粒が大きい方が美味しそうだと思うのだが。この細かい粉末が、ご飯のまん中に小さな赤い山になる。これをご飯の表面の全体にお箸で散らそうとするが、ご飯の粒にくっつくのでなかなか均等にはできない。だがまずこれで、準備完了だ。
食卓の上にはふりかけのかかったご飯のお茶碗と味噌汁のお椀とお箸だけ。傍らには、出番を待つふりかけの小袋がいくつか。「一汁無菜」感が全開である。

味噌汁を一口、二口、三口と飲む。そしてご飯。しまった、味噌汁の味で食べるために、ふりかけを全面に広げないで、白いご飯を残しておけばよかった。ふりかけのついたご飯を口に運ぶ。明太子のかすかな風味とかすかな辛さ。本物の明太子を食べているのではないのだからそもそも無理な話だが、明太子の味が物足りない。
ご飯を箸ですくうと、そこに下の白いご飯が顔を出す。その部分を周辺のふりかけのついたご飯と小さく混ぜる。口に入るご飯にはなるべくふりかけがついているようにしたい。
三口くらいふりかけのついたご飯を口に入れ噛んでいると、ご飯の旨みに負けて、ふりかけの味が薄く感じられてしまう。これでは物足りない。

そこで、そこからはふりかけの多めについた部分とついていない白い部分を交互に食べることにした。こうするとある程度ふりかけの味を味わうことができる。しかし、十分に堪能するためにはかなり多めにかける必要があるようだ。
そうこうしているうちにご飯が少なくなる。もうふりかけのついていない白いご飯が大半だ。そこで、味噌汁の力を借りて、一杯目を食べ終える。意外にもふりかけの「おかず力」はさほどでもないことがわかった。
二杯目をよそい、次のふりかけの封を切る。ふたつめもまた「明太子」にする。反省して、袋から少しずつご飯にかけることにした。あるところに集中的にかけ、その部分のご飯を口に入れて味わう。その後、白いご飯を一口、二口と口に運んで口直ししつつ今度はご飯の旨さを味わうといった具合だ。

この方式で食べていると、ふりかけ小袋二袋(三袋目は鮭青菜にした)で残りのご飯三杯が食べられた。
お腹は程よくいっぱいになったが、美味しいものを食べたという満足感は今ひとつ。やはりふりかけは、そのものの味も弱いし、その分、ご飯の旨さを引き出す力も弱いのではないかと思った。
ふりかけは所詮「添え物」。「主菜」があってこそ存在意義があるのでは…というのが今回の結論。

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