2013年3月25日月曜日

豆腐丸ごと一丁丼

「豆腐丸ごと一丁丼」というものがある。名前からして何とも豪快である。漫画家でエッセイストの東海林さだお氏がエッセイの中で紹介している丼である。その文章はその名も「豆腐丸ごと一丁丼」(『ホルモン焼きの丸かじり』朝日新聞出版 2009年)。
東海林氏は次のようにこの食べ物を描写している。
「飴色に染まって、いかにもようく味がしみ込んでいそうな丸々一丁の豆腐が、ずしんと丼のゴハンの上にのっかっている」

これは日本橋にあるおでんの老舗「お多幸本店」の名物メニューだそうだ。それがグルメ雑誌の丼物特集のグラビアで紹介された。東海林氏はそのいかにも旨そうな姿を見てどうしてもこれを食べたくなり、自分で作ってしまったのだという。店に食べに行かないで、自分で作ってしまうというところがいい。

それにしてもこのグラビアを見たときの東海林氏の感想が例によって可笑しくも素晴らしい。東海林氏はこう書いている。
「異様であり、素朴であり、存在感があり、迫力があって、しかし見ているとつい笑ってしまうという丼」
さらに一丁の豆腐が丼の上に少しはみ出すようにのっている様子を見て次のようにも語る。
「ただそれだけの丼なのだが、“ただそれだけ”というところがおかしい。(中略) “はみ出している”というところもおかしいが“それでもかまわぬ”としているところもおかしい」
私は東海林さだお氏の食べ物エッセイを愛読している者だが、つねに独自の視点と表現法で語っている点にいつも敬服させられる。上の描写などはまさにそんな彼の面目躍如といった感じだ。

さっそく「豆腐丸ごと一丁丼」をネットで検索してみたが、そういう名前のメニューは見当たらない。後で知ったが、「お多幸本店」におけるこのメニューの正式名称は「とうめし」というのだった。「とうふめし」から「ふ」を省力したとものと思われる。
つまりこれが「豆腐丸ごと一丁丼」となったのは、東海林氏がエッセイのタイトルとしてちょっとひねってみたものらしい。このセンス、うまい。

そこで当然私も自分で作ってみることにした。
東海林氏の見たグルメ特集のグラビアの横にはこんな解説があったという。「喉が渇くほど甘じょっぱいおでんのつゆが、淡白な特注の木綿豆腐と好相性」云々。おでんのつゆは甘じょっぱくないから、この説明はどう考えてもヘンだ。たぶん煮物で使う甘辛の煮汁が使われているのだろう。
東海林氏はこの説明文の「甘じょっぱい」という表現や、グラビアの豆腐が色濃く煮上がっている様子から、蕎麦つゆに砂糖や調味料を足してかなりしょっぱめの煮汁を作っている。ただしその配合の割合は記されていない。

ネットで「お多幸本店」の「とうめし」の画像を見ると、なるほどけっこう濃い色に染まっている。これはやはりおでんなんかじゃない。
なおクック・パッドにこの東海林氏の作り方をレシピに落としたものがあった。そこで紹介されている煮汁の配合は、めんつゆ(3倍濃縮)30cc、水 90cc、醤油大さじ1、本みりん 大さじ1 となっている。しかし、これだと煮汁の分量は合わせて150ccにしかならない。これでは豆腐が煮汁に浸りきらないだろう。
 私の場合は、試行錯誤の末次のような配合になった。
めんつゆ(2倍濃縮)カップ1と1/4250cc)、水 カップ1(200cc)、砂糖大さじ2、みりん 50ccといった感じだ。
めんつゆ250ccというともったいないようだが、豆腐を煮た後、捨てずに煮物などに使っているのでまったく無駄にはならない。

この煮汁で丸ごと一丁の豆腐を煮るのだが、形が崩れるので途中でひっくり返すことが出来ない。となると煮汁に豆腐が完全に浸っている必要がある。しかもここが問題なのだが、煮上がった豆腐を崩さないように取り出すため、フライ返しのようなものを差し込まなければならない。そのために豆腐よりひとまわり大きめの鍋を使う必要がある。そのためかなり大量の煮汁が必要になるのだ。
東海林氏はフライ返しを使ったようだが、私は取り出し方を工夫して豆腐が入るぎりぎりの大きさの鍋で煮ることにした。それでも、上記のように500cc近い煮汁が必要なのだ。

さてこの煮汁で、豆腐を煮るわけだが、これがまたなかなかに手間のかかる作業なのだ。
東海林氏は、10分煮ては火を止めて温度を下げ、また火をつけては冷ますということを五回ほど繰り返したという。御承知のとおり煮物の味は、火を止めて温度が下がっていくときにしみこむものだからである。
こうしてついに豆腐の全体が飴色に染まったということだ。

私もこれにならい10分ほど煮ては冷ましてみた。しかし、小鍋とはいえ、いったん煮立った鍋の煮汁の温度はなかなか冷めないものである。完全に冷めるまでだと2時間はかかる。
そこまで冷ます必要はないのだろうが、できるだけ味をよくしみこませて美味しい豆腐にしたい。
そうなるとと単純計算で2時間×5回、つまり完成まで10時間はかかることになる。私の場合、一回煮立てるとその後半日くらい放置したりするから、何のかんので完成に1日半はかかってしまう。簡単、単純にして何と壮大な料理なのだろう。

そしていよいよ煮上がった豆腐を取り出すことになるわけだが、これがかなり難しい。せっかくここまで豆腐の形を崩さないできたというのに、フライ返しで取り出そうとすると端が欠けたりしてしまうのである。
何回かの失敗の結果、思いついたのが以下のような方法である。木製の取っ手のある落し蓋を使うのだ。この落し蓋で豆腐を押さえながら鍋を傾けて大きなボールないしは鍋に煮汁をあける。さらにそのまま鍋を完全に逆さにして、その落し蓋の上に豆腐を乗せてしまうのだ。それを丼によそったご飯の上にそっと乗せる。
木製の落し蓋は豆腐のすべりが悪いので、いったん平らなお皿に移し、その上で丼の上に滑らせるようにのせてもよい。これでできあがりだ。
なお先に書いたように、ボールにあけた煮汁は煮物などに再利用可能だ。

丼のご飯の上にのった丸ごと一丁の豆腐という景色は、何とも壮観だ。東海林氏の言うとおりまさに「異様であり、素朴であり、存在感があり、迫力がある」
私は米を1合炊いてそれを中くらいのラーメン丼に全部よそい、その上に豆腐をのせている。米1合を炊いたご飯は約320グラムで、豆腐の重さが300グラム。ご飯とそこにのっているものとがほぼ同じ重さということになる。

なお私はご飯をなるべく汚したくない反ツユダク派なので、煮汁はかけない。またこれは「お多幸本店」や東海林氏のレシピにもないのだが、私は豆腐の上に薬味として刻みネギと七味を散らしている。
ではいよいよ食べ始める。ラーメンの丼を使っているのは手頃な丼物用の丼がないためだが、結果的にこの器の上が開いた形がとても具合がいい。豆腐が完全にご飯をふさいでしまわずに、豆腐の横からご飯がのぞいているからだ。この場所を利用して豆腐を少しずつ崩しては、ご飯と一緒に口に運ぶのである。

煮汁はかなり濃厚だが、豆腐はそれをふんわりと受け止めてじつにふくらみのあるマイルドな旨さになっている。豪快な見かけとはうらはらだ。食感は、意外としっかりしていてほろほろと崩れていくようなことはない。箸で崩しては、ご飯と一緒にほおばる。
東海林氏も指摘しているように、煮汁のしみ込みが中心にいくほど薄いので、味の変化が楽しめる。
それでも味が一様に感じられるころ、薬味のネギと七味がピリッと口内を刺激し、味覚をリセットしてくれるのだ。

だんだん夢中になってかっ込んでいる。至福のひと時だ。そしてあっという間に食べ終わってしまう。ようし、また作ろっと。

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