2013年3月11日月曜日

フード・ブレイン『晩餐』 『新宿マッド』

フード・ブレインは1970年のごく短い期間だけ活動したバンドだ。1960年代から70年代へという日本のロックの変わりめで、閃光のように一瞬の輝きを放ち、そのまま歴史の狭間に消えていった。
メンバーは陳信輝(ギター)、柳田ヒロ(キーボード)、加部正義(ルイズ・ルイス・加部 ベース)、角田ヒロ(つのだひろ ドラムス)の四人。70年の5月にステージ・デヴューし、同年の10月に唯一のアルバム『晩餐』を発表して解散している。

フード・ブレインのアルバム『晩餐』は、ヴォーカルなしのインストゥルメンタルのロック・アルバム。音楽性は本格的なハード・ロックで、前衛的あるいは実験的な面も併せ持っている。商業性を度外視したような姿勢が私にはとても好ましい。
なお近年になってバンド結成前夜に録音された映画のための音楽がCD化された。この映画は若松孝二監督の『新宿マッド』。ベースが加部ではなく、石川恵でのセッションだ。

1970年当時、ちょうど私はロックを聴き始めたばかりの頃だったが、残念ながらこのバンドをリアル・タイムでは聴いていなかった。今思い返すと、何とも残念なことだ。しかし、当時の多くのロック少年がそうであったように、私もハード・ロックに関しては完全に海外のバンドの方を向いていた。日本のバンドに注意を払うような余裕などなかったのだった。

今あらためてフード・ブレインの音を聴いてみると、彼らの演奏のセンスとテクニックが世界水準に達する優れたものであったことがわかる。しかしもっと面白いのは、彼らの音楽が当時の海外のロックの「エキス」を濃縮したもののように聴こえることだ。
彼らが海外のバンドの方を向いていたのは、われわれロック少年たちとまったく同じだったろう。そして彼らがそこに感じたカッコよさもわれわれが感じていたのと同じだったはずだ。彼らはそれを自分たちの手で再現しようとしたわけだ。だから彼らの音には、当時のロック少年たちが海外のロックに感じていたカッコよさが濃縮され、ときにはデフォルメされて宿っているわけだ。

フード・ブレインの『晩餐』の発売は1970年の10月だった。これに先立つ70年の8月にははっぴいえんどの『(通称)ゆでめん』が発売されている。この二つのアルバムは、既成の価値にとらわれない自由な精神(それがつまりロックの精神だ)を共有しながら、正反対の方向を向いている点で好対称の一対という風に私には映る。
正反対の方向とは、フード・ブレインがブリティッシュ・ロックをベースにしたシリアスで硬派なハード・ロック・バンドであるのに対し、はっぴいえんどが内省的なアメリカのウエスト・コースト・サウンドを日本風に取り入れようとしたバンドであることだ。
日本のロックの二つの流れが、1970年のこの辺りで交錯していたのだ。翌年の4月に発表された『ニューミュージック・マガジン』誌の70年度のNMMレコード賞日本のロック部門では、はっぴいえんどの『ゆでめん』が第1位に、フード・ブレインの『晩餐』が第4位になっていた。ちなみに、第2位は遠藤賢司『niyago』、第3位はクニ河内と彼の仲間たちの『切狂言』だった。

1968年頃から現れた自作自演の批評精神豊かなフォークがはっぴいえんどに流れ込み、その後ニューミュージックという形で花開く。それはやがてメジャー化していくと同時に大きく変質していくことになる。
しかし結局、時代ははっぴいえんどの方へと傾斜していったことになる。そうして結果としてそうなってみると、それ以外の流れなどまるでなかったように歴史は記憶の中で整序されてしまうのだ。フード・ブレインもそんな歴史の谷間に忘れ去られてしまった存在と言えるだろう。

だから、いまさら日本のロックの歴史におけるこのバンドの重要性を謳い上げても始まらない。今につながる流れにはなり得なかったのだから。彼らの音は彼らを好む個々の人々の心の中で響いていればそれでよいのだとも思う。彼らの音を好む人々は、たぶん時代を経ても次々に現れるだろうから。

しかし取りあえず70年代の初頭、フード・ブレインのDNAは三つに枝分かれして受け継がれていくことになる。すなわち柳田ヒロの初期のソロ・ワークと、陳信輝のスピード・グルー&シンキと、そして角田ヒロの加わったストロベリー・パス~フライド・エッグにおいて。

以下フード・ブレインのアルバムについて簡単にコメントしてみる。


□ フード・ブレイン『晩餐』

アルバム全体としては柳田ヒロのオルガンの奔放さと、加部正義のベースのうねり具合がとくに印象に残る。
また陳信輝が、破天荒というよりもむしろ頭脳的 知的プレイヤーであることをあらためて強く実感させられた。

ライナーによるとこのアルバムは角田のスケジュールの都合で、たった二日間で録音されたという。
このアルバムの収録曲数が少ないのは、もしかするとそのせいかもしれない。何しろ、つなぎ的な短い曲とフリー・フォームの「穴のあいたソーセージ」を除くと、曲らしい曲は4曲のみだ。
しかし、短時間での録音というハンデが、逆に吉と出て密度の濃い演奏になったものと思われる。

またつなぎの短い曲をいくつも入れたのも、少ない曲数をカヴァーするための苦肉の策だったのかもしれない。しかし、これもアルバム全体に知的な陰影をもたらすという良い結果を生んでいる。

以下、各曲について。

「ザット・ウィル・ドゥ(That Will Do)」
一曲目からバンドはいきなり疾走している。
ホンキー・トンク・ピアノ入りのイントロのカットアップの後、ブリッジに続いて始まる柳田ヒロの奔放なオルガン・プレイに引き込まれる。
うなりをあげるベースの上で延々とハモンドが暴れまくる。そのワイルドさは、ジョン・ロード以上でキース・エマーソンに迫るほどだ。ときどき絡んでくる角田ヒロのドラムスもタイトに引き締まっていてよい。
後半オルガンと入れ替わりに登場する陳信輝のギターはじっくりとうねるような展開だ。かなり知的な印象で、フランク・ザッパを思わせる。
結局この曲がこのアルバムのベスト・トラックだ。

M.P.B.のワルツ」
オルガン・ソロのための曲。延々と続くオルガンの音色は、柳田が影響を受けたというドアーズのレイ・マンザレク風。ということはつまりヘヴィではなくて、あくまでも軽快でカラフルということ。で、あまり面白くない。曲としても盛り上がらなくて今ひとつ。
ところでこの「M.P.B.」って、やっぱりブラジルのポピュラー音楽のことなのだろうか?あとでサンバも出てくるし。

「レバー・ジュース自動販売機」
いくつものパートがたたみかけるように目まぐるしく入れ替わる構成の曲。もうちょうと曲としての展開が欲しかったところ。

「目覚し時計」
これも「冒頭の「ザット・ウィル・ドゥ」同様、うねるリズム隊の上で、オルガンとギターのソロが続くジャム・バンド的展開だ。勢いのあるオルガンのソロが素晴らしい。

「穴のあいたソーセージ」
このアルバムの中でも最長の15分間にわたって繰り広げられるる無調のアブストラクト空間。ゲストに木村道弘のバス・クラリネットが入ってほとんどフリー・ジャズ的な感触だ。
緊張感が途切れることのない密度の濃い演奏。やはりこの人たちはタダモノではない。
ちなみにこのアルバムの印象的なゾウのジャケットは、このバス・クラの木村がデザインしたものとのこと。

「禿山」、「カバとブタの戦い」、「片想い」、「バッハに捧ぐ」
この4曲はどれも1分に満たない短いもの。上記の5曲の間のつなぎのような役割を果たしている。
だが、これがどれも気が利いている。とくに「カバとブタ…」で、サンバを持ってくるところなどセンスのよさに脱帽だ。


□ フード・ブレイン『新宿マッド』

これは『晩餐』録音の数ヶ月前に録音されたものだ。若松孝二監督の映画『新宿マッド』の音楽のためのセッションである。
この映画の封切りは1970年の4月。フード・ブレインの初ステージは70年の5月だから、CDの湯浅学氏のライナーにもあるとおり、この録音の時点ではまだフード・ブレインは結成されていなかった。
映画のオープニング(ユー・チューブで見ることが出来る)のスタッフ・ロールでも、音楽の担当には四人の個々の名前が並んでクレジットされていて、「フード・ブレイン」の名はどこにもない。
しかし、このセッションに参加した4人の内、ベースの石川恵を除いた残り、すなわちギターの陳、ピアノの柳田、ドラムスの角田の3人がのちにフード・ブレインとなったので、このアルバムもフード・ブレイン名義となったものらしい。
なおフード・ブレインのベースには、このセッションの石川恵の代わりに陳の旧知の加部正義が起用されるわけだが、石川の方はその後、柳田ヒロのソロ・ワークに参加している。

このアルバムの内容は全11曲、曲名はなく、代わりに「M-1」から「M-10」まで、頭に「M―」をつけた数字が付されている(「M-7」の後に「M-7-2」があるので全11曲)。
内容は、パーマネントなバンドではない一時的なセッションにしては、きわめてバラエティに富んだものになっている。たぶん映画で使用されることを目的としていたためなのだろう。また、CD化に当たって曲順等もよく考えられており、1枚のアルバムとしてなかなかよくできた構成になっていると思う。
ただこの『新宿マッド』の方が『晩餐』よりも優れているというレヴューも見かけたが、私はそうは思わない。やはりこちらはアルバムとしてまとめる前提のセッションではないためだろう、『晩餐』ほどの集中力や濃密さは感じられないからだ。

中身についての感想をいくつか述べる。

とにかく冒頭1曲目の「M-6」が素晴らしい。 いきなり4人が一丸となったハイテンションの暴走が始まる。とくに鍵盤を叩きつけて暴れまくる柳田のピアノがすごい。ドラムスとベースは終始つんのめり気味。
ひとりギターの陳信輝だけは冷静にさまざまな技を繰り出している。ときおり聴こえるオリエンタルなスケールのフレーズが印象的だ。こんなところからも、陳は欧米のロックのコピーでは終わらず、自分独自のものを生み出そうとしていたことが窺われるような気がする。
この曲は文句なくこのアルバム中の最高のトラックだ。しかしこのタイプの曲がこtれ一曲しかないのは何とも残念。

そしてブルースのジャムが4曲。
「M-8」はミディアム・テンポのヘヴィなブルース。ピアノレスで、ギターが終始粘っこくてアグレッシヴなフレーズで迫る。
「M-3」はルーズでリラックスしたブルース・ジャム。ギターは本来の意味でブルージーだ。
「M-2」はアップ・テンポのジャム。クラプトンのような流麗なギターが聴ける。いちばんブリティッシュ風味を感じる。
アルバムのラストの「M-10」はスロー・ブルース。ギターのコード・ストロークにのって歌うピアノがソウルフルな味わいだ。
いずれのブルースのジャムもそれぞれに雰囲気を変えているのはえらい。

その他、残りの曲もみな曲調が違っている。
「M-1」はこの映画のオープニング・テーマとして使われていた曲。軽快でポップなピアノ中心のワルツ。

あとは以下の3曲が印象に残る。
「M-9」は2小節のシンプルなベースのリフにのって延々と10分以上も続くジャム。ピアノはさっぱり盛り上がらないが、その後でいつ果てるともなく続くフランク・ザッパ風のギター・ソロが気持ちいい。また最後のドラムのソロも、コンパクトながらセンスが光っている。
「M-4」は『晩餐』の「穴のあいたソーセージ」につながるフリー・フォームの集団即興。「穴のあいた…」同様、緊張感と密度の濃い演奏が素晴らしい。
「M-7-2」はティンパニのようなドラムと、ベースのドローン的な通奏低音の上で、ピアノが格調高くアドリヴのフレーズを紡いでゆく。まるでキース・ジャレットのようだ。アルバムの中でもかなり異色。

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