2012年10月3日水曜日

ジェネシスな季節、『フォックストロット』の日々

今年はいつまでも残暑が続いていたが、さすがに10月に入ったと思ったら、いきなり秋がめぐってきた。こういう季節になると、私の場合、何となくジェネシス(もちろん初期の)の音を聴きたくなる。あのいかにも英国的な、どんよりとくすんで薄暗い音を…。
典型的なのが「ウォッチャー・オブ・ザ・スカイズ」のイントロだ。メロトロンの少し歪んだ陰鬱な音の壁が、空から重く垂れ込めている。ところでこのメロトロンは、キング・クリムゾンが使っていたものを譲り受けたといううわさがあったが、あれは本当なのだろうか。

<『フォックストロット』の日々>

かつてジェネシスの『フォックストロット』を一日中聴いていた日々があった。
もうずいぶん遠い昔、私が学生時代のことだ。朝、眼が覚めてから、深夜、眠りにつくまで、文字通り一日中このアルバムを聴き続けた。その世界にどっぷりと漬かっていた。
当時はまだレコード盤の時代。CDのように全曲リピートということはできない。A面が終わると、ターン・テーブルのところまで行って、B面に裏返す。B面が終わると、またひっくり返してA面に。一日中これを繰り返した。
とにかく一度レコードに針を落とすとやめられなくなる。レコードを際限なく裏返して聴き続けないといられなくなってしまう。まるで魔法にでもかかったように…。一日に20回くらいは聴いていた。時間にすると16,7時間。
おかげで今でも「サパーズ・レディ」をはじめ『フォックストロット』の曲は、頭の中で隅々まで再生可能だ。

しかし私がピーター・ガブリエル期のジェネシスにのめり込んだとき、ピーター・ガブリエルはもうジェネシスから去っていた。 
そのころすでにロックを聴き始めていたというのに、ピーター・ガブリエル期のジェネシスをリアル・タイムで聴かないでしまったのだ。これは、プログレ・オヤジの人生の中でも、取り返しのつかない汚点である。
ピーター・ガブリエルが、ジェネシスをぐいぐいリードしていた頃、金のないロック少年(つまり私)は、キング・クリムゾンやELPやイエスで手いっぱいだったのだ。
それにジェネシスの音は、プログレとはいうものの他のグループとはちょっと異質だった。他のプログレ・バンドのようにハード・ロック的な要素がなかったのだ。だから飛びつくのに二の足を踏んだということもある。
だから仮にあの頃リアル・タイムでジェネシスの音楽を聴いたとしても、当時の私がその音楽に魅力を感じたかどうかは多少疑問ではある。

結局私のジェネシスへの接近のきっかけは、1977年のライヴ・アルバム『セカンズ・アウト』だった。1975年に抜けたピーター・ガブリエルの代わりに、ドラマーのフィル・コリンズがヴォーカルをとっている。
ドラマーの穴を一部の演奏で、クリムゾンにいたビル・ブラッフォードが埋めていることもあって、聴いてみる気になったのだ。
キーボード主体だがビートのめりはりのきっちりしたポップで聴きやすいアルバムだった。
今から振り返ると信じがたいことだが、「ミュージカル・ボックス」や「サパーズ・レディ」など、ピーター・ガブリエルのヴォーカルでしか考えられない曲を、後のポップ大王フィル・コリンズが歌っている。しかもガブリエルにかなり似た声て。

このライヴ盤『セカンズ・アウト』は全体としては特別に良いというほどではないが、そんなに悪くもなかった。
以後のジェネシスは、御承知のとおりポップ(&金儲け)路線を邁進していくわけで、そちらにはまったく興味はわかなかった。その代わり私の関心はそれ以前のピーター・ガブリエル期のジェネシスへと後追いで遡っていったのだった

<『フォックストロット』は完璧なアルバム>

ピーター・ガブリエルのあのしゃがれた声と芝居がかった歌い回しには、はじめからすんなりとなじめたわけではない。しかし、それにだんだん慣れていくにつれ、私はジェネシスの世界のとりこになっていったのだった。

とりわけ4作目の『フォックストロット』は完璧なアルバたった。
このアルバムの世界は閉じていて完結している。
全6曲。レコードに針を落とすと例のメロトロンの陰鬱な音が空から垂れ込めてきて「ウォッチャー・オブ・ザ・スカイズ」が始まり、4曲目の「キャンユーティリティ・アンド・ザ・コーストライナーズ」のせわしなく畳み掛けるようなラストでA面が終わる。
ひっくり返してB面の頭がスティーブ・ハケットの硬質で美しいギター小曲「ホライズンズ」。この曲に導かれるようにして静かに大曲「サパーズ・レディ」が始まる。この曲の長くて曲がりくねった道のりを、息をこらしながら辿っていく。そしてついに大団円を迎え、この上ないカタルシスの中でもうB面が終わっている。
このアルバムの世界は、暗く陰鬱で、ときに不気味に滑稽で、ときに奇想天外。寓意に満ちていて奥深く、しかも親しみやすい。

『フォックストロット』のような完璧さは、この時期の彼らの他のアルバムにも見当たらないものだ。
彼らの代表作として『フォックストロット』と並び称される3作目の『ナーサリー・クライム』にも、ライヴ盤をはさんで6作目の『セリング・イングランド・バイ・ザ・パウンド』にもこの感じはない。
『セリング・イングランド…』を最高傑作という人がいるらしいけれど、これはどう聴いても初期ジェネシスの中では例外作でしょ。
ピーター・ガブリエルが主導してやりたいように作ったという7作目の『ザ・ラム・ライズ・ダウン・オン・ブロードウェイ』も、私には今ひとつだった。
ピーター・ガブリエルと他のメンバー達全員の表現意欲がひとつになりマジカルな化学反応を起こして出来上がった稀有の一枚が『フオックストロット』だったというしかない。

当時のイギリスのバンドのほとんどすべてがソウルやRBなどの黒人音楽をルーツにしていた。けれども、ジェネシスの音楽はまったく黒人音楽とは違うところに成立している。
さらに言うと、他のプログレ・バンド、たとえばクリムゾンやELPのように、ジャズやクラシックを取り入れたりもしていない。強いて言えば、ブリテェッシュ・トラッドの香りが多少漂っているかもしれない。しかし、とにかくジェネシスの音はまったく独自のものというしかない。
黒人音楽やビートルズに触発されてスクール・バンドを始めたジェネシスのメンバーたちは、当然ポップ・バンドとしてデヴューしたわけだ。
いくらはじめ売れなかったから、もっと個性的な音楽をやろうと考えたとはいえ、そんなに簡単にこんな音楽が作り出せるものだろうか。いったいどこから、この音楽はやってきたのだろう。何とも不思議だ。

<映像で見るピーター・ガブリエルのパフォーマンス>

ピーター・ガブリエル期のジェネシスは、演劇的なステージが評判だった。当時音楽雑誌でさんざんそんな話を読まされたがそれがいったいどんなものなのかは、遠い日本にいるロック少年には想像もつかなかった。
その後も当時の彼らのステージ映像を見たいとずっと思っていた。彼らの歴史を辿ったヴィデオを何本か手に入れたが、演奏シーンは断片的なものばかりで何とも物足りなかった。
しかしこの不満は、2008年に発売されたジェネシスのボックス・セット『ジェネシス 1970-1975』を手に入れることで、やっと満たされることになる。

このボックスは彼らの初期スタジオ・アルバムをそれぞれSACDDVDの2枚組にして収録した13枚組てある。
ジェネシス・ファンとしては、当然各アルバムについてプラ・ケースの通常盤と紙ジャケの2種をすでに持っていた。それにかなり高価なブツだったので迷いに迷った末にやっと買ったのだったが(それでも中古で)、これは本当に手に入れてよかった。
DVDのエクストラ・トラックとして初期のライヴ映像(たいていは当時のテレビ番組)が収録されていたからだ。ヒストリー映像の断片的な演奏シーンの元ネタはほとんどこのあたりのものだった。

「ザ・ミュージカル・ボックス」の後半、ピーター・ガブリエルが老人のマスクをかぶり、老人の動作で歌うヴァージョンのほかに、『フォックストロット』のジャケットの例の「狐女」を、狐の頭をかぶり赤いドレスを着て演じたヴァージョンも観ることができた。
 また、「サパーズ・レディ」での衣装の転換。茨の冠、フラワー・マスク、赤い幾何学的な箱のかぶりものと黒マント、そして天使の白い衣装とライト・サーベルへ。これを何種類かの違う場所、違う時期の演奏で見ることが出来る。

初期ジェネシスの演奏風景は、まさに音から想像されるとおりのものだった。ヴォーカルのピーター・ガブリエルとドラムのフィル・コリンズ以外は、みんなうつむいて楽器に向っている。ギターのスティーブ・ハケットは、クリムゾンのロバート・フリップと同じように、いつも椅子に座ったままだ。
誰も足や体でリズムを取ったりなどしない。この辺もまったく非黒人音楽的。当然観客の方を向いてあおったりなんてこともしない。自分の世界に閉じこもり、黙々と屈折した細かいフレーズを弾き続けている。
とくにスティーブ・ハケットの「自閉」ぶりは印象的だ。ライト・ハンド奏法やハーモニックスを駆使した超絶フレーズを一心に弾き続ける。エクストラ映像に含まれたフランスでのインタヴュー・シーンでも、この人だけはまったく一言も発していなかった。

その一方で、ピーター・ガブリエルだけがステージ上を動き回る。しかし、それはけっして、他のロック・ミュージシャンのようなカッコいいというようなものではない。
まずそのメイクが異常だ。それも年とともにエスカレートしていく。最初は、濃いめのアイ・メイク程度だったのが、しだいに前頭部の中央だけをさかやきのように剃り上げ、顔面をキャンバスにして模様を描いたような感じになっていく。
そして奇妙な扮装。先にも少し触れたが、老人や狐女やこうもりや花人間や古代の剣士や、その他意味不明な格好の数々。
そしてさらに奇妙なパフォーマンス。どれも歌の内容と関係しているらしいのだが、それにしてもヘン。
たとえば、「アイ・ノウ・ホワット・アイ・ライク」の曲の前と後にやる芝刈り機を押しているポーズ。深い帽子をかぶり、わらを一本横に口にくわえ、腰をかがめて手を前に広げ、ぶるぶると振動させながらステージを往復する。歌詞を聞く前だと何をしているのかわからないだろう。他のパフォーマンスについてもだいたい同じようなことが言える。

そしてこのようなメイクや扮装も含めたエキセントリックなパフォーマンスは、時とともにどんどんエスカレートしていくのがわかる。これでもか、これでもか、といった具合だ。
後年のインタヴューで、フィル・コリンズやトニー・バンクスは、こうしたピーター・ガブリエルのパフォーマンスについて、批判的なことを言っている。「観客はピーターのおかしな格好にばかり気をとられて、音楽を聴いていない」と。

それにしてもピーター・ガブリエルを、このような顔面破壊的なメイクや、エキセントリックな動作に駆り立てたものは何だったのだろう。ヘンなことをしないではいられない情熱とは何だったのだろう。これもまた私にははかり知ることのできない謎だ。
しかし、彼のこのわけのわからない奇妙奇天烈なパフォーマンス、そしてけっしてカッコいいとは言えない身のこなしぶりに、しだいにどうしようもなく引き付けられていく。そして、あろうことか、ついにはそれらがこの上ないほどカッコいいものに見えてしまうから不思議だ。私だけかな。
後のトーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンのカッコ悪いことが限りなくカッコいいパフコーマンスと共通するものを感じる。

その後ピーター・ガブリエルは、ソロになって良質なアルバムを何枚か作った。アルバムのジャケットで相変わらず自己顔面の破壊みたいなことをしていた。
それらの中で私がいちばん好きなのは、月並みだがやはり1986年の『So』だ。大ヒットしたアルバムだが、ここに漂う息苦しいような閉じた音の世界に、つい私は『フォックストロット』に通じるものを感じてしまう。べつにこだわるつもりはないのだが…。

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