2013年9月4日水曜日

「至高」のナポリタンのレシピ


ネット上で見つけたナポリタンを美味しくするための数々の知恵。それらを総結集したのがこの「至高」のナポリタンのレシピだ。
このレシピに至る経緯を<前説>として書いておいたが、能書きはいいから早く作って食べたいという方は、スキップして後半のレシピへ直行して下さい。


<前説① これは「懐かしい味」のナポリタンではない>

この頃の私の昼食はずっとナポリタン。マイ・ブームなのだ。
私は炒めスパゲッティが食べたくて極太のスパゲッティを通販で取り寄せている。スーパーではなかなか手に入りにくい太さ2.2ミリのもの。これを業務用の4キロ袋で注文している。これで作るナポリタンはとても美味しい。

ナポリタンと言えば、茹でたスパゲッティを具材と一緒にケチャップで炒めるというシンプルこの上ない料理のはず。ところがためしにネットでレシピを調べてみたら、世間の人はこの料理に驚くほどさまざまな工夫を加えているのだった。いろんなものを隠し味として入れいぇみたり、あるいはひと手間よけいにかけてみたり…。シンプルな料理だからこそとも言えるのかも。
たとえば隠し味としては、砂糖、ガムシロップ、牛乳、コンソメ、ウスター・ソース、バター、さらにカレー粉なんてのもある。ひと手間としては、麺をうどんのように柔らかく茹でるとか、反対に固めに茹でて炒めるとき蒸し焼きのようにするとか…など。

しかしよく見ると、これらの工夫は、目指している方向が大きく二つに分かれていることに気がついた。すなわち、「喫茶店で食べた懐かしい昭和の味のナポリタン」を目指している工夫と、そうではなくて「今の時点で本当に美味しいナポリタン」を目指している工夫とだ。

砂糖やガムシロップを入れるとか、あえてケチャップだけで味をつけるとか、さらにはバターの代わりになるべく安っぽいマーガリンを使ってみるなんていうのは、どれも「懐かしい味」の再現のための工夫だろう。麺を柔らかく茹でるというのも同じ。
喫茶店のナポリタンというのは要するに略式料理だ。狭い厨房で作れて、しかもケチャップで味付けするだけだから手間もかからない。そんな事情で広く普及した安直な料理だ。懐かしい味ではあるかもしれないが、そんなに美味しいはずもない。
美味しいと言う人も多いけれど、それはつまりケチャップが美味しいということじゃないのか。ちょうどマヨラーと呼ばれる人たちが、ご飯にマヨネーズをかけて美味しいと言っているのと大差ないように私には思える。

私は断然「本当に美味しいナポリタン」を目指したい。だから、その方向を目指している工夫を参考にしてみようと思った。
そこで思いついたのは、美味しいナポリタンのための数々の工夫を総結集したなら、最高に美味しい、すなわち「至高」のナポリタンが出来上がるのではないかということだ。


<前説② 「至高」への道>

ただしいくつか検討しなければならない点はある。

・まずバター。最後に仕上げに入れるという人が多いが、中には具を炒めるのに最初から使うという人もいた。いつ入れるか。まあこれは香りを生かすという点で、やはり仕上げに入れるべきでしょう。

・それから各種のソース(と名のつくもの)。ウスター・ソースを入れるという人が多いのだが、その他、中農ソース、オイスター・ソース、デミグラス・ソース、ミート・ソースなど。中には缶詰のホール・トマト(もうこれはソースではない)を入れるという人もいた。まさに何でもあり、という感じ。
私としては、コクの点でオイスター・ソースを選択することにする。

・それから仕上げに入れるという牛乳。これは「懐かしい味」の方向を目指しているのかもしれないが、確かに試してみたらマイルドでコクも出て美味しくなる。スキムミルクを入れている人もいたが、私としてはこれらに代えてちょっとふんぱつして生クリームを使うことにする。何しろ「至高」だからね。

・異色の隠し味は、カレー粉。さっそく試してみた。試してみてわかったのは、これはカレー味を付けるためではないということ。スパイスがたくさんミックスされているから、味が複雑になる。こういう使い方もあるんだな、と教えてもらった。
ただし、今回は味がややこしくなり過ぎるので、使わないことにする。

・もう一つの異色の隠し味が、ピザ用の溶けるチーズ。これを仕上げに混ぜるのだ。たしかに溶けて麺に絡んでなかなか美味しい。コッテリとして濃厚な感じになる。
ただちょっとねっとりし過ぎで、麺が糸を引いている。見た目が今ひとつだし、やや食べにくい。それに仕上げに乳製品として生クリームを入れるし、食べるときには粉チーズも振るわけだから、やはり溶けるチーズはパスということに。

・そして肝心のケチャップだ。ハインツを指定している人がけっこういるのだが、私はこだわらないことにする。ハインツの方が酸味と甘さが強いけれども、カゴメでも十分に美味しい。
ところでケチャップの入れ方には二つの派がある。すなわち麺を入れる前にケチャップを先に炒めておく派と、仕上げに入れてあまり炒めない派である。
「懐かしい味」のナポリタンはケチャップだけで味付けするからケチャップを大量に入れる。すると、ベチャベチャになってしまうので、先に炒めて水分を飛ばすのがコツだと聞いたことがある。
しかし今は他にもいろいろな味を入れるので、ケチャップの量は控えめでいい。それにケチャップ本来の味を生かすには、あまり加熱しない方がいいような気もする。というわけで、ケチャップは仕上げに加えることに決定。

・砂糖は当然入れない。ためしに入れてみたらたしかに美味しいといえば美味しいけど、砂糖の味だけになってしまう。昔はこうしてケチャップの酸味を和らげたのだろう。
野菜をじっくり炒めると旨(うま)甘くなる。その甘さとケチャップの甘さで十分だ。

・それから麺の茹で方は、「懐かしい味」のナポリタンのようなやわやわにはしない。やっぱりそれなりの歯応えがあった方が美味しいから。

さてあらためて隠し味として加えるものを整理してみる。
加えるのは、ニンニク、コンソメ、オイスター・ソース、生クリームそしてバターだ。加える分量については、実際に試してみて検討してみた。
これをレシピの形にしたのが以下である。


■■ 至高のナポリタンのレシピ ■■

〔材料〕(1~2人前)

スパゲッティ 250g
*2.2ミリのものが絶対にお勧めだ。デュラムセモリナに加えて強力粉が配合されており、モチモチ感がある。ナポリタンのような炒めスパゲッティには最適だ。
スーパーでは手に入りにくいので、私は通販で取り寄せている。

[具材]

・ベーコン 100グラムくらい(好きなだけ)
*肉分は他にソーセージやハムなど何でもよいが、「至高」というからには、やはり厚切りのベーコンだろう

・ニンニク 1片

・野菜  合計約300グラム
*この内タマネギが100グラムくらい入っていれば、あとは何でも良い。定番のピーマン、ニンジン、キノコ、キャベツなどの他、変わったところではナス、キュウリ、ゴーヤ、モロヘイヤなどそのときにあるものを私は入れている。とても美味しい。

[調味料等]

・サラダ・オイル  大さじ1
・塩・コショウ  適宜
・コンソメ  2~3グラム
・オイスター・ソース  適宜
・生クリーム  適宜
・バター  適宜
・ケチャップ  50グラム

〔作り方〕

1 ニンニクは千切りまたはみじん切り、その他の具材はそれぞれ適当な大きさに切っておく。

2 お湯を沸かして麺を茹でる
*茹でるお湯は麺の10倍と言われている。なので、ここでは、2500ccのお湯で茹でる。
*茹で時間は2.2ミリの麺の場合、麺を入れて再沸騰してから13分。製品によってはもっと長い時間を指定してあるものもあるが、経験によるとそれらも13分で十分だ。

3 麺を茹で始めると同時に、フライパンを温める。
温まったら、サラダ・オイル大さじ1を入れて具材を炒め始める。麺が茹で上がるまで並行して約10分間、弱火でじっくり炒め続ける。 
*火が通りやすいものは、途中から入れるが全体的になるべく長めに炒めるようにする。
*長く炒めていると素材の歯応えは失われるが、旨みが出て、その旨さが麺と絡んで一体となる。

4 茹で上がりの時間が近づいたら、具材に塩、コショウ、コンソメ、オイスター・ソースを加える。麺の分の味もここでつけてしまう。

5 茹で上がった麺をザルに取り、具材を炒めているフライパンに投入。具材とよく混ぜ合わせながら2~3分炒める。
仕上げにケチャップ、バター、生クリームを加えて和える。
最後に味を確認して必要があれば調整して出来上がり。

お皿に盛って粉チーズ、タバスコをたっぷりかけていただく。たしかにこれは「至高」の味だ。美味しいよ。


〔関連記事〕

2013年9月2日月曜日

不器用さが愛おしい 大貫妙子 『アヴァンチュール』


<大貫妙子の歌詞>

久しぶりに大貫妙子の名前を耳にした。
この7月(2013年)に出た坂本真綾の新曲でTVアニメのテーマ・ソング「はじまりの海」を大貫妙子が作詞作曲しているのだ。
私的には身近に聞こえてきた大貫妙子の話題と言えば、96年の周防監督の映画『Shall we ダンス?』の主題歌を歌ったこと以来だから、ずいぶん久しぶりになる。
ところで今現在の音楽界の中で、大貫妙子というはどの辺に位置づけされる存在なのだろう。

1970年代にティン・パン・アレイの周辺から登場した4人の歌姫たちがいた。
このうちとても気が利いていてデリケートな翳りのある曲を書いていた荒井由美は、その後その翳りを捨てて「日本の恋愛のカリスマ」となった。一番エキセントリックだった矢野顕子は、意外にも、広くポピュラリティを獲得して「日本のお母さん」のような存在になった。
美声で歌がうまくて一般受けしそうだったのが吉田美奈子と大貫妙子。この二人は、小さなブレイクはあったものの、結局今ではツウ好みで、知る人ぞ知る存在になってしまったというところだろうか。

大貫妙子に対する私の個人的なイメージは、おとなしくて内向的で、オシャレなものに憧れる「夢見る女の子」といった感じ。思春期の女の子の大半はこんな「夢見る女の子」なのではないのだろうか(よく知らないけど)。だから、大貫妙子はそんな女の子たち、そしてまた、かつてそんな「夢見る女の子」だった女性たちに根強く支持されているのではないかと勝手に想像している。

でも「夢見る女の子」がしばしばそうであるように、大貫妙子の詞の世界には、いつも自意識過剰気味で、そのためにどこかちょっと調子が外れているようなところがある。
彼女の歌はしばしば短編小説のようだと言われる。ストーリーを感じさせたり、ストーリーの中の情景を浮かび上がらせるからだ。けれど、よく聴くとその詞は、たいていどこかがほころんでいて、きちんとつじつまが合っていない。

彼女の初期の名曲「愛は幻」。まちがいなく彼女の代表曲のひとつだ。けれど、その詞は抽象的過ぎるのか、あるいは雰囲気だけで言葉を選んだのか、そのどちらかとしか思えない。何のことを歌っているのかさっぱりわからないのだ。
そして何と言ってもいちばんヘンテコなのは、ソロ2作目のアルバムに入っている「くすりをたくさん」という曲。
「薬をたくさん/選り取り見取り/こんなにたくさん/飲んだら終わり」 (「くすりをたくさん」)
シニカルな批評をコミカルに装っているのはわかる。でも、ユーモアのピントが合っていないので、どこで笑っていいのかわからない。つまり思いっきりスベってしまっている。

かつて大貫妙子はそんな自分の歌詞について次のように語ったことがある。
「やっぱり映像的な表現は、どんな曲であれいつも意識してます。歌詞がつくのは一番最後なんですよ。まずメロディがあってサウンドがあって、(中略)。 そこに乗せるべき言葉を捜していく。」 (『レコード・コレクターズ』19977月号大貫妙子特集 p64
なるほど、彼女の場合、歌詞はメロディやサウンドに従属し、または派生するものなのだった。だから、断片的だし、ところどころでつじつまが合わないのか。と、これを読んで私は納得したのだった。


<アルバム 『Aventure(アヴァンチュール)』のこと>

私が好きな大貫妙子は、「ヨーロッパ三部作」の頃の彼女だ。もっと正確に言えば1980年のアルバム『Romantique(ロマンティーク)』以降の擬似ヨーロッパ・テクノ路線の頃。オシャレなヨーロッパへの憧れが、澄んだ透明感のある声とテクノ・サウンドによってキラキラと輝いていた。中でもいちばん好きなのが、1981年の『Aventure(アヴァンチュール)』だ。

このあいだ矢野顕子のテクノ期の作品を久しぶりに」聴いた。そうしたらこの頃の、つまりYMO期の坂本龍一のアレンジャーとしての仕事ぶりにあらためて感心させられた。そして矢野顕子のアルバムと並んで、この時期の坂本の仕事として印象深いのが大貫妙子のこの作品『Aventure(アヴァンチュール)』なのだ。
語りかけるように歌う清潔で透明感のある声。その声とクールなテクノ・サウンドの取り合わせがじつに気持ち良い。

この時期の大貫妙子のヨーロッパ路線は、私に言わせると「女性雑誌的」だ。透明で清潔感があってオシャレで品がよい。肉体感を感じさせず、あくまで女性向けという感じ。そこがちょうど女性雑誌のページみたいだ。ピカピカで気が利いていて明るい。
だが女性雑誌は、オシャレで知的で気取っているけれど、結局その底は浅くて根はミーハーなものだ。じつはそんな点まで含めた上で大貫の歌は「女性雑誌的」だと思うのである。
矢野顕子の歌には人の日常を通して人間を見据える強い目線があった。荒井由実の歌詞には日常を瞬間輝かせる天才的な閃きがあった。大貫妙子の歌には、残念ながらそういう彼女独自の視点やマジックはない。だからどうしてもスタイルに流れてしまいがちなのだろう。

Aventure(アヴァンチュール)』で良いのは何といってもA面とB面の各1曲め。つまり「恋人達の明日」と「チャンス」。
 軽やかに弾むポップでテクノなさサウンドにのる透明な声が素敵だ。
アルバム冒頭の「恋人達の明日」は、大貫自身と竹内まりやとepoという豪華コーラス陣による弾けるようなコーラスでいきなり始まる。このコーラス・サウンドにのって歌われるのは受身だった女性の軽やかな決意だ。
「髪を短く」して「もう高いヒールははかない」ことにした主人公。昔の恋人「あなた」とは「すれ違ったままでサヨナラ」。ひとりで明日に向って歩いていくことに決める(「」内は歌詞から引用)。この主人公の軽やかでさわやかな足取りが、軽快なサウンドにぴったりだ。

「チャンス」もまた軽快なリズムの曲なのだが、こちらは歌詞がかなりザンネン。自意識過剰なのだ。シックな黒のドレスを着た主人公。カフェでこの主人公に注がれる見知らぬ男性「あなた」の強い視線。「あなた」は私を好きなのだろうか。店を出た私を「あなた」が追いかけてこないのはなぜ。こちらから声を掛けた方がよかったのかしら。と、悩む歌。こうやって要約していても気恥ずかしい他愛ない内容だ。
 それでもとにかく弾むサウンドは軽やかで気持いい。

このアルバムで他に良いのは、「.愛の行方」と「最後の日付」。どちらも翳りのある曲調で、大貫妙子の透明な声はまさにこんな曲にしっくりくる。切ない大貫の歌を、坂本龍一のドラマチックなサウンドが包み込む。坂本のピアノとプロフェットの演奏もつぼを得ている。
ところで、「愛の行方」のエンディング近くのインストゥルメンタル・パートは、翌年(1982年)に坂本が書いた映画「戦場のメリー・クリスマス」(公開は1983年)のメイン・テーマに流用されていると思うのだがどうだろう。
それから「最後の日付」の演奏陣は、YMOの3人と鈴木茂というなかなかの豪華メンバー。ただしこのメンツから想定されるようなサウンドではないけど。

ただし坂本龍一のアレンジした曲がどれも良いというわけでもない。南欧ロマン紀行シリーズ(と私が勝手に呼んでいる)の「アヴァンテュリエール」と「テルミネ」は、まさに「女性雑誌的」だ。甘くて軽くて今ひとつ。
このアルバムのその他の曲もどれも今ひとつ。

.Samba de mar」のグルーブ感のないサンバのリズム、「グランプリ」のシネ・ジャズ・アレンジ、そして「la mer,la ciel」のジャズ・ボッサ、とどれをとってもちょっと安っぽくて薄っぺらな感じがある。だから今聴くとかなり古臭くなってしまっている。
  「.ブリーカー・ストリートの青春」だけはちょっと異色だ。
舞台は急にヨーロッパからニューヨークに飛ぶ。グリニッチ・ビレッジに集う若者たちのまさに青春を描いた歌。サイモンとガーフアンクルの曲「ブリーカー・ストリート」にも通じる若くて純な若者たちの姿が愛おしい。
けれど何となくこの曲だけこのアルバムの中で浮いてしまっていて収まりが悪い感じだ。

<おわりに>

いろいろ悪口みたいなことを書いてしまった。
でも何のかんのと言っても私はこの人の佇まいが漂わす生きていくことに対する不器用さやぎこちない感じが好きなのだ。
大貫妙子は、高校生の頃、美大に進学して将来は陶芸家を志望していたそうだ(『レコード・コレクターズ』19977月号大貫妙子特集のインタヴュー)。その理由は、「一生続けられてしかも人に会わずにできる仕事というのにつきたい」と考えていたからだという。この気持は、私にもよくわかる。こういうタイプの人は、要領よく生きていくのが得意じゃないのだ。
その不器用さゆえに、この人のサウンドや歌詞やアルバムのつくりには、いつも何だかぎこちない感じがあるのだと思う。

このあいだたまたまNHKのFMをつけたら大貫妙子みたいな歌が聴こえてきた。声質や曲の感じが大貫妙子にすごく似ている。でも声が若いし、ギターの弾き語りで歌っていた。聴いているうちにどんどんその歌の世界に思わず引き込まれてしまった。
それは青葉市子という若いシンガー・ソングライターのライヴだった。クラシック・ギターを弾きながら歌うところがちょっと異色だが、このギターがものすごく上手い。ときおり教会音楽のようなヨーロッパの中世を思わせる響きになる。大貫妙子系の透明な声質と、このギターの響きが相まって、深くて存在感のある歌の世界を作り出していた。こういう深さは大貫妙子の歌には、ついになかったものだ。
こんなきらきらときらめく才能を持った若手が出てきて、大貫妙子も大変だろうな。もっとも彼女のことだから、べつにそんなこと意識しないで、これまでと変わらず淡々と生きていくのだろうけど。


2013年8月30日金曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「極辛麻婆つけめん」の2杯目 2013夏


もうすぐ夏休みも終わり。まあ、いつもお休みの自分には関係ないんだけれどね。そして「つけ麺 坊主」の8月も終わる。限定月間が終わると、また「極辛麻婆つけめん」と「極辛麻婆らーめん」が食べられなくなる。というわけで、8月末のある日、水戸に出かけて「つけ麺 坊主」を訪ねた。
これで8月になって4回目の訪問。これまで「極辛麻婆らーめん」を2回、「極辛麻婆つけめん」を1回食べた。そこで今回は「極辛麻婆つけめん」の2杯目を食べることにする。

平日の午前11時8分入店。先客は単独客2人。後客は10人。
券売機で「極辛麻婆つけめん」を押す。それから麺の「特大盛」(100円)のボタン。そのかわり今日も「白めし」はなし。そして「ビール」。
カウンターのいちばん端に座り、御主人に食券を渡す。

前々々回「極辛麻婆らーめん」の1杯目を食べたtときに、辛さのため満腹になってしまい完食できなかった。その反省から以後ご飯はパスしてきた。しかし、前々回の「極辛麻婆つけめん」のときは、麺を大盛にしたものの、やっぱりちょっと物足りなかった。そこで今回は、麺を「特大盛」にしてみたわけだ。極辛のつけ汁を、麺と一緒にとことん味わえるしね。

すぐに「極辛麻婆つけめん」到着。
つけ汁の器をのぞくと、今日はいちばん上の赤い脂の層がかなり厚めだ。上から見えるのは、まん中辺に赤い粉末の山と、その脇の海苔一枚だけ。もやしや麻婆豆腐や刻みネギはみんな脂の下に水没している。かなり脂多め…、いいぞ。
特大盛の麺も到着。茹で上がりの重量で600グラム。なかなかうれしい分量だ。ちなみに、いつも食べている大盛は、450グラムで、普通盛は350グラムとのこと。
特大盛を頼むのはこれでたしか4回目だ。特大盛の場合、注意しなくてはならないことがある。それは麺をつけ汁に絡め過ぎないようにすること。そうしないと最後に麺より先につけ汁が無くなるという悲しい事態になる。私も一度あった。

では早速麺を数本箸で持ち上げてつけ汁へ。つけ汁の表面は脂で覆われているので、軽く沈めてから口へ運ぶ。むせるのを避けるために、なるべくすすり込まないようにする。そうすると口の周りが汁で汚れるのだがやむを得ない。
脂が濃いのもなかなかよろしい。脂の下の味噌の味も濃厚に絡んできて美味しい。コシのある麺と最高のハーモニーだ。
しばらくの間、ひたすら麺だけを汁にひたしては食べる。赤い粉末の山はなるべく崩さないようにし、また具材や麻婆豆腐にも一切手を付けないように心掛ける。大盛なので麺が全然減らないように見えるのがうれしい。
辛さがしだいにキバをむきはじめる。鼻水があとからあとから出始める。しかし、冷たい麺に絡んだ汁は、麺で冷やされて辛さが一段階やわらぐ。この辺で口直しに麻婆豆腐の小片を口に入れると、その熱さで辛さが口の中で爆発した。痛辛い。

つけ汁の減り具合をみながら麺を絡める。つけ汁が減ってくると汁に溶け出した赤い粉末と、麻婆の餡のせいでつけ汁がどろどろになってきた。しまった、最初に全体をよく混ぜておいた方がよかったのかも。とにかく、つけ汁が麺や具材にどんどん絡んでくる。
しかし、大量の麺でつけ汁がどんどん冷めて、辛さはそれほどでもなくなっている。つけ麺を大盛にした場合、つねにこの問題がある。そのために今回は辛さでヒーハーということはない。頭じゅうから汗が噴出すということもなかった。辛さを思いっきり味わうには、やはり全体が熱々のラーメンのほうがいいようだ。

というわけで、前回ほど汗もかかず、辛さで我を忘れることもないまま快調に食べ進んだ。そして、麺とつけ汁をほぼ同時に完食。
お腹はそこそこに満たされて満足した。けっこう辛さが胃に来ている感じはある。でも、やっぱり大汗をかいてすっきりしたかったな。

もう8月中に来られるのは、これが最後かもしれない。極辛メニューとまた今度は2月までさよならだ。本日はご馳走様でした。

店の外は暑い。でもここ何日か朝晩はようやく秋の気配を感じるようになってきた。どんなに暑くても夏が終わるのはやはり寂しい。
足は何となく千波湖の方に向かう。今日は、千波公園の崖下をたどって歩いた。偕楽園の拡張部分で月池をぐるっと回ってから、梅桜橋を渡って偕楽園に入り、吐玉泉の下を歩く。トンネルをくぐり歴史館の蓮池を見てからまた偕楽園に戻って、表門から外へ出る。表門通りを大工町まで歩いてからバスで駅まで戻った。どこまで行っても人気のほとんどない良い散歩だった。

この「つけ麺 坊主」訪問シリーズも今回で38回め。一回食べに行くたびに、一本投稿してきた。これもあと2回書いて40回になったところで一応終了にしようかと考えている。きりがいいし、ページ・ヴューもこの間めでたく20000回を越えて何となく節目を迎えた気分なのだ。
というわけであと2回。最後を記念してどんな趣向で食べようか、今はそれが楽しみだ。


2013年8月26日月曜日

ページ・ヴュー20000回突破に感謝


うれしいなあ。何がって、このブログのページ・ヴューが、とうとう20000回を越えたのだ。延20000人の人が、見に来てくれたことになる。見に来てくださった方々、どうもありがとう。

何せご覧のとおり、とにかく無愛想なヴィジュアルのブログである。写真や絵や背景はいっさいなし。文字ばかり。しかもその文章がやたらと長い。気楽に立ち寄ってはみたものの、あきれてすぐに立ち去った人も少なくないはず。そういう人もかなりページ・ヴュー数にはカウントされているんだろうな。
写真がないのは、最初はたんに面倒だったから。でもだんだんこういうスタイルもアリかなと思うようになった。体裁ばかりキレイに整っていても中身のないものが多い昨今、こんな実質本位のブログがあってもいいんじゃないかと考えたからだ。

それから見に来てもらうための宣伝というものを一切していない。知り合いにも、私がこういうブログを書いていることを全然話していない。
読者数の数字だけをむやみに増やそうという気持になれないのだ。興味のない人に読んでもらってもうれしくないし、そもそも相手が迷惑だろう。
わりとマニアックな内容の記事が多いので、本当に興味があってこのブログに辿りついた人たちだけが読んでくれればそれでいいと割り切っている。

こんな無宣伝で無愛想なブログなのに延20000人もの人が来てくれたかと思うと、うれしさがじわじわとこみ上げてくる。私なりのやり方を受け入れてくれる人が、それなりにいるんだなという気持になる。

このブログを始めたのは昨年の1月のこと。その前の年に私は隠居生活に入ったので、最初「御隠居日記」というタイトルにしようとした。ところが、同じタイトルのブログがすでにいくつもあることがわかったので、その後ろに「BTTB」をくっつけたのだ。
この「BTTB」の意味については、以前「坂本龍一のアルバム5選」という記事の中に書いておいたので、気になる人は見ていただきたい。
でもまあ「日記」というには、間が空きすぎているな。

ブログを去年の1月に初めてからその後ページ・ヴューが10000回に達したのは、今年の3月初めのことだった。1年と2ヶ月、つまり14ヶ月かかったわけだ。
それがその後20000回を越えたのが、この8月末。だから、後半の10000回は6ヶ月で達成したことになる。かなり加速度がついているのだ。これも何だかうれしい。

加速している理由は簡単だ。古い記事がけっこう読まれ続けているからだ。図書館の蔵書数が増えるのと同じで、記事の投稿数が増えれば増えるほどアクセス数も増える理屈だ。
一応毎日ページ・ヴューの内容をチェックしているけれども、読まれているページはいつも分散している。一つの記事に集中するということはまずない。古い記事が並行して読まれているのだ。
中でも長く読まれているいわば「ロング・セラー」の記事は、ローリング・ストーンズやピンク・フロイド関係、それから中島みゆきやぱっぴいえんどについて書いたものなど。また手作りのラーメンについてのレシピや苦労話などもずいぶん読まれている。

ちなみにこれまでの全期間を通じての記事別のページ・ヴュー数ベスト10を紹介してみよう。

〔順位〕 〔記 事 名〕
第1位 ローリング・ストーンズのベスト・アルバム5選
第2位 ローリング・ストーンズ『THE BRUSSELS AFFAIR ‘73
第3位 「坊主」風激辛ラーメンのレシピ 序章
第4位 中島みゆきが少しだけ「ロック」だった頃
第5位 レコ・コレ誌のベーシスト/ドラマー・ランキングを見てあれこれ
第6位 手打ちラーメン自作に到る長い道のり
第7位 ラーメンの手打ち麺のレシピ
第8位 「坊主」風激辛ラーメンのレシピ
第9位 ピンク・フロイド 74年、ウェンブリーでの『狂気』
10位 「ニッポンのギタリスト名鑑」

上位に入ったのは人気のあるテーマを取り上げたからということもあるだろう。しかし、これまで書いてきて感じるのは、じっくり手間をかけて検討したり資料にあたったりして書いた記事は、やはりページ・ヴューの上でもそれなりの手ごたえがあるということだ。これからも、実質本位でいこう、とあらためて思う。

ブログ全体の傾向としては当初考えていたよりもずっとロックとラーメンに偏った内容になってしまった。何しろロックの記事が全体の4割、ラーメン関係の記事が3割弱を占めている。二つあわせると7割だ。たしかにどちらも私の大好きなものであることに間違いはないのだが…。
当初はこの他やはり私の大好きな落語や映画についての感想も書こうと思っていたのだが、こちらについてはほとんど書いてこなかった。今回のページ・ヴュー20000回突破をひとつの節目として、今後はちょっと軌道修正をはかりたいと考えている。
というわけで、これまでどうもありがとう。これからもどうぞご贔屓に。


2013年8月23日金曜日

戦争の体験はそんなに大事か?


毎年8月は戦争についての話題が多くなる。
しかし、6日と9日の広島、長崎の原爆投下の日が過ぎ、15日の終戦記念の日が終わると、ぱったりと戦争の話は聞かなくなる。今年は例外的に、松江市教育委員会の『はだしのゲン』問題のおかげで、何とか戦争の話題が続いている。

近年の終戦の日のマスコミの論調で目立つのは、戦争の体験を風化させるなということだ。
戦時下で悲惨な体験をした人々が高齢化して少なくなっている。何とかその体験を次の世代に語り伝えなければならない。戦争の悲惨さを伝えることによって、もう二度と戦争が起こらないようにしなければならない、というわけだ。
ところが戦争のことを知らない若者が増えていて、たとえば、8月15日が何の日か知らない人がこんなにいる、などとマスコミは嘆いてみせていた。

しかし、戦争の体験はそんなに重要なのか。戦争の悲惨を体験していれば、戦争は起こらないのか。私は、以前からこのことに大いに疑問を感じている。
なぜなら、戦争の悲惨を体験したはずのまさにその人たちが、戦争に向って突き進んで行きかねない自民党を支持しているからだ。憲法9条の改正、防衛軍の設置、集団的自衛権の行使などを唱える自民党は、誰がどう見たって戦争に一番近いところにいる。戦争の悲惨を体験した人が、なぜそんな党を支持するのか、これが私の素朴な疑問だ。

この7月の参議院選挙だって、戦争を知っている人たちが自民党に一票を投じなければあんな大勝はあり得ない。何しろ戦争を知らない若い人たちは、あんまり投票に行かなかったんだから。悲惨な体験をしたはずの人たちが、また性懲りもなく戦争へ向おうとしているように私には見える

かつてヒトラーとナチスに一票を投じてその台頭を許した人たちと同じように、今回、自民党に一票を投じた人は、後の世の人たちに責められるかもしれない。そうなったらまたこの間みたいに「こんなことになるとは思わなかった」とか「自分にはどうしようもなかった」などと言い訳するのだろうか。

結局、みんな懲りない人たちなのだ。原発でこんな大変なめにあっているというのに、再稼動をOKするのと同じだ。目の前にカネ(景気)をチラつかせられると、愚かな健忘症になるのだろう。

だから、戦争の体験など絶対的に重要ではないと思う。
本当に大事なのは、「冷静な判断力」と「ちゃんとした想像力」なのだ。それを働かせれば、老若に関係なく、誰でも戦争が起きればどんな悲惨が生じるかはわかる。べつに8月15日が何の日か知らなくたって戦争の悲惨さはわかるだろう。そして、それを避けるにはどうすればよいのかも。


「つけ麺 坊主」訪問 「極辛麻婆らーめん」の2杯目 2013夏


8月ももう下旬。うかうかしていると「極辛麻婆」の限定月間が終わってしまう。というわけで、水戸に出て「つけ麺 坊主」を訪問。8月になってこれで3回目だ。
前々回は「極辛麻婆らーめん」を、前回は「極辛麻婆つけめん」を食べた。今回はどうしようかなと思ったが、「極辛麻婆らーめん」の2杯目を食べることにする。

平日の午前11時20分入店。先客は単独客3人。今日もわりと空いている。後客は7人。
券売機で「極辛麻婆らーめん」のボタンを押す。あとは「ビール」も。今日は残念ながらいつもの「白めし」はパスだ。カウンターのいちばん端に座り、麺は普通盛でとお願いする。

前々回「極辛麻婆らーめん」を食べたtときは、満腹になってしまい完食できなかった。今日はその反省からご飯をパスしたわけだ。リベンジのためにはやむを得ない、などとビールを飲みながら考える。

程なく「極辛麻婆らーめん」到着。
毎回書くけど、とにかく立派な外観だ。何しろ期間限定ではあるが、このお店の最上級メニューなのである。具材もトッピングもこのお店のありったけのものがここに結集されているといった感じ。とにかく豪華。
どんぶり中央にはもやしと豚肉その他の具材からなる山が高々と盛り上がっている。そこに麻婆豆腐がかかり、その上にたっぷりと白い刻みネギと赤い粉末が散らしてある。そして山の傍らに海苔。

さて山のわきの隙間からレンゲで鮮やかに赤いスープをすくって飲む。今日も注意したのに少しむせてしまう。脂、コク、旨み、今日も最高のバランスだ。そういえばこのところいつもアタリだ。この時点ではまだ辛さはさほど感じない。
スープを飲み続ける。ご飯が無性に食べたくなる。が、今日は我慢だ。
なかなかスープは眼に見えて減らない。中央の山を崩すとスープがどんぶりからあふれそうな感じだ。そこで山のわきから箸を突っ込んで麺をそっと引き出す。口に入れると、熱い、辛い。麺の熱さで辛さが口の中で炸裂する。ウヒョー、これが快感。もう一回また麺を引っ張り出して食べる。このあたりでもう鼻水が出始める。たちまち忙しくなってくる。

そのまま具材の山は崩さないようにしながら、どんぶりの底の方から麺を引き出して食べ続ける。口の中が熱くて辛くて痛い。でも美味しい。あんまり辛いと味がわからないでしょ、と言う人がいるが、私にはまだ十分美味しいと感じる。というか、この辛さが旨さの一部分というべきか。

ある程度かさが減ってきたところで、麻婆豆腐を食べる。そして今度は、山を崩しながら具材と麺を一緒に食べていく。辛くてヒイハアしながら食べているわけだが、その最中でも、肉が旨いなあ、メンマが旨いなあ、もやしとニラも旨いなあなどと味わう余裕はある。辛さの中カから漂ってくるユズの風味もいい。

頭から汗が噴出す。ハンカチで頻繁に拭うが、うっかりするとあごの先からカウンターの上にポタリと汗が滴り落ちる。辛さと取り組んでいるうちに、しだいに我を忘れ、食べることに夢中になっている。
そして気がつくと麺と具材は完食。
まだスープがけっこう残っているが、何だか満腹になっている。やっぱり辛さのせいでそう感じるのだろう。ゆっくりゆっくりレンゲでスープを飲み、最後はどんぶりを両手で持ち上げて飲み干した。いつものご飯は食べていrないのに、かなりな満腹感だ。ちょっと胃がねじれている感じ。恐るべし極辛。

水を飲みながら、まだまだ流れ続ける汗を拭いたり、鼻水をかみながらしばらくヒートダウンをする。今日もじつにいい一杯だったなあ。
ごちそうさま。帰りがけに御主人から完食記念のタオルをいただく。「つけ麺坊主」の名入りの赤い唐辛子色のタオルだ。うれしい。
さあ8月中に何とかもう一回来て、次回は「極辛麻婆つけめん」の2杯目を食べるぞ。それも麺は特大盛りで。

店を出ると外はやっぱり暑い。
今日は久しぶりに千波湖畔を歩く。そこから桜川沿いを少し遡って歩いてみた。街の真ん中にこんなに深い谷間があることに驚く。人っ子一人歩いていない。水戸っていい街だなあ。


2013年8月21日水曜日

簡単(?)本格(!) スープカレー・レシピ


もともとカレー好きだった私は、スープカレーも大好き。
札幌発のスープカレーのブームが全国に広がり始めたのは今から10年ほど前のこと。あの頃は、札幌からお取り寄せしたり、東京に食べに行ったりしたものだった。それを何とか自分で手軽に作って食べられないものかと思って考えたのが、このレシピ。
最後におまけとしてマイ・スープカレー史を紹介。


<簡単本格 スープカレーのレシピ>


〔概 要〕

*旨みたっぷりで自分好みにスパイシー。スプーン一つで具材の肉や野菜がホロホロとほぐれる本格派のスープカレーだ。

*ただしあくまで味本位で体裁は二の次のレシピ。
たとえばお店のスープカレーは、さらさらした食感にするために、タマネギをミキサーにかけたり、それを漉したりと、いろいろ手間をかけている。しかし、そこまでのことはしない。
また澄んだスープにするためターメリックを使わないお店も多い。この点もあんまり気にせずに、ターメリックも当然入っている簡便なカレーパウダーを使っている。

*お店ではスープと具材は基本的に別々に調理しているが、ここではスープそのもので肉と野菜を煮込んでいるので手軽だ。

*ただし鍋を火にかけている時間は1時間30分が目安。これをはたして「手軽」と言ってよいかどうかは多少疑問ではある。


〔材 料〕 (3~4人前)

<スープのベースになるもの> (最初に入れる)
・水  1500cc
・タマネギ  大1個(約400グラム)
・ニンニク、ショウガ  各1片
・酒  100cc
・ガラスープ(顆粒)  大さじ1
・かつおだし(粉末)  小さじ1 
・ケチャップ  少々
・ソース  少々
・ローレル 1枚(もしあれば)

<具材>
・鶏肉(モモ肉、ムネ肉、手羽元など何でもよい)
1人前 150~200グラム×人数分
*モモ肉とムネ肉の場合は、1人前がひとかたまりになるように切る。小さく切らない。
手羽元の場合は1人前3~4本。
・ニンジン 1人前 中1本×人数分
・ジャガイモ 1人前 中1個×人数分
*ニンジンとジャガイモは皮をむいただけの丸のままの形で使う。小さく切らない。

<スパイスなど> (仕上げに入れる)
・ガラスープ 大さじ1/2~1
・カレーパウダー  大さじ1~2
*その他もしあれば、ガラムマサラ、クミン、コリアンダー、クローブなどをお好みで加える


〔手 順〕

*鍋を火にかけて約1時間30分ほどかかるので、あらかじめそのつもりで

1 水1500ccを鍋に入れ火にかける(出来上がりは1000ccくらいになる)。煮立ったら後はずっと中火から弱火。

2 以下のものを鍋に投入する。
① タマネギ(400グラム)の薄切り
② ニンニクとショウガ各一片をすりおろしたもの
③ 酒100cc
④ ガラスープ(顆粒) 大さじ1
⑤ かつおだし(粉末)  小さじ1
⑥ ケチャップとソース各少々
⑦ ローレル 1枚(もしあれば)

3 鍋を火にかけてから30分ほど経ったら(つまり完成予定の1時間前)鶏肉を入れる。
*投入する前に、フライパンで焦げ目をつけておけばベスト。

4 鶏肉投入後20分経ったら(つまり完成予定の40分前)にニンジンを投入。

5 さらにニンジン投入後10分経ったら(つまり完成予定の30分前)にジャガイモを投入。

6 完成予定時間(鍋を火にかけて約1時間30分後)になったら具材に火が通っていることを確認する(通っていなければさらに煮る)。
火が通っていたら、次のように味を調えスパイスを加える。
なお具材が崩れやすいので、鍋を混ぜるときは注意しながらやさしく混ぜることが大事。

① 塩気は塩の代わりに、ガラスープを加えて調整する。
最初に(上の手順2で)大さじ1を入れてあるが、さらにここで大さじ1/2~1くらいを加えるといい塩梅になると思う。お好みで調節を。
② 辛さは カレーパウダーで調節する。大さじ1~2くらいが普通の辛さだと思う。これもお好みで。
③ あとは、もしあればガラムマサラ、クミン、コリアンダー、クロ-ブなどのスパイスを入れて仕上げる。

7 これで完成。スパイス投入後はなるべく煮込まない。
スープカレーを器に盛り、別皿にご飯をよそって食べる。
*なお、スープカレーのトッピングとして、ゆで卵、茹でたオクラ、素揚げしたナスやピーマンやカボチャを加えても良い。かなり本格的になる。


〔いくつかのポイント〕

* 具材とスープの割り合いについて
スープカレー1食分の汁の量は、200~250ccくらいだろう。
だからこのレシピでは具材に対しスープの汁の量が多くできる。しかし、汁を減らすと、具材が柔らかく煮えた後で、鍋の中をかき混ぜるときに具材を崩してしまったり傷をつけたりしてしまう。ある程度汁分が多い方が混ぜやすいのだ。
もちろんそれでも調理中は必要以上に鍋の中はかき混ぜない方が良い。
具材と一緒に盛り付けた後、鍋に残った具なしの汁は、お代わりとして食べてしまうか、とっておいて後でカレーリゾットとして食べればいいと思う。これもおいしい。

* 塩気と辛さの調節について
手順のところにも書いたが、仕上げの段階での塩気の調整はガラ・スープで、また辛さの調整はカレー・パウダーですると美味しくできる。
長時間煮込んでいるので、火の強さや鍋の形状により残っている汁の量はかなりばらつきがあるはず。だからそれぞれ味を見ながら調節する必要があるのだ。
なお、さらに激辛にしたい場合は、唐辛子、コショウを加えても良い。


<おまけ:マイ・スープカレー史>

札幌のスープカレーがブームになって全国的に知られるようになったのは、今から10年ほど前のことだった。
2002年に初めてスープカレーの概要を記した樺沢紫苑の『北海道スープカレー読本』が出た。そして翌03年には横濱カレー・ミュージアムに、札幌のスープカレー店マジック・スパイスが出店して話題になった。
私がスープカレーの存在を知ったのも、この頃のこと。あるラジオの番組で、今こういうものが話題になっていると紹介されていたのだ。しかし、映像なしで言葉だけの説明では、全然ピンとこない。カレー味のスープとどこがどう違うのか。しかし、とにかく興味は激しくそそられた。

いったいそれはどんなものなのか。スープカレーに対する興味は大きく膨らんだ。しかし、その時点での情報はかなり限られていた。それでも調べてみたら本場札幌のスープカレー専門店のいくつかは、自分の店のスープカレーをレトルト化して通販で販売していることを知った。札幌におけるスープカレー事情は、すでにそういう段階まで進んでいたことになる。
何はともあれさっそく「お取り寄せ」だ。5、6店からふたつずつ取り寄せた。けっこういい値段だった。一袋5~700円くらいしたと思う。
店によって味もタイプもいろいろだった。共通しているのは、チキンや野菜がごろっと大きいまま入っていること。そして、汁にとろみがなくて確かにスープ状だったことだ。小麦粉によるとろみがないことはもちろんだが、インド系のカレーのような野菜を煮詰めることによって生じるとろみもなかった。しかし、スパイシーで濃厚な味わいがある。
なるほど美味しいとは思ったが、普通のカレーがそうであるようにレトルト化によって何か肝心なところがよく見えない感じもした。

そこで、やはり東京に出店した店で実食してみることにした。
まず横濱カレー・ミュージアムに行ってマジック・スパイスのスープカレーを食べてみた。
これははっきり言ってたいしたものではなかった。作り方が本店によってきちんと管理されていないからなのだろう、たぶん。こんなやり方では店の名前に傷がつくはずだ。その後、カレー・ミュージアムそのものが無くなってしまったのもうなずける話だ。
しかしこれにめげずに東京のスープカレー店をいくつかめぐってみた。新橋のガネー舎、原宿のシャンティ、下北沢のマジック・スパイスなどだ。
中でもガネー舎の味がいちばん気に入った。スープカレーを創始したと言われている札幌のアジャンタ系の店とのこと。スープカレーもアジャンタの薬膳カリィを再現している。スパイシーであることはもちろんだが、味に深い奥行きがある。このお店の味のとりこになり、何度も通ったものだ。

しかし、やはり東京は遠い。そういつも食べに行けるものでもない。そこで、例によって自作するに到ったわけだ。もちろんガネー舎のような深い味わいは出せるはずもない。ある程度妥協して、手軽さを第一に考えた。その結果たどり着いたレシピが上に紹介したものである。

スープ・カレーは、とろみの少ないさらさらしたスパイシーなスープに具材が入ったものである。ターメリックが入っていない場合が多く、そのためカレー独特のあの黄色い色をしていないものが大半だ。
メインの具材は鶏肉(チキン・レッグ)が一般的で、これにジャガイモ、ニンジン、ピーマン、オクラ、カボチャといった野菜が素揚げして添えられる。具材の肉や野菜が、かなり大ぶりでごろんと入っているのも大きな特徴である。このスープと一緒に別皿に盛られたご飯を食べるのである。

スープ・カレーのルーツは、漢方の薬膳スープ、スリランカとインドネシアとタイのカレー、さらには各種のインド料理と言われている。ようするに東南アジア系のエスニック料理をルーツにしているわけだ。しかし、日本での発展の過程で、トマト・ベースのものやフォン・ド・ボーを使ったものなど、イタリアンやフレンチからの影響を受けたものも現れ、多様な展開を見せている。もう世界のどこにもない日本独自の料理になったと言えるだろう。

さて全国的なスープ・カレーのブームも一段落したようだ。
しかしブームが去って忘れ去られた、ということではない。北海道の御当地メニューの定番としてスープ・カレーは広く全国に知られるようになった。またどこでも身近なスーパーのカレーの棚には、家庭用のスープ・カレーの素が置かれるようになっている。
それからカレーのチェーン店CoCo壱番屋でも、毎年、冬になるとスープ・カレーがメニューに加わるようになった。また北海道料理を謳う水戸の居酒屋のメニューにも、スープカレーが載っている。
でも、やっぱり自分で作ったスープカレーの方が美味しいけどね。