2014年5月12日月曜日

エルトン・ジョンはかつて「吟遊詩人」と呼ばれていた


■「吟遊詩人」エルトン・ジョン

今月号の『レコード・コレクターズ』誌(20145月号)の第2特集は、エルトン・ジョンの『黄昏のレンガ路』特集だった。
このアルバムのスーパー・デラックス・エディションの発売にちなんでのものだ。あわせてエルトンのオリジナル・アルバムのディスコグラフィーものっていた。

そのディスコグラフィーの記事中に「吟遊詩人」なんていうなつかしい言葉を見つけた。この言葉を目にしたとたん、急に過去がよみがえってきた。
そう、エルトン・ジョンはその初期に、「吟遊詩人」と呼ばれていたのだった。「現代の吟遊詩人」とか、「ロック・エイジの吟遊詩人」というふうに。

これは今考えると、自然に生まれた形容というより、レコード会社が考えた、セールスのためのキャッチ・フレーズだったと思われる。
70年代の初頭、シンガー&ソング・ライターという言葉が、まだ一般的でなかった頃だ。ジェームズ・テイラーとか、キャロル・キングといったアメリカ勢とは、あきらかに異なるエルトン・ジョンの個性を、イメージ的にアピールするためのキャッチ・フレーズだったのだろう。
吟遊詩人とは、本来、放浪の音楽師のことらしい。しかし販促用のキャッチ・フレーズだから、きちんとした根拠もないし、意味もあいまい。何となくそういうイメージ、というだけのこと。なので、ちゃんとした音楽ライターなら、こんな言葉を安易に使うべきではないと思う。今回の『レコ・コレ』誌の特集でも、『マッドマン』のことを「吟遊詩人然とした佇まいを見せたアルバム」なんて書いているけれども、若い人には意味不明なのではないか。

しかし、初期のエルトン・ジョンを知っている人には、この「吟遊詩人」という言葉で、会社がアピールしたかった彼の独特の個性というものはよくわかる。クラシカルで重厚で格調の高い音楽性のことだ。
そして結局私が好きなエルトン・ジョンは、この「吟遊詩人」時代の彼なのだった。

その後、彼は他のイギリスの・ミュージシャンと同様、アメリカを目指すことになる。
イギリス人たちは、二つの理由でアメリカを目指す。ひとつは、アメリカは、自分たちが聴いて育ったブルースやロックン・ロールのふるさとであり、その意味で憧れの地だったからだ。そしてもうひとつは、アメリカにはイギリスとは比べものにならない巨大なマーケットがあって、とてつもない成功を手に入れることができる夢の場所だからだ。

エルトン・ジョンは、翳りのある吟遊詩人から、明るくポップなロック・エンターテイナーへと転身し、その結果、周知のように大成功を収める。それと共に、私のエルトンへの関心は、急速に失せてしまったのだった。
アルバムで言うと、71年の『マッドマン (Madman Across the Water)』 くらいまでしか、ちゃんと聴いていない。その後、今では彼の最高傑作と言われている73年の『黄昏のレンガ路 (Goodbye Yellow Brick Road)』 が出たときも、ほとんど魅力を感じなかったのだった。

■今回の特集について

それで今回の『レコ・コレ』誌の『黄昏のレンガ路』特集だけれど、読んでいたら個人的にひとつだけ大きな発見があった。タイトル曲「黄昏のレンガ路」の内容についてだ。

その前に今回の特集について。
今号の『レコード・コレクターズ』誌の『黄昏のレンガ路』特集のメイン記事は、立川芳雄の「息の合ったメンバーと作り上げたロック・バンド風のサウンドとLPならではの構成から生まれた70年代を代表する傑作」という長いタイトルの一文だ。もうほとんどタイトルだけで言いたいことがわかる内容。つまり『黄昏のレンガ路』を、①ロック・バンド風のサウンドと、②LPならではの構成という二つの点から語っている。

文中で立川は、ロック・バンドというものを、次のように定義する。すなわち、単なるミュージシャンの集合ではなく、「個性を持った何人かのミュージシャン」が集まって、「その個性の衝突や相克を通じて新しい音楽を生み出していく集団」(上記の記事から)なのだと。この定義はお見事です。感心しました。
しかし、だ。『黄昏のレンガ路』の音を、ロック・バンド「風」と「風」をつけて語ってしまっては、台無しなんじゃないの。単なるロック・バンド風のアレンジってことになってしまって、アルバムの良さの説明にはならないような…。

それからLPならではの構成という点についても、「アルバム全体の構成や楽曲の流れ、イメージなどを大事にする」(上記の記事から)というのが70年代の常識であり、このアルバムの魅力もそれによる、という説明だけでは、何だかよくわからない。
LPならではの構成については、むしろ、特集の「全曲ガイド」の中の若月眞人の次のような言葉がわかりやすかった。
「スウィート・ペインテッド・レディ」について、若月はこう語る。このナンバーを単にトラック9として聴くと印象が薄いが、「サイド3のオープニング・トラックとして捉えると俄然魅力的に聴こえてくる」と。なるほど、これなら「よく練られた構成/曲順」ということが納得できる。

■イエロー・ブリック・ロードについて

さて、メインの記事の最後の方で、立川はタイトル曲「黄昏のレンガ路(Goodbye Yellow Brick Road)」について解説している。
この歌のイエロー・ブリック・ロード(Yellow Brick Road)とは、「黄昏のレンガ路」という邦題につられて想像していたような、夕陽の色に黄色く染まったレンガ路ではないというのだ。そうではなくて、これは『オズの魔法使い』に出てくる、黄金で舗装されたレンガの道のことなのだという。へえー。
調べてみると、オズの物語では、マンチキン・ランドから魔法使いオズのいるエメラルド・シティへと続く道として、このイエロー・ブリック・ロードが出てくる。主人公たちは、オズに会うためにこの道を辿るのだ。
エルトンの歌では、その道をショウ・ビジネスの成功へと続く道になぞらえているわけだ。そーだったのか。

ウィキペディアで調べたら、この歌がそういう内容であることは、すでに一般常識として知られていることらしい。知らなかったー。
しかし、ウィキペディア(アルバム『黄昏のレンガ路』の説明)では、この歌は、芸能界への出世街道への訣別を歌った内容であり、「さようならカネまみれの芸能界」と解釈することもできる、としている。たしかに「グッバイ」と言っているわけからね。

ところが、上の特集記事で、この点についての立川の解釈はウィキと微妙に違っている。立川は、長い下積みの時代を経て「スターの座に登りつめようとしていたエルトンの複雑な内面」が反映されているという。すなわち、黄金の路への一方的な訣別ではなく、「黄金の路に訣別したいが、そこから逃れられないという悲哀」を歌っているというのだ。秀逸な解釈だと思う。シニカルな内容にもかかわらず、この歌が哀感の漂う叙情的な雰囲気を持っているのも、これで良く納得できる。

そのような目であらためて見てみると、このアルバムのそこここに内省的で沈鬱な音を見て取ることが出来る。たとえば、「風の中の火のように (Candle in the Wind)」とか。

というような発見もあって、久しぶりに初期のエルトンのアルバムをひと通り聴いてみたのだった。
アメリカ進出を大々的に開始した『ホンキー・シャトー』(72年)からのシングル・ヒット「ホンキー・キャット」や「ロケット・マン」は、当時は完全にアメリカナイズされた曲という印象があったが、今聴くとしっとりとした落ち着いた陰影のある曲だった。
『ピアニストを撃つな! 』(73)の「クロコダイル・ロック」は、もろアメリカだけど、「ダニエル」はいい曲。
他の曲も含めて、アメリカっぽい曲とだけ思っていた曲にも、内省的な陰影があって、意外にどれも良かったのだった。でもまあ、やっぱり吟遊詩人時代の曲の方がいいのは変わらないのだけれど。

ところで、アメリカ人は、イギリスのミュージシャンが漂わす、かすかな英国的翳りに、魅力を感じるというようなことを聞いたことがある。たとえばかつてのピーター・フランプトンのアメリカでの大ブレイクなんかも、日本人の私にはまったくのナゾだが、フランプトンの英国風味によるものと説明している人がいた。
エルトン・ジョンのアメリカでの大成功も、その要因のひとつとして、ポップで明るいだけではなく、彼の歌の持つ英国的な陰りがあるのかもしれない。

でまあ、エルトン・ジョンは、やっぱり黄金の道を離れられなかったわけだ。エメラルド・シティに辿り着き、オズの魔法使いに出合って願いをかなえてもらうことが出来たのだった。めでたし、めでたしと。
あらためて今回エルトン・ジョンのアルバムを聴き直したので、私なりのアルバム・ベスト5を選んでみることにした。結果は、次回に。



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