2012年12月3日月曜日

実食「一汁無菜」 玉子でご飯(前編)

今回は玉子でご飯だ。
ただし私は生玉子が少し苦手。だから、玉子をご飯にかけて食べるのだけれども、ごくフツーの玉子かけご飯とはほんのちょっと趣向を違えてある。「純粋」玉子かけご飯フアンの方は、あらかじめその辺は御了承を。

<玉子かけご飯についての話題あれこれ>

前回、辛子明太子でご飯を食べたとき、「好きなごはんのお供ランキング」(gooランキング、2011年5月実施)を紹介した。このランキングで玉子は、第1位の辛子明太子、第2位の納豆についで、堂々の第3位に入っている(以下の順位が気になる方は前回の記事をどうぞ)。
玉子の人気度はかなり高いわけだ。しかも玉子をご飯にかける食べ方には、「玉子かけご飯」という名前が付いている。つまりひとつのちゃんとした料理として一般に認知されているということだ。
玉子には単なる「ご飯のお供」と言ってしまっては申し訳ないような「特別」感というか「豪華」感がある。となると玉子で食べるご飯を「一汁無菜」(つまりちゃんとしたおかずはないということ)と言ってしまっては、ちょっと失礼なのかな。

それはともかくとして、ためしにウィキペディアの「卵かけご飯」の項を見てみたら、その説明の分量の多いことにまずびっくり。こんなに書くことがあったのか。とくにその作り方の微妙な差異についての分類には唖然とするほどだ。
たとえば、ご飯に玉子をかけるにあたって、玉子を先に別の器で溶いておく方法と、直接ご飯に割り入れる方法があること。またそのとき、ご飯の表面にくぼみを作っておくか作らないかという二通りのやり方があること。
さらにその際、しょう油を先に玉子に混ぜておくか、それともご飯に玉子をのせた後からかけるか、あるいは玉子の前にご飯にかけておくかという三つの選択肢があること。
また、そもそも最初に茶碗に玉子を入れておいて、そこへご飯を入れる方法もあること等々…。
さらに、これらの手順において、ご飯の上に作るくぼみの大小や、その後のご飯とかき混ぜる際の速さ・強さ・時間などによって、食感が変化するという。そのこだわりたるやあきれるばかりだ。 こういう記述の背景にある情熱とは、いったいどこから来るものなのだろう。

しかし、さんざんこんな手順の微妙な差異について紹介した挙句に、ウィキペディアはそれを次のようにくくって爆笑を誘うのだった。
「その作り方は好みによって各種存在する。しかし、どれも結果として味には大差が無く、個人のやり方の問題である。」

なおウィキペディアのアドバイスの中に、炊きたての飯を使うと玉子が半熟状態になりやすいので、これを嫌う人は、炊き上がったご飯を茶碗によそって、ある程度冷ましてから使うとよい、なんてことが書いてあった。玉子が半熟になることを嫌う人がいるのだということを、私は初めて知った。

<生玉子嫌いの弁>

こんなに人気のある「玉子かけご飯」だが、じつはこれが苦手という人も案外多いのではないだろうか。冒頭に書いたように私もその一人であり、あまり好んで食べようとは思わない。

私の場合、とにかくご飯は白いままで食べたいのだ。せっかくのおいしい白いご飯を、他の味の汁などで汚したくない。その食感と甘さを、それだけでじっくり味わいたいと思ってしまう。
だから牛丼の「ツユだく」なんてのは、私に言わせればもってのほかだ。天丼やカツ丼なども、ご飯の中にしみていったツユが、どんぶりの底にたまっているのはイヤ。底に届く手前で止まるくらいがぎりぎり許容範囲だ。
 私はカレーも大好きだが、ルーとご飯はあくまでスプーン上で混じるべきであって、皿の上でぐちゃぐちゃになっているのはよろしくない。
あと雑炊というものがあるが…、あれはもうご飯とは別の食べ物と思うことにして許すことにしている。

さらについでに言うと、同じような理由で私は納豆もあまり好きではない。これもさっきの「ごはんのお供ランキング」では、第2位と高位につけているわけなのだが。
私が納豆を食べる場合は、ご飯にかけないで、そのまま単独で食べたりしている。

そんなわけで玉子かけご飯も、ご飯と玉子がぐちゃぐちゃに混じりあうという点で好きになれないのだ。
しかし、玉子そのものはきらいではない。半熟の玉子のとろっとした黄身は、誰かも言っていたように最高の「ソース」(フランス料理で言うところの「ソース」)だと思う。あれならご飯にかけて食べてもいい。あくまで混ぜないようにしてだが…。
それから生玉子をご飯にかける場合、何と言ってもあの白身のにゅるにゅるがいやだ。ご飯をぐちゃぐちゃにしつつも、なお食べようとすると逃げていってしまうつかみどころのなさ。

だからこれまで玉子でご飯を食べることになった場合は、まず黄身と白身に分け、黄身だけをご飯にのせていた。白身は器にからそのままズルッと飲み込んでしまう。
調べてみたら、玉子かけご飯として黄身だけ食べる食べ方も実際にあるとのこと。こんなことしているのは私だけではなかったらしい。その場合、中にはなんと白身を捨ててしまう人もいるのだとか。

<魯山人の「究極の玉子かけご飯」

そんな私が今回は玉子でご飯を食べてみようと思ったのである。きっかけは二つあった。
ひとつは北大路魯山人の「究極の玉子かけご飯」というものを知ったこと。もうひとつは、玉子かけご飯をちょっとだけ加熱して食べるという話を聞いたことだった。

順に紹介しよう。ネットを見ていたらたまたま美食家として有名な北大路魯山人が、「この世で最もうまい食べ物」と評したという究極の玉子かけご飯についての記事を見つけた。一昨年、NHKテレビで紹介されて話題になったらしい。
そう言えば、このことと直接関係あるのかどうか知らないが、ちょうどその頃、玉子かけご飯がちょっとしたブームになっていた。いろいろなアレンジ・レシピを紹介した本なんかも出ていたことを思い出す。

私も魯山人の食に関する随筆は大半読んだつもりだが、この玉子かけご飯の話は知らなかった。その魯山人の「究極の玉子かけご飯」とは、いったいどんなものなのか。
それは、作り方にコツがあった。ご飯にかける前に、その玉子を自らの掌(たなごころ)で30分間温めるというのだ。こうすれば、玉子本来の美味しさを引き出せる温度になるということなのだろう、たぶん。なるほどっ…、でも簡単過ぎてちょっとがっかり。だがこの段取りには、さらに精神的な深い意味合いが込められているのかもしれない。
しかし簡単だけど、実際にこのとおりやろうとすればは大変な手間ではある。そこで「たまごのソムリエ」小林さんという方が、この魯山人のやり方を簡略化した方法を紹介していた。
それは、玉子をホンの少しだけ茹でるという方法だ。おタマに乗せて、そっと熱湯に入れる。冷蔵庫から出したばかりなら一分、常温なら50秒弱とのことだ。これならちょっとやってみようかなという気持になる。

玉子でご飯を食べようと思ったもう一つのきっかけは、玉子かけご飯をレンジでちょっと加熱するという食べ方を耳にしたことだ。
あるラジオ番組で玉子かけご飯が話題になっていたときのことだ。それぞれ自分の食べ方を紹介していた中で、ある人が、玉子をご飯にかけた後、お茶碗ごと電子レンジでちょっとだけ加熱すると言っていたのだ。なるほど。こうすれば、あのべちゃべちゃした状態が、カルボナーラのようにとろとろとした食感に変わるのではないか。これなら美味しそうだ。

結局どちらも生の玉子をほんの少し加熱して食べるという点が共通している。ちょっととろっとなった玉子を想像すると、さっそく食べてみたい気持になったのである。

 では、その制作と実食は次回後編で。

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