2012年5月24日木曜日

シカゴ 『ライヴ・イン・ジャパン』の復刻

シカゴの『ライヴ・イン・ジャパン』を買った。
12年3月発売の紙ジャケ、リマスターの復刻盤だ。私にとっては今年になって4枚目のCD購入。しかも大枚はたいての高価な買い物だ。
もうリイシューものには手を出さないつもりだったのだが、このアルバムには、私なりのやむにやまれぬ事情というのがあって…。

シカゴのアルバムに対しては、特別の屈折した思いがある。彼らのアルバムは中学から高校生だった当時の私には欲しくても高価で手が出なかった。
何しろ1969年のファースト・アルバムから、3作目まですべてLPレコード2枚組。4作目がカーネギー・ホールでのライヴで、なんとこれが驚異の4枚組。5作目にして初めてシングル・アルバムだったが、その後のこの『ライヴ・イン・ジャパン』が、またもやの2枚組ときた。
シカゴは私のまわりでもみんな好きだったが、アルバムを持っている人はめったにいなかった。とくに4枚組の『アット・カーネギー・ホール』は、当時7800円もした。高校の同級生で、これを持っているやつがたった一人いて(たしか医者の息子だった)みんなの羨望の的だった。
私は、しかたなく国内編集の安直なベスト盤で「飢え」をしのいでいたのだった。

それから30年近い月日が流れた。初期のシカゴのアルバムは、当然CDでみんなそろえた。そして、ライノから『アット・カーネギー・ホール』が紙ジャケCD化され、これも迷わず買った。
さらに2009年に残りのアルバムが、ライノ版のリマスター音源でSHM化され、しかも高精度の紙ジャケで発売されたときは、一も二もなくCD屋に走ったものだった。勢い余って、どうでもよい『Ⅵ』、『Ⅶ』、『Ⅷ』までも買ってしまったものだ。さすがに、それ以降のアルバムは買う気になれなかったが。
こんな紙ジャケへの執着は、かつて欲しくても手が届かなかったあのLP時代のシカゴのアルバムに対する思いが「トラウマ」となって背景にあるのかも。

ちなみに、私はファースト・アルバムのグループ名のロゴが、LP時代のように小さいジャケットのCDも持っている(現行はロゴが画面いっぱいの大きさ)。
それとファーストとセカンドについては、LPに準じて2枚組になっているCDも持っている(現行はCD1枚)。
どうしてもLP時代の形へのこだわりを捨てられないのだ。

2009年に一連のアルバムが紙ジャケ復刻されたとき、この『ライヴ・イン・ジャパン』だけは、権利の関係なのか発売されなかった。
一応、以前に出たテイチク版の『ライヴ・イン・ジャパン』はもちろん持ってはいる。しかし、ファースト・アルバムから『Ⅴ』まで(ついでに『Ⅷ』まで)紙ジャケでそろっているのに、このアルバムだけが欠けているのは何とも落ち着かない。
そこへ、今回の復刻という朗報だったのだ。というわけで、今回はリイシューものに手を出したというわけ。

さてシカゴといえば、「史上最大の日和見バンド」と呼ばれている。政治批判と反戦を訴えていた怒れる若者たちだった初期の彼らが、その後、軟弱バラード路線へと情けない方向転換をしたからだ。
 私もずっとそう思ってきたが、改めて初期の彼らのアルバムを順に聴いてみて、彼らの情けない方向転換について、少し違った見方をするようになった。

私の好きなシカゴはアルバムで言うとファーストからせいぜい『Ⅴ』くらいまで。彼らの絶頂期はまさにこの時期だった。そして、この『Ⅴ』をもって、方向転換をしたというよりも、端的に言えば彼らは「終わった」のだ。つまり、もう何も言いたいこと、言うべきことがなくなってしまったということ。そして、何をしたいのかもわからなくなったんだろう。
『Ⅴ』あたりからその気配は見えていた。全体に曲調がソフトになり、「ダイアログ」とか「サタディ・イン・ザ・パーク」など、曲としてはともかく、メッセージという点からみると何とも煮え切らないものになっている。

しかしこの『Ⅴ』から『Ⅵ』、『Ⅶ』、『Ⅷ』と、彼らのアルバムは連続してチャートの1位を獲得している。
古いロックを後追いで聴いている若い方々に忠告するけど、アルバムが連続してチャートの1位に昇るようになった頃には、もうそのバンドは「旬」を過ぎたと思った方がいい。
事実、『Ⅴ』はともかくとして、シカゴの『Ⅵ』、『Ⅶ』、『Ⅷ』など、今では誰も顧みる人なんていない。内容的にはそんなに悪くはないけど、とくに良いというわけでもない。可もなく不可もない中道ロックというだけのもの。

そんな状態の中で何とか光が見えたのが、軟弱バラード路線だったということなのだろう。ロックは、もうおしまい。最初から売れ筋を狙っての方向転換ではなかった、というのが今の私の見方だ。でも音楽より金儲けに走ったという事実は変わらない。
1978年に中心メンバーのギタリスト、テリー・キャスが31歳で亡くなる。ドラッグにおぼれた果て、リヴォルヴァーのロシアン・ルーレットによる死とも聞いた。志を失い、金に走ったことによる良心の呵責と退廃の結果、というふうにどうしても私には見えてしまう。

シカゴの最高傑作は、ファースト・アルバム『シカゴ・トランジット・オーソリティ』だろう。
政治的な姿勢はたしかに演出だったかもしれない。もともと明確な政治姿勢などはなかった。しかし、ここには、社会の矛盾や不合理に対するナイーヴな若者のパーソナルな怒りや疑い、不安、問いかけがある。そしてそれを表現しようという意欲があふれている。セカンド・アルバムの曲名ではないが「言いたいことがいっぱい」なのだ。
デヴュー・アルバムにしてLP2枚組というのは破格だが、2枚組でなければ収まりきらないという必然性がしっかりと伝わってくる内容だった。

そして何より私にはこのアルバムに、私の思うロックのプロトタイプを見る。とくに「ポエム58」の前半や、スタジオ・ライヴ「リヴェレーション」のやはり前半の演奏だ。ギターのアドリブを中心に延々と続いていきながら高揚していくジャム・バンド的展開。これこそ私の考えるロックそのものだ。
また、テリー・キャスの「フリー・フォーム・ギター」の爆音からは、そのようにしてしか表すことのできない、せっぱつまった内発的な表現欲求がひしひしと伝わってくる。
ウッドストック・フェスでのジミ・ヘンドリックスのアメリカ国歌は、キャスのこの演奏にインスパイアされたとしか思えない。

2作目の『シカゴ』と3作目の『Ⅲ』では、また違った形で表現意欲が発揮されている。完成度はファーストより高いと言われているが、組曲が多く、構成がきっちり練られている分、アグレッシヴな爆発力は弱くなっている。
ただ2作目に収められた大ヒット曲「長い夜(25 or to )」はやはり永遠の名曲だ。若者の不安、時代の気分が、感覚的にうまく表現されていると思う。

そして私が『シカゴ・トランジット・オーソリティ』に次いで、2番目に好きなシカゴのアルバムが、この『ライヴ・イン・ジャパン』なのだ。
ここにはあの頃の熱かった彼らがいる。あの時期の彼らの本気の演奏を記録した最高のアルバムだと思う。
曲はスタジオ版とは違って、ライヴならでのソロ・パートが随所に聴ける。ホーン陣が疾走し、ギターが暴れまくる。「長い夜」のワウワウでよじれながら突き進むギターは快感。
とにかく全編、熱気と勢いがあって、しかもふくらみのある演奏だ。よく言われるように、カーネギー・ホールなんかよりずっと良い。

今回の復刻紙ジャケは、皮に焼印で押されたたシカゴのロゴの凹凸や皮の質感がそれなりに再現されていてうれしい(写真だけじゃどういう趣向か全然分らない)。この再現のためなのか、ジャケの紙が、ライノ版の紙ジャケと違ってかなり厚紙で豪華感があると言えばある。
それとCD2枚組なのもうれしい。CD1枚に単に収まりきらなかったからとはいえ、他のアルバムはみんなLP2枚組がCD1枚になっていて何とも寂しかったのだ。

さあ久しぶりに「本当の」シカゴの音にどっぷりとひたることにしよう。

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