2012年5月11日金曜日

ピンク・フロイド 74年、ウェンブリーでの『狂気』

前回、ピンク・フロイドのアルバム『ザ・ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン(狂気)』はつまらない。しかし、その発表前にライヴで演奏していたこの曲の初期ヴァージョンは、なかなか良いという話を書いた。
 その流れで、今回はアルバム発表以降の『ザ・ダーク・サイド…(狂気)』のライヴでの演奏はどうなのか、という話をしたい。

前回私がほめた初期ヴァージョンは、最終的にアルバムとしてまとめていくための試行錯誤の過程のものであった。だから。当然のことながら1973年2月のアルバム完成、3月のアルバム・リリースとともに、初期ヴァージョンは封印されてしまう。代わりにアルバム発売後のライヴでは、アルバム・ヴァージョンを再現する演奏が行われることになる。まあ当たりまえの話だ。
では、前回私がケチをつけた『ザ・ダーク・サイド…(狂気)』のアルバム・ヴァージョンを、ライヴの場で再現した演奏は、はたしてどうなのか。いいのか悪いのか。また初期ヴァージョンと比べてどうなのか。というあたりのことについて語ってみたい。

 今回発売された『ザ・ダーク・サイド…(狂気)』のデラックス・エディションは2枚組。ディスク1は、オリジナル・アルバムのリマスター。そして、ディスク2には、この曲の1974年のロンドン、ウェンブリーでのライヴ音源が収められている。
ということなので、私もブートレグでこのときの演奏を聴き直してみたわけなのだ。私の持っているのは、1974年11月16日のロンドン、ウェンブリー・エンパイア・プール公演のBBC音源だ。一応ブートの定番らしい。
ちなみにデラックス・エディションのディスク2に収録されているのは、この会場で11月14日から17日まで4日間行われた公演からセレクトしたものとのこと。

久しぶりに聴いたウェンブリーでの『ザ・ダーク・サイド…(狂気)』。これがそこそこ良かった、ちょっと聴いたときは。これならデラックス・エディションを買ってもいいなと思ったくらいだ。

オリジナルのちんまりとまとまった演奏に比べると、このライヴは全体にハードでラフな印象。ソロは全体に長めで、ギターが全面で活躍しているのは当然として、私のブートではベースもかなり前に出てきている。それから、ヴォーカルもコーラス陣で厚くして盛り上げようとしている。
あのつまらん「オン・ザ・ラン(走り回って)」は、例の退屈なループする電子音に極端に強弱をつけたり、SEを効かせて一応メリハリを出している。
「ザ・グレート・ギグ・イン・ザ・スカイ(虚空のスキャット)」も途中で、ジャズのビートをはさんだりしてひと工夫。でも、やっぱりスキャットは間延びしているけど。
「エニイ・カラー・ユー・ライク」のキーボードのディレイ効果はさすがになし。ここでのギルモアのギターは、何となく不発のまま終わってしまっている。

しかし何回か聴いていると、何だか物足りない。煮え切らない感じがする。そこで、あらためて初期ヴァージョンを思い起こしてみる。初期ヴァージョンには、実験精神があった。それに、これからまだどう変わっていくか知れない緊張感と、自由度があったような気がする。
それに対して、アルバム発売後のこちらの演奏は、出来上がった曲(しかも大ヒットして誰もが周知している曲)を、できるだけメリハリつけて、激しく、ノリよく、派手に演奏しているだけで、スリル感がないことに気づく。つまり、そこにあるのはエンターテインメントであり、ショーなのだ。
後のウォーターズ抜きの時代のピンク・フロイドの音楽、つまり、中身のないエンターテインメントと同質のものを、ここにも感じてしまう。

この11年後、コンセプト・メーカーだったロジャー・ウォーターズが抜けて、3人のミュージシャン集団となるピンク・フロイド。彼らの音楽は、それまでのフロイドの音のうわべだけをなぞった空疎で中身のないものだった。音楽の内実の空洞化と反比例してステージも巨大化し大仕掛けになった。
『ザ・ダーク・サイド…(狂気)』のモンスター・ヒットの渦中、74年のこのライヴの「今ひとつ」感は、後の彼らの行く末の予兆であったのかもしれない。

しかし、彼らは『ザ・ダーク・サイド…(狂気)』の呪縛から、いったんは立ち直るのだ。ウェンブリーの同じステージで披露された「シャイン・オン・ユー・クレイジー・ダイアモンド」と、『アニマルズ』の軸となる2曲。まだ彼らは創作意欲を失ってはいなかった。これらの曲が収められた2枚のアルバム(最初はこの3曲で1枚にする予定だったらしい)、『ウィッシュ・ユー・アー・ヒア』と『アニマルズ』は、私が最も好きなピンク・フロイドのアルバムだ。

なおグループ脱退後のウォーターズのソロ活動はあまりぱっとしなかった。同じコンセプト・メーカーでも、ジェネシスを抜けたピーター・ガブリエルや、ポリスの後のスティングのように、自分の世界を花開かせることはできなかった。フロイドがあってのウォーターズだったのではないか。
一人のコンセプト・メーカーと三人のミュージシャン。フロイドの輝きは、この四人のケミストリーによって生み出されたものだったのだろう。

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