2012年5月7日月曜日

ピンク・フロイド『狂気』の初期ヴァージョン


ピンク・フロイドの最高傑作と言われている『ザ・ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン(狂気)』というアルバムがある。そればかりかプログレの名盤、さらにはロックの名盤とも言われるこのアルバム。しかも、モンスター的な売り上げを実際に記録してもいる。
でもこのアルバム、私にはどうしてもそんなたいした内容のアルバムとは思われないのだ。この圧倒的な世間の高評価と、自分の「低評価」の食い違い。そんな食い違いに戸惑っている人って、私の他には本当にいないのだろうか。

私が好きなピンク・フロイドのアルバムは、現代音楽的で実験精神が刺激的な(同時に牧歌的でもある)『ウマグマ』と『アトム・ハート・マザー(原子心母)』。そしてピンク・フロイド流のブルース感覚が魅力的な『ウィッシュ・ユー・ワー・ヒア(炎)』と『アニマルズ』だ。
アルバム・ベスト5ということなら、これにもう一枚、『メドル(おせっかい)』かな。それとも『ザ・ウォール・ライヴ』(スタジオ版ではなく)か。おやおや、いつもの調子でアルバム5選になってしまったぞ。
ともかくいずれにしても『ザ・ダーク・サイド…(狂気)』は、私のベスト選びには絶対入らない。

アルバム『ザ・ダーク・サイド…(狂気)』の何がそんなにだめかと言えば、まず個々の曲がつまらない。
延々とお粗末なミニマル電子音を聴かされる「オン・ザ・ラン(走り回って)」。スキャットがだらだらと続く「ザ・グレート・ギグ・イン・ザ・スカイ(虚空のスキャット)」。フロイドの曲として、このスキャットはソウルフル過ぎて違和感がある。そして、場違いにメロウなサックスが彩りを添えている(?)「アス・アンド・ゼム」。しかもこの曲は無駄に長い。またキーボードのディレイが子供だましの「エニイ・カラー・ユー・ライク(望みの色を)」(ただしギター・ソロは良い)、などなど。
手放しで良いのは、ヴォーカルもギターもアグレッシヴな「マネー」くらいか。
それに、トータルなコンセプト・アルバムのわりには、歌詞はともかくとして、曲の構成にトータリティーを感じない。「タイム」の終盤に「ブリーズ」をリプライズさせたり、曲のつなぎにテープのエフェクト音を入れたりなどして、それ風な作りにはしているけれども…。

さてこのところのピンク・フロイドのアルバムのリイシューと、とりわけ一連のコレクターズ・ボックスの発売に合わせて、レコード・コレクターズ誌でも何回かピンク・フロイドの特集が組まれてきた。
そのうち昨年2011年10月号の特集「ピンク・フロイド『狂気』の真実」は、いろいろと勉強になった。とくに赤岩和美氏と石川真一氏の文章のおかげで、『ザ・ダーク・サイド…(狂気)』の初期ヴァージョンについて、それまで私が断片的に知っていた情報をすっきりと整理することができた。

1971年の末から72年の初めにかけて組曲として大まかな構想と楽曲が作られた「ザ・ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン」。この組曲は、その後一年間かけて、国内、国外のライヴ・ツアーの場で全曲演奏されながら徐々にアレンジが修正されていった。ほんとは「磨き上げた」と言いたいところだが、だんだん良くなっていったとは言いかねるので。
そして、72年6月からはライヴの合間を縫って断続的にスタジオ入りして録音を開始。ライヴの場での修正をさらに続けながら、最終的に73年の1月までかかって録音を終えた。そして2月にはアルバム『ザ・ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン(狂気)』として完成させ、3月にリリースしたというわけだ。

さてこの最終のアルバムの形になる前のライヴの場で展開された『ザ・ダーク・サイド…』のいわゆる初期ヴァージョンが、なかなか良いのである。アルバム・ヴァージョンよりもかなり良いと言える。
これまで、初期ヴァージョンはブートレグでしか聴けなかったが、今回のコレクターズ・ボックスのボーナス音源として、この初期ヴァージョンの一部がオフィシャル収録されているという。私は買っていないのだけれど。
私がもっぱら聴いているのはブートレグである。1972年の『ザ・ダーク・サイド…』の演奏で、私が持っているのは以下の3種。
まず1972年2月の英国ロンドン、レインボー・シアター公演、それから3月の来日時の札幌、中島体育センター公演、そして9月の米国ロス・アンジェルス、ハリウッド・ボウル公演での演奏だ。いずれもこの時期のピンク・フロイドのブートの定番ということになっている。

 これらで聴ける『ザ・ダーク・サイド…』の初期ヴァージョンは、最終的なアルバムと、具体的には次の点で大きく異なっている。
 まず「オン・ザ・ラン」の代わりに、その原型と言われる(?)「トラヴェル・シークエンス(Travel Sequence)」が入っている。
これは、カッティング中心の緊迫感のあるギターと、エレクトリック・ピアノがからむ長尺のインプロヴィゼイションだ。浮遊するようなピアノのフレーズが心地よい。
それから「ザ・グレート・ギグ・イン・ザ・スカイ」の代わりに、これもその原型の「モータリティ・シークエンス(Mortality Sequence)」が入っている。
オルガンによる背景音に、朗読や演説や子供の声などのさまざまな人の声のコラージュがかぶさる実験的な曲で、なかなか刺激的。キーボードはだんだん不安な和音を奏でながら高鳴っていき、最後に例のキャッシュ・レジスターの音が出てきて、次曲「マネー」へとつながっていく。
72年の9月のライヴでは、スキャットはないもののピアノが入り、最終の「ザ・グレート・ギグ…」のアレンジにやや近づいている。
それから「エニイ・カラー・ユー・ライク」のエコーが効いてゆったりしたギター・ソロも、ここでは延々と続いていく感じだ。この初期ヴァージョンでは、ライヴということもあるだろうが、「マネー」をはじめどの曲もギター・ソロが長めで、たっぷりと楽しめる。
またこれも全体的なことだが、随所でテープによるエフェクト音が聴こえてくる。

結局、アルバム『ザ・ダーク・サイド…』で、私がつまらない曲として列挙した「オン・ザ・ラン」も、「ザ・グレート・ギグ・イン・ザ・スカイ」も、「エニイ・カラー・ユー・ライク」も、ことごとく最初はそれなりにフロイドらしい良い曲だったのだ。
さらに『ザ・ダーク・サイド…』初期ヴァージョンの全体について言えることは、スリリングな展開と実験的な面白さがそこここにのぞいていたということだ。

それが何で最後にああいうことになってしまったんだろう。
最終の『ザ・ダーク・サイド…』アルバム・ヴァージョンは、とにかく、わかりやすくシンプルで、実験性はまったくなし。そこにいかにもアメリカ受けしそうなスキャットと、メロウなサックスを付け加えたというわけだ。
それゆえに全然つまらなくなったが、またそれゆえに「売れた」ということだろう。まあ、売れれば、オッケーということなんだろうな。

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