2012年3月24日土曜日

ジョアン・ジルベルトのサード・アルバムを聴いた

 またまた久しぶりにCDを買った。最近やっとCD化されたジョアン・ジルベルトのサード・アルバムだ。
CDを買うのは、じつに久しぶり。以前ここで紹介したエマーソン・レイク&パーマーのライヴに続いて今年になってから2枚目だ。
「隠居」する前は、たまに東京に行くとユニオンとタワ・レコをまわって、毎回10枚くらいは買っていたのだが……。しかし、吟味してじっくり聴くのも楽しいものだよ。

ジョアン・ジルベルトは、ブラジルの歌手、ギタリストで、言うまでもなくボサ・ノヴァの創始者。そのジョアンの初期のオデオン・レコード時代のアルバムが、ここ何年か順番にCD化されている。リマスターで高音質は当然として、さらにボーナス・トラックがてんこ盛り(正直ちょっとわずらわしいくらい)の仕様だ。
ファースト・アルバム『想いあふれて』とセカンド『愛と微笑みと花』がこれまですでに発売されているが、この度サード・アルバムの『ジョアン・ジルベルト』がついに発売された。これでめでたく「初期3部作」と呼ばれている名盤3枚が出そろったことになる。
この3作をまとめた内容の『ジョアン・ジルベルトの伝説』が以前出ていた(現在は廃盤)。これも一応持ってはいるのだが、やっぱり本来の形がいいよね。
今回CD化された3枚目『ジョアン・ジルベルト』のLP発売は1961年。なんと今から50年も前のアルバムだ(もしかして50周年記念のCD化なのかな?)。しかし、これは驚くべきことだけど、まったく古臭さを感じさせない。超コンテンポラリー・ミュージックだ。
いくつか有名曲も入っているが、中でも「Saudade da Bahia(バイーアの郷愁)」や「Insensatez (お馬鹿さん)」などはやっぱり心を打つ名曲。ジョアンの本来の魅力を満喫できる名盤だと思う。

たしか1990年代に何度目かのブラジル・ブームがあった。
ボサ・ノヴァの旧譜がたくさん復刻されて、それをきっかけに私もずいぶん聴きあさったものだ。
ボサ・ノヴァからサンバ、MPB(ブラジリアン・ポピュラー・ミュージック)へと、わくわくしながら興味はどんどん広がっていった。ブラジルのポピュラー音楽はじつに奥が深い。カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、ジョイスからマリーザ・モンチまで、いいアーティストがたくさんいる。それぞれに好きなのだが、やっぱり最後はいつもジョアン・ジルベルトに還ってくることになる。

余談だけど、ちょうどブラジル音楽をさかんに聴いていた頃、水戸にブラジル料理の店があって、そこでブラジルの肉料理<シェラスコ>を食べたことがある。これは長い串に刺して焼いたいろいろな肉(牛が中心で豚、鶏もあり)の塊を、順にウェイターが串ごと客席にもってきて目の前で削ぎ切りにして取り分けてくれるという料理だ。
次から次へと串刺しの肉が運ばれてくる。ストップしない限り、料理は終わらない。どれもこれもいかにも旨そうなので、ついつい食べ過ぎてしまうことになる。結局死ぬほど満腹になって遠いブラジルを体感したのだった。

ジョアン・ジルベルトのアルバムは一応だいたい持っている。まあ寡作の人だから、そんなにたいした枚数ではない(でもこの内の何枚かは、ジョアン・ファンの知人Nさんが譲ってくれたものだ。Nさんどうもありがとう)。それらの中で最高傑作はやっぱり世評のとおり初期の3作だろう。
その後、年を経るにつれてジョアンのヴォーカルは、だんだんとぼそぼそとめりはりがなくなっていく感じがある。これは歳を重ねたことによる「味」というより、私にはどうしても「衰え」としか聴こえない。
たとえば、2000年のアルバム『ジョアン 声とギター』で、デヴュー曲の「シェガ・ジ・サウダージ(想いあふれて)」をセルフ・カヴァーしている。これを40年前のオリジナルのヴァージョン(ファースト・アルバム収録)と比べてみると、もう圧倒的にオリジナル版の輝きが違う。
「初期3部作」で聴ける若いジョアンの歌と演奏は、みずみずしくはつらつとしている。ボサ・ノヴァに特有のつぶやくような歌い方ではあるが、めりはりが効いていて、何より声にはりとつやがあってきらきらと輝いている。
ここで念のために言っておくと、ボサ・ノヴァの特徴のように誤解されているアストラッド・ジルベルト(ジョアンの元の妻)のような不安定な歌い方は、ジョアンにはまったくない。アストラッドは素人なのだから問題外だ。

1959年から61年にかけて3部作を吹き込んだ後、ジョアンはブラジルを離れアメリカに渡った。アメリカでは63年に例の大ヒット作『ゲッツ/ジルベルト』を吹き込むことになる。もうこの時点で、ジョアンの歌はブラジル時代とは微妙に変化している。
もっともこのアルバムには、そもそもミス・マッチ感がある。クール・サウンドが定評のスタン・ゲッツのサックスは、ジョアンやアントニオ・カルロス・ジョビンによるさらにクールなボサ・ノヴァ・タッチの前では、何だかひどく大仰でウェットに響いてしまうのだ。ジョアンもこのとき、「ゲッツはボサ・ノヴァをわかっていない」と言ったとか。

この後70年に発表した『彼女はカリオカ』とか73年の『三月の水』(いいアルバムだ)あたりからは、本来のボサ・ノヴァから離れていく。
ボサ・ノヴァの創始者であるジョアンは、自身ではまったくそのことにこだわらない。ボサ・ノヴァ以前の古い曲から、同時代の若いミュージシャンの曲まで取り上げて、心の赴くままに歌い続けている。しかもなお彼の歌の世界は、ワン・アンド・オンリーなものである。ジョアン・ジルベルトは、まるでブラジルのボブ・ディランだ。

それでもなお彼の「初期三部作」は特別の意味を持つ。それが、やがてボサ・ノヴァから離れていくジョアンにとっての純粋ボサ・ノヴァ・アルバムだからではない。そうではなくて彼の全キャリア(今も続いているわけではあるが)の中でも、彼の歌と演奏がもっとも輝いているアルバムだからである。

2012年3月22日木曜日

「つけ麺 坊主」訪問 観梅編

またまた一ヶ月ぶりの「つけ麺 坊主」訪問。
前回は2月の末だった。本当はその間に一度訪ねたことがあったのだ。しかもその日は昼過ぎにわざわざ店の前まで行って開店していることを確認しておいたのだった。その後、用件を済ませ、夕方いよいよ店に突撃してみたら、なんと「本日の営業は終了」とのこと。ありゃあ、スープ切れか、ついてないなあ。そういえば以前にもそんなことがあったっけな。

今日は行ってみたら無事開店していた(不定休だから休業の可能性があった)。平日、11時開店の5分後に入店。先客3人、母と子供2人の家族連れ。
入り口の自動ドアはなぜか開放したまま。春めいているとはいえ、ちょっと涼しい。しかし、食べ始めるとこれでちょうどよくなるはず。

自動ドアで思い出すのは、おととしの夏、私が「坊主」に通い始めた頃のことだ。あの夏はとくに暑かった。しかしこの店は、ドアを完全オープン、当然エアコンはなし。店主のこだわりなのか、別の事情からなのか。とにかくこの状態で、激辛を食べるわけだ。サウナで熱いものを食べるのと同じ。もうめちゃくちゃの汗まみれになる。エアコン嫌いの私には、これがすっきりしてこの上なく気持ちいいのだ。すっかり病みつきになって、連日のように通い始めたというわけだ。

先月食べた「極辛麻婆らーめん」か、もしくはその兄弟分の「極辛麻婆つけめん」があればいいなと思っていたのだが、期間限定のためやっぱりだめ。店内の貼紙をあらためてよくよく見てみると、販売しているのは2月と8月だけという限定だった。8月まで待つしかないか。
というわけでいつものように「特製らーめん」(辛さ順位3位)にした。そして、いつものように「白めし」と「ビール」も。めしと麺の量は「ふつう」でお願いする。

順番待ちなしですぐに作り始めてもらったので、あっという間にカウンター上に「特製らーめん」登場。前回は別のものを頼んだので、お久しぶり。相変わらずいい「顔」をしている。
まずレンゲで10回くらいすくってスープを味わう。そして「白めし」を口へ運ぶ。今日はとくに表面の脂が美味しい。甘くて旨くてそれほどしつこくなくて、もちろん臭みもない。
家で作るときは(何度も書いているけど家で作る私のラーメンは、「坊主」インスパイアなのだ)、チューブで売っているラードを入れている。しかし、どうしてもこういう旨みはでない。まあ当然だけど。

そして具にいく。もやしのシャキシャキ感が程よい。豚バラも意外に多くてうれしい。
いよいよ次に麺だ。家で作っているラーメンは、最近は麺も自分で打っている。自分ではそれなりに満足しているが、しかし、久しぶりに食べるプロの麺はやっぱり美味しい。「坊主」の麺はどこの製麺所かは不明。中太のストレート麺で、コシがけっこうあって私の好みのタイプ。
店内に麺の量の表示があって、普通盛りが350グラム、大盛りが450グラムとなっている。ちなみに大盛りにしても普通盛りと値段は変わらない。ネット上のこの店のレヴューを見ていると、実際の麺の量は、この表示より少ないんじゃないかと書いている人が何人かいた。
じつは私も最初同じことを感じたのだが、自分で麺を打ってみて納得した。これは茹で上がった状態の重さなのだ。生緬は、茹でるとだいたい1.5倍くらいに重量が増える。だkら、普通盛りの350グラムは、生緬では約230グラムということになる。
麺1玉がだいたい150グラムとすると、普通盛りは1.5玉分なのだろう。大盛りは、生緬でちょうど2玉分ということになる。

さて今回は「極辛」を食べるつもりで勢いがついているので、ここでカウンターの壷の唐辛子をスプーン山盛り1杯分すくって丼に投入。これでかなりいい感じ(?)になった。
いつものように①麺、②具、③スープ、④めしをぐるぐる巡り、この回転数がだんだん上がってくる。その合間で、汗をぬぐい、鼻水をかみ、かなり忙しい。
だいたい20分くらいで完食。もちろんスープも「完飲」。至福の時間だった。また来ます

その後、覚悟を決めて花粉の中へ。腹ごなしに歩いて千波湖に向かう。湖畔を通り抜け、偕楽園に行って梅を観てきた。梅の花は七、八分咲きといったところか。人出はまあまあ。でもシーズンでこれでは、やっぱり少ないかも。

2012年3月17日土曜日

ボブ・ディランのアルバム5選

いよいよ最後の大ネタ、ボブ・ディランのアルバム5選である。

高校生の頃、ずいぶんディランを聴いた。1970年代の初め頃だから後追いである。さかのぼってフォーク・ロック期からカントリー・ロック期、そして、『セルフ・ポートレイト』とか『ディラン』とか『パット・ギャレット……』とかの「わけのわからん」期までをも聴いていた。
さらに厚い『ボブ・ディラン全詩集』も買って一生懸命に読んだものだ。ディランの詩は難しくてよく分らなかったけど。

映画『ドント・ルック・バック』の画面に登場するサングラスをかけ、タバコを吸いまくる若いディランの姿にはしびれた。異様にギラギラしていて、オーラを放出し続けていた。その容姿はまさに「ロック」だった。
けれど、その後のフォーク・ロック期のディランのサウンドは、全然ロックじゃなかった。レッド・ツェッペリンやディープパープルを聴いていた耳にはロックとは聴こえなかったのだ。

しかしロック少年はディランの存在自体に引き付けられたのだと思う。あのとっつきにくいしゃがれ声、語尾を引きずるようにして歌うクセのあるヴォーカル、そしていくつかの曲での平坦なメロディー。これのどこがいいのか説明するのは難しい。しかしハマると抗しがたい魅力があって、ヤミつきになってしまう。

そして1970年代の<復活>からは、リアル・タイムで注目し、アルバムが出るたびに繰り返し聴いた。そして、ついには1978年の武道館公演で、ディランの姿を目の当たりにしたのだった。
しかし、ディランはこの頃からまた曲がり角を曲がり、長い低迷期に入ってしまう。今の彼は私からずいぶん遠いところに行ってしまった。評判の高い近作も一応聴いてみたが、私の心を動かすものではなかった。

以下今回もかなり極私的なアルバム5選である。その前に、世間的な評価はたぶんこうなんだろうなというベスト5を挙げておく(余計なお世話だろうけど)。

<一般的にはたぶんこうだろうと想定されるベスト5>

・『時代は変わる』
・『追憶のハイウェイ61』
・『ブロンド・オン・ブロンド』
・『血の轍』
・『モダン・タイムズ』(?)
*順位なし。発表年代順。

<私の選ぶボブ・ディランのアルバム極私的5選>

第1位 『ブラッド・オン・ザ・トラックス(血の轍)』
第2位 『プラネット・ウェイヴズ』
第3位 『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』
第4位 『ハード・レイン(激しい雨)』
第5位 『ボブ・ディラン』
<次点> 『ボブ・ディランズ・グレーテスト・ヒッツ Vol.Ⅱ』
<次点の次点>『ニュー・モーニング(新しい夜明け)』

<アルバム5選の概要>

第1位を除いて、比較的マイナーなアルバムが並んでしまった。べつに奇をてらったわけでも、へそ曲がりだからでも、判官びいきだからでもない。私が素直に好きだと言えるアルバムだ。
なお1978年の『ストリート・リーガル』以降のアルバムは、世評の高い近作も含めて私はまったく評価していないので、当然ここにも出てこない。

<各アルバムについてのコメント>

第1位 『ブラッド・オン・ザ・トラックス(血の轍)』

誰もが認めるディランの最高傑作。私も何も言うことはない。
1974年の<復活>から始まる70年代中期のディランは、アルバム製作やライヴ活動に精力的に取り組んで、気力の充実していた時期だ。音楽的にみてもこの頃がディランの第二のピークだったと思う。その頂点で作られたのが、このアルバムというわけだ。
 
音がすっきりとクリアーで、リアルにディランの声が迫ってくるアルバムだ。
この頃のディランは、私生活の上では妻のサラとの別れがあり、つらい時期だったらしい。その事を歌った曲も収められている。しかし、ここで聴けるディランの声は明確で確信に満ちていて、しかも深い。

第2位 『プラネット・ウェイヴズ』

発売されたときは待望のザ・バンドとの初共演盤ということで話題になった。ところが、現在では人気も評価もなぜかかなり低い悲しいアルバム。だが私は大好きな一枚だ。名盤だと思う。

このアルバムには落ち着いたいい曲がそろっている。
とりわけ「ゴーイング・ゴーイング・ゴーン」、「フォーエヴァー・ヤング」(A面のヴァージョン)、「ダージ(悲しみの歌)」などの翳りを帯びた切々としたディランの歌声は、しみじみと胸に迫ってくる。それまでのディランの歌には感じられなかったものだ。

ザ・バンドは、「共演者」というよりはやはりバック・バンド。でも、『ブラッド・オン・ザ・トラックス』なんかよりは、歌と演奏に一体感がある。
ザ・バンドの演奏は、一曲目の「オン・ザ・ナイト・ライク・ディス(こんな夜に)」(アコーディオンがじつにいい味)に典型的にうかがわれるように、タイトではないが独特のノリと、ふくらみと味わいのある音で、それなりに彼らの個性を発揮している。

第3位 『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』

フォーク・ロックのスタイルが確立したとされる『追憶のハイウェイ61』のひとつ前に発表され、過渡期のアルバムと言われているが、私は全然そうは思わない。電化された伴奏の曲とそうでない曲とが混在しているが、そんなスタイルを超えて、ディランのヴォーカルはどれもロックだ。

ロックに革命をもたらしたと言われる名盤ではあるが、音の構造はいわゆるロックではない。歌の伴奏に電気楽器を使ったというだけのこと。バンドのサウンドが一体となってリフを決めたりしないし、ギターが前面に出てソロをとるということもない。
むしろディランのヴォーカルが何よりロックなのだ。迷いのない自信に満ちたヴォーカルは、圧倒的なビート感を持っている。
ザ・バーズがカヴァーしてフォーク・ロックのはしりといわれる「ミスター・タンブリンマン」のオリジナル・ヴァージョンが、このアルバムに収録されている。伴奏は、アコースティックなフォーク・スタイルだが、むしろこちらの方がザ・バーズの演奏よりもよっぽどロックを感じる。

第4位 『ハード・レイン(激しい雨)』

1975年から76年にかけて行われた米国ツアー<ローリング・サンダー・レヴュー>のライヴ録音。このツアーの録音は、その後<ブートレッグ・シリーズVol.>として、拡大版が出たために先発のこの『ハード・レイン』の方は、存在価値が薄いと思われあまり顧みられなくなってしまったようだ。

<ローリング・サンダー・レヴュー>は、ディランを中心にたくさんの出演者が入れ替わり立ち代り出てくるというトータルで4時間にも及ぶショウだったという。だからこのアルバムに、そのショウのダイジェストを求めるのはそもそも無理がある。これは独自のアルバムとして聴くべきだ。
すなわちこれは1970年代のディラン充実期のエレクトリック・サウンドがコンパクトに聴けるという意味で意義のあるアルバムなのだ。ラフでかつワイルドな勢いのある歌と演奏が詰まっている。

古い曲、たとえば「ワン・トゥー・メニー・モーニング」や「アイ・スリュウ・イット・オール・アウェイ」などが印象深い名曲としてよみがえっている。また、近作の「オー・シスター」は『ディザイア(欲望)』のオリジナル・テイクよりもずっとよい。

第5位 『ボブ・ディラン』

記念すべきディランのファースト・アルバム。だが、全13曲中ディランのオリジナルは2曲のみで、残り11曲は他人の曲。ということもあるのだろう、非常に軽視されているアルバムだ。
しかし、みんなは誤解している。このアルバムは、2枚目以降のディランの世界とはまったく別の特別の輝き持った名盤なのだ。

ここでのディランの声はすでにロックしている。「フィキシン・トゥー・ダイ」や「ハイウェイ51」や「ゴスペル・プラウ」といった曲を聴けば、すぐにその意味が理解されるはず。力強い声、勢いのある歌い方。ロック的なビート感で、ディランはパワフルに唸り、シャウトしている。
じわじわと熱っぽく迫るラスト・ナンバー「シー・ザット・マイ・グレイヴ・ケプト・クリーン」もよい。ディランのヴォーカルの力はすごい。

ちょっとふっくら顔のあんちゃんみたいなアルバム・ジャケットに、けっしてだまされてはいけない。

<次点> 『ボブ・ディランズ・グレーテスト・ヒッツ Vol.Ⅱ』

1971年発売のベスト・アルバム。名前に反してシングル・ヒットはあんまり入っていない渋い内容。
まず活動時期を縦横無尽に行き来してピック・アップした選曲がシュール。シリアスなフォーク期、アグレッシブなフォーク・ロック期、マイルドでスイートなカントリー期の歌が並んでいる。そして、それらの曲の意味がありそうでたぶんない配列もシュール。この曲順はやっぱりランダムでしょ?だけど、まあどんな風に並べてもディランの魅力はちゃんと伝わってくる。もしかすると、そこがねらいなのかも。

それよりも何よりも、全21曲中6曲の初収録曲がどれもよい。レオン・ラッセルとの「ワッチ・ザ・リヴァー・フロー(川の流れを見つめて)」と「…マスター・ピース」、初期のライヴ「明日は遠く」、ハッピー・トラウムとの「アイシャルビー・リリースト」他2曲など、どれも味わい深い。
ワイト島でのザ・バンドを従えてのライヴ「マイティ・クイン」も好きな演奏なので入っていてうれしい(『セルフ・ポートレイト』に収録されているけど)。
これらが主に入っているLPのD面はよく聴いた。

<次点の次点>『ニュー・モーニング(新しい夜明け)』

 これも『プラネット・ウェイヴズ』同様に、出たときは絶賛されたのに、今はまったく顧みられることがなくなってしまったアルバム。でも、なかなか充実したよいアルバムだと思う。少なくとも『ディザイア(欲望)』よりは、いいと思うよ。

2012年3月13日火曜日

坂本龍一のアルバム5選

私のブログ名のしっぽにつけている「BTTB」は、坂本龍一のアルバム『BTTB』のタイトルを引用したものである。「BTTB」とは、バック・トゥー・ザ・ベイシック(Back To The Basic) の略で、「原点回帰」という意味である。
私も「隠居」の身となったので、あらためてまた一からやり直したいという思いを込めて、この言葉をブログ名につけた次第だ
じつは「BTTB」には、個人的にもうひとつ別の意味も掛けてあるのだが、そっちの方は内緒。

ちなみに私は坂本のアルバム『BTTB』は持っていない。マキシ・シングル『ウラBTTB』の方は持っているけど。そこで、今回はアルバム・タイトルを拝借させていただいたお礼(無断だけど)ということで、坂本龍一に敬意を表しつつ、彼のアルバムのベスト5を選んでみた。

私は坂本龍一のあまり良いファンではない。しかし、坂本がサブカルのヒーローだった80年代、彼はやはりずっと気になる存在ではあった。
しかし、当時から感じていたことだが、彼のアルバムはどれも詰めが甘い。部分的に(場合によるとアルバム丸ごとが)中途半端なところがあって、どのアルバムもバランスが悪いのだった。

坂本龍一という人は、自己顕示欲が旺盛なのではないかと思われる。何かコンプレックスがあるのかもしれない。言動もそうだし、自分の顔をアルバムのジャケットにしたりすることからもそんな感じがする。平たく言えばカッコツケ、エエカッコシイである。
そういう人は自分を突き放せない。自己顕示に振り回されて本当の自分が見えなくなってしまう。そのためにアルバムをプロデュースする際にも、客観的に見ることが出来なくなって足をすくわれてしまうのではないか。うがちすぎかな。セルフ・プロデュースには向いていない人なのだ。
だから、どんなにプロデュース能力に優れているにせよ、自分のアルバムのプロデュースは他人にまかせればよいのだ。実際、他者から与えられた制約の中で、この人はフルに能力を発揮しているように見える。

以下今回はとりわけ極私的なアルバム5選である。

<坂本龍一のアルバム5選>

第1位 『エスペラント』
第2位 『テクノデリック』(YMO)
第3位 『B- UNIT
第4位 『Coda』
第5位 『ジ・エンド・オブ・エイジア』(坂本龍一+ダンスリー)
<次点> 『未来派野郎』のB面

<アルバム5選の概要>

結果的に「ふつう」のソロ・アルバムは、あんまり入らなかった。そういうのではなくて、依頼を受けてとか、コラボとか他者からの制約を受けながら作ったアルバムが中心になった。
私は坂本の「あまりよいファンではない」とさっき書いたばかりだけれど、『左腕の夢』も『音楽図鑑』も挙げず、さらに80年代中期以降のアルバムについては一顧だにしないでおいて、こういうセレクションをするということは、ようするに私が世間で言うような坂本ファンではないということなのかもしれない。
でも、この5枚と1/2で聴ける坂本龍一は、間違いなくいいよ。

<各アルバムについてのコメント>

第1位 『エスペラント』

坂本龍一のアルバムの中で、もっとも現代音楽寄りの作品。全編にわたり、非ポップで、アヴァンギャルドな音が響き続ける。坂本の研ぎ澄まされた美意識が全面展開された傑作だ。
これは依頼を受け前衛舞踏のための音楽として作られたものという。特殊な限定の中で、よけいなことは考えず、ひたすら鋭角的な音の世界を作っていったことがよい結果となったのだと思う。
硬質な音による隙間の多いミニマルな音世界は、一見クールだが、ケチャやガムランなど東南アジアのエスニック・ミュージックをなぞっているような部分もある。そういうところは、『テクノデリック』(YMO)や『戦場のメリー・クリスマス』のサウンド・トラックとも類似している。そうした、エスノ的熱っぽさをはらんでいるために、機械的な冷たさはない。

第2位 『テクノデリック』(YMO)

 これまでになくダークな1曲目「ピュア・ジャム」からどんどん引き込まれていく。次の「ノイエ・タンツ」以降のサンプリング音によるリズム・トラックにびっくり。それはいまだかつて聴いたことのない音だった。とくに坂本の「京城音楽」におけるサンプリングした人の声によるパーカッシブなビートはクールで見事だ。
 ただし例によってユーモアを半端なまま放り出してしまった「体操」みたいなダメ曲もある。

YMOの音楽は、BGMとして好きだ。が、私にとってはそれ以上のものではない。ただし、アルバム『BGM』と『テクノデリック』だけは別。私はYMOのファンではないが、この2枚のアルバムのファンではある。
この2枚を評価するのは私だけではないようだ。中村とうようも『ミュージック・マガジン』誌上で、次のように語っていたのが印象に残っている。「今回のアルバム(『テクノデリック』)は音楽的にはこれまでで最高、売り上げは最低になるだろう」。たぶんその通りの売り上げだったのではないか、ミーハーにこびなかったから。

YMOというのは、非常に胡散臭いバンドというのが私の印象だ。もしかすると胡散臭いのはバンドそのものではなくて、その「売り方」ということかもしれないが。だが「フェイク」を気取っていたこのバンド、じつは冗談抜きの本当の「フェイク」(いんちき)だったのではないかという気もする。ファッションや、能書きも含めてね。
初期のワールド・ツアーなんかかなりアヤシイ。ロンドンで2回、パリで1回、ニューヨーク周辺で5回、ライブ・ハウスみたいなところで演奏したとのこと。これで「ツアー」?要するに日本国内で売るための話題作りでしょ。

しかし、細野も坂本も根はマジメな人たちだったのだと思う(高橋については知らない)。大衆路線にがまんできず、ついシリアスにミュージシャン・シップを発揮してしまったのが、『BGM』と『テクノデリック』だったのだろう。
このあと次作『浮気な僕ら』で、すぐにまた売れ線に復帰してしまったのは残念だった。

第3位 『B- UNIT

 やる気満々の攻撃的アヴァン・サウンド。全体に当時のパンク/ニュー・ウェイブ、とりわけダブやインダストリアルの影響が濃厚だが、煮え切らない面もある。坂本の叙情性がたぶん邪魔するのだ。
1曲目「Differencia」の痙攣的なビートと7曲目「Not The 6 O'clock News」のラジオのサンプリング音を切り刻んだ変態的音響がたまらない。
この時の坂本は今いずこ……。

第4位 『Coda』

これは『戦場のメリー・クリスマス~オリジナル・サウンド・トラック』の曲を、曲順をそのままにソロ・ピアノ版にアレンジして演奏したアルバムである。

大島渚の映画『戦場のメリー・クリスマス』は、何とも変な映画だった。ストーリーのバランスがまず悪い。坂本はサウンド・トラックばかりではなく、出演もしているのだが、当然、演技は素人で台詞も棒読みに近い。「怪演」とか「存在感がある」とまでもいかないレベルの演技なのだが、そこを逆手に取った大島監督の演出によって、変に印象に残るキャラクターにはなっていた。
このほか、デヴィッド・ボウイとか北野武とか、癖のある人たちが出ているのだが、その起用がそんなに効果的とも思われないキャスティングだった。
 ただ、映画館に鳴り響く冒頭のテーマ曲「メリー・クリスマス ミスター・ローレンス」は素晴らしく印象的だった。

 オリジナルのサウンド・トラック盤は、曲がどうしてもそれぞれの場面と一体になっている。それに比べて、『Coda』ではより純粋に坂本の音楽の魅力に触れることができる。

第5位 『ジ・エンド・オブ・エイジア』(坂本龍一+ダンスリー)

ダンスリーは西洋中世音楽を演奏するグループ。このアルバムも全体を中世音楽的なおだやかなテイストで満たされている。坂本は、プロデュースと楽曲提供(12曲中の5曲)と一部の演奏に参加という形で関わっている。
この音楽の「成分内訳」の内、坂本の音楽がどのくらいの割合を占めるのかは、正直言ってよくわからない。
 だがここで聴ける音楽は心地よい。坂本のソロ作品中のライトでbGM的な曲に通じる感じもある。しかしこちらは坂本の作品に常に漂うけれん味がなくてすっきりしている。そしてすなおに彼の持ち味が引き出されているような感じがある。

<次点> 『未来派野郎』のB面

LPのB面、CDの5曲目以降がいい。イタリアの20世紀初頭の美術運動「未来派」をテーマとしたサンプリングとサウンド・コラージュの怒涛の波状攻撃。アヴァンな瞬間が快感だ。
でもなぜ今「未来派」なのかはよくわからない。たぶん例によって流行(はや)りだからでしょう。もしかしたら美術コンプレックスもあるのかな。

2012年3月10日土曜日

ビートルズのアルバム5選 その2

 ビートルズのアルバム5選の2回目。私の5選は次の通りで、このうち第1位と2位について前回コメントした。今回は、第3位から。

1 『アビイ・ロード』
2 『ザ・ビートルズ』(通称『ホワイト・アルバム)
3 『ゲット・バック』(未発表アルバム)
4 『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』
5 『ザ・ビートルズ1962年〜1966年』 (通称『赤盤』)
〃 『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』 (通称『青盤』)

第3位 『ゲット・バック』(未発表アルバム)

シンプルなスタジオ・ライヴによって原点に回帰しようというポールの意図で始まったビートルズの<ゲット・バック・セッション>は、結局だらだらとまとまりのないままに終わってしまう。
このときの音源からグリン・ジョンズがプロデュースしてまとめたのが、このアルバム『ゲット・バック』だ。アルバム・ジャケットは、原点回帰というコンセプトを反映して、ファースト・アルバムと同じ場所、同じ構図で撮られたメンバーの写真だった。これがその後、ベスト・アルバム『青盤』のジャケットに流用されたことは周知の通り。
 しかし『ゲット・バック』は事前の宣伝用のアセテート盤が出回ったにもかかわらず、メンバーのOKが出ないまま、お蔵入りして幻のアルバムとなる。が、このアルバムはブートレッグとして比較的容易に入手可能だ。私の持っているのは、ジャケットも再現され、ボーナス・トラックに<ルーフトップ・コンサート>の音源が収録されているもの。

その後この音源は、フィル・スペクターに預けられ、バック・コーラスやオーケストラが加えられるなど、ゴテゴテといじくりまわされて『レット・イット・ビー』となったのだった。
『レット・イット・ビー』をリアルタイムで聴いたビートルズ・ファンはみんな、私と同様その中途半端さにとまどったと思う。基本的にラフな作りなのに、装飾過多でもあり、どうにも煮え切らない感じだった。

その原型である『ゲット・バック』は、もっとずっとすっきりしている。収録されているナンバーはだいたい『レット・イット・ビー』と同じだが(テイクは違う)、ポールの当初の意図どおり、スタジオでのセッションの生な感じが生き生きと伝わってくる。彼らがそこにいて、音楽を楽しんでいるのがわかる。映画『レット・イット・ビー』で描かれているメンバーのギクシャクした関係は、このアルバムにはない。
「ラストダンスを私に」をイントロにして強引に始まる「ドント・レット・ミー・ダウン」とか、即興(たぶん)で延々と歌詞を繰り出す「ディグ・イット」(ロング・バージョン)など、わきあいあいとした仲間うちのノリが楽しい。

スタジオできっちりと練りあげたアルバムではない。だから本来のアルバムの系列に位置するアルバムというより、ファンにうれしい企画モノに近い。ちょうどストーンズでいえば『ジャミング・ウィズ・エドワード』、ディランでいえば『ベースメント・テープス』、キング・クリムゾンでいえば『アース・バウンド』、エマーソン・レイク&パーマーでいえば『展覧会の絵』みたいな。
 
 2003年の『レット・イット・ビー…ネイキッド』は、ポールの発案によるものとのことで、てっきり『ゲット・バック』の復活かと思ったら、そうではなかった。私はブートの『ゲット・バック』を後生大事にして生きていくとしよう。

第4位 『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』

いわずと知れたロックの名盤。ロック名盤ベスト100のナンバー1の座の常連アルバムである。

しかし、昔々、私たちロック少年の間では、あんまり評判が良くなかった。なぜならロックの名盤と言われている割には、「ロック度」が低かったからである。
レッド・ツェッペリンやキング・クリムゾンなんかにどっぷりとはまっている少年(私)の耳には、何とも物足りない音だったのだ。ロックぽいギター・サウンドが聴けるのは、タイトル曲の「サージェント・ペパーズ……」だけ。次作アルバムに入っている「バッく・イン・ザUSSR」とか「バースデイ」みたいな曲をもっと聴きたかった。

しかし、これは要するに「ロックの精神を持ったポップス・アルバム」と考えれば良いのだと思う。それも極上の。
ロック史上初のコンセプト・アルバムとしても評価が高いが、私的にはそんなことより何より、このアルバムの全体として持っているまったりとした味わいが好きだ。
「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」とか「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」とか「ホエン・アイム・シックスティー・フォー」などなど、(一筋縄ではいかない解釈の幅をはらみつつも)のどかでのんびりした世界が今は心地よい。
ラストの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」は、ジョンの曲の中でも一二を争う名曲(ポールのパートもあるけど)。生きていることの不安と、世界への批判がシュールに、そして感覚的に描かれていて少年の私を共感させた。

そして、ジャケットも含めビートルズの4人が、一体となって作った幸せな最後の一枚としても愛着を感じる。

第5位 『ザ・ビートルズ1962年〜1966年』 (通称『赤盤』)
〃  『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』 (通称『青盤』)

アルバム5選のうち、4枚を後期から選んだので、どうしても前期ビートルズのヒット・ソングの数々を聴くために、コンピレーション・アルバムを選んで最後の一枚にしたかった。
私の希望としては前期のヒット曲がひととおりそろっていて、なおかつアルバムには入っていない後期のシングル曲、「レディ・マドンナ」、「ヘイ・ジュード」、「ジョンとヨーコのバラード」、それに「ゲット・バック」と「レット・イット・ビー」のシングル・バージョンは入っていてほしい。

2000年に出た『1』がこの条件にかなり近い。しかし、英米でチャート1位になった曲を集めるというコンセプトだからしょうがないとはいえ、「プリーズ・プリーズ・ミー」も「オール・マイ・ラヴィング」も「キャント・バイ・ミー・ラヴ」も「アンド・アイ・ラヴ・ハー」も入っていないのではねえ……。
さらにさらに「ノルウェイの森」も「ミッシェル」も「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」も「フール・オン・ザ・ヒル」も入っていないとなると、ビートルズのベストとは言いがたい。ということで『1』はボツ。

それでは、それまで別売されていたCD2枚が、リマスターを機会にめでたく合体して2枚組の1アイテムになった(LPは最初から2枚組だったが)『パスト・マスターズ』はどうか。
後期のシングル曲、シングル・バージョンを聴くという条件にはぴったりなのだが、いかんせんこれはビートルズのアルバムを全部持っている人のための選曲。つまり前期のシングル曲でも、アルバムに入っているものは収録されていないのだった。
とくに痛いのは、変則の実質的ベスト盤『マジカル・ミステリー・ツアー』のB面に収録されているという理由で、シングル「ハロー・グッドバイ」、「ストロベリー・フィールズ・…」、「オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ」などなどが入っていないこと。

その他、コンピレーションとしては『オールディーズ』とか『ヘイ・ジュード』とかも、ものすごく愛着はあるのだけれど、ここでの私の条件は満たせない。しかしこの条件に、そもそも無理があったのかも……。ということで、結局、変則技、同率5位にして、この2枚のベスト・アルバム選ばせてもらった。
結論から見れば、当然の選択と思えるかもしれないが一応、以上のような煩悶の結果だったのである。

<次点というかおまけ>
やっぱり第5位までに、『リボルバー』を選ぶべきだったかなあ。それと『ラバー・ソウル』も。『ホワイト・アルバム』なんかより、アルバムとしてのできはいいし。『ゲット・バック』も未発表アルバムだしなあ……。というように、迷いは続くのでした。

2012年3月9日金曜日

ビートルズのアルバム5選 その1

アーティスト別の私的アルバム5選を、ローリング・ストーンズとエリック・クラプトンについてやってみた。
「5枚」という枠には別に「きりがいい」以上の意味はない。その意味のない条件を自分に課して、あーでもないこーでもないと考えをめぐらしてかってに悩むわけだ。これが楽しい。
その楽しさにすっかり味をしめてしまったので、今回は大ネタ中の大ネタ、ビートルズのアルバム5選。

前提として言っておくと、私はビートルズの後期が好きだ。
リアルタイムで聴き始めたのが『ホワイト・アルバム』からだったせいかもしれない。だからビートルズのアルバムはだいたい持っているけれども、初期のものを聴く機会は少ない。そういえば、『ライヴ・アット・ザ・BBC』は、そもそも持っていなかった(唯一持っていないアルバムか)。
というわけで私のアルバム5選は、後期のアルバム中心ということになる。ただし、初期のヒット・ソングや、後期のアルバム未収録のシングルが聴けるコンピレーションは入れたいと思う。
その結果とコメントは次の通り。

1 『アビイ・ロード』
2 『ザ・ビートルズ』(通称『ホワイト・アルバム)
3 『ゲット・バック』(未発表アルバム)
4 『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』
5 『ザ・ビートルズ1962年〜1966年』 (通称『赤盤』)
〃 『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』 (通称『青盤』)

第1位 『アビイ・ロード』

たぶん誰もが認める(認めざるを得ない)ビートルズの最高傑作だろう。
一曲目ジョン・レノンの「カム・トゥゲザー」のクールなビート感(リンゴのドラム・センスが光る)によって一気に聴くものは、『アビ・ロード』ワールドへと引きずり込まれる。これに続く名曲の数々による展開もじつに良くできている。
とくにB面の「ユー・ネバー・ギブ・ミー・ユア・マネー」から始まる有名なメドレーの素晴らしさ。私的には「ゴールデン・スランバー」~「キャリー・ザット・ウェイト」~「ジ・エンド」と続くメドレー後半部分は聴くたびに何ともいえない熱い気持ちになる。
とくに「キャリー・ザット・ウェイト」だ。メドレー冒頭の「ユー・ネバー・ギブ・ミー・……」のメロディーがリプライズしながら4人がユニゾンで歌う「キャリー・ザット・ウェイト」の次の部分には切なくなる。

Boy, you're gonna carry that weight
Carry that weight, a long time
(ボーイ、君はその重荷を背負っていくんだよ これから長い間ずっとね)

ボーイ(当時の私)は、この歌を聴きながら4人(ビートルズ)の「重荷」について、そして何より自分の「重荷」について不安を抱えつつ、励ましも受けながら思いをめぐらしたのだった。
あれから40年と少し経った。私は幸せなことにやっと「重荷」をおろせたのだったが、彼らの「重荷」はどうなったんだろう。作者のポール・マッカートニーは、1989年から翌年にかけて行われた『ゲット・バック・ツアー』で、はじめてこのメドレーを人前で歌ったのだったが……。

第2位 『ザ・ビートルズ』(通称『ホワイト・アルバム』)

現在では、ビートルズの名盤のひとつに数えられ、中には「最高傑作」とまで言う人もいるアルバム。しかし、発表当時の私の記憶では、賛否両論どころか、ほとんど「否」の評価しか聞かれなかった。「ビートルズの初めての失敗作」とまで公然と言われたりして。

前作の掛け値なしの名盤『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の次の作品、しかも彼らの設立したアップルからの初アルバム、さらに初めての2枚組ということで、世間の期待は否応なく高まった中での発売だった。ところが、完全に世間の人々は肩透かしをくらったわけだ。
そのような当時の期待感を抜きにしても、これはとりとめのないアルバムだ。曲調がばらばらで、いろいろな興味がとっちらかっていて、全体としてのまとまりがない。
ようするにこれはメンバー各自のソロ・ワークの寄せ集めである。だからもうバンドとしての一体感はあまり感じられない。しかも、それぞれの曲の出来が、均してみるとそんなによくない。というか、駄曲が多い印象。

とくに、ジョン・レノンの曲のいくつかはだらだらとしていて今ひとつ。たとえば「グラス・オニオン」、「アイム・ソー・タイアード」、「ハピネス・イズ・ア・ウォームガン」、「ジュリア」、「セクシー・セディ」などなど、みんな後の彼のソロ時代のアルバムに入っていそうな曲だ。現在ではけっこう高く評価されるようになったけど、私には今でもあまり魅力を感じない。
それにジョージの「ピッギーズ」とか「ロング・ロング・ロング」とか「サボイ・トラッフル」なんかも同様。
しかしその合間にはめ込まれた名曲達はすごい。「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」、「ブラックバード」、「バースディ」、「ヤー・ブルース」などなど。

しかし、結局私がこのアルバムを好きなのは、そのような名曲があるからだけではない。強いて言うなら、これまでぐだぐだ言い連ねてきたこのアルバムの欠点が、じつはそのまま好きな点でもあるということ。つまりこのアルバム全体のだらだらしてまとまりのない空気に魅力を感じているのだ。まさに「屈折した愛情」だね。
聴いているとメンバーそれぞれの顔が次々に現れては消えていく。メンバー各人の興味、関心、愛着、そして機知、オフザケ、新たな試みがそこここに散らばっている。アルバム全体に漂っている。この自由な空気感が好きなのだ。ジョンとヨーコの「レボリューション9」なんかも、そういう点で好きだし楽しめてしまう。

それから「ホワイル・マイ・ギター…」と「ヤー・ブルース」でのエリック・クラプトンの好演も印象的。

 以下次回に続く。

2012年3月2日金曜日

ジャニス・ジョプリンの魅力の本質

 ホイットニー・ヒューストンが亡くなって、彼女の死を惜しむ声がちまたにあふれている。あちこちで特集が組まれ、その歌声を頻繁に耳にするようになった。
 私はホイットニーに何の思い入れもない。CDも一枚も持っていない。映画『ボディー・ガード』も観ているけれど、あれってそんなにたいした映画だった?急に「名画」になっちゃったけど…。
あらためて言う必要もないけど、歌がうまい人である。彼女が十代の頃吹き込んだ曲を聴いたけど、もう完全に「うまさ」が完成しているのには驚かされる。
さてしかし、今回はホイットニーの話ではなくて、ホイットニーの「うまさ」を聴いてあらためて思った「うまさ」と「魅力」とは別物と言うお話。

ジャニス・ジョプリンって何であんなに人気があるんだろう。と私が言うと、ある知人が「歌がうまいからだろ」とこともなげに答えた。わかってないなあ。そんな紋切り型の言葉で済んでしまうような話をしたいんじゃないんだよ。
そのときの私はジャニスの歌が「うまい」のは当然として、それに加えてある何かしらの魅力があって、それが彼女の人気の秘密であろうと思っていた。その魅力とは何かという話のつもりだった。
彼女の場合、美人でもないしスタイルが良いわけでもない。どう見ても田舎のお姉ちゃんだ。外見にスター性はない。人気を集める要素は歌以外にないのだが…。
しかし、そもそもジャニスの歌は「うまい」のかと今の私は思っている。

ジャニスはCDのボックスも出たけれど、買う気にはならなかった。ジャニスのアルバムで持っているのは、二枚きり。
ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーの『チープ・スリルス』と、ソロ遺作『パール』だ。『パール』は、<レガシー・エディション>という2枚組みで、おまけの一枚は例の<フェスティバル・エクスプレス・ツアー>からのライヴ音源収録というもの。

ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーは、演奏が下手ということで現在ではほとんど省みられることのない悲しいバンドである。このバンドの名前が、かろうじて後世に残ったのは、ひとえにボーカリストであったジャニスのおかげといえる。
しかし、その擬似ライヴ盤『チープ・スリルス』で聴ける彼らの演奏には、なかなか捨てがい魅力がある。60年代末のロックの空気感が初々しく新鮮だ。駄曲もあるけど、「サマー・タイム」とそれからじわじわと熱っぽい「タートル・ブルース」がいい。

そして『パール』は、やはりロックの名盤だ。「ムーヴ・オーヴァー」、「ミー・アンド・ボギー・マギー」、そして「トラスト・ミー」といい曲がそろっている。ボーカル・トラックなしの曲(インスト)でジャニスの不在を印象付けたり、反対にアカペラの曲で声の生の存在感を伝えたりといった趣向も的を射ている。
ただバックの演奏はビッグ・ブラザー…と違って、テクニックはあるけどソツがなさ過ぎていてちと味気ない。

さてジャニスの歌について。ホイットニーをうまいと言うのなら、つまり、声量があって、歌唱テクニックがあって、表現力があるのが「うまい」と言うのなら、ジャニスはけっしてうまい歌手とは言えないだろう。ジャニスの声はパワフルだが声量がたっぷりあるとは言えず、張り上げるとかすれたりしゃがれてしまう。強く歌うところは、ノー・テクニックのスクリームと化す。
それからジャニスの歌は、いつも、ゼロが全開のどちらかという感じだ。その間の引きの部分、つまりちょっと力を抜いて歌う部分が、もちろんないわけではないが、少ない。まるで石川さゆりみたい。そうすると、何だかどの歌も同じに聴こえてしまうのだ。私がジャニス・ジョプリンのCDを全部揃えようという気にならないのは、ひとえにこの理由による。

しかし、このジャニスの「うまくなさ」が、彼女の魅力の本質なのだと思う。声を全開にしたときの後先(あとさき)考えない喉をつぶしそうな全力感。そして全開でなく抑え気味に歌うパートでの、ノー・テクニックの不安定さと、それゆえの生々しさ。「サマー・タイム」や「ミー・アンド・ボギー・マギー」が好例だ。
そこには弱さをさらけだした、痛々しい人間の生な存在感がある。そこが「うまさ」を超えた彼女の魅力なんだと思う。