2013年6月11日火曜日

ムーン・ライダーズ 「バック・シート」

<ムーン・ライダーズ最高の名曲 「バック・シート」>

私にとって、ムーン・ライダーズの最高の1曲は、「バック・シート」だ。作詞と作曲は橿渕哲郎。ムーン・ライダーズの4枚目のアルバム『モダーン・ミュージック』(1979.10)に収録されている。

「バック・シート」は、フランスのヌーヴェル・バーグの監督として知られるルイ・マルの映画『鬼火』にインスパイアされて作られた曲という。他にもう一曲、『モダーン・ミュージック』のアルバム最後に入っている「鬼火」(クレジットは原案:松山猛、作詞:佐藤奈々子・鈴木慶一、作曲:鈴木慶一)も、タイトルから明らかなように、やはりこの映画からの影響を受けて作られている。

映画『鬼火』は、日本での公開は1977年。『モダーン・ミュ^ジック』の制作の2年前だ。しかし、フランスでのオリジナル公開は1963年のことだった。
かつては社交界の寵児として享楽的な生活を送っていた主人公の青年アラン。アルコール中毒の治療によるブランクの後に、再びパリに戻り昔の友人を訪ねて歩く。所帯持ち、芸術家、テロリストとして生活するかつての友人たち。
じつはアランはすでに自殺を決意しているらしいのだ。昔の友人たちとの対話によっても、アランは自身が生きるための価値観を見出せない。そしてついには、ピストルによって自らの命を絶つのだった。
この映画は、戦後の若者の価値観の喪失を描いた映画として高く評価されているという。私は見ていないのだけれど。

この映画の影響を受けた「バック・シート」は、自殺をテーマにした暗い曲だ。しかし、歌のシチュエーションは、映画の内容をなぞっているわけではない。さらに、車のバック・シートという安息の空間のイメージを歌の中心に据えている。

Aメロのシンコペートしたリズムに乗って始まる歌いだしは、軽い上に直截過ぎて今ひとつ。とくに「Looseな」という言い回しは、やっぱりちょっと大雑把。

Looseな 恋だった
Loose
な 海は素敵さ
Good Bye 今日までの僕
Good Bye
心はもう醒めている

しかし続くBメロのヨーロッパ的なサウンドと歌詞の世界は重く沈んでいる。

車走らせ夜明けまで 僕は優しくなれる
「スピードあげて」と君は言う Back Seat
道は海の中までも 続いていればいい
君はふるえて目を閉じる Back Seat

この辺の歌詞は、ニュアンスに富んでいて、ルイ・マルの『鬼火』とはまた違う、もうひとつの映画を観ているような気分になる。
やがて車は「がけの上にたどりつく」。そこで繰り返される次のようなBメロの歌詞。

車乗りすて振り向けば 見慣れた幸福
君は眠りにおちてゆく Back Seat
僕は暗いがけの上 静かに眠りたい
誰も知らない僕だけの Back Seat

しだいに死に近づいていく「僕」。冷ややかな意識の中で「見慣れた幸福」な日々が、ずいぶん遠いものに見える。死によって相対化される日常。
この部分のギターが素晴らしい。高音のギターの揺らめくような滑らかなフレーズは、それこそまるで青白く燃える鬼火のようだ。
そしてそのまま不安と解放への期待の中でこの歌は終わる。その後に残るダークで、しかもひんやりと美しい深い余韻がとても印象的だ。


<もうひとつの名曲 「モダーン・ラヴァーズ」>

「バック・シート」の入っているアルバム『モダーン・ミュージック』の中で、もう一曲好きな曲が「モダーン・ラヴァーズ」だ。
「バック・シート」のひとつ前の曲で、このアルバムを聴くときは、連続するこの2曲だけをリピートして聴いている。

「モダーン・ラヴァーズ」とは、ドライでクールな現代的な恋人たちという意味だろう。この曲の印象的なギターは、そんなイメージを反映させて、グルーヴ感のないジャスト・タイムのカッティングを繰り返す。
しかし、このタイトルとは裏腹に歌われている詞は、ウェットな心情を歌っている。そのウェットさが雨の空港の情景と巧みに重ねられている。まあほとんど演歌的な恋愛模様なのだが、そこがなかなか悪くない。

今夜こそは  おまえを残し
旅立つつもりだった  雨さえ降らなければ
デッキにうかぶ  バラのレインコート
おまえの瞳がみえる  夏むきの襟がみえる
雨のエア・ポートはブルー
やさしさはいつもブルー

「今夜こそは  おまえを残し 旅立つつもりだった」主人公。しかし、デッキに佇むレインコートを着た「おまえ」の姿をみつけて、やはり旅立てなくなってしまう。そんな自分の不甲斐なさに主人公の気持はブルーだ。

  MyLove MyLove MyLove MyLove
  冗談じゃないぜ ちょっと気になるだけさ
  モダーン・ラヴァーズ 
  モダーン・ラヴァーズ゙

そんな主人公が言う。自分たちはドライでクールなモダーン・ラヴァーズなんだ。おれは「おまえ」のことが、「ちょっと気になるだけさ」と強がりを言う。しかし、そうやって強がれば強がるほど、主人公の軟弱さ(優しさでもある?)ゆえのウェットでブルーな気持が浮かび上がってしまう。
そんな演歌的な心情と、いかにもニュー・ウェーヴ的なクールなギターの組み合わせが何ともいい感じだ。
 もっともムーン・ライダーズの詞に描かれているメンタリティは、基本的に演歌的あるいはフォーク的だと思う。私の中では、演歌とフォークはほぼ同一だ。


<私とムーン・ライダーズの悲しい過去>

私にとって初期のムーン・ライダーズはとても気になるバンドだった。だから『火の玉ボーイ』(1976.1)から、アルバムは一通り聴いていた。
しかし、新しいアルバムが出るたびに、正直なところいつもかがっかりさせられたものだ。それでも懲りずに、また次のアルバムが出れば聴いてしまったのはなぜか。それは、このバンドの知的で、一種ペダンチックなところに惹かれていたからだ。
アルバムごとにそんな期待と落胆を繰り返したあげく、結局『青空百景』(1982.9)や『マニア・マニエラ』のカセット・ブックあたりで、とうとう私とこのバンドとの縁は切れてしまったのだった。

現在私の手元にあるムーン・ライダーズのアルバムは、『火の玉ボーイ』と『イスタンブール・マンボ』と『モダーン・ミュージック』の3枚だけ。他のアルバムは、全部処分してしまった。

ムーン・ライダーズの一般的な印象は、玄人好きのする、ツウ好みのバンドであり、そのためにコアなファンが多くいるバンドといったところだろう。そしてさらに、メンバー各人のソロ活動や他のミュージシャンとの交流によって、日本のポップス界に隠然たる影響力を持つ強面(こわもて)のバンドというイメージもある。
またバンドが長く続いていることを「奇跡」(「化石」と言われるらしいが)と賞賛され、また音楽的な変わり身の早さを「時流の音に敏感」とほめ称えられたりしている。
しかし、その長い活動のわりに一度も一般的にブレイクすることもなく、また今日たとえば、はっぴいえんどに対するようなリスペクトを受けることがないのも事実だ。
それは彼らが商業的なポピュラリティーを目指さなかったせいもあるだろう。しかし結局、彼らの音楽そのものに魅力が欠けていたということなのだろうと私は思っている。

私にとって彼らの音はいつも中途半端で煮え切らなかった(ファンのみなさん、ごめんなさい)。
音楽性にあんまり独自性を感じない。それは時流にあわせてそのスタイルをころころ変えていたせいでもある。シティ・ポップから出発して、エスニックなものに寄り道し、今度はテクノ・ポップの方へ…。しかも、それぞれの取り入れ方が何とも中途半端。
たとえば『マニア・マニエラ』。このアルバムは、当時あまりにも実験的で難解過ぎるとの理由から、通常の形で発売されなかったとされている。私は実験的な音が大好きなのだが、このアルバムは、当時も今も全然とんがった音には聴こえない。せめてYMOの『テクノデリック』くらいには、実験的であって欲しかった。
それからムーン・ライダーズの歌を聴いていると、やっぱりこの人たちのメンタリティの根っこは良くも悪くもフォークなのではと思ってしまう。その歌にいつも等身大の日常感覚がのぞいている感じがあるからだ。


<アルバム『モダーン・ミュージック』>

1980年前後の日本のテクノ/ニュー・ウェーヴ期における私のアルバム・ベスト3は次の3枚だ。YMOは一応別として、それ以外で当時の私の印象に強く残ったものだ。

-モデル 『イン・ア・モデル・ルーム』(1979.8
ムーン・ライダーズ 『モダーン・ミュージック』(1979.10
平山みき 『鬼ケ島』(1982.6

『モダーン・ミュージック』は、今でもときどき聴くけれども、他のムーン・ライダーズのアルバム同様、良い曲もあるがダメな曲も多いアルバムだ。
ニュー・ウェーヴ・アルバム・ベスト3に選んでおいて何だけど、よくよく考えてみると、良い曲は2曲しかない。「モダーン・ラヴァーズ」と「バック・シート」だ。しかし、この2曲が特別に素晴らしいために、このアルバムの印象が強いのだった。

この『モダーン・ミュージック』について、「アルバム作成に際してなんのアイデアもなかった」が、かしぶち哲郎が持って来た曲「バック・シート」が核になって、アルバムの構想がまとまっていった、というようなことを後になって知った。そしてこの話に私はある意味で大いに納得したのである。
結局このアルバムは、核になった「バック・シート」ともう一曲「モダーン・ラヴァーズ」の2曲を除くと、あとはほとんどつまらない曲ばかり(ファンのみなさんゴメン)。なるほど、それらは「バック・シート」の付けたりとして作られた曲だったからなのか…。

たとえば1曲目の「ヴィデオ・ボーイ」(作詞・作曲:鈴木慶一)。音的にはヴォコーダーのボーカルなどでテクノ風味をあしらっているが曲は凡庸。歌詞の内容はヴィデオに振り回される現代生活を皮肉ったものだが、その批評の視点は月並みで浅いし、ユーモアもヒネリがなくてしかもすべっている。ファンのみなさんはどう思っているのだろう。
 その他どの曲も出来は似たりよったりで、曲としての魅力が薄い。
しかし、そこで歌われる恋愛模様がフォーク的で、しかも描き方が演歌的で浅い。つまり、古いと言うか旧来どおりの感覚なのだ。それが、テクノな意匠をまとっている。そのミスマッチが、いわば味わいどころと言えば言えるのかもしれない。

<追記2014219日)>

かしぶち哲郎が亡くなった。20131217日のこと。食道癌で療養中だったとのことだ。享年63歳。
年末の大瀧詠一の死去のニュースの陰で、失礼ながら、ひっそりと消えていったという印象。

「バック・シート」の作者は、自分のバック・シートに辿りつけたのだろうか。御冥福を祈る。


〔関連記事/日本のニュー・ウェーヴ・アルバム・ベスト3〕

-モデル 『イン・ア・モデル・ルーム』(1979.8
ムーン・ライダーズ 『モダーン・ミュージック』(1979.10
平山みき 『鬼ケ島』(1982.6

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