2013年1月10日木曜日

ユーミンの歌がリアルだった頃

昨年2012年は、ユーミンのデヴュー40周年だった。記念のベスト・アルバムが発売されたりしてだいぶ話題になっていた。
記念アルバムの新聞広告は、全面を何ページも使ったもので、そのド派手さ加減にちょっとびっくり。こんなことしなくたって、このアルバムは飛ぶように売れるだろうに。あい変わらずのバブリーぶりだ。

かつてロック少年だった私にも、ユーミンの歌を好んで聴いていた時期があった。今となってはちょっと恥ずかしい過去だ…。
私の好きだったユーミンは、荒井由美の時代だ。デヴューした1972年から76年くらいまで。アルバムでいうと73年のファースト・アルバム『ひこうき雲』、74年の『MISSLIM(ミスリム)』、75年の『COBALT HOUR (コバルト・アワー)』、そしてここまでのベスト盤である76年の『YUMING BRAND (ユーミン・ブランド)』くらいまで。
荒井由美名義ではこの後もう一枚『14番目の月』というのが出たが、これは聴かなかった。この辺からユーミンは何となく遠い存在になる。ただしこれ以降では唯一81年のアルバム『昨晩お会いしましょう』も気に入っている。
この中で私がリアルタイムで買ったのは3枚目の『コバルト・アワー』だったが、結局一番よく聴いたのは、ベスト盤の『ユーミン・ブランド』だ。オリジナル・アルバムではないけれど、ある意味でこのアルバムがユーミンの最高傑作ではないかとも思う。

後の松任谷由実と違って荒井由美の歌は、私にはとてもリアルに心に響いた。
この時期の荒井由実の歌は、あんまり明るくない。どのアルバムにも翳りがある。軽快なアメリカン・ポップ・チューン「ルージュの伝言」でさえ、内容は夫(マイ・ダーリン)が浮気して不安な気持になっている妻の話だ。
アルバムが全体に暗いのは失恋の歌が多いせいでもある。のちにユーミン自身が認めているように、この頃の彼女のアルバムには、「私小説」的な側面があるとのことだ。でも、翳りはあるがけっして湿っていないところがいい。

たとえば彼女の失恋ソングの最高峰(?)「海を見ていた午後」。横浜の山手にある海の見えるレストラン「ドルフィン」で別れた彼とのことを思い出している主人公。

ソーダ水の中を貨物船がとおる
小さなアワも恋のように消えていった
(「海を見ていた午後」『ミスリム』)

ここでは、失恋の痛みがクールな詩によって昇華されている。そんなクールさがよかった。
この頃の荒井由実のヒット曲の多くはこんな失恋の歌だ。「あの日にかえりたい」(シングル)、魔法の鏡」(『ミスリム』)、「12月の雨」(『ミスリム』)、「翳りゆく部屋」(シングル)等など。どれもそれなりに良い曲で、失恋の痛みはそのままに、その思いをクールでハイ・センスな歌の世界にまとめている。
バックのキャラメル・ママ/ティン・パン・アレイの演奏や山下達郎によるコーラス・アレンジも、この洗練された世界に大きく貢献している。

80年代以降のユーミンが、だんだんプロジェクト化するのに対し、この頃の荒井由実のアルバムには、まだ等身大の一人のシンガー・ソングライターの姿がある。
とくにあのあまりうまくないヴォーカルが逆に変にリアルだった。美声ではないし、声に伸びがなくて声域も狭い。でもそこが生々しかった。
たとえば「きっと言える」。転調してキーが上がると、サビの高音が苦しくなる。

あなたが好き きっと言える
どんな場所で出会ったとしても
(「きっと言える」『ひこうき雲』)

繰り返されるこのフレーズを一生懸命にせつせつと歌う姿が、ひたむきで健気(けなげ)で、そして切なかった。

この頃の曲の中で、とりわけ印象的なのは「ベルベット・イースター」と「やさしさに包まれたなら」の2曲だ。
「ベルベット・イースター」は、次のフレーズのイメージが素晴らしい。

空がとってもひくい
天使が降りてきそうなほど
(「ベルベット・イースター」『ひこうき雲』)

4月の小雨の日曜日の朝。低く垂れ込めている雲を、「天使が降りてきそうなほど」低いと形容している。「天使が降りてきそうな」というのは、たぶんイースター(復活祭)からの連想なのだろうけれど、とてもうまい。
けっして失恋の歌ではないのだが、しっとりと落ち着いた曲調も雲が低い日曜日の朝の雰囲気に合っている。
そして後半の一連のフレーズも新鮮だ。

ベルベット・イースター
きのう買った
白い帽子花でかざり
ベルベット・イースター
むかしママが好きだった
ブーツはいてゆこう
(「ベルベット・イースター」『ひこうき雲』)

ちょっと気取っているけれど、シンボリックな雰囲気もある。キラキラと清新なイメージが散りばめられた素敵な一節だと思う。これがデヴュー・アルバムの曲とは驚き。本当に「天才」だったのかもしれない。

もう一曲の印象深い曲「やさしさに包まれたなら」は、現在では超有名曲になってしまった。1989年のジブリのアニメ映画『魔女の宅急便』のエンディング・テーマになり、JR東日本のキャンペーン・ソング、そしてテレビ・ドラマの主題歌などでも使われてすっかりおなじみの曲になっている。
この曲にはバージョンがふたつあって、『魔女の宅急便』に使われた軽快なアップ・テンポのアルバム・バージョンの方が現在では広く知られている。しかし、私は断然、スローなシングル・バージョン(『ユーミン・ブランド』に収録)が好きだ。

この曲の何が良いかといえば、ここには幸福感があふれていることだ。まず誰もが大事に抱えている子供の頃の幸せだった感覚が次のように描かれる。

小さい頃は神様がいて
不思議に夢をかなえてくれた

あるいは次のヴァースでは

小さい頃は神様がいて
毎日愛を届けてくれた
(「やさしさに包まれたなら」『ミスリム』)

そんな子供の頃のような幸福感が、大人になって現れる瞬間がこの歌のテーマとなっている。

カーテンを開いて 静かな木漏れ陽の
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつるすべてのことは メッセージ
(「やさしさに包まれたなら」『ミスリム』)

コーラスで繰り返されるこの一節。至福の時間にいるとき「目にうつるすべてのことは メッセージ」というのは、文学的だけれど、とてもリアリティを感じる。そんな幸福感は、シングル・バージョンの落ち着いたテンポの方がじっくり伝わってくる気がする。

その他に私が好きな曲としては、しっとりとした失恋ソング「雨のステイション」とか80年以降につながる吹っ切れた「チャイニーズ・スープ」(いずれも『lコバルト・アワー』)などがある。
荒井由実の曲は、翳りを感じさせながらオシャレで気が利いていた。バックの演奏も含め気取っていたり、背伸びしている部分もあり、そういうところは今から振り返ると正直、古臭くなってしまっている。しかしそんな部分も含めて、そこには等身大のシンガー・ソングライターとしての荒井由実がいた。オシャレな表現の中にも心に響くパーソナルなリアル感があった。

学生運動の余熱が消え去っていったあの頃。理想実現の闘争も自滅して、挫折感と無力感の中で、みんな呆然としていたあの頃。「就職が決まって髪を切ってきた時 もう若くないさと 君に言い訳したね」(「いちご白書をもう一度」詞・荒井由美)の時代。
そんな中で折しも私は思春期を送っていた。不安で無力で自意識過剰な青少年だった。そんな呆然としていた自意識過剰の心に、荒井由美の翳りのあるしかもクールな歌は 不思議にリアルに響いたのだった。

その後80年代になってアルバム『昨晩お会いしましょう』で再びユーミンに出会うことになる。
そこでのユーミンは、自分のヴォーカルの弱点をもう完全に個性として活かしきっていた。歌の世界もかなり作り込んであって、どの曲も短編小説のようによく出来ている。あの頃はこのアルバムをBGMとしてずいぶん何回も聴いたものだった。
これに味をしめて、この後に出た82年の『パール・ピアス』や、83年の『リ・インカーネーション』も聴いてみたが、だんだんユーミンは遠いところへと去っていったのだった。

『昨晩お会いしましょう』はそれなりに良いアルバムだが、ここにいるユーミンは、職人としてのソングライターであって、その歌には荒井由実の歌がそうであったような個々の心に響くパーソナルなリアルさはもうなくなっていた。
心の中の微妙なニュアンスを切り捨てて、最大公約数的な紋切り型表現の音楽へと彼女は進んでいった。たとえば「春よ、来い」みたいなね。その結果、ユーミンが大衆の絶大な支持を集めたことは御承知のとおり。
アルバムを出せば必ずチャート1位。派手なコンサートは常に話題になり、まさに「日本の恋」のカリスマとなったのだ。そんな人気も最近は一段落したようだが…。
「ユーミン」とはもう巨大な音楽産業と化したプロジェクト名のように見えてしまう。一人のシンガー・ソングライターであった荒井由実の時代が今は懐かしい。

思い出にひかれて
ああ ここまで来たけれども
あのころの二人はもうどこにもいない
(「カンナ8号線」『昨晩お会いしましょう』)

0 件のコメント:

コメントを投稿