2013年1月15日火曜日

「ニッポンのギタリスト名鑑」

『レコード・コレクターズ』誌2013年1月号の特集は「ニッポンのギタリスト名鑑」。今回はこの特集を見て感じたことをあれこれ記してみる。
年末年始でもたもたしているうちに次の2月号が出てしまって、古い話題になってしまったけれど御容赦を。なお2月号のクラプトン『スロー・ハンド』特集についてひとことだけ文末で触れたので、これも読んでみてほしい。

さて今回のギタリスト特集は、なかなか力の入っているのがわかる内容で、私の知り合いやネットの上ではおおむね好評のようだ。しかしじつは私(わたし)的には今ひとつ、という感じ。
特集では、日本のギタリスト112人を紹介している。「名鑑」だからランキングの順位はつけていないが、取り上げ方は三段階に分れている(これが評価?)。1ページ全部を使って紹介している人が5人。半ページで紹介している人が20人。そして残りは、三分の一ページずつ、つまり1ページに三人ずつ掲載という扱いだ。そしてそれぞれのパート内の順番は生年順になっている。

まず冒頭の1ページずつ紹介されている5人だが、これが私には何とも興味の薄い人たちばかりなのだ。
何しろ最初が寺内タケシだからね。いくら生年順とはいえ、これではいきなりの肩すかしだ。この人は、たしかに日本におけるエレキの「伝道師」かもしれないけれど、もはや本来のロックの人ではないでしょ。

鮎川誠とCharの二人は、それなりのロッカーらしい。しかしこの人たちの「歌謡曲」を聴いて、私はすっかり気持が萎えてしまい、以来興味を持てなくなってしまった。その曲とは、鮎川はシーナ&ロケッツのヒット「ユー・メイ・ドリーム」(1979年)、Charの方は大ヒット曲「気絶するほど悩ましい」(1977年)。どちらも売れ線ねらいの駄曲だ。ロッカーが「ユー・メイ」(有名)になりたくて「歌謡曲」に手を出すと、こうやってファンは去っていくのである。

渡辺香津美は、うまい人だけれどあまり個性を感じない。だから魅力も感じない。KYLYNやYMOとのライヴで聴いても、やっぱり全然印象に残らないのだ。
魅力がないという点では、日本のフュージョン系のギタリストは、私にはどれもみんな同じ。

そして鈴木茂。はっぴいえんどは私の大好きなグループだ。だからというわけではけっしてないのだが、この人の印象に残っているプレイは、結局はっぴいえんど時代のものだ。
ソロの代表作と言われている『バンド・ワゴン』は、ヘタウマ(?)のヴォーカルは置いておくとしても、演奏うんぬん以前に曲そのものに魅力がない。

というわけでいきなり斬りまくってしまった。
特集の全体を見わたしてもあんまり関心がわかない。その理由の一つは、この雑誌のこのての特集でいつも感じる「ロック度」の薄さだ。まあ今回の特集の前説でも「ジャンル横断で紹介」と広言しているわけだし、それがこの雑誌の持ち味でもあるのだが…。

フォークの石川鷹彦、中川イサト、村上律からなぎら健壱にいたる名手たちが入っているのはまあ問題ない。ロック・ファンにとってもかなり身近な面々だからね。
でもジャズの人たち、高柳昌行、増尾好秋、川崎燎などは、ややロックからのご縁は薄い。そして田端義夫、木村好夫など歌謡曲の人をあえてフィーチャーしたのは、選択の幅広さをアピールしたのだろうけど、もしかして奇をてらったのでは、とかんぐりたくなってしまう。 

しかしこんな「ロック度」が云々という前に、この特集に私の気持が盛り上がらない本当の理由がじつは別にある。それは、そもそも日本のロック・ギタリストって結局、外国のモノマネしてるだけじゃないの、という思いが私の中にあることだ。まあ、今さらの話なのではあるのだが。英米のロックのモノマネで終わっていて、自分なりの表現になっていなければ、聴く意味はないとも思っている。
そのような意味で今回の特集の中でわずかに私の目に留まったのは、たとえばこんな人たちだ。遠藤賢司、ツネマツマサトシ(フリクション)、山本精一(ボアダムス、ROVO)。他にもいるのだろうがが、残念ながらこれまで私には縁がなかった。 
この人たちはギタリストとしてどうこうという以前に、ともかく音楽そのものが独自で個性的だ。唯一無二 ワン・アンド・オンリー…。その音楽が素晴らしいのはもちろんだが、その志の高さにも惹かれてしまう。

反対にクロス・オ-ヴァー/フュージョン系の人たちはテクニシャンだけどつまらない。日本に影響を与えた海外ギタリストとして今回の特集でも紹介されているアール・クルー、リー・リトナー、ラリー・カールトンらの影響を受けた、というかマネをしてる人たちだ。いちいち名前は挙げない。
フュージョンてしょせん「商業音楽」でしょ。BGMにはいいかもしれないけど、まともに聴く音楽じゃない。

ところで、この特集の記事で知った事実がひとつ。
一風堂の土屋昌巳は、ジャパンのライヴ・アルバム『オイル・オン・キャンヴァス』での客演が印象に残っている。このアルバムで聴ける彼の演奏は、エイドリアン・ブリューばりのヘタウマなギターで、私はこれが土屋のスタイルなのかと思っていた。そしたら、この特集で彼がじつは多彩なスタイルのオール・マイティーなギタリストであることを知ったのだった。

今回の特集で懐かしい名前に出会った。
成毛滋(p.61)、陳信輝(p.64)、竹田和夫(p.51) 森園勝敏(p.54)…といった日本のロック黎明期のギター・ヒーローたちだ。久しぶりに彼らのアルバムを引っ張り出してきて聴いてみた。
成毛滋は、ストロベリー・パス『大烏が地球にやってきた日』(1971)、ソロ作(?)『ロンドン・ノーツ』(1971)、フライド・エッグ『ドクター・シーゲルのフライド・エッグ・マシーン』(1972)、『グッバイ・フライド・エッグ』(1972)など。
陳信輝は、フード・ブレインの『晩餐』(1970)、ソロ作『SHINKI CHEN』(1971)、スピード・グルー&シンキ『イヴ』(1971)と『スピード・グルー&シンキ』(1972)などなど。
すっかり御無沙汰していたので、この二人については、こんなCD持っていたことを自分で忘れていた。
他に竹田和夫のブルース・クリエイション時代の『白熱のブルース・クリエイション』(1971年のライヴ)とか、森園勝敏は四人囃子のデヴュー作『一触即発』(1974)なんかも聴いてみた。

彼らはとにかくうまい。たいていはクラプトンか、ブルース・ロック系のギター・スタイルをベースにしている。が、本家のクラプトンには当然及ばない。モノマネを越えて独自のスタイルを作り出しているかといえば、それも疑問だ。
しかし彼らの音楽には英米のロックへの強い憧憬がある。そしてさらには、それを乗り越えてやろうという意欲がひしひしと伝わってくる。全然商業的でないし、実験精神にあふれている。
その姿勢にはやっぱり共感するし、感動してしまうのだった。モノマネにもそんな聴きどころはある。そんなことにあらためて気づくきっかけになってくれた今回の特集だった。感謝、感謝。

以下は、おまけでひとこと。
今号(2013年2月号)のレコ・コレ誌の特集はエリック・クラプトンの『スロー・ハンド』。
この特集の前説(p.40)に次の一文がある。
「『スロー・ハンド』は、『461オーシャン・ブールヴァード』と並んで、クラプトンの全キャリアを通じての最高傑作とされています。」
えっ、そんなこと、いつ誰が決めたの?
『スロー・ハンド』がクラプトンのAOR期の「最高傑作」と言うなら、「お好きにどうぞ」というだけのことだ。しかし、これが「全キャリアを通じての最高傑作」だとなると、これは聞き捨てならない。   レイド・バックする以前のクラプトンは全部無視するわけ?。
私は以前「エリック・クラプトンのアルバム5選」というのを選んだことがある。私のセレクションが正しいと言うわけではけっしてないが、世間にはいろいろな見方、考え方があるわけなのだから、「これこれが最高傑作とされている」みたいな、まるで定説のような言い方をするのはよくないと思うよ。

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