2013年1月18日金曜日

P-MODEL 「美術館で会った人だろ」

<『イン・ア・モデル・ルーム』について>

P-MODEL(ピー・モデル)のアルバム『イン・ア・モデル・ルーム(IN A MODEL ROOM)』(1979年)は、私にとって思い出深いアルバムだ。まだ社会人になったばかりのハードな日々の中で繰り返し聴いたせいでもある。
これはP-MODELのデヴュー・アルバムだが、この頃の彼らはテクノ・ポップのバンドと言われていた。久しぶりに引っ張り出して聴いてみると、このアルバムは日本のパンク/ニュー・ウエイヴの流れにおける名盤の一つだとあらためて思った。

アルバム全体に、シンセを前面に出したチープなアレンジで、リズム・ボックスやシンセ音のギミックが散りばめてあって、いかにもテクノ的な装いをしている。しかし、バンドの演奏そのものはあくまでパンキッシュだ。
ただ疾走感はあるが、ストレートな怒りをぶつけるというスタイルではない。シニカルで冷めていて、曲の構造はシンプルだがセンスはネジれている。その点では、前年(1978年)に出た、ディーヴォのデヴュー・アルバム『頽廃的美学論』なんかを思わせる。

ほとんどすべての曲は、文明や現代社会をシニカルに批判する内容だ。ただしその批判の仕方が、わりと単純で底が浅い。曲の構造がシンプルなだけに、よけいそれが気にならないではない。まあそこがパンクっぽいとも言えるのだが…。

アルバム前半は何となく言いたいことが空回りしているような感じもある。
しかし後半、「KAMEARI POP」から「偉大なる頭脳」を経て「アート・ブラインド」に収束する展開では、平沢進の思いとセンスが全面展開されている。
とくに「偉大なる頭脳」が良い。シュールな歌詞が、音と一体となってぐりぐりとねじれていくプログレ・ソング。彼らの前身がプログレ・バンドだったことを思い出させる。

<「「美術館で会った人だろ」」>

アルバムの中で一番印象的なのは、やはり「美術館で会った人だろ」。この曲はアルバムに先立ってデヴュー・シングルとして発売されている。
シングル発売を意識したのか、シンセによるテクノ風味が強めの軽快なポップ・ソングだ。だが歌詞はシュールかつ不気味かつ暴力的で、やはりどうしようもなく歪んでいる。

私なりにこの曲を解釈してみよう。

美術館で会った人だろ
そうさあんたまちがいないさ
美術館で会った人だろ
そうさあんたまちがいないさ

きれいな額をゆびさして
子供が泣いていると言ってただろ

(中略)

なのにどうして街で会うと
いつも知らんぷり
あんたと仲よくしたいから
美術館に美術館に美術館に
火をつけるよ

(「美術館で会った人だろ」 詞・曲 平沢 進)

「美術館」は厳密な規律と価値観に支配された空間だ。ここでの「美術館」は、たぶんわれわれが生きているこの社会そのもののメタファーなのだと思う。
この社会で起こる出来事の背後には、さまざまな悲劇や悲惨が潜んでいる。しかし、それらは、何事もなかったかのように隠蔽され、取りつくろわれている。この状態がつまり「きれいな額(=絵)」だ。
美術館で出会ったその「人」は、「きれいな額をゆびさして 子供が泣いている」と言った。うわべのきれいさの陰に隠された悲惨(「子供が泣いている」)を感じ取ってしまうセンシティヴな人なのだ。ゆえに主人公は、この「人」にひかれ、「仲よくしたい」と思う。
しかしこの「人」は、たぶんそれでもまだ「美術館」の規範にとらわれているのだ。そのために「いつも知らんぷり」をする。主人公は彼女をその規範の束縛から解き放ちたいと思う。だから「美術館(=社会)」に「火をつけるよ」なのだ。火をつけて「美術館」を破壊し、人々を自由にし、自分も自由になろうとするのだ。

この曲に漂うどうしようもなくもやもやした不満と怒りは、この解釈のとおりではないかもしれない。しかし、そんな「気分」がここにあることだけは間違いない。
悲惨を抱えた社会、人の感覚を束縛する社会。それに火をつけたいと私も願いながらこの曲を何回も聴いていたものだ。

<テクノ・ポップの時代>

P-MODELは、ヒカシュー、プラスチックスとともに「テクノ御三家」としてくくられている。1980年代のはじめ、当時ブームとなっていたYMOに続くテクノ・ポップの有望株と目されていたわけだ。
1979年のテレビ番組『パイオニア・ステレオ音楽館』(東京12チャンネル)は、いち早く「テクノ・ポップ」を特集し、この三つのバンドを並べて紹介していた。この番組の映像は今でもユー・チューブで見ることが出来る。

このときの演奏をあらためて観てみた。三つのバンドの違いばかりが目に付いて、「テクノ・ポップ」という共通項はさっぱり見えてこなかった。
この中でもっとも「テクノ度」が高いのがプラスチックス。
リズム・ボックスとピコピコの電子音で、あえてチープな音作りをしている。デザイナーやスタイリストなどオシャレ業界の人たちが「お遊び」でやっているバンドと思っていたが、一応ギターなんかは弾いている。
テクニックから解放され、ミュージシャンとして「稚拙(シロウト)」であることを逆手に取って、センスのみで勝負しているところは、パンクやニュー・ウエイヴの精神と同じだ。そこを突き詰めていけば、ワイアーみたいに新しい地平を切り開けたはずなのだが…。
この人たちは所詮「オシャレ」でやっているので、たしかこの後何の展開もなくすぐに消えてしまったのだった。

しかし本当にシロウトばかりだったら、ここまでの展開もあり得なかったはず。そんな彼らの音楽面を支えていたのが、メンバー中、唯一のミュージシャン、元四人囃子の佐久間正英だ。
ところで佐久間は、P-MODELの『イン・ア・モデル・ルーム』のプロデュースも担当している(メンバーと共同で)。もしかすると『イン・ア・…』のテクノ風味は、この佐久間による仕掛けなのではないかという気もするのだが。

ヒカシューは、この番組の映像を見る限り、どこが「テクノ」なのかさっぱりわからない。
そんなレッテルとは関係なくこのバンドの曲と演奏のエキセントリックさは尋常ではない。
ロックの文脈とは無縁。大正ロマンから昭和歌謡にいたる邦楽的な曲調と歌唱とコスチューム。そして、何より狂気に満ちた歌。異様で濃密な世界がそこに出現している。巻上公一はなかなかの異才だ。
で、これってテクノなの?

P-MODELの演奏はとにかく激しく熱い。フロントのギターとベースは、動き回りシャウトする。歌が社会批判だから、まったくパンク・バンドだ。ここにはシニカルで冷めた感じは全然ない。シンセの音が、申し訳程度に「テクノ」っぽいが、やっぱり飛び上がったりして弾いている。
この演奏だけで、彼らをテクノと呼ぶには無理がある。

この番組が作られたのは、1979年のこと。テクノ・ポップのブームが蔓延するのは80年代に入ってからだから、かなり早い時期の放映ということになる。
だからたぶんこの三グループを集めたことに、それほどの深い考えはなかったのではないかと推測する。しかしその後この取り合わせがひとり歩きをして「テクノ御三家」と称されるようになったのではないだろうか。今となっては、このくくりはむしろじゃまというほかない。

P-MODELは、その次のアルバム『ランドセル』も買ってよく聴いた。しかしその後は、彼らもどんどん変わっていき、そして私も変わっていったために、ご縁はなくなってしまった。メンバー・チェンジを繰り返し、音楽性も紆余曲折を経たらしいが、今どういうことになっているのかはまったくわからない。
しかし、このデヴュー・アルバムの放つ輝きは、やっぱり今も失われていない。

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