2012年9月12日水曜日

中島みゆきが少しだけ「ロック」だった頃

中島みゆきの昔の歌に「誰のせいでもない雨が」というのがある。
学生運動の挫折と無力感、そして「日和って」今は日々の暮らしに埋没している自分への罪悪感と悲しみを歌った歌だ。
本当はこの歌の歌詞を丸ごと引用したいところだが、それはまずいことらしいのでやめる。
歌詞中には、当時の学生運動をリアルにイメージさせるフレーズが散りばめられている。たとえば「黒い飛行機…」(三里塚闘争)、「怒りもて石を握った指先」(デモでの投石)、「寒さに痛み呼ぶ片耳」(機動隊に殴られた古傷)などなど。
そして今この歌の主人公は、無力感と悲しみの中にいて、それを忘れ去りたいと願っている。
かつてあの頃は戦う相手が見えていた。「米帝」が、日本の資本主義体制が、そして搾取する資本家たちが戦う相手だったのだ。彼らの「せい」で、自分たちは苦しみの中にいると信じていたのだ。
しかし、いまや敵は失われてしまった。今私を濡らすこの雨。この雨を誰の「せい」にするわけにもいかない。誰の「せい」でもない雨、仕方のない雨なのだ。

この歌の中でものすごく印象に残る一節がある。次のような一節だ。
「きのう滝川と後藤が帰らなかったってね」
昨日のデモに参加した仲間のうち、滝川と後藤の二人が帰らなかったのだ。つまり警察に捕まって留置場に入れられているのだ。「今ごろ遠かろうね寒かろうね」と歌詞は続く。
当時の学生たちのデモはしばしば機動隊と激しく衝突した。そのたびに何人かは必ず「公務執行妨害」で逮捕され引っぱっていかれた。
この個人名が具体的なためにヘンに耳に残るのだ。
私は学生運動そのものには参加しなかったが、その熱気の余熱の冷めやらぬ中で青春時代を過ごした。理想を語る若者たちへの一定のシンパシーも抱いていた。そんな遠い記憶を、この具体的な一節は呼び覚ます。個別ゆえにリアルであり、リアルであるがゆえに普遍性を持っている。そういう意味で、これはよくできた歌だと思う。

このような個別的で具体的なシチュエーションを読み込むのが、中島みゆきの作詞法の一つの特徴だ。
「誰のせいでもない雨が」と同じアルバムに入っていて、90年代にCMにも使われて有名になった「ファイト!」もそんな曲だ。
「あたし中卒やからね 仕事をもらわれへんのや」と書いた女の子の手紙とか、「薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかける」と言われて東京に行くのをあきらめた(男の)子など、いくつもの個別で具体的なエピソードが積み重ねられていく。これはそうした日常の中で世間の不合理にしいたげられる者たちへの励ましの歌だ。
当時ラジオのパーソナリティをしていた中島のもとへ寄せられた実際の手紙を元にした歌詞とのこと。中島は、個々の手紙の内容をあえて具体的なまま断片に切り取る。それぞれの前後の事情はよくわからないが、しいたげられた者たちのくやしさはリアルに伝わってくるし、共感しないではいられない。ちょっとベタだが、いい曲だと思う。

ひところ中島みゆきの歌をよく聴いた。
それはこの曲「誰のせいでもない雨が」を収めたアルバム『予感』が出た前後、80年代前半のことだ。この頃のほんの一時期、中島みゆきは「ロック」だった。

ロック・ファンがそれまでフォークの人だった中島みゆきに注目するようになったのは、1982年のアルバム『寒水魚』に収録された「悪女」のアルバム・ヴァージョンとか、83年の次作アルバム『予感』収録の曲「ばいばいどくおぶざべい」あたりからだったろう。
「悪女」は、アルバム発売の前年から大ヒットしていた。このシングルは、アコースティック・ギターとピアノ中心の演奏に乗って、さらっとした歌いまわしで歌うフォークっぽいアレンジだった。
これに対し、このアルバム・ヴァージョンは、後藤次利(元サディスティック・ミカ・バンドなど)のアレンジによるかなりロックつぽいものだった。ぐっとタメを効かせた粘っこいリズムにのり、中島みゆきのヴォーカルも力が抜けた浮遊感のある気だるい歌い方で、シングルとは違う歌の世界を作り出していた。
ばいばいどくおぶざべい」は、曲調はもちろんとして、ギタリストを主人公にした歌の内容や、歌詞の中に出てくる「ドック・オブ・ザ・ベイ」や「ライク・ア・ローリング・ストーン」といった曲名、そして演奏に細野晴臣がベースで参加していることなど、いろいろな意味でロック的な要素のある曲だった。

ちょうどその頃『ミュージック・マガジン』誌でも、こうした動向に注目して中島みゆきのインタヴュー記事を掲載している。
インタヴューの中で、いつ頃からロックを意識し始めたかと訊かれて、中島は「私は最初からロックだった」と答えていた。これにはちょっとシラけた。ロック誌のインタヴューであることを意識して、あえて「ロック」の意味を拡大解釈したわけだ。でも、誰がどう聴いたって、80年代の一時期を除いて、それ以前もそれ以後も彼女が演っていたのはロックではない。

中島みゆきの活動歴は長い。1975年にデヴューしてから80年代までフォークのシンガー・ソング・ライターとして活動し、その後も1990年代には「空と君のあいだに」(日テレ『家なき子』主題歌)、2000年代には「地上の星」(NHK『プロジェクトX』主題歌)という大ヒットを放っている。現在では「国民的歌手」と言ってもよい存在となった。
しかし、彼女のミュージシャンとしての実力と人気のピークはやはり1980年代の前半ということになるだろう。1982年のアルバム『寒水魚』は、現在までの彼女の数あるアルバムの中で、いまだにもっとも売れたアルバムだという。
ところが皮肉なことにこのアルバムで人気のピークを極めると同時に、中島みゆきはその後いっきに模索の時期へと突入していく。次作以降のアルバム・セールスは下降線を辿り、サウンド・アレンジや作風について試行錯誤を繰り返すことになる。この模索の時期を中島みゆき自身は、後で振り返って「御乱心の時代」と呼んでいるという。
そして、この模索の時期に、中島みゆきは、ちょっとだけ「ロック」になったのだった。

この頃のアルバムは一通り聴いたが、つまらないものは捨ててしまった。今手元に残っているのはかろうじて3枚だけ。『寒水魚』(1982)、『予感』(1983)、そして『Miss.M』(1985)。
『寒水魚』では先の「悪女」を含むいくつかの曲で、アレンジに後藤次利を起用している。また次の『予感』では、アルバム後半の曲でアレンジに井上堯之(元スパイダース、PYGなど)を起用。さらに間をおいて『Miss.M』では、ほぼ全面的に再び後藤次利をアレンジャーとして起用している。
このロック畑出身の二人がアレンジした曲がすべてロックっぽいわけではないし、先の「ばいばいどくおぶざべい」のように中島自身がアレンジした曲にもロック的なものはある。しかし、いずれにせよこの頃、いろいろな形でロック的なアプローチが試みられてはいたのだ。

しかし、当時もそう思ったし今聴いてもさらにその思いは強くなるのだが、やはりロック的アレンジは所詮アレンジでしかない。
リズムが歌の内容と一体となった「悪女」のアルバム・ヴァージョンと、レゲエ的でニュアンス豊かなビート感を持つ「…どくおぶざべい」はとりあえず例外としよう。それ以外のロックっぽいアレンジの曲は、リズムが一本調子で、演奏はどれも薄っぺらで安っぽい。似非ロックとしか言いようがないものだ。
ロックであることに魅かれて中島みゆきを聴き始めた私だったが、すぐにこのことに気がついた。しかし、そのようなうわべのスタイルだけのものではない、もっと別な意味での「ロック」が彼女の歌のいくつかにはあることにも気がついた。
その「ロック」をひとことで言えば「批評性」ということになるだろうか。既存の価値への反発や弱者への共感。そして、そんな「批評」をする自己の痛みや悲しみ。そうしたテーマが盛り込まれた彼女の歌に、私は「ロック」魂を感じたのだ。

冒頭に紹介した「誰のせいでもない雨が」や「ファイト!」も私にはそういう意味での「ロック」だ。その他、1985年のアルバム『Miss.M』に収められている「熱病」と「忘れてはいけない」の2曲もその意味で好きな曲だ。ちなみにこの2曲のアレンジだけは、後藤次利ではなくて、チト河内。
「熱病」は汚れた大人の世界の入り口にいる少年の無垢を歌っている。吐き捨てるように歌う中の次のようなフレーズが印象的だ。「見ない聞かない言えないことで胸がふくれてはちきれそうだった」、「ずるくなって腐りきるより阿呆のままで昇天したかった」。
「忘れてはいけない」のリフレインは「忘れてはいけないことが必ずある/口に出すことができない人生でも」。このリフレインの合間に、「許さないと叫ぶ野良犬の声を」とか、「認めないと叫ぶ少女の声は細い」というフレーズが挟まる。
鬱屈し閉塞している現実の生活。しかし、かつて世の不条理に対して「許さない」、「認めない」と叫んだ気持を忘れずに持ち続けよと中島みゆきは鼓舞するのだ。
こうして言葉だけ抜き出すと、かなりベタな表現だけど、私は共感を覚える。

他の日本のミュージシャンのアルバムと同様、中島みゆきのどのアルバムも曲の出来不出来が激しい。
社会に対する批評性の強い曲でも『Miss.M』の「ショウ・タイム」なんかはかなり出来の悪い曲だ。「いまや総理はス-パースター」なんていう陳腐な表現がいろいろ出てくる。
それから彼女のどのアルバムも曲目の大半を占めるのは失恋の歌である。少なくともこの頃の中島みゆきの最大のセールス・ポイントはこの一連の失恋の歌だった。「悪女」もそうだし、この曲の入っている『寒水魚』がベストセラーとなった理由は、なまなましい吐露のような失恋ソングがずらっと並んでいたからではなかろうか。
中島みゆきの失恋の歌の語り口は、しばしば自己卑下的、自虐的、自嘲的である。一応ストーリー化して客観視しているのだが、そこになまなましくリアルな情感が盛られている。まあそこが、この人の「芸」であり、人気の源でもあるのだろうが、私はしばしば鼻白んでしまう。

だから、これからも頻繁に中島みゆきのアルバムを聴くことはないだろう。しかし、ときおりふっと彼女の「ロック」を聴きたくなるのもたしかなのだ。

4 件のコメント:

  1. うまいーち2015年2月7日 20:49

    このエントリー、「ばいばいどくおぶざべい」でググってたどりつきました。すごく気に入りました。
    私が中学生の頃、Miss.Mが出た直後にみゆきさんのファンになり、このあたりのアルバムはききこみました。当時、最も印象に残ったアルバムは「生きていてもいいですか」でした。そこから何年もたたないうちに、「予感」「はじめまして」のようなサウンドに転じたと知り、同じアーティストの中でも地殻変動のようなことってあるのだな、と感じたものでした。
    お礼まで。

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    1. コメントありがとうございます。
      この記事は、見てくださる方の数はかなり多いのですが、コメントはさっぱり。
      みんな私とは意見が違うのだろうなと思っていました。なので気にいっていただけてうれしいです。
      最近は「麦の歌」がヒットしている中島みゆきですが、歌い方がちょっと大仰過ぎませんか。振り返ってみると、『予感』の頃が、彼女の本質と「芸」のバランスがもっともよくとれていたのではないかと思います。

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  2. しっかりした洞察力、説得力のある記事でしたので、お礼がてら私の意見も書かせてください。
    私は中島みゆきは天才だと思っていますが、80年代前半までの、メロウなメロディーにメソメソした歌詞の曲が大好きです。
    それ以降の朗々と歌い上げる曲は、どうしても好きになれないので聴きません。
    アルバムで言いますと、70年代半ばから始まって「寒水魚」を頂点とし、その後2~3作品までを30年以上聴き続けています。

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    1. コメントありがとうございます。記事をお褒めていただいてとてもうれしいです。
      「朗々と歌い上げる」中島みゆきは私も嫌いです。「ビッグ」になるとみんな大切なものを見失ってしまう。中島みゆきだけでなく、ユーミンもサザンも…。
      私も自分が良いと思うものだけを、大事にずっと聴き続けたいと思います。

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