2014年9月27日土曜日

ブランドXの夏


今年の夏も暑かった。そんな暑い日々に毎日聴いていたのがブランドXだった。
8月のあたまに、再結成CSNYのフヌケた音を聴いていた反動もあって、何だか気分がシャッキリするような音が聴きたかったのだ。ブランドXは、ひんやりして気持ちよかった。

もっともブランドXを聴く直接のきっかけは、例によって『レコード・コレクターズ』誌だった。
同誌20149月号で目にしたのがブランドXのアルバム再発の記事。初期6作品が、あらたにSHM-CD化され、紙ジャケ(これは2回目)で再発されるとのことだ。誌面の見開き2ページを使って、その6作品が紹介されていた。
私は高音質化の再発には興味がないので、買い直す気にはならなかったのだが、この記事を目にして、久しぶりにブランドXのCDを引っ張り出して聴いてみる気になったのだ。

ちなみに私にとってのブランドXは、アルバムで言うと最初の4枚まで。すなわち次の4枚だ。

第1作 「異常行為(Unorthodox Behaviour)」(76年)
第2作 「モロカン・ロール(Moroccan Roll)」(77年)
第3作 「ライヴストック(Livestock)」(77年)
第4作 「マスクス(Masques)」(78年)。

ブランドXが、本当に神がかっていたのはここまでだった。これは私だけでなく、大方のファンが認めるところだろう。5枚目以降は、「ふつう」の技巧派バンドになってしまった。
面白いのは、アルバムのデザインもこの変化をそのまま反映していること。4作目までは、それなりに個性的で印象深いデザインなのだが、5枚目以降はかなりひどいものになっている。

■英国的フュージョン?

ブランドXは、言うまでもなく超絶技巧派集団だ。しかし、このバンドの良さは、その超テクニカルな音が、あくまで英国的なこと。英国的なヒネリとウイットがあって、クールであると同時に叙情的で何とも言えない陰影がある。
そんな彼らの特徴をもっともよく表しているのが、第1作の「異常行為(Unorthodox Behaviour)」(現在の邦題は「アンオーソドックス・ビヘイヴィアー」)だろう。

このアルバムは、当時アメリカで流行っていたクロスオーヴァー/フュージョンに対する英国からの回答、なんて言われたものだ。しかし、ここで聴ける音は、アメリカのそれとは決定的に違っていた。
アメリカの超絶技巧派のミュージシャンの大半は、「思想」を持っていない。つまり、その音楽を通して表現したいコトが感じられない。ようするに、言葉は悪いが「音楽バカ」なのだ。だから、たちまち安易な商業主義音楽に成り下がってしまった、とも言える。
中には、チック・コリアのように、一時はフリー・ジャズをやっていて「思想」がありそうに見えたのに、結局は確信犯的にリターン・トゥ・フォーエヴァーのような金儲け主義に走った人もいる。

これに対し、ブランドXの音には、知的なセンスが感じられた。いわばプログレ的フュージョン。異様にねじくれたフレーズもそうだし、とくに第1作1曲目の「ニュークリア・バーン(Nuclear Burn)」に特徴的な異常な熱のようなものもそれを感じさせた。ブログを見ていたらこの「異常な熱のようなもの」を、「怨念がこもったような音」と表現している方がいた(「ノブりんのブログ」)。こう表現したくなる気持ち、すごくよくわかる。

もっとも、ブランドXに「思想」があったのは、最初のほんの一時期のことだった。4作目の『マスクス』あたりから、ポリシーなき「思想的」漂流が始まり、以後、先にも書いたとおり、「ふつう」の技巧派バンドになってしまったからだ。そうなるとアメリカ産のフュージョンと違いがなくなってしまう。でも、とにかく初期4作の知的で翳りのある音世界の輝きは永遠のものだ。

■ブランドXのユーモア感覚

音そのものとは関係ないが、彼らの英国的なユーモア感覚は、その曲名のセンスにも現れている。たとえば、第1作の中の「Enthanasia Waltz(安楽死のワルツ)」とか、「Born Ugly」(醜く生まれる)なんかかなりヒネくれている。
このファースト・アルバム録音前の発掘音源集(ジョン・ピール・セッション?)である『ミッシング・ピリオド(Missing Period)』(97年)というアルバムが出ている。ここでは、その後のアルバムに収められた曲の原曲が演奏されているのだが、その曲名がかなり可笑しい。
たとえば上の「Born Ugly」の原曲は「Dead Pretty」(可愛く死ぬ、もしくは、とても可愛い)。それから第2作収録の「Why Should I Lend You Mine」の原曲は、「 Why Won't You Lend Me Yours?」といった具合(つまり「僕」と「君」が入れ替わっている)。
さらに「Miserable Virgin(ミゼラブル・ヴァージン)」というのもあって、これはもちろん名曲「Malaga Virgen(マラガ・ヴィルゲン)」のもじりというか駄シャレだ。マラガ・ヴィルゲンというのは、たしかスペインのマラガ産の白ワインのことだったと思うど。この「ミゼラブル・ヴァージン」のヴァージンには、ヴァージン・レコードがかけてあるらしい。
こんな言葉遊びもいかにも英国的だ。

■『ライヴストック』の思い出

初期の4枚のアルバムの中でも、彼らの最高傑作は3作目の『ライヴストック』だろう。私にとってもこのアルバムは、もっとも印象深いアルバムだ。
かつて、学生時代に朝から晩まで、文字通り一日中、音楽を聴いていた時期があった。その頃もっとも頻繁に聴いたのが、ジェネシスの『フォックス・トロット』だった。このアルバムの思い出については、別に記事を書いたことがある。
そして、その次によく聴いたのが、この『ライヴストック』だった。当時はLPの時代。A面を聴いては、ひっくり返してB面へ。そして聴き終わるとまたA面へ。これを一日中、際限なく繰り返したものだ。
『フォックス・トロット』と『ライヴストック』は、音楽的にはだいぶ傾向が異なる。しかし、あらためて考えてみると、聴いている者を作品の世界にディープに引きずり込むという、いわば麻薬的な魅力を持つという点では共通している気もする。あと、ドラマーが、どちらもフィル・コリンズという点も共通しているわけだけど。

■『ライヴストック』はオリジナル・アルバム

しかしこの『ライヴストック』は、ブランドXの代表作でありながら、じつは音作りの点で、彼らの作品全体の中では、むしろ例外的な作品と言える。このアルバムの印象は、とにかく静か。陰影を強調したクールでデリケートな音の世界が、ゆるやかに展開されている。ひとことで言うと、青白い炎がメラメラと燃えているような感じだ。
先行する第1作と第2作にも、そして『ライヴストック』の次作の第4作にもこの感じはない。『ライヴストック』の音は、これらの中で一番知的でクールなのだ。強いて言うなら、同時期に作られた第2作『モロカン・ロール』の内のいくつかの曲に、これに近い感触がある。

この音の違いは、他の3枚がスタジオ作であるのに対し、『ライヴストック』がライヴ録音だからということでもないようだ。後年になって発売されたブランドXの当時のライヴ音源(『タイム・ライン』とか『トリロジー』など)を聴いても、その音はアグレッシヴで、同じライヴなのに『ライヴストック』の印象とは全然異なっている。

この『ライヴストック』独特の音について、うまく言い当てているのは立川芳雄の次のような一文だ。

一つ一つの楽器の音はクリアーで、音圧が低めなせいもあって居丈高な感じがしない。そしてキラキラした高音が強調されており、深くかけられたエコーが奇妙な非現実感を醸し出す。
数あるブランドXの作品のなかで、こうした特長的な音像を持っているのは本作(『ライヴストック』)と『モロカン・ロール』だけ…。
立川芳雄『・プログレッシヴ・ロックの名盤100』(2010年リットーミュージック)

『モロカン・ロール』の音も同じ、というのは同意しかねるけれども、『ライヴストック』の音の特徴と、それがブランドXのアルバムの中でレアであるということを、ちゃんと言っている点は貴重だ。
結局、このアルバムはブランドXのアルバムの中で先にも書いたように例外的なアルバムなのだが、そのことによってこのバンドの良さがもっとも良く現れたアルバムとも言えるだろう。
その辺について『ライヴストック』のライナーは、次のように説明している。

コリンズが参加している3曲(御隠居による注 「Ish」、「安楽死のワルツ(Enthanasia Waltz)」、「アイシス・モーニングⅰ,ⅱ」)が比較的クールな印象のトラックということもあり、後年に発表されたライヴ・アルバムに比べると押しの強さに欠ける嫌いもあるのだが、(中略)あえて引きの曲を中心に据えたことで、彼らの多面的な個性がより浮き上がってくる内容に仕上がっていると言えるだろう。(中略)
ブランドXというバンドの特質がもっとも活かされるスタイル(中略)で制作されたのが本作…。
鮎沢裕之『ライヴストック』2006年紙ジャケ盤ライナー

回りくどい言いまわしだけれども、言いたいことはわかる。クールな曲を中心にした選曲は、特定の意図によっているということだ。
さっき触れたレアな音作りといい、このかなり意図的な選曲といい、結局『ライヴストック』は、彼らのライヴをありのままに記録したのではなく、むしろライヴの音源を素材にし、加工して、新たな作品として再構成されたオリジナル・アルバムと言えるだろう。

■『ライヴストック』の音

『ライヴストック』は、まずそのジャケットから印象的だ。
いかにもイギリス的な田園風景の中に停車している透明な車。その車の開いたドア(どこでもドアの車版)からのぞく、スリムでセクシーな脚。このアルバムのクールでしかも官能的な音の世界が、じつにうまく視覚化されている。
しかしこの美脚の印象がいくら強力だったからとはいえ、まさかその後に、脚フェチ・ジャケ路線として引き継がれていくことになろうとは…。もちろんアルバム『ドク・ゼイ・ハート?(Do They Hurt? )』(80年)と、『Xコミュニケーション(Xcommunication)』(92年)のことなのだが、どちらもビジュアル・センスがどうしようもなく劣悪なのが悲しい。

『ライヴストック』でもっとも印象的なのは、アルバムのオープニングだ。
冒頭の曲は「ナイトメア・パトロール(Nightmare Patrol)」だが、メイン・パートのエレピのソロが始まるまでの曲のイントロ部分が素敵だ。真っ暗な夜空から、たくさんの星くずがキラキラと輝きながらゆっくり舞い降りてくるような印象。
この部分については、ブログ「Office Chipmunk」の筆者の方の次のような形容に私も同感だ。

オープニング「Nightmare Patroll」のフェード・インからテーマが決まるまでの神秘的な演奏は、 SOFT MACHINE の名曲「Facelift」にも似た法悦の瞬間がある。
ChipmunkOffice Chipmunk」(ブログ)

このアルバムの全体に漂っている浮遊感や、透明で硬質で翳りのある叙情性を、このオープニングはみごとに象徴していると言えるだろう。
オープニング曲に続いて、フィル・コリンズ参加の曲が続いている。すなわち「Ish」、「安楽死のワルツ(Enthanasia Waltz)」、「アイシス・モーニングⅰ,ⅱ」の3曲だ。いずれも一見地味で控えめでクールな音だ。間()を生かした、侘び寂びとも幽玄とも言える世界が紡がれていく。しかし、その奥で、透明な青い炎がメラメラと燃えている。この感じが麻薬的だ。

そしてアルバムのエンディングが「マラガ・ヴィルゲン(Malaga Virgen)」。それまでの3曲で抑えに抑えていたものが一気に噴出するような、素晴らしい疾走感だ。快感だ。この快感を堪能したくて、何度も何度もこのアルバムを聴いていたような気がする。
それにしても、このアルバム、曲数は少ないが、じつによく練られた作品構成になっていると思う。

このアルバムにすっかりヤラれた私は、ものすごく期待してこの次の第4作「マスクス(Masques)」(78年)を買ったのだった。しかし、魔法はもう消えかけていた。相変わらずテクニカルだけれど、英国的な翳りや繊細さは薄れ、なんだかスッキリしてドライな感じになっていた。曲によっては、リターン・トゥー・フォーエヴァーに限りなく近い音に聴こえた。
以後のブランドXは、このアメリカ寄り路線をどんどん推し進めていったのだった。残念だ。


0 件のコメント:

コメントを投稿