2014年1月21日火曜日

ボブ・ディラン&ザ・バンド 『ワイト島ライヴ』


昨年ボブ・ディランのブートレッグ・シリーズVol.10として『アナザー・セルフ・ポートレイト』が発売された。オリジナル・アルバム『セルフ・ポートレイト』の関連音源を集めたものだが、これのデラックス・エディション(4枚組)のディスク3は、1969年の第1回ワイト島フェスティヴァルでのディランの演奏をコンプリート収録したものである。
このデラックス・エディションを、私は思うところあってあえて買わなかった。しかしディスク3のワイト島のライヴには、正直そそられた。長年ずっと聴きたいと思っていた音源だからだ。

ディランの69年ワイト島ライヴの音源は、周知のようにこれまでその内の4曲が『セルフ・ポートレイト』に収録されて聴くことができた。これがなかなかよいのだ。とりわけ「マイティー・クイン」は素晴らしい。
だから私は、このワイト島のディランをもっと聴きたいと思っていた。ブートレッグが出ていると聞いて、それなりに探していたのだが、とうとう見つからなかった。
それが今回ついにオフィシャルな形でリリースされたというわけだ。ただ、4枚セットの中の1枚として、というのは気に入らない。このセットが、4枚組で18000円也という、ファンの足元を見たべらぼうな値段だったからだ。

やっと最近になって、友人にディスク3だけコピーしてもらうことができた。というわけで今回は、これを聴いての感想を記してみよう。

ところでディラン史的に見れば、この時期のライヴは貴重ではあるけれど、内容にはあまり期待できそうもないというのが大方の見方だろう。なぜなら1966年のバイク事故による隠遁後、なんとか活動を再開したディランだったが、1967年の『ジョン・ウェズリー・ハーディング』、1969年の『ナッシュヴィル・スカイライン』、そして1970年の『セルフ・ポートレイト』と、傍目(はため)には迷走を続けているようにしか見えない時期だからだ。

デモ・テイク集のような『ジョン・ウェズリー・ハーディング』はまだ許せるとしても、それまでのダミ声から澄んで滑らかな声に「変身」して、お気楽にカントリーを歌った『ナッシュヴィル・スカイライン』は、誰もがディランの悪い冗談だと思った。そして、とどめは美声ディランによる意味不明、意図不明のポップス・アルバム『セルフ・ポートレイト』だった。
最初評論家に「クソ」と言われた『セルフ・ポートレイト』の評価も、その後、少しは上昇しているのだろうか。
『レコード・コレクターズ』誌201310月号の『セルフ・ポートレイト』特集は、何とかこのアルバムを持ち上げようとしていた。しかし、この特集に文章を寄せた何人もの執筆者の中で、結局このアルバムを手放しで絶賛しているのは、唯一鈴木カツだけだったのも事実だ。

ワイト島のライヴは、まさにそんな混迷のさなか、『ナッシュヴィル…』と『セルフ…』の狭間に行われたのだった。こんな時期のライヴに期待しろと言う方が無理というものだ。実際ワイト島のライヴについて、当時のマスコミはこぞって酷評したという。
しかし、『セルフ・ポートレイト』で聴くことの出来る、このときのライヴの一部は、意外にもなかなか良かったのだった。中でも「マイティー・クイン」には、荒っぽくてワイルドな不思議な魅力があった。
果たして、このライヴは、実際のところどうだったのか。


<アルバム『ワイト島ライヴ』について>

『アナザー・セルフ・ポートレイト』〔デラックス・エディション〕のディスク3のタイトルは、日本盤では「ワイト島フェスティヴァルLIVE完全版(Bob Dylan & The Band)」で、海外盤では「Bob Dylan & The Band Isle of Wight - August 31, 1969」となっている(らしい)。この文章では、以下このディスク3を『ワイト島ライヴ』と呼ぶことにする。

曲目は以下の17曲。

1. イントロ
2. シー・ビロングズ・トゥ・ミー(She Belongs To Me
3. アイ・スリュー・イット・オール・アウェイ(I Threw It All Away
4. マギーズ・ファーム(Maggie's Farm
5. ワイルド・マウンテン・タイム(Wild Mountain Thyme
6. 悲しきベイブ(It Ain't Me, Babe
7. ラモーナに(To Ramona
8. ミスター・タンブリン・マン(Mr. Tambourine Man
9. 聖オーガスティンを夢で見た(I Dreamed I Saw St. Augustine
10. レイ・レディ・レイ(Lay Lady Lay
11. 追憶のハイウェイ61Highway 61 Revisited
12. いつもの朝に(One Too Many Mornings
13. あわれな移民(I Pity The Poor Immigrant
14. ライク・ア・ローリング・ストーン(Like A Rolling Stone
15. アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト(I'll Be Your Baby Tonight
16. マイティー・クイン((Quinn The Eskimo) The Mighty Quinn
17. ミンストレル・ボーイ(Minstrel Boy
18. 雨の日の女(Rainy Day Women #12 & 35

ライヴの当日は、ディランの登場の前にザ・バンドのみの演奏パートがあったとのことだ。ザ・バンドはそこで、45分間にわたり9曲を演奏している。その後に、ボブ・ディランが登場して、ザ・バンドはそのままバックをつとめた。
ディランは1時間にわたって17曲を歌った。この『ワイト島ライヴ』には、それがセット・リストどおりにコンプリートに収録されている。
3曲目の「マギーズ・ファーム」まで演奏したところで、いったんザ・バンドはステージからおり、以下次の4曲は、ディランの弾き語りによるアコースティック・セットとなる。その4曲とは、「ワイルド・マウンテン・タイム」、「悲しきベイブ」、「ラモーナに」、「ミスター・タンブリン・マン」だ。
そこから再びザ・バンドがバックに入って8曲演奏。「マイティー・クイン」で一応ライヴの本編が終了となる。そしてアンコールが「ミンストレル・ボーイ」と「雨の日の女」の2曲だった。

これのライヴ録音のうち『セルフ・ポートレイト』に収録されていたのは、「シー・ビロングズ・トゥ・ミー」、「ライク・ア・ローリング・ストーン」、「マイティー・クイン」、「ミンストレル・ボーイ」の4曲。他の曲は、これまで未発表のままだった。

このライヴの時点で最新作だった問題の『ナッシュヴィル・スカイライン』からの曲は、「アイ・スリュー・イット・オール・アウェイ」と「レイ・レディ・レイ」の2曲。
その前作『ジョン・ウェズリー・ハーディング』からは、「聖オーガスティンを夢で見た」、「あわれな移民」、「アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト」の3曲がここで歌われている。
17曲中この5曲を除く残りの12曲は、フォーク期、フォーク・ロック期そしてベースメント・テープ・セッションからの曲など旧作なのだが、いずれもダミ声ではなく美声ディランが「ナッシュヴィル・スカイライン唱法」(青山陽一の命名)で歌っている。
しかし、意外にもそれほど強い違和感はない。それは「マイティー・クイン」などいくつかのハードな曲では、ディランの声から鼻にかかった甘さがとれて、エッジの効いたシャウトを聴かせているからだろう。

この69年の『ワイト島ライヴ』で聴けるディラン&ザ・バンドのサウンドは、その3年前、同じくザ・バンド(当時はまだザ・ホウクスだったが)がバッキングしていた66年のワールド・ツアーのときのそれとはまったく異なるものだ。
その音楽性の違いは、この二つのライヴの両方で演奏された曲目を比較すれば一目瞭然だ。たとえば「シー・ビロングズ・トゥ・ミー」や「ライク・ア・ローリング・ストーン」だ。

『ワイト島ライヴ』のオープニング曲は「シー・ビロングズ・トゥ・ミー」だ。『ザ・ロイヤル・アルバート・ホール・コンサート』(ブートレッグ・シリーズVol.4)で聴ける66年ツアーのときのオープニングも同じこの曲だった。
だが、この二つの演奏は、まったく違う曲調だ。
66年の演奏がアコースティックによる弾き語りだったのに対し、69年のワイト島の演奏が、バンド演奏だからというだけではない。
66年ツアーのディランは、まさにカミソリの刃のようなアブナい鋭さで、この曲を歌っていた。それに対し、69年のディランはあくまでルーズで軽快な歌い方だ。

また『ザ・ロイヤル・アルバート・ホール・コンサート』のラストで聴ける66年の「ライク・ア・ローリング・ストーン」は、思いを込めたヒリヒリとするような歌い方だった。エレクトリック・キギターに持ち替えたディランに、ブーイングを浴びせた聴衆達を、まさにねじ伏せるような演奏だ。
69年の『ワイト島ライヴ』でも、「ライク・ア・ローリング・ストーン」は終盤近くで歌われる。しかしここでの演奏は、角が取れてアグレッシヴな感じやシニカルな感じはあまりない。こなれた演奏で、 くねくねとうねるヴォーカルの歌いまわしと、ザ・バンドのラフな演奏が絶妙にマッチしている。そこから生まれるふくらみのあるグルーヴ感が味わい深い。

これら二つの曲の曲調が『ワイト島ライヴ』の全体のサウンドを象徴していると言えるだろう。先に引き合いに出した『レコ・コレ』誌の「セルフ・ポートレイト」特集で、このライヴを「リラックス&タイト」と評していた方がいたが、私はむしろラフ、ルーズ&ワイルドと形容したい。

特徴的なのはザ・バンドの音楽性が、前面に打ち出されていることだ。
ザ・バンドをバックにしたライヴの演奏は、今、紹介した66年ワールド・ツアーの『ザ・ロイヤル・アルバート・ホール・コンサート』と、74年の全米ツアーを収録した『偉大なる復活(Before the Flood)』などで聴くことができる。
しかし、『ワイト島ライヴ』でのザ・バンドのサウンドは、このどちらのライヴ・アルバムとも違っている。
『ザ・ロイヤル・アルバート・ホール…』では、スタジオ・アルバムで聴けるディラン流フォーク・ロック・サウンドにそのまま準じた演奏。一方、『偉大なる復活』では、異様に力んで一本調子なディランのヴォーカルに対応してか、ザ・バンドの演奏も硬直気味だ。
いずれにしても、この二つのライヴにおいては、ザ・バンドはあくまでディランに従い、そのバッキングに徹していると言えるだろう。

これに対し『ワイト島ライヴ』では、ディランとザ・バンドの本当の意味での対等なコラボ・サウンドが聴ける。ザ・バンドの生み出すルーズなグルーヴと一体となって、ディランが歌っている。隙間が多いが、豊かでニュアンスに富んだ音だ。ディランがザ・バンドと吹き込んだスタジオ・アルバム『プラネット・ウェイヴズ』にちょっと近い感じだ。
その点で、私は少なくとも『偉大なる復活』の硬直した感じより、『ワイト島ライヴ』の音の方がずっと好きだ。

それからもうひとつ注目したいのは、アコースティック・セットでのディランの弾き語り。バンドをバックにしたときのルーズな歌いぶりから一転して、ディランはここでじつに丁寧に真摯に歌っている。ザ・バンド色の強いエレクトリック・セットの曲と、好ましいコントラストを作り出しているのだ。


全体としてよい内容のライヴなのだから、単独で発売されないのは何とも惜しい。『アナザー・セルフ・ポートレイト』は限定版らしいから、それを売り切ったあたりで別売を考えてもらうわけにはいかないのだろうか。2枚組にして、ディスク1を当日のザ・バンドの演奏、ディスク2がディランなんて内容ならなおうれしいのだが。


<各曲についてのコメント>

以下各曲についてコメントしてみる。

なお『レコード・コレクターズ』誌201310月号の「セルフ・ポートレイト」特集で、佐野ひろしが「ワイト島フェスティヴァルLIVE徹底検証」と題して全曲解説を行っている。要領よく各曲についての情報がまとめられている記事だ。
私のコメントも、これと重複する部分があるが、なるべく自分の言葉で述べてみようと思うので御了承を願いたい。

1. イントロ

「皆さん、皆さん、皆さん…、どうかお座りください」という冒頭のアナウンスメント。3回も繰り返すなよ。アルバム聴くたびに、これを聴かなくてはならないかと思うと、ちょっとウザい。

2. シー・ビロングズ・トゥ・ミー(She Belongs To Me

『ザ・ロイヤル・アルバート・ホール・コンサート』(ブートレッグ・シリーズVol.4)で聴ける66年ツアーのときのオープニングもこの曲だった。前述したように、そのときの鬼気迫るような歌い方とは、まったく違うここでの曲調。ディランはあくまでルーズで軽快だ。
冒頭の一曲のこの違いが、そのまま66年ツアーと、その3年後に当たる69年のこのワイト島での演奏との違いを端的に表していると言えるだろう。

ディランのヴォーカルは滑らかでルーズ。そして、ザ・バンドの演奏は、軽快でかつタイト。何とも快調なオープニングだ。
オリジナルのスタジオ版は、フォ-ク・ロック期だったが、このまま『ナッシュヴィル・スカイライン』に入っていてもおかしくないようなポップな曲調に生まれ変わっている。
最後に聴かれるザ・バンドのバック・コーラスの微妙なずれ具合がじつにいい味だ。

3. アイ・スリュー・イット・オール・アウェイ(I Threw It All Away

『ナッシュヴィル・スカイライン』からの曲。愛の後悔を歌った翳りのある曲で、お気楽な曲の多い『ナッシュヴィル・スカイライン』(ジャケットからしてそんな感じでしょ)の中では、わりと好きな曲だ。
このライヴでは、せつせつと歌い上げるメロウでポップな曲になっていて、それなりに泣かせる。
これまで私としては後の『激しい雨(Hard Rain)』(1976年)でのシリアスかつハードなアレンジが一番好きだったのだが、それ以上にこのワイト島の穏やかなヴァージョンが気に入ってしまった。

4. マギーズ・ファーム(Maggie's Farm

このワイト島でのライヴの中では、かなりハードでワイルドな演奏。ディランは、ダミ声ではないが、エッジの効いた声で歌っている。
短いブレイクを効かせたリフをたたみかけるところが強引な感じでカッコいい。ザ・バンドによるバック・コーラスのバラけた感じが渋い。

5. ワイルド・マウンテン・タイム(Wild Mountain Thyme
6. 悲しきベイブ(It Ain't Me, Babe
7. ラモーナに(To Ramona
8. ミスター・タンブリン・マン(Mr. Tambourine Man

この4曲は、ザ・バンドがステージからおり、ディラン一人の弾き語りで歌われる。
ディランは、それまでのラフでルーズなヴォーカル・スタイルから一転して、丁寧で落ち着いた歌い方になる。オリジナルはどれもダミ声で歌っていた曲を、ここでは滑らかな声で歌うのだが、それほど違和感はない。

「ワイルド・マウンテン・タイム」は、デヴュー前の古いレパートリーとのこと。「悲しきベイブ」は、原曲のメロディーをかなり崩していたり、「ラモーナに」は、原曲どおりのメロディーだったり、「ミスター・タンブリン・マン」は、途中を省いた短縮版だったり…。
しかし、どれも浮ついたところのない淡々とした歌い方だ。しみじみと聴かせるが、どれも3分前後と短いので、トン、トン、トンッと終わってしまう感じ。

9. 聖オーガスティンを夢で見た(I Dreamed I Saw St. Augustine

ここから再びザ・バンドが加わってのステージとなる、
『ジョン・ウェズリー・ハーディング』収録のあっさりとしたオリジナル版にも、それなりにせつせつとした良さはあった。しかしザ・バンドの個性を強く感じさせるここでの演奏は、オリジナルよりもずっと良い。
ディランのヴォーカルは、前曲までのアコースティック・セットから連続して丁寧な歌い方のままだ。その歌が、ゴスペル・タッチの演奏に乗ってひたひたと胸に迫ってくる。

10. レイ・レディ・レイ(Lay Lady Lay

『ナッシュヴィル・スカイライン』収録曲で、そのオリジナルのアレンジに近い演奏だ。このアレンジで聴くこの曲は、本当につまらない。
しかしこの曲については、74年の『偉大なる復活(Before the Flood)』での途中でむやみに声を張り上げるロック・アレンジや
76年の『激しい雨(Hard Rain)』でのブレイクとハードなコーラスを強調したアレンジにしても、どれもこれもみんなちぐはぐな感じがする。そんなふうに手を変え品を変えていじくるほど、たいそうな内容の曲とは思えないのだが…。

11. 追憶のハイウェイ61Highway 61 Revisited

オリジナルの狂騒的な演奏とは打って変わって、ここでは重心を落としたヘヴィーなロックンロールになっている。ヴォーカルは再びエッジの効いた声でシャウトしている。
この曲は『偉大なる復活』でも演奏されているが、あのアルバムではヴォーカルが力んでいて、全体に硬直化したもたもたした演奏だった。それよりも、このワイト島の方がずっといい。弾んだ演奏とヴォーカルが一体となって疾走感がある。

12. いつもの朝に(One Too Many Mornings

いかにもザ・バンドっぽい曲調にアレンジされている。が、出来は、可もなく不可もないといった感じの演奏。
やはりこの曲は、『激しい雨』(76年)で聴ける、ローリング・サンダー・レヴューでのヴァージョンが最高だ。このときの神経の張りつめた演奏は、まさに名演だと思う。それに比べると…。

13. あわれな移民(I Pity The Poor Immigrant

オリジナル収録の『ジョン・ウェズリー・ハーディング』で聴いたときも、いい曲だとは思った。が、そこでのバックの演奏がシンプル過ぎてあまりに味も素っ気もなかった。それに対し、ここでは、ゆったりとしたザ・バンドの演奏が素晴らしい。陰りがありながら、滋味にあふれていて豊かなふくらみを感じさせる。
とくにガース・ハドソンのアコーディオンは、癒し感に満ちている。

14. ライク・ア・ローリング・ストーン(Like A Rolling Stone

この演奏は『セルフ・ポートレイト』に収録されたときから酷評されてきたらしい。が、私はなかなかよい演奏だと思う。
ディランのエッジの効いた声質で歌うヴォーカルは、くねくねとうねるがシニカルで投げつけるような感じはない。このヴォーカルの歌いまわしと、ザ・バンドのラフな演奏が良くマッチしている。厚みのあるグルーヴ感が心地よい。

15. アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト(I'll Be Your Baby Tonight

しかし、何も「ライク・ア・ローリング・ストーン」の後に、こんな能天気でユルい曲を持ってこなくても…。
『ジョン・ウェズリー・ハーディング』でオリジナルを聴いたときからそう思っていたが、シンプルでポップなだけの魅力のない曲だ。

16. マイティー・クイン((Quinn The Eskimo) The Mighty Quinn

マンフレッド・マンがカヴァーしてビッグ・ヒットした曲と紹介して始まる。マンフレッド・マンのヴァージョンは整ったポップ・アレンジだが、本家ディランの演奏は。当然(?)、ポップとは無縁のラフでゴツゴツしたものだ。
ディランのヴォーカルは、ここでもくねくねとうねっていて、勢いにまかせて引っ張りまわしているように聴こえる。これに重なるザ・バンドの面々によるバック・コーラスも、またかなりバラけている。だがまさにそんなところが生気に満ちた印象を与えるのだ。
ロビー・ロバートソンのギター・ソロも短いが渋い。
このライヴでは最高に好きな曲だ

17. ミンストレル・ボーイ(Minstrel Boy

ここからはアンコール。
イントロの印象的なアカペラのコーラスからザ・バンドっぽい。ベースメント・テープス・セッション時の曲との事だが、たしかにルーツ・ミュージック的な響きのある曲だ。

18. 雨の日の女(Rainy Day Women #12 & 35

『偉大なる復活』で聴ける74年全米ツアーでのこの曲のブギー・アレンジは、このワイト島でのアレンジにつながるものだったことがわかる。
『ブロンド・オン・ブロンド』収録のオリジナルでは、マーチング・バンド・アレンジで、この曲のサイケで、アナーキーな雰囲気をうまく表現していた。しかし、ワイト島でのブギー・アレンジというのも、この曲のサイケな雰囲気を表現するという点では、なかなか秀逸なアイデアだと思う。ディランのポップ声も、この曲ではねじれて聴こえてしまうのがいい。
ロバートソンのギターが、この曲でもやっぱりよい。

こうしてディランとザ・バンドのステージは、前曲「ミンストレル・ボーイ」でしんみりとした雰囲気を醸した後、「祭りの終わり」感がいっぱいのこの曲でにぎやかに幕を閉じたのだった。

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1 件のコメント:

  1. ということは、やっぱり、デラックスをお買いになったのですか?
    わたしの場合、ブートの「ワイト島」を持つているだけに、さらに始末が悪い。まだ、迷っている、ジジイです。

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