2012年7月15日日曜日

「『具体』 ニッポンの前衛18年の軌跡」展

「『具体』 ニッポンの前衛18年の軌跡」展を観た。
会場の国立新美術館には、先月「大エルミタージュ美術館展」を観に来たばかりだが、その折チラシでこの展覧会の開催を知り、また足を運んだという次第だ。

この展覧会は、1954年に関西で結成され、72年まで活動した前衛美術グループの老舗「具体美術協会」(略称「具体」)の回顧展だ。「具体」は日本の現代美術の先駆者であると同時に、もっとも重要なグループの一つと言われている。しかし、その実態に触れる機会は、これまであまりなかった(少なくとも関東では)。そこでこの機会にぜひその作品群を実際に観てみたいと思ったのだ。
結果から言うと、このグループの概要がそれなりに理解できたし、歴史的事実を含め、いろいろな点で発見もあった。その意味では有益な展覧会と言えるだろう。ただ初期の作品や活動を、もっと観たいという不満は残ったのだが。

結成された直後のあの有名な芦屋市の林の中での野外展が、どのように再現されているのか。この点にもっとも期待して会場に足を踏み入れた。
しかし、実際に会場に来てみれば、そもそもあの型破りな野外展を美術館の中で再現することなど最初から不可能だったことがわかる。
松林の風景をプリントした幕を壁に掛けて雰囲気作りをした展示室の中に、いくつかの実物の作品と、あとは説明つきの写真パネルが置かれている。これで当時の現場の空気を多少なりとも体感しようというのは、しょせん無理な話だ。ただそこで何か特別なことが起こっていたことは、何となく伝わってきた。

そして残りの会場の大半は、壁面に絵画作品が続くことになる。以後のインスタレーションやパフォーマンスの紹介はカットされたのかと思いきや、現実の「具体」そのものが急速に絵画を志向し、それ以外の表現を切り捨てて行ったということが、会場の説明でわかった。
先日、東京都現代美術館でメンバーの一人、「電気服」の田中敦子の回顧展を観た。そのとき展示の内容が、ほとんど絵画中心であることに多少の不満を感じたのだが、「具体」そのものが基本的に絵画に特化したグループだったというわけだ。

たしかに初期の主力メンバーの絵画作品は、どれも非常によかった。やはり画家としての優れた絵画センスを持っていた人たちであることがわかる。くわえて、破天荒なインスタレーションやパフォーマンスによって開放された感覚が、画面上に横溢している感じもあった。
そしてその絵画路線のキーパーソンとして、フランスの批評家・画商ミシェル・タピエがいたこともこの展覧会で知った。

しかし、会の活動は急速にマンネリ化していったことも作品から何となく見て取れる。その打開のために60年代中盤から迎えた若い新メンバーたちの作品も、今の眼で見るとどれも小粒で、創立メンバーたちの初期のエネルギッシュな作品には遠く及ばない。
だから72年の解散は、リーダー吉原治良の死が直接のきっかけではあったが、「具体」のグループとしての命脈が尽きたという見方もできるのではないか。

ところで、当時、日本各地で同時多発的に結成された数ある前衛美術グループの中で、なぜこの「具体」が代表的存在として語られるのかは私にとってひとつの疑問であった。
今回の作品を観て「具体」のメンバーの作品が、同時代の日本の他の前衛グループよりも傑出していたとは思えない。しかもなお「具体」が他を差し置いて美術史に名を残し得たのは、次の三つの点によるのではないかと今展を見て思い当たった。
理由のひとつめは、リーダー吉原治良の一種独裁者的な指導の下、グループのコンセプトが明確に一つの方向性に収斂していたこと。他のグループは、民主主義的であったがゆえに、このような統一性は持てなかったのではないか。
理由のふたつめは、フランスのミシェル・タピエに認められることによって、「日本のアンフォルメル」として海外に紹介され、海外での一定の評価を得たこと。他のグループにはそのような機会がなかった。
理由のみっつめは、上のふたつめの理由とも関連するが、インスタレーション、パフォーマンスの活動を早々に切り捨てて、絵画のグループとして特化したこと。絵画は、一過性のインスタレーションやパフォーマンスと違って、海外への輸送も容易だし、モノとして時間を越えて残るので後世の評価も可能となるからだ。

それから会場の解説には、「具体」の活動が日本の高度経済成長と軌を一にしているという視点が示されていた。「具体」の明るく前向きな表現は、そうした日本の国そのもの発展の反映というふうに捉えられていた。
なるほど、そのとおりだろうと私も思う。しかし、同時に私には美術というものが時代の表層ではなく、もっと深層の普遍的なところに根差しているべきではないか、という思いもあるのだ。そのような矜持がもし「具体」にあったとしたなら、日本の高度成長を批評する視線も持ち得たのではないか。もしそうであったなら、大阪万博への参加は果たしてあり得たのだろうかとも思うのだ。

ところで、平日だったせいもあるだろうが、会場は空いていた。エルミタージュ展とはあまりにも違う人の入り具合だ。
展覧会のチラシの「世界が認めた日本の前衛美術グループ」云々というコピーを見て、海外の評価をありがたがる日本人の弱みを見透かしたエグい売り方だと鼻白んでしまった。しかし、こんななりふりかまわない売り文句を使わないと、人が入らないという担当者の危機感の表れだと思えば許そうという気になった(上からのもの言いで申し訳ないが)。

世界の美術史という視点で見ると、日本独自の美術と言えるのは、まず江戸時代以前の美術と、その伝統を受け継ぐ近代以降の日本画ということになるだろう。幕末から明治初期に西欧から移入された洋画は、その後、日本固有のガラパゴス的展開を遂げるが、西洋絵画の模倣の域を出るものではないだろう。
そして、近代以降、本当の意味で日本独自の美術と言えるのは、昭和50年代以降の現代美術ということになるのだと思う。その意味で、この時期の重要な動きの一つである具体美術協会の回顧展が、国立の美術館で開かれた意義は大きい。
今後もこの時期の他の動向について取り上げてくれることを期待したい。

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