2014年4月22日火曜日

ジャパン/D・シルヴィアンのアルバム・ベスト5


 今年ももう4月。今頃になって、何だけど、昨年(2013年)の話を少し。
昨年の私の紙ジャケの収穫として、CS&Nの『クロスビー・スティルス・アンド・ナッシュ』と、ローリング・ストーンズの『ラヴ・ユー・ライヴ』を手に入れた話を、これまで紹介した。どちらも昨年になって初紙ジャケ化されたアイテムだった。
じつは昨年もうひとつ、個人的な紙ジャケの収穫があった。それは、ジャパン関連のアルバム計5枚。ただしこれはみんな中古盤だ。そこで今回は、ジャパンとデヴィッド・シルヴィアンについてのお話。


■ジャパンの音楽性

 ジャパンは私にとって特別に思い出が深く、また今でも大好きなバンドだ。
1970年代の黄金時代のロックを聴いて育ったロック少年(つまり私)にとって、80年代のロックは、何だか「金まみれ」のオシャレな商業主義音楽に聴こえた。
そんな中にあって、時代にも金にも流されず、非商業主義に徹して、自分たちのやりたいコトをやるという、トンガった志を持つグループが、ほんのひとにぎりだがあった。そういう心意気が私は好きだ。それが、たとえばパブリック・イメージ・リミテッドであり、トーキング・ヘッズであり、ザ・ポップ・グループであり、そしてこのジャパンだったのだ。

ところでジャパンについて語った文章の中で、何といっても印象深いのは市川哲史のジャパン解釈だ。市川は元『ロッキン・オン』のライターらしいが、なかなかの才人で、その文章にはつねに「芸」があって読み手を引きつけた(内容の妥当性はともかくとして)。
彼はジャパンを「洋服をきた憂鬱たち」と名付け、その中心人物D・シルヴィアンを「世界一のモラトリアム男」と呼んだ。市川によると、シルヴィアンが「超内向的性格」であるがゆえに、「現実生活からの逃避願望をそのまま作品化した」のがジャパンのアルバムであり、その作品の中でシルヴィアンは「自閉症状態に安住しているかのように振舞う」ということになる。この市川の解釈と物言いは説得力があった。これをそのままなぞったような文章を、今でもネット上でけっこう見かける。
私も当初は、市川の文章にずいぶん感化されたものだ。今では、まあ話半分に聞いておこうと思うようになったのだけれど。

もちろんそんな解釈よりも、ジャパンの魅力は何といってもその音楽性だ。言うまでもないけど、ここで言うジャパンとは、『苦悩の影』以降の後期ジャパンのことだ。
一聴すると音数はシンプルなのだが、複雑な要素を持った高度な音楽に聴こえる。D・ボウイやロキシー・ミュージックが具現化したヨーロッパ的な感性と、アフリカン・ビートやオリエンタルなサウンド、そしてテクノが、強引にねじれながらより合わさった音楽、といったらよいだろうか。しかも、その音作りのセンスは、超個性的だ。
そして特筆すべきは、そのように超個性的で内省的で特異な音楽であるにもかかわらず、十分に大衆的でもあることだ。それは彼らの音楽が、エスノ&テクノによるポリリズム的展開という点で、きちんと時代の流れを見据えていたからだろう。


■ジャパンの紙ジャケを入手

ジャパンとD・シルヴィアンのアルバムのおいしいところは、2003年に出たリマスター盤でひととおりそろえてはいた。
 このリマスター盤は、アート・ワークがなかなかこっていた。デジパック仕様で、ジャケのデザインもオリジナルから一新し、インナーには新しくポートレイト写真を使用。全体にシックな仕上がりになっていた。とくに『錻力の太鼓(TIN DRUM)』は豪華版のBOX仕様で、ボーナス・ディスクと写真集が同梱されている。
もうこれで、ジャパンのアルバムは十分だと思ったのだった。

しかし、問題点があった。コピー・コントロールCDだったので、パソコンで聴けないのだ。これはかなり不便。
 それからアート・ワークもオリジナルと違うのはどうか、とだんだん思うようになった。オリジナルのデザインが、どれもかなり繊細で、こったものだったからだ。

そんなおり、久しぶりに東京に出て、ディスク・ユニオンをのぞいたら、ジャパンのコーナーに紙ジャケが並んでいるのを見かけた。ジャパンの紙ジャケ化は2008年。それからもう5年も経っているから、中古盤でたくさん出回っていたわけだ。1枚がだいたい1000円から1200円程度。さっそくみつくろって5枚ほど購入した。

買ったのは次の5枚。

<ジャパン>
『孤独な影(GENTLEMEN TAKE POLAROIDS)』(1980年)
『錻力の太鼓(TIN DRUM)』(1981年)
『オイル・オン・キャンヴァス(OIL ON CANVAS)』(1983年)
 
<デヴィッド・シルヴィアン>
『ブリリアント・トゥリーズ(BRILLIANT TREES )』(1984年)
『シークレット・オブ・ザ・ビーハイヴ(SECRETS OF THE BEEHIVE)』(1987年)

『孤独な影』と『錻力の太鼓』は、ジャパンの4作目と5作目で、後者はラスト・スタジオ・アルバムとなった。どちらも後期ジャパンの傑作だ。『オイル・オン・キャンヴァス』は、ジャパンのラスト・ツアーを収録したライヴ・アルバム。LP2枚組をCD1枚に収録している。
『ブリリアント・トゥリーズ』は、ジャパン解散後のD・シルヴィアンのソロ第1作。『シークレット・オブ・ザ・ビーハイヴ』は、同じくソロ3作目にあたる。この2枚は、現在に至るまでのシルヴィアンのソロ・アルバムの中でも、一二を争う傑作だと思う。

紙ジャケットのデザインを眺めてみると、2003年のリマスター盤が、かなりオリジナルと違っていたことがあらためてわかる。
『孤独な影』は同じフォト・セッションの別カットだし、『オイル・オン・キャンヴァス』と『ブリリアント・トゥリーズ』は、オリジナルの画面の一部をトリミングし拡大して使っている。かなり印象が変わってしまっている。やっぱりオリジナルのデザインをいじるのはよくない。
とは言っても紙ジャケ盤を入手したとはいえ、2003年リマスター盤も手放すわけにはいかないだろうな。関連アイテムとしてやっぱり持っていたい。ちなみに『ブリリアント・トゥリーズ』は、これで私の手元に4枚もそろってしまった。


■ジャパンとD・シルヴィアンのアルバム・ベスト5

さて店頭でとっさに選んだのではあるが、結果的にこの5枚が、ジャパンとD・シルヴィアンをあわせた中での個人的ベスト5だとあらためて思った。それを、CCCDではなく通常CDでいつでも不自由なく聴けるようになったわけだから、これはめでたい。
ところで以前このブログで、D・シルヴィアンのアルバム・ベスト5というのを選んだことがある。そのときの結果は、以下のとおり。

<デヴィッド・シルヴィアンのアルバム・ベスト5>(以前のもの)

 第1位 『シークレット・オブ・ザ・ビーハイヴ』
 第2位 『ブリリアント・トゥリーズ』
 第3位 『錻力の太鼓』(ジャパン)
 第4位 『デッド・ビーズ・オン・ア・ケイク』
 第5位 『ブレミッシュ』

では、今回紙ジャケで買ったベスト5の5枚に、あらためて順位をつけるとどうなるか。

<ジャパン/D・シルヴィアン オールタイム・ベスト5>

第1位 『錻力の太鼓』
第2位 『孤独な影』
第3位 『オイル・オン・キャンヴァス』
第4位 『ブリリアント・トゥリーズ』
第5位 『シークレット・オブ・ザ・ビーハイヴ』

以前のランクで3位だった『錻力の太鼓』が今回は1位。今回4位と5位のソロ作の順位も、以前の順番と逆になってしまった。これは、今回のランキングが、ジャパン目線で選んでいるため、ということにしよう。どうしてもリズム重視になってしまうので。


■ベスト5アルバムについてのメモ

□ 『孤独な影(GENTLEMEN TAKE POLAROIDS)』(1980年)

このアルバムは、前作の3作目『クワイエット・ライフ』との連続性の中でしばしば語られる。しかし、私は赤岩和美(紙ジャケ版のライナー)が言っているように、まさにジャパンは、このアルバムから「突然変異」したというふうにしか考えられない。
『孤独な影』は、『クワイエット・ライフ』の20倍(?)くらい良い。リズムが全然違っている。前作では、ドラムスもベースもまだふつうなので、音の構造も単純だった。それがこの『孤独な影』では、リズムが複雑に入り組みポリリズム化しているのだ。

躍動的なリズムに対し、キーボードとギターはあくまでメランコリックで、ヴォーカルはベチャっとしてねっとり。それに、ところどころで木管やブラスを入れるセンスの良さなど、ジャパン独特の音楽スタイルが一気にここで確立されているのだ。
強烈なリズムの曲とめりはりをつけるように、リズムのないアンビエント曲「バーニング・ブリッジズ」とか「ナイト・ポーター」なども収められている。しかし、やはりリズム隊が前面に出てくる次の3曲が、何と言ってもこのアルバムの聴きどころだ。

「スウィング」は、ドラムスとベースとブラスによるねじれたリズム感覚が印象的。
「メソッヅ・オブ・ダンス」は、エレ・ポップ・ビートと、ドラムスとベースによるやはりねじれたビート。さらにサム・ピアノ風の音やブラスのリフなどが幾重にも重なり合うポリリズムがすごい。
とくにこのポリリズム状態が空中に放り出される間奏部は快感。思わず引き込まれてしまう。
「エイント・ザット・ペキュリアー」は、マーヴィン・ゲイの変態的なカヴァー。これもアフロなドラムスとベースの歪んだコンビネーションのリズムに、シンセのビートがからんで、気持ちよいポリリズムを作り出している。

なおタイトル曲「孤独な影Gentlemen Take Polaroids」について、以前の盤のライナーに「珍しくストレートなラヴ・ソング」と解説してあったけれど、これはトンチンカンだ。恋に落ちた紳士たちがポラロイドで彼女の写真を撮る。ここに漂っているのは、かなりフェティッシュで退廃的なイメージでしょ。

また「テイキング・アイランド・イン・アフリカ」は、坂本龍一との共作で話題になるが、シンセの感じなど坂本色がやや強過ぎる。


□ 『錻力の太鼓(TIN DRUM)』(1981年)

ジャパンの最高傑作。数々の奇怪な音響と、空間を埋め尽くそうとするリズムに、音の意匠に対するなみなみならぬ決意を感じる。
ところで前作の4作目『孤独な影』のアフロ・ビートから一転して、5作目のこの『錻力の太鼓』では、オリエンタルなビートを導入した、という言い方がよくされる。
しかし、この時期のジャパンが目指していたのは、エスニックな要素とテクノの融合だ。エスノという観点から観れば、4作目から5作目へと、彼らの試みは一貫していて、それが進化&深化したと見るべきだろう。いろいろな試みや、やりたいことが行き着いた先に、この『錻力の太鼓』があると言える。

このアルバムで特筆されるのは、スティーヴ・ジャンセンのタムを中心にしたドラミングと、ミック・カーンの異様にうねるフレットレス・ベースのコンビネーションだ。ねじれながら絡み合うこのリズム隊のラインを軸に、ブラスやシンセのパーカッシヴなフレーズが重なって随所で厚くて魅力的なポリリズムが生み出されている。

このアルバムは、中国をテーマにしたコンセプト・アルバムと言われている。しかし、音的には全部が中国的というわけではない。「外国人によってイメージされたエキゾティックな中国」という線をねらったためかもしれないが、結果的に中国というよりももっと広いオリエンタル・サウンド、あるいはさらにあいまいな「異国」をイメージさせるサウンドになっている。
たとえば「ジ・アート・オブ・パーティーズ」のリズムはアフリカン・ビート的だし、「トーキング・ドラム」のヴァイオリンは、ジプシーというか中近東風、そしてこの曲と「スティル・ライフ・イン・モービル・ホームズ」でコラージュされている女声の歌舞伎風ヴォイスは、もちろん日本風だ。
純粋に中国風に聴こえる部分は。むしろ少ない。インストクルメンタル「カントン」のメロディーの音階と音色、「スティル・ライフ・イン・モービル・ホームズ」の間奏のシンセのフレーズ、「ヴィジョンズ・オブ・チャイナ」の笛の音(シンセ?)、そして「カントニーズ・ボーイ」のチャルメラ風の音と後半のシンセのフレーズくらいだ。
だから、このアルバムを、単純に中国をテーマにしたコンセプト・アルバムと言い切ってしまうのは、私にはちょっと違和感がある。

以下、各曲の特に印象的な部分についてコメントしておこう。

1 ジ・アート・オブ・パーティーズ

タムを中心としたドラムスとブラスによるめくるめくようなポリリズム。そして、その間をのた打ち回るギター。たまらん。

この曲は、アルバムに先行してシングルとして発売された(ヴァージョンは、アルバム収録のものとは異なる)。このシングルについての田山三樹の評言(『レコード・コレクターズ』誌2004年1月号「ジャパン/デヴィッド・シルヴィアン特集」)を引いておこう。適格な表現だと思うので。「神経症的なメロディー」と「せわしなく連打されるアフリカン・タッチのドラム」、そして「メル・コリンズなどによるブラス・セクションも加わる異様な迫力を持った音の壁」。

2 トーキング・ドラム

何と言ってもここでは異様にうねるフレットレス・ベースが主役。ジプシー風というかアラブ風のヴァイオリンのフレーズと歌舞伎っぽいヴォイスのコラージュが面白い。

3 ゴウズツ

アンビエントなシンセ・サウンドとヴォーカルのみによる深遠で幽玄な魅力。これがシングルでヒットするとはすごい。

4 カントン

インストゥルメンタル。メロディーは中国風な音階と音色だが、あくまでエキゾティックなイメージとしての中国という感じ。
リズムはいろいろなノリが複雑に交錯するポリリズム。中でもベースが変態的。で、もちろん良い。

5 スティル・ライフ・イン・モービル・ホームズ

これもベースのラインが超個性的で強力。タム中心のドラムスとベースとハンド・クラッピング(サンプリング音)とシンセによるポリリズムが気持ちよい。
間奏部に歌舞伎風のヴォーカルをコラージュするセンスが素晴らしい。
特異なギター・ソロ。エイドリアン・ブリューのエレファント・ギターを思わせる。これ、誰が弾いているのだろう。シルヴィアンなのか。

6 ヴィジョンズ・オブ・チャイナ

タム中心の跳ねるような強烈なドラムスとベースとシンセによるポリリズム。無言で後ずさりするという歌詞と、中国風の笛の音(シンセ?)と、竹を叩いているようなシン・ドラム(シンセ?)の音とがあいまって、コミカルに聴こえてしまうのだが、まあ読み違いかな。

7 サンズ・オブ・パイオニアーズ

単純なタムのフレーズとくねるベース音による呪術的な音響が延々と続く。奇怪、で気持ちよい。

8 カントニーズ・ボーイ

これもかなり複雑なリズム。あまり中国風な感じはしない。途中のチャルメラ風の音とか、後半のシンセのフレーズなどにオリエンタル風味はあるが、むしろ正解は坂本龍一風。


□ 『オイル・オン・キャンヴァス(OIL ON CANVAS)』(1983年)

本来LP2枚組だったものが、当初のCD化のときは、曲数を減らして1枚モノのCDにされてしまった(がっかり)。その後、曲目をオリジナルどおりにコンプリート収録して、CD2枚組になったのだが、今回の紙ジャケ化では、何と全曲が1枚のCDに収まっている。技術の進歩なのか。でも、2枚組のままにして欲しかった。なぜならこのアルバムは、2枚組を前提として、それぞれのディスクのオープニング曲とエンディング曲が配置してあるからだ。

このアルバムは1982年のジャパンのラスト・ツアーの音源を収録したライヴ・アルバム。しかし通常のライヴとは、だいぶ様子が違っている。
汗と熱狂はなし。観客とのやり取りもなし(一回だけ「サンキュー」が聞こえる)。そして観客の歓声もほんの少しだけ。演奏は基本的にスタジオ版と同じアレンジで淡々と進んでいく。ウィキペディアによると、ジャパンのステージでは、生で再現できないパートは、テープを流していたとか。なるほどそのせいもあるのか。ともかく聴いていても、ライヴであることを、しばしば忘れそうになる。
ところどころ、サポート・ギタリストの土屋昌巳のエレファント・ギターの咆哮がフィーチャーされているが、これもまあ控えめ。
というわけで、じつに渋いライヴ・アルバムなのだ。

ライヴ音源に加えて、さらにスタジオ録音のインスト曲が3曲収録されている。これらの曲調と配置がじつに絶妙。

まずアルバム冒頭に、シルヴィアンによるエリック・サティ風のピアノとシンセによる「オイル・オン・キャンヴァス」が置かれている。静かにアルバムの幕があけられるわけだ。
ちなみにこれに続く、コンサート本編の1曲目は、何と「サンズ・オブ・パイオニアーズ」。タムの呪術的なループとベース主体の曲。これでいったい盛り上がるのか(笑)。祝祭の始まりを告げるおまじないといったところ。

LPの1枚目B面の最後が、2曲目のスタジオ新曲「歓迎の叫び、祈りの手」。インドネシアのガムラン風の穏やかな曲で、最後の方で、現地のものと思われるコーラスがサンプリングされている。癒される。
そして、2枚目のB面の最後がスタジオ新曲3曲目「暁の寺」。曲名は三島由紀夫の小説によるという。 鐘の音をモチーフにしたアンビエント曲だ。この曲によってアルバムは深い余韻の中で終わることになる。
ライヴ音源を、こうしたスタジオ録音の静謐なインスト曲で挟んで、このアルバムを単なるライヴの記録ではなく、新たな作品として構成していることがわかる。だからこれは、ジャパンの集大成的作品ということになる。

その意味で、ジャパンの最高傑作にもなれそうだったのだが…。残念ながら、私にとっては、そうはならなかった。
リズムのねじれ感が、スタジオ版より若干弱くて物足りないのだ。演奏がこなれているためと思われるが、ねじれがストレート方向にややほぐれて、風通しが良くなってしまったのだろう。本来ならいいことなんだけどね。


□ 『ブリリアント・トゥリーズ(BRILLIANT TREES )』(1984年)

 ソロ1作目。このベスト5に選んだ、シルヴィアンのソロ2枚は、どちらも甲乙つけがたい傑作だが、感触は両者でかなり違う。
この1作目は、まだかなりロック色が残っているが、3作目は脱ロック的だ。いずれにせよ、どちらのアルバムも、ジャパンの音からずいぶん遠いところに来たという印象がある。

このアルバムは、どの曲もよいが、中でも「ノスタルジア」のせつなさは心にしみる。成熟したロック、もしくは本当の意味でのモダン・ポップ・ミュージックだ。


□ 『シークレット・オブ・ザ・ビーハイヴ(SECRETS OF THE BEEHIVE)』(1987年)

ソロ3作目(当初カセットのみの『錬金術』をカウントすれば4作目)。
サウンドは、静謐で重厚でかつ繊細。これはまさに幽玄の世界だ。ポップスから遠く離れ、独自の道を進みながら仙人化していくシルヴィアンの姿がある。

全体としてアコースティックなサウンドが耳に残る。中でも「詩人が天使を夢見る時」のジプシー的なリズムに乗って展開するアコースティック・ギターのスリリングなソロが印象的。

またこのアルバムでは、坂本龍一がピアノとストリングス・アレンジでいい仕事をしている。中でも「オルフェウス」でのふくらみのあるピアノ伴奏と、「母と子」でのアヴァンなピアノ・ソロが良い。なかなか見せない坂本のアヴァン魂のほとばしりを見ることが出来る。
 

■おまけの一言

ジャパンについて語られている文章の中で私が納得できないのは、初期のアルバムについての評価だ。
彼らのファーストとセカンド・アルバムは、世間からもまったく省みられず(日本を除いては、だけど)、メンバー自身も駄作と認めている。しかし、たいていのライターは、この2枚を「なかなかよいアルバム」とほめているのだ。
例えば 「ファンクとハード・ロックの合体」とか、「レゲエとヨーロッパ感覚の斬新な組み合わせ」みたいな言い方がされる。でも、曲調は分析できても、質の良さとは別問題のはず。

やっぱり私はこの2枚は、ダメなアルバムだと思うよ。別に売れなかったからとか、当人たちが駄作と決めつけているから、とかいうわけではない。どう聴いても、やっぱりつまらない。
その後のジャパンは、あまりにも素晴らしいグループに変身した。それに引っ張られて、初めの頃もじつは良かったよ、と言っているんじゃないの、とかんぐりたくなる。

それから、彼らのサード・アルバム『クワイエット・ライフ』が、傑作と言われているのも、私にはふに落ちない。しかもこのアルバムの路線を発展させたのが4作目の『孤独な影』だ、とも言われたりする。これも全然納得できない。

D・シルヴィアンは、このサードが、本当の意味でのジャパンのファースト・アルバムと言っているとか。つまり、自分たちのやりたいことが出来たはじめてのアルバム、ということなんだろう。けど、だとしてもいきなり傑作というわけにはいかないだろう。
このアルバムは、私には凡庸にしか聴こえない。たしかにそれまでの2枚とは大きく違ってはいる。が、それでもまあふつうの出来。

それにこの後の『孤独な影』とは、あんまり連続性を感じない。何が違うといって、上にも書いたように、リズムの質が全然違う。
『クワイエット・ライフ』が『孤独な影』につながっているように見える点といえば、わずかに次のふたつ。
「絶望(Despair)」のリズム・ボックスのようなビートの上に、ピアノとシンセとサックスと薄いコーラスの響きが乗って、D・ボウイの『ロウ』のような陰鬱でダウナーなヨーロピアン憂愁サウンドを作り出しているところ。
もうひとつは「異国人(Alien)」で、ブラスも絡んでリズムを刻んでいるところだ。

初期のジャパンが理屈抜きで好きな人がいたらゴメンね。


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