2015年1月22日木曜日

私の好きな「オシャレ」音楽


私はロック・ファンとしては「硬派」だ。「硬派」のロック・ファンとは、どういうことかと言うと、ロックの中でもとりわけプログレッシヴで、アヴァンギャルドで、アグレッシヴなものを好むのだ。ひとことで言えばシリアスなロックが好き。ポップなものも嫌いではないが、イギリス的なねじれたセンスのポップが好きだ。そういうわけでロックでも、安直でお気楽(きらく)で能天気なのはノー・グッド。
しかし、そんな「硬派」な私でも、ときおり「オシャレ」で気の利いた音楽が聴きたくなることもある。そういうときに私が聴くのが、シャーデーと、スティーリー・ダンと、ホール&オーツだ。それぞれCDを数枚ずつ持っている。
じつは、この寒かった年末年始(2014年から15年にかけての)に、もっぱら聴いていたのが、この三つのグループだった。そこで、今回は私の好きな「オシャレ」音楽についてのお話。

ところでこの3組の共通点を強いて挙げるとするなら、いずれも音作りに関して完璧主義ということになるだろうか。そしてジャジーだったり、ソウルっぽかったりするが、とにかく高度に洗練されていること。オシャレだけれども、けっしてお気楽ではない。
この完璧主義がピークに達しているのが、シャーデーなら『ラヴ・デラックス(Love Deluxe)』(1992)、スティーリー・ダンなら『彩(エイジャAja)』(1977)、ホール&オーツなら『プライベート・アイズ(Private Eyes)』(1981)あたりということになる。これらは、いずれも名盤であると同時に、それぞれの代表作ということになっている。

でも私の好きなのは、じつはそういうアルバムではなくて(一応持ってはいるのだけど)そこに至る少し手前の時期のアルバムなのだ。完璧になる前の、まだちょっとユルさのある音がいい。
シャーデーは、1984年に『ダイアモンド・ライフ(Diamond Life)』でデヴュー。いきなり独自のジャジーで洗練されたサウンドを確立した。その後『プロミス(Promise)』(1985)、『ストロンガー・ザン・プライド(Stronger Than Pride)』(1988)と、さらに洗練の度を高めていく。そして4年間のブランクをおいて発表した『ラヴ・デラックス(Love Deluxe)』(1992)は、まさにダイアモンドの結晶のようなアルバムだった。確信に満ちたサウンドが、美しく屹立していた。
面白いのは、アルバム・ジャケットの雰囲気も、こうしたサウンドの進化を何となく反映していること。どのアルバムもヴォーカルのシャーデー・アデュの美しいポートレイトなのだが、ファーストの『ダイアモンド・ライフ』のジャケットでは、まだどこか媚を売るようなメイクだった。それが、アルバムを重ねるごとに、どんどん自立&自律した女性へと存在感を増していく。
そして『ラヴ・デラックス』では、黒く硬質なひと固まりのオブジェと化したヌードで登場している。さらにその後に出たベスト・アルバム『Best Of Sade』(1994)では、ジャケットいっぱいにクローズアップされたアデュの顔が、悠然とまっすぐこちらを見つめているのだった。
私はフェミニストのつもりだし、自立した女性は好きだが音的には、完璧な『ラヴ・デラックス』よりも、もう少し穏やかな音を好む。アルバムでいうと、セカンドの『プロミス』あたり。スモーキーなアデュのヴォーカルが漂わす、はかなげな風情が何ともたまらない。

スティーリー・ダンの二人(フェイゲン&ベッカー)も完璧主義だ。職人的、もしくは病的といってもいいくらいに。そのこだわりが頂点を極めたのが、1977年の『彩(エイジャ)』ということになる。
当時、愛読していた『ミュージック・マガジン』誌上でも、このアルバムは大きな話題になった。超一流のスタジオ・ミュージシャンをぜいたくに起用した演奏の完璧さと、細部までこだわり抜いた精緻な音作りが絶賛されていた。以後、『彩(エイジャ)』はロック史に輝く名盤という定評を得ることになる。私にとっても発売と同時に購入して繰り返し聴いた思い出深いアルバムだ。
しかし、今はほとんど聴かない。なるほど演奏もサウンドも完璧かもしれない。だが、肝心の曲そのものに魅力がないのだ。スティーリー・ダンの曲と言えば、「ドゥ・イット・アゲイン(Do It Again)」(73)とか「リキの電話番号(Rikki Don't Lose That Number)」(74)が印象深い。けれども、『彩(エイジャ)』には、これに匹敵するような名曲が一曲も入っていないのだった。

というわけで私的には1974年のサード・アルバム『プレッツェル・ロジック(当時は副題が「さわやか革命」)』あたりが好きだ。のちにドゥービー・ブラザースに入るジェフ・バクスターがまだバンド・メンバーだった頃の作品だ。この人の豪快でおおらかなギター・プレイが、このアルバムにほんの少しだけ泥臭くてのどかな雰囲気を付け加えていた。そこがよいのだ。

ダリル・ホール&ジョン・オーツは、言うまでもなく80年代のオシャレ音楽界を席巻したグループである。そんな彼らのサウンドのピークを記録したのが、3枚のセルフ・プロデュース作、すなわち『モダン・ヴォイス(Voice)』(1980)、『プライベート・アイズ(Private Eyes)』(81)、そして『H2OH2O)』(82)ということになる。いずれも完璧なサウンドによる怒涛の勢いのヒット曲が並んでいる。ほとんど「産業ロック」とも呼べそうなのだが、その手前で何とか踏みとどまっている感じだ。それはこの人たちが完全な商業ベースではなくて、その根っこにかろうじてロック・スピリットを持っていたからではないかとも思う(とくにダリル・ホールの方。彼はクリムゾンのロバート・フリップとも共演している)。

しかし、やっぱり私が好きなのは、ちょっとくつろいだ感じのある彼らの初期のアルバムだ。中でもセカンド・アルバム『アバンダンド・ランチョネット(Abandoned Luncheonette)』(1973)がいい。ジャケットは、郊外の打ち捨てられたレストラン(つまりこれがアバンダンド・ランチョネット)。タイトル・ソングは、過去を回想しながら人生の機微を歌ったものらしい。しかし、ジャケットに写る都市の郊外のひなびた情景に、私はのどかな空気感を感じてしまう。そして、このアルバム全体の音にもまた、こののどかさを感じてしまうのだ。そこが気にいっている。

私の「オシャレ」音楽について、はこれでおしまい。
ここからはおまけ。今回の記事を書くにあたってネットを見ていたら、面白い話を見つけたので紹介しよう。
ひとつは「シャーデーの白いドレスの行方」(ブログ『STRONGER THAN PARADISE 踊るシャーデー鑑賞記』) 。アデュがライヴで着ていた白いドレスが、何とシニード・オコナーに受け継がれたという話。しかも、シニードは、例の事件の時、まさにこのドレスを着ていたというのだ。
そしてもう一つ、「ダリル・ホール&ジョン・オーツ Abandoned Luncheonetteの逸話」(ブログ『Entertainment Everyday ONE』)。これは、アルバム『アバンダンド・ランチョネット』に写っている件の廃屋となった実在のレストランをめぐる話だ。ホール&オーツのファンがここに立ち寄っては、記念に破片をもぎ取っていき、ついには消滅してしまったという。
どちらも興味深くてぐいぐい読ませる。文章もうまい。ネットの音楽についての記事と言えば、表面的な感想に終始したつまらないものが大半だが、その中で珍しく良質な読み物に出会えてうれしくなった。

えっ、おまえのこの記事も「表面的な感想に終始」してるだろうっ…て。その通りでした、すみません。


2 件のコメント:

  1. こんばんは、お邪魔いたします。
    いいブログですね。文章がうまくてグイグイ読めます。
    代表作よりもそこに至る作品。なんとなくわかります。
    私の場合、クイーンなら2nd。リトルフィートなら1stか2nd。…かな。

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    1. コメントありがとうございます(何しろコメントの少ないブログなもので)。
      お褒めいただいてとてもうれしいです(何しろ褒めなれていないもので)。
      クイーンとリトルフィートについての御意見、私もまったく同感です。

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