2013年11月25日月曜日

キンクス、ヴァン・モリソン、ハンブル・パイ


ザ・キンクスと、ヴァン・モリソンと、ハンブル・パイ。
さて、この三組(人)の共通点は何でしょう?

取りあえず言えることはある。60年代から70年代初めにかけて、イギリスのロック・ミュージシャンたちは、みんなアメリカの黒人音楽にあこがれていた。そんな中で、この三組(人)は、ひときわユニークな形でアメリカ音楽を自分の中に取り込んで、それぞれに個性的な音楽を作り出したという点が共通している。やや強引かな。
そしてもうひとつ共通点がある。それは、それぞれの代表作のデラックス・エディションが、つい最近発売された(る)ということなのでした。あんまり関係ないか。今回は、その3枚のアルバムについての感想などを書いてみよう。


<その前に、最近のリイシュー事情についてあれこれ>

相変わらずリイシューもののボックスやデラックス・エディションの発売が怒涛のように続いている。
これまでを振り返ってみると、まずボブ・ディランの『アナザー・セルフ・ポートレイト』があり、発売は結局遅れたがザ・バンドの『ライヴ・アット・アカデミー・オブ・ミュージック1971』があった。さらに、ベック・ボガード&アピスの『ライヴ・イン・ジャパン』があって、そして極めつけは、キング・クリムゾンの24枚組『ザ・ロード・トゥ・レッド』。オマケとしてクロスビー・スティルス&ナッシュ関連9アルバムの初紙ジャケ化なんてのもあった。

これらの誘惑を大いに楽しみつつ、何とかかわしてきた(つまり買わなかったと)というのに…。この間出た『レコード・コレクターズ』誌(2013年12月号)を見たら、またまたいろいろと、とくにデラックス・エディションの発売が続くらしい。

まあ世間的に注目されているのは、『レコ・コレ』誌の特集にもなっているザ・ビートルズ『オン・エア~ライブ・アット・ザBBC Vol.2』(これはデラックス・エディション〕とは関係なかった)とか、ザ・フーの『トミー』、それに・クラプトンの『アンプラグド DELUXE 2CDDVD』あたりなんだろうな。クラプトンはこの後、『ギヴ・ミー・ストレンクス~1974/1975』というのも出るとのこと。

それにしても値段が高い。『トミー』は、2CDのデラックス・エディションの上に、3CD+ブルーレイのスーパー・デラックス・エディションがあるけど、こちらは12600円だ。
クラプトンの『ギヴ・ミー・ストレンクス~1974/1975<スーパー・デラックス・エディション>』は、5CD+1ブルーレイで21000円也。
みんな年末に向って、たいへんだねえ。でも私には関係ない。ビートルズも、ザ・フーも、クラプトンももちろん好きだけど、これらのアイテムには興味がわかないからだ。

私の好きなビートルズは、何といっても中期以降。「本来の」ビートルズは、やっぱりオリジナル曲でしょ。ビートルズのアルバムは、ひととおり持っているけれど、これまで唯一持っていないのが『ライヴ・アット・ザBBC』だった。これで持っていないアルバムに、BBCVol.2が加わることになったわけだ。

ザ・フーは、「サマー・タイム・ブルース」や『フーズ・ネクスト』が好きだ。けれどもロック・オペラは苦手。私にはどうにもその面白さがわからない。だから『トミー^』と『四重人格』は、一応持ってはいるがほとんど聴かない。

クラプトンのAORの総集編が『アンプラグド』。耳に心地よいが、まあそれだけ。
『ギヴ・ミー・ストレンクス~1974/1975』は、アルバム『461…』から、『ライヴ(E Was Here)』までの頃の音源を集めたものとのこと。クラプトンのロッカーとしての最後の輝きの時期にあたるわけで、その意味でまとめた意義はあるのだろう。ちなみにこの後、このギター・ヒーローは、AORヴォーカリストへと転身していくわけだ。でもまあ74年から75年は、一応オリジナル・アルバムがあればそれで十分でしょう。


<秋から冬へ、私が気になるデラックス・エディションたち>

さてそんな中で、私が気になったのは、次の3枚だ。

ザ・キンクス『マスウェル・ヒルビリーズ+13~デラックス・エディション』紙ジャケ2枚組。3800円。9月18日発売。

ヴァン・モリソン『ムーン・ダンス~デラックス・エディション』2枚組。2625円(安い!)。10月23日発売。(悲しいことに日本盤は出ないが、4CD+1ブルーレイのスーパー・デラックス・エディションもあるようだ。この輸入盤は、アマゾンで6359円(安い!)。)

ハンブル・パイ『パフォーマンス~ロッキン・ザ・フィルモア/コンプリート・レコーディングス』6825円。11月27日発売。

それともう一枚ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの『ホワイトライト/ホワイトヒート(45周年記念スーパー・デラックス・エディション)』というのもちょっとばかり気になるのだが、ここでは触れないことに。

しかしいずれにしても、私はこれらのアルバムを買わないのである。隠居したときに、もうデラックス・エディションは買わない、と心に決めたからだ。
お金がないせいもある。しかし、それだけではない。結局、アルバムというのは、オリジナルの形のままがいちばんいいと思うのだ。
ボーナス・トラックとして入っている、アウト・テイクとか、デモ・テイクとか、セッションとか、ミックス違いなどに、面白いものなどめったにあるもんじゃない。やっぱりボツになったのには、それなりのわけがあるのだ。そんなものに気を取られるより、当初出たとおりののオリジナルの形で、じっくり味わいたいと思ったわけなのだった。

しかしやっぱりデラックス・エディションというのは、気になるものだ。そんなとき私は、手元にあるオリジナルの形の盤を聴くことにしている。そうやって気を静めるのだ。効果は、かなりある。というわけで、上の三枚の感想など。


<アメリカにあこがれたイギリス人たち>

■ザ・キンクス『マスウェル・ヒルビリーズ』

『マスウェル・ヒルビリーズ』は、キンクスの最高傑作だと思う。
1971年の発表。この前後、キンクスは『ヴィレッジ・グリーン…』から始まって、延々と続く商業性無視のコンセプト・アルバム/ミュージカル路線を突き進んでいた。
『マスウェル…』は、その狭間で、ふっと一歩引いて作られたような雰囲気のアルバムだ。印象は、ジャケット写真のアーチウェイ・タヴァーンというアイリッシュ・パブの雰囲気そのまま。

曲調は、ブルース、カントリー、ヴォードヴィルと多彩なアメリカン・ミュージックをベースにしている。例によってレイ・デイヴィスのシニカルで、よじれきったユーモア・センスによって、哀愁漂うくすんだ色合いになっている。ブラス隊もその雰囲気に輪をかける。遠くからあこがれるアメリカ、そして振り返ると、自分がいるのはショボイ現実。俺たちはヒルビリーにあこがれる、マスウェル・ヒルの田舎者(ヒルビリーズ)だ、というわけだ。そんな歌の世界が、さまざまに展開されている。

それにしても、人生の酸いも甘いもかみ分けたような歌の数々。こんな情けなくてちょっともの哀しい、そしてオヤジ臭くてアクの強い音楽を書いたレイ・デイヴィスが、当時まだ26,7歳の若者だったとはあらためて驚きだ。うーん、やっぱりこの人の本質は小説家だな。
ちなみに、『マスウェル…』の次に私が好きなのが次作の『この世はすべてショー・ビジネス』。哀愁漂う世界がさらに展開されている。

ところで『マスウェル・ヒルビリーズ』は、当初2枚組の予定だったといううわさがある。もしそうだとすると、今回の2枚組デラックス・エディションは、より本来の形に近いのでは、とも思われて、欲しい気持ちがムズムズと頭をもたげてくる。でもそこから曲を厳選してシングル・アルバムにしたからこそ、結果、名曲ぞろいになったわけだし、やっぱりオリジナルでいいことにしよう。

ジャケットのようなアイリッシュ・パブで、ギネスでもちびりちびり飲みながら、こんな音楽が聴けたら最高だな。


■ヴァン・モリソン『ムーン・ダンス』

レコ・コレ誌の扉ページにある写真連載「LEGENDARY LIVE IN U.K.」。今号はヴァン・モリソンだった。めでたい。
でも、やっぱり日本での人気はマイナーなのだな。上にも書いたが、今回の4CD+1ブルーレイのスーパー・デラックス・エディションは、日本盤が出ないらしい。やっぱり売れないからだろう。日本盤は、2CDのエクスパンデット・エディションのみ。しかもこれ2枚組なのに2625円とひどく安い。

それはともかく久しぶりに聴く『ムーン・ダンス』は、相変わらず良かった。
これは、ヴァン・モリソンが、ゼムをやめてアメリカに渡って作ったソロ3作目。1970年発表。前作の『アストラル・ウィークス』と並んで、初期の名作と言われている。

タイトル曲について、かつて大鷹俊一が面白いことを言っていた。
「このタイトル曲(「ムーン・ダンス」)を久しぶりに聞いてみると、スティングが『ナッシング・ライク・ザ・サン』あたりでアルバム2枚にわたって大げさにやってたことが、4分半でみごとに凝縮されて描かれていることに改めて感動させられる。」(大鷹俊一『レコード・コレクターズ』1991年3月号ヴァン・モリソン特集)
あんまりスティングのこと悪く言わないでくれよ。これはつまりジャズ的なアプローチということだ。ピアノとサックスとフルート、そしてウォーキング・ベースという完全なジャズ・スタイルのバックにのって、ヴァン・モリソンのヴォーカルがクールにしかも熱く展開される。

ヴァン・モリソンといえば、アイリッシュ・ソウル・シンガーであり、「ベルファスト・カーボーイ」と呼ばれる。しかもあのいかつい顔だから、どうしても土臭くて、汗臭くて、黒っぽい歌のイメージがある。熱いのは間違いないのだが、クールで繊細でもある。その辺がアイリッシュ風ということなのだろうか。そして、これが大事なのだが、彼の音楽は何だかせつない。
これはわれわれの世代の、あるいは少なくとも私にとっての「演歌」みたいなものだと思う。私は日本の演歌はキライいだ。紋切り型の歌詞と、紋切り型の節回し、そして何より紋切り型の叙情が安っぽいからだ。
ヴァン・モリソンの歌は、心の奥に届いてくる感じがする。人生のツラかったこと楽しかったことを、しみじみ思い返しながら、焼酎を飲むときに、こんな音楽を聴きたい気がする。そんな意味での私の「演歌」なのだ。


■ハンブル・パイ『パフォーマンス~ロッキン・ザ・フィルモア』

1972年発表。ハンブル・パイの5作目にして、ライヴ2枚組。この後の『スモーキン』や『イート・イット』も良かったが、やっぱりこのライヴが彼らの最高傑作だろう。
中身は前年の1971年5月28、29日、ニューヨークのフィルモア・イーストでの演奏。今回出る「コンプリート・レコーディングス」は、4CDとのことだから、この2日間の演奏を丸ごと収めたのだろうな。

このライヴ盤のオリジナルは、アナログ2枚組なのに、曲数はたったの7曲。やたら長い曲が多いのだ。C、D面は各1曲のみの収録。このうちハンブル・パイの完全オリジナル曲は1曲だけ。あとは、マディ・ウォーターズ2曲、レイ・チャールズ2曲、ドクター・ジョン1曲、アイダ・コックスというブルース・シンガー1曲のそれぞれカヴァー。まさに、黒人音楽のカヴァー集みたいな趣だ。この内容を見ただけで、ハンブル・パイの中心人物スティーヴ・マリオットが、いかにブルースやR&Bに入れ込んでいたかがわかる。

1960年代の後半、ブリティッシュ・ブルースのブームの中から、フリートウッド・マックやサヴォイ・ブラウンやチッキン・シャックのようなブルース・ロックと言えるものが現れる。そこから一歩踏み出して、ハードなブルースからハード・ロックが生まれるわけだ。たとえば、ジェフ・ベック・グループの『トゥルース』(1968年)やレッド・ツェッペリンのファースト・アルバム(1969年)や、さらたにディープ・パープルが方向転換した『イン・ロック』(1970年)あたりがその最初の例だ。

そんな流れに逆行するように、ハンブル・パイは、当初グループが持っていたいろいろな音楽的な要素を切り捨てて、ハードなブリティッシュ・ブルースの方向へとのめり込んで行ったのだった。まあ、このライヴ盤の後のハンブル・パイは、女性コーラス隊もメンバーに加えるなどしてソウル・レヴュー的な色合いも深め、それなりに時代の流れに乗っていくわけだが。

とにかくこのライヴ盤『パフォーマンス』での、ハンブル・パイは、大好きな黒人音楽をベースに、思う存分ソロを弾きまくり、伸び伸びとやりたいことをやっている感じがある。ここで聴けるマリオットの絶唱にも、これがオレたちのやりたいことなんだ、という潔さを感じてしまう。そこがまず聴いていて気持いい。
しかも、けっして本場の黒人ブルースのように泥臭くはならない。ブリティッシュ・ブルースに特有な繊細でマイナーな陰影があって何とも味わい深い。この時点でまだメンバーだったピーター・フランプトンのギターが、とくにブリティッシュ風味を添えている。全体としてとにかくじわじわと迫ってくる演奏だ。

これはウイスキーでも飲みながら、じっくりと耳を傾けたいな。


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