2015年1月31日土曜日

本場のブルースとイギリスのブルース、そしてクリームのこと


今年も友人のI君から年賀状が届いた。彼は古くからの友だちで、学生時代の私のロック仲間だ。
彼の年賀状には、音楽生活に関する近況が添えてある。今年の年賀状によると、昨年の彼は古いロックからどんどんさかのぼってブルースを聴くようになり、ブルースの3大キングを経て、ついにはロバート・ジョンソンに行きついたとのことだった。

これを読んで私も久々にブルースが聴きたくなった。そこでCD棚の奥から手持ちのブルースのCDを引っ張り出してきたのだった。しかし久しぶりに聴くブルースの音は、何だか今ひとつ耳にしっくりこない。粗野なヴォーカルと、ペケペケと鳴るギターの音色が何ともなじめない感じ。
ロックの源流とはいえ、ブルースはロックそのものとは明らかに大きな隔たりがある。そう感じる人は少なくないだろう。

私も含めてロック・ファンの少なくない数の人たちは、ブルース・コンプレックスを抱いているのではないだろうか。あこがれのロック・ヒーローたちがリスペクトしてやまないブルースという音楽。興味をひかれて実際にブルースを聴いてみると、どこがいいのかよくわからない。そこで、自分にはブルースの良さがわからないというコンプレックスを抱くようになるわけだ。

それでもこの正月は、ひととおり自分の手元にあるブルースのアルバムを順繰りに聴いてみた。耳が慣れてくると、それなりに面白くなってくる。自分の好みに合うものと、合わないものがわかってくる。
I君がたどり着いたロバート・ジョンソンの良さは、じつは私にはわからない。クラプトンやキース・リチャードもこの人を敬愛していることはよく知られているが、私には縁がないようだ。
私がいいなと感じるのは、巨匠では、エルモア・ジェイムスや、ジョン・リー・フッカーや、ハウリン・ウルフたち。たしかにロックの根っこはここにつながっているような感じだ。もうちょっと新しい世代では、オーティス・ラッシュと、そして何といってもフレディ・キングがいい。このへんはもうほとんど、ロックと地続きと言ってもいい。

そんなわけでブルースを聴いていたら、イギリスのバンドがカヴァーしている曲がいくつも出てくる。フレディ・キングの「ハイダウェイ」とか、ハウリン・ウルフの「スプーンフル」、「シッティン・オン・トップ・オブ・ザ・ワールド」、「キリング・フロア」(ツェッペリンの「レモン・ソング」)などだ。

それでついでにイギリスのブルース・バンドのCDも引っ張り出して聴いてみた。フリートウッド・マックとか、チキン・シャックとか、サヴォイ・ブラウンとかだ。この三つは、ブリティッシュ・ブルースの3大バンドと言われているらしい。それと、ジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズ。
これらのバンドのやっていることは、やっぱり本家米国のブルースとはかなり感触が違う。カヴァー曲をオリジナルと聴き比べるとその違いは明らかだ。本家のブルースが持っている乾いた感じがない。ブリティッシュ・ブルースは、もっとセンチメンタルで、ウエットだ。そしてまさにそこが魅力なのだ。
ブルース・ギタリストで、ブルースに関するライターとしても知られる小出斉は、ブリティッシュ・ブルースから聴き始めて、しだいに本場のブルースにはまっていったと、どこかに書いていた。しかし、同じようにブリティッシュ・ブルースを聴いていても、結局私のように本場米国のブルースには行かなかった(行けなかった)人も多いはず。ブリティッシュ・ブルースは本場のブルースとは異質であり、ブリティッシュ・ブルースなりの独自の魅力を持っている。ロック・ファンの多くは、まさにそちらの方に強くひかれていたからだ。

ブルース・ブレイカーズつながりで、ついでにクリームのアルバムも聴きたくなった。あらためて聴いてみると、やはりクリームはいい。すごいバンドだったことを、今更ながら痛感した。
ブルースのカヴァーをよくやっているとは思っていた。思ってはいたけれども、あらためてカヴァー曲を原曲と聴き比べてみると、その違いに驚く。
それまでのブリティッシュ・ブルース・バンドは、原曲をなぞるように演奏していた。クラプトンが参加していたブルース・ブレイカーズの「ハイダウェイ」(フレディ・キング)なんかもそうだった(ギターのソロ・パートは別だが)。
ところが、クリームの場合は、カヴァーといっても、ほとんど彼らのオリジナルと言ってもよいくらいに改変されている。「スプーンフル」、「シッティン・オン・トップ・オブ・ザ・ワールド」、そして「クロスロード」など、どれも斬新な解釈と、クールでダークなセンスが光っている。これはまさにロックだ。ブリティッシュ・ブルースと、ブルース・ロックの境界はこのあたりにあるんじゃないかと思う。

クリームの「カヴァー」曲の中でも素晴らしいのはクラプトンの「クロスロード」だ。
クラプトンのオールタイム・ベスト・ワンと言えば、私は断然この曲だ。「ホワイト・ルーム」や、「サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ」や、「レイラ」や、「アイ・ショット・ザ・シェリフ」や、「ティアーズ・イン・ヘヴン」もある(以下省略)。けれども、やはり最高なのはこの曲に尽きる。
でも、この曲のオリジナルであるロバート・ジョンソンの「クロス・ローズ・プルース」(2テイクある)は、クラプトン版とは全然違っている。これを聴いても、うっかりするとクラプトンの原曲とは気付かないくらいだ。そこには、クラプトンの「クロスロード」で特徴的なあのリフもない。
「クロスロード」と言えば、本場のブルースを聴いているときに、いくつか気がついたことがある。
ジョン・リー・フッカーに、「ダスティー・ロード」という曲がある。ヴォーカルのフレーズが「クロスロード」にちょっと似ていて、歌詞も少し共通している。全体にせわしなく、たたみかけるような曲調で、クラプトンの「クロスロード」のアレンジには、もしかするとこの曲からの影響が少しばかり反映されているのでは…と思った。
それからハウリン・ウルフの「ダウン・イン・ザ・ボトム」のリフが、クラプトンの「クロスロード」のリフと似ている。正確に言うと、クラプトンのリフの前(まえ)半分を繰り返しているような感じなのだ。
クラプトンは、ウルフ・バンドのギタリストであるヒューバート・サムリンの影響を受けている。当然この曲もよく知っていたわけで、「クロスロード」のリフのアイデアは、こんなところから得た可能性もわりと高いんじゃないか思われる。
でももちろん「クロスロード」が最高なのは、リフだけでなく、そのギター・ソロの素晴らしさによるんだけれど。

オシャレ系音楽から始まった(前回の記事参照)今年の新年は、いきなりブルースに飛んで、結局クリームに落ち着いたわけだ。はたして今年の私の音楽生活は、どんな展開になることやら。


2015年1月22日木曜日

私の好きな「オシャレ」音楽


私はロック・ファンとしては「硬派」だ。「硬派」のロック・ファンとは、どういうことかと言うと、ロックの中でもとりわけプログレッシヴで、アヴァンギャルドで、アグレッシヴなものを好むのだ。ひとことで言えばシリアスなロックが好き。ポップなものも嫌いではないが、イギリス的なねじれたセンスのポップが好きだ。そういうわけでロックでも、安直でお気楽(きらく)で能天気なのはノー・グッド。
しかし、そんな「硬派」な私でも、ときおり「オシャレ」で気の利いた音楽が聴きたくなることもある。そういうときに私が聴くのが、シャーデーと、スティーリー・ダンと、ホール&オーツだ。それぞれCDを数枚ずつ持っている。
じつは、この寒かった年末年始(2014年から15年にかけての)に、もっぱら聴いていたのが、この三つのグループだった。そこで、今回は私の好きな「オシャレ」音楽についてのお話。

ところでこの3組の共通点を強いて挙げるとするなら、いずれも音作りに関して完璧主義ということになるだろうか。そしてジャジーだったり、ソウルっぽかったりするが、とにかく高度に洗練されていること。オシャレだけれども、けっしてお気楽ではない。
この完璧主義がピークに達しているのが、シャーデーなら『ラヴ・デラックス(Love Deluxe)』(1992)、スティーリー・ダンなら『彩(エイジャAja)』(1977)、ホール&オーツなら『プライベート・アイズ(Private Eyes)』(1981)あたりということになる。これらは、いずれも名盤であると同時に、それぞれの代表作ということになっている。

でも私の好きなのは、じつはそういうアルバムではなくて(一応持ってはいるのだけど)そこに至る少し手前の時期のアルバムなのだ。完璧になる前の、まだちょっとユルさのある音がいい。
シャーデーは、1984年に『ダイアモンド・ライフ(Diamond Life)』でデヴュー。いきなり独自のジャジーで洗練されたサウンドを確立した。その後『プロミス(Promise)』(1985)、『ストロンガー・ザン・プライド(Stronger Than Pride)』(1988)と、さらに洗練の度を高めていく。そして4年間のブランクをおいて発表した『ラヴ・デラックス(Love Deluxe)』(1992)は、まさにダイアモンドの結晶のようなアルバムだった。確信に満ちたサウンドが、美しく屹立していた。
面白いのは、アルバム・ジャケットの雰囲気も、こうしたサウンドの進化を何となく反映していること。どのアルバムもヴォーカルのシャーデー・アデュの美しいポートレイトなのだが、ファーストの『ダイアモンド・ライフ』のジャケットでは、まだどこか媚を売るようなメイクだった。それが、アルバムを重ねるごとに、どんどん自立&自律した女性へと存在感を増していく。
そして『ラヴ・デラックス』では、黒く硬質なひと固まりのオブジェと化したヌードで登場している。さらにその後に出たベスト・アルバム『Best Of Sade』(1994)では、ジャケットいっぱいにクローズアップされたアデュの顔が、悠然とまっすぐこちらを見つめているのだった。
私はフェミニストのつもりだし、自立した女性は好きだが音的には、完璧な『ラヴ・デラックス』よりも、もう少し穏やかな音を好む。アルバムでいうと、セカンドの『プロミス』あたり。スモーキーなアデュのヴォーカルが漂わす、はかなげな風情が何ともたまらない。

スティーリー・ダンの二人(フェイゲン&ベッカー)も完璧主義だ。職人的、もしくは病的といってもいいくらいに。そのこだわりが頂点を極めたのが、1977年の『彩(エイジャ)』ということになる。
当時、愛読していた『ミュージック・マガジン』誌上でも、このアルバムは大きな話題になった。超一流のスタジオ・ミュージシャンをぜいたくに起用した演奏の完璧さと、細部までこだわり抜いた精緻な音作りが絶賛されていた。以後、『彩(エイジャ)』はロック史に輝く名盤という定評を得ることになる。私にとっても発売と同時に購入して繰り返し聴いた思い出深いアルバムだ。
しかし、今はほとんど聴かない。なるほど演奏もサウンドも完璧かもしれない。だが、肝心の曲そのものに魅力がないのだ。スティーリー・ダンの曲と言えば、「ドゥ・イット・アゲイン(Do It Again)」(73)とか「リキの電話番号(Rikki Don't Lose That Number)」(74)が印象深い。けれども、『彩(エイジャ)』には、これに匹敵するような名曲が一曲も入っていないのだった。

というわけで私的には1974年のサード・アルバム『プレッツェル・ロジック(当時は副題が「さわやか革命」)』あたりが好きだ。のちにドゥービー・ブラザースに入るジェフ・バクスターがまだバンド・メンバーだった頃の作品だ。この人の豪快でおおらかなギター・プレイが、このアルバムにほんの少しだけ泥臭くてのどかな雰囲気を付け加えていた。そこがよいのだ。

ダリル・ホール&ジョン・オーツは、言うまでもなく80年代のオシャレ音楽界を席巻したグループである。そんな彼らのサウンドのピークを記録したのが、3枚のセルフ・プロデュース作、すなわち『モダン・ヴォイス(Voice)』(1980)、『プライベート・アイズ(Private Eyes)』(81)、そして『H2O(H2O)』(82)ということになる。いずれも完璧なサウンドによる怒涛の勢いのヒット曲が並んでいる。ほとんど「産業ロック」とも呼べそうなのだが、その手前で何とか踏みとどまっている感じだ。それはこの人たちが完全な商業ベースではなくて、その根っこにかろうじてロック・スピリットを持っていたからではないかとも思う(とくにダリル・ホールの方。彼はクリムゾンのロバート・フリップとも共演している)。

しかし、やっぱり私が好きなのは、ちょっとくつろいだ感じのある彼らの初期のアルバムだ。中でもセカンド・アルバム『アバンダンド・ランチョネット(Abandoned Luncheonette)』(1973)がいい。ジャケットは、郊外の打ち捨てられたレストラン(つまりこれがアバンダンド・ランチョネット)。タイトル・ソングは、過去を回想しながら人生の機微を歌ったものらしい。しかし、ジャケットに写る都市の郊外のひなびた情景に、私はのどかな空気感を感じてしまう。そして、このアルバム全体の音にもまた、こののどかさを感じてしまうのだ。そこが気にいっている。

私の「オシャレ」音楽について、はこれでおしまい。
ここからはおまけ。今回の記事を書くにあたってネットを見ていたら、面白い話を見つけたので紹介しよう。
ひとつは「シャーデーの白いドレスの行方」(ブログ『STRONGER THAN PARADISE 踊るシャーデー鑑賞記』) 。アデュがライヴで着ていた白いドレスが、何とシニード・オコナーに受け継がれたという話。しかも、シニードは、例の事件の時、まさにこのドレスを着ていたというのだ。
そしてもう一つ、「ダリル・ホール&ジョン・オーツ Abandoned Luncheonetteの逸話」(ブログ『Entertainment Everyday ONE』)。これは、アルバム『アバンダンド・ランチョネット』に写っている件の廃屋となった実在のレストランをめぐる話だ。ホール&オーツのファンがここに立ち寄っては、記念に破片をもぎ取っていき、ついには消滅してしまったという。
どちらも興味深くてぐいぐい読ませる。文章もうまい。ネットの音楽についての記事と言えば、表面的な感想に終始したつまらないものが大半だが、その中で珍しく良質な読み物に出会えてうれしくなった。

えっ、おまえのこの記事も「表面的な感想に終始」してるだろうっ…て。その通りでした、すみません。


2014年12月5日金曜日

ボブ・ディラン&ザ・バンド 『ベースメント・テープス・ロウ』


ディランのブートレグ・シリーズ第111集『ベースメント・テープス・ロウ』(The Basement Tapes Raw: The Bootleg Series Vol. 11)を買った(2014年11月発売)。あくまで『…コンプリート(デラックス・エディション)』ではなくて、『…ロウ(スタンダード・エディション)』の方。
正直言って『コンプリート』と『ロウ』のどっちを買うか迷った。『コンプリート』が6枚組、全138曲収録で、お値段は¥20,000+税。これに対し、『ロウ』の方は、2枚組、全38曲収録で、値段は¥3,600+税。ディラン・ファンは、きっとみんな『コンプリート』の方を買ったんだろうな。私はいろいろ考えた末に『ロウ』にした。

このアルバムの発売を知ったとき、ブートレグ・シリーズの前作『アナザー・セルフ・ポートレイト』と同様、今回もやっぱりパスしようかなと思った。理由はふたつある。ひとつは、値段がバカ高いこと(デラックス・エディションの方)。他のアーティストのボックスと比較しても異様に高いし、これのスタンダード・エディションと比べてもおかしな値段設定だ。スタンダード・エディションが2枚組で3600円なんだから、6枚組なら3600円×3で、10800円くらいでよさそうなもんだ。これはあきらかにディラン・ファンの足元を見ている。いいかげんにしてほしいな。

そしてパスしようと思ったもう一つの理由は、1975年に出たペースメント・テープス・セッションの公式盤『地下室』が、そもそもあんまり好きじゃなかったからだ。
しかし久しぶりに『地下室』を引っ張り出して聴いてみたら、これがすごく良かった(という話は前回書いたとおり)。歳をとってこのアルバムの良さがわかるようになったということなのだろうか。これらの曲を録音した時のディランは、たしか26歳だったはずなんだけど。
ともかく、そうなると俄然、今回のブートレグ・シリーズの『ベースメント・テープス・コンプリート』が欲しくなってしまった。

折しも今月号の『レコード・コレクターズ』誌(2014年12月号)はこのアルバムの特集。ついじっくりと目を通してしまった。読んでいて記事の本題ではないけれど、75年の『地下室』に関する記述にはちょっとびっくり。『地下室』収録のザ・バンドのみの曲8曲は、本当はベースペント・テープス・セッションのものではないというのだ。看板に偽りがあったというわけだ。

あと今回の特集でひっかかったのは、『レコ・コレ』誌の特集がいつもそうであるように、このアルバムを過大に評価し過ぎている感じがすること。
ベースメント・テープスが、ザ・バンドの『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』や、ザ・バーズの『ロデオの恋人』に影響を与えたというのは、まあわかる。しかし、さらにグレイトフル・デッドの『ワーキングマンズ・デッド』とか、ストーンズの『ベガーズ・バンケット』や『メインストリートのならず者』とか、トラフィックのセカンド・アルバム、そしてビートルズのゲットバック・セッションにまでその影響が及んでいるというのは、はたしてどうか。多少なりの影響はあったにしても、要するにルーツ・ミュージックへの回帰が時代の大きな流れだったということでしょ。ベースメント・テープスの影響だけを取り上げるのはちょっとおかしい。

で、それはともかく『ベースメント・テープス・コンプリート』はどうするか。買うのか、買わないのか。
記事中の文章でやっぱり気になったのは、『コンプリート』の内容についての次のような個所。「1分にも満たない断片的なものやグダグダな演奏のものまでひっくるめて、すべて入っていた」とか、「はっきりいって、ディランが歌っているのでなければ、ただのゴミといったものもなくはない」(佐野ひろし「新たな研究段階に入った“ベースメント・テープス”の実像」『レコード・コレクターズ』2014年12月号)
コンプリートと言うからには、たしかにそういうものも含まれているんだろうな。つまり、資料性が高いということにはなる。
でも、毎日楽しんで聴くにはちょっとヘヴィ過ぎる感じ。
そこで結局私は、スタンダード・エディションの『ベースメント・テープス・ロウ』を選択した次第。何で「ロウ(Raw)」というのか不思議だったけれど、これは『地下室』収録曲の音が後から手を加えられたものであるのに対し、こちらは「原形のまま」という意味のようだ。何だか『地下室』を過剰に意識しているような気もするのだが。
『ロウ』の方を買ったのは、結果的にはいい選択だったと思う。安いし、厳選された良い曲がいっぱい入っているし、しかも気軽に聴ける。この気軽に聴けるというのがいい。で、ここ最近、ずっとこればっかり聴いている。

『ロウ』収録曲のうち『地下室』とダブっている曲には、「復元ヴァージョン」とか「オーヴァー・ダブなし」と表示されている。『地下室』の曲と聴き比べてみたが、どちらもそれなりに良かった。ディランの歌の本質はそんな違いには左右されないという感じがする。くねくねとうねり、強引に引っ張るディランのヴォーカル・フレーズ。それが何だか魔法のように、私の心を引き付けるのだった。


2014年12月4日木曜日

ボブ・ディラン&ザ・バンド 『地下室』(1975)


ちまたでは、ディランのブートレッグ・シリーズ第11集『ベースメント・テープス・コンプリート』(The Basement Tapes Complete: The Bootleg Series Vol. 11、2014年11月)の発売が話題になっている。が、今回は、あえてこのブートレッグ・シリーズではなくて、ベースメント・テープスの最初の公式盤である1975年に出た『地下室』のお話。

今回のブートレッグ・シリーズも買おうかどうしようか迷った。こういうときに私は、手元にあるそのアルバムの関連音源を聴いてみることにしている。そこで今回はベースメント・テープス関連のアルバムということで、75年の『地下室』、ザ・バンドの『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』、ディランの『ジョン・ウィズリー・ハーディング』、そしてついでにザ・バーズの『ロデオの恋人』なんかを聴き直してみたのだった。それぞれどんな関連があるかは省略。
そうしたら自分でも意外だったことに、久しぶりに聴いた『地下室』が、すごく良かったのだ。何で「意外」かというと、私はこのアルバムが、ずっとあまり好きではなかったからだ。ゴメンね。

私はこの『地下室』を、1975年の発売と同時に手に入れて、ずいぶん繰り返し聴いたのだ。しかし、全然その良さがわからなかった。
このアルバムが出た1975年といえば、ディランは生涯で2度目のピークを迎えていた頃だ。74年に『プラネット・ウェイヴズ(Planet Waves)』、75年には『血の轍(Blood on the Tracks)』、そして76年には『欲望(Desire)』が発表された。いずれも名盤だ。その深く鋭い叙情は、聴く者の心をわしづかみにした。
思えばこんな一連の名盤群のはざまに『地下室』は発売されたのだった。見劣りしてしまうのは、しょうがない。『地下室』のデモ録音のような大雑把な演奏と歌は、当時の私の心には全然響かなかったのだ。

ついでにいうと、『地下室』のアルバム・ジャケットもいただけなかった。あの猥雑でごちゃごちゃしたジャケットのイメージは、収められている曲と演奏が、庶民というか大衆の音楽に根ざしたものであることを表しているのだろう。その意図があまりにも単純過ぎて面白味がないのだ。
そんなふうだから、その後このアルバムを聴くことはめったになかったし、あまりいい印象も持っていなかったのだ。

ところが、今回久しぶりに引っ張り出して聴いてみたら、なかなか良かったというわけである。ファンキーでラフでワイルドなところがまず魅力的だ。しかも、それが気取っていなくて、自然体の演奏なのもいい。しかし、もちろんそれだけではない。それだけではないのだが、この良さをどう表わしたらいいのだろう。

ちなみに、このベースメント・テープス・セッションの曲を、ザ・バーズがアルバム『ロデオの恋人』で2曲ほどカヴァーしている。「どこにも行けない(You Ain't Goin' Nowhere)」と「なにもはなされなかった(Nothing Was Delivered)」だ。
ザ・バーズの『ロデオの恋人』は、カントリー・ロックの先鞭をつけた作品と評価されている。しかし、今の耳で聴くと、ここで聴けるのは、ただのつまらないカントリーそのものだ。ディランのカヴァー2曲も、じつに平板で凡庸な演奏。
しかし、この演奏を聴いてみて、逆にディラン&バンドの元の演奏がいかに魅力的かがよくわかる。ディランのうねうねとよじれた歌い回し、そしてバンドの悠然としたサポートぶり、それが一体となってじつに味わい深いのだ。

ところで、発売以来ずっと興味がなかったので、この『地下室』に関する情報は、ほとんど何も知らなかった。なので、今回、ブートレグ・シリーズの発売にあわせて遅ればせながら知った『地下室』に関する事実の数々は、私にとってはまさに“驚きの真実”だった。
いちばん驚いたのは、収録されている全24曲中、ザ・バンド単独の8曲が、じつはベースメント・テープスのものではなかったことだ。そればかりか、何とその8曲の中には、75年の時点での新録も含まれていたというのだ。
また、ディラン参加の曲にも、ザ・バンドによるオーヴァー・ダブが施されるなど、かなり手が加えられているという。これらは、このアルバムの編集にあたったロビー・ロバートソンの仕業ということだ。

ちなみにロビー・ロバートソンは、ずっと私のギター・ヒーローのひとりだった。ザ・バンドの曲作りの中心人物(「ザ・ウェイト」とかね)であると同時に、その渋いギター・プレイは他に類がなかった。しかし、だんだんこの人の良くない評判を聞くようになる。そしてあの映画『ラスト・ワルツ』で見た彼の姿。本当にうさん臭い人物に映った。
なるほど『地下室』を、本来の姿から、よりザ・バンド色の強い形に改変する事など、彼ならいかにもやりそうなことに思えた。

とはいえそんなディランよりもザ・バンド側に偏ったこのアルバムの音楽性は、割り切って聴けば、そんなに悪くはないのだった。ザ・バンド的にみると、ここで聴ける音は、『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』とセカンド・アルバム『ザ・バンド』の中間あたりに位置するように聴こえる。これはこれで良い。もう一曲「アイ・シャル・ビー・リリースト(I Shall be Released)」が入っていれば完璧だったのだが。
ただし、このアルバムを、オリジナルのベースメント・テープスが録音された1967年の作品と考えてはおかしなことになる。どちらかというとロバートソンが手を加えた1975年の作品と考えるべきだろう。だからこそ、オリジナルの形である今回のブートレッグ・シリーズの『ベースメント・テープス・コンプリート』の発売に大きな意義があるわけだ。

さてそれで、ブートレッグ・シリーズの方は買ったのか?って。それはまた次回にね。


2014年11月29日土曜日

ジョージ・ハリスンの箱


ジョージ・ハリスンの箱、「アップル・イヤーズ1968〜75」が発売された(2014年10月15日国内発売)。ジョージ・ハリスンがアップルから出した最初のソロ・アルバム6作を、リマスターしてDVDと本つきでボックスにしたものだ。
 私もビートルズ好きで、ソロ初期のジョージ・ハリスン好きで、しかもついでに「箱」好きときているから、当然この箱にも興味をそそられたのだった。

しかしやっぱり引っかかるのは最初のソロ・アルバム2枚。すなわち『不思議の壁』と『電子音楽の世界』のこと。これは、誰もが御承知のとおり、ジョージのアルバムではあるが、「別格」というか「番外編」の存在だ。思い切り言い方を変えれば、クズorゴミということになる。私も一応持ってはいる。持ってはいるが、どちらも2,3回しか聴いたことがない。それ以上聴く気も起きないし、また聴く必要もないシロモノ。これを、ボックスの一部とはいえ、また買い直すというのはかなり抵抗がある。

しかし、ここで考えはぐるぐる巡って、思い直すのだ。
もし、『オール・シングス・マスト・パス』が、オリジナル通りの形で再現されて収められているのなら、この箱を買ってもいいかな、と。

2001年に『オール・シングス・マスト・パス』のリマスター盤が、〈ニュー・センチェリー・エディション〉と銘打って出たのだが、これには本当にがっかりした。
「がっかり」の第一は、ジャケットが変更されていたこと。オリジナルのモノクロームの写真に、着色が施されてカラーになっていた。しかも、インナー・スリーブでは、このジャケットの風景の背景に、建物や高架の道路が描かれ、田園が都市化されていく様子を示していたのだ。そうやって「オール・シングス・マスト・パス」というフレーズの意味を、絵解きしたつもりなのだろう。けど、これじゃあ台無しだ。この言葉の持つ深遠な意味が、きれいさっぱりと拭い去られている。

がっかりしたことの第二は、アルバムの曲構成がいじられていることだ。元のアルバムにあった練り上げられた構成の妙が損なわれてしまっていた。
オリジナルはLP3枚組で、A面からF面までの6面の各面が、それぞれ巧みに構成されていた。ところが、このリマスター盤では、CD2枚組になり、ディスク1の最後、つまりLPではC面の後に、5曲のボーナス・トラックが追加されているのだ。これでは全体の流れが乱されてしまう。ボーナス・トラックの中には、「ビウェア・オブ・ダークネス」のデモ・テイクなど聴きものもあった。しかし、「マイ・スイート・ロード」の新録なんかは完全に蛇足だろう。
それでもこれだけならCD化の際によくあることだから、まあやむを得ないと言えなくもない。しかし、LPの3枚目のアップル・ジャムの収録にあたっては、曲順が変更されているのだ。3枚目の冒頭にあった「アウト・オブ・ザ・ブルー」が、ラストに回されている。これはかなり違和感がある。

そんなわけで、今回のボックスに収録されている『オール・シングス…』が気になったわけなのだ。本来の形に戻されていればよいのだが…。事前の情報によると、ジャケットはオリジナルのモノクロを再現している(ただし箱ではなくてデジパック仕様)ようなのだが、中身は、2001年のリマスター盤と同じとのこと。これでは、がっかりだ。

それでも、こういうときの常で、一応手持ちの盤で、この箱に収められている6枚のアルバムを聴いてみることにした。
『不思議の壁』と『電子音楽の世界』の2枚は、やっぱり今聴いてもゴミでした。
『オール・シングス…』は、やっぱり素晴らしい。ぜひともオリジナルを再現したエディションを発売してほしいと思う。くどいようだけど、私の要望は次の点だ。①ジャケットはモノクロのボックス仕様。②CDはLPにならって3枚組。③インナー・スリーブもオリジナルとおりの色違いを再現。④そして、当然、アルバム構成は、オリジナルとおりで、もちろん曲順はそのまま。ボーナス・トラックはいらない(どうしても入れるならディスク2のラストに)。

さて、『オール・シングス…』の後に出した3枚のソロ・アルバムはどうか。『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』、『ダーク・ホース』、そして『ジョージ・ハリスン帝国』の3枚だ。
ところで『不思議の壁』と『電子音楽の世界』はあくまで「番外編」、『オール・シングス…』は、それまでビートルズ時代から書きためた曲をいっきに大放出したスペシャル版ということなので、本来の意味でのジョージのソロ・アルバムは、『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』からだ、と言っている人がいる。たしかにそうなのだろう。そして、そうだとすると、ジョージ・ハリソンという人の才能は、まあ「それなり」ということになる。この3枚のアルバムが、どれも「それなり」の出来だからだ。

ただ、この人の曲とヴォーカルには、何とも言えない哀愁がある。とくにこの3枚には、『オール・シングス…』よりももっと強く哀愁を感じる。『オール・シングス…』の音はかなり厚めだったので、それがない分、よけいはっきりとヴォーカルの個性が聴こえるのだろう。ジョージの根強いファンの多くがこの哀愁に魅かれるのも良くわかる。
しかし、私にとってのジョージは、結局『オール・シングス・マスト・パス』だけの人なんだなあ、ということをあらためて確認したしだ次第。
で、結論、「アップル・イヤーズ1968〜75」は買いません(でも、中古で安く出ていたら買ってもいいかなあ…)。


2014年11月25日火曜日

理想形のジャズ  マイルスの60年代クインテット

この夏、久しぶりに古くからの友人に会ってゆっくり話をした。彼はジャズ好きで、話題はいつのまにかマイルス・デイヴィスのことになった。マイルスがいちばん良かったのは、どの時期か?というような話である。
私は原則的には「ロックの人」なのだが、ロックおやじの多くがそうであるように、ジャズもそれなりには聴いてきた。中でもマイルスは基本だから、ひととおりアルバムは手元にある。

さて友人は、ハード・バップ期のマイルスがいちばん好きだと主張した。これに対し私は、エレクトリック・マイルスもなかなかいいよ、と言った。私は『オン・ザ・コーナー』が、かなり気にいっている。
友人は、エレクトリック化してからのマイルスは、『イン・ア・サイレント・ウェイ』と『ジャック・ジョンソン』はいいと思うけど、あとは聴いたことがないなあ、と言う。聴いたことがないんじゃ、話はかみ合わないわけで…。
しかし、マイルスのいちばん良いのは、やっぱり60年代クインテットだな、ということで両者の意見は無事に一致したのだった。

60年代クインテットとは、サックスがジョン・コルトレーンではなく、ウエイン・ショーターになった頃のマイルス・グループのことだ。「黄金のクインテット」とも言われている。ピアノがハービー・ハンコックで、ベースがロン・カーター、そしてドラムスがトニー・ウィリアムスだ。
このグループは、スタジオ録音のアルバムを4枚残している。『E.S.P.』(1965)と、『マイルス・スマイルズ(Miles Smiles)』(1966)と、『ソーサラー(Sorcerer)』(1967)と、『ネフェルティティ(Nefertiti)』(1967)だ。この4枚がとにかく素晴らしい。
このスタジオ4部作こそが、結局マイルス生涯の最高傑作ではないかと思う。たしかに『バグス・グルーブ(Bags Groove)』(1954)も、『ラウンド・アバウト・ミッドナイト(Round About Midnight)』1955~56)も、『カインド・オブ・ブルー(Kind of Blue)』(1959)もいい。どれも名盤だ。ついでに『ビッチェズ・ブリュー(Bitches Brew)』(1969)もすごいとは思う。しかし、それらよりも60年代クインテットの4部作の方が上だ。さらに大げさなことを言えば、マイルスのアルバムの中だけでなく、数あるジャズのアルバムの中でも最高峰に位置すると思う。

一般にジャズと一言で呼んでいるが、そこに含まれる音楽は多岐にわたる。スウィング・ジャズのようなクラシックなものから、モダン・ジャズ、前衛ジャズ、フュージョン、それにヴォーカルものなどなど…。そんな中で、ジャズという言葉から思い浮かぶ私にとってのもっともスタンダードなジャズが、マイルスの60年代クインテットの音ということになる。言い方を変えると、これが私にとっての理想形のジャズとも言える。
ちなみにこのクインテットと、その周辺の人たちがやっていたジャズは、その昔「新主流派」と呼ばれていた。それまで主流であったハード・バップに対する新しい流れという意味だ。しかし、今は「新主流派」という言葉もすっかり死語になってしまった。それは、このマイルスたちのスタイルこそが、完全にジャズの主流そのものになったからだ。

では当時「新主流派」と呼ばれたマイルス・クインテットの音とは、どんなものだったのか。それを一言でいえば、ハード・バップに「モードの技法やポリリズム、さらにはフリー・ジャズ的な要素も取り込んだ」音楽(村井康司「マイルス・デイヴィスという“巨大な謎”」『マイルス・デイヴィス・ディスク・ガイド』レコード・コレクターズ増刊2011年)ということになる。
特徴的なのは、ショーターの書くいびつで、幾何学的ななメロディーだ。メンバーそれぞれのソロのフレーズも、歪(ゆが)んでいる。ハンコックのピアノ・ソロなど、まるで傾いた床の上で弾いているような感じ。そして、打楽器であることを越えてシャープに突っ込んでくるトニー・ウィリアムスの天才的なドラム・サウンドの見事さ。
その上、ソロのバックでピアノがほとんどコードを弾かなかったりとか、トランペットとサックスがソロなしで、テーマのメロディを繰り返すだけの曲があったりなど、かなり奇抜なこともやっている。フリー・ジャズになる一歩手前で、ぐっと踏みとどまっているようでもある。つまり新しい表現に向かって、やる気満々なのだ。そんな精神的なテンションの高さを感じる演奏だ。

友人と4部作の話をしたあと、家に帰ってこの4枚のCDを聴いたら、やっぱりすごく良かった。聴き始めると止まらなくなって、今年の秋はこの4枚を繰り返し聴いて過ごした。
そこで、この機会にこの4枚をリマスター&紙ジャケ盤に買い替えることにした。もちろん中古で、だけど。
たいしたシステムで聴いているわけではないので、あまりリマスター盤にはこだわらないのだが、聴いてみるとやはりよい音だった。買い替えて良かったと思った。

それにしても当時まだ若手だったこのクインテットのメンバーたちは、その後いずれもジャズ界の巨匠となった。ソロや自分のグループで数々のアルバムも出している。しかし、彼らそれぞれの最良の演奏は、このマイルス・クインテットにいた時のプレイだったのではないかという気がする。私の友人もこれに同意してくれた。若い才能を見抜き、そして使いこなしたマイルス。やっぱりマイルスってすごいなあ。


2014年9月27日土曜日

ブランドXの夏


今年の夏も暑かった。そんな暑い日々に毎日聴いていたのがブランドXだった。
8月のあたまに、再結成CSN&Yのフヌケた音を聴いていた反動もあって、何だか気分がシャッキリするような音が聴きたかったのだ。ブランドXは、ひんやりして気持ちよかった。

もっともブランドXを聴く直接のきっかけは、例によって『レコード・コレクターズ』誌だった。
同誌2014年9月号で目にしたのがブランドXのアルバム再発の記事。初期6作品が、あらたにSHM-CD化され、紙ジャケ(これは2回目)で再発されるとのことだ。誌面の見開き2ページを使って、その6作品が紹介されていた。
私は高音質化の再発には興味がないので、買い直す気にはならなかったのだが、この記事を目にして、久しぶりにブランドXのCDを引っ張り出して聴いてみる気になったのだ。

ちなみに私にとってのブランドXは、アルバムで言うと最初の4枚まで。すなわち次の4枚だ。

第1作 「異常行為(Unorthodox Behaviour)」(76年)
第2作 「モロカン・ロール(Moroccan Roll)」(77年)
第3作 「ライヴストック(Livestock)」(77年)
第4作 「マスクス(Masques)」(78年)。

ブランドXが、本当に神がかっていたのはここまでだった。これは私だけでなく、大方のファンが認めるところだろう。5枚目以降は、「ふつう」の技巧派バンドになってしまった。
面白いのは、アルバムのデザインもこの変化をそのまま反映していること。4作目までは、それなりに個性的で印象深いデザインなのだが、5枚目以降はかなりひどいものになっている。

■英国的フュージョン?

ブランドXは、言うまでもなく超絶技巧派集団だ。しかし、このバンドの良さは、その超テクニカルな音が、あくまで英国的なこと。英国的なヒネリとウイットがあって、クールであると同時に叙情的で何とも言えない陰影がある。
そんな彼らの特徴をもっともよく表しているのが、第1作の「異常行為(Unorthodox Behaviour)」(現在の邦題は「アンオーソドックス・ビヘイヴィアー」)だろう。

このアルバムは、当時アメリカで流行っていたクロスオーヴァー/フュージョンに対する英国からの回答、なんて言われたものだ。しかし、ここで聴ける音は、アメリカのそれとは決定的に違っていた。
アメリカの超絶技巧派のミュージシャンの大半は、「思想」を持っていない。つまり、その音楽を通して表現したいコトが感じられない。ようするに、言葉は悪いが「音楽バカ」なのだ。だから、たちまち安易な商業主義音楽に成り下がってしまった、とも言える。
中には、チック・コリアのように、一時はフリー・ジャズをやっていて「思想」がありそうに見えたのに、結局は確信犯的にリターン・トゥ・フォーエヴァーのような金儲け主義に走った人もいる。

これに対し、ブランドXの音には、知的なセンスが感じられた。いわばプログレ的フュージョン。異様にねじくれたフレーズもそうだし、とくに第1作1曲目の「ニュークリア・バーン(Nuclear Burn)」に特徴的な異常な熱のようなものもそれを感じさせた。ブログを見ていたらこの「異常な熱のようなもの」を、「怨念がこもったような音」と表現している方がいた(「ノブりんのブログ」)。こう表現したくなる気持ち、すごくよくわかる。

もっとも、ブランドXに「思想」があったのは、最初のほんの一時期のことだった。4作目の『マスクス』あたりから、ポリシーなき「思想的」漂流が始まり、以後、先にも書いたとおり、「ふつう」の技巧派バンドになってしまったからだ。そうなるとアメリカ産のフュージョンと違いがなくなってしまう。でも、とにかく初期4作の知的で翳りのある音世界の輝きは永遠のものだ。

■ブランドXのユーモア感覚

音そのものとは関係ないが、彼らの英国的なユーモア感覚は、その曲名のセンスにも現れている。たとえば、第1作の中の「Enthanasia Waltz(安楽死のワルツ)」とか、「Born Ugly」(醜く生まれる)なんかかなりヒネくれている。
このファースト・アルバム録音前の発掘音源集(ジョン・ピール・セッション?)である『ミッシング・ピリオド(Missing Period)』(97年)というアルバムが出ている。ここでは、その後のアルバムに収められた曲の原曲が演奏されているのだが、その曲名がかなり可笑しい。
たとえば上の「Born Ugly」の原曲は「Dead Pretty」(可愛く死ぬ、もしくは、とても可愛い)。それから第2作収録の「Why Should I Lend You Mine」の原曲は、「 Why Won't You Lend Me Yours?」といった具合(つまり「僕」と「君」が入れ替わっている)。
さらに「Miserable Virgin(ミゼラブル・ヴァージン)」というのもあって、これはもちろん名曲「Malaga Virgen(マラガ・ヴィルゲン)」のもじりというか駄シャレだ。マラガ・ヴィルゲンというのは、たしかスペインのマラガ産の白ワインのことだったと思うど。この「ミゼラブル・ヴァージン」のヴァージンには、ヴァージン・レコードがかけてあるらしい。
こんな言葉遊びもいかにも英国的だ。

■『ライヴストック』の思い出

初期の4枚のアルバムの中でも、彼らの最高傑作は3作目の『ライヴストック』だろう。私にとってもこのアルバムは、もっとも印象深いアルバムだ。
かつて、学生時代に朝から晩まで、文字通り一日中、音楽を聴いていた時期があった。その頃もっとも頻繁に聴いたのが、ジェネシスの『フォックス・トロット』だった。このアルバムの思い出については、別に記事を書いたことがある。
そして、その次によく聴いたのが、この『ライヴストック』だった。当時はLPの時代。A面を聴いては、ひっくり返してB面へ。そして聴き終わるとまたA面へ。これを一日中、際限なく繰り返したものだ。
『フォックス・トロット』と『ライヴストック』は、音楽的にはだいぶ傾向が異なる。しかし、あらためて考えてみると、聴いている者を作品の世界にディープに引きずり込むという、いわば麻薬的な魅力を持つという点では共通している気もする。あと、ドラマーが、どちらもフィル・コリンズという点も共通しているわけだけど。

■『ライヴストック』はオリジナル・アルバム

しかしこの『ライヴストック』は、ブランドXの代表作でありながら、じつは音作りの点で、彼らの作品全体の中では、むしろ例外的な作品と言える。このアルバムの印象は、とにかく静か。陰影を強調したクールでデリケートな音の世界が、ゆるやかに展開されている。ひとことで言うと、青白い炎がメラメラと燃えているような感じだ。
先行する第1作と第2作にも、そして『ライヴストック』の次作の第4作にもこの感じはない。『ライヴストック』の音は、これらの中で一番知的でクールなのだ。強いて言うなら、同時期に作られた第2作『モロカン・ロール』の内のいくつかの曲に、これに近い感触がある。

この音の違いは、他の3枚がスタジオ作であるのに対し、『ライヴストック』がライヴ録音だからということでもないようだ。後年になって発売されたブランドXの当時のライヴ音源(『タイム・ライン』とか『トリロジー』など)を聴いても、その音はアグレッシヴで、同じライヴなのに『ライヴストック』の印象とは全然異なっている。

この『ライヴストック』独特の音について、うまく言い当てているのは立川芳雄の次のような一文だ。

一つ一つの楽器の音はクリアーで、音圧が低めなせいもあって居丈高な感じがしない。そしてキラキラした高音が強調されており、深くかけられたエコーが奇妙な非現実感を醸し出す。
数あるブランドXの作品のなかで、こうした特長的な音像を持っているのは本作(『ライヴストック』)と『モロカン・ロール』だけ…。
立川芳雄『・プログレッシヴ・ロックの名盤100』(2010年リットーミュージック)

『モロカン・ロール』の音も同じ、というのは同意しかねるけれども、『ライヴストック』の音の特徴と、それがブランドXのアルバムの中でレアであるということを、ちゃんと言っている点は貴重だ。
結局、このアルバムはブランドXのアルバムの中で先にも書いたように例外的なアルバムなのだが、そのことによってこのバンドの良さがもっとも良く現れたアルバムとも言えるだろう。
その辺について『ライヴストック』のライナーは、次のように説明している。

コリンズが参加している3曲(御隠居による注 「Ish」、「安楽死のワルツ(Enthanasia Waltz)」、「アイシス・モーニングⅰ,ⅱ」)が比較的クールな印象のトラックということもあり、後年に発表されたライヴ・アルバムに比べると押しの強さに欠ける嫌いもあるのだが、(中略)あえて引きの曲を中心に据えたことで、彼らの多面的な個性がより浮き上がってくる内容に仕上がっていると言えるだろう。(中略)
ブランドXというバンドの特質がもっとも活かされるスタイル(中略)で制作されたのが本作…。
鮎沢裕之『ライヴストック』2006年紙ジャケ盤ライナー

回りくどい言いまわしだけれども、言いたいことはわかる。クールな曲を中心にした選曲は、特定の意図によっているということだ。
さっき触れたレアな音作りといい、このかなり意図的な選曲といい、結局『ライヴストック』は、彼らのライヴをありのままに記録したのではなく、むしろライヴの音源を素材にし、加工して、新たな作品として再構成されたオリジナル・アルバムと言えるだろう。

■『ライヴストック』の音

『ライヴストック』は、まずそのジャケットから印象的だ。
いかにもイギリス的な田園風景の中に停車している透明な車。その車の開いたドア(どこでもドアの車版)からのぞく、スリムでセクシーな脚。このアルバムのクールでしかも官能的な音の世界が、じつにうまく視覚化されている。
しかしこの美脚の印象がいくら強力だったからとはいえ、まさかその後に、脚フェチ・ジャケ路線として引き継がれていくことになろうとは…。もちろんアルバム『ドク・ゼイ・ハート?(Do They Hurt? )』(80年)と、『Xコミュニケーション(Xcommunication)』(92年)のことなのだが、どちらもビジュアル・センスがどうしようもなく劣悪なのが悲しい。

『ライヴストック』でもっとも印象的なのは、アルバムのオープニングだ。
冒頭の曲は「ナイトメア・パトロール(Nightmare Patrol)」だが、メイン・パートのエレピのソロが始まるまでの曲のイントロ部分が素敵だ。真っ暗な夜空から、たくさんの星くずがキラキラと輝きながらゆっくり舞い降りてくるような印象。
この部分については、ブログ「Office Chipmunk」の筆者の方の次のような形容に私も同感だ。

オープニング「Nightmare Patroll」のフェード・インからテーマが決まるまでの神秘的な演奏は、 SOFT MACHINE の名曲「Facelift」にも似た法悦の瞬間がある。
Chipmunk「Office Chipmunk」(ブログ)

このアルバムの全体に漂っている浮遊感や、透明で硬質で翳りのある叙情性を、このオープニングはみごとに象徴していると言えるだろう。
オープニング曲に続いて、フィル・コリンズ参加の曲が続いている。すなわち「Ish」、「安楽死のワルツ(Enthanasia Waltz)」、「アイシス・モーニングⅰ,ⅱ」の3曲だ。いずれも一見地味で控えめでクールな音だ。間(ま)を生かした、侘び寂びとも幽玄とも言える世界が紡がれていく。しかし、その奥で、透明な青い炎がメラメラと燃えている。この感じが麻薬的だ。

そしてアルバムのエンディングが「マラガ・ヴィルゲン(Malaga Virgen)」。それまでの3曲で抑えに抑えていたものが一気に噴出するような、素晴らしい疾走感だ。快感だ。この快感を堪能したくて、何度も何度もこのアルバムを聴いていたような気がする。
それにしても、このアルバム、曲数は少ないが、じつによく練られた作品構成になっていると思う。

このアルバムにすっかりヤラれた私は、ものすごく期待してこの次の第4作「マスクス(Masques)」(78年)を買ったのだった。しかし、魔法はもう消えかけていた。相変わらずテクニカルだけれど、英国的な翳りや繊細さは薄れ、なんだかスッキリしてドライな感じになっていた。曲によっては、リターン・トゥー・フォーエヴァーに限りなく近い音に聴こえた。
以後のブランドXは、このアメリカ寄り路線をどんどん推し進めていったのだった。残念だ。